CHERNOLOGUE 登場人物
・
“超高校級のトラブルシューター”
“超高校級のスプリンター”
“超高校級のライダー”
“警視庁公安部公安機動捜査隊隊長”
“東日本の治安を守る自警団”
・
“超高校級のストライカー”
“超高校級のハンドラー”
・
“超高校級の令嬢”メイル・アリアンロッド
“超高校級の親衛隊”アイル・アルフェッカ
“超高校級の親衛隊”フラウ・アルフェッカ
・
“超高校級の画家”
・
“超高校級の僧侶”
・
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……
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……
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・
2028年。
エルサルバドルで発生したコロシアイ事案は、
首謀者である九道時雨子、並びに主犯であるアストル・ロア・ガルシアの収盤により幕を閉じた。
・
2030年。
当該事案発生当時、深層ウェブ上で配備されていた
コロシアイの視聴者のひとりだったメキシコ国籍の男が、
所属していた麻薬カルテルの構成員と共謀し、当該事案を模倣。
被害者は10~18歳の未成年者12名。このコロシアイも深層ウェブ上での配信が行われ、
視聴者からの投げ銭の額は、カルテルが一年がかりで稼ぐ額の倍以上を記録した。
これをきっかけに、カルテルは主要事業を麻薬や武器の取引からコロシアイの配信へと変更。
・
翌年以降、その配信を視聴していた他の組織が追従する形で、
深層ウェブ上でのコロシアイ配信が盛んに行われるようになる。
流行は中南米地域一帯のギャングやカルテル、犯罪組織の間で急速に広まり、
やがて北米や東南アジア、中東諸国の組織も参入。
麻薬や武器の取引に代わる新たな資金源として、広く定着した。
・
そして2035年、多くの組織が主要事業をコロシアイへと鞍替えしたことにより、
取引先を失った麻薬や武器の余剰在庫が価格を大きく引き下げられたうえで
中小規模の犯罪組織や未成年者に売り捌かれ、中南米や中東のみならず、
以前までは治安の良かった大国の都市部でも薬物汚染が広がり、
銃乱射事件が多発し始める。これは日本も例外ではなく、
主に中国を経由して持ち込まれた麻薬や武器が東京を起点に流通。
新宿区では、当時13歳だった児童6名が、上級生から購入した
・
当初はコロシアイ事案の摘発を最優先事項としていた各国政府や警察は
これらの事態を受け、方針を変更。
以前までは限定的な地域でのみ発生していた薬物汚染や、
銃乱射事件がほぼ世界全土で頻発している現状の早期終結を共通目標に据えた。
・
諸外国がこの方針に賛同する中、今世界が置かれている現状の遠因、
"人類史上最大最悪の絶望的事件”の爆心地である日本だけは首を縦に振らず、
依然としてコロシアイ事案への対処を最優先事項とし続けた。
しかし翌年以降、彼らの想定を上回る速度で、
日本国内での薬物汚染と武器の流通範囲は拡大。
刑事警察はほぼすべての人員をそちらに割くことを余儀なくされ、
コロシアイ事案への対処は、実質的に公安管察に一任される形となった。そして——
………………
…………
……
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……
…………
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2036年
11月19日-22時44分
・
東京、渋谷区某所の地下駐車場。
寿命を迎えつつある蛍光灯が明滅を繰り返す、頼りない光の下——
「はァ……ァ……ッ」
その男は肩で息をしながら、背後の柱に体重を預けて力なく項垂れていた。
額や顎の裂傷から流れ出る血が、投げ出された両脚の間に零れ落ちるのを眺めながら、
一歩、また一歩と近づいてくる足音に耳を傾ける——正しくは、
耳を傾ける“ことしかできない”。
彼の左脚は既に腓骨を折られ、右脚もアキレス腱が部分的に断裂している。
無様を晒しながらここまで逃げ仰せただけでも、自分を褒めてやりたいくらいだった。
やがて足音は止まり、人1人分の影が、男を照らしていた蛍光灯の光を遮る。
足の間の血溜まりから視線を外し、顔を上げた先に彼が見たのは、
「いい加減諦めろよ。もう動くのもしんどいだろ?」
拳を血に塗れさせたままこちらを見下ろしそう吐き捨てる、
“超高校級のトラブルシューター”
その頬を伝う返り血よりも赤く輝く、2つの瞳だった。
・
“コロシアイ事案”の発生件数は直近1年の間、日を追うごとに増加している。
しかし刑事警察は事案の直接摘発ではなく、
この増加の流れが始まる以前から国内で問題になっている、
犯罪組織の資金源がコロシアイに移行したことによる安価での薬物や武器の流通——
こちらに戦力を割いていた。結果的にコロシアイ事案への対処は公安警察が
請け負うことになったが、事案の増加に伴い薬物や武器の流通範囲は拡大し、
被害も甚大化。刑事警察だけでは力及ばず、
結果的には公安警察に頼らざるを得ない状況になっていた。
そうなれば必然、事案への対処を行う人員は不足し、
事態は悪化の一途を辿ることになる。
そこで一計を講じたのが、警視庁公安部公安機動捜査隊隊長、
彼女はこの年に希望ヶ峰学園に入学した生徒のうち、特に優秀な10人を選出。
面談を経て同意を得た上で、
コロシアイ事案への対処を行う公安機動捜査隊の傘下組織“特務生徒会”を編成した。
真名巳はその筆頭戦力にして、副会長。
彼女はこの日、他の生徒会メンバー2人、そして天坂たち機動捜査隊の面々と共に、
この地下駐車場の上階——“人類史上最大最悪の絶望的事件”を経て
廃墟と化したビル内で行われていた、コロシアイ事案の摘発任務にあたっていた。
参加者として巻き込まれたのは、10歳から18歳の10人の子供たち。
突入前の情報共有の時点で、生存者は4人。
そのうち2人を天坂たちが救出、一度ビルから出ようとしたところで、
待ち構えていた犯人グループとの交戦が発生。
なんとか場を制圧し抜け出すことに成功したが、この騒ぎに乗じて主犯の男が逃走を画策。
しかし不幸にも、動きを察知していた真名巳に地下駐車場で鉢合わせ、1vs1での交戦に。
10分に渡る殴り合いを経て、今に至る。
・
機動捜査隊の隊員の話では、救出された2人以外にビル内に子供の姿はなかったという。
事前の情報が間違っていたのか、あるいは——
真名巳は男と目線を合わせるようにしてしゃがみ込み、
彼の左脚、腓骨が折れて大きく腫れたそこに右手を置き、
ミシミシと握り潰す勢いで圧をかけながら詰め寄る。
「早く教えろよ。あとの2人はどこにいる?」
「——ッあぁ……大事な“商品”の保管場所を、ハハッ……そう簡単に吐くかよ」
男は痛みに顔を歪めつつ、不敵に口角を上げる。
その口から放たれた“商品”という単語に、真名巳の目尻がぴくりと動いた。
日を追うごとに激化するコロシアイ事案において、
犠牲になった参加者の遺体や身体の一部、また生き残った参加者“そのもの”が
高値で視聴者に買い取られる、というケースは、信じたくない話だが少なくない。
そしてそれは、敬愛する兄を死に至らしめた“コロシアイ”を心底から憎む真名巳が、
とりわけ嫌悪する行為だ。彼女は反射的に立ち上がり、
「——ッぐ、ぁ…………ッ!!」
右脚に全体重を乗せ、男の左脚を真上から踏み潰した。
既に折れている腓骨がさらにひしゃげ、皮膚を破ってその断面が露出する。
強がりが裏目に出て逃げの一手を失った男は脂汗を垂らしながら、しかし口角は下げないまま、
「……5000万だ」
そう唐突に呟いた。
・
「……上の階の隠し部屋に、現金の詰まった金庫がある。
そっから5000万やるから、俺を見逃してさっさと帰れ。
あのガキ共はせいぜい1人1000万、片方は傷物だからもっと安いかもな……
そんだけの価値しかないガキ共助けたとこで何になるよ。世の中結局、最後は金だ。
知り合いでもないガキ2人と、確実に手に入る5000万……どっちを選ぶ?」
唐突に提示された“5000万”という数字の大きさに、
さしもの真名巳も一瞬、動きが止まる。いくら“超高校級”とはいえ所詮は高校生、子供だ。
多少強引でも、話の主導権をこちらで握って転がしてしまえば、
このまま口車に乗せられる。上手くいけば“3人目”にすることも可能だろう。
“超高校級”というブランド品とあれば、軽く8000万は下らない。
そんな打算を漏らさないよう声色は一定に保ちながら、男が続ける。
「そもそも何が“特務生徒会”だよ……お前らまだ子供じゃねぇか。
なんでこんなとこにいる? なんで警察連中の言いなりになって、
こんな危ないことしてんだよ……大人として1つ忠告しといてやるけどな……
こんなことずっと続けてたら、お前も他の連中も、きっと後悔することになるぞ?
