一体どの方向に向かっているのか。それすらも教えてくれない浮遊感が体を襲う。現在俺はホロウの中で落下を続けている真っ最中だった。
……右手をキツくアンビーに握りしめられながら。
どうするよ、これ。マジで俺が知らないだけでこの子に金借りてたりしてるのか?
そこまで考えてふと、一人の仕事仲間を思い出す。
イチョウの葉のような色の金髪に女優と見紛うほどのスタイルと美貌。確か最後に会った時の彼女のコードネームはソール・レッド……じゃなくて、シャーレ・ブルー……でもなくて………
『シェーレ・グリーン』だ!いや〜すっきりした。
実は俺、彼女に少なくない量の金を借りているのである。なので次会った時は土下座しながら返そうと思っていた。だが、俺も彼女も世間一般から見て、まともな職業に就いているとは言えない。従って会う機会もそう易々と取れるものではないのだ。
……そう言えば最近業界でめっきり彼女の噂が聞こえなくなったな。この業界では職業柄、入れ替わりや立ち替わりが激しい。その名を轟かせていたやつが次の日には消えていた、なんて事もざらにあるのだが……まぁ、あれだけ強くて仕事が出来る彼女の事だ。コードネームを変えたか、悠々自適に引退生活を送っているかのどちらかだろう。
そんな事を考えている間も落下は続く。しかし、空気の流れからもうすぐ着地出来る事が分かった。思った通りその数秒後、再度裂け目を抜けた先は地面のすぐ近くだった。
……てかこのままだと、進行方向の先にある鉄橋に激突しない?俺がそう考えた刹那、アンビーは空中で体の向きをうつ伏せに変えると、まだ掴んでいなかった俺の左手と自身の右手を繋ぐ。意図を察した俺もアンビーと同じような体勢になる。そしてそのまま、鉄橋の隙間を糸を縫うようにすり抜けた。
アンビーは再度俺の右手を離し、腰に差していた剣を引き抜くと、それを既に近くなっていた地面に突き刺した。靴底がすり減っていくのと反比例するかのように徐々に弱まっていく慣性。そして完全に止まった。俺はごく自然な流れで手を離そうとする。
「どこに行くの?
しかし、ハイライトが失われた瞳に見つめられ、それも出来なくなる。これは相当恨み深いぞ……
「もしかして、借りがあるのか(俺の)」
「えぇ、返しきれない程大きな借りが(私の)」
うーん、不味い!今の俺の手持ちは長年愛用している直剣とその手入れ用具だけ。これでは担保にすらならないだろう。ここはシェーレにも効いた俺の説得術で何とかするナリ!
「……すまない。もう少しだけ待ってくれないか?」
「待たない。さぁ、邪兎屋に帰りましょう。大丈夫、ニコもビリーもあなたを歓迎してくれるはずだわ」
「アンビー、ここはホロウの中だ。従って慎重に行動するべきだと思うのだが」
「あなたがいるから問題ない」
そう言ってさらに強く俺の手を引く、アンビー。
ヤバい、ヤバい!このままじゃ邪兎屋に連れて行かれ、そこで「これが私達流の
「頼む、待ってくれ。お願いだ、俺にはまだすべき事があるんだ」
自分でも何言っているのかよく分からないが、もう後には引けない。それに俺には帰って寝るという立派な目的があるから嘘は言ってないはずだ。未だ強制的に繋がれているアンビーの手を、今度は俺がキツく握り返す。ついでに顔を至近距離で覗き込む事も忘れない。リンやアキラ、それにあのシェーレでさえも何故か顔を真っ赤にしてお願いを聞いてくれる、俺の立派な処世術の一つだ。
「お願い……あなたからの……フフッ」
俺の渾身の一撃が効いたのか、どこか恍惚とした表情を浮かべ、満更でもなさそうなアンビー。
「……分かったわ。私はもう少しだけ待つことにする。だから、あなたはすべき事を果たしに行って。
でも全てが終わったらまた会いに来て欲しい。それで今度は私があなたに全てを捧げるわ」
「あぁ、約束だ」
そう言うと、やっとアンビーは俺の手を離してくれた。
「じゃ、待たな」
俺は彼女の気が変わらない内に立ち去るため、影すら置き去りにする速さでその場から離れた。
建物の隙間を飛ぶように進みながら考える。彼女はどれだけ金銭的に困窮しているのだろうか、と。あの光の無い瞳。何が何でも取り立ててやるという強い意思をひしひしと感じた。それに最後に言っていた事もおかしかった。
「今度は私があなたに全てを捧げる」
……普通、逆じゃないか?捧げるのは俺の全財産であって、彼女のではないはずだ。まぁ、やっと借金が回収できる事につい興奮しすぎてしまっていたのかもしれないな。何はともあれ一見落着。あとは帰って寝るだけ!おっ、前方に裂け目あるじゃん。あそこを通ればもうホロウの外だ。やはり天は俺に味方している……!
