ノートルディア公国へと続く海路の中継地点、港町ディア。
潮の香りと活気に満ちたこの街の裏通りにある、薄暗い倉庫の影。僕たちはそこに身を潜め、情報収集に向かったタクミやギュンターの帰りを待っていた。
白夜の強い日差しは倉庫の屋根に遮られているものの、港町特有のじっとりとした湿気が空気にまとわりついている。しかし、僕の小さな体を包み込んでいる熱気は、決して気候のせいだけではなかった。
「……カムイ。お疲れでしょう? お姉ちゃんの胸で、ゆっくりお休み……」
木箱の上に腰掛けたカミラ姉さんの膝の間に、僕はすっぽりと収められていた。
彼女の長くしなやかな腕が僕の腰から胸元へと回り込み、背骨が軋むほどの強い力で抱きしめられる。背中には、薄絹の衣服越しでもはっきりと分かる、暴力的とも言えるほど豊満な双丘が、僕の体温を奪い尽くすようにきつく押し付けられていた。
「姉さん……苦しい、よ。こんなところで……」
「いいのよ。ここは暗くて狭くて、誰の目も届かない……まるでお母さんの胎内みたい。私の可愛いカムイを閉じ込めておくには、ぴったりの場所だわ……」
カミラ姉さんの熱っぽい吐息が僕のうなじを撫で、彼女のむせ返るような甘い香水と、微かな汗の匂いが鼻腔を甘く麻痺させていく。彼女の鼓動が僕の背中越しにドクドクと伝わり、僕の呼吸までもが彼女の深い愛情のペースに飲み込まれそうになっていた。
「……カミラ様。いくら暗くて狭い場所とはいえ、カムイ様を独占するのは感心しません。カムイ様の体温が、不自然に上がってしまっています」
スッと、氷のように冷たい声が響き、僕の火照った頬にひんやりとした指先が触れた。
左側に跪いていたフローラが、手袋を外した白く透き通る指を、僕の首筋から襟元へとねっとりと滑り込ませたのだ。
「ひゃっ……ふろーら……冷たい……」
「ええ。この港町の不快な湿気も、カミラ様の纏わりつくような熱も、私の冷気で綺麗に奪って差し上げます。……あなたはただ、私の氷の奥で、心地よい痺れに身を委ねていればよいのです」
フローラの顔が極端に近づき、凍てつくような吐息が僕の耳朶を撫でる。彼女の冷たい唇が、僕の首筋に触れるか触れないかの距離で這い、その強烈な温度差が僕の背筋にゾクゾクとするような快感を走らせる。
「お兄様から離れてくださいッ!」
右側からは、サクラが泣きそうな顔で僕の腕をきつく抱きしめ、自らの柔らかな胸元へと強引に引き寄せた。
「お兄様の汗は、私が拭います! お兄様の温もりは、私だけのものです……っ。暗夜の冷たい氷なんて、必要ありませんっ!」
サクラから流れ込む桜色の治癒の魔力が、僕の血管に直接入り込み、体の芯からドクドクと甘い熱が湧き上がってくる。母を失った彼女の依存は、カミラ姉さんという絶対的な「母性」の脅威を前にして、さらに排他的で狂気的な執着へと変貌していた。
「私も、カムイ様をお温め……じゃなくて、お冷やし……とにかく、お守りしますからねっ!」
フェリシアが正面から、カミラ姉さんの膝の上にいる僕の足元へとしがみつくように倒れ込み、その豊かな太ももと胸を僕の膝に強く押し付けてくる。
「……ちょっと、アンタたち。索敵中だってのに、よくそんなベタベタできるわね……っ」
倉庫の入り口付近を警戒していたルーナが、顔を真っ赤にして僕たちを睨みつけた。
「る、ルーナ……ごめん、僕も動けなくて……」
僕が息も絶え絶えに助けを求めると、ルーナはビクッと肩を震わせ、さらに顔を赤くした。
「べ、別にアタシは気にしてないわよっ! アタシは一流の傭兵だから! でも……その、アンタがどうしてもっていうなら……」
ルーナはツンケンした態度を取りながらも、そっと僕の隣――フローラとのわずかな隙間に歩み寄り、僕の肩と彼女の肩が触れ合うほどの距離に陣取った。