一度きりの青春を棒に振るなよ。子供は子供らしく……わがままに生きるべきだ。
欲しいものだってたくさんあるだろ。5000万もありゃ、
お前の欲しがるようなものはなんでも手に入る……な? だか「長ぇ」
男の饒舌な長台詞が、真名巳の短い一言と鈍重な衝撃音によって、強制的に中断された。
ビチャチャ——と、彼がもたれかかっていた柱に鮮血が飛び散る。
あまりの速度に一瞬認識が遅れたが、舌と唇を裂かれた痛みが、
大きく揺れた彼の脳を現実に引き戻す。
傷口から流れ出る血を手で受け止めながら顔を上げた先には、
振り抜いた右脚の先でタクティカルブーツを真っ赤に染めた真名巳の姿。
彼女はそのまま靴底で二発目を見舞い、柱に叩きつけられた男の首根っこを掴むと、
傍に停めてあった軽自動車のフロントガラスに向け、
「グ、ぁ……やめ——ッ」
頭頂部から、フルスイングで叩きつけた。
ガラスには蜘蛛の巣状にヒビが入り、瞬時に車内のエアバッグが作動する。
「…………ゥ」
真名巳が手を離すと男の身体は力なくボンネットを滑り落ち、
冷たいアスファルトの上へと投げ出された。
既に意識は飛んでいるが念の為、両手の親指を結束バンドで固定しておく。
「……別に私は、警察の言いなりでやってるわけじゃねぇよ。
なんつーか……ずっと癇癪起こしてるだけだ」
言いながら立ち上がり、ひび割れたフロントガラスに視線を落とす。
「それに、私の欲しいものはな——」
そして歪に反射する自分の顔に兄の面影を重ね、
「金をいくら積んだところで、到底釣り合うような代物じゃねぇんだわ」
男に、あるいは自分に言い聞かせるようにして、そう結んだ。
・
「……これか」
ややあって、先ほどの衝撃で吹き飛んだ男のスマートフォンを拾い上げた真名巳は、
彼の指を掴んであてがい
犯行グループの面々やコロシアイの視聴者たちとのやりとりが残された
メールのログを漁る中、件の2人の子供たちの“送り先”が記されたメールを発見した。
彼が真名巳と鉢合わせる前に先方に送っていたメッセージによると、
子供たちはワゴン車に乗せられ、今から10分前にこのビルを発っていたらしい。
ご丁寧に車にはGPSが搭載されていたようで、
その現在地は地図アプリを開けば分かるようになっていた。
本来であれば天坂と機動捜査隊の面々に一任するところだが、
今彼らは救出した2人を最寄りの病院に搬送しているところだ。
真名巳は青く点滅しながら地図上を動くアイコンから目を離すことなく、
自分のスマートフォンを取り出し耳に当てた。
「2人とも、仕事の時間だ」
・
22時58分
・
真名巳のいる廃ビルから少し離れた、広い国道を跨ぐ歩道橋の上。
手すりの上でしゃがんだ姿勢のまま「りょーかーい」と緊張感のない返事をするのは、
“超高校級のスプリンター”
最高速度63km/hを誇る、まごうことなき人類最速。
共有された地図情報を確認するとスマートフォンをしまい、
躊躇なく手すりから飛び降り国道に着地。
子供たちを乗せたワゴン車が進んで行った方角を振り返った。
・
「今日は出番ないと思ってたのに……」
“超高校級のライダー”
彼は般若間の降り立った国道からほど近い裏路地で、
真名巳との通話を終え小さくため息をつき、
愛機であるS 1000 RRを押して大通りへ。エンジンを静かに始動させ、
ヘルメットを装着した。車の現在地とその周囲の地図情報は、既に頭に入っている。
最短ルートを脳内でシミュレートし、規則的に響くアイドリング音を聞きながら、
シートに跨り息を整える。
・
般若間は軽くストレッチをして身体を伸ばし、クラウチングスタートの姿勢へ。
煤波羅はハンドルを握る手に力を込めつつ、顔を持ち上げた。
程なくして、無線の電源が入る。
「……っし。じゃ、競争しよっか」
両者それぞれの視線の先。暗闇の中でぼうっと輝く赤信号が——
「そういうんじゃねぇから……真剣にやれ」
青へと変わる。
瞬間、人類最速の脚が夜風を切り裂き、
黒い二輪が地面を疾駆する轟音が、各地点から鳴り響く。
特務生徒会が誇るスピードスターたちが今、渋谷の夜闇に解き放たれた。
・
23時13分
・
2人の子供を乗せたワゴン車は、速度を50km/hに保ちながら、
車通りのほとんどなくなった国道を進んでいた。
「ガキ2人売って2000万かぁ……そんだけあったら何買えるかなぁ……」
「気が早ぇよボケ。前見て運転しろ」
そもそも手に入った金は山分けにする予定だ。
運転手の男の妄言に呆れつつ、助手席の男がルームミラーを確認する。
「「…………」」
両手を縛り、後部座席を倒したスペースに寝かせてある“商品”に、
特段変わった様子はない。仕事は首尾よく進んでいる。あとはこのまま目的地に——と、
視線を前方に戻した男の視界の端に、白い影がちらりと映り込む。
「そーそー。脇見運転は危ないよ〜。いや免許持ってないから知らんけど」
「……は?」
影の正体は般若間。ワゴン車と“並走”しながら、窓越しの男の驚いた顔に、
ひらひらと手を振る。常識的にまずあり得ないその光景に、男たちは我が目を疑った。
「あぁッ!? 50km/hは軽く出てンだぞ! なんで追いつけるッ!?」
「——こいつアレだ。特務の! 確か超高校級の、えっと……スプラッター?」
「スプリンター!! ちゃんと覚えて〜!」
と、運転手の男の言い間違いに頬を膨れさせながら、般若間がさらに加速する。
そのままワゴン車の真正面に躍り出たかと思えば、
「よっと」
振り向かないまま跳躍し、ちょうど真下に滑り込んできた車の屋根に着地した。
パーカーのフードがバタバタとなびく中、
慎重に車両の後部へと移動し、リアゲートを開けにかかる。
「……ッ、まさか——」
何かが屋根の上を移動する薄い鉄板が軋むような足音から、
助手席の男が彼女の狙いを察知した。息を殺し、視線でその気配を追う。
・
「ん……あとちょっと……」
揺れるワゴン車の屋根の上、般若間が身を乗り出し、リアゲートの取手に手を伸ばす。
何度か空を掻いたのち、その指が取っ手に触れ——
「——ッ!!」
屋根の下から、耳をつんざく発砲音。
銃弾が、うつ伏せになっている般若間の左脇腹を掠めて飛んでいく。
「チィッ、外した……!」
助手席の男が、血の落ちてこない天井の穴を睨め付けながら再び銃を構える。
「やっばぁ……」
般若間が起き上がり体勢を整えようとするが、その間にも2発、3発と発砲は続く。
なんとか被弾は避けつつもジリジリと屋根の隅へと追いやられ、
彼女の動きが止まった気配を見逃さなかった助手席の男が、狙い澄まして引き金を引いた。
・
銃弾が天井を貫き、屋根の上の般若間の、その眉間を真正面に捉える。
「…………」
と同時に彼女は、しゃがみ込んだ姿勢のまま両脚の筋肉をさらに収縮させていた。
そしてそのまま上体を反らし、次いで両手を屋根の端から右、左と離していく。
「くッ…………」
銃弾がその胸元、顎、鼻先の数ミリ上を掠めていく感覚に冷や汗を滲ませつつ、
「——あッ!!」
両足に溜めたエネルギーを一挙に解放。
屋根を蹴飛ばして車体を揺らしながら、彼女の身体はワゴン車のはるか後方へ。
標的を見失った銃弾はそのまま空を貫き、国道沿いの標識にめり込んだ。
・
般若間は落下しながら「ごめんしくった! 一旦離脱〜!」と煤波羅に無線で伝え、
そのまま歩道脇の植え込みに墜落。「ふぎゃ!」という断末魔と共に、通信が終了した。
・
「……あーもう、先走りすぎだあのバカギャル!!」
予定外の展開の速さと般若間の無茶に、煤波羅が声を荒げながらハンドルを切り急旋回。
下道から国道へと、けたたましいエンジン音をさらに張り上げながら躍り出た。
・
23時18分
・
煤波羅の“ライダー”としての才能は、
そのスピードやライディングテクニックだけではない。
彼の“超高校級”たる所以、その才能の真骨頂は——
「……あと3分ってとこかな」
驚異的な“空間認識能力”。
建物、人物、木の枝の一本に至るまで、
周囲のオブジェクトと自分との位置関係を瞬時に、かつ正確に把握し、
既に頭に入っている周辺の地図情報と照らし合わせ、
目的地までの最短ルートをリアルタイムでマッピングすることができる。
普段のレースでは他選手との駆け引きや効率的なコース取りをする場面で
威力を発揮するこの能力だが、今宵の渋谷のような入り組み、
見通しの悪い立体的な立地でこそ、その真価は発揮される。
・
「コース取りのコツね……俺は正直感覚派だから、説明は難しいんだけど——
研ぎ澄ました肌感覚を、少しずつ広げていく感じに近いかな。
例えばペットボトルとか、何かを手に持つ直前って、
触る前から“なんとなく”ペットボトルの気配って伝わってくるでしょ?