そして意気揚々と地面を蹴り、加速した所で————突如目の前に別の裂け目が現れた。
「は?」
為す術も無く、裂け目に呑み込まれる体。
前言撤回、天は間違いなく俺の敵だ。
「どうしたんだ、アンビー?さっきからやけに機嫌が良さそうだけどよ」
「当然よ、ビリー。私の夢が、あともう少しで叶うかもしれないのだから」
あの後アンビーはホロウ内でビリーと合流し、行動を共にしていた。
「あのよく話してる『恩返し』の事か?そりゃ良かったな!」
持っている二丁のリボルバー、その内の一つを器用に指で回転させながら自分の事のように喜ぶビリー。しかし、その途中で首を傾ける。
「……そういや、肝心な恩返しの相手ってのは一体誰なんだ?」
「絶影よ」
「絶影……良い名前だな……ってあの絶影か!?」
「?さっき赤牙組に追われてる最中に会った絶影よ」
急に興奮し出したビリーを不思議そうに見ながら、アンビーが言う。
「マジか!?そりゃすげぇ事だぜ、アンビー!」
「どうして?」
「いいか?アンビー。絶影はホロウレイダーなら誰もが憧れる伝説の存在ってやつなんだ」
「どこに居るのかも、誰から依頼を受けているのかすらも分からない。そんでもって、何よりその強さだ。どこからともなく現れてはあっという間にエーテリアスを狩り、去っていく。虚狩り級だ、なんて言うヤツもいるくらいだ。もちろん助けられたヤツも大勢いる。まさしく、『伝説』って感じだろ?」
「……それは知らなかったわ。確かに凄い」
「だろ!?アンビーはそんな絶影と一時的とはいえ、一緒に生活してたんだよな!?そんなヤツ、この新エリー都中を探してもアンビーだけだぜ!」
なお現在進行形で絶影と暮らしている、とあるビデオ屋の姉妹がいるのだが、そんな事は全く知らないアンビーは満足気な表情を浮かべる。
「私だけ……フフッ」
アンビーはニコにホロウから連れ出されて以来、意識的に絶影の事を忘れるように努めてきた。そうしなければ、絶影に対する想いでおかしくなってしまうと、直感的に分かったからだ。その想いを解放するのはもう一度絶影と再会してから、とも心に決めていた。
幸い絶影の情報はビリーの言った通り全くと言っていいほど出回っていなかったので、耐える事ができた。それでも日に日に絶影に対する想いは強まるばかりだったが……ちなみに絶影という存在がこれほどまでに謎に包まれているのは、どこぞのおっさんが「息子のプライバシーを守るため」と張り切ったせいである。
「ッ!エーテリアス……ビリー。構えて」
「了解!」
もう少し、あともう少しで絶影に全てを捧げる事が出来る。でも、まずはこの危険なホロウを生き抜く事を最優先にしなければいけない。
気を引き締め直したアンビーは得物である電磁ナタを強く握りしめて、エーテリアスに向かって駆けた。
左右上下が目まぐるしく変わる。確実に嫌がらせとしか思えない裂け目に俺が飲み込まれてから、既に三十分は経っていた。
……いつまで移動するつもりだ?この裂け目。流石の俺でも吐くぞ?それに何か嫌な予感がする。具体的に言うとホロウとホロウの境界線を踏み越えているような、そんな感覚。空気を流れるエーテルの質が変わっているため、この感覚はおそらく間違いないと思う。
うんうんと、一人で頷いていると俺は何の前触れもなく、裂け目から放り出された。
おぉ!苦節三十分、とうとう俺は解放され—————そこで思考が止まる。
まず視界に映るのはどこまでも広がっていくような曇り空。視線を下にずらせば明らかに重力を無視して浮いている瓦礫やビルが目に映り、そのさらに下にやっと腰を落ち着けられそうな地面がある。言葉では到底言い表せない程、幻想的な光景。今居るのが空中で、このまま何もしなければ落下死するという状況でなければこの景色を楽しめていた。
「何でわざわざこんな空中に放り出すんだよ!」
俺の虚しい叫びは誰にも届く事なく、空間に溶け込んでいった。
不親切な裂け目に空中に放り出されてからしばらく。俺はやっとの思いで地上に着地する事に成功していた。危なかった、何しろホロウ内の空間は基本的にごちゃついてる。俺がいきなり裂け目に飲み込まれて、こんな所に来てしまっているのが良い例だ。
だから一歩進んだら全然違う場所でした、なんて事もザラにある。それは空中と言えども例外ではない。俺は二度も同じ轍は踏むまいと五感を限界まで研ぎ澄ませ、空中に良い感じに浮かんでいる瓦礫やビルを足場にして落下しながら、裂け目に飲み込まれないように体の向きや加速する方向を調整していた。正直めっちゃ疲れた。二度とやりたくない……まぁもう終わった事はいい。それよりも、
「ここはどこだ……?」
辺りを見渡しながら考える。なんか既視感あるんだよな〜。久しぶりに実家に帰省したような、そんな感じがする。めちゃくちゃに乱れた空間、重力を無視している建造物、そして——ふと殺気を感じて振り返る。そこには大小様々なエーテリアス達がいた。
「あ、思い出した。ここ零号ホロウか」
俺が昔、野宿していた場所。慣れ親しんだエーテリアスからの殺気で思い出した。懐かしいな。よく寝てる途中に襲撃されて、その度に寝る場所を変えていた。ついに安全な場所を見つけた時には拾ってきたソファとかを運んで簡易的な住居を作ったりしたっけ。
……いかんいかん、ノスタルジーに浸ってる場合じゃない。まず目の前のコイツらと戦わなければ。そうして懐から愛用の直剣を取り出した所で———————いつの日かのおっさんとの会話が思い起こされる。
「いいか、クロウ。ホロウ内では極力戦闘は避けろ。もちろん、依頼に関する事とやむを得ない場合は別だがな」
「何故だ」
場所はルミナスクエアにある喫茶店、その中の二人掛けのテーブル席。俺達はそこで一緒にコーヒーを嗜んでいるという格好だった。昼時だという事もあって、店内は活気に満ち溢れている。俺はこんな白昼堂々と取り引きをして大丈夫か、と思ったがおっさん曰く「人は自然なものには気を払わない。それにここなら会話を聞かれる心配もない」との事なので大丈夫らしい。時々このおっさんは分かるようで分からない事を言ってくる。
……なお、おっさんのこの目論見は少し外れてしまっている。その証拠に店内にいる人々、主に若い女性達がチラチラとクロウ達が座っているテーブルを横目に見ていた。クロウは自身の見た目に頓着しないため気付いていないが一般的に見て、とても魅力的な外見をしている。整った顔立ちに血のように輝く赤い瞳。体を覆い隠すように少しサイズの大きいパーカーとズボンを着ているため、見る人が見れば驚愕するであろう筋肉質な体も普通の人から見れば身長が高く、細いという理想的な体型にしか見えない。対するおっさんは革靴にスーツという、一見どこにでも居そうな格好をしている。だが元は大企業の重役、今では裏社会の重鎮という異色すぎるキャリアの中で身についた威厳のようなものを知らず知らずの内に発してしまっていた。そのオーラたるやコーヒーを運びに来た店員の手が思わず震えてしまう程に凄まじい。
謎めいた美青年と、これまた正体不明のイケオジ。この不自然としか思えない二人組が共にコーヒーを嗜んでいる。注目されない訳がなかった。幸い、店内には多種多様な話し声が響いており二人の会話を聞ける者は誰一人としていない。
「お前は強い。しかし、その『強さ』も使い方を誤れば、大変な事になる」
「それが戦闘を避ける事と、どう繋がる」
「簡単な話だ。お前が本気を出せば、共生ホロウの一つや二つぐらい簡単に消せるだろう。もしかしたら原生ホロウですら潰せてしまうかもな」
おっさんはコーヒーを一口飲み、再度話し始める。
「しかし、だ。どのような形であれこの世に存在しているもの、それらをよく考えずに消す行為は必ず災いを招く。ホロウの例で言えば、お前が共生ホロウを消した瞬間にホロウ調査協会を始めとする公的機関がすぐにその事を察知するだろうな。晴れて、お前はホロウレイダーから指名手配犯にジョブチェンジ、というわけだ」
「そこまでいかなくとも、エーテリアスを手当たり次第に狩るだけでホロウ内のエーテルの活動は低下する。つまり異変を察知したH.A.N.D.の特別行動部が飛んでくる事になる。最悪の場合対ホロウ六課、虚狩りが来るぞ。お前だって星見家の天才と鬼ごっこがしたいわけではあるまい」
「……だが、それはエーテリアスを数百体規模で狩った場合の話だろう?数十体程度なら何も影響は無いと思うのだが」
そう言って、俺は少しぬるくなったコーヒーに口をつけた。うん、美味しい。
「その数十体の中にホロウの核となるエーテリアスが紛れていたらどうする?どれほど強大なエーテリアスであろうと、お前にとっては単なる獲物に過ぎない。気付かない内に狩ってました、なんて洒落にならないぞ」
「買い被り過ぎだ。俺にだって狩れない相手ぐらい……多分いる」
そういえば、俺は今まで自分より強いエーテリアスと戦った事が無いな。まだ戦闘に不慣れだった時に苦戦した事はあったが……『敗北を知りたい』とかフラグを立てたら、現れてくれるかな?
