太陽の光を遮る氷の天蓋の下で、僕の心は真っ暗な絶望に染まり、膝の力が抜けていく。同胞と信じた白夜の者たちからの、完全な拒絶。
「……っ、あ……」
ガクンと崩れ落ちそうになった僕の背中を、フローラとフェリシアが同時に抱きとめた。
「泣かないでください……。あんな奴らの言葉、聞かなくていいんです。カムイ様の本当の優しさは、私たちが一番よく知っていますから……っ」
フェリシアは僕の顔を自分の胸元に引き寄せ、その豊かな柔らかさと、ドクドクと脈打つ激しい心音で僕の視界と聴覚を塞いだ。
「……ええ。あなたが世界中から憎まれたとしても、私だけは、あなたの熱を奪い、そして守り抜いてみせます。……あの者たちの口は、私が永遠に凍らせて差し上げましょう」
フローラが背後から僕を抱きしめ、僕のうなじにその冷たい頬をすり寄せながら、もう片方の手で氷の暗器を構えた。容赦ない白夜の光の下。僕は、彼女たちの甘く、重く、そして狂おしいほどの愛情の檻の中で、戦うことの絶望と、「彼女たちに依存するしかない」という残酷な安堵感に、ドロドロに溶かされようとしていた。
「……退いて。フローラ、フェリシア」
アクアの静かだが、絶対に逆らえない響きを持った声が落ちた。フローラとフェリシアがわずかに体を離すと、アクアは僕の目の前にしゃがみ込み、その透き通るような両手で僕の頬を包み込んだ。
「……アク、ア……」
「心が、折れてしまったのね」
彼女の言葉は、非難ではなかった。ただ、僕の脆い部分を的確に撫でるような、甘く冷たい響きがあった。
「こんな状態で歩き続けたら、あなたは本当に壊れてしまう。……帰りましょう。私たちの、お城へ」
アクアが僕の唇に自分の唇を軽く押し当て、そのまま僕の意識を水の底へ引きずり込むように、深いキスを落とした。その瞬間、僕の体は急速に力を失い、暗い泥のような眠りへと落ちていった。
***
……どこからか、微かに甘い花の香りがした。
「……ん……」
重い瞼を開けると、そこはオーロラが揺らめく星界(マイキャッスル)の、豪奢な私室だった。僕は、驚くほど柔らかく、そして温かいものに全身を包まれていた。「……お目覚めですか、カムイ様」頭上から声がして見上げると、僕はフェリシアの豊かな太ももを枕にして横たわっていた。彼女は僕の髪を梳くように優しく撫でながら、潤んだ瞳で僕を見つめ下ろしている。「
ふぇりしあ……僕、」
「無理に起き上がらなくていいんですよ。……カムイ様は、ずっと、ずーっと、こうして私に甘えていればいいんですから……っ」
フェリシアの腕が僕の胸に回り、彼女の熱く柔らかい体が、僕の小さな体を逃がさないように上から覆い被さってきた。
「ここは私たちの絶対の聖域です。白夜の憎しみも、暗夜の刃も、ここには届きません。……だから、あなたは何も考えず、ただ私たちが与えるものだけを受け取っていればいいのですよ」
右側には、フローラが添い寝をするように横たわっていた。彼女は僕の右腕を自分の胸に抱き込み、その冷たい頬を僕の肩にすり寄せている。
「……あんな酷い言葉を投げかける外界になど、もう二度と行く必要はありません。カムイ様は、一生このベッドの上で、私とフェリシア、そしてアクア様から愛され続けていればいいのですから」
フローラの言葉は、看病や慰めを完全に通り越し、僕の自立心を根本から奪い去る「飼育」の宣言だった。彼女の氷のような指先が僕のパジャマの隙間から滑り込み、腹部から胸へと、ゆっくりと、しかし執拗に這い回る。冷気による快感が、僕の思考を白く塗り潰していく。
「ひゃっ……ふろーら、だめ、だよ……僕、みんなを救うために……」
