ファイアーエムブレムifのIf   作:鰻天ぷら

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41話

紫色の靄が、音もなく足元を舐めるように流れていく。

重力を失ったかのように空中に浮かぶ巨大な石柱や、上下逆さまに崩落したまま静止している神殿の残骸。透魔王国という見えざる世界は、僕たちの常識をことごとく嘲笑うかのような、異質で不気味な静寂に満ちていた。

 

「……なぁ、ロンタオとやら」

 

行軍の最中、暗夜の第二王子・レオンが、油断なく魔導書を片手に開いたまま、前を歩く少年に冷ややかに声をかけた。

 

「君、ハイドラの元から逃げてきたと言ったね。だが、この死の国で、透魔兵に見つからずにどうやって生き延びてきた? 食べ物は? 隠れ場所は?」

 

「そ、それは……」

 

ロンタオがビクッと肩を震わせ、振り返る。

その横から、今度は白夜の王子・タクミが鋭く言葉を継いだ。

 

「それに、お前の服。ボロボロだが、新しい血の跡はない。こんなバケモノだらけの世界を一人で逃げ回っていたにしては、不自然なほど傷がないじゃないか。……どうやって誤魔化してきたんだ?」

 

白夜と暗夜の、最も頭の切れる(そして疑い深い)二人の王子からの厳しい尋問。

しかしロンタオは、怯えたように視線を泳がせながらも、不思議と淀みなく答えた。

 

「……廃墟の地下に、昔の防空壕みたいな場所があるんだ。そこでずっと息を潜めてた。食べ物は、光らない苔や、地下水でなんとか……。傷がないのは、戦わずにひたすら逃げ隠れしてたからだよ。僕みたいな子どもが戦ったって、すぐに殺されちゃうから……」

 

「……」

「……」

 

レオンとタクミは顔を見合わせ、微かに眉をひそめた。

彼の答えは、状況を考えれば辻褄が合っている。だが、あまりにも「用意されたような」滑らかさがあった。

 

「……フン。これ以上問い詰めても無駄だろうな、タクミ」

「ああ。だが、完全に背中を預ける気にはなれない。……おい暗殺者、僕が前を見る。お前はこいつの動きから目を離すなよ」

 

タクミが背後のベルカに声をかけると、彼女は無表情のままコクリと頷いた。

 

「……了解。この少年の死角は、私が完全に押さえているわ……」

 

少し離れた場所では、マークス兄さんとリョウマ兄さんも、低い声で言葉を交わしていた。

 

「……リョウマ。あの少年、どう見る」

「確証はないが、剣士の直感としては……妙な淀みを感じる。だが、案内役がいないことには、この広大な異界でハイドラの居城を見つけるのは困難だ」

「ああ。今は泳がせておくしかないだろうな」

 

二人の長兄が重々しい空気を纏う中、その周囲では、家臣たちがこの異界特有のトラブルに見舞われていた。

 

「きゃっ……!」

 

浮遊する瓦礫の段差に足を取られ、オボロがバランスを崩した。

 

「……気をつけろ。この地は足場が脆い」

 

瞬時に彼女の腕を力強く掴み、引き寄せたのはマークス兄さんだった。

 

「なっ……! さ、触んないでよ! アタシは自分で歩けるんだからねッ!」

 

顔を真っ赤にして腕を振り払うオボロだったが、その心臓は、親の仇であるはずの暗夜の騎士の、あまりにも大きくて温かい手の感触に、激しく早鐘を打っていた。

 

「うおおおッ! この岩、絶対にどかしてやるッス!」

 

ヒナタが、道を塞ぐ巨大な神殿の残骸を刀の柄で必死に押している。

 

「……ヒナタ、無駄な体力を使うのは非合理的です」

 

そこへ、ピンクの重鎧を纏ったエルフィが無表情で歩み寄り、ヒナタがびくともしなかった巨大な岩盤を片手で軽々と持ち上げ、谷底へ放り投げた。

ズゴォォォンッ! という轟音に、ヒナタは目を丸くして震えた。

 

「す、すげえ……! あんたのその力、マジでどうなってんスか! 俺、ますますあんたの背中を守りたくなったッス!」

「……背中を守る前に、あなたが潰されないように気をつけてくださいね」

 

エルフィは淡々と答えながらも、ヒナタの真っ直ぐな言葉に、少しだけ頬を染めていた。

 

「わあー……星がいっぱい降ってくるー……」

 

セツナが、透魔王国の空に浮かぶ奇妙な発光体を口を開けて見上げている。

 

「おい! それは星じゃない、透魔兵の魔法の残滓だ! 触るな!」

 

サイラスが慌てて駆け寄り、彼女を庇うように盾を構えた。

 

「あー……サイラスは、いつも私の盾になってくれるねー。あったかいー」

「お、俺は騎士の務めを果たしているだけだ! お前が隙だらけすぎるんだ!」

 

生真面目なサイラスは、マイペースな彼女の笑顔に完全に調子を狂わされていた。

 

「……レオン。この空間の魔力密度、異常だわ。あまり大魔法を乱発しないことね」

 

ニュクスが幼い姿で腕を組み、周囲の靄を気だるげに睨む。

 

「……言われなくても分かっている。だが、君のその古代呪術と僕の魔法を同調させれば、この歪んだ魔力場でも魔弾の軌道は安定する。……次も合わせろよ、ニュクス」

「煩わしいわね……若い子が指図するんじゃないわ。だが……悪くない提案ね」

ニュクスは老成した笑みを浮かべ、レオンもまた不敵に口角を上げた。

 

「どうだい、リョウマ。この見えざる世界ってやつの感想は」

 

クリムゾンが愛竜の首を撫でながら、リョウマ兄さんに笑いかける。

 