「兎にも角にも、ホロウ内では最善の注意を払え。一つの判断ミスが大きな面倒事に発展する、そんな場所だからな。流石の私でも、対応出来る限度というものがある」
「分かった。要はエーテリアスを狩り過ぎないようにって事だろう?肝に銘じておく」
「……私はお前にあまり面倒事に巻き込まれないようにしろと伝えたかったのだが」
「?何か違うのか」
「……もういい、とりあえず気を付けろ。これから騒がしくなるぞ」
俺は一言一句聞き逃さず、おっさんの話を聞いていたはずなのに何故か会話が噛み合わない。
……まぁいいか。ここは心配そうなおっさんを安心させる事を優先しよう。
「心配するな。こういう時は案外何も起きない」
「……だと良いがな」
なおも眉間に皺が寄ったままのおっさん。それを不思議に思いながら、俺はコーヒーを飲み干す。
まぁ、大丈夫っしょ。現実はこのコーヒー程苦くは無いはずだ………………俺、今結構上手い事言えたな。これは幸先が良いのではないか?
あまり上手くない例えを言った罰なのか、この一週間後クロウは治安局の特務捜査班に追いかけ回された。
思考が現実に戻る。見れば、目の前には少なくとも十体以上のエーテリアスがいた。たぶん、この集団を倒し切ったとしても、戦闘音を聞きつけた別のエーテリアスの集団が現れるだけだろう。そうなればイタチごっこだ。なら、別の集団が現れる前に目の前の集団を片付けるか。いや、これもダメだな。俺の今持っている武器は愛用の直剣一本だけ。この直剣は特別高価でもないため、戦闘の衝撃に耐えきれず壊れてしまう可能性がある。それに根本的な問題として、俺はおっさんにあまりエーテリアスを狩り過ぎないように言われている。俺もわざわざ薮をつついて蛇を出したくはない。となれば、
「三十六計逃げるに如かず!」
俺は鈍器のような腕で殴りかかってきたエーテリアスの首をサクッと落とすと、踵を返して脱兎の如く駆けたのであった。
俺がエーテリアスの集団から逃走して、数十分後。状況は徐々に悪くなっていた。理由は単純、外に繋がる裂け目は見当たらないくせに、確実にホロウの深部に飛ばされる空間の歪みばかりが目の前に現れるからだ。今も目の前に突如として出現したものを間一髪で避けた。
それにこれだけ派手に動き回っているのだ。当然エーテリアスに気付かれまくっている。追いつかれる事は無いが、常時周りから不気味な叫び声が聞こえるというのはあまり心地の良いものでは無い。とうとう俺は、周りがそれなりに高いビルに囲まれた空き地、つまり袋小路に行き着いてしまう。
不味いな。ビルを駆け上がって逃げるのは容易いが、その間に遠距離攻撃を持ったエーテリアス、例えばタナトスなんかが来たら最悪だ。アイツが高速で撃ってくる矢を避けながら、異常な空間の歪みに飲み込まれないようにしながら、外に繋がる裂け目を探りながら、ビルを駆け上がる。とかいう言葉に表すだけでも面倒くさくなってくるような事をしなければならない。それにこれは俺の勘だが、この近辺に外に繋がるような裂け目は無い。つまり、俺が前述した面倒くさい工程を上手くこなしても、状況は何も変わらない可能性が高い。
あれこれ考えている内に、ついにエーテリアスの一団が俺に追いついてしまう。その中にはあまり来て欲しくなかったタナトスの姿もある。徐々に狭まる包囲網。それに伴い高まる緊張感のようなもの。しかし、俺の思考はそれに反比例するかのように冷めていく。
……なんかアホらしくなってきたな。そもそも、俺はなんでエーテリアスから逃げているんだ?あぁ、そうそうエーテリアスを狩り過ぎると色々面倒事が起きるから依頼に関係の無い狩りは慎もうね、みたいな話だったな。けれど俺はまだおっさんに今回の依頼——クリティホロウにいるハティを狩る事——の達成を報告していない。つまり、依頼を完遂する為にはここから脱出しなければならないのだ。
だったら、いいよな?
