『ダイキくん、最初の仕事だよ』
朝、重たい体を引きずるように起こしたとき、スマホが震えた。
見覚えのないメッセージアプリ。
差出人の文体には見覚えがある。おそらくマルレだ。
いつの間に追加されたんだ。
『XXX公園、北側、池が一望できるベンチ、1400』
2通目には画像が添付されている。公園のベンチ、おそらくここに来いとのことだろう。
着替えを済ませて、部屋から出る。
玄関の鏡に映った自分の顔は、相変わらず歪んだ表情だった。
指定された時刻、指定された公園のベンチにマルレが座っていた。
マルレは人混みの中の俺を見つけて、楽しそうに人差し指を振った。
同時にスマホが震える。
送られてきたのは写真と住所、東京都新宿区XX町XXXビル『東洋派遣』。
「最近の人材派遣会社ってすごいねぇ」
いつの間にか隣に来ていたマルレは俺の肩を掴みぐいっと引き寄せると、そのままスマホの画面を見せてきた。
「ヤクザまで送ってくれるんだから」
写真には明らか一般人ではない男たちの姿があった。
刺青。
鋭い目つき。
隠す気のない暴力の匂い。
俺はマルレに半ば誘拐されるように、大東亜リサーチのビルに連れて行かれた。
ブリーフィングルームの扉を開けると、すでに2人の人間がいた。
1人はメガネをかけた男で知性に満ちた顔をしていて片手で本を広げて読んでいた。
もう1人の女で喧嘩腰でこちらに向かってくる。
「なんやお前か? 銃撃事件を止めた英雄ってやつは」
攻撃的な関西弁、その声には侮蔑混じりだった。
「聞いたで、妹を見殺したんやってな」
気づけば俺は、女の胸ぐらを掴んでいた。
「……お前もう一度言ってみろ」
喉の奥から声が滲み出る。
「殺すぞ」
「おー怖」
女は気にした様子もなく、俺の肩を軽く叩いてくる。
「いちいちキレんなや、お前じゃ、うちに勝てへん」
腕を掴まれる、強く握られたわけじゃない。それなのに、脳が警告音を出した。
──危険。お前には勝てない。
ただの脅しじゃない。
本気で、俺より強い。
だが、このまま食い下がるわけにもいかない。
睨み合い。
空気が張り詰めた、そのときだった。
「喧嘩はダメだよー、仲良くしないと」
マルレが間に割って入る。
声色は穏やかだ。
だが、笑いながらナイフを首元に突きつけられた感覚になる。
女は「はいはい」と少しだるげに俺を離す。
俺も怒りが萎んでいき、手の力を緩めてから離した。
「ダイキくんには紹介してなかったね、彼らは君の同期だよ。ほら自己紹介して2人とも」
男は本を閉じ、俺のほうを見た。
少々、億劫そうな素振りを見せた後、口を開く。
「……タカハシ フミアキ」
それだけ言うと、もう一度本を開く。
「なんやそれ、インキャかよ」
女の方はと言うと性懲りも無く茶化した。
タカハシは少し視線を女に向けた後、舌打ちをした。
「うちはアオザキ リオン。リオン様って呼べや」
ニヤニヤ笑いながら胸を張る。
「あ、ちなみにオリックスファンな」
正直、不愉快だ。
俺が黙ったままいると、マルレが俺に耳打ちした。
「フミアキくんはねSAT出身で、リオンちゃんはあー見えても特戦群出身だからね」
チラリと視線を2人のほうに向ける。
先ほどとは違って見えた。2人とも、普通の人間とは違う空気を漂わせている。
マルレは俺から離れると、俺たちの視線が一番集まる場所に立った。
「君たちに任務をあげるね」
マルレは笑う。
「チュートリアルみたいな感じに思ってくれればいいよ」
新宿区某所、ひとつのビルの前に黒いバンが止まる。
ビルの窓には『東洋派遣』という掠れた文字が書かれていた。
東洋派遣、それはただの人材派遣会社ではない。
ヤクザ、半グレ、活動家。
金と思想だけで集められた連中がこのビルに居座っている。
俺たちの任務は日革連に潜入していた国家安全維持局の工作員の救出だ。
「おい! 車どけろ‼︎ 」
東洋派遣のビルから出てきた男がバンに近づき、乗車席に窓を叩いた。
窓はゆっくり下降して、アオザキが顔を出す。
「おうおう、見回りご苦労さん。じゃ、おやすみ」
アオザキは男の頭を掴み、勢いよくもう片方の手で殴打する。
男は悶絶し、地面に倒れ込みもがいた。
「行くよ」
後部座席に座るマルレが合図を送ると、バンから降りる。
今回の任務は、あくまで救出が目的。敵戦闘員の殺害、銃火器などの武器の使用は制限されている。よって、戦闘は徒手による制圧のみ。
