愛と言葉のゲルニカ   作:ドクター・ヴィオラ

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閑話:その一
画工の一日


 

 

 

 

 ゲルニカ・ラヴィング・パスワードの朝は寝室の鏡の前で髪に櫛を入れるところからはじまる。あるいは先に顔を洗うこともあるけれども、ほとんどの場合は髪をいじるのが通例だった。

 ゲルニカの髪は長い。古樹のような黒茶色のそれを腰まで伸ばしている。彼女としては別にぼさぼさでもかまわないけれども、アトリエに来客があるかもしれないので仕方がない。彼女もそれくらいの社会性は持ちあわせている。

 それに放置していると弟子のアルマ・サトルノスの顰蹙を買うのである。それもありがたいことでこう言うのは指摘されないと改善されないものだ。彼女を弟子にすることでゲルニカの生活はそれなりに――すこし――わずかに健全化したと言えるだろう。

 顔を洗ったあとは簡単な化粧を済ませる。

 ゲルニカの怜悧な深緑の瞳。ともすると、それは見るものに知的な印象を与えるかもしれない。しかし肌はその印象と反対に、日の光でそれなりに焼けており、見るものに活発な印象を与えるだろう。

 このちぐはぐはゲルニカが熱心なフィールド・ワーカーであることに由来する。画工にも多種多様なスタンスがあるけれども、彼女のそれは現地探査主義的なものだ。すなわち、そのスタンスは外部に答えを求めている。

 座るよりも歩くことを。瞑想よりも行動することを。それがゲルニカのスタンスなのである。

 化粧のあとは朝餉と雑事を済ませる。そして一日がはじまるのである。

 

 

 

 

「ゲルニカ! おはよう!」

「おはよう! 今日の勉強は?」

「算学!」

「算学は真面目にやりなさい! やらないとわたしのように馬鹿になるよ!」

 

 年長の子供がくすくすと笑った。

 アトリエの庭前は通学路なのだった。いつも早朝に元気な学童が歩いている。ゲルニカはそこで画材を展開するのが好きだった。子供と言うのはいつも新鮮な霊感(インスピレーション)を与えてくれるからである。

 

「おはよう……今日は快晴だな」

 

 とアトリエの前の喫茶店のマスターが言う。いつも学童が去ったあとに店前で水を打っている。

 

「おはようございます。今日のモーニングはなんですか」

「おまえはいつもそれを聞くな?」

「今日はメニューがちがうかもしれないし……」

「いつもと同じだよ」

「それなら……」

「次の日も同じだ」

 

 マスターは呆れたように微笑した。

 これがゲルニカの朝である。

 

「今日は何を描くんだ?」

「どうしましょう。通学路の光景でも、そこの喫茶店でも」

「何枚目だよ」

「じつを言うと学童の絵は商売に向いているんです」

「と言うと?」

「親は子供の成長を確認したいものですから」

「なるほど」

 

 ゲルニカも道楽で画工をやっているわけではない。絵の中にも商売に向いているものがあり、子供の絵と言うのはそのひとつだった。

 

「通学とはな」

「どうしました?」

「昔はなかったからな」

「平和なものですよ」

 

 尤も正式な教育機関ではない。地元の分教会が善意でやっているもので、簡単な識字と算学を教えているだけだ。弟子が学んでいるような正式の学校は費用が高く、一般の子供が簡単にはいれるところではなかった。それでも学ぶことができるからには、昔よりはいくらも進歩したと言えるだろう。

 

「気になりますか?」

「別に学問に未練はないさ」

「わたしもです」

「今日はどうする? 朝の一杯は」

「にがいのを頼めますか」

「よし。それと……おれからは絵葉書を頼めるか」

「何枚ですか?」

「二枚。遠くの知りあいに送りたくてな」

「任せてください」

 

 それだけ頼むとマスターは開店のために店内へ戻った。

 

 

 

 

 朝の一枚は半刻で終わらせるがゲルニカの流儀だった。要は朝の準備運動のようなもので、正式に仕事で絵を描いているわけではない。

 アトリエに戻ると依頼を机で依頼を確認した。昼には子供の成長画。次の日は新築物件を絵に描いてほしいと依頼があった。ほかにも牧場画の依頼――これはパトロンの牧場主。のちに現地へ向かわなければならないだろう。

