「グルルォォォォォォォッ!!!」
僕の口から迸る咆哮は、もはや僕自身の意志ではなかった。
母の死という絶望的な痛みが、血の奥底に眠っていた「竜」の呪縛を完全に解き放ってしまったのだ。
「カムイ様っ……ああっ、熱い……っ、でも、離しませんっ!」
巨大な白銀の竜と化した僕の首筋に、フェリシアが必死にしがみついている。
竜の体から発せられる熱気はすさまじく、彼女の白いエプロンを焦がし、柔らかな肌に火傷を負わせているはずだ。それでも彼女は、ポロポロと大粒の涙をこぼしながら、僕の硬い鱗に頬を擦り付け、その豊かな胸を押し当てて必死に僕の意識を繋ぎ止めようとしていた。
「フェリシア、退きなさい! あなたが燃え尽きてしまうっ!」
「嫌ですっ! カムイ様を、一人になんてできませんっ!」
下からは、フローラが絶望的な顔で両手を掲げ、僕の巨体に向けて限界を超える冷気を放ち続けていた。彼女の指先は凍傷で黒く変色し始めているというのに、僕の放つ業火を相殺するため、命を削って魔力を振り絞っている。
その背後では、リリスが星竜の姿のまま、僕の暴れる尻尾や前足から白夜の民衆(ヒノカ姉さんやサクラたち)を守るように、星の結界を張って防波堤となっていた。
けれど、僕の熱は収まらない。
視界は真っ赤に染まり、破壊衝動が脳髄を焼き尽くしていく。
(……あつい。……くるしい……。誰か……僕を、殺して……っ!)
自我が完全にどろどろのマグマに溶け落ちようとした、その時だった。
『ユラリ ユルレリ…… 泡沫の……』
戦場と化した広場に、不釣り合いなほど透き通った声が響き渡った。
水滴が水面を叩くような、清冽で、どこまでも静かな歌声。
「……アクア……!」
結界の向こうで、ヒノカ姉さんが息を呑む声が聞こえた。
アクアは、燃え盛る広場の中心へと、ただ一人、ゆっくりと歩みを進めてきた。
彼女の足元からは清らかな水が湧き出し、石畳を濡らしていく。暴走する竜の熱気すら、彼女の纏う静謐な水のオーラを侵すことはできない。
「カムイ……。あなたの痛み、私には……痛いほど、分かるわ」
アクアは、僕の巨大な鼻先にまで近づくと、躊躇うことなくその白く細い腕を伸ばした。
ジュッ、と水が蒸発するような音が鳴る。
彼女の柔らかな手のひらが、僕の燃えるような鱗に直接触れていた。
「……ッ!! ガァァァァッ!」
威嚇するように喉を鳴らす僕に、アクアは悲しげに、けれど慈愛に満ちた金色の瞳で見つめ返してきた。
『想い 遺して 水底に……』
彼女の歌声が一段と深くなる。同時に、アクアの胸元で揺れる青いペンダントが、眩い光を放ち始めた。
その光は、彼女自身の命の輝きそのものだった。
アクアの頬からすっと血の気が引き、透き通るような肌がさらに蒼白になる。彼女は自分の命を削り、その水のように冷たい生命力を、直接僕の体へと注ぎ込もうとしているのだ。
「アクアさんっ! それ以上は……っ!」
見かねたリリスが叫ぶが、アクアは微笑んだまま首を横に振った。
「大丈夫……。彼は、私と同じ。……暗闇と日陰にしか、居場所がなかった……可哀想な、私の半身」
アクアの顔が近づく。
彼女は、僕の巨大な竜の顔を両手で包み込むと、焦熱の鱗に、自身の濡れたような柔らかい唇をそっと押し当てた。
「——っ……!?」
その瞬間。
アクアの唇から、彼女の命を削った極上の「冷気」と「静寂」が、僕の血管の隅々にまで一気に流れ込んできた。
太陽の光に灼かれ、竜の血に沸騰していた僕の心が、深い、深い湖の底へと沈んでいく。
「フローラ……リリス。……力を、貸して」