その感覚をどんどん広げて、自分と近い場所にある物、
それに隣接してる物、さらにその近くの……って、
感じ取れる範囲を拡張していくんだよ」
「あとこれは周りに言ってもあまり理解されないし、
俺としても優先順位は低いと思ってるけど、
気温とか湿度なんかも絡んでくるかな。台風が来る前の日とか、ちょっと感覚鈍るしね。
でも逆に、冬の夜とか、空気が極端に乾燥してる環境だと——」
「自分でも驚くほど、周りの状況がよく“視える”」
——以上、某バイカー向け雑誌で特集された際のインタビュー記事より抜粋。
・
「…………よし」
煤波羅の新たなルート算出が終了した。さらに深くアクセルを踏み込み、
再び裏路地、住宅街へ。テールランプの赤い残光が、稲光のように
建物の隙間を立体的に縫っていく。そのまま、始業前の無人の工事現場に侵入。
高く組まれた足場をジャンプ台に、
「1分半……朝飯一品増やすか」
般若間を振り切りさらに加速していくワゴン車の後方100メートル地点の電柱に車体を寄せ、
手に持った“何か”を電柱に括りつけながら着地した。
すぐさま体勢を整え、車との距離を詰めにかかる。
・
「さっきのスプリンクラーのガキ、車ん中引きずり込めばよかったかな……
あの顔の上に“超高校級”だろ? 軽く億は狙えそうだよなァ」
「“スプリンター”だアホ。そりゃ需要はあるだろうが、
わざわざ戻って拾いに行くなんて真似はナシだぞ。時間厳守だ」
車内から漏れ聞こえる男たちの話し声に、煤波羅がサイドミラーの死角、
ワゴン車の真後ろに身を潜めながら、ヘルメットの奥で「おえぇ」と舌を出す。
そのままシートの上から手を伸ばし、
リアゲートの取手を掴む。が、内側から固くロックが施されているようだった。
これでは先ほど般若間の手が届いていたとしても、
子供たちを救い出すことはできなかったろう。
苦戦しているところを狙い撃ちにされるのが関の山だ。
取手の周りをよく見ると、既存の部品の代わりに仰々しい施錠システムが
後付けされている。なるほどこれは、人質の拉致や輸送に特化した改造車、というわけだ。
「……まぁ、そりゃそうか」
実のところここまでは、彼の想定の範囲内。
煤波羅は小さく呟き、いつの間に工事現場からひったくってきたのか、
長く頑丈な高所作業用ロープを手に取った。
そのままスロットルを固定してシートの上に立ち上がると、
走行するワゴン車との距離をミリ単位で合わせながら、
ロープ先端の大型のカラビナを、リアゲートの取手部分へガチャリと固定した。
そしてロープの伸びる先は彼の手の中——ではなく、
100メートル以上後方、彼が着地した地点に建つ電柱に、強固に縛りつけられている。
余った部分は道路の上でとぐろを巻き、
ワゴン車の加速に合わせてシュルシュルと引き出されていく。
「——さて」
カラビナと電柱を交互に見やり、首尾よく事が運んでいることを確認した煤波羅は、
ワゴン車の真後ろから外れて車の左後方へ。
車内の男たち2人は、この数秒の間に車の後ろで誰が何をしていたかなど知る由もなく、皮算用に精を出している。
そしてロープが限界まで張り詰め、一瞬の無音が彼らを包み込んだ直後——
「…………ッ!?」
金属がひしゃげるような轟音が、男たちの鼓膜と車体をを揺らす。
電柱から伸びるロープは完全に引き出され、
ワゴン車の推進力と、電柱の堅牢な支持力が拮抗し、
運転手の男が反射的にアクセルを踏み込む。そして——
渋谷の夜道に響き渡る、けたたましい衝撃音。
軍配は煤波羅の計略に上がり、小癪なロックで固められたリアゲートは文字通り、
見るも無惨に
・
火花を散らして道路を跳ねながら吹き飛んでいくリアゲートを、
深くバンクさせた車体で潜り抜け、煤波羅がワゴン車の真後ろへ再び舞い戻る。
舞い上がった土煙を掻き分けて顔を上げ——彼の目が驚愕の表情で見開かれる。
「あ…………」
リアゲートが取り払われ露わになった後部座席。
確かにそこには、2人の子供たちが寝かされていた——はずだった。
前触れなく開けた視界、突如吹き込んでくる夜風に思わず立ち上がった男の子が、
状況を理解できないまま腰を抜かす。そして折り悪しく、
ワゴン車が小さな段差に乗り上げた衝撃に突き上げられる形で、
後部座席からその小さな身体が投げ出された。
「やっべ——」
煤波羅がバンクの状態から急いで立て直そうとするが、
焦りで空回った腕がハンドル捌きを誤らせる。
そのまま車体は横転し、彼は宙を舞う男の子を、
道路に伏したまま目で追うことしかできない。
両手を縛られた状態のその身体は、受け身を取ることもできないまま、
硬く冷たいアスファルトへと——
「!?」
重力に従うまま叩きつけられたかに思われたその身体が、煤波羅の視界から消えた。
コンマ数秒遅れて、彼と車の間を一陣の風が吹き抜ける。
・
「…………ふぅ。間に合った」
歩道に面したゴミ捨て場。ゴミの詰まった袋の山に背中から突っ込み、
両腕で男の子を抱きかかえながら口角を上げるのは、
「痛いとこない? 大丈夫?」
放り投げられた植え込みからここまで約800メートルの距離を、
最高速度で“一直線にブチ抜いてきた”般若間供歌、その人だった。
男の子に優しく声をかける彼女の投げ出された足の先、
愛用しているランニングシューズの底は、
熱を帯びた煙とわずかな火の粉を纏っていた。
・
般若間は男の子の両腕を縛っていた縄を外して彼を煤波羅に預けると、
「じゃ、その子よろしくね」
「は?」
有無を言わさず、その視線を遥か遠く、既に見えなくなり始めているワゴン車へ。
煤波羅の返事も待たぬまま踵を返し、再びの暴風を巻き上げて彼らの前から姿を消した。
・
男の子の落下地点から北に500メートル地点。
男たちは“商品”の紛失に焦りつつ、速度を落とすことなく高速道路へと突入していた。
「チィッ……まぁいい。あっちのガキは傷物だったからな。
1人でも売れりゃあそれで十ぶ「残念だけど——」
「そうはさせない」と、聞こえるはずのない場所から聞こえてきた声に、
男たちが同時に振り返る。そこには、この500メートルをノーブレーキで駆け抜け、
三段跳びの要領で高速道路を跳躍、
空中で不敵な笑みを浮かべるスプラッター、否、スプリンクラー、否——
“超高校級のスプリンター”の姿。
彼女はそのままスライディングで後部座席へと躍り込み、
隅で震える女の子の肩を抱き寄せ、驚く男たちに背を向け飛び降りようとする——
が、車外に出した半身がぐいんと強引に引き戻され、そのまま仰向けに倒されてしまう。
般若間が視線を動かした先には、屈強な腕で彼女の上腕を掴んでいる助手席の男。
車から飛び降りようした直前、助手席から飛び出して手を伸ばしてきたのだ。
「“飛んで火に入る”……だな。このまま一緒に来てもらおうか」
ガキは1人取り逃したが、代わりに上物が文字通り転がり込んできた。
予定外の収穫に思わず表情をほころばせつつ、
般若間の細腕に、女の子と同じく縄で拘束を施そうとする。
「ちょ、触んな……!!」
全力で抵抗するが、あまりに非力。
般若間のフィジカルは脚力に特化している反面、
腕力については年相応の平均的なそれと変わらない。
「怪我させんなよォ? 傷物になったら価値が——ん?」
言いながら、運転手の男がルームミラー越しに何かを見つける。
他に車通りもなく、限りなく真っ暗闇に近い高速道路の向こうから、
