ドアをノックする音が聞こえた。ややあって、ひとりの少女が入ってきた。
蜂蜜色の髪をツインテールに結わえた愛らしい少女だ。物憂げな表情を浮かべながら、彼女は帰還の挨拶を口にした。
「帰ったぞ、
「ああ、ご苦労だったね」
「苦労なんてしてないわ」
そう言って、イングリッドは肩をすくめた。
実際、苦労したのはふたりのパイロットだけで、イングリッドは一度も実戦はしていない。とはいえ、交流として行われた模擬戦は意義のあるものだった。
「で、どうだったかね?」
「……ジョニー・ライデンではなかったわ」
「そんなことはわかっとるよ」
「はぁっ!?」
イングリッドはムッとしながらゴップを睨みつけた。
「たしかに彼は謎の多い人物だが、ジョニー・ライデンとするには色々と合わないことが多い」
当初ゴップは、彼を
引き取ったジオンの孤児も、ダイクンとは全く関係のない子どもだった。
「そもそもジョニー・ライデンはニュータイプではなかったのだろう?」
「そりゃあ、そうだけど。じゃあなんで会わせたのよ」
「顔は変えられる。声も変えられる。だがその身に纏う
「……答えになってない!」
イングリッドはプクッとほほを膨らませた。戦後、ジョニー・ライデンは行方不明となった。だが生きているなら自分に会いに来ないのはおかしい。死んだとは思いたくなかった。
彼女は戦争が終わって、彼を捜索するために各地を転々とした。しかし限界を感じて、ゴップに取引を持ちかけたのだ。まさか養女にされるとは思っていなかったが。
イングリッドの所属していた部隊は、キマイラというキシリア・ザビ麾下の特別部隊だった。
キマイラの設立時期は一年戦争の後期、終戦の約2ヵ月前とかなり遅い。その設立目的は、シャア・アズナブルが率いるニュータイプ部隊のカウンターである。そのため、各部隊から指折りのエースパイロットが集められた。
しかしこの2部隊、ニュータイプ部隊もカウンターニュータイプ部隊も、ほとんど日の目を見ることがなかった。
グラナダが連邦の大部隊に急襲されたからだ。キマイラ隊はグラナダから離れた宙域で訓練中だったため、グラナダの救援に間に合わず、ア・バオア・クーに逃れたキシリアを追うことになった。
その後、ア・バオア・クー攻防戦に参加するが、戦闘中にギレンの死亡報告が届いた。そして間を置かず、アルテイシアと名乗る女性が停戦を呼びかけてきた。
混乱の中、部隊の意見は分かれた。第一にキシリアの生死が不明であることがあった。死亡が確定していれば違ったのかもしれないが、その時点では連絡が取れないというだけで、まだ生存の可能性はあった。
結局、部隊内で戦闘を行いながらア・バオア・クーからの離脱を試みた。
「彼のア・バオア・クーの戦果はおまえも知っているだろう?」
「……連邦のプロパガンダかもしれない」
それは負け惜しみに近かった。イングリッドが彼に抱いた印象は、図らずもジョニー・ライデンに近いものだった。余裕があり、強者のオーラを纏っていた。
しかし、顔はまったく違っていた。整形にも限界がある。髪の色も瞳の色も違う。おそらく人種も違っている。
戦後、ギレンやキシリアの秘密主義がもたらした厄災が次々と明るみに出た。ザビ家の宝だのザビ家の遺産だのザビ家の復讐装置だの。
アルテイシア大統領は頭を抱えながら、粛々とそれらを処理していった。
ジョニー・ライデンはその中のひとつ、ザビ家の復讐装置と呼ばれるモノの"鍵"とされていた。だからこそ、それを目覚めさせないために身を潜めているのではないかとイングリッドは思っていた。
だが自分を含めた隊員の誰一人にも連絡を取っていないことから、もしかしたら記憶でも失っているのではないかという危惧を抱くようになった。
たしかにジョニー・ライデンは、ジオン公国でも屈指のエースパイロットではある。しかし生身の人間であることには違いないし、無敵のパイロットというわけではない。
不覚を取るという可能性は十分にあった。
アルテイシア大統領の処置によって、彼が潜伏する必要はなくなった。彼を見つけ出し、それを伝えるのがイングリッドの使命だった。
そして、もし本当に記憶を失っているなら、取り戻して貰うことがイングリッドの新たな使命となるだろう。
「ところでさ、あの少佐と義父殿はどういう関係なの?」
「彼との関係は、おまえとの関係に似ている」
「上司と部下じゃなくて、
「そうだ。私は彼の弱いところを守り、彼は私の弱いところを守ってくれている」
類稀なる戦果を挙げたウィリー・ケンプ少佐(彼は戦後すぐに昇進した)は、多数のメディアから取材を申し入れられた。だが彼はほとんどのメディアを拒否し、いくつかの雑誌のインタビューに答えただけだった。
それも、彼は決してインタビュアーが望むような回答は口にしなかった。
訓練のたまもの、臆病だったから、運が良かった、だから生き残れた。戦果は偶然にすぎない、と。
ニュータイプについても、曖昧にはぐらかすだけだった。
メディアからすればもっと民衆受けするような答えを期待しただろう。だが連邦政府の検閲が入るため、改竄などもできない。
結局彼は「つまらない男」と判を押され、次第にメディアたちも近づかなくなっていった。
「彼は気づいていたのだろうな。マスコミの無責任さ、醜悪さ、そして情報の怖さに」
