救出作戦が終わり、俺たちは大東亜リサーチのビルへと戻っていた。
「ここで休んでから帰っていーよ」
マルレは俺たちをセーフティルームに誘導する。
部屋の中には簡易的なベッドにソファ、テレビなどが置かれてあった。
「あー疲れたわ。うちベッド寝るわ」
アオザキは真っ先にベッドへ向かい、勢いよく飛び込んだ。
反対に、タカハシはソファに座り、本を開いて読み始めた。
俺の方をチラリと一瞥したが、それは話しかけるなという意味だろう。
今日、人を殴った。別に怖くなかった。
もうデモを鎮圧したときに何人も殺しているんだ。慣れて来ているのだろう。
静寂の中でテレビの音だけが響いていた。
部屋の空気が嫌に気持ち悪く感じたので、ビルの屋上に上がった。
夜風が首筋を撫でる。それとともに、服についた返り血の匂いが空気に混じる。
誰かの叫び声、鉄の匂い。
気づけば、拳を握り手当たり次第にものに当たっていた。
妹は、ミオは俺が物に当たっているの見るの嫌がっていた。
単純にそれが怖かっただけかもしれないし、俺が人間じゃなく見えたのかもしれない。
戦争から帰還した俺は、一時的にミオと母さんと一緒に住むことになった。理由は、帰還自衛官の自殺率が著しく高かったからだ。
どんなふうに暮らしていたかは覚えていない。
だが毎晩、俺のことを恨むような目で見る戦友が目の前に現れ、いつも俺を責め立てた。
俺たちが死んだのはお前のせいだ、お前が死ねば良かった。お前は人殺しだ。
必死に生きて帰った、それは間違っていたのか。
俺は死ぬべきだったのか?
そんな考えが毎日、毎晩、毎秒頭をよぎった。
そして、その度に大使館のことを思い出す。あの日、あの時、俺が見捨てた奴らは俺を殺人鬼のように思っているかもしれない。
「クソ! 黙れ‼︎ 」
耳鳴りのように俺を糾弾する声が聞こえる。
額から血を流した男が、大きく開かれた瞳孔で俺を睨む。
そこに存在しないのはわかっていた。だが、俺はその男を殴る。
拳は壁にぶつかり、大きな音を立てた。
「……お兄ちゃん」
ドアが開く音がする。
視線を向けるとミオが立っていた。虐待され怯えた犬のような目で俺を覗く。
半ば、俺のことを憐んでいるようだった。
そんな目で俺を見るな。
「最近、おかしいよ」
少し上ずった声だった。
今にも泣き出しそうな表情、怯えた顔。
違う。
あれは俺じゃない誰か、化物を見る顔だ。
「毎日、ずっと怒ってる。ずっと何かに怯えてる」
俺がおかしい?
「なにがおかしいんだよ? 」
少し、奥歯を噛み締めた後、口を開く。
「俺のなにがおかしいんだよ! 言ってみろよ‼︎ 」
俺が一歩前に踏み出た時だった。
ミオは限界を迎えたように、金切声を上げた。
「全部、全部おかしいよ! お兄ちゃんなんて……お兄ちゃんなんて帰って来て欲しくなんてなかった‼︎ 」
その言葉で、俺の中でぶちりと何かが切れる音がした。
ミオははっとしたように、「そんなつもりじゃ──」となにかを言おうとして、一歩踏み出しかけたが止まった。
俺はゆっくりと、窓際に近づく。
そして、窓を殴った。
ガラスは簡単に割れ、飛び散る。
割れたガラスの先から、血が垂れ落ちていく。
「そうだよ! 俺が死ねば良かったんだよ! 俺が‼︎ 」
口からありとあらゆる感情が言葉になって、連鎖して伝播していく。
「俺が……お前のために! なにをしてきたか言ってやろうか⁉︎ なにを犠牲にしてきたか……教えてやろうか‼︎ 」
何度も何度も、窓を殴った。割れたガラスで手が血まみれになろうと、何度も何度も、殴った。
「俺は人殺しだ‼︎ 悪かったな人殺しが兄貴で‼︎ 」
割れたガラスの先からは銃声が聞こえた。
何発も、何発も。
無線からの悲鳴、破壊された車列。
最初から──俺はずっと。
「──ダイキくーん」
軽い声だ、場違いなほどに。
マルレの声で、気づいたここは屋上だ。
俺はマルレの方を向く。彼女は、俺を検診しているかのようだった。。
「すごい顔してたよ? なにか嫌なことでも思い出しちゃった」
ちくりと胸を刺された。
否定はできなかった。
「……いや、少し考えごとをしてた、だけ」
自分に向けて呟くように口にした言葉が、夜の闇に溶けていく。
外では車が通りすぎる音が聞こえ、近づいては消えていく。
「ほんとに〜? 」
マルレはニヤついた顔でこちらを上目遣いで覗く。
一瞬、俺の口角は上がったが、すぐに下がった。
「ダイキくんにね。言いたいことがあって来たんだ」
少し思わせぶりな言い方だった。
「今日見てわかった。やっぱり君は──ヒーローになれるよ」
「……そう、ですか」
胸がじんわり熱くなる。
ずっと疑っていた。俺みたいな人間はヒーローになれるかと。
「ダイキくんは、
聞いたことのない単語がマルレから出される。
「フレッシュ……? 」
マルレは口角を上げて、うなずく。
「そう。英雄って呼ばれる人間ってさ、フレッシュが多いんだよね」
少し考える素振りを見せる。
「そうだね……例えば、時代を変えてきた英雄とか」
マルレは続けて、ナポレオンや織田信長と例を挙げる。
「戦ったとき、敵がなに考えてるか流れ込んできたでしょ? 」
言われてみれば、奇妙だった。
敵がなにをしようとしているか、手につかむようにわかった。
マルレはそっと俺に近づき、肩をポンと叩いた。
期待されている、そう感じた。
「いい意味で、ダイキくんは特別なんだよ」
俺は──特別。
その言葉に、少しだけ救われた気がした。自分を繋ぎ止めていた鎖が外されたような気がした。
また前に進める気がした。
俺は空を仰ぐ。紺色に濁った空を、欠けた月だけは照らしていた。
「まあ、ダイキくんはダイキくんなりに歩いていけばいいんだよ」
マルレはそう言い残すと、屋上から立ち去っていく。
「今更、普通に生きていけると思えないしね」
その小声が夜風にかき消されていった。