『ボクが美少女になっちゃって、魔法のタロットで放課後探偵団!? ~中身はガチの秀才男子だけど、身体が勝手にドキドキしちゃう 作:夏目陽光
第四回:慈悲(ケセド)の砕身(さいしん)
その男――名を名乗らぬその影は、再び部屋に現れたとき、手に一杯の白磁(はくじ)の器を携えていた。
中には、湯気を立てる乳白色の液体が満たされている。甘い、暴力的なまでに甘い蜜の香りが、部屋の冷え切った空気を一瞬にして塗り潰した。
「冷えただろう。これを飲みなさい。今の君には、相応(ふさわ)しい滋養だ」
男の声は、驚くほど穏やかであった。そこには、第一回で感じたような鋭利な殺気はなく、むしろ深手を負った小動物を労わるような、底知れぬ「慈悲」が満ち満ちていた。
私の知性は、その声の響きに潜む欺瞞(ぎまん)を即座に感知し、毒を警戒する野良犬のように身を固くした。だが、この十五歳の少女の肉体は、その「優しさ」という名の劇薬に、あまりにも無防備に反応したのである。
胃の腑(ふ)が、熱い痙攣(けいれん)を起こした。
空腹という生理現象を通り越し、細胞の一つ一つが、男の差し出すその温もりを渇望して鳴き声を上げている。私の意志が「拒め」と叫ぶ暇(いとま)もなく、少女の細い腕は、吸い寄せられるようにその器へと伸びていった。
一口、その液体が喉を通り抜けた瞬間、私の少年の知性は、決定的な敗北を喫した。
熱い。そして、あまりにも甘美であった。
喉元を滑り落ちるその熱量は、凍てついていた私の意識の防壁を、内側から爆破するように粉々に「砕いて(ガシェクラー)」いく。それは栄養ではなく、私の自尊心を溶かすための溶剤であった。
「……あ、……ぁ」
喉の奥から、情けないほどに潤(うる)んだ吐息が漏れる。
男は、私の――いや、この少女の震える手の上に、彼自身の大きな掌(てのひら)をそっと重ねた。
その瞬間に流れ込んできた「人の温もり」は、私という存在の核を、木微塵(こみじん)に打ち砕く衝撃となった。
冷徹な探偵であろうとした私の心は、その圧倒的な「慈悲」の前に、もはや形を保つことができない。男の指が私の髪を撫で、耳元で「いい子だ」と囁くたびに、私の少年の自意識は、広大な海に投げ込まれた一匙(ひとさじ)の砂糖のように、跡形もなく消えていく。
私は、私を失いながら、この男に愛されることを望んでいる肉体の悦びに、激しい嘔吐(おうと)感と、それ以上の陶酔を覚えていた。
これがケセドの真実だ。与えられる愛が、受け手の「個」を圧殺し、ただの従順な「器」へと変質させる。私は、男の腕の中に抱かれながら、自分がもはや一人の人間ではなく、彼の慈悲を注ぎ込まれるためだけの、空虚な「彫刻」に成り下がったことを理解した。
氷のような知性は、もはやどこにもない。
あるのは、熱い乳液の香りと、男の体温に翻弄され、ただ「砕かれる」ことを待つ、無力な十五歳の肉体だけであった。