『ボクが美少女になっちゃって、魔法のタロットで放課後探偵団!? ~中身はガチの秀才男子だけど、身体が勝手にドキドキしちゃう 作:夏目陽光
第三回:理解(ビナー)の暗雲
男が去った後の部屋には、重苦しい沈黙と、場違いなほどに甘い残り香だけが滞留していた。
私は、鏡の前で崩れ落ちたこの少女の肉体を、這い上がるような這恊(しゅうきょう)の念をもって見下ろしている。膝をついた床の冷たさが、薄い衣(きぬ)を通して太腿に伝わってくるが、それは「冷たい」という情報の断片に過ぎず、私の意識を覚醒させるには至らない。
私の内側では、依然として少女の血潮が、男の残した余熱を求めて浅ましく脈打っていた。
この肉体は、私という知性を無視して、彼を「理解」してしまっている。それは論理的な了解ではなく、もっと根源的な、母の胎内に回帰しようとするような、盲目的で暴力的な受容であった。
「……汚らわしい」
私は、自身の内側で蠢(うごめ)くその熱い「理解」を、氷のような言葉で切り捨てようとした。だが、その瞬間、私の脳裏に一筋の亀裂が走った。
それは、私の記憶ではない。この器(うつわ)が、その奥底に執拗に「隠して(サタリエル)」いた、暗い情報の断片であった。
視界が歪み、洋館の壁が、湿った肉壁のように脈打ち始める。
記憶のなかの少女は、今の私と同じように、この部屋の隅で縮こまっていた。目の前には、慈愛に満ちた表情を浮かべながら、その実、魂をじわじわと削り取るような「母性」の影がある。
『お前は、私がいなければ何もできないのよ』
その囁きは、甘い真綿で首を絞めるような、逃げ場のない「理解」であった。少女はその暗雲に包まれ、自分という輪郭を消し去ることでしか、生き延びる術を持たなかったのだ。
私は、吐き気を覚えた。
この少女の肉体が、男の指先にこれほどまで熱く反応したのは、それが彼女にとって唯一の「存在の証明」であったからだ。支配され、奪われ、上書きされることでしか、彼女は自分が「在る」ことを理解できなかったのである。
私は、探偵として、この肉体の過去を「理解」し始めた。
しかし、その理解が進めば進むほど、私の少年の知性は、彼女の絶望的な生理反応と同化していく。彼女を理解することは、彼女の「熱」を受け入れることであり、それは即ち、私の「冷たさ」が死滅することを意味していた。
窓の外では、陽光さえも遮るような灰色の雲が立ち込めている。
ビナーの慈悲は、ここではサタリエルの隠蔽へと反転し、真実を闇の中に葬り去ろうとしていた。
私は、震える手で自分の――否、彼女の胸元を強く掴んだ。
心臓の音は、もはや他人事ではない。それは、隠し通されてきた悲鳴となって、私の意識を内側から激しく揺さぶり始めた。
「……隠し通せると思うな。お前が何を奪われたのか、私がすべて暴いてやる」
私は、熱に浮かされた喉を無理やり制御し、自分自身に、あるいはこの肉体に宿る幽霊に向かって宣言した。
だが、その声は、かつての私の凛(りん)とした響きを失い、どこか湿った、救いを求めるような女の震えを帯び始めていた。