深く、泥のような昏睡から意識が浮上していく。
最初に感じたのは、ひんやりとした静寂だった。
「……ん……」
重い瞼をこじ開けると、そこは分厚い御簾と几帳で完全に陽の光を遮られた、薄暗い部屋だった。
「……あ……カムイ様……?」
すぐ耳元で、かすれきった声がした。
首を巡らせると、僕の顔のすぐ横にフェリシアの顔があった。彼女の白い頬には痛々しい火傷の赤みが走っている。
僕の小さな体は、竜化した際の暴走の熱で焼かれ、柔らかな包帯でぐるぐると巻かれていた。
「フェリシア……君の顔、その火傷……」
「ああ……っ、カムイ様っ……! お目覚めになられたのですね……っ!」
フェリシアは僕の胸へとすがりついてきた。ドスッ、と彼女の豊かな胸の重みがのしかかる。
「ごめん、僕のせいだ。僕が竜になって、君を……っ」
「違いますっ! 私は……ただ、カムイ様が遠くへ行ってしまうのが怖くて……。カムイ様の熱なら、私……全部、受け止めますから……っ!」
泣きじゃくる彼女の腕が僕の背中に回り、強く、激しく抱きしめられた。
「……フェリシア。カムイ様のお体に障りますよ」
静寂の底から響くような、冷え切った声。寝台の縁に、フローラが静かに座っていた。彼女の顔色は蒼白で、僕の額にそっと触れてきたその指先には、黒い凍傷の痕が痛々しく残っていた。
「フローラ……君の指も……」
「……お気になさらないでください。まだ、お体に熱が残っていますね。……火照りを、取って差し上げます」
彼女の顔が近づく。氷のように冷たい吐息が僕の唇を掠め、フローラの瞳の奥には、僕を己の冷気で縛り付けておきたいという深い執着が渦巻いていた。
僕のために火傷を負ったフェリシアと、凍傷を負ったフローラ。
二人の従者がその身に刻んだ傷は、「僕が彼女たちを傷つけた」という消えない罪悪感となり、僕の心を甘く重く縛り付けていく。
それを強引に引き裂いたのは、バンッ!という乱暴な襖の開閉音だった。
「……目を、覚ましたか」
薄暗い部屋の入り口に立っていたのは、白夜の第二王子、タクミだった。
彼の手には風神弓が固く握りしめられ、瞳には強烈な憎悪と殺意が燃え盛っていた。
「タクミ……」
「気安く呼ぶな、バケモノが……っ!」
ギリリ、と弓の弦が引き絞られる。フローラとフェリシアが痛む体も厭わず、僕を庇うように立ち塞がる。
「退け、暗夜の女ども! そいつが白夜に来なければ、母上は死ななかった! その暗夜の狗どもごと、僕がここで射抜いてやる……っ!」
「――やめろ、タクミ!!」
タクミの弓を強引に叩き落としたのは、真紅の鎧を纏ったリョウマ兄さんだった。その後ろには、目を真っ赤に腫らしたヒノカ姉さんとサクラの姿がある。
「兄さんっ! なんで止めるんだよ!」
「母上は、カムイを守るために御自らの命を懸けられたのだ。その母上の想いを、お前は無駄にする気か!」
リョウマ兄さんの怒号に、タクミは唇を噛み締め、部屋を飛び出していった。
リョウマ兄さんは深く息を吐き、静かに僕を見た。
「……カムイ。暗夜軍が国境を越え、ガロン王自らが軍を率いて向かってきている。……戦場は、『無限の渓谷』だ」
無限の渓谷。すべてが狂い始めた場所。
「俺たちも出る。……お前も、来いとは言わん。だが……お前の道は、お前自身で決めろ」
リョウマ兄さんは静かに部屋を出ていき、ヒノカ姉さんとサクラも、僕にすがりつきたい衝動をこらえながら、泣く泣くその後を追っていった。
部屋に再び静寂が訪れる。
母の死、白夜の兄妹たちの重い愛と憎悪、そして暗夜との戦争。
重すぎる現実に、僕の心は限界を超え、今にも張り裂けそうになっていた。
「カムイ様……」
その時、足元で丸まっていたリリスが、淡い光に包まれながら僕に語りかけてきた。
『……カムイ様。今は、すべてを忘れて、お休みください。私が、あなたを安全な場所へとお導きします』
リリスの体がまばゆい光を放ち、僕、そしてフローラとフェリシアの体を包み込んだ。
視界が白く染まり、次に目を開けた時。
僕たちは、満天の星空の下に広がる、どこまでも静かで美しい水辺の空間に立っていた。
「ここは……?」
『……私の力で創り出した、星界と呼ばれる異空間です。ここには、白夜も暗夜も……誰も干渉することはできません』
リリスが優しく微笑む。
「……カムイ」
水辺の奥から、静かな足音と共に歩み寄ってくる人影があった。
アクアだった。彼女は、僕の顔を見ると、安堵したようにふわりと微笑んだ。
「アクア……君も、ここに?」
「ええ。リリスに導かれて……。……ここは、とても静かで、心地よいわ」
白夜の太陽もない。暗夜の冷たい城壁もない。戦争の足音も聞こえない。
絶対的に隔離された、星降る安全地帯。
「……カムイ様」
フローラが、背後から僕の背中に冷たい胸をすり寄せるように密着してくる。
「……もう、白夜の者たちに煩わされることはありません。ここでは、私たちが……ずっと、あなたをお守りします」
「はいっ! カムイ様のお世話は、ぜーんぶ私に任せてくださいっ!」
フェリシアが正面から抱きつき、その豊かな胸の谷間に僕の顔を埋めさせる。
「……ふふ。少しだけ、ずるいけれど」
アクアが静かに歩み寄り、フェリシアに抱きしめられた僕の頬に、彼女の冷たく濡れたような唇をそっと押し当てた。
「……あなたが決断を下すその時まで。……今は、ただ……私たちの温もりに、溶けていればいいわ」
頭上には永遠の星空。
下からはアクアの静かな水の抱擁。前からはフェリシアの熱く柔らかい密着。後ろからはフローラの凍てつく執着。そして足元にはリリスの絶対の忠誠。
僕は、この「星界」という名の、誰にも邪魔されない逃げ場のない愛の巣の底で、彼女たちの極端な温度差と重すぎる愛情に完全に甘え、自身の心をドロドロに溶かし続けていくのだった。