これは『依頼に関係のある狩り』なのだから。
俺が一人だという状況だけで勝ちを確信しているエーテリアスの一団。その内の一体、片腕が長いブレードと化しているエーテリアスが飛びかかってくる。俺はソイツの横をすり抜けるようにしてかわしながら、持っている直剣で胴を薙いだ。真っ二つになり、その数秒後に塵となって消えるエーテリアスの体。その光景を見て、他のエーテリアス達が気圧されたように固まる。
戦いは大抵の場合数で決まる。だが、それは
「ヒャッハー!よくも散々追いかけ回してくれたな!今度は俺の番だ!その首、置いていけ!」
である。
「月城さーん、もう任務は終わりましたよねぇ。何でまだ僕達はホロウにいるんですか?僕のか弱い体はもう限界ですよ」
頭に黄色のハチマキを巻いた青年——浅羽悠真がオヨヨと泣き真似をしながら言う。『月城さん』、そう呼ばれた薙刀を持った桃色の髪の女性——月城柳はそれに対して、いつもの事なのか特に反応せずに返答する。
「その様子ならまだ大丈夫そうですね、浅羽隊員。何故ホロウから脱出しないのかについてなのですが、先程本部から通信があったからです。『零号ホロウの一区画でエーテル活性が急激に低下している。至急現場の確認ないし対処に当たれ』、と」
「成程、ここは零号ホロウにほど近い共生ホロウ。それで我らに白羽の矢が立った、という訳か」
持っている見事な刀。その刀身を見つめながら、狐耳の生えたシリオンの女性——星見雅が冷静に状況を分析する。
「任務?蒼角、まだまだ動ける!」
鬼の角のようなものが二本、額に生えている青肌の少女——蒼角が元気一杯という感じで言う。それによって少しばかり場の空気が和む。
「皆さん、すみません。いきなりこのような事になってしまって」
「案ずるな。それにホロウ内の秩序を保つのも、立派な職務の内の一つだ」
「課長の言う通りですよ、月城さん。でもそれはそれとして一秒で却下してきた、僕の休暇申請の件。考え直して下さいね?」
「……浅羽隊員」
「ちょっ、何でそんな目で見るんですか!?やめて下さいよ!?」
「……お前達の掛け合いは見ていて飽きないが、柳。そろそろ行かなければならないのではないか?」
雅が脱線しかけた話を戻す。それによって先程まで緩やかだった空気がピンと張り詰めた。柳が咳払いを一つしてから話し始める。
「キャロットのデータによると、ここから少し先にある裂け目。そこを通れば、今現在異常が発生している零号ホロウの一区画に着きます」
その裂け目に向かって進みながら、柳がさらに説明をする。
「我々の目的はそこでエーテル活性低下の原因を探り、可能ならば対処する事です。本部からの情報によれば前例のない速さで急減している、とのこと。気を引き締めていきましょう」
「分かった!ナギねえ、ハルマサ、ボス、頑張ろうね!」
蒼角の裏表の無い、可愛らしい言葉にそれぞれが三者三様の反応を見せる。
「えぇ、頑張りましょう」
柳は慈しみに溢れた表情を。
「蒼角ちゃんにそんな事言われたら、僕も頑張るしかないなぁ」
悠真はいつもの余裕そうな表情のまま。
「あぁ、よろしく頼む」
雅はいつもの無表情で。
そして一行は件の裂け目に到着する。
「さーて、鬼が出るか蛇が出るか。課長、どっちだと思います?」
「出てくるのが何であろうと、それが悪ならばこの刀の錆とするだけだ。さぁ、行くぞ。これより我ら『対ホロウ特別行動部第六課』、任務を開始する」
そうして対ホロウ六課は裂け目を通り、零号ホロウに足を踏み入れた。
「うーん……なんか拍子抜けしちゃうなぁ」
零号ホロウに足を踏み入れた対ホロウ六課。しかし、ホロウ内の様子は普段とは少し違った。エーテリアス達が発する不気味な唸り声、ホロウの中にいる以上必ず聞こえるはずのもの。それが今は聞こえず、代わりに静寂が辺りを支配している。当然エーテリアスの姿は影すら見当たらない。
「悠真、気を抜くな。無尾が僅かに震えている。こんな事は初めてだ」
雅が鋭く辺りに視線を這わせながら言う。その言葉の通り彼女の刀、『骸討ち・無尾』は僅かに振動していた。
「ナギねえ……なんだかヘンな感じがするよ……」
蒼角が不安気に周りを見回しながら、持っている刃旗を強く握りしめる。
「蒼角、私達からあまり離れ過ぎないようにして下さい。課長、何か分かりましたか?」
「すまないが、まだ何も——」
そこまで言いかけたところで、彼女の狐耳がピクッと動く。同時に柳も何かに気付いた。
「課長、今……」
「あぁ、微かにだがエーテリアスの声が聞こえた。こちらだ」
「蒼角、浅羽隊員、行きますよ」
そう言って雅と柳は駆け出した。慌てて、残りの二人もついて行く。
しばらく駆けている間に、悠真と蒼角にもエーテリアスの声が聞こえてきた。そして、六課は曲がり角を曲がった先の開けた場所に出る。そこには確かに十数体のエーテリアスがいた。ティルヴィングを始めとする一般的なエーテリアスが数体。そこにファールバウティ、タナトス、デュラハン、ハティ、というH.A.N.D.の精鋭でさえ苦戦するであろうエーテリアス達が紛れていた。
そして————
「あれ?あそこに人いません?」
こちらに背を向ける形でエーテリアス達と向かい合う、全身黒づくめの男がいた。右手に剣を持ち、少し脱力している。着ているロングコートで覆い隠されているが、筋肉質な体を持っている事は容易に分かる。と、次の瞬間、通常のエーテリアスの倍以上ある巨躯を持った、ファールバウティと呼ばれるエーテリアスが男に襲いかかった。
反射的にそれぞれが得物を構え、助けに行こうと走り出した所で————思わず足を止めた。
その男は地面に拳を打ちつけるようなファールバウティの攻撃を難なくかわすと、逆にその拳を足場にして跳躍する。瞬時にファールバウティの真上の空中に移動した男は凄まじい勢いで落下し、そのまま手に持っている剣で上からコアを串刺しにした。ファールバウティが断末魔の声すら上げる事なく塵となって消え、それと同時に男が地面に降り立つ。それから一呼吸の間すらなく、ハティがその自慢の牙を男に突き立てようと真正面から飛び掛かる。それを男は少し後ろに下がるだけでかわした。虚しく空を切るハティの牙。そして男はまるで差し出されたかのように目の前にあるハティの首を一瞬で斬り落とした。
