終戦から4年の月日が流れた。
サイド6、カミイグサ・コロニーに移住した俺は、昆虫館で働くことになった。
特に理由はない。募集していたから応募しただけだ。そして運よく採用された。
コロニーにもよるが、基本的にコロニーは昆虫に対して厳格だ。サイド3のコロニーでは、昆虫館以外で昆虫を見ることはまずなかった。
「俺にとっちゃあ、嫌な思い出しかないがな、虫は」
隣で飲んでいたスベロアさんがぼそりとこぼした。
彼は元ジオンの軍人で、地球降下作戦でアフリカに降り、そのまま終戦までアフリカ戦線を支えていた。
「一番悩まされたのは虫、次は暑さだな。タバコが気兼ねなく吸えたことくらいしか、地球に良い思い出はない」
グラスの氷をカランと鳴らして、スベロアさんは当時のことを思い出していた。
管理されたコロニーの気候と違って、地球の環境は過酷だ。コロニー落としによって地軸も歪み、気象も乱れた。
「タバコを吸っていたんですか?」
「ああ、もうやめちまったがな。マリィのためにも、節約せにゃならん」
カミイグサ・コロニーでは決まった場所でしかタバコは吸えない。指定の場所以外で吸っているところを見つかれば、少なくない罰金を払うことになる。気兼ねなく吸えるのは工業コロニーくらいだろう。
そもそもタバコ自体が高いしな。
「そういえば、なんかうちの娘たちが妙なことに巻き込んだみたいで」
「……ああ。プチ・モビか。まあ構わんさ。俺が武勇伝みたいに地球での活躍を話しちまったのも、原因のひとつだろうしな」
スベロアさんは、終戦を機に軍を辞めた。その後、妻子と共にサイド6へ移住してきたのだ。
彼は熱心なザビ家信奉者ではない。だからサイド3がきな臭くなっているのに気づいたのかもしれない。
引っ越し先は俺のマンションの隣の部屋だった。彼の娘のマリィちゃんは、イリアたちと歳が近いこともあり、家族ぐるみで仲良くさせてもらっている。
「お嬢ちゃんたちから護身術も教わっているようだ。女の子がどうかとも思うが、最近は物騒だからな。身につけておいた方がいいのかもしれん」
戦争が終わって4年ほど経つが、難民の数は増え続けている。これは政権が変わったことも関係しているだろう。
「ランクの方が良かった気もするがな。ペルガミノは、どうも信用ならん。こそこそと物資の横流しで小金を稼いでいた以前の上官を思い出す」
「その上官はどうなりました?」
「死んだよ。流れ弾に当たってな」
流れ弾ねぇ。
戦場ってのは怖いな。こういうことがあるから、恨みは買わない方がいい。
「軍警も変わりましたね。難民への当たりが強くなりました」
「イズマ・コロニーの方はひどいらしいな。難民の総数も、把握できないほど膨れ上がっているらしい。だから軍警も神経が苛立っているんだろう」
カミイグサ・コロニーは市長が割とまともなのもあって、大きな難民問題は起きていない。
「意図的なものかもしれませんがね」
「ん? どういうことだ?」
「イズマ・コロニーで非合法の賭け試合が流行っているのはご存じでしょう?」
「……ああ、そういうことか」
スベロアさんも察したようだ。
カジノだって国営の場合がほとんどで、そういった大金が絡む事業は、たいてい国が絡んでいる。
軍警が本気で捜査すれば、鎮圧できるのは間違いない。それをやらないのは、上の意向があるのだろう。
「ペルガミノ……かもしれんな。やつは造船会社時代から、横流しの疑惑があったからな」
ペルガミノは一年戦争時代、造船会社を経営していた。だが終戦を機に政治家へと転身。どんな手を使ったのかはわからないが、わずか数年でサイド6の大統領に就任した。
クランバトルは、退役軍人や敗残兵達の食い扶持になっている必要悪、などと言う人間もいるが、政府がしっかりしていれば、必要なものでもないだろうに。
なんなら、合法にして公営ギャンブルにでもしてしまえばいい。まあそれはそれで、なんでもアリの闇試合が生まれそうな気もするが。
ペルガミノでなくとも、お偉いさんが関わっているのは間違いないだろう。
運営だけじゃない。MSの部品を供給する商人たち。有力者や犯罪組織。甘い汁を吸おうと人が集まり、莫大な金が動く。そんな場所に、まともな人間は近づかない。