「まだそんなことを仰るのですね。……あなたは、これほどまでに傷つけられて、まだ外へ出たいと?」フローラの指先が、冷たく僕の胸の突起を弾いた。「あっ……!」
「……外界は、あなたを傷つけるだけ。でも、私たちは違います。私たちは、あなたを……こんなにも、気持ちよくして差し上げられる」
フェリシアの熱い唇が僕の首筋に落ち、フローラの冷たい指先が僕の肌を蹂躙する。極端な熱と冷気の板挟み。僕の小さな体は、二人のメイドが与えてくる規約ギリギリの快感と、重すぎる愛情の海に沈められ、完全に「されるがまま」の赤子のように堕落させられようとしていた。
「……二人とも、少しやりすぎよ」
部屋の奥から、アクアが静かに歩み寄ってきた。しかし、彼女もまた僕を解放するつもりはなかった。アクアは寝台の端に座ると、僕の左手を取り、その冷たく滑らかな指を僕の指の間に深く絡ませた。
「……でも、フローラの言う通りよ、カムイ。あなたはもう、十分傷ついたわ。しばらくは、このお城から一歩も出ず、私たちの体温だけを感じて生きていればいいの」
アクアの瞳は、僕を深い深淵の底に永遠に繋ぎ止めておきたいという、静かで狂気的な独占欲に満ちていた。僕の理性が、甘い快感と共にドロドロに溶け落ちていく。
(……ああ。もう、このままでいいかもしれない。外に出ても、僕は裏切り者として憎まれるだけだ。なら……ここで、彼女たちにすべてを委ねて……)
僕が完全に絶望と依存の泥沼に沈みかけた、その時だった。
「……失礼する」
バンッ!と、私室の扉が遠慮なく開かれた。立っていたのは、歴戦の傷を刻んだ漆黒の甲冑――ギュンターだった。彼は、僕に群がり、骨抜きにしようとしている三人の少女たちを鋭い眼光で一瞥すると、重々しい足取りで寝台の横へと進み出た。
「ギュンター……」
「……フローラ、フェリシア。そしてアクア殿。カムイ様を慰め、お守りしようとするその忠義は立派ですが……いささか、度が過ぎておりますな」
ギュンターの低く威圧的な声に、三人の少女たちの動きがピタリと止まった。「……カムイ様」老騎士は、僕の目を真っ直ぐに見据えた。
「白夜の同胞から裏切り者と呼ばれ、心が折れたとお見受けする。……しかし、真の『王』とは、他者からの評価で己の道を曲げる者のことではありません。たとえ世界中から石を投げられようとも、己が正しいと信じた『真実(透魔の討伐)』のために、泥にまみれて歩き続ける者こそが、王なのです」
ギュンターの言葉は、彼女たちの甘い快感で麻痺しかけていた僕の脳髄を、雷のように強烈に打ち据えた。
「私は、ただ甘やかされるだけの雛鳥に仕えるつもりはありません。……あなたが本当に白夜と暗夜を救う気があるのなら、今すぐその安寧の寝台から立ち上がりなさい」
「……ギュンター」
「……ギュンター殿。カムイは傷ついているのよ。もう少し、言い方というものが……」
アクアが僕を庇うように立ち上がったが、ギュンターは首を横に振った。
「傷ついたからといって、立ち止まることは許されない。それが、この過酷な道を選んだ者の責任というものです。……カムイ様、いかがなされる。このまま彼女たちの庇護の下で、一生無力な子供として生きるか。それとも、茨の道を進み、世界を救う『王』となるか」
僕は、自分の両手を見た。白夜の空の下で震えていた小さな手。でも、この手にはまだ、夜刀神を握る力が残っている。
「……うん。僕は、行くよ」
僕は、フェリシアの柔らかい膝枕から頭を退け、フローラの冷たい腕をそっと解いた。
「ごめん、みんな。僕を癒やそうとしてくれたのはすごく嬉しい。でも……僕はまだ、諦められないんだ」
