白夜の空は、今日も僕を拒絶するように、どこまでも青く澄み切っていた。僕たちはテンジン砦を後にして、イズモ公国への近道である「黄泉の階段」を目指していた。
「……カムイお兄様。お足元、気をつけてくださいね。私が、ずっと支えていますから……っ」
僕の右腕には、サクラが両腕を絡ませるようにしてぴたりと抱きついていた。彼女は「人質」という名目だが、その振る舞いはまるで、親の温もりを二度と手放すまいとする迷子の子供のようだった。小さな手から絶え間なく流れ込んでくる治癒の光が、僕の疲労を和らげてくれる。しかし同時に、彼女の桜のような甘い香りと、胸の奥から絞り出すような熱っぽい吐息が至近距離で僕の頬を撫でるたび、僕は自分が彼女を底知れぬ依存の沼へと引きずり込んでしまったのだという罪悪感に甘く締め付けられた。
「サクラ様。あなたが過剰に密着するせいで、カムイ様の体温が上がってしまっています。少し離れていただけますか」
左側からは、フローラが氷を帯びた声で牽制する。彼女はひんやりとした指先を伸ばし、僕の首筋から衣服の隙間へと滑り込ませた。
「あっ……フローラ……」
「……お日様の光は、あなたには毒です。私の冷気で、中和して差し上げますから……」
フローラの指が僕の鎖骨をなぞり、脈打つ肌の熱を奪っていく。サクラの温もりから僕を引き剥がし、自分の冷たい支配下に置こうとするような、ねっとりとした愛撫。背後からは、フェリシアが「私もいますからね!」と、時折僕の背中にその柔らかな双丘をぽすんとぶつけながら追従してくる。三人の少女たちの重すぎる愛情に挟まれ、僕の思考がぼんやりと甘く麻痺しそうになっていたその時――。
「な、なんだか霧が濃くなってきましたよ……?」
サクラが怯えたように僕の腕をきつく握りしめた。いつの間にか、周囲の景色は深く沈んだ霧に覆われ、先も見えないほどになっていた。
「!! 皆さん、ノスフェラトゥです!」
サクラの悲鳴の先、霧の中からおぞましい暗夜の魔物――ノスフェラトゥの群れが姿を現した。
「……迎え撃ちましょう、カムイ様!」
ギュンターが槍を構え、フローラとフェリシアも暗器を手にする。
「でやあっ! はあっ!!」
僕も夜刀神を抜き放ち、迫り来るノスフェラトゥの胴体を斬り裂いた。
しかし――。
「! みんな、待て! 待つんだ!」
手応えがおかしかった。倒れ伏した敵の姿が、霧が晴れると共に変化していく。
「ノスフェラトゥじゃない! 人間だ……っ!」
「まさか、これは……風の部族の者たちだわ!」
アクアが青ざめた顔で叫んだ。
『ククククク……』
崖の上に、暗夜の魔道士マクベスの姿が一瞬だけ現れ、嘲笑うように消え去った。
「そんな……これは、マクベスの罠だったのか……?」
「カムイ……これから、どうしましょうか」
アクアが僕の腕をそっと掴む。
「……風の部族の村へ行こう。ちゃんと説明して、謝罪をしないと」
***
「あいつらだ! 仲間に攻撃を仕掛けた奴らは!」
風の部族の村に辿り着いた僕たちを待っていたのは、怒りに燃える部族兵たちの怒号だった。
「違う! 話を聞いてくれ……! 確かに僕たちは君たちの仲間を傷つけた。でも、あれは暗夜の幻術の罠だったんだ!」
必死の説得も、彼らの耳には届かない。
「処刑だ!」という声が村中に響き渡る。
「こ、こんなに怒っている皆さんを見たことがありません……っ」
サクラが僕の背中に隠れるようにして震えている。
「……族長のいる『烈風城』に行ってみましょう。族長さんに分かってもらえれば、皆さんも敵対するのをやめてくださるかも……」
僕たちは吹き荒れる暴風を抜け、なんとか烈風城の広間へと辿り着いた。