ほんの数分にも満たない時間で強力なエーテリアス二体が消滅した。あの雅でさえ目を見開いて、両断され塵と化しつつあるハティを凝視している。そんな驚愕はエーテリアス達も同じだったようで、少しの間完全に動きが止まっていた。いきなり掻き消える男の体。次の瞬間、突如としてティルウィングの正面に現れ、目にも止まらぬ速さで剣を振り下ろした。真っ二つに両断されるティルウィング。それを見てようやく他のエーテリアス達も動き出した。しかし、それで何か変わる訳でもない。男の残像すら見えないような剣の速さにエーテリアス達は成すすべもなく斬られていく。最後に残ったのはタナトスとデュラハンのみ。二体は仲間を次々と斬っていった悪魔に一矢報いようと、攻撃を開始する。タナトスが前傾姿勢となり力を溜める。その間にデュラハンが盾を構え、男に突進した。防御と攻撃が合わさっている理論上は完璧な一手、
必殺の一撃を易々と受け止められ、動揺するタナトス。そして慌ててマントを翻し、距離を取った。近付くのは危険と判断したタナトスは遠距離から男を仕留めようと腕を前に突き出し、矢を放とうとした所で男の姿がいつの間にか消えている事に気付く。どこに行ったのかと視線を辺りに向けようとして—————胸に衝撃が走る。視線を下に向ければ鈍い鋼色の剣、それが自身の胸を貫いているのが見えた。ゆっくりと後ろを振り返る。フードの下からでもはっきりと見える、鮮血のような赤い瞳。それがタナトスの見た最後の光景だった。
あとに残るのは張り詰めた緊張感と痛いほどの静寂のみ。
「……鬼が、出たな」
雅の呟きに反応するかのように、男が六課の方を振り向いた。
数十体ものエーテリアスが一人の人間に傷一つ付ける事無く、逆に殲滅された。流石の六課でもこれには衝撃を受けたようで雅は鋭い視線で男を観察しており、悠真は余裕そうな表情をしているが、二振りの刀を合体させた弓からいつでも矢を打てるように身構えている。蒼角は男を怖がり、柳の影に隠れるようにし、柳もまた蒼角を守るように立っている。まさに一触即発な空気。しばらくはただお互いに睨み合うだけの時間が流れる。そんな状況で一番最初に口火を切ったのはやはりと言うべきか柳だった。
「我々はH.A.N.D.所属の遊撃部隊です。ホロウ内のエーテル活性が急激に低下した原因を突き止めるためにこちらに参りました。単刀直入に言います。ここら一帯のエーテリアスを全て掃討し、エーテル活性を低下させたのはあなたですね?」
「……あぁ」
「どのような目的で行ったのか、伺ってもよろしいですか?」
「道を切り開くためだ」
「道を、切り開く?」
「そうだ。俺にはすべき事がある。それを果たそうとしたら、エーテリアスに横槍を入れられてな。やむを得ず自衛したという訳だ」
男の意味深な言葉に対して、柳の思考が様々な考察を導き出し始める。そして普段の態度とは裏腹に柳の事を全面的に信頼している悠真は、彼女が思考する時間を少しでも稼ぐために口を開いた。
「いやいや、エーテルの活動が低下するレベルまでエーテリアスを掃討しておいて、それが自衛のためだって?にわかには信じられないなぁ。それにあんた、ホロウレイダーでしょ?見た所、正規の職員って訳でもなさそうだしね」
「嘘ではない……俺がホロウレイダーである事は否定しないが」
「嘘ではないとしても、お前は現に無許可でホロウに立ち入っている。これは言い逃れの出来ない事実だ」
「………」
悠真と雅の見事な尋問により、男は二の句を告げれなくなる。
「って事で、どう?大人しく僕達に連行されてくれる?」
「さっきも言ったが、俺には目的があってな。それに……」
男が発する圧力のようなものが一段と高まる。
「お前達の目からは敵意が溢れている。悪いがそんな連中は信用出来ない」
「……その目的とやらを果たすためなら、争いすら厭わないと言うのか」
雅が、静かに言う。
「あぁ」
その瞬間、刀を鞘から抜いた雅が突然男に斬りかかった。男はまるでそれが分かっていたかのように、両手で握った剣でその斬撃を受け止める。刃と刃を交えた轟音と衝撃波が辺りに広がる。
「雅!?」
いつもの呼び方すら忘れ、思わずそう言ってしまう柳。
「柳、この男は危険だ。よって今すぐ制圧すべきと判断した」
雅が男と鍔迫り合いをしながら、そう返答する。
「ですが———」
「副課長!迷ってる暇無いですって!課長が飛び出しちゃった以上、僕達は援護に回らないと!あぁもう、あの人一体何考えてんだか!」
弓に矢を番えながら、ヤケクソ気味に叫ぶ悠真。それを見て柳も覚悟を決める。
「……ッ!蒼角、行きますよ!自分の身の安全を第一にして行動して下さい!」
「うん!分かった!」
もう既に、何合と斬り結んでいる雅と男の方へ二人は駆け出した。
雅が横一文字に刀を振る。神速の一撃は、男が少し上体を逸らすだけで空振りになった。瞬時に繰り出された斬り下ろしも男は半身になる事によってかわす。そこに柳の伸縮自在な薙刀からの鋭い突きが殺到する。男はそれすらも見切り、片手に持った直剣で全て弾いた。しかし、それで終わる六課ではない。雅と柳の猛攻により少し体勢が崩れた男に蒼角が巨大な刃旗を振り下ろす。男はその当たれば地面に叩き潰されそうな攻撃を横に移動する事によって避けようとするが、それを予測していた悠真が既に矢を、男が移動しようとした先に放っていた。ゆえに動きが止まる男。そこに斜め上からは蒼角の刃旗が、さらに正面からは雅と柳の斬撃も迫っており、回避は間に合わない。まさに絶体絶命の状況。だが六課が普通では無いのと同じようにこの男もまた常人離れしていた。男は雅と柳の斬撃を右手の直剣で受け止める。そしてなんと蒼角の高速で振り下ろされる刃旗を左手で掴む事によって止めた。おおよそ人体から鳴るべきではない不気味な音が刃旗を受け止めた手から鳴り響く。それと同時に地面にめり込む男の足。
「えぇ!?蒼角の攻撃、うけとめられちゃった!?」
「……H.A.N.D.は野蛮な連中の集まりなのか?」