そして彼は軍を辞めることを選んだ。これについてもひと悶着あったが、ゴップの計らいでコロニー公社に務めるということで落ち着いた。
レオン・ミュラーという別人となって。
「話を戻そう。私が訊いたのは機体の方だ」
「ああ、バイオセンサーね」
イングリッドはテーブルの上に腰掛け、思い出すように天井を見上げた。
「サイコミュ同調後は、機体とひとつとなったような一体感があったわ。コクピットを降りても、まだコクピットの中にいるような感覚が残っていた」
「サイコミュは搭乗者の能力によって出現する効果が変化する場合があり、一定のデータが取りづらい。アリエスとタウルスには同様のバイオセンサーを搭載しているが、データはまるで違っていた」
「例えば?」
「彼は、おまえが言ったような一体感は然程感じなかったらしい。知覚領域が広がったと言っていたな。まああれだ。彼はシステムを使いこなしている、といったところだろう」
その物言いに、イングリッドは口をへの字に曲げた。
「あっちは
「こっちのデータも興味深い。彼が連れてきた民間の協力者だ。操縦技術はエースパイロット級。ファンネルの操作も問題なく行えている。軍入りを打診してみたが、断られたよ。まあ彼は新進気鋭の実業家だ。命の危険がある軍人になど、なりたくはないのかもしれないな」
そう言って、ゴップは書類をテーブルの上に投げ出した。
「おまえの婿候補として良いと思ったのだが、どうだ?」
「やめてくれ親父殿。あれは……」
「あれは……なんだね?」
「いや、なんでもない」
キマイラにいた時に叩き込まれた、ある男の戦闘データ。その戦い方に似ているのだ。だがその男は死んだ。死人が生きているなんてのは珍しくもない話だが、別人として生きているのならわざわざ邪魔をすることもない。イングリッドはそう思った。
「とにかく、あの男はなしだ、親父殿」
「ふむ。ならば彼を取り込むのはやめておこう。ウィリー少佐を防波堤にして、ほどほどに付き合うことにする」
意味深な笑みを浮かべながら、ゴップは言った。椅子の背に体重を預けながら、視線を天井に向ける。
「コーウェン中将は軍人としては一流だが、政治家としては二流、商人としては三流だった。アナハイムの口車に乗ってガンダムを12機も建造するとはね」
「親父殿も協力したんじゃなかったのか?」
「伝手を使って各所に手を回した程度だがね。ガンダムは戦術兵器でありながら戦略兵器的側面もある」
戦後、アースノイドとスペースノイドの溝が埋まったわけではない。そういう意味でも、軍事力の増強はけん制として必要ではあった。
「けど奪われた。アナハイムの技師がスパイだったって聞いたけど、これは?」
「あまりアナハイムを疑いたくはないがな」
ガンダムMk-Ⅷの核装備も隕石破壊用として開発された。発案はアナハイムだと聞いている。元ジオンの技師がテロリストと通じていると知っていた可能性もある。
「戦後、連邦とアナハイムは札束で殴り合いをしたことがある。それが尾を引いているのかもしれん。もしくは、アナハイムは徹底して商売人ということか。コーウェン中将はババを引かされたな。これでコロニーまで奪われて地球に落とされでもしていたら、彼は詰め腹を切らされていただろう」
「ギリギリセーフってとこ?」
「本当にギリギリ踏みとどまった、というところだがな。まあこれで彼は私に大きな借りができたというわけだ」
「そうやってシンパを増やしているわけだ」
「協力者と言ってほしいな」
ゴップはモニターのスイッチを入れた。
画面に黒い軍服を着た集団が映し出された。
力説するサングラスの将校の背後には、黒いガンダムが周囲を睥睨するように屹立している。
「あいつらは、敵なんでしょ? なんでガンダムを渡したの?」
「敵……とは思いたくないのだがね。軍の上層部も複雑なのだよ。政界と同じで、魑魅魍魎の巣窟ではあるが、義理を欠いて渡っていけるほど甘いものでもない。誰もひとりでは生きていけないのだからね。こういった配慮も必要なのだよ」
「大人って面倒なのね」
「そう、面倒なのだよ。しかし、先の事件で過激派が勢いづいているのは確かだ。地球圏はまだまだ落ち着きそうにないな」
「何もやってないくせに、よくここまで声を大きくできるものね」
イングリッドは呆れたように、両の手の平を天に向けた。
「大規模なテロがあったという事実が重要なのだよ。彼らにしてみればね。規律あっての軍隊だが、どうなることやら……」
とそこで、テーブルの脇に置かれた内線が鳴った。
『シーラ・シェーラ様が参られました』
「通してくれ」
それだけ言って、ゴップは回線を切った。イングリッドが小さく眉根を寄せる。
「また若い娘でも
「歳は……32だな、書類上は」
「書類上? また悪だくみ?」
「実際に会って、言葉を交わせば、どんな人間かはある程度わかる。その上で、どこに置くかを決めるのだよ」
「あっ、そう。じゃあ私は席を外すわ」
「ああ、また後でな」
興味を失ったように、イングリッドは
モニターの中では、黒服を着た将官がまだ演説を続けていた。
数年後、ゴップの懸念は現実となる。地球出身者ばかりで固められたこの組織は、地球圏を巡る災禍の中心を成すことになるのだ。
しかしそれはまだ