どこまでも深く、静かな闇の中を落ちていく感覚。
鼓膜を打つ風の音はいつしか消え、代わりに、水滴が反響するような澄んだ音が意識の底を叩いていた。
「……ん……」
ゆっくりと目を開けると、視界いっぱいに、淡く発光する紫色の霧と、空中に浮かぶ巨大な水晶の欠片が広がっていた。
あの、肌を刺すような白夜の強烈な太陽はない。暗夜の底冷えするような寒さとも違う。
しっとりとした、涼やかで優しい薄暗さ。それはまるで、母親の胎内に還ったかのように穏やかで、呼吸のしやすい空間だった。
「……気がついた? カムイ」
頬に、ひんやりとした水滴が落ちた。
見上げると、僕の顔を覗き込んでいるアクアの姿があった。
「アクア……ここ、は……?」
「透魔王国。……暗夜と白夜の争いの元凶であり、私の故郷。……そして、外の世界では誰にも語ってはいけない世界」
アクアは、空中に浮かぶ巨大な遺跡のような島と、その中心にある青く輝く泉を見つめながら、静かに語り始めた。
「今の透魔王ハイドラは、私の父である前王を殺し、国を滅ぼしたわ。そして今も裏から糸を引き、ガロン王を操って争いを起こしているの」
「……ハイドラ……!」
「でも、この真実を、白夜や暗夜のみんなに説明することはできない。……透魔の事象を外界で口にすれば、呪いによって全身が水の泡となって消え去ってしまうから」
アクアの瞳が、悲しげに伏せられる。
「いくら両親が恋しくても、故郷が気がかりでも、誰にも言えなかった。ずっと……私一人で、心の中で殺すしかなかったの」
「アクア……」
その孤独がどれほど深く、冷たいものだったか。僕には痛いほどよくわかった。
「この道を選んだということは、あなたも私と同じ呪いを背負い、誰にも理解されない孤独を味わうということよ。……覚悟は、できている?」
アクアの問いに、僕は言葉を返す前に、ゆっくりと身を起こした。
周囲を見渡せば、僕の体を庇うように倒れていたフェリシアとフローラ、そして人間の姿に戻ったリリスが、静かに僕たちを見つめていた。
「……孤独なんかじゃないよ、アクア。僕には……君たちがいる」
僕がそう答えると、アクアは泣きそうな顔で微笑み、そして僕に向けてその白く細い両手を差し伸べた。
「……そうね。……おいで、カムイ。この泉が、あなたの傷と痛みを溶かしてくれるわ」
僕は吸い込まれるように、アクアの手を取って泉へと入った。
竜化の暴走で服を失い、包帯に血と火傷を滲ませた僕の小さな体を、ひんやりとした水が包み込む。
アクアは僕を泉の奥へと導くと、そのまま僕を抱き寄せるようにして、自分と密着させた。
「あっ……アクア……」
「……力を抜いて。私の歌とこの水が、あなたの熱を奪っていくから」
『ユラリ ユルレリ……』
アクアの唇から、震えるような甘いハミングが零れる。
彼女の濡れた胸元が僕の素肌にぴったりと押し当てられ、水越しに伝わる彼女の静かな心音が、僕の鼓動と重なり合う。アクアの冷たい指先が僕の背中の傷跡を優しくなぞるたび、痛みがスッと引き、代わりに芯が痺れるような甘い快感が背筋を駆け上がっていった。
「カムイ様……私にも、触れさせてください」
水音を立てて、フェリシアが近づいてきた。
彼女は背後から僕の肩に腕を回し、その豊かな双丘を、僕の無防備な背中に押し当てた。
「フェリシア……君も、火傷が……」
「私の痛みなんて、どうでもいいんです。……外界の誰にも言えない秘密を、私たちが共有している。カムイ様が私を選んで、一緒にこの暗闇へ落ちてきてくれた。……その事実だけで、私、もう……どうにかなってしまいそうなんです……っ」
フェリシアの熱い吐息が、僕の耳元にかかる。彼女の柔らかな肌が背中の傷を押し包むように擦れ、看病という名目をとうに超えた、剥き出しの情欲と独占欲が伝わってきた。
「……フェリシアだけが特別ではありませんよ」
正面から、フローラが水面を滑るように近づいてきた。
彼女は凍傷を負った自らの指先を、僕の火照った頬から首筋、そして鎖骨へとゆっくりと這わせた。
「ひゃっ……ふろーら、冷た……っ」
「熱いですか? それとも、冷たいですか……? 白夜や暗夜の人間には、もうカムイ様は救えません。……あなたの体は、私の氷がないとどうにもならないほど火照っているはずです」
フローラの瞳は、かつてないほどに暗く、妖しく濁っていた。
彼女の顔が近づき、冷たい唇が僕の首筋に触れる。吸い付くような柔らかな感触と共に、彼女の吐息の冷気が僕の血管に直接流れ込んでくる。
前からはアクアの静謐な水の抱擁。後ろからはフェリシアのむせ返るような熱と柔らかさ。そして、首筋に刻まれるフローラの凍てつく刻印。
さらに、水面下ではリリスが僕の足首に絡みつくように潜り、彼女の滑らかな頬をふくらはぎにすり寄せていた。
太陽の光がない、紫色の薄暗い世界。
白夜の過保護な重圧も、暗夜の狂気的な引力も、ここには届かない。
「泡になって消える」という絶対的な死の呪いが、逆に僕たちを外部から完全に隔離し、「ここにいる者たちだけで生きていくしかない」という究極の共依存関係を完成させていた。
誰も知らないこの深淵の泉で、僕の心に残っていた「一人で立たなければ」という責任感は、彼女たちが与えてくれる極端な温度差とむき出しの愛情の前に、ドロドロに溶け落ちてしまった。
「……もう、どこへも行かないで。私だけの、カムイ」
アクアの唇が、僕の耳たぶを甘く噛むようにして囁く。
痛みを癒やすための水浴びは、いつしか、互いの体温と呪いを貪り合う、濃厚で出口のない儀式へと変わっていた。
僕の小さな体は、四人の少女たちの甘く、冷たく、そして熱い愛情の波に完全に飲み込まれ、薄暗い透魔の泉の底へと、静かに、どこまでも深く沈んでいった――。