男が右手の直剣で雅の刀と柳の薙刀を受け止め、左手で蒼角の刃旗を掴みながら呆れたように言う。男がそう言っている最中にも悠真の矢がその顔目掛けて飛来しており、それを首を傾ける事によってかわしていた。
「否。我らはこの都市の危険因子となり得る存在を捕らえようとしているだけだ」
「酷い言われようだな」
その問答の間にも男にかかる物理的な圧力は徐々に増していく。それに比例するかのようにさらに地面にめり込んでいく男の足。逃れようにも悠真が常に睨みを利かせているため、迂闊には動けない。そんな状況の中でも男は息一つ乱さず話し始める。
「だが何度も言っているだろう?俺にはすべき事があると。もう忘れたのか?従って、お前達に捕まって時間を食っている暇は無い」
そう言い終わった直後、男が左手と直剣を一気に上へ押し上げた。その化け物じみた力に雅、柳、蒼角の全員の腕がかち上げられ、大きな隙ができる。しかし男は三人には目もくれず、離れた場所にいる悠真に向かって突進する。新エリー都の最高戦力と言っていい仲間三人が一斉にかかっても、決着をつけられなかった相手。それが今、自分の元へ向かってくる。接近戦は不利と判断した悠真は瞬時に弓に矢を番え、牽制の一手を放とうとして————視界から男が消えている事に気付く。
「悠真、後ろだ!」
雅の声に反応して悠真が反射的に後ろを振り返ると、いつの間にか背後に回り込んでいた男が今まさに跳躍しながらの回し蹴りを自身に喰らわせようとしている所だった。防御は間に合わない、悠真はそう直感したがそれでも弓に変形させていた二振りの刀をバツ印に交差させるようにして男の蹴りを受けようとする。案の定、防御の体勢を整えるよりも前に男の蹴りが悠真に届きそうになるが、そこで男の動きが空中で不自然に止まる。そして丁度刀を交差させた瞬間、まるでそこに吸い込まれるかのように男が蹴りを放った。刀を通してもなお伝わってくる、決して少なくない衝撃により吹き飛ばされる悠真。しかしそれから数秒もしない内に他三人に受け止められた。
「浅羽隊員!大丈夫ですか!?」
「副課長、僕は平気です。それよりも———」
悠真が急いで再度合体させた弓を構えようとするが、もう遅い。
「時間切れだ。じゃあな、機会があればまた会おう」
そう言って男は忽然と姿を消した。まるで最初からそこにいなかったかのように。戦闘の余波によってできた、地面のひび割れや斬撃の跡だけが男の存在を証明していた。
「……逃げられたか」
雅が刀を鞘に納めながら言う。
「あーあ、これ僕が追わないといけないやつですか?」
「いえ、浅羽隊員。その必要はありません。まず一度本部へ戻り、この事を報告しなければいけませんから。それに………皆さんお疲れでしょう」
気だるげに質問した悠真に、今回ばかりはねぎらいの表情を浮かべた柳が優しく返答した。それを聞くや否や、ここが危険なホロウである事すら忘れて同時に地面に座り込む悠真と蒼角。
「はぁぁ……ていうか、あの男は何なんですか月城さん!蒼角ちゃんの攻撃を素手で受け止めるとか人間辞めてますって!」
やっといつもの調子に戻った悠真が男の理不尽さに改めて怒りを露わにする。その意見に珍しく雅も同意する。
「あぁ、悠真の言う通りだ。あの男、本当に鬼なのかもしれない」
「鬼?じゃあ蒼角と同じだ!」
「蒼角ちゃんさぁ……そんな嬉しそうに言う事でもないよ?」
何故か嬉しそうな蒼角に対して、
「鬼……もしかして」
「柳、何か分かったのか」
「『絶影』、という名のホロウレイダーを知っていますか?どこからともなく現れてはエーテリアスを狩り、そして去っていく。その強さから『鬼神』と例えられる事もあるそうです。それに先程の姿は、目撃された外見とも一致していました」
「そうか、奴が……」
「課長もご存知で?」
「以前、治安局の捜査官で私の旧友でもある朱鳶に言われたのだ。恐ろしく腕が立つホロウレイダーだと」
「あぁ、その話しなら僕もセス……馴染みの治安官から聞いた事があります。『まったく歯が立たなかった』ってそれはそれは悔しそうな様子でねぇ」
そこまで話した所で全員が黙り、沈黙が場を支配する。三人の考えている対象(蒼角はゴハンの事を考えている)は同じ。雅は斬る事に特化したようなその剣の腕を、柳は冷静に最適解を選ぶその思考を、悠真は圧倒的な気配を瞬時に消すその隠密力を。それぞれが違う観点から絶影を脅威とみなす。そして謎に包まれた絶影の目的とは。
この日、六課と絶影との間に軽い因縁のようなものが生まれた。六課から絶影への半ば一方的とも言える執着。それがこの先の状況にどう関わってくるのか、それはまだ誰も知らない。
逢魔が時、世界が闇に包まれるまでのほんの一瞬。いつもの見慣れた道を夕日が赤く染め上げる。そんな中を一人の青年が歩いていた。古びたロングコートを着込み、歩みを進める姿からは一種の形容し難い威圧感が感じられる。ホロウ内ではいつも目深に被っているフードを今は外しているので黒髪と鮮やかな赤い瞳がよく見えた。
夕日に照らされた道を歩く、謎めいた青年。聞こえも良いし、見た目も良いが決して騙されてはいけない。何故なら———-
青年がいきなり立ち止まり、キョロキョロと辺りを見回し始める。そして付近に誰もいない事を確認すると、
「やっと帰って来れたぜえええぇぇぇ!!」
いきなり叫んだ。青年の名前はクロウ、裏社会での通り名は絶影と言う。そして度重なる不幸によりホロウを丸一日中彷徨い続けた、可哀想な奴でもある。
どうも危うく捕まりかけた伝説(笑)のホロウレイダー、絶影です。いやマジでギリギリだった。狐耳が生えている女性が一番ヤバかったが、それ以外の三人も全員手練れだった。特にあの鬼の角か生えている子、可愛い顔してとんでもない一撃を叩き込んできた。まだ少し左手に痺れのようなものが残っているくらいだ。こりゃ本気になられる前に逃げて正解だったな。まさかあんなに都合の良いタイミングで外に繋がる裂け目がすぐ近くに発生するとは。まずそこからホロウの外へ脱出、もちろんそこから六分街に帰る道なんて分からないのでおっさんに連絡して電話越しに道案内をしてもらった。そうして俺はついに六分街に戻って来れたのである。ガハハ!万事解決とはこの事よ!
