透き通った紫色の霧が漂う、静寂の泉。
アクアの唇から紡がれる癒やしの歌は、いつしか言葉を失い、ただ甘く震える吐息のようなハミングへと変わっていた。
「……はぁ……、カムイ……」
水音だけが微かに響く中、アクアの濡れた柔らかな腕が、僕の小さな背中に深く回される。彼女の胸元に顔を埋める形になった僕は、冷たい泉の水と、アクアの肌から伝わる静かな熱の境目が分からなくなりつつあった。
彼女の蓮のような香りが、僕の呼吸を支配する。痛みを溶かすその水は、同時に僕の思考をも甘く麻痺させていくようだった。
「アクア……傷、もう痛くないよ。……体が、不思議なくらい……軽いんだ」
「そう……。でも、心の奥の熱は、まだ引いていないわ」
アクアの濡れた前髪が僕の額に触れ、彼女の金色の瞳が、至近距離で僕の目を真っ直ぐに見つめ返してきた。その瞳の奥には、すべてを見透かすような深い理解と、僕をこの深淵に繋ぎ止めておきたいという静かな独占欲が揺らいでいた。
「カムイ様……私にも、その熱を……」
背後から、ぴちゃり、と水面を揺らしてフェリシアがさらに身を寄せてきた。
暗夜のメイド服は水を吸って重くなり、彼女の豊かな体の曲線を隠すことなく露わにしている。彼女は僕の背中にその柔らかな双丘をきつく押し当てながら、僕の腰に回した腕にぐっと力を込めた。
「あっ……フェリシア、君の体、すごく熱い……」
「はい……っ。カムイ様が私を選んで、一緒に暗闇へ落ちてきてくださった……そのことが嬉しくて、胸の奥がずっと、火傷みたいに熱いんです」
フェリシアの熱っぽい吐息が、僕のうなじを直接撫でる。彼女の甘い汗の香りと、僕の背中を包み込む暴力的なまでの柔らかさ。太陽の光がないこの世界では、彼女の放つ熱気だけが僕の体温を急激に引き上げていく。
その熱を中和するかのように、フローラが水面を滑るように僕の正面へと回り込んだ。
「……フェリシア。カムイ様がぼのせてしまいますよ」
静かに告げたフローラの声は、ひどく掠れていた。彼女は凍傷を負った指先で、僕の胸元から首筋へと、まるで氷の刃で肌をなぞるようにゆっくりと触れてくる。
「……ひゃっ……ふろーら……」
「私の冷気で、その熱を鎮めて差し上げます……。いいえ、カムイ様のすべてを、私が冷やして、私のものだと刻み込ませてください」
フローラの顔が近づき、彼女の冷たい唇が僕の鎖骨にそっと押し当てられた。
吸い付くような感触と共に、肌の表面から一気に熱が奪われ、代わりに体の芯から痺れるような快感が這い上がってくる。彼女の吐息は氷のように冷たいのに、僕の肌に触れるその唇からは、どろりとした暗い情熱が注ぎ込まれていた。
前からはアクアの水のような抱擁と、フローラの凍てつく愛撫。
後ろからはフェリシアのむせ返るような体温と密着。
そして水面下では、リリスが僕の足首からふくらはぎにかけて、彼女の滑らかな肌をすりよせ、時折その小さな唇で僕の膝裏にキスを落としていた。
「あ……ぁっ……みんな、近、いよ……」
僕の小さな体は、四人の少女たちが放つ極端な温度差と、逃げ場のない愛情の濁流に完全に飲み込まれていた。
白夜の空の下で感じた、あの息苦しいほどの罪悪感や、どちらかを選ばなければならないという重圧は、ここにはない。お日様の光が届かないこの薄暗い深淵で、僕はただ、彼女たちが与えてくれる体温と快感に身を委ね、ドロドロに溶けていくことしかできなかった。
「……カムイ。今はもう、何も考えなくていいのよ」
アクアの囁きが、僕の理性の最後の糸を断ち切った。
「……うん。僕……もう、みんなと……」
言葉は、フローラの冷たい唇によって塞がれた。
誰かの指が僕の髪を梳き、誰かの腕が僕の背中を強く抱きしめる。