これが意味することは、国家安全維持局の権力の誇示だった。
ビルの中にも、東洋派遣の人間が残っていた。
だが、相手にすらならない。
半グレやヤクザ崩れと言っても所詮は腕力に自身のある素人。
プロの戦闘員とはサバンナと動物園のライオンくらい世界が違う。
「私は基本手出ししないから、君たちだけで制圧してね」
マルレはバンから降りても、少し離れたところで立つだけ、俺たちを試すような態度をとる。
アオザキは飛び込んできた男の拳を肩で受け流すと、その流れを支配するように喉元に肘を叩き込む。
鈍い音。
男は呼吸を潰され、泡を拭きながら倒れ込んだ。
それとは相対的にタカハシは静かだ。
近づいてきた男の手首を掴み、ほんのわずかに捻る。
骨の砕ける音。
悲鳴を上げるより早く、鳩尾に拳を突き刺す。
迷いがない、一種の作業のようだ。
「1人そっち行ったよ。ダイキくん」
マルレの声。
俺に目掛けて、大柄な男が突っ込んできていた。
拳。
受けるべきか、避けるべきか。
目の前まで迫った一瞬だった。
脳になにか鋭い声が走る。
──右から真っ直ぐ来る。
瞬間、反射的に首を左に逸らす。拳は数ミリ単位で空を切る。
「は? 」
男は口から間抜けな声を漏らす。当たると思っていたのだろう。
左か、半歩下がれ。
今度は、別の男が振り下ろしたナイフが空気を切り裂く。
俺は、ナイフを持つ手を掴み、肘に向かって下から拳を打ち込んだ。
男は痛みで反射的に脇が開く。
蹴れ。
蹴りが肋骨にめり込み、男の口から悲鳴が漏れた。
後ろから打撃。
咄嗟にしゃがむと、頭の上を拳が通り過ぎる音がした。
腕を掴み、肩に引っ掛ける、そのまま勢いよく立ち上がりてこの原理で大柄な男を地面に投げ捨てた。
2人とも動かない。
倒れている男の目が映る。
恐怖している。
呼吸が荒くなった。
──殺せる。
頭にその思考がよぎる。
だが、不思議と躊躇いはない。
力を入れて震えた拳を上げかけたが、歯を食いしばって下げた。
「やるやんけお前」
口笛を鳴らして、アオザキが拍手した。
「早く行くぞ」
タカハシは、心底どうでもいいといった感じで、ビルの中へ入っていく。
「ちょ、待てや。うちの分の残せよ」
3階。
事務所の扉を蹴り開ける。
そこにいた男は、今までの連中とは別物だった。
目つきからして違う、おそらく人を殺してきたことがある。
体格も異常だ、2メートル近くあるだろう。
その隣りには麻袋を頭に被された救出対象がいた。
「うちがこいつや──」
アオザキが前に出ようとした瞬間、マルレが制止した。
「私がやるよ。上司としてかっこいいところ見せないとね」
マルレは首をポキリと鳴らし、前に出る。
「おい舐めてんのか、ガキ」
男が鼻で笑う。
マルレと男の体格差は二回り以上あった、それが男のシャクに触ったのだろう。
男は後ろの棚の刀に手をかける。
刀身が鈍く反射した。
「まあいい、全員斬り殺してやるよ」
マルレは、愉快そうに笑い声を上げた。
最初から、物語の結末を知っているかのような笑い方だった。
マルレは心の中で呟く。
こんな雑魚、
そっと、近づいていくと机の上のボールペンを取って構える。
「これで……
マルレは笑う、男も笑う。
だが男の額に青筋が浮く。
次の瞬間、刀を振り下ろした。
机ごと叩き斬る勢いだった。
マルレは、刀に物怖じすることなく、一歩だけ下がり避ける。
縦に斬り下ろされた刀を、体を捻り避けると、男の懐に潜り込み腕を掴んだ。
そして、ボールペンをカチリと鳴らすと、そのまま腕に突き立てた。
「ッッッ⁉︎ 」
男は絶叫する。
しかし、男も意地なのか刀をマルレに向かって振り下ろそうとした瞬間だった。
刀を振り下ろす
その思考が男の頭から消えてフリーズする。
「──あ? 」
男の動きが硬直する。
完全な空白。
瞬きした時にはマルレは男の腕に、もう一度ボールペンを突き刺していた。
刀が床に落ちる。
マルレは壁に男を押し付けた。目から笑いが消えていく。
ボールペンの先が男の首のすんでのところで止められた。
「危なーい、やっちゃうところだった」
男の顔から血の気が引いていく。
恐怖していた。
理解できないなにかに。
マルレはボールペンを捨てると、労うように男の方を叩いた。
「はいお疲れ様」
直後、顎に拳が叩き込まれた。
巨体が崩れ落ちる。
静寂。
俺は改めて理解した。ここは
もう普通には戻れないんだと。