………嘘だ、全然万事解決してない。おっさんには、クソでかいため息をつかれた後に「……落ち着いたら詳しく状況を説明しに来い」と言われた。怖い。
何故こんな事になってしまったのか、時は俺が零号ホロウでエーテリアスに追われている最中にハイになった所まで遡る。あの後、立ち塞がってくるエーテリアスを「少しくらいなら」と、全て問答無用で斬りまくった。
最初は良かった。エーテリアスが現れてもすぐに片付け、その後落ち着いて無数にある裂け目の吟味をした。だが、そこで俺は根本的な問題に直面してしまう。どれだけ探しても外に繋がる裂け目が見つからなかったのだ。よって俺は永遠とホロウを歩き続ける羽目になる。
次こそは次こそはと、ギャンブルにのめり込んでいくような気持ちで『裂け目ガチャ』を回し続ける。当然、今更後には引けないので遭遇したエーテリアスは全て狩った。しかし、どれだけ歩き回っても外に繋がる裂け目は現れず、エーテリアスの死骸ばかりが積み上がった。『裂け目ガチャ』大爆死である。そうこうしている内にH.A.N.D.の遊撃部隊とか言う明らかにヤバい集団を呼び寄せてしまった。そこでも俺は選択を誤る。「家に帰りたいのに帰れません」というのが恥ずかしくてなんか意味深な事を言ってしまったのだ。正直その時の俺はいきなり人が現れて混乱していたため、あまり会話の内容は覚えていないが突然狐耳の女性が斬りかかってきたあたり、大分不味い返答をしたのだろう。最終的に外に繋がる裂け目が近くに現れたのは俺が彼女らとドンパチやってる真っ最中であった………もうちょっと早く出て来てよ。
以上が俺のやらかしの全てだ。また後日おっさんにこれらの事を説明しなければならない。まぁまず確実に叱られるだろうな……はぁ。
そんな事を考えながらトボトボと歩く。俺の気分が限界まで沈むのと、今の家であるビデオ屋『ランダムプレイ』に辿り着くのは同時だった。
……今は何も考えずに寝よう。もう疲れた。
今日はしっかりと持ち歩いていた鍵を、ポケットから出して扉を開錠する。そしてどこか懐かしさすら込み上げてくる室内に入ったタイミングで———————
『何だこれは!』
可愛らしいボンプが寝ていたレジのすぐ隣の扉。そこからアキラの叫び声が聞こえてきた。束の間、迷う。ここに居候する事が許された日、アキラとリンに他の部屋なら自由に立ち入っていいがこの部屋だけは絶対に入らないように、と真剣な表情で言われた。しかし、あのいつも冷静沈着なアキラが部屋の外まで聞こえる程、声を荒げる事態。
……躊躇している暇は無いな。俺は大股で扉に向かって歩を進めると、未だ心の中に少しある迷いを消し飛ばすように扉を開けた。
「アキラ!大丈夫……か」
決死の覚悟を持って部屋に飛び込んだ俺。しかし、そこから見えた景色は想像とはだいぶ違った。まず目に入るのは座り心地の良さそうなソファとその上で寝ているボンプ。そしてそれに対面する形で置かれているテレビ。ここまではごくありふれたビデオ屋のバックヤードという感じだ。けれど、横を見ればそんな印象は丸ごと吹き飛ぶ。
壁一面を覆い尽くすモニター、そのすぐ目の前の机に置いてある用途不明な様々な機器。
そして極め付けは———
『Ⅲ型総順式集成汎用人工知能、Fairyです。こんにちは、マスター』
なんかモニターの中の目玉が喋った。
「えぇ……?どゆこと?」
度重なる情報の洪水により思わず困惑の声を上げてしまう。俺の声に反応して二人が振り返った。
「おかえり、クロウ。ひとまず話しは後で良いかな?僕もあまり状況が飲み込めていなくてね」
アキラが少し困ったような微笑を浮かべながらそう言う。
「あ、あぁ」
何とか返事をすると二人は再度目玉の方を向き、何やら話し込み始めた。一人立ちすくみながら考える。これ、無かった事にならねぇかな、と。ワンチャン、今のうちに部屋から出てけば全ては元通りになるのでは?よし、そうと決まれば早速行動しよう。俺は二人にバレないように静かに後退りを開始する。そして俺の手がドアノブにかかったタイミングで——————
「クロウ?まさか逃げるつもりじゃないよね?」
リンがゆっくりとこちらを振り向きながら言ってきた。同じくアキラもニコニコとした笑顔のまま、無言でこちらを見ている。俺は神速でドアノブから手を離した。
「そんなわけないだろ」
「そう。ならいいや」
そう言って再度目玉との話しを再開する二人。俺は逃げる事を諦めて、言い訳を考える事に集中した。
モニターが暗転し、場が静寂に包まれる。どうやら話しは終わったみたいだ。
「さてと……改めて、おかえりクロウ。今日は早かったね」
「……あぁ、色々あったけどな」
「無事に帰って来られたようで何よりさ……それじゃ、本題に入ろうか」
「あー……俺は何も見てないし、聞いてない。どうだ?これで許してくれるか?」
俺の願いも虚しくアキラは話しを進める。
「それはちょっと無理があるかな。単刀直入に言うね。僕達は非合法なホロウの案内人であるプロキシで、業界の中ではそこそこ有名な『パエトーン』なんだ」
アキラが世間話をするかのような気軽さでとんでもない爆弾を落とした。
「ちょ、ちょっとお姉ちゃん!?」
これには流石のリンも驚いたようで、アキラを引っ張って部屋の奥に連れて行く。内緒話ってやつだな。耳塞いどこ。
「リン、どうしたんだい?」
「どうしたもこうしたもないでしょ!いきなりカミングアウトするとか何考えてるわけ?それにパエトーン
リンがジト目でアキラを睨みつけながら言う。
「おやおや、ならリンはどう考えていたのかな?ありきたりなラブストーリーのように、互いの気持ちを確かめ合いながら少しずつ打ち明けるべきだったと?」
「そうは言ってないけど……」
そこでアキラの瞳が暗く濁り、言葉にも熱が籠る。
「いいかい、リン。これはチャンスなんだ。今なら『秘密を守ってもらうため』という名目で彼をここに縛り付けられる。つまり永遠に一緒に暮らせるというわけだ」
「そんなに上手くいくかなぁ?クロウが「そんなの知るか!」って言って、逃げちゃうかもよ?」
「大丈夫。そんな事にはならない、彼は必ず僕達の手を取ってくれる」
「はぁ……分かった、お姉ちゃんを信じる」
「それでこそ我が妹だ」
二人は再びクロウの方へ行く。二人にとって人生がかかっていると言っても過言ではない話し合いを、再開するために。
おっ、話しは終わったみたいだ。俺は耳から手を離す。それにしても二人がプロキシでまさか、あのパエトーンだったとは……俺は感覚でホロウの道や裂け目の位置が分かるため、プロキシと一緒に仕事をした事は無いが噂なら聞いた事がある。何でも本来は不可能であるホロウ内外でのタイムラグ無しの通信が行えるとか。俺はあまりピンとこないが、おっさんが「凄腕のプロキシだ」と褒めるくらいなので、相当すごいのだろう。そんな一流のプロキシが、今目の前にいる見目麗しい姉妹だとは誰が想像できるだろうか。
「……一応聞くが、冗談ではないんだな?」
「まさか、全部本当だよ。もっとも、パエトーンとしての身分はさっき失ってしまったけどね」
マジか。どうやら俺がホロウの中で彷徨っている間に、彼女達は彼女達で大変な目に遭っていたみたいだ。あー……本当にやらかしたな、俺。開けるなと言われた扉を開けた結果、一生隠し通さないといけないような秘密を知ってしまった。アキラが何故打ち明けてくれたのかは謎だが……いや、もう呆れられているのかもしれないな。
『そこまでして僕達の秘密が知りたかった?……なら教えてあげるよ』
軽蔑する顔のアキラが見える見える……!