泉の水音に別の水音が交わり、甘く乱れた吐息や嬌声が、紫色の霧の中にいつまでも溶け込んでいった――。
***
……どれだけの時間が経ったのだろうか。
透魔王国には、朝や夜という概念が存在しない。空は常に淡い紫色の霧に覆われ、静寂だけが支配している。
「……ん……」
心地よい重みと、むせ返るような甘い香りに包まれながら、僕はゆっくりと意識を浮上させた。
目を開けると、視界のすぐ横に、安らかな寝息を立てるフェリシアの顔があった。
僕たちは泉から上がり、遺跡の奥にあった柔らかな苔の絨毯のような場所で、身を寄せ合って眠っていたのだ。
僕の小さな体は、完全に彼女たちの腕と足によって拘束された状態だった。
右腕は、フェリシアの豊かな胸の谷間にすっぽりと挟み込まれており、彼女の温かい体温が脈打つように伝わってくる。彼女の片足が僕の腰に絡みつき、まるで抱き枕のように僕を抱え込んでいた。
左側では、フローラが僕の首筋に顔を埋めるようにして丸くなっていた。彼女の冷たく細い腕が僕の胸元に回され、その指先は、寝ている間も僕の服の裾をしっかりと握りしめて離さない。
そして僕の頭上――腕枕をするような形で、アクアが僕の髪を撫でるように手を添えて眠っていた。彼女の静かな寝息が僕のおでこをくすぐる。足元では、リリスが丸くなって僕の足の甲を温めてくれていた。
四人の少女たちの匂いと体温が混じり合い、ここは世界で一番安全で、そして恐ろしいほどに甘い牢獄だった。
「……もう、目覚めたの?」
頭上から、静かな声が降ってきた。
見上げると、アクアがすでに目を覚まし、潤んだ金色の瞳で僕を見つめていた。
「アクア……おはよう。……うん、すごく深く眠れた気がする」
太陽の光がないおかげで、僕の頭は驚くほど冴え渡り、竜化の反動による体の気怠さも完全に消え去っていた。
「よかった。……あなたの顔色、とてもいいわ」
アクアはそっと身を乗り出し、フローラやフェリシアを起こさないように、僕の唇にチュッと、小鳥がついばむような軽いキスを落とした。
朝の挨拶にしては、あまりにも自然で、そして甘すぎる接触。
僕の顔がカァッと熱くなるのを見て、アクアはクスリと微笑んだ。
「ここは、誰も私たちを知らない世界。白夜の怒りも、暗夜の呪いも届かない。……でも、このままここに隠れ住むわけにはいかないわね」
アクアの言葉に、僕も小さく頷いた。
「うん。透魔王国……この世界に、両国の戦争を裏で操っている『本当の敵』がいるんだよね」
「ええ。彼を倒さなければ、地上に平和は訪れない。それに……いずれ、白夜や暗夜のきょうだいたちも、私たちの後を追ってこの真実に辿り着く日が来るかもしれない」
その言葉に、僕はヒノカ姉さんの悲痛な叫びと、カミラ姉さんの狂気を孕んだ瞳を思い出した。彼女たちは絶対に僕を諦めない。地の果てまで、いや、この深淵の底まででも、僕を捕まえに来るだろう。
「……だからこそ、迎え撃つ準備をしましょう。この透魔の遺跡を足場にして、私たちの『軍』を作るのよ」
アクアの瞳には、静かな決意が宿っていた。
「……私も、お供しますよ。カムイ様」
いつの間にか目を覚ましていたフローラが、僕の胸元に回した腕にぐっと力を込め、僕の耳元で囁いた。
「フェリシアも、リリスも……私たちはもう、あなたと運命を共にすると決めたのですから」
「ふぇ……? あ、朝ですか……?」
フェリシアが目をこすりながら身を起こし、その反動で彼女の豊かな胸が僕の腕に強く押し付けられ、僕は変な声を出さないように必死に口を噤んだ。
誰もいない、紫色の空の下。
僕たちは互いの体温と絆を確かめ合いながら、この語られざる世界で新たな一歩を踏み出そうとしていた。
僕の心にはもう、迷いはなかった。彼女たちの甘く重い愛情を背負い、この深淵で戦い抜く覚悟が、静かに燃え始めていた。