ファイアーエムブレムifのIf   作:鰻天ぷら

53 / 58
53話

透魔の王城、その最深部を塞ぐようにそびえ立つ、巨大で禍々しい扉。

紫色の瘴気が幾重にも渦を巻き、この先に待ち受ける狂王ハイドラの絶望的なまでの魔力を、ひしひしと伝えてきていた。

 

最終決戦を目前に控えた、重苦しい静寂。

しかし、僕の小さな体が置かれている空間だけは、この死の国の冷たさを完全に焼き尽くすほどの、異常な熱量と極端な温度差に支配されていた。

 

「……」

 

僕の左隣には、アクアが静かに立ち、僕の指に自身の細く冷たい指を絡め、決して逃がさないほどの力で恋人繋ぎに握りしめていた。

彼女は何も言わない。しかし、先程ギュンターを下した直後に交わした「罪の共有の口づけ」が、彼女に絶対的な『正妻(共犯者)』としての特権を与えていた。彼女の透き通るような金色の瞳が放つ神聖不可侵な気迫が、僕の周囲に目に見えない防壁を築き上げている。

 

だが、その後ろから僕の背中に突き刺さる視線の群れは、物理的な抱擁よりも遥かに重く、ねっとりとした情念を孕んでいた。

 

カミラ姉さんが、愛斧の柄を指が白くなるほど強く握りしめ、紫色の瞳孔を開いて僕とアクアの繋がれた手を見つめている。

 

『……今は大人しくしているけれど。その戦いが終わったら、カムイの心も体も、骨の髄まで私のお乳の奥で溶かしてあげるからね……』

 

声に出さずとも、その妖艶な笑みの裏に隠された底なしの独占欲が、むせ返るような香水と共に僕の首筋を撫で回してくる。

 

ヒノカ姉さんは、白銀の薙刀を構えたまま、荒い息を繰り返していた。

武人としての理性を総動員してアクアへの殺意を抑え込んでいるが、完全に「女」として覚醒した彼女の瞳は、僕の小さな背中を文字通り喰らい尽くさんばかりの熱を帯びている。

 

『……私の愛する男。お前のすべてを受け止めるのは、この私だ……絶対に、逃がしはしない』

 

真っ直ぐで不器用な情念が、物理的な距離を超えて僕の肌を焼く。

 

サクラが祈るように組んだ手からは、過剰なまでの依存の魔力がチカチカと明滅し、フローラとルーナもまた、暗い殺火を瞳に灯して僕の隣の空白(アクアの首)を睨み据えている。

 

僕は、彼女たちのこの凄まじい愛情の圧死地獄に耐えながら、扉の先へと意識を集中させるしかなかった。

 

***

 

その、息の詰まるような修羅場を背に、マークス兄さんが静かに、しかし重々しい足取りで、巨大な扉の真ん前へと歩み出た。

 

「……この先に、狂王ハイドラがいる」

 

マークス兄さんの漆黒の鎧が、瘴気の中で鈍く光る。

 

「そして……間違いなく、私の父上がおられるはずだ」

 

「……」

 

リョウマ兄さんが、雷神刀の柄に手を置きながら、ゆっくりとマークス兄さんの隣へ並び立った。

 

「……俺にとって、ガロン王は白夜の平和を奪った憎き仇だ。……だが、マークス。お前たちにとっては、血の繋がった実の父親だ」

 

「……ああ、分かっている」

 

マークス兄さんは、固く目を閉じた。

 

「かつての父上は、厳格ではあったが、確かに私たちを愛してくれていた。……私が初めて剣の重さに耐えかねて手放してしまった日も、父上は私を叱るのではなく、その大きな手で私の手を包み込み、剣の振り方を教えてくれたのだ」

 

レオンもまた、ブリュンヒルデを抱えながら、悲しげに目を伏せている。

 

「……だが、父上は変わってしまった。ハイドラの呪いに侵され、血と残虐性を好む、冷酷な暴君へと……」

 

「……マークス様」

 

かつてガロン王に妻と子を奪われ、自身も呪いに操られていたギュンターが、大斧を握りしめながら低い声で問う。

 

「……実の父親に刃を向ける覚悟が、本当におありなのですか」

 

ガンターの重い問いかけに、両軍の間に深い沈黙が降りた。

しかし、暗夜の第一王子の瞳に、もはや一切の迷いはなかった。

 

「……私は、暗夜王国の次期国王となる男だ」

 

マークス兄さんは、ジークフリートを抜き放ち、その切先を扉へと真っ直ぐに向けた。

 

「父上の罪は、暗夜の罪。……それをハイドラという化け物のせいだけにして、死という形で安易に逃がすつもりはない。……私は、父上を狂王の呪縛から引き剥がし、王の座から引きずり下ろす!」

 

その悲壮で、しかしあまりにも気高い決意。

 

「……生かして、その目で、自分がどれだけの命を奪い、どれだけの悲しみを生んだのか……その罪の重さを、一生をかけて直視させる。……それが、次代の王たる私の、そして……父を愛した息子としての、せめてものケジメだッ!」

 

「……フン」

 

その沈黙を破ったのは、オボロだった。

彼女は薙刀を肩に担ぎ、ツンと顔を背けながらも、マークス兄さんの広く黒い背中をじっと見つめた。

 