煌々と光を放ちながら迫り来るそれは——
「いづくん……!!」
「だから先走りすぎなんだよバカギャル!!」
単身、アクセルを全開にして後を追ってきていた煤波羅。
ヘルメットの向こうの表情には、明確な“怒り”が現れていた。
「男の子は!?」という問いが口から出かかったが、彼のことだ。
どこか安全なところに避難させてあるのだろうと察し、
般若間が押し黙る。実際、その信頼は当たっていた。既に男の子は、
先ほど般若間に救出されたポイントからほど近い交番に預けられている。
「般若間、変に動くなよ! そのま「来るんじゃねェ!!」
男の怒号と共に、煤波羅のヘルメットを一発の銃弾が掠める。
少し遅れて亀裂が入った視界に映るのは、
右腕で般若間を締め上げ、左腕で拳銃を構えこちらに銃口を向けている男の立ち姿。
彼はその銃口を般若間のこめかみに向け、一歩前へ出て続けた。
「それ以上近づくんじゃねェよ……仲間の脳味噌拝みたくはねェだろ?
そのまま回れ右で帰りやがれ……それかテメェから死ぬか? おぉ?」
「…………」
煤波羅の脳裏に、先ほど耳にした男たちの会話がフラッシュバックする。
彼らは子供たちや般若間を“商品”として値踏みしていた。
傷物になれば価値が下がるとも言っていた。
そんな奴らが、いわゆる“上物”である般若間を自ら傷物にするような真似をするか? 否だ。
この脅迫も、自分をこの場から退かせるためのハッタリ。
ならば、この局面で無茶をすべきは——
「チッ……」
煤波羅がハンドルを握る手に力を込め、グローブが小さく悲鳴を上げる。
やがて、彼の心臓の早鐘とエンジン音、般若間の息遣いが同調し、
場の緊張感が最高潮に達する。そして、
「……安心しろ殺しはしねぇよ。
その代わり、売っ払う前に俺たちで楽しませてもらうけどな——」
「…………最悪」
後ろに回された両腕をギリリと締め上げられながら囁かれた虫唾の走る宣告に、
般若間の表情が消える。
対する男は卑しい笑みを浮かべて顔を上げ、
「…………ん?」
その視線の先で、高速道路脇の街灯が遠くから順に、次々と消灯していく。
やがて暗闇はワゴン車を追い越し、高速道路は黒一色に塗り潰された。
突然の出来事に運転手の男も同様し、ついアクセルを踏む力が抜け、
車の速度が落ちていく。やがて風の音も止み、
ワゴン車が無音で滑るように進み続ける中、
般若間を抑える男の視界の先の先、真っ暗な空間の奥で、
「?」
ひらりと、一筋の光が閃いた。
次いで皆の耳に入る、鯉口が締まる短い金属音。1秒の間を置き、
「あぁ? 亻
可だァ? あ——」
般若間を拘束していた男の右腕、その上腕に、
一筋の赤い線が現れる。線は次第に太くなり——
ぼとり。
その筋肉質な右腕が、後部座席に落下する。瞬間、
「——は、ァ……うああああああああッ!!」
野太い絶叫が車内にこだました。
運転手の男が片手でハンドルを操作しながら、バッと扌
辰り返ったのも束の間、
「ギ……ッ」
再び、鯉口が斬られたと同時に締まる音。
その振動が各々の鼓膜に届く頃には、運転席のフロントガラスは鮮やかな赤で目隠しされ、
アクセルを踏み込む力を失ったワゴン車は次第に速度を落とし、やがて停止した。
「ハァ……ハァ……」
荒い息遣いでその場に膝をつき、女の子の目を覆うように抱き寄せる般若間。
車の停止を確認し、煤波羅もバイクを降りてヘルメットを外し駆け寄ってくる。
その頭上では分厚く空を覆っていた雲が散り、満月へと近づく月明かりが顔を出し始めていた。
その青白い光に照らされ、車内の全容が明らかになる。
・
フロントガラス、シートから天井まで、真っ赤に血塗られた箱の中。
右腕を落とされた男の嗚咽と、運転席で両足の膝を捌かれた男の唸り声を聞きながら、
その刃渡り
赤い照り返しを受ける白い影が、ゆらりとその背筋を伸ばす。
「…………」
煤波羅が、その威容に思わず息を呑み歩を止める。
そんな彼の顔を一瞥しながら、
「ふぅ……なんとか間に合った。ゴメンね~遅れて」
スプラッター極まるロケーションには些か不釣り合いな、
柔らかい声色でそう目尻を下げたのは——
「……
目を丸くする般若間にそう呼ばれ「ちゃん付けやめなね~」と猫背に戻る細身の美丈夫。
名前を、
8年前、東京で発生したテロ事件において、
都庁で天坂らと大立ち回りを演じたかつてのアルダシール国神将、
サフェード・アパラージタの懐刀であり、唯一の親友。
件の騒動後は神将の座を降りた彼女の元を離れ、東京を中心に自警活動を行っている。
機動捜査隊、特務生徒会に次ぐ、コロシアイで私腹を肥やす犯罪者連中にとっての天敵の1人。
今回は外部協力者として、真名巳たちと共に摘発作戦に参加していた。
・
23時44分
・
血を吸った刀の放つ濃く生々しい鉄の匂いを穏やかな夜風が拭い去り、
高速道路を支配していた空気が一息のうちに弛緩する。
磨太刀は般若間と女の子の手を取ると2人を車から降ろし、
車内で男2人の止血と拘束を手早く済ませた。
ダクトテープで座席に縛り付ける方法はいかがなものかと眉をひそめる煤波羅をよそに、軽い足取りで3人の前へ。
「……助かりました」
般若間の脚にひしっとしがみつく女の子の肩に優しく手を置きつつ頭を下げる煤波羅に
「いいのいいの~」と磨太刀。曰く、天坂らと共にビルの子供たちを救出、
病院へ搬送している道中で真名巳から「2人の応援に向かってほしい」という
要請と位置情報の共有を受けて走行中の車両から飛び出し、
タクシーに乗り換えて単身馳せ参じたという。
ルームミラー越しに見える抜き身の刀に肝を冷やしながら
法定速度を無視する決断を下したタクシー運転手には後程、
会社を通さず個人的に報酬が支払われることになっている。
・
「それにしても無茶したね……大丈夫?」
「……大丈夫だよ。心配しすぎ、鷲鷹ちゃん」
顎や肘に残る擦過傷に心配げな視線を落とす磨太刀に笑ってみせる般若間だったが、
その膝は微かに、しかし確かに震えていた。
特務生徒会としての任務の中で危険な局面は何度か潜り抜けてきたが、肌感覚として、
あそこまで生々しい“恐怖”が彼女の心に踏み込んできたのは、今回が初めてだ。
あの時の男の言葉や吐息の温度、自身の腕を締め上げる圧力——
フラッシュバックするそれらを振り払うように唇を噛み締める横顔からその内心を察しながら、
しかし煤波羅は「これくらいは、無茶でも何でもないですよ」と同調。
心境としては複雑だったが、特務生徒会としてこの場にいる以上、
それを表に出すべきではないと判断した。
「……そっか」
含みのある2人の表情にあえて詮索はせず、
磨太刀はスマートフォンを取り出して119へとコールする。
男2人と女の子をそれぞれ別に搬送するための救急車2台を要請し、待つこと5分。
・
到着した救急隊の手を借り救急車に乗り込んだ女の子が振り返り、
未だ微かに震える手を振りながら、
応急処置を終えたばかりの般若間たちに向けて小さな声を振り絞る。
「……おねえちゃん、ありがとう。かっこよかった……!」
「お……」
唐突に投げられたあまりに純粋無垢な感謝の言葉に、人類最速の少女もつい反応が遅れる。
続いて女の子の視線は、その隣に立つ煤波羅へ。穏やかな笑顔のまま口を開き、
「あー……」
黒々としたライダースーツに身を包み、
未だ熱を帯びた空気を纏う猫背の少年の姿を下から上へと見上げると、