僕の決意の籠もった瞳を見て、フローラは少しだけ寂しそうに微笑み、フェリシアは「……はいっ、どこまでもついていきます!」と力強く頷いた。アクアも、僕の顔を見て小さく息を吐き、「……あなたの心が折れないのなら、私も歌い続けるわ」と告げた。
「……よくぞ立ち上がられました、我が君」
ギュンターが深く頭を下げた。
「では、改めて索敵の報告をいたします。リリス殿の協力を得て、現実の透魔王国側から白夜の情勢を探ったところ……テムジン砦はもぬけの殻。白夜の主力軍は、ユキムラ殿やサイゾウ殿に率いられ、『黄泉の階段』方面へ向かったとのこと」
「黄泉の階段……風の部族の村がある方向だね」
「はい。どうやら、風の部族が白夜に反旗を翻したという急報が入り、鎮圧に向かったようですな」
「風の部族が!? そんなはずはない、フウガ白王は争いを好まない人だ。それに、白夜を裏切るなんて……」
「ええ。十中八九、暗夜の……マクベスあたりの卑劣な策略でしょう。白夜軍と風の部族を同士討ちさせる気です」
ガンターの言葉に、僕は唇を噛んだ。白夜と暗夜の戦いを止めるためには、これ以上の無意味な血を流させるわけにはいかない。
「……ギュンター。砦には、誰が残っているの?」
アクアが静かに問う。
「手薄になった砦の留守を任されているのは、わずかな手勢と……サクラ王女殿下のようです」
「サクラが……!」
母上(ミコト女王)が命を落としたあの広場で、絶望に泣き崩れていた彼女の顔が脳裏にフラッシュバックする。母を失い、さらに僕が暗夜の女たちを庇って奈落へ落ちたことで、彼女の心はどれほど深く傷ついているだろうか。
「ギュンター、サクラのところへ行こう。……彼女を、あんな危険な砦に一人で置いてはおけない」
「しかし、カムイ様。我々は白夜にとって裏切り者。まともに接触すれば、戦闘は避けられませんぞ」
「……なら、僕が彼女を『攫う』」
僕の言葉に、フローラとフェリシアがハッと息を呑んだ。
「サクラを……人質として僕たちの軍に加えるんだ。それなら、彼女が白夜軍の中で責任を問われることもないし、マクベスの策略が渦巻く戦場から彼女を安全に遠ざけることができる」
「……なるほど。あえて悪名を被り、妹君を守るというわけですね。カムイ様らしい、不器用で優しい策だ」
ギュンターが静かに微笑み、アクアも小さく頷いた。
***
砦の裏手、監視の目が届かない鬱蒼とした森の境界。そこには、慰霊碑のような小さな祠の前で、一人膝を抱えてうずくまる薄桃色の髪の少女がいた。
「……お母様……カムイお兄様……」
風に乗って微かに聞こえてくるのは、押し殺したような嗚咽だった。サクラは、母上(ミコト女王)の形見である小さな布を胸に抱きしめ、枯れるほど涙を流していた。ユキムラたち主力が出払い、一人取り残された砦で、彼女は孤独と絶望に押し潰されそうになっていたのだ。
「……サクラ」
僕が茂みから歩み出ると、サクラの肩がビクッと跳ねた。彼女は怯えたように振り返り、そして、僕の姿を視界に捉えた瞬間――その大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ出した。
「か……カムイ、お兄様……?」
幻でも見るかのように、彼女はふらふらと立ち上がった。手から治癒の杖がカランと音を立てて落ちる。
「僕だよ、サクラ。……迎えに、来たんだ」
「ああ……ああっ、お兄様っ……!!」
サクラは弾かれたように駆け出し、僕の小さな体へと勢いよく飛び込んできた。
「サクラ……っ」
ドンッ、とぶつかるような激しい抱擁。彼女の腕が僕の背中に回り、骨が軋むほどの強い力でしがみついてくる。
「生きて……生きていらしたんですね……っ! 谷底へ落ちて、もう、二度と会えないかと……私、私っ……!」
