「マエダさん、これを見てください」
警視庁の一室、そこには捜査一課と書かれた看板があった。
1人の青臭さを残した男は、マエダにパソコンで映像を見せる。
「どうしたウエサワ? 」
「英栄新聞の記者のヤマナカが失踪した件に関してなんですが……」
パソコンのモニターには覆面の男たちがヤマナカを無理やり車の中に連れ去る映像が映る。
「彼が帰宅している途中、何者かたちに拉致されたようです」
ウエサワはパソコンを操作し、車のナンバーの拡大画像を出す。
「防犯カメラに映ったナンバーを照合すると、『大東亜リサーチ』という会社の所有車であることがわかりました」
マエダは少しため息をついてから、呟くようにいった。
「ウエサワ、これ以上調べるのはやめろ。無駄だ」
「……なぜですか? 」
『大東亜リサーチ』、それが意味することはひとつ。
「多分ヤマナカはもう死んでる」
ウエサワは拳を力強く握り、怒りの混じった声で答えた。
「それなら、尚更捜査しないといけないじゃないですか! 」
マエダはイスから立ち上がると、ウエサワの肩を叩いた。
「着いてこい」
警視庁のビルの外、灰皿の近くでマエダはタバコを取り出し、火をつけてくわえた。
「ヤマナカの件、完全に維持局の仕業だ。これ以上関わったら、お前まで消されるぞ」
深くタバコを吸いこみ、煙を吐き出す。煙は空高くまで昇ろうとしたが、消えていく。
ウエサワは歯を食いしばった。
「ですが……どう考えてもこれは法に反してる。国家犯罪だ、見過ごすわけにはいきません」
缶コーヒーを開け、ぐいっと一気に喉に流し込む。
買ってから時間が経ち、緩くなっていて、不快感がある。
「国家犯罪ねぇ……あいつらにはそんなこと関係ないのさ。法は自分たち自身だからな」
マエダの声は諦めていて、それを受け入れているかのようだ。
世の中にはどう抗っても逆らえない、不条理が存在している。
雨の日の、道に広がるどう歩いても踏むことを避けられない水溜まりのようなものだ。
そんなこと、ウエサワにもわかっていた。それでも、納得いかない。
「……俺ひとりでも捜査は続けます」
ウエサワは空っぽになった缶を握り潰した。
「そうか……」
マエダが半ば呆れるような声を出す。
止めても、無駄だとわかっていた。ウエサワは間違いなく、捜査を続けるだろう。
例え、自らの命が死に晒されようと。
「死ぬなよ、ウエサワ。教え甲斐のある後輩がいなくなるのは寂しからな」
マエダが灰皿にタバコをにじって捨てた。
ウエサワは黙ったままだった。
『大東亜リサーチ』、そのビルの前に立った瞬間。ウエサワは理解した。
──ここは、踏み込んではいけない場所だ。
視線。
無数のカメラ。
見られている、逃げ場がない。
「お兄さん、なにしてるの? 」
幼い声、振り返ると緑髪、緑眼の少女がいた。
少女だ、おそらく15から17くらい。だけど、おかしい。
身体中の全細胞が、この少女を危険だと警告してくる。
「そういう君は──」
いいかけた瞬間遮るように少女話しだす。
「ウエサワ ヒデキ、26歳」
少女は淀みなく続ける。
「警視庁捜査一課所属の巡査部長、親は警視総監でこのままいけば順調にエリート街道まっしぐら」
一歩、距離が詰められる。
「なのに今は、誰も触れたがらない事件を1人で追ってる」
心臓が跳ねた。
「なんでそれを……」
少女は、ウエサワに近づくと、耳元で囁く。
息がかかる距離。
「知ってるよ」
一拍。
「
少女の瞳がじっとウエサワを覗く。心の奥底まで見透かされてるようだ。
いたずらな笑みを浮かべる少女の顔の裏には、見てはいけない魔物が潜んでいる。
確信した。この少女は間違いなく維持局の人間だ。
ウエサワは、スマホでヤマナカの写真を見せた。
「単刀直入に聞く。君はこの男知ってるか? 」
少女は笑みは一瞬、こわばる。だが、すぐに元に戻った。
「どうだろう、君がそう思うなら知ってるんじゃないかな」
濁された答え、怪しい。
「でも、もう喋らないかもね? 」
一瞬、呼吸が止まった。
「……どういう意味だ」
「そのままの意味」
肩をすくめる。
「どうする、この中入る? 私が言えば入れてくれるかもね? 」
半分、馬鹿にするような言い方だった。
怒りが昇りそうになったが、堪える。
「いや、いい」
「ふーん、残念」
中に入れば、消される可能性がある。
冷静さを欠くな、ひとつずつ詰めろ。
間違いなくこの少女は『大東亜リサーチ』、もしくは維持局の関係者。
「ヤマナカが行方不明になる前、防犯カメラに彼が何者かに拉致される映像が残っていた。その映像に映った車のナンバーはこの会社の所有車だった」
「それで? 」
それがどうした、と言わんばかりの軽薄な態度を少女はとる。
「その車は盗難されたものって言われたら、オシマイじゃない? 」
「この会社は表面上は警備会社ということになっているが、企業としての活動が確認されていない。どう考えても怪しい」
「警察って感情論で捜査するの? 」
──沈黙。
そうだ、この捜査は完全にウエサワ一個人の感情によって行われている。
抗いようのない理、不条理。
この世には2種類の人間がいる。
不条理に従う人間。その不条理を利用して、弱者を食い物にする人間。
俺は──せめて俺だけでも、不条理に逆らえる人間になりたい。
大流に負けず、龍を目指し登る鯉のような人間に。
「君1人じゃなにも変えられないよ、おまわりさん」
少女はウエサワの隣を過ぎると、ビルの中へ入ろうとする。
「待て」
ウエサワは張り詰めた声でいった。
「どうしたの? 」
両手の拳は強く握られている。
「……変えてやる」
「なにを変えるの? 」
「俺1人でこの世界を変えてやるって言ってんだよ」
少女は笑みを浮かべる。期待と侮蔑が混じった笑みだった。
「そう、じゃあ楽しみにしてるね」
手をひらひら振りながら、少女はビルの中へと消えていった。
そこに残ったのは、監視と、不条理、そしてそれに抗う人間だった。