「それで一つ提案してもいいかな?」
あ、終わった。これ多分出ていけって言われるパターンだ。また宿無しかぁ。しょうがない、全部俺が悪いんだから。荷物は今なお懐にある、直剣一本と手入れ用具だけなのですぐに出発できる。金は……迷惑かけた代金として置いてくか。それなりの額はあったはずだからな。
「分かった。すぐにここを出て行こう」
「「……は?」」
次の瞬間、俺でさえ驚く程の速さで接近してくるアキラとリン、そして腕を組んできた。これが男なら誰もが一度は憧れる、両手に花ってヤツか———————とか言ってる場合じゃない!両腕が痛い!千切れる!
「やっぱり、こういう時のお姉ちゃんは信用できない。危うく逃しちゃう所だった」
「リン。すまない、今回ばかりは僕が間違っていた。さぁクロウ、寝室に行こうか」
なんか不味い!このままだと何か大切なものを取られそうな気がする!起死回生の一手を打たなくては待ち受けるは死のみ!
「待て、二人とも落ち着け。俺が出て行くと言ったのには理由があってだな」
光の無い瞳が二対、こちらをジッと見てくる。俺は冷や汗を流しながら、懸命に言葉を紡いだ。
「俺は入ってはいけないと言われている部屋に無断で立ち入り、二人の秘密を無遠慮に覗いた。二人だって不愉快な気持ちになったはずだ。普通なら、謝って終わりになるかもしれないが今回は秘密が秘密だからな。到底謝罪の言葉一つで許されるものではない。だから俺は責任を取るためにここから出て行く事にしたんだ。心配しなくても俺は口の硬さには自信がある。この秘密は必ず墓場まで持っていく。どうだ?分かってくれたか?」
ふー、言い切った。
「……つまり僕達の気持ちを考えた結果、出て行くという結論になったと?」
「当たり前だろ」
他に誰の気持ちを考えるんだ?
それを聞いたリンとアキラが話し始める。
「お姉ちゃん……」
「うーん………まぁ今回はセーフかな。逃げようと思っていた訳ではないのだしね………リン、僕の判断を信じてくれるかい?」
リンがたっぷり一分程考える。
「……分かった。ただし!もう失敗は許されないからね」
「分かっているとも。妹の器の広さに、姉として感服するばかりだ」
二人は俺の腕にくっついたまま話しているため、会話は丸聞こえである。しかし、俺は聞こえないフリをして審判の時を待つ。
「さて、クロウ。僕達の気持ちなのだけれど、キミにはこれからもここで暮らしてもらいたいと思っている」
「……いいのか?別に無理をしなくても———-」
「キミの居ない生活なんて想像できない、いやしたくもない。だからここに居て欲しいんだ」
アキラの言葉にリンも賛同する。
「そうだよ!あんたはもう私達の家族なんだからね!」
二人はさっきとは打って変わって、優しい笑みを浮かべていた。その顔を見て、俺は安堵から力が抜けそうになる。だが、まだ気を抜けない。言わなければならない事があるからだ。俺は自然な流れで二人から両腕を引き抜き、正面に回る。
「「あっ」」
「実は俺にも打ち明けなければならない大切な事がある」
それを聞いて、一瞬呆けていた二人の表情も真剣なものになる。
「俺はホロウレイダーだ。業界での通り名は絶影という。これまでの用事は全てホロウに関係するものだ。今まで黙っていて本当に悪かった。なんならさっきの言葉を撤回して、俺をここから追い出してもらっても構わない」
「「そんな事はしないよ」」
俺の不安を吹き飛ばすように二人が声を揃えて言う。
「さっきも言ったじゃん。クロウはもう家族だって」
「リンの言う通りだ。それに僕達は一流のプロキシだ。キミが何か隠している事くらい、お見通しだったさ」
「……知っていて、ここに住まわせてくれていたのか」
「キミが悪人じゃない事は短い付き合いでもよく分かったからね。ならあとは信じて待つだけだろう?
……まぁ、まさか『伝説のホロウレイダー』その人だとは思わなかったけれど」
「クロウ、あんたとんでもなく凄い人だったんだね……」
リンとアキラがしみじみと頷き合っている。
俺の一世一代の告白とでも言うべきもの。それは俺の予想に反して、とても……とても暖かく受け入れられた。思わず力が抜けて、床に仰向けに倒れ込んでしまう。
「ちょ、クロウ!?」
「どうしたんだい!?もしかしてどこか怪我をしているんじゃ……」
二人が血相を変えて、近づいて来る。それを何とか手で制しながら言う。
「心配するな、力が抜けただけだからな……それとアキラ、リン」
「ありがとう。こんな俺を、信じてくれて。受け入れてくれて。そして、これからもよろしく頼む」
二人が安堵したように微笑み、手を差し伸べて来る。
「「こちらこそ」」
俺は右手でリンの手を、左手でアキラの手を取り、立ち上がる。その手は想像よりもずっと、ずっと温もりに満ちていた。
「リン、役所に行って婚姻届を貰ってきてくれるかい?」
「……ハァ」