 これなら朝はマスターの依頼を優先しても大丈夫だろう。

 それから喫茶店で朝の一杯を貰ったあと、アトリエで絵葉書を描いてしまうと、茶器を返すついでにそれを渡した。仕事が早いなとマスターは感嘆していた。偶然である。

 時間ができたのでゲルニカはアトリエの前の庭を描くことにした。彼女は花を描くのが好きだ――それに諸事情でこの国は花の絵が売れやすい。好きなものを描け、しかも売れやすい。すばらしいことである。

 そしてアトリエの前に戻って、庭で画材を展開したときだ。

 

「ゲルニカ」

 

 と誰かに呼びかけられた。振りかえると庭前の石畳に長身の美丈夫がいた。

 

「……カスパー? ……戻ったのか」

「しばらくぶりだね」

「しばらくって……年単位なんだけど」

「そうだっけ」

「時間の感覚がおかしいのは前と同じだな」

「きみたちの感覚でものを言わないでほしいね」

「そんなところで話をするのもあれだろう。椅子と机を持ってくるよ」

「わるいね」

「かまわない。茶も淹れよう……わたしときみの仲だ」

 

 とゲルニカはカスパーを庭に呼びこんだ。

 

 

 

 

「茶の腕は衰えていないようだね」

 

 とカスパーは椅子に背を預けた。

 

「向こうのマスターには負けるよ」

「あんなのあったっけ」

「すこしまえからなんだ。マスターが男前で女性客の評判が良い」

「それに」

 

 とカスパーは庭を見る。簡素な花壇で車輪花が咲いていた。

 

「調花の腕も落ちていない」

「当然だよ。この国のものとしてはね」

 

 調花はこの国の根本的な文化である。この国では言葉よりも数字よりも先に花を育てることを教えられる。そして螺旋をえがいたその花は国花であり、すこしでも粗末に育てられるものではない。

 花の絵が売れやすいのもそこに理由があるのだ。この国ではどんなに貧乏な人間でも、立派な花を育てられさえすれば、一定の尊敬を得ることができる。逆に花を踏みつけにするような人間は、それが王族であっても軽蔑されると言うことだ。それがこの国の道徳律のひとつである。

 

「それで……今度はどんな冒険をしてきたんだ」

「先にきみの話が気になるな」

 

 とカスパーは伸びをした。

 

「きみもそれなりに外へ出るほうじゃないか。体験してきたんだろう? おもしろくて……おかしなことを」

 

 相も変わらず――自分のペースに忠実なやつだ。とゲルニカは思った。

 そして、それをいやとも感じなかった。友達が以前と同じであることを実感したからである。

 

「よろしい……あれは遠くの港町に行ったときのことだ。あれは……」

 

 とゲルニカは語りはじめるのだった。

 

 

 

 

「なるほど」

 

 話が終わるころには茶器の中身を干しきっていた。

 

「そんなところに鯨雲の座礁地があったのか……」

「意外だろう? それが都会に知られていないだなんて」

「地元人は学問的に重要だとは思わなかったんだろうね」

「わたしはそれでかまわないと思う。あの港を都会の学者に乱されたくはない」

「いじわるだね」

「真理を知りたかったら、足で行けと言うことさ。少なくともわたしはそうした」

 

 真理は机の前にはない。

 どこまでも歩くものだけがそれを見られるのだ。と言うのがゲルニカの信念だった。

 

「それで」

「うん?」

「きみの冒険は?」

 

 とゲルニカが催促するとカスパーは悩ましそうに長耳を撫でた。そんな動きもさまになるやつだった。

 カスパーは長耳族の青年? である。ゲルニカは長命種の年齢的な基準を知らないけれども、少なくとも容姿は青年のように見えた。特徴的な長耳は土地と交信するためにあり、その種族は光の理術に適性があると言う。

 

「ぼくの冒険を知るためには成果を見たほうが早いだろうね」

「いつものように。だから鞄の中身を見せなさい……早く」

「どうどう」

「早く」

「分かってるって」

 

 とカスパーは笑った。

 そして机の下に置いてある、鞄の中身を取りだした。

 

「これが成果のひとつだよ」

「これは……山頂の風景」

「うん……南よりもさらに南。未踏の山岳地帯に行ってきたんだ」

 

 それは鏡だった。もちろん普通の鏡ではない。そこには山頂からの風景が封じこめられているのだった。しかもこの風景――なんと動くのである。日の動きと月の動き。眼下の山のざわめきも。