「……白夜を裏切った挙句、我が同胞を傷つけた不届き者は、貴様か」
玉座から立ち上がったのは、筋骨隆々たる風の部族の族長、フウガだった。横には、炎の部族から来ているらしいリンカの姿もある。
「フウガ白王! 僕は白夜を裏切っていません! 同胞を傷つけたのも、幻術の罠に嵌められたからで……!」
「口では何とでも言える」
フウガは巨大な斧を肩に担ぎ、鋭い隻眼で僕を睨み下ろした。
「俺は、親友であった白夜王スメラギから、その『夜刀神』を託すに相応しい者が現れるまで守るよう頼まれていた。……お前が真にその剣を持つに相応しい器かどうか。そして、お前の言葉に偽りがないか。……この俺の斧で、直接確かめさせてもらおう」
フウガから放たれる凄まじい闘気。
「……カムイ様、お下がりください。私が……」
フローラが冷気を纏って前に出ようとするのを、僕は手で制した。
「だめだ。ここで僕たちが本気で戦ってしまえば、同盟の道は完全に閉ざされる」
僕は夜刀神を正眼に構え、深く息を吐いた。
「……みんなにお願いがある。この城にいる部族の戦士たちを、一人も殺さないでほしい。怪我の治療なら、あとでサクラがいればなんとかなる。……僕たちの『敵意がない』という証明は、不殺の戦いでしか示せない」
「……なんて無茶な。ですが……カムイ様がそう仰るのなら、私どもは従うまでです」
ギュンターが苦笑し、槍の石突きを握り直す。フェリシアとフローラも暗器の峰に持ち替えた。
「……行くぞ、スメラギの遺児よッ!!」
フウガの烈風のような一撃が迫る。僕は夜刀神の刃を斜めに寝かせ、その剛腕の軌道を最小限の動きで受け流した。ガキィィィンッ!と火花が散る。周囲では、フローラの氷が部族兵の足元を凍らせ、フェリシアの爆煙が視界を奪い、アクアの歌が彼らの戦意を削いでいく。誰も傷つけず、ただ制圧するためだけの、過酷な防衛戦。
「……ほう。手加減をしているのか?」
フウガが斧を振り下ろしながら、面白そうに目を細める。
「手加減じゃない……! 僕は、あなたたちと手を取り合いたいんだッ!」
僕はフウガの懐に潜り込み、夜刀神の柄で彼の手首を強打し、斧の軌道を天へと逸らした。ドゴォォンッ!と、斧が城の柱を砕く。
「……見事だ」
フウガは斧を下ろし、大きく息を吐いた。周囲の部族兵たちも、僕たちが誰一人致命傷を与えていないことに気づき、戦意を収め始めていた。
「幻術の件、そしてお前の言葉……どうやら偽りはないようだな。その剣に選ばれたのも頷ける。お前の瞳には、スメラギ殿と同じ、揺るぎない覚悟が宿っていた」
フウガは豪快に笑い、僕に向けて手を差し出した。
「風の部族は、お前が歩む見えざる道に協力しよう」
「……終わった……」
フウガの手を握り返し、同盟が成立した安堵から、僕の小さな体からどっと力が抜け落ちた。
「カムイ様っ、お疲れ様でした……っ!」
その瞬間、四方から一斉に甘く、重い体温が押し寄せてきた。背後からフェリシアが抱きつき、その柔らかな胸で僕の背中を押し包む。
「カムイ様……お体、冷やしますね……」
横からはフローラが僕の首元に冷たい指先を滑り込ませ、独占欲に満ちた冷気を注ぎ込む。
「お兄様、お怪我は……私、ずっと一緒にいますから……っ」
正面からはサクラが僕の胸に顔を埋め、治癒の光と共に逃げ場のない依存の熱を押し付けてくる。
「……よくやったわ、カムイ」
アクアが僕の髪にそっと触れ、額に冷たい口づけを落とす。フウガや部族の戦士たちが少し呆れたような顔で見守る中。僕は、彼女たちの息の詰まるような、極端な温度差を持つ愛の牢獄の中心で、抗うこともできずに、ただ甘くドロドロに溶かされていくのだった。