パイロットだってそうだ。頭部を破壊すれば勝ちというルールだが、コクピットへの攻撃が禁止されているわけではないようだ。そんな命懸けの賭博試合に興じるのは、まともな人間じゃない。借金や弱みを握られているか、よほどの自信家か、よほどのバカか。あるいは……よほどの世間知らずか。
「若者に人気の娯楽コンテンツになってるみたいですね。見るだけならいいんですが、憧れるようになるのは困りものです。どうしますか? マリィちゃんが参加したいとか言い出したら?」
「そんときゃ、ぶん殴ってでも止めるさ」
「スベロアさんにマリィちゃんが殴れるとは思えませんがね」
「……言ってくれるじゃねぇか」
子煩悩だからな、この親父。愛妻家だし。先月も家族旅行でフランチェスカ・コロニーに行ったらしい。あそこはコロニーの採光部分である川を使った海洋エリアが70パーセントを占めており、マリンスポーツや海洋生物の観察が楽しめるリゾートコロニーで、なかなか人気がある。
マリィちゃんのことを言ったが、むしろ心配なのはうちの娘たちの方だ。
なぜならあのふたりは、MSの操縦ができるからな。ジオニック社製のものなら、どんなMSでも操縦できるだろう。基本的には同じ作りだからな。
噂をすれば、というべきか、バーのモニターが急に切り替わり、カウントダウンが始まった。
60秒のカウントダウンが終わると、画面が宇宙に切り替わる。
ザクが現れた。
「あんな骨董品がよく動くモンだ」
モニターに映っているのは初期型のザクだ。ザクは様々なバリエーションが造られたが、大別すると3種類しかない。大戦初期に大量生産された初期型、指揮官用に性能を向上させたS型、そして後期に生産された高機動型、この3つだ。
民生用に払い下げられた機体の多くは初期型だった。この払い下げられた機体は、武器管制システムにロックがかけられており、作業用に使うのが目的だった。
だがこのロックを外すデバイスが闇市場で流通しており、それを使ってこのような非合法バトルが行われるようになった。
「2対1か。見るまでもないな」
クランバトルは基本的に2on2のチーム戦で行われる。だがそれは最大出撃数が2機というだけで、1機で出撃してもルール違反ではない。とはいえ、1機で出撃するメリットはほとんどない。
おそらく、違約金を払うよりは修理費の方が安くすむという理由で出撃したのだろう。
クランバトルのルールはよくわからないが、違約金が高額だというのは聞いたことがある。たぶん、棄権とか降伏が認められていないのだろう。
さすがに2対1では勝負にならず、決着は一瞬でついた。
◇
ある休日のこと、チャイムが鳴って玄関のドアを開けると、そこには懐かしい顔があった。
「お久しぶりです、カミシロ博士」
「久しぶりだな、アルマ」
アルマ・シュティルナー。軍服を着ていないということは、プライベートなのだろう。あるいは、軍を辞めたか。そう思って、階級は口にしなかった。
『ただいまー』
彼女の脇をすり抜けるように入ってきたのは、イリアとレシアだった。
「なんだ、一緒だったのか」
「案内してきてあげたの」
「そうか。まあ、入ってくれ。本当に久しぶりだ。お茶でも入れよう」
「はい、お邪魔します」
アルマをリビングに通し、紅茶とクッキーを振舞う。イリアとレシアも同席していた。
「今日はお休みなんですか?」
「ああ、週に2日は休みをもらえる。のんびりした職場だよ」
昆虫に興味がある人間はそう多くない。たまに家族連れや、男の子が連れ立ってやってくるくらいだ。
ややあって、アルマはなにかを決意したように口を開いた。
「博士はニュータイプ研究所がもうひとつ在ったことをご存じですか?」
「……いや、初耳だ。
問い返すと、アルマはふるふると首を横に振った。
「サイド6の
たしか、原作だとその場所だったんだよな。そこでアムロが、シャアとララァと直接出会う。
「ふたつある意味は、あるんだろうな。俺は嫌われたかな」
「そうかもしれません。博士が許可しないような、うちではできないような実験を、そこでは行っていました」
アルマは口の端を小さく噛んだ。その瞳には怒りがあった。