「……親の仇の親玉。私が一番槍を入れてやりたいところだけど。……あんたがそこまで言うなら、今回は譲ってあげるわ」

 

「オボロ……」

「勘違いしないでよねッ! あんたの親父を完全に許したわけじゃないんだから! ……でも、あんたがその親父を引きずり下ろすまで、背中の死角くらいは、私が守ってやるわ。……絶対に、死ぬんじゃないわよ」

 

オボロの不器用で、しかし最大限の信頼が込められた言葉に、マークス兄さんは微かに口角を上げた。

 

「……頼む。お前のその強さ、私が一番よく知っている」

 

彼らのやり取りを合図にするように、クリムゾンがリョウマ兄さんの背中を預かり、ニュクスがレオンの隣で呪力を練り上げ、アシュラやエルフィ、サイラスたちも無言でそれぞれの得物を構え、己の戦うべき場所へと陣取る。

 

「……行こう、みんな」

 

僕は、アクアの手を優しく、しかし力強く握り返し、夜刀神・幻夜を構えた。

 

「……この狂った連鎖を、僕たちの手で終わらせるんだッ!」

 

僕の合図と共に、マークス兄さんとリョウマ兄さんが、最深部の巨大な扉を力任せに押し開いた。

 

ギィィィィィィッ……!!

 

扉の奥に広がっていたのは、星空がねじ切られたような、果てしなく広がる異次元の空間。

そして、その最奥の玉座に。

 

『……来たか。忌まわしき光の眷属どもめ』

 

空気を震わせるほどの、おぞましい重低音。

玉座に深々と腰掛けていたのは、かつての威厳ある姿ではなく、禍々しい紫の泥と呪いに全身を侵食され、異形の怪物と化した、暗夜王ガロンだった。

 

いや、違う。

ガロンの背後の空間そのものが、巨大な竜の顎のように歪み、蠢いている。

玉座の奥の暗闇から、巨大な赤黒い瞳が、僕たちをねっとりと見下ろした。

 

『……我が名はハイドラ。この見えざる世界を統べる、絶対なる神……』

 

「……ハイドラ!」

 

僕が剣を構えた瞬間、ハイドラの狂気に満ちた笑い声が、次元全体を揺らした。

 

『……白夜の王は楽しめたか? だが、あれは前座に過ぎぬ。……今度は、この暗夜の王の絶望を肴にして、貴様らの命を絶ってやろう……ッ!!』

 

「させないッ!! 父上ェェェッ!!」

マークス兄さんがジークフリートを構え、ガロン王へと一直線に突進した。

「……フハハハッ! 愚かな虫けらどもめ!」

ガロン王(ハイドラ)が巨大な斧を振り下ろす。

リョウマ兄さんの雷神刀がそれを側面から弾き、オボロとクリムゾンが死角を塞ぐ。

 

「……僕が、決めるッ!!」

 

僕は乱戦の隙を突き、竜の血を極限まで活性化させて、夜刀神・幻夜をガロン王の胸元へと突き込んだ。

 

ガキィィィィンッ!!!

 

「なっ……!?」

 

僕の小さな腕が、強烈な反動で弾き返された。

夜刀神の刃が、ガロン王を覆う紫の泥に触れた瞬間、文字通り『傷一つつけられず』に弾かれたのだ。

 

『……無駄だ。我が力は絶対。貴様らのなまくらなど、届くはずもなかろう!』

 

ガロン王の咆哮と共に、極大の闇のブレスが放たれた。

 

「カムイッ!」

 

マークス兄さんとリョウマ兄さんが咄嗟に僕を庇い、その凄まじい衝撃を諸に受けて吹き飛ばされた。

 

「兄さんッ!!」

 

僕たちの最強の矛である二人が倒れ、夜刀神すら通じないという絶対的な絶望。

力が、もっと力が欲しい。みんなを守るための力が。この夜を終わらせるための力が……!

 

僕が夜刀神を強く握りしめ、祈った、その時だった。

 

カッ……!!

 

倒れたマークス兄さんのジークフリート、リョウマ兄さんの雷神刀、そしてタクミの風神弓、レオンのブリュンヒルデが、一斉に激しい光を放ち始めたのだ。

 

「これは……神器が、共鳴している……?」

 

レオンが驚愕に目を見開く。

 

「……そうだ。虹の賢者様が言っていた……。真の炎の紋章を完成させるには、五つの神器の力が必要だって……!」

 

兄弟たちの持つ四つの神器から放たれた光の束が、空間を飛び越え、僕の夜刀神へと凄まじい勢いで流れ込んでいく。

 

ゴォォォォォォッ!!!

 

僕の手の中で、夜刀神・幻夜の刀身が爆発的な熱を帯び、形状を全く新しく、神々しいものへと変化させていく。

 

「……これが、夜刀神の真の姿……。伝説の『ファイアーエムブレム』!」

 

炎のように燃え盛る、黄金の刃。

その刃が放つ光は、ハイドラの瘴気を瞬く間に浄化し、玉座の間を真昼のように照らし出した。

 

「……行くよ、みんな! この闘いを……終わらせるんだ!!」

 

絶望を切り裂く希望の光を手に。僕は、狂王ハイドラをこの世界から引き剥がすための、最後の一撃へと踏み込んだ。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。