「……アタシの革鎧、ひんやりしてて気持ちいいでしょ? 少しは寄りかかっても、許してあげなくもないわよっ……!」
不器用な彼女の体温と、微かに甘い女の子の匂いが、密室の空気に新たな彩りを加える。
右からはサクラの重篤な依存熱。
左からはフローラの凍てつく愛撫と、ルーナの不器用な密着。
下からはフェリシアの無自覚な情欲。
そして背後からは、カミラ姉さんの逃げ場のない溺愛の檻。
僕の小さな体は、五人の少女たちの極端な温度差と愛情の圧力に完全に絡め取られ、頭の芯が甘く痺れて溶け落ちそうだった。
「……静かに」
その息の詰まるような甘い空気を、アクアの透き通った声が鋭く切り裂いた。
倉庫の入り口に立つ彼女の金色の瞳が、真っ直ぐに外の通りを見据えている。
「……囲まれたわ」
「え……?」
僕たちがハッとして身構えた瞬間、倉庫の外から重々しい足音と、金属の鎧が擦れる音が無数に響いてきた。
「見つけたぞ! この倉庫だ、周囲を完全に包囲しろ!」
聞き覚えのある、力強く真っ直ぐな声。
倉庫の大きな扉がバンッと乱暴に開け放たれ、眩しい陽光と共に、白馬に跨る銀色の鎧の騎士が姿を現した。
「……カムイ! 探したぞ!」
「サイラス……!?」
そこにいたのは、僕が暗夜王国で過ごしていた幼い頃からの親友であり、暗夜の若き俊英騎士、サイラスだった。
彼の背後には、重武装の暗夜兵たちがズラリと並び、完全に僕たちの退路を断っていた。
「サイラス……どうして君が、ここに」
僕はカミラ姉さんの腕から強引に抜け出し、夜刀神の柄に手をかけながら前に出た。
サイラスは馬から降り、険しい顔で僕を見据えた。
「ガロン王の命令だ。白夜に寝返り、あまつさえシヴァリエでカミラ様を洗脳し誘拐した裏切り者の王子を、必ず生け捕りにして連れ戻せと。……カムイ、お前がそんな卑劣な真似をするとは思えなかった。だが、実際にこうしてカミラ様を……ッ!」
サイラスの視線が、僕の背後に立つカミラ姉さんを捉え、痛ましげに歪む。
「カミラ様! ご安心ください、洗脳はすぐに解いてみせます! 今、我々がカムイを討ち……いや、捕縛して、あなたを救い出します!」
「……洗脳? うふふっ、おかしなことを言うのね、サイラス」
カミラ姉さんが、愛斧を引きずりながら僕の隣へと歩み出た。
「私はね、誰にも洗脳なんてされていないわ。私自身の意思で、私の愛するカムイの『捕虜』になったの。……だから、カムイを傷つけようとするなら、たとえ暗夜の騎士であっても、私がこの手で八つ裂きにしてあげるわ」
カミラ姉さんの瞳に宿る、底知れない狂気と殺気。
サイラスは息を呑み、信じられないというように後ずさった。
「そんな……カミラ様まで、本気で暗夜を裏切ったというのか……! カムイ、お前は一体、何をしたんだ!」
「違う、サイラス! 僕は裏切ったんじゃない! 本当の敵は暗夜でも白夜でもなく……ッ!」
僕の必死の訴えを、サイラスは首を横に振って遮った。
「言葉ではもう、何も信じられない。俺はお前を……俺の親友であるお前を、暗夜の光の下に連れ戻す! それが、俺の騎士としての誓いだッ!」
サイラスが剣を抜き放ち、暗夜兵たちが一斉に武器を構える。
多勢に無勢。いくら僕たちに実力があるとはいえ、この数で押し込まれれば、誰かが傷ついてしまう。
「カムイ様ッ! 下がっていてください、私の氷で……!」
フローラが前に出ようとした、その絶体絶命の瞬間だった。
『待ってええええええええッ!!!』
突如、倉庫の真上の屋根から、甲高く可愛らしい悲鳴のような声が響き渡った。
「え……?」
僕も、サイラスも、その場にいた全員がポカンとして天井を見上げる。
メシャァァァァッ!!
