鼓膜を甲高く打つ破砕音と共に、涼やかな安息は突如として終わりを告げた。
「そこまでだ、暗夜の狗ども!」
荒々しい声と共に、フローラが張っていた氷の結界が粉々に砕け散る。
鋭い破片がキラキラと宙を舞い、結界の裂け目から、白夜の容赦のない陽光が差し込んできた。
「う、あ……っ」
直射日光を浴びた瞬間、僕の目眩がさらにひどくなった。暗く涼しい暗夜の城で育った僕にとって、遮るもののないこの強烈な光と熱気は、ひどく息苦しく、体力を根こそぎ奪っていくように感じられた。
「カムイ様っ!」
膝をつきそうになった僕を、背後からフローラが抱きとめる。彼女の冷たい腕が僕の胸元に回り、そのひんやりとした背中に僕の背中がぴったりと預けられる。
「よくも……カムイ様の御前に、土足で……っ!」
普段は冷静なフローラの声が、かつてないほどの怒りに震えていた。僕を抱き抱える腕の力がぎゅっと強まり、彼女の豊かな胸の柔らかさが背中越しに伝わってくる。
前方には、炎の部族の装束を纏った戦士――リンカと、静かながらも隙のない身構えを見せる忍、スズカゼの姿があった。
「おとなしく縄につけ。さもなくば、その場で叩き伏せる」
「やれるものなら、やってみなさい……! フェリシア、リリス!」
「はいっ! カムイ様には、指一本触れさせませんっ!」
フェリシアが両手に暗器を構え、リリスも低い唸り声を上げる。
一触即発の空気。
「……待って、みんな……」
僕はひび割れた声で、フローラの冷たい腕に自分の小さな手を重ねた。
「僕、は……大丈夫、だから。……戦わないで……」
「しかし、カムイ様っ! このような者たちに、あなたを渡すわけには……!」
「お願い、だ……。君たちが傷つくのは、嫌だ……」
僕の懇願に、フローラの腕がびくりと震えた。彼女はゆっくりと腕の力を緩め、フェリシアの暗器も力なく下ろされた。
「……賢明な判断だ」
スズカゼの静止も虚しく、僕たちの両手は荒縄で縛り上げられた。
じりじりと肌を焼く太陽の下、白夜王国の防衛拠点である砦へと引き立てられる道のりは、僕の精神を際限なく削り取っていった。
何度もつまずきそうになる僕を、フェリシアが縛られた手で必死に支えてくれる。彼女の甘い汗の香りと焦燥感が伝わってくる。後ろからは、フローラの突き刺さるような視線が、僕を縛る縄へ向けられているのを感じた。
やがて、重い扉が開かれ、薄暗い石造りの広間へと通される。
広間の奥に立っていたのは、真紅の鎧を纏った威風堂々たる武士――リョウマ兄さんと、天馬に跨る戦姫、そして、可憐な巫女だった。
「連行いたしました、リョウマ様」
スズカゼの報告の声が響く。
うつむいていた僕が、ゆっくりと顔を上げたその時だった。
「……え……?」
天馬から降りてこちらへ歩み寄ろうとしていた赤髪の戦姫――ヒノカ姉さんの動きが、不自然にピタリと止まった。
彼女の大きく見開かれた瞳が、僕の顔を真っ直ぐに射抜いている。
「嘘だろ……。まさか、そんな……」
ヒノカ姉さんの唇が震え、手から長槍がカランと音を立てて床に転げ落ちた。
彼女は周囲の視線など気にも留めず、ふらふらとした足取りで僕に近づいてくる。
「お前……」
ヒノカ姉さんは僕の目の前で膝をつき、縛られた僕の小さな両手を、震える手で包み込んだ。
「カムイ……なのか……? 本当に……、カムイ……っ」
「……え? ぼ、くの……名前……?」
次の瞬間、強い力で引き寄せられ、僕の顔はヒノカ姉さんの胸元に深く埋められていた。
「ああっ……カムイ、カムイっ!! 生きて……生きていたんだな……っ!」
耳元で、彼女の嗚咽が爆発した。
硬い胸当ての冷たさと、その奥にある女性特有の豊かな柔らかさ。革と鉄の匂いの中に混じる、陽光をたっぷり浴びたような、ひなたの匂い。
僕を抱きしめるヒノカ姉さんの腕は、骨が軋むほどに力強いのに、彼女の体はひどく震えていた。彼女の熱い涙が、僕の首筋にポタポタと落ちていく。
暗夜の城で育った僕にとって、こんなにも感情を剥き出しにした、熱く、重たい抱擁は初めてだった。息ができないほどの密着に戸惑うが、なぜか突き放すことができない。
「ヒ、ヒノカお姉様……その、カムイお兄様が、苦しそうです……っ」
おずおずとした、透き通るような甘い声が降ってきた。
見上げると、薄桃色の髪をした少女――サクラが、涙ぐみながら僕を見つめていた。
「あっ……す、すまない、カムイ……!」
慌てて体を離すヒノカ姉さん。しかし、その手は僕の肩をしっかりと掴んだままで、決して離そうとしない。
「お顔色、とても悪いです……。お日様の光を、たくさん浴びてしまったのですね……」
サクラがそっと膝をつき、僕の頬を両手で包み込んだ。
ヒノカ姉さんの熱い体温とは違う、花びらのような優しい温もり。彼女の掌から淡い治癒の光が灯り、僕の体を蝕んでいた気怠さが、嘘のようにスッと引いていく。
「……あ……」
「もう、大丈夫ですよ……。私が、癒やしますから……」
至近距離で見つめてくるサクラの瞳は潤んでいて、甘い桜の香りが鼻腔をくすぐった。彼女の治癒の光は、単なる回復魔法ではなく、心までとろけさせて甘えたくなるような、心地よい麻薬のような感覚を僕に植え付けていく。
「カムイ……よく、生きて戻ってきてくれた」
静かに、しかし深い感威を込めた声と共に、リョウマ兄さんが歩み寄ってくる。
「俺はリョウマ。……お前の、実の兄だ」
兄。姉。妹。
突然突きつけられた「本当の家族」という事実。
右の肩はヒノカ姉さんの強い執着を孕んだ腕に抱かれ、頬はサクラの甘い治癒の温もりに包まれる。
背後からは、拘束されながらも僕を奪い返そうと殺気を放つフローラとフェリシアの熱視線。
そして、その騒ぎを聞きつけて、奥の扉から一人の美しい女性が駆け出してきた。
「……カムイ! 私の子……カムイ!!」
白夜の女王、そして僕の母上でもあるミコト。彼女の涙に濡れた無償の愛の抱擁が、僕をさらに深く、息の詰まるような白夜の熱の中へと引きずり込んでいくのだった。