そのままにこやかに閉口。それに倣うように救急車のドアも閉められ、
赤いランプの光は高速道路の向こうへと走り去っていった。
「…………」
振り返そうとして行き場を失った右手を首に置いて遠い目をする煤波羅の横顔に、
「……徹底的にモテないよねぇ、いづくん」
般若間の追撃が容赦なく着弾した。
「ほっとけ……」
・
高速道路の脇で待機を命じられていたタクシー運転手の眠気が、
「すみませ~ん、人数増えちゃったんですけど大丈夫です~?」
ドアをノックする先ほどの乗客の返り血にまみれた笑顔によって雲散霧消する。
「は、はひ……」
男と同乗してきた女の子は、TVで一度は見たことのある“超高校級のスプリンター”。
さらに窓の外でバイクに跨っているのは、
いつか雑誌で名前を見たことのある“超高校級のライダー”。
そんな2人がいったいなぜ——と、
彼らとこの血染めの侍崩れとの関係性に尽きぬ疑問を呑み下し、
運転手はここまで走ってきた時以上に肝と臓腑を凍てつかせながら、
アクセルペダルを踏み込んだ。
・
11月20日-00時27分
・
磨太刀の手配した救急車が無事に病院へと到着したことを確認した後、
天坂は他の隊員たちと共に、例の廃ビルの地下駐車場へと戻った。
広いフロアの一角、フロントガラスの割れた車の下で真名巳によって拘束され、
気を失っている今回のコロシアイ事案の主犯の男を回収し、
彼を乗せた護送車が走り去っていくのを見送ると、伽藍堂になった地下駐車場で1人、
俯きながらスマートフォンを耳に当てた。通話の相手は、
・
「——ごめんね、真名巳ちゃん。また無理させた」
「摩耶夏さんのせいじゃないすよ。たまたま相手が悪かっただけです」
「…………」
・
特務生徒会を編成することになった際、彼女の内心には少なからず迷いがあった。
いくら“超高校級”とはいえ、彼らも一介の高校生、大人に庇護されるべき子供たちだ。
命の危険が伴う現場に同行させることについての葛藤は、
彼らが生徒会への参加を承諾し本格的に活動を開始し、
皆が場慣れしてきた現在においても依然として根強く残っていた。
しかし現状、刑事警察や自衛隊の戦力リソースに余裕がない以上、
真名巳たちを手放すわけにはいかない。
天坂はため息を吐く代わりにその事実を改めて呑み下し、再び口を開いた。
「……ところで真名巳ちゃん、今どこ?」
『あー……テス勉中です。明日……つか今日小テストなんで。物理の』
「ゑ」
・
地下駐車場での大立ち回りの後、磨太刀への応援要請を済ませた真名巳は、
廃ビルからほど近い通りにある24時間営業のカフェの一角に腰かけ、
教科書とノートを広げていた。
くぁっとあくびをしながらペンを動かすその姿は、
夜なべして勉学に勤しむ勉強熱心な女子高校生そのものだった——
「ご、ごゆっくりどうぞ……」
そのブーツとシャツの袖口が、真っ赤な返り血で濡れている点に目を瞑れば。
………………
…………
……
・
……
…………
………………
特務生徒会の面々は、常に10人フルメンバーで行動を共にしているわけではない。
希望ヶ峰学園の生徒としての学園生活を送る傍ら、
発生した事案の規模や形態、発生場所に基づき、
その都度適任者が選出される。そして都内であれば天坂たち機動捜査隊、
地方であれば現地警察らと協力し、摘発任務を行う。
一口に“コロシアイ事案”といっても、その形態は多岐に渡る。
先日真名巳たちが摘発した、既に犠牲者が出ている現在進行形のコロシアイだけでなく、
その前段にあたる、実行犯らによる“参加者”の誘拐や、
コロシアイ終了後に行われることのある、犠牲者の遺体及び臓器の売買。
これらもまた、機動捜査隊や特務生徒会の管轄であり——
・
11月21日-21時39分
・
青白い月光に淡く包み込まれた京都市街。
日中は観光客でごった返す大通りから外れたエリアに佇む、廃墟と化した小学校の校舎。
“人類史上最大最悪の絶望的事件”以降は行政の手もまともに入らず、
広い校庭は伸び切った雑草と放置されたスクラップで荒れ果て、
地元の不良連中ですら溜まり場にすることを躊躇うほどの、異様な雰囲気を纏っている。
そこは今、件の“コロシアイ事案”の前段として誘拐された“参加者”の候補を監禁、
管理する施設——犯行グループの構成員らが呼ぶところの
“
・
校舎4階の教室を流用した、長机にPCや資料の束、
用途の分からない植物の葉などが雑然と並ぶオフィス風の空間から聞こえてくるのは、
いずれも日本語とは似ても似つかない異国の言語。それもそのはず、
この
“人類史上最大最悪の絶望的事件”沈静化後に流入してきた中東系の難民が中心となり、
昨今の薬物や武器の流通拡大の流れの中で勃興した中規模カルテル。
従軍経験を持つメンバーも多数属しているだけに摘発は難航していたが——
特務生徒会の登場により、その風向きが変わる。
・
着実に接近してきている足音のことなど気にも留めず、
6人の男たちは金の勘定をしながらキーボードを叩き、
ペンを走らせ、紫煙で灰を満たしている。
彼らの集う校舎の屋上。金網の端で羽根を休めているカラスの群れだけが、
廃墟に迫る気配を察知し、凶兆を告げる濁声を響かせていた。
・
21時47分
・
やがてカラスたちは耳障りな合唱を止め、1羽、また1羽と飛び立っていった。
羽ばたきの音が遠ざかり、代わりにひどく乾燥した沈黙が訪れる。
男たちの耳に入るのは、仲間たちがキーボードを叩く音と、衣擦れ、吐息、そして——
・
ガシャアン——と窓を砕き割り、耳をつんざく衝撃音。
大小入り混じるガラス片と共に4階の教室、男たちの視界に飛び込んできたのは、
「グ……ぁッ……」
見張りに出していた、アサルトスーツに防弾ベストを着込んだ屈強な構成員の大きな、
しかし赤黒い血にまみれた満身創痍の身体。そして、
「…………」
無言のまま彼の頭部を鷲掴み、
猛禽類を思わせる鋭い眼光で男たちを見据えながら滞空し——
「……!! ッこいつ、特務の!!」
PCや書類の束をなぎ倒しながら着地。男の頭から手を放して顔を上げ、
「おばんでーす」
そう目を細めるのは“超高校級のストライカー”
「……これで全員? なわけないか。“在庫管理”の方に人員割きたいもんね。
まいいや……誘拐した子たちの居場所教えてよ。
教えてくれたら、あんたらだけは見逃してあげてもいいけど?」
特務生徒会最強の一角を担う暴力の権化を前に、男たちが首を縦に振ることはなく、
「あそ。じゃ——」
6秒後に彼らは、その選択を痛打と血反吐の中で後悔することになる。
・
「ええの? 夏生くん1人に任せて。さすがに無理あるんちゃう?」
今回の現地協力者である京都府警の機動隊、
その隊長を務める女性が、校舎を見上げながら怪訝そうな顔をするのに対し、
「むしろ1人の方が都合はいいかと。
彼への半端な後方支援はかえって邪魔、足手纏いになってしまいます」
「巻き添えを食らって、骨を折りたくはないでしょう?」と、隣でそう微笑むのは、
“超高校級のハンドラー”
脇に控える彼の相棒、2頭の災害救助犬“テツ”と“ギン”もまた隊長と同じく
「大丈夫か……?」という目で校舎を一瞥しつつ、
台風が過ぎ去った後のような、倒れ伏し折り重なった男たちの身体を
ひょいと避けながら先を行く主人を追って、脚を動かす。
「折れるん? 骨……」
