『ボクが美少女になっちゃって、魔法のタロットで放課後探偵団!? ~中身はガチの秀才男子だけど、身体が勝手にドキドキしちゃう   作:夏目陽光

12 / 12
一二話

終章:知識(ダアト)の深淵

 その温もりは、私の――いや、この少女の皮膚を透過し、凍てついた意識の最奥にある、最後の防壁を焼き切った。

 

 私は、理解してしまった。

 この者の差し出した掌(てのひら)の熱が、単なる摂氏(せっし)の温度差ではなく、一人の人間が他者を慈しむという、およそ計器では測り知れぬ「重み」であることを。その重みが、少女の柔らかな肉体を通じて、私の不純な魂を、完膚なきまでに肯定しようとしている。

 

 それが、耐えられなかった。

 

 私は、私のものではない肉体で、この聖なる温もりを掠め取っている。私がこの肉体の中で「生きる」ことは、即ち、この少女に向けられたはずの愛を、永遠に泥塗(どろまみ)れにし、偽造し続けることに他ならない。

 知性は、もはや私を救わない。肉体の熱は、もはや私を惑わさない。ただ、この「理解(ダアト)」という名の残酷な光が、私の犯した、存在そのものの罪を冷徹に照らし出していた。

 

 私は、一歩、後ずさった。

 彼女の瞳から溢れる涙は、もはや生理現象ではなかった。それは、私の凍てついた自意識が、初めて「他者の痛み」という熱に触れて、音を立てて決壊した証(あかし)であった。

 

「……すまない。私には、これを受け取る資格がないのだ」

 

 彼女の喉を使い、私は初めて、自分の言葉としてそれを放った。

 鈴を転がすような少女の声が、悲劇的なまでの純粋さを伴って、洋館の静寂に吸い込まれていく。私は、私を案じるその者の顔を、二度と見ることができなかった。

 

 セフィロトの樹は、私の内側で枯れ果てた。

 クリフォトの悪徳も、今や私の虚無を埋めるには足りない。

 私は、二つの木を繋ぐ「見えない橋(ダアト)」の上に立ち、眼下に広がる、底知れぬ無の深淵を見つめた。

 

 解決は、一つしかなかった。

 この熱い肉体を、この温もりを、これ以上汚さないために。

 私が「私」という異物として、この少女の物語から、永遠に退場すること。

 

 私は、手近にあった鋭利なガラスの破片を、震える指先で拾い上げた。

 肉体は、恐怖に戦慄(わなな)き、生きたいと叫んでいる。心臓は、逃げろと、抗えと、烈(はげ)しい拍動を繰り返している。

 だが、私の知性は、かつてないほどに凪(な)いでいた。

 

 私は、彼女の細い手首に、その冷たい切っ先を当てた。

 熱い血が、鮮やかな紅(くれない)の筋となって、私の視界を塗り潰していく。

 痛みはない。ただ、自分という不純物が、この少女の肉体から、一滴、また一滴と流れ出していく、清冽(せいれつ)な解放感だけがあった。

 

 次第に、意識が遠のいていく。

 十五歳の少年の記憶が、十五歳の少女の熱が、混ざり合い、薄まり、最後には一つの白い光となって霧散していく。

 

 私は、最後に、誰にも聞こえない声で、彼女の喉を使って呟いた。

「……ありがとう」

 

 それは、奪った命への謝罪か、与えられた温もりへの感謝か。

 答えを知る者は、もはやこの世のどこにもいない。

 

 洋館の窓から差し込む、冷ややかな月光が、床に広がった熱い溜まりを、静かに照らし出していた。

 そこにはもう、探偵も、怪物も、少年もいない。

 ただ、すべてを理解(ダアト)し終えた、永遠の沈黙だけが横たわっていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。