薄暗い部屋の隅に男はうずくまっていた。ダイキだ。
ひたすらにブツブツと何かを呟き、爪で壁を掻く。
そこに人間らしさは一つもなかった。
「どうするマルレ? あいつ死ぬぞ? 」
モニターに映された映像を見る人影いた、マルレだ。
「食事にも手をつけてない、水も最後の摂取が17時間前だ」
マルレは不気味に笑う。
「死なないよダイキくんは、いや、正確には死ねないかな? 」
その証拠と言わないばかりに、部屋の机の上にはリボルバーが置かれてある。
それは紛れもなく自死するためのものだった。
ダイキが部屋に閉じ込めれてから、すでに2日近くが経過していた。
その間に彼がリボルバーに手をつけた回数は一回のみ、銃口を自分の頭につけたものの引き金を引くことはなかった。
「自分で選択した以上、彼は
本当に死にたいのなら、ダイキは今すぐにでもリボルバーの引き金を引いて、死ねる。
でも、それをしない理由。
「まあ、最悪
マルレはクスッと笑った。
ダイキは心の中で考えていた。
俺は間違えていないはずだ。
合理的に考えて判断した。助けられる最大限の命を救った。
それで十分じゃないか。
一瞬、最悪の疑問がダイキの心に生じる。
あの決断は──俺が決めたものなのか?
俺が今までした決断は──俺が決めてきたものか?
なんで自衛官になったんだ?
家族が学費免除を受けられるから、それは俺が決めた理由か?
なんでここにいるんだ?
マルレにヒーローになれると言われたから。
「違う、ちがう、チガウ!! 」
壁を殴る。
鈍い音と共に指先が熱くなり、壁には血がこびり付いた。
机で体を支えながら、リボルバーを取る。
そして、銃口をこめかみに当てる。
もういい、すべて終わりにしよう。
楽になろう。苦痛もここで終わらせるんだ。
震える指先を引き金に当てる。
──お兄ちゃん……助けて……。
「やめろ! 」
許しを乞うように叫ぶ。
しかし、声は止まない。
聞こえもしないミオの声が頭に響く。
「あ"あ"っ! クソッ! クソッ! 」
机を殴りつける。
「なんで……なんで逃げようとしてるんだよ! 」
リボルバーのシリンダーには1発だけ銃弾が装填されていた。
今のダイキは合理的ではない。
全ての行動が矛盾していた。
「俺は間違ってない……正しいはずだ」
自分を納得させるために言い聞かせた言葉が激しい後悔を招く。
手からリボルバーが離れない。
これを持っているときは少し気持ちが和らぐ。いつでも死ぬことができると思わせてくれるからだ。
だけど、俺は死ねない。
今日、この日まで俺は、俺は、数えきれない命を奪い、その屍でできた道を歩いてきた。
その道に終わりはない、戻ることもできない、進み続けるしかない。
そんなこととうにわかっている。
リボルバーに反射して自分の顔が見えた。
酷く醜い面だ。
涙が溢れ落ちる。
俺は、あの日託された役目を全うしなければならない。
──助けて……
助けたかった。
──進むんだ、ダイキくん。
わかっている。
──早くしないと全員死ぬよ?
わかっている。
──俺は間違わない。
選ぶんだ、たとえ後悔が待ち侘びていたとしても──
自分が正しいと、自分を肯定できる選択を。
閉塞な部屋の中に乾いた炸裂音が響いた。
シリンダーから薬莢が落ち、カランと音を立てる。
天井には一粒だけ弾痕が空いた。
「……俺は、進む……。だから、許してくれ……」
自分に言い聞かせるように、ダイキは呟いた。
しばらくして鍵が解かれる音がすると、ドアが開き拍手しながらマルレが入ってきた。
「合格だ、ダイキくん」
俺はマルレを一瞬、睨みつける。
マルレはそれを面白がるように軽薄な態度をとった。
「怖いなぁ、そんな顔しないでくれよ」
俺はマルレを問いただす。
「マルレ……お前は何者なんだ? 」
「何者だろうね? そうだなぁ、少なくとも今日からは君の上司……かな? 」
マルレは俺の手を掴み上げると、そっと何かを渡した。
それは紋章だった。
剣で作られた旭の前を足が3本のカラスの堂々と構え、天秤を掲げている。
この紋章を掲げることを許される組織は、日本でただひとつ。
──国家安全維持局
国内における反政府的な活動を取り締まり、自衛隊、警察などの指揮権を持つ。
絶対的な権力の象徴。
「君には私の部下になってもらう。文句はないね? 」
俺の答えは一つだけだった。
「……了解した」
紋章の中の天秤は僅かに傾いていた。