遥か頭上、先ほど夏生が突入した教室のある位置からくぐもった断末魔と
打撃音が漏れ聞こえ、割れた窓から誰のものともつかない血や歯の欠片が落ちてくる中、
隊長は他の面々と顔を見合わせつつ、1人と2匹に歩幅を合わせると、
得物であるAR-15ライフルのチャージングハンドルを静かに引いた。
・
21時58分
・
現時点でこの校舎内に囚われている“参加者”候補は、
近隣の学校に通う中高生、その数実に20人以上。
隊長以下6名の隊員に雨頭目を加えた8人が隊列を組み、ライフルに装着したライトと、
雨頭目の相棒2頭の嗅覚を頼りに、校舎1階、
非常誘導灯の緑が薄く照らす教室脇の長い廊下を静かに進んでいく。
・
「……ここか」
隊長の声を抑えた呟きに、テツとギンが小さく唸り応える。
顔を上げた先の雨頭目の表情もまた、2頭の嗅覚が真であることを彼女に伝えていた。
「…………」
——違和感。
隊長の内心に「この規模の組織にしては、守りが薄すぎないか?」
という一抹の不安がよぎる。
しかし、今は人命優先。彼女は教室の引き戸が施錠されていることを確認すると、
隣の隊員から受け取ったボルトカッターを用いてブリーチング。
鍵と鎖が床に落ちると同時にまた別の隊員が引き戸を開け放ち、
隊長を先頭にして教室へと突入した。
「…………これは」
最後尾の雨頭目が思わず声を漏らす。彼らの目に飛び込んできたのは——
・
いつからここに監禁されていたのかは判然としないが、
おそらく誘拐されたその日に来ていたものであろう制服や学校指定のジャージ、
部活動の練習着に身を包んだ、情報通り、20余名の中高生。
突然の侵入者とライトの光に小さな悲鳴を上げ、
食器やタオルが散乱する床を蹴って教室の隅、
トタン板が打ち付けられた窓の方へと身を寄せる。
抵抗の跡か、ここに来てからつけられたものか——その頬や袖から覗く腕には、
少なくない数の擦過傷が見て取れた。
「クソッ……」
隊長は彼らに聞こえないよう吐き出すと、隊員たちに銃を降ろすようハンドサインを送り、
姿勢は低く、そして足早に教室の隅で震える子供たちの元へと駆け寄った。
「安心しぃ警察や。助けに来た……歩けるか?」
顔を覆っていたバラクラバをずらして柔和な笑顔を見せ安心させると、
隊員たちを手招いて脱出の準備に入る。
テツとギンもまた子供たちに駆け寄り、
その体温で彼らの憔悴しきった心身をほぐしていく。
「…………」
——違和感。
引き戸の前で警戒にあたる隊員の隣で雨頭目もまた、
先刻の隊長と同じ小さな不信感を抱いていた。
あまりにも、事態の収拾がスムーズすぎる。
組織の規模からして、先ほど夏生が外で倒した男たちが全戦力であるとは考えられない。
「よし。行こか」
彼の不信感は晴れないまま、準備を終えた隊長が号令をかける。
「これだけの人数や。7人ずつ、4回に分けて外に出す。最初に——」
と、脱出の段取りを説明する彼女の声をかき消すように、
暗い廊下の奥から、コロコロと何かが転がってくる小さな金属音が響く。
足元に現れたそれを視認した瞬間、引き戸の前にいた隊員が短く叫んだ。
「手榴弾!!」
反射的に雨頭目が引き戸を閉め、
隊員たちが廊下に背を向ける形で子供たちを覆う壁となり、教室の奥へとダイブする。
テツ、ギンもまた、転倒した子供の服を咥え上げてその後を追う。
振動する空気の中、朦朧とした意識の子供の視界に映るのは、ミシミシと音を立て、
こちらに向けて膨らんでいく教室のドアと、その向こうに見えるオレンジ色の閃光、
それに照らされ露わになる、自分たちの監禁されていた教室の壁や床に
飛び散り固まった、誰のものともつかない血の跡——ほどなくして、
黒く分厚いアサルトスーツがその視界を覆い、
何人分かのくぐもった苦悶の声の後、吹き込んできた爆風が、
その身体を荒々しく撫でた。
・
「…………」
奈落に落ちていた意識が、頭蓋の内側で反響し続ける空気の震えと、
鼓膜を内から破るような甲高い耳鳴りによって現実へと引き戻される。
隊長は自身の心臓が動いていることと
四肢のコントロールが失われていないことを確認すると、
未だ痛む節々に鞭を打って身体を起こした。揺れる視界を擦ってピントを合わせ、
目の前の状況を整理する。引き戸の間近にいた隊員は右足を負傷しているが、
出血の量からして動けないほどではない。他の隊員や雨頭目も軽い火傷を負った程度で、
その下にいた子供たちに関しては、幸いにも怪我人はいない様子だった。
テツとギンは——爆風で転がった机の下から這い出ると、
首元の毛を逆立てながら牙を剥き出し、
火の手が上がっている廊下に向けて低く唸っていた。
・
ほどなくして場の全員が目を覚まし、
雨頭目による応急処置が行われる中、隊員たちの耳に先ほどのそれとは違う、
より実体を伴った“脅威”の迫る音が届く。5,6人どころではない、
一個小隊レベルの数の足音が廊下を駆けて接近している。
隊長と雨頭目の抱いた違和感は正しかった。
カルテルは彼らがこの教室に遅かれ早かれ辿り着くことを見越し、
校舎外に戦力は最低限配置しつつも、内部の守りは手薄にしていた。
多少の不信感を抱かれることは織り込み済みだったが、
救助対象を目の前にすれば、優先順位はそちらへと取って代わる。
唯一の手違いは雨頭目が素早く引き戸を閉じたことにより爆発の威力が半減し、
隊員連中の数を減らせなかったことだが——
「……ざけんなや。子供たちは後ろに! 涼郎くんもや。ここは任せとき」
何ら、問題はない。
・
カルテルの男たちが、引き戸の吹き飛んだ教室の前に集結。
各々軍用の大型ナイフやシャムシールなどの刃物を構え、
目の前で袋の鼠となった獲物に嗜虐的な視線を送る中、
「…………」
無数の刀身が月光を吸い、空気が張り詰めたその瞬間——
廊下の窓を背にナイフを構えた若い構成員の髪が、風もない中で微かに揺れた。
「え」
男がそう声を発した時には既に、
背後から“窓を突き破って”飛び出してきた血まみれの掌が、
その顔面を射程圏内に収めていた。抵抗する間もなく、
乾いて凝固した血の感触が鼻と口を覆い、
彼の両足が床から離れる。その後頭部が背後の窓をさらに大きく割り広げ、
決して華奢ではない肩が窓枠に食い込む。
しかし男の顔をホールドする力はその程度のストッパーで止まるはずもなく——
耳障りな金属音と、砕け散るガラスの悲鳴とを響かせながら、
その身体を窓枠ごと校舎の外へと引きずり出し、
「——ッ、やめ……」
勢いを殺さないまま、校舎裏の駐輪場へと放り投げた。
窓枠の食い込んだ身体は放置されたままの自転車の列へと猛スピードで叩きつけられ、
「…………ぅ」
男はナイフを握ったまま力なく両腕を投げ出し、昏倒した。
・
22時08分
・
突然の出来事に理解が追い付かず、武器を構えたまま唖然としている男たちの中心——
窓枠の外れた跡に足をかけ、4階から2階までの“処理”を終えて
馳せ参じた夏生が廊下へと降り立ち、男たちと同じく驚いた顔のままの雨頭目たちを
一瞥し、爆風で歪み、倒れた引き戸を力任せに枠へと収めた。
「…………」
返り血によって赤く染め上げられた前髪の間から、ひどく湿った眼光が覗く。
その威容を前に、男たちの武器を携える手が、過緊張からか小刻みに震え始める。
そして——22時を過ぎ周囲の住宅からも灯りが消え始め、
静まり返った校舎裏を吹き抜ける夜風が、
