白夜の王都を出発する朝は、僕にとって最悪なほどに快晴だった。
容赦なく照りつける太陽の光が、ただでさえ重い僕の体をさらにどんよりと沈み込ませる。竜化の熱で焼け焦げた皮膚は、全身に巻かれた包帯の下でひりひりと痛み、呼吸をするたびに肺の奥が軋んだ。 だが、それ以上に僕の心を重く塞いでいたのは、僕を取り囲む異様なまでの「過保護」な空気だった。
「カムイ様、足元にお気をつけください。石段が少し欠けています」 「うん、ありがとう……フェリシア」 僕の右腕にぴたりと身を寄せ、体重を支えるように抱え込んでいるのはフェリシアだった。火傷を負った柔らかい胸を僕の腕に押し当てる力は、以前よりもずっと強くなっている。痛むはずの体で僕に密着する彼女からは、甘い汗と微かに焦げた匂いが漂い、僕の罪悪感をじわじわと煽った。
反対の左側からは、フローラが僕の日傘を差し掛けつつ、凍傷で黒ずんだ指先を僕の首筋にそっと這わせている。 「……お日様の光が、カムイ様の体力を奪っていますね。私の冷気で、少しでも和らげばよいのですが……」 氷のように冷たい彼女の指が脈打つ首筋をなぞるたび、熱を持った僕の肌がゾクリと粟立つ。看病という大義名分を得たフローラの視線は、太陽の眩しさとは別の意味で、ねっとりと暗く、息苦しいほどの執着を帯びていた。
「おや……これはまた、凄惨な有様ですねえ」 そこへ、のらりくらりとした足取りで近づいてきたのは、ヒノカ姉さんの臣下である修験者、アサマだった。彼は細められた目で僕たちを観察し、ひょうひょうと毒を吐く。 「竜の暴走を素手で止めた暗夜のメイド殿たち……いやはや、狂気とも言える忠誠心には心底感服いたします。ですが、そんなボロボロの体でカムイ様にすがりついていては、逆にお足手纏いになるのではないですか?」 「……口を慎みなさい、白夜の僧。カムイ様のお側は、私たちが死んでも離れません」 フローラが氷点下の声で睨み返すが、アサマは「これは恐ろしい」と肩をすくめるだけだ。
「アサマ、いけませんっ......! カムイお兄様を、困らせないで……っ」
慌てて駆け寄ってきたサクラが、アサマをたしなめる。母の死という絶望の淵にいるサクラの瞳は酷く潤んでおり、彼女は震える小さな手を僕の胸の包帯の上にそっと重ねた。 「カムイお兄様……痛みますか? 私の、治癒の杖で……」
「……あー、罠だー……」
僕がサクラに微笑みかけようとした瞬間、頭上の城門の梁から、セツナがバランスを崩して落下してきた。 「
きゃあっ!?」 「カムイ様っ!」
咄嗟に僕を庇おうとしたフェリシアとフローラが、セツナの落下の巻き添えを食らって倒れ込む。僕の小さな体は、彼女たちの間にすっぽりと挟み込まれる形になった。
「……あー、落ちた……。でも、なんかふかふかして、いい匂いがするー……」
セツナが僕の首元に鼻を押し付けてすんすんと匂いを嗅ぐ。 しかし次の瞬間、その空気が、爆発するような怒気によって吹き飛ばされた。
「暗夜の女ども……そしてセツナ! 私のカムイから、今すぐ離れろッ!!」
怒髪天を衝く勢いで駆けつけてきたヒノカ姉さんが、セツナを引き剥がし、そのままの勢いで僕の体を力強く抱き起こした。
「ひの、か……姉さん、苦し……」 「カムイっ、怪我はないか!? ああ、こんなにも包帯が……っ。もう、誰にもお前を触らせない。私の目の届くところから、一歩も離れるな……っ」
ヒノカ姉さんの硬い胸当てが僕の顔に押し付けられ、彼女の激しい心音が耳を打つ。母を失った彼女の「弟」への執着は、もはや狂気じみていた。
ヒノカの重すぎる愛情の拘束と、サクラの縋るような視線。フローラとフェリシアの、身を削ってでも離れようとしない濃密な密着。 僕は彼女たちの体温と感情の濁流に飲み込まれながら、ただ黙って首を縦に振ることしかできなかった。
***
白夜の軍勢が、ついに「無限の渓谷」へと辿り着いた。 どんよりとした鉛色の雲に覆われ、冷たく湿った瘴気が這い上がってくる。お日様の光が遮られたことで、僕の重かった体は嘘のように軽くなった。 けれど、吊り橋の向こう側を見た瞬間、僕の全身の血がざわめき始めた。
漆黒の鎧を纏った暗夜王国の軍勢。 先陣を切るマークス兄さん、レオン、エリーゼ……そして。 妖艶な漆黒の鎧に身を包み、巨大な竜の上に跨る、妖しくも美しい女性。
「……カミラ、姉さん……」
僕の呟きが届いたのか。カミラ姉さんの紫色の瞳が、白夜軍の中にいる僕の小さな姿を真っ直ぐに射抜いた。
「……ああ……見つけたわ、私の愛しいカムイ……」
距離があるというのに、彼女のむせ返るような甘い香水と血の匂いが混じり合った香りが、僕の鼻腔を直接撫で上げたような錯覚を覚えた。 カミラ姉さんは竜から静かに降りると、ふらふらとした足取りで歩みを進める。
「どうして……どうして、そんな薄汚い白夜の虫けら共と一緒にいるの? カムイ」
カミラの瞳の焦点が、僕の腕を掴んで離さないヒノカ姉さんへと向けられた。
「私の……私の可愛いカムイを唆して、傷つけて……ああ、許せない。……全員、殺してあげるわ」
クスクスと、暗く甘い笑い声が渓谷に響く。彼女の瞳孔が深い独占欲と殺意で限界まで見開かれている。
「黙れ、暗夜の魔女! カムイは私たちの本当の弟だ! お前たちのような血も涙もない悪魔の手に、二度と渡してたまるか!」
ヒノカ姉さんが僕を背後に庇うように立ち塞がった。
「……うふふ。可哀想に。カムイはね、暗夜の深く冷たい闇の中で、私がたっぷり愛して育てたのよ。あなたたちのような、眩しくて暑苦しい光の中で生きられる子じゃないわ」
カミラ姉さんの声が、甘い毒のように僕の鼓膜に絡みつく。
「ねえ、カムイ? 早くお姉ちゃんのところへいらっしゃい。……その小さな体を、もう一度……骨の髄まで、私の胸の中で温めてあげるから……」
右には、強引な熱で僕を縛り付けようとするヒノカ姉さんたち白夜の兄妹。 左には、狂気じみた愛情で僕を闇の底へと引きずり込もうとするカミラたち暗夜のきょうだい。 そして僕のすぐ足元では、背中に回されたフローラの冷たい指と、フェリシアの熱い吐息が、「どちらにも行かないで」と懇願するように僕の体をじっとりと拘束している。
無限の渓谷の中心で。 僕は、逃げ場のない重すぎる愛情と執着の板挟みになりながら、自分の進むべき「第三の道(透魔)」への決断を、喉の奥に無理やり押し留めていた ――。