「ごめん、ごめんねサクラ。一人にして」
サクラの顔が僕の胸元に深く埋められ、彼女の温かい涙が僕の服をぐっしょりと濡らしていく。桜のようなどこか儚く、甘い香りが僕の鼻腔を満たした。
「お母様が死んでしまって……お兄様までいなくなって……白夜のみんなは、お兄様を裏切り者だって言うし……私、もう、この国でどうやって息をしていいのか分からなくて……っ。お兄様……温かいです……私の、カムイお兄様……っ」
彼女の言葉は、もはや妹としての純粋な慕情を超え、僕という存在そのものに縋り付く重篤な依存へと変貌していた。僕の胸に顔を擦り付けるようにしながら、サクラの小さな手が僕の衣服を握りしめ、絶対に離さないとばかりに震えている。
「サクラ殿。……感動の再会のところ申し訳ありませんが、私たちは白夜の敵。長居は無用です」
背後から、氷のように冷たいフローラの声が響いた。サクラがビクッとして顔を上げると、僕の後ろには暗夜のメイド服を着たフローラとフェリシア、そしてアクアが冷ややかな視線で見下ろしていた。
「あ……暗夜の、人たち……。どうして、お兄様と……」
「サクラ、聞いて」
僕はサクラの肩をそっと掴み、真っ直ぐに彼女の目を見た。
「僕は、白夜にも暗夜にもつかない。真の敵を倒すために、中立国であるイズモ公国……そして風の部族のフウガ白王の元へ向かい、同盟の道を模索するつもりだ。……でも、君をこのまま一人で危険な場所に置いてはおけない。黄泉の階段では、多分マクベスの罠が動いている」
「罠……?」
「うん。だから……君を、僕の『人質』として連れて行く。そうすれば、君は裏切り者にはならない」
僕の提案に、サクラは一瞬目を丸くしたが、すぐにその瞳に暗く、甘い熱情の炎を灯した。
「……人質、ですか」
サクラの小さな手が、僕の胸元から這い上がり、僕の頬をそっと包み込んだ。
「……はい。私を、攫ってください……カムイお兄様」
「サクラ……?」
「お兄様が、私を悪人から守るために攫ってくださるのなら……私、どんな地の底へでもついていきます。……もう、白夜の正義に押し潰されながら、お兄様のいない世界で一人で泣くのは、絶対に嫌ですから……っ」
サクラの顔が近づき、彼女の桜色の熱い吐息が僕の唇を掠めた。
「私を、お兄様の檻に……閉じ込めてください。ずっと、お兄様のお怪我は、私が治しますから……」
彼女の手のひらから淡い治癒の光が溢れ、僕の肌にじんわりと染み込んでくる。その光はとても温かくて心地よいのに、僕の心をがんじがらめに縛り付ける、恐ろしく甘い鎖のようだった。
「……サクラ殿。カムイ様のお世話は、私たち暗夜のメイドの役目です。あまり馴れ馴れしく触れないでいただけますか?」
フローラが僕とサクラの間にスッと冷たい指先を割り込ませ、牽制する。
「そ、そうですっ! サクラ様は人質なんですから、カムイ様にそんなに引っ付いちゃだめですっ!」
フェリシアも負けじと僕の背中にしがみつき、自らの豊かな体温でサクラの温もりを上書きしようとしてくる。右からはサクラの逃げ場のない依存と治癒の熱。後ろからはフェリシアのむせ返るような肉体的な密着。左からはフローラの凍てつくような独占欲と冷気の愛撫。そして、それらを静かに見つめるアクアの、すべてを許容し、深淵へと引きずり込むような深い眼差し。白夜の眩しい光の下で、僕の心はすでに、彼女たちの濃密すぎる愛情と体温によって、ドロドロに溶け合ってしまっていた。
「……みんな、離れて。見張りの兵が来る前に、風の部族の村へ向かおう」
僕は甘い溜息を一つ吐き、重すぎる彼女たちの想いを背負ったまま、フウガ白王との同盟を求めて、新たな過酷な道程へと歩みを進めたのだった。