マルレは自身に縋りつこうとするダイキの姿を見て確信していた。
彼は間違いなく、なにかしら自分を肯定する理由を探している。
それは間違いなく、この世で一番愚鈍な常になにかを背負わないと生きられない、存在理由を他者に依存している人間。
なら、マルレがするべきことは簡単だ。
言葉を与えればいい、たとえ、それが欺瞞に満ちていても。
"ヒーローになりたい"、その言葉をダイキの口から引き出させる。
きっと、それは彼にとって重りではなく、自らを絞首台の階段を登り始める一歩となるだろう。
そして、台の一番上に登った時、この世に生まれ落ちるのだ。
マルレは口角を少し上げた。
「ダイキくん、まずは人間らしい生活をすることから始めようか」
マルレはパンと一度手を叩いた。
次に台所を指差す。
「最初はやっぱり……食事、だね」
冷蔵庫の中には、栄養ドリンクとゼリーしかない。
それらは少なくとも人間らしい食事とは言えないだろう。
マルレは俺の手を引く。
「買い物に行こう! 」
一個人として、外に出る生活を送る。
いつかしらか、俺が一番できないなことになっていた。外に出れば、人とすれ違う、その時の話し声、仕草が嫌いだった。
最も嫌いなのは笑い声だ。それが聞こえるたび、誰かが俺の悪い話を流し、また誰かが俺を嗤っていると錯覚するからだ。
だから、極力家族としか関わらなかったし、自衛隊でも人と深く関わることはなかった。
そのほうが楽だった。
でも時々、孤独に思う。
1人でいるのが辛いのではない、自分だけがこの世界という船から降ろされたように感じるのが辛かった。
だけど、社会という船は一度降りた人間を再度乗せることはない。
降ろされた人間はただ1人で溺れ死ぬを待つことしかできない。
溺れ死ぬまでは、永遠の虚空と苦痛のみが漂っている。
マルレの言葉は、冷たくて暗い海を漂う俺に浮き輪が投げられたようだった。
「……わかった」
俺の手を握るマルレの白く、細い手は暖かい。
久しく忘れていた、生きた人間の温かさだった。
部屋の外は、目を瞑ってしまうほど眩しい。
そして、暑い。
ゆっくりと街路樹の下を歩く。
マルレが近くにいるだけで、人の声がかき消されていくようだった。
近所のスーパーに辿り着く、やはり、人で溢れかえっており賑やかだ。
──無理だ。
そう思ったときだった、マルレの手が強く握られる。
「私がいるから」
だが、喧騒の中に混じる人の顔を見ると、拒絶感が込み上げてきた。
幸せそうな笑顔、そこには一切の苦しみや痛みはない。
俺だけがこの場に存在しないかのようだ。
「なに買う? あ、私あれ欲しいな、ブラックサンダーのアイス」
マルレは俺の手を掴んだままだった、もし、この手を離されたら俺はどうなるのだろうか。
冷静を保っていられるのだろうか。
野菜、魚、肉。
赤い生の肉の匂いがしたときだった。
『嫌だ……死にたくねぇ……助けてくれ……ダイキ……』
身体中に赤い手の跡がつけられた気がした。
無数の手が俺を掴んでいく。
──引き摺り込まれる。
どこか暗い、死に満ちた場所。
嫌だ、やめてくれ。
足がもつれ転けそうになる。
かろうじてマルレの手を握っていたから、そうなることはなかった。
気分が少し悪い。
それをマルレは察したのか、俺を別の場所に連れていく。
「大丈夫? 」
マルレの声、現実に引き戻される。
「外のキッチンカーそこで何か買ってから休もう 」
人の吐き出した空気が充満する室内と違って、外は易しかった。
ベンチに座り深呼吸をした。
「はい、これ」
マルレは袋を差し出してくる。
それは、変哲もないただのベビーカステラだった。
「早く食べないと冷めちゃうよ? 」
促されるまま、俺はひとつ袋からつまみ出し、口に入れる。
口の中に固形が入ってくる、異物感、目尻が熱くなり涙が溢れそうになる。
毒でも入っているのではないかと疑ってしまう。
……だめだ、気持ち悪い。
どうにかして飲み込んだものの、えずきそうになってしまった。
思い返せば、母親の料理を食べる時も、若干気持ち悪さが残っていた。家族が作ったものという理由で比較的にマシだったが。
「うーん……他人が作ったものは食べられない? 」
「……わからない」
「とりあえず、何か買って帰ろうか」
スーパーの中に戻る、冷房のきいた空間は人が減っており、人間味が排除されたように感じた。
そちらに方が自分にとっては都合がいい。
肉や魚のコーナーを避けて、レトルト食品や惣菜のコーナーを見た。
「柔らかいものなら食べやすいかな? 」
マルレはヨーグルトやプリンを見ていた。
「食べるならどれがいい? 」
食品棚に目を向ける。
栄養食じゃないゼリー、プリン、そして……コーヒーゼリー。
俺の記憶の中のミオはコーヒーゼリーが好きだった。
だけど、きっと今は嫌いだろう。俺が戦地から帰ってきてから、ミオがコーヒーゼリーを食べているところは見なかった。
無意識のうちに、それを指差す。
「これが……いい」
マルレはチラリと横目で俺を見ると、コーヒーゼリーを2つ手にとる。
もう、ミオが好きだったものはあまり思い出せない。思い出せば、きっと辛い。
辛いのは嫌だ。
少しの惣菜とインスタントの味噌汁、お菓子を買って、帰路に着く。
コンクリートの上は蒸し焼きにされてるみたいだ。
肌にまとわりついてくる空気が気持ち悪い。
「……マルレ」
俺は聞こえるか聞こえないかくらいの声を口にする。
「どうしたの? 」
マルレは立ち止まると、俺の方を振り返った。
「ありがとう」
自然と口にその言葉が出たとき、胸が急に熱くなった。
ただ、一言だ。
だけど、その一言が俺を人間に戻してくれたようで、恥ずかしくて、下を向いてしまう
情けない。
「……どういたしまして? って言ったほうがいいかな」
顔を上げたとき、目に映ったマルレの顔は作り物のように笑っていた。