老朽化していた倉庫の屋根が派手にぶち破られ、ピンク色のフリルがふんだんにあしらわれた可愛らしいドレス姿の少女が、巨大な杖を抱えたまま落ちてきた。
「きゃああっ!? 高い、高いよぉっ! ハロルド、受け止めてえぇっ!」
「ははははっ! お任せを、我が主君! この正義の味方ハロルドが、必ずや……うわああぁっ!?」
ズシャァァァッ!
下で待ち構えていた顎の割れた屈強な戦士(ハロルド)が、なぜかその瞬間に飛んできた屋根の破片に足を滑らせ、派手にすっ転んだ。
「きゃあああっ!」
「エリーゼ様ッ! 私がお守りします!」
ズゴォォォォンッ!!
凄まじい地響きと共に、全身を分厚いピンクの重装鎧で固めた騎士(エルフィ)が猛然と倉庫の壁をぶち破って突進し、見事に少女を受け止めた。いや、受け止めたというより、勢い余って地面にめり込んでいたが、少女は無傷だった。
「ふぅ……びっくりしたぁ。エルフィ、ハロルド、ありがとね!」
もうもうと舞い上がる土埃の中から元気よく飛び出してきたのは、金色の縦ロール髪を揺らす、暗夜王国の可憐なる末っ子王女。
エリーゼだった。
「エ、エリーゼ……!? どうして君まで!」
僕は驚きのあまり声が裏返った。
「カムイお兄ちゃんッ!!」
エリーゼは僕の姿を見るなり、パァッと花が咲いたような笑顔になり、暗夜の兵士たちの間をすり抜けて、弾丸のようなスピードで僕の胸へと飛び込んできた。
「わっ……エリーゼ!」
「えへへっ、会いたかったよぉ、カムイお兄ちゃん! ずっとずっと、探してたんだからね!」
エリーゼの小さな体が僕に抱きつき、その柔らかく甘い香りが鼻腔をくすぐる。純粋な慕情と、再会の喜びに満ちた体温。
「エ、エリーゼ様!? なぜあなたがここに! 危険です、その裏切り者から離れてください!」
サイラスが慌てて叫ぶが、エリーゼは僕の腕の中にすっぽりと収まったまま、ぷくっと頬を膨らませて彼を睨みつけた。
「サイラスのバカ! カムイお兄ちゃんは裏切り者なんかじゃないもん! カミラお姉ちゃんも一緒にいるし、お兄ちゃんが悪いことするわけないでしょ!」
「しかし、エリーゼ様……ガロン王の命令が……」
「お父様は……最近、すごく変なの。マークスお兄ちゃんもレオンも、なんだか苦しそうで……。だから私、カムイお兄ちゃんの味方になるって決めたの!」
エリーゼは堂々と宣言し、僕を見上げてとびきりの笑顔を向けた。
「だからね、お兄ちゃん! 私も、お兄ちゃんの軍に入れて! ハロルドとエルフィも一緒だから、すっごく強いよ!」
「エリーゼ……君まで、僕たちの味方に……?」
信じられない展開に、僕は呆然とするしかなかった。
「……あらあら、エリーゼまでカムイの虜になってしまったのね。お姉ちゃん、可愛い妹が増えるのは嬉しいけれど……カムイのお隣は、誰にも譲らないわよ?」
カミラ姉さんが、背後から僕とエリーゼをまとめて抱き込むようにして、その豊満な胸を僕の背中に押し付けてくる。
「ずるいぞカミラお姉ちゃん! 私だって、カムイお兄ちゃんにぎゅーってしたいもん!」
「あ、あの……エリーゼ様まで増えるなんて……お兄様、私の治癒はどうなるんですか……っ!?」
サクラがパニックを起こしながら僕の腕を引っ張り
、
「カ、カムイ様! エリーゼ様はまだ子どもです! 温めるのは私の役目ですっ!」
フェリシアが下からすがりつき、
「……この上、暗夜の王女まで増えるとは。カムイ様、私の冷気で頭を冷やしてください……ッ」
フローラが嫉妬に目を細めながら僕の首筋に冷たい指を絡ませる。
「ちょっと、アタシの立ち位置がどんどん無くなっていくじゃないのよッ!!」
ルーナが涙目で叫び、アクアはただ静かに、その混沌を見つめていた。
暗夜の追手・サイラスとの緊迫した対峙は、エリーゼのダイナミックな乱入によって、さらに予測不可能な、そして甘く息の詰まるような愛憎のるつぼへと変貌を遂げたのだった。