ドミノ倒しになった自転車の錆びた車輪を弱々しく空回りさせる。
「…………」
キチチ、チ——と回転が止まり、ほんの数秒の間。
校舎裏から望む景色の一切が、その動きを止める。
そして、男たちの手の震えが止まり、それぞれの柄に力が込められる音と、
夏生が鉄の匂い混じりの呼気を吐き出す音とが重なり——
廊下に連なる窓が1つ、ぴしゃりと真っ赤に塗り潰される。
・
身一つで乗り込んできた少年に相対するは、大小様々な武器を携えた30余名の男たち。
数のアドバンテージによる「一斉に襲い掛かればすぐに屠れる」という油断に加え、
“参加者”候補でありゆくゆくは“商品”となる予定の子供たちを
流れ弾で傷物にしないよう、得物を刃物に絞ったことが、彼らの運の尽きだった。
交戦開始から1分。
夏生の身体は眼前に迫る刃の嵐を、文字通り縦横無尽、
その巨躯で狭い空間を泳ぎ、跳び、うねるように駆け巡り——
男たちの猛攻を1つずつ、確実に迎撃。
「くッ…………」
避けきれず切り裂かれた肩から噴き出た血も、彼にとってはただの武器。
流れ出るそれを掌で受け止め、背後から迫る男の顔にぱしゃりとぶち撒ける。
視界を赤く覆われた男の手元が狂い、
脇に立っていた他の男の喉笛を掻き切り、床一面に血の池が出来上がる。
また別の男が、まだ粘り気のあるそれに足を取られて転倒し、
足元に転がってきたその顔面を、夏生が躊躇なく踏み潰す。
「こいつ——」
その背後から、とりわけ体格のいい構成員が刀身の長いシャムシールを構え突貫してくるが、
彼に対する正面突破は、考えうる限り最低の悪手。
夏生は再び窓枠を力任せに引き剥がすと、床に打ちつけてガラスを破砕。
残った金属の枠を持ち直し、踏みつけていた男の顔から足を離して振り返り、
「…………ははっ」
返り血で縁取られた口角を、歪に持ち上げた。揺らめく刀身は、その数残り15。
・
22時13分
・
雑に嵌め込まれた引き戸の向こうから聞こえてくるのは、男たちの断末魔の絶叫と、
金属同士がぶつかり合う耳障りな音。
そして時折引き戸と枠の隙間から飛び散ってくる誰のものともつかない血飛沫に、
教室に残された雨頭目たちはただ、臨戦態勢を解かないまま、
額に汗を浮かべて待つことしかできなかった。
「——涼郎くん」
子供たちも耳を塞いで打ち震える中、
ここまでの夏生の大立ち回りに圧倒されてしまっていた隊長がようやく冷静さを取り戻し、
銃を廊下側に向けたまま呼びかける。
「今のうちに、その子ら連れて逃げた方がええ。
私らは夏生くんのサポートや。流石にあの人数相手は荷が重すぎるやろ」
「……大丈夫。巻き込まれたら、後で治療費全額いただきますわ」と続け、
若干の不安が表情に出た雨頭目に対し、
「——それに、いくらバケモンみたいに強うても高校生や。
子供にだけ無理さすんは、私的にはポリシー違反やねん」
「…………ッ」
そう結び、隊員2名に「雨頭目と一緒に行け」とサイン。
彼の返事は聞かぬまま、他4名の隊員と共に引き戸を外し、
赤く染まった廊下へと躍り込んでいった。
・
「……行くで」
雨頭目との同行を命じられた隊員が、
窓を塞いでいたトタン板をボルトカッターで引き剥がす。
鍵を外して窓を開け放ち、自身が先導して子供たちを1人、また1人と外に出していく。
先ほどの爆発の影響か、何人かは足元がおぼつかない状態だったが、
比較的心身の安定していた男子たちの肩を借り、
雨頭目と彼の相棒たちにも背を押され、
最優先の救助対象である子供たちは全員無事に外へ。
「……よし、
そしてもう1人の隊員が雨頭目の肩に手を置いてそう告げ、
テツ、ギンの2頭も彼らと共に、ようやく教室から脱出した。
「向こうや。あっちの校門の前に、護送車が待機しとる」
先頭を行く隊員の指差す方向には、大型バスと遜色ないサイズの堅牢な護送車。
アイドリング状態の車内では、運転席でまた別の隊員が手を振っていた。
「…………よかった」
雨頭目の口から漏れ出る声から、ようやく緊張感が抜けた。
その表情を見て安心したのか、
彼らの後ろを歩く子供たちの表情にも、柔和な血色が戻ってくる。
・
「……すごいね。俺と同い年ぐらいなのに、こんな……」
先ほどの脱出の際、ふらついていた子に方を貸していた男子の1人が、
雨頭目と歩幅を合わせてきた。生徒会か、運動部の主将か——どちらにせよ、
人望の厚そうな精悍なその顔からは、もう囚われていた
“被害者”としての弱々しさは消えていた。
「はは……褒めるなら、機動隊の皆さんや、それこそ夏生くんを。
あぁ見えて彼、意外と話せる人ですよ?」
謙遜気味に答える雨頭目に、しかし隣を歩く彼は真面目な顔で——
「いや……あの爆発の時、君がドアを閉めてなかったらどうなってたか……それに」と、
雨頭目の脇を固める2頭に視線を落としながら続ける。
「それに、急にドアが開いてビビってた時、この子たちが来てくれたおかげで
「この人たちは味方だ」って思えたんだよ。
君が、この子たちの飼いぬ——トレーナー? なんでしょ?」
「……えぇ」
駆け寄ってきたテツの頭を撫でながら答え、雨頭目が付け加える。
「“ハンドラー”と言うんですよ。
馴染みのない言葉でしょうから、もちろん“トレーナー”でも構いませんが」
「ハンドラー……なんかカッコいいね。俺も目指しちゃおうかな——なんて」
「興味があるのなら是非。最近は人手不足ですから、
貴方のような人であれば、いつでも歓迎しますよ」
護送車のドアが開き、先頭の隊員の手を借りて子供たちが続々と乗り込んでいく。
・
2人の隊員も武装を解除し、
ようやく腰を落ち着かせることのできる安心感につい表情がほころぶ。
雨頭目を含む全員が席につき、あとは隊長たちを待つだけ——と、
雨頭目の足元で伏せていたギンの耳が、前触れなくピンと立ち上がる。
「…………?」
船を漕ぎかけていた雨頭目もそれに気付き、席を立ちドアの方へ。
静かに窓の外へ目をやるが、辺りに気配はなく、
虫の鳴き声と木々のざわめきが聞こえてくるのみ——
しかし彼の後ろでは、ギンに加えてテツもまた、毛を逆立てて警戒態勢に入っていた。
せっかく子供たちも落ち着いてきた今、騒ぎは避けたい。
既に寝息を立て始めている隊員たちを起こすのも、
必要であればそうしたいところだが、しのびなさが勝つ。
雨頭目は意を決してドアを開け、2頭と共に護送車の外へと降り立った。
と同時に、相棒たちが察知していた“気配”の正体が明らかになる。
「……へ、逃がす……かよ——」
手にはナイフ。両の肩から血を流し、
足を引きずり焦点の合わない目でこちらを指差しているのは、
先刻夏生の奇襲を受けて投げ飛ばされ、
自転車の上で気を失っていたはずの、あの若い構成員の男だった。
校門の影からぬるりと姿を現し、辿々しい足取りでこちらへと近づいてくる。
カルテルの中でも歴の浅いメンバーなのだろう、
ここでどんな形であれ結果を残し、
他の構成員に自分の力を認めさせたい——そんなところか。
「は。ふらふらじゃないですか……」
推し量るに、脛骨と踵骨あたりは砕けているのだろう。
その一歩はあまりに小さく、
とてもこちらを捕えられるほどの力が残っているとは思えない。
念の為距離を取ろうと雨頭目が1歩、2歩と後ずさったところで、
背後から「どうしたんですか……?」と、女の子の声。
異変に気付いた中学生の子が、あろうことか単身、護送車から降りてきていた。