「覚えていますか? セリーヌ博士が、イリアちゃんを改造しようと言い出したことを」
「ああ、そんなこともあったな。知っていたのか」
あれは本当に驚いたな。彼女は割とまじめな性格だったから、そんなことを言いだすとは思わなかった。だがあの提案は、彼女なりにイリアを思ってのことだったのだと思う。
イリアに目を向けると、彼女は素知らぬ顔で視線を逸らした。あの頃のイリアは、結構焦っていたような感じだった。今思うと、家に帰りたくなかったのだろう。だから、自分の価値を証明したかった。
やたらとMSに乗りたがったのも、それが理由だ。そんなことを、たぶん彼女に相談したのだろう。そういうことは、同性の方が相談しやすいと思うし。
「あれで、博士の反応を確かめたのだと思います。認めていれば、うちにも被験者が回されていたはずです」
「……そうか、うちに追加要員がこなかった理由はそれか」
そう言われると、彼女の真意もわからなくなってきたな。
たしかにドズルはともかく、キシリアはニュータイプの候補者を送ってきてもおかしくはなかった。戦場を見渡せば、勘の良い兵というのはいるはずだ。もちろん、勘の良い人間のすべてがニュータイプではない。
キシリアは、ニュータイプを自分の手元に置きたかったのだろう。だからもうひとつ、完全に自分の支配下における研究所を作った。キシリアならやりそうだ。そこに思い至らなかったのは、俺の落ち度だな。やはり恐ろしい女だな、キシリアは。
「ならば、ドズル閣下が戦死した時に、俺を降格させるなり罷免させるなりしなかったのはなぜだ? キシリア様にはそれができたはずだ」
「反乱を警戒したのでしょう。博士が放逐されるなら、少なくとも私たち5人は博士につきます。場合によっては、連邦に亡命していたかもしれません」
え? 俺ってそこまで慕われてたの? というか、連邦に亡命はないだろ。連邦のニュータイプ研究所っつったら、ムラサメとかオーガスタだろ? 全然良いイメージがない。良いイメージがないどころか、悪いイメージしかない。
非人道的な実験を強要されて、拒否したら処分されるだろう。そんでキミらは、記憶を操作・改竄されてサイコガンダムとかに乗せられるんじゃないかな。
なんか想像しただけで腹が立ってきたぞ。
「ジオニック本社に栄転させるという方法もある」
「そこに悪意があれば、たぶんマリオンが気づきますよ」
「……ふむ」
マリオンのニュータイプ能力は、その頃には極まっていた感じがするからな。特に悪意・敵意・害意といったものには敏感だった。
「そういえば、マリオンやローゼはどうしてるんだ?」
「マリオンとローゼは……そうですね、まずはフラナガンスクールについてお話します。フラナガンスクールはご存じですよね」
「まあ、通り一遍のことはね」
俺が辞めた後、研究所はスクールになり、校長にはフラナガン博士が収まった。だから、フラナガンスクールだ。
「フラナガンスクールには、表と裏があります。表向きは士官学校ですが、裏ではサイコミュの研究を続けていました」
終戦協定で、サイコミュ兵器の開発・運用は禁止された。だから裏に潜るしかなかったんだろう。条約違反なんだが、まあキシリアならやるだろうな。それにたぶん、連邦もやっていると思う。戦争末期、連邦はオールレンジ攻撃に嫌と言うほど苦しめられただろうからな。
「まずクルスト博士主導で行われたのが、サポートAIの進化系、マリオンの精神波をシステムに落とし込み、操縦者にニュータイプと同じ感覚を与えるというものでした」
それEXAMシステムじゃん! いや、EXAMシステムは対ニュータイプ用のシステムだから、ちょっと違うか。どちらかというと、
どっちにしてもろくなモンじゃないな。
アムロみたいな化け物ニュータイプがいなかったせいか、戦時中はおとなしかったんだがなぁ。
AIがパイロットの補助をする分には問題ない。その最たるものが教育型コンピューターだし、あれは良い物だ。だが、それが逆転するのはよろしくない。
「このシステムが完成して量産されれば、ニュータイプではない人でもサイコミュ兵器が使用できると、クルスト博士は豪語していましたが……」