 土地との交信の結果を光の理術で焼きつけたもので、その技術はカスパーが独自に開発したものである。あまりに高度なのでゲルニカも原理は理解していない。

 風景を焼きつけるだけでも相当な技術で、それが動くとなると成果物は大変な価値がある。美術的な価値はゲルニカの作品と比較にならないだろう。しかも未踏の土地の風景となれば、さらに学問的な価値を持つはずだ。

 

「なんだかね」

 

 とゲルニカは息を吐く。

 

「こうも見事に風景を焼きつけられてしまうとね」

「分かってると思うけど、簡単じゃないんだから……この一枚でも半年の交信が必要だったんだ」

「知ってるけど……こう……画工としての面目と言うか」

「買う?」

「馬鹿を言うな」

 

 カスパーの作品は家が買えるくらいの値段で売れていた。とてもゲルニカが買えるような値段ではなかった。

 

「ぼくはこの技術を一般化したいんだけどね」

「しないでくれ……風景画が無用になる」

「そうでもないと思うけど」

「わたしたちは即物的なんだ」

「きみたちの価値観は分からないよ」

 

 とカスパーは微笑した。

 カスパーとしては大切なのは土地との交信であり、風景を焼きつけるのは旅費を得るためでしかなかった。

 

「価値観と言ったら……きみの価値観も随分と妙じゃないか」

「少なくとも身内の評価はそうだね」

 

 冒険家の長耳族と言うのは異端である。と言うか――ゲルニカはこんなに活動的な長耳族を知らない。あとは彼の妻くらいか。これもじつに異端で夫婦の冒険家なのである。

 普通の長耳族は森の中で静かに暮らしているものであり、その生活は人間で言うところの敬虔な宗教者のそれに近い。

 

「でも……どうかな。ほかの長耳族の価値観もこれからは変化するような気がするんだ」

「そうなのか?」

「このごろはきみたちのような異種との交流もあるからね」

「何百年前の話だ」

「そうだっけ? とにかくね……若手の長耳族からはきみたちの価値観が新鮮に見えるんだよ。きみたちはなんと言うか……非常に活発で……」

「感情的」

「そう! 若手に影響を与えている」

「それは……良いことなのか」

「それはのちのちに分かってくることだよ」

「そう言えば」

 

 とゲルニカは聞く。

 

「きみはどうしてそんなふうに活動するようになったんだ。別に最初からそんなふうでもないだろう」

「……よし」

 

 とカスパーは成果物を鞄に入れた。

 

「邪魔をしたね……きみも仕事があるだろう」

「露骨だな」

「質問の答えは酒の席で語るとするよ。その話をするのはどうにも照れくさいんだ」

「いつにする」

「しばらくは飲めそうにないんだ」

「いそがしいのか」

「じつは旅先で妻の妊娠が発覚してね。急に戻ったのもそれが理由なんだ」

「先に言え!」

「ごめん、ごめん。なんだかこんがらがっちゃって」

 

 そんな重要なことを先に言わないとは! とゲルニカは驚愕していた。

 カスパーとのつきあいは長い。その妻はゲルニカの友達でもあったのだ。

 

「しばらくは町にいるから!」

 

 それだけ言うとカスパーは去っていった。

 何がなんだか。とゲルニカは思った。

 

「……画材でもプレゼントするか」

 

 気が早いだろうか? とゲルニカは考えなおした。

 

 

 

 

 昼の仕事を終えたあと、ゲルニカは帰路を歩いていた。

 背嚢のほかに紙袋を手に持っている。町の中心の商店で食料品と日用品を買ったのである。

 アトリエは町の中心から、南へ歩いたところにあった。

 今日は昼餉を食べそこねたな。とゲルニカは思った。

 ずぼらなゲルニカも料理だけは好きだった。彼女は非常に健啖家だし、料理には芸術と似たところがある。それに貧乏時代には安値でおいしいものを食べるためにあれこれと試行錯誤をしたものだ。

 そのうち喫茶店の前まで来た。覗きこむと婦人客で繁盛していた。今日もマスターは女性に人気である。

 アトリエのほうを見ると窓の中に灯しの光が見えた。

 今日もやっているな。とゲルニカは微笑の内で考えた。

 アトリエにはいるとアルマが帆布の前で絵筆を握っていた。

 

「先生」

 

 とアルマのほうでもゲルニカに気がついた。その目は過集中でぎらぎらとしていた。

 