アクアの静かな声に応え、フローラが最後の力を振り絞って極寒の魔力を僕の胸元に集中させる。リリスもまた、星の魔力をアクアの歌声に同調させた。
フェリシアの甘い涙。フローラの凍てつく愛情。リリスの星の祈り。
そして、アクアの命を削った冷たくも甘い口づけ。
それらが僕の胸の奥底で一つに結実し、激しく脈打っていた竜の魔力が、目に見える形となって凝縮し始めた。
パキンッ!と甲高い音を立てて、僕の胸から一つの美しい石が零れ落ちる。
海のように深く、氷のように冷たい輝きを放つ「竜石」だった。
「……あ……」
竜石が生まれた瞬間、僕の体を覆っていた鱗が光の粒子となって霧散していく。
巨大な竜の体は急速に縮み、やがて元の……小柄で、ひ弱な人間の少年の姿へと戻っていった。
竜化の余波で身につけていた服はボロボロに弾け飛び、ほとんど半裸のような状態の僕の小さな体は、糸が切れた人形のように虚空へと投げ出された。
「カムイっ!」
どすっ、と。
落ちる僕の体を受け止めたのは、アクアだった。
しかし、彼女もまた歌の代償で限界を迎えており、僕の小さな体を抱きとめたまま、濡れた石畳の上へと共に崩れ落ちた。
「はぁっ……はぁっ……カムイ……」
視界が、ぐらぐらと揺れる。
僕の顔は、仰向けに倒れたアクアの胸元に深く埋もれていた。
彼女の荒い息遣いと共に、柔らかな双丘が僕の頬を押し返すように上下している。水気を帯びた彼女の髪が僕の素肌に絡みつき、汗と、蓮のような甘い香りが、むせ返るほど濃密に鼻腔を満たした。
「アク、ア……ごめ……ん……」
「いいの……。あなたが、戻ってきて……くれたから……」
アクアの細い腕が、僕の裸の背中をぎゅっと抱きしめる。
ひんやりとした彼女の肌が、僕の火照った体に吸い付くように密着し、互いの心音が直接響き合っているかのようだった。
「カムイ様っ!」
「ああっ、カムイ様、カムイ様っ……!」
そこへ、傷ついたフローラとフェリシアがすがりつくように倒れ込んできた。
フェリシアの豊かな体が背後から僕を包み込み、彼女の熱い涙が僕の肩口を濡らす。フローラは凍傷を負った震える指先で僕の頬を撫で、狂おしいほどに顔を近づけて、僕の生存を確かめるようにその冷たい吐息を浴びせかけてきた。
「生きて……ああ、よかった。私の……私の、カムイ様……っ」
下からはアクアの静かで深い水の抱擁。上からはフェリシアの熱く柔らかい涙の密着。そして横からは、フローラの冷たくも執着に満ちた視線と吐息。
さらに、人間の姿に戻ったリリスが僕の足元に丸くなり、その冷たい頬を僕の太ももに擦り付けてすすり泣いている。
周囲には、母上(ミコト)の死という拭い去れない絶望が横たわっている。
ヒノカ姉さんやサクラたちが、結界の外から悲痛な顔でこちらを見つめている。
ここは、白夜の広場のど真ん中だというのに。
僕たちはまるで、この狂った世界から切り離されたように、四人の少女たちとの極限のスキンシップの底で、じっとりと絡み合うような体温の交換を続けていた。
太陽の光と、血の匂い。
そして、僕を縛り付けて離さない、彼女たちの重く、甘く、息の詰まるような愛情。
僕の心に僅かに残っていた「一人で生きていく」という壁は、この圧倒的な熱量と冷気の中で、跡形もなくドロドロに溶け去ってしまっていた。
(……僕は、もう……彼女たちなしでは、生きていけないのかもしれない……)
ぼんやりと霞む意識の中で、アクアの冷たい唇が、再び僕の額にそっと触れたのを感じながら、僕は深い、深い闇の中へと意識を手放した。