「その様子じゃあ、上手くいかなかったみたいだな」
「はい。ある実験の時にシステムが暴走して、MSが暴れ出しました。多くの人が命を落として、クルスト博士も巻き込まれました。その時にマリオンとローゼも、亡くなりました」
「亡く……死んだ?」
マリオンとローゼが……死んだ? 手が震える。付き合いは1年ほどだったが、大半の時間を一緒に過ごしていた。家族、といってもいい関係だった。
思えば俺は、一年戦争で近しい人間を誰も亡くしていない。V作戦も潰そうと思えば潰せた。だがやらなかった。情報源を詰められることを恐れた。何しろ、軍の情報部ですら掴めていない情報なのだ。俺が知っている理由がない。ギレンやキシリアに睨まれることを恐れた。
ソーラ・システムについては、それとなくドズルに警告はしていた。しかし信用はされていなかった。それは仕方ないのだ。ドズルにとって俺は、現場を知らない研究者のひとりに過ぎない。そもそもソーラ・システムが、どこに設置されているかは俺も知らなかったのだ。
戦争に、本気で勝とうとは思っていなかったのかもしれない。どこかで、傍観者の気分だったんだ、俺は……。
「ウソだよ」
「……イリア?」
「アルマお姉ちゃん。わたしだって、怒る時は怒るよ」
「うん、ふたりともごめんね。すいません、博士。でも公的には、ふたりは死んだんです。そうしない限り、ふたりが軍を抜けることはできなかったから」
そうか、たしかに軍がふたりを手放すはずないよな。イリアとレシアはまだ小さかったし、ニュータイプ能力も、あの時点ではそれほど高いわけではなかった。そもそも、軍籍はなかったしな。
「マリオンとローゼは今、地球にいます。先の大戦で地球が荒廃していることは、博士もご存じだと思いますが……」
「ああ」
コロニー落としの影響は大きく、また連邦が負けたということもあって、復興はなかなか進んでいないらしい。それは宇宙も同じで、各サイドの復興も思うように進んでいない。そのためか、一年戦争でほとんど被害を受けていないサイド6に、多くの難民が流れてきて問題になっている。
「環境や土地だけではありません。人も荒れています。スペースノイドの人たちは、地球に住んでいるのは
これは原作でのミハル・ラトキエ嬢を想像してもらえればすぐに理解できるだろう。彼女は、
ここで疑問だったのが、なぜミハルはジオンの情報を連邦に流さなかったのか、いわゆる二重スパイをしなかったのか、ということだ。
ジオンの軍人(名前は忘れた)が、現地協力者と言っていたので、ジオンの人間ではない。だとすれば彼女は、コロニーを落として地球を荒廃させた人間たちに協力していたことになる。
これは俺の想像だが、彼女はコロニーが落とされる前から、同じような暮らしをしていたのではないだろうか。だから連邦が嫌いだった。ジオンは、少なくとも報酬は支払っていただろう。だから協力していた。そんなところじゃないかと思っている。
「地球の構造は
ジオンは開戦当初の奇襲作戦で、サイド1、サイド2、サイド4に壊滅的な被害を与えた。その後、ルウム戦役でサイド5も被害を被った。一年戦争で人口の半分が失われたとされるが、そのほとんどは連邦についたスペースノイドだった。これは連邦政府にとって多数の納税者を失ったことに等しい。
それを補うために、地球在住者にも多額の税をかけているのだろう。
「博士は、チベットという国をご存じですか?」
「アジアの、ヒマラヤ山脈の北側に位置する国だな。最近までは連邦政府が実効支配していた自治区だったが、独立したとニュースでやっていたが……まさか、それにふたりが関わっているのか?」
「発端は労使交渉でした。待遇改善を申し出ただけだったんです。ですが、連邦政府は聞く耳を持たず、最後には武力行使で鎮圧しようとしたんです」
「そして起こったのが、チベット独立革命だったな。その主要人物が聖女と呼ばれる3人の乙女だと言われているが、まさか、そうなのか?」
アルマが笑みを浮かべた。
「蒼の聖女がマリオン、白の聖女がローゼ、そして赤の聖女がララァ・スン。彼女たちが、革命の3聖女です」
……え? 今ララァ・スンって言った?