「学校は昼まで?」

「はい。先生は?」

「わたしも仕事が終わったところだよ」

 

 荷物を置くとゲルニカはアルマの絵を眺めた。

 大海と船。そして天空と雲の風景画だった。しかし、その光景は普通の空海とちがっている。雲は螺旋をえがくようにいくつもの渦を巻き、落ちてきそうな重厚感に満ちあふれている。波は船を飲みこんでしまいそうだった。

 

「緊迫感があるね」

「まだまだです」

 

 とアルマは絵を睨む。

 

「あのときの緊迫感はこんなものではなかった」

 

 あの海戦がアルマの頭に焼きついているのだろう。そして、それを完璧に出力できずに悩んでいる。

 無理もない。理想の絵と言うのは頭の中だけにあるもので、出力すると完璧なかたちになってくれないものである。それは月と同じで手の届かないものなのだ。

 しかし、それは言いわけにはできない。手が届かないと分かっていてもやるのが芸術家の本懐なのである。

 

「絵に厚みを持たせようと思います」

「その方向性が良いね。これは刺激的な絵だから」

 

 それからアルマはすぐに絵に没頭するのだった。背後のゲルニカも気にしていないようだった。まことの集中力は野次馬の目を苦にしない。脳裏に掠りもしないのなら、それは存在しないのと同じことだ。

 乾いたところへさらに塗りつける。ときに傷を入れるようにナイフを走らせる。アルマの中で孤独な戦争がはじまっていた。

 邪魔をしてはいけない。とゲルニカはアトリエの外に出た。

 

 

 

 

「うれしいものですね」

 

 とゲルニカは閉店前の静かなカウンターでマスターに言った。

 すでに日が暮れはじめていた。

 

「何が」

「弟子の成長です」

「アルマちゃん?」

 

 マスターもアルマと交流があった。ゲルニカと交流しているのだから、その弟子と交流があるのは当然である。

 

「日毎におもしろく……それに強くなっている」

「強く? うまくじゃないのか」

「うまくもなっていますよ。わたしが教えているわけですから」

「大層な自信だな」

「プロですから」

 

 当然の自信だった。画工も客商売である。自信がないものを誰かに売りつけるのは三流のすることだ。

 尤もアルマの最初の客は別である。あの漁師はそう言うところを加味して、彼女の絵を買ってくれたわけだからだ。そうでなければ――ゲルニカは絵を売らせなかったはずである。

 

「うまいはいくらでもいるんです」

 

 とゲルニカは理論を語る。

 

「しかし強いだとか、おもしろいだとか……技術の外側にあるものは簡単に獲得できるものではありません。それは極限の情熱と怜悧な集中力だけが引きだせるものです。そして、それだけが絵に魂を吹きこめるのですよ」

 

 少なくともゲルニカはそんなふうに考えている。

 そして、それが才能と呼ばれているのだと。

 

「大変な世界だな」

「マスターも描いてみますか? うちは絵画教室もやりますよ」

「おれには喫茶店で沢山だ」

 

 そんなふうにマスターは笑った。

 そう言うわりにマスターが仕事で手を抜かないのをゲルニカは知っていた。そうでなければ、この喫茶店を贔屓にするはずがないのだ。

 そんなふうにゲルニカが考えた――数瞬後だ。

 

ウオオオ!

 

 とおたけびのような絶叫が喫茶店の中に貫通してきた。

 アルマの声だった。

 

「なんだ!? ……アルマちゃんの声か? おまえのアトリエに泥棒でも……」

「いや、いや」

 

 とゲルニカは手を振って、茶の代金を正確に置いた。

 

「あんなふうになるものですよ……傑作が完成したときはね」

 

 ゲルニカは立ちあがった。

 今日の夕食は豪勢にしよう。とゲルニカは上機嫌で思った。

 あるいはアトリエに戻るころにはアルマが疲労でぶったおれているかもしれない。そのときは仕方がない――眠らせてやろう。眠りたいだけ。

 そんなふうに考えて、ゲルニカは微笑するのだった。

 

 

 

 

画工の一日 終わり




カスパー

長耳族の青年。自分本位な冒険家で光の理術に造詣が深い
理術とは理数の力、そして世界を認識することであり、学問としては算学に近い
芸術家の創造の術と、表裏一体の技術である
そして創造の術と理術の根本は、万物法則の基礎とされている
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