「……正直、気味が悪いとしか言いようがない。だが、お前やカムイが共にいるなら、どんな地獄でも切り抜けられる気がするよ」

「へっ、お堅い王子様が言うと、変に説得力があるね」

 

二人の間には、もはや熟練の相棒のような、成熟した空気が漂っていた。

 

***

 

皆がそれぞれに透魔王国への警戒と適応を強める中。

僕は少し離れた崩れた神殿の柱の陰で、異界の瘴気による軽い眩暈を覚え、そっと息をついていた。

 

「……みんな、ロンタオのこと疑いすぎだよ。彼はこんなに小さいのに、一人で……」

 

僕がぽつりと呟いた、その時だった。

フワッ、と。

背後から、透魔の死の匂いを完全に塗り潰すような、ひどく甘く、濃厚な香水の匂いが漂ってきた。

 

「……私の可愛いカムイは、本当に優しすぎて困っちゃうわね」

 

気づけば、カミラ姉さんが僕の背後にぴったりと張り付いていた。

彼女の長くしなやかな腕が、僕の肩口から胸元へと、ぬるりとした蛇のように滑り込んでくる。唐突なスキンシップではなく、まるで僕の体温を絡め取るような、じっとりとした包囲。

 

「そういう甘いところも、お姉ちゃんは骨の髄まで愛しているのだけれど……」

「んっ……カミラ、姉さん……」

 

彼女は自らのマントで僕の小さな体を覆い隠すようにすると、背後から僕を強引に引き寄せた。僕の後頭部が、彼女の圧倒的な質量と熱を誇る双丘の谷間へとすっぽりと沈み込む。

薄絹の衣服越しに伝わる、恐ろしいほどの柔らかさと、ドクドクという重い心音。

 

「……あの子の目、お姉ちゃんには分かるの。あれは、何かを隠している目よ。だからカムイ、あなたは何も見なくていい、何も考えなくていいわ。……ただ、お姉ちゃんのこの胸の奥で、甘い体温だけを感じていなさいな……」

 

カミラ姉さんの濡れた唇が僕の耳朶を甘く噛むように這い、背筋に快感と恐怖が入り混じった痺れが走る。

 

「カミラ……! 貴様、またカムイの視界を塞いでッ! 離れろ!」

 

正面の靄の中から、白夜の第一王女・ヒノカ姉さんが怒りの声を上げ、僕の腕を真っ直ぐに引き寄せた。

 

「カムイはお前のオモチャじゃない! この淀んだ空気の中で、そんなに密着したら倒れてしまうだろうがッ!」

 

ヒノカ姉さんの引き締まりつつも豊かな胸が僕の顔に押し付けられ、彼女の汗の匂いと真っ直ぐな姉の愛情が、カミラ姉さんの妖艶な熱と正面衝突する。

 

「……うふふっ。倒れそうなら、私が直接、甘い息を吹き込んであげるわ。あなたのその固い鎧じゃ、カムイの心は休まらないもの」

 

「お二人とも、お兄様をこれ以上引っ張らないでくださいッ!!」

 

サクラが涙目で足元から飛び込み、僕の右腕をきつく抱きしめた。

 

「お兄様のお心の疲れは、私が治癒しますっ! 私の魔力で、お兄様の体の隅々まで……温めて差し上げますからっ!」

 

サクラのひどく熱っぽい依存の魔力が、柔らかな胸元越しに僕の血管へと流れ込んでくる。

 

「……いいえ。この見えざる世界の不浄な空気も、王女様方の熱気も、私がすべて凍てつかせて差し上げます」

 

左側からスッと、絶対零度の冷気を纏ったフローラが跪き、白く透き通る指先を僕の首筋から鎖骨へと滑り込ませた。

 

「ひゃっ……ふろーら……冷た……」

「……ええ。私の冷たい指先で、あなたの熱を心地よく奪い去りましょう。あなたはただ、私の氷の檻の中で、静かに痺れていればよいのです……」

 

フローラの凍てつく吐息が肌を撫で、極端な温度差が僕の理性をドロドロに溶かしていく。

 

「あ、アタシだって……っ!」

 

ルーナが顔を真っ赤にして駆け寄り、僕の左手(フローラが触れていない方の手)を両手でぎゅっと握りしめた。

 

「こ、こんなバケモノだらけの世界、アタシがアンタの手を握っててあげないと、すぐどこかに行っちゃうでしょっ! ほら、アンタもアタシの指、ちゃんと握り返しなさいよね……ッ!」

 

ツンケンした言葉の裏にある、彼女の小さな手のひらの汗ばむほどの熱。

 

僕の小さな体は、ヒロインたちの極端な温度差と、それぞれのどろどろとした愛情の引力に完全に絡め取られ、頭の芯が甘く痺れて溶け落ちそうだった。

 

「……ねえ、カムイ」

 

その息の詰まるような甘い地獄に、アクアが静かに歩み寄ってきた。

彼女の透き通るような金色の瞳が、僕を縛り付ける少女たちを一瞥し、そして僕の瞳を真っ直ぐに見据える。

 

「……あなたが彼(ロンタオ)を信じたい気持ちは分かるわ。でも、ここは私の故郷。……そして、ハイドラの狂気が満ちた国。何が起きてもおかしくない」

 

アクアはスッと細く冷たい指を伸ばし、僕の火照った頬をそっと撫でた。

 

「……いざという時は、私があなたを深淵から引き上げる。だから、今はあなたの信じる道を進みなさい」

 

その言葉に、僕は小さく、けれど力強く頷いた。

 

「……ありがとう、アクア」

 

僕たちの前を歩くロンタオの小さな背中は、紫の霧の中で微かに震えているように見えた。

 

 

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