振り返ろうとするが、雨頭目の目は既に、新たな脅威を捉えてしまっている。
「……マジか」
目の前の男のナイフを握っている手とは反対の手の中雨頭目が見たものは、
黒く無骨な円筒状の物体——手榴弾。
子供たちを奪い返すつもりなど、毛頭なかったわけだ。
つまるところ男の狙いは、自爆テロ。
男の震える指が、今にも安全ピンを引き抜こうとしているのが見えた。
「…………」
しかし雨頭目の顔は、一瞬の焦りからすぐに平静を取り戻し、
軽い足取りで女の子の元へ。
そして膝立ちの姿勢になり目線を合わせると、
「少し大きい音がするので、車の中へ。
できれば……窓の外は見ないようにしてくださいね?」
「ぇ……なんで?」
「あー……」
雨頭目は少し困った顔で、迫る男の方を振り返り、
「
再び女の子に向き直りながらそう告げ優しく肩に触れると、
少女は困惑しながらも頷き、護送車へと戻っていった。
ドアが閉まったことを確認し立ち上がった雨頭目の顔に、
ついさっきまでの慈しむような笑顔はなく。
彼の相棒たちもまた、獣性を宿した瞳を爛々と輝かせていた。そして、
「テツ、ギン……」
“超高校級のハンドラー”が、短く告げる。
「——噛み潰せ」
・
22時19分
・
やがて廊下の窓は、その半数以上が夏生と男たちの血液でマスクされ、
そこから差し込む月明かりは、
非常誘導灯の弱々しい緑を呑み込む濃い真紅へと顔色を変えていた。
「ハァ……ハァ……ッ、あぁ……」
赤く浸水した床の上、肩で息をする夏生の視界に動く影はなく、
虫の息で倒れ伏す男たちの嗚咽に混じり
「状況終了、もう動かれへんわ。車こっちまで転がしてきて」と、
こちらもまた息の上がった隊長の声が耳に入る。
足手纏いになること、巻き添えを食らうことを承知で突入した機動隊だったが、
その実彼女たちのサポートは、夏生の後衛として確実に機能していた。
確かに彼はまごうことなき、特務生徒会最強の一角。
たった1人で一個小隊を相手取ることなど容易いことは、
先の4階での立ち回りからも明らかだったが、
そこから3階、2階と移動しての連戦——本人の自覚以上に、夏生の身体は疲弊していた。
それでもここまでやれるのだから恐ろしいのだが、
実際問題、あのまま1人で闘わせていては、残り15人を屠る前に限界が来ていただろう。
隊長の判断は正しかった。校門前で待機している隊員との通信を終え、彼女が夏生を振り返る。
「行くで。歩けるか?」
「…………ん」
差し出された手に指先が触れようとしたところで、
なんとか保っていた意識の糸がぷつりと断線。
彼の身体が、背中から床にばしゃりと崩れ落ちた。
頬に飛び散った血を手で拭いながら、
「——さんざん暴れてばたんきゅうかい。しゃーないな……」
投げ出された長い脚を両手で掴み上げてずるずると引きずり、
玄関方面へと赤い廊下を進んでいった。
・
22時27分
・
4人の隊員と隊長、そして彼女に引きずられてきた夏生が、護送車に合流する。
「帰ったで〜……て、ワンコたちどないしたん、その顔」
夏生を席に転がして視線を落とすと、雨頭目の足元で寝息を立てるテツとギン。
そのマズルからは、まだ新しい鮮血がぽたり、ぽたりと滴っていた。
「あー……」
雨頭目は顎に手をやったまま視線を泳がせ、
「……まぁまぁまぁ」
目を細めて煙に巻いた。
「いやいやいや……」
・
まもなくエンジンが始動し、
囚われていた子供たちと特務生徒会2人、隊長以下6名の隊員を乗せた護送車が、
土煙を巻き上げて帰路へとつく。
青白い月の光は厚い雲に覆われ、血染めの校舎は深い夜闇の中へと隠されていった。
………………
…………
……
・
……
…………
………………
結成から約3ヶ月。特務生徒会の存在は、
コロシアイで私腹を肥やしている者たちにとって、
是が非でも回避したい、排除しておきたい“脅威”、いわば“天敵”として、
局所的な知名度を得るに至っていた。
コロシアイを企て、また実行している犯罪組織やカルテルは彼らの目から逃れようと、
そのほとんどがより深層へ、社会の暗部のさらに奥へと身を隠そうとする。
しかしそんな流れに逆らうよう、自ら脅威の排除を企て、
仕掛けに行く者たちも同時に存在した。
・
奴らが常にフルメンバーで動かず、
都度選出された適任者に絞って摘発作戦を行っているということは既に割れている。
では、こちらはどう動くべきか——簡単なことだ。
・
まずは小規模の事案を短期間のうちに摘発させ、それらを繋ぐ“大きな組織”の存在を、偽造した情報によって匂わせる。
そして段階的に事案の規模を拡大しながら、
察知されないレベルの誘導によって“偽のゴール”へと向かわせる。
気力と体力を削った先で、最後の事案の摘発難易度はあえて低く設定。
「長くかかった割にはあっけなかったな」という油断を誘発させ——
その“緩み”に付け入り、絡め取る。
特務生徒会の連中も粒ぞろいの“超高校級”とはいえ、所詮は高校生だ。
揺さぶり、惑わし、隙を作れば、罠に嵌めるのは容易い。
・
ただしそれは——嵌める相手を間違えなければ、に限った話。
・
11月22日-20時13分(現地時間)
・
重く分厚い鉛色の雲が運んできた湿気に覆われた、夜のロンドン市街。
通りに面したショーウィンドウを結露の雫が一粒滑り落ち、
その脇を、上等なワインレッドのコートを着た人影が足早に通り過ぎる。
後ろ姿だけでもよく手入れされていることがわかるきめの細かいブロンドを揺らしながら、
軽やかなドアベルを鳴らしてその人物が入って行ったのは、
周囲の店が早めにシャッターを降ろす中唯一灯りを点けていた、
小さなアメリカ風のダイナー。若いアメリカ人店主の男性があくび混じりに
スマートフォンに視線を落としているガラリとした店内を見回すと、
まっすぐにカウンター席へと向かい、
「…………ふぅ」
それなりの規模でありながら、
存外手早く片付いた摘発任務を終え、その白い額にうっすらと汗を浮かべた、
特務生徒会会長にして、このイギリスを代表する国防関連企業
“
“超高校級の令嬢”——メイル・アリアンロッドが、
ため息と共に細い鉄製の椅子を引いて腰を降ろす。
・
凝り固まった首を回しつつメニュー表を開き、
宝石のような薄緑色の瞳を動かすカウンターのイギリス美人に、
店主の男がやや緊張しつつ声をかける。
「……こんばんは。ご注文は?」
メイルはメニュー表から視線を上げないまま「ここのおすすめは?」と短く返答。
店主は「あー……」と冷蔵庫の扉を開けて残っている食材を一瞥すると、
日中の繁盛の結果頼りない姿になっていたそれをパタンと閉じつつ
「フラッペかな」と笑顔で答えた。
「じゃあそれで。フレーバーは……ベリーがいいな」
「OKベリーね……クリームのっける?」
メイルはメニュー表を閉じ、目を細めながら返した。
「——のっけない奴なんているのか?」
・
20時17分
・
待つこと約4分。
その間にも、外の湿気から逃れ甘味を求めて訪れたのか、
幾度かドアベルが鳴り、テーブル席がいくつか埋まる。
話し声はなく、衣擦れの音が微かに背後から聞こえてくる中、
メイルの目の前にフラッペが注がれたグラスが置かれ、
続いてクリームと、仕上げに真っ赤なチェリーがあしらわれる。
「どうぞ、お待たせ」
少し得意げな店主の声に「ありがとう」と微笑み、ストローを取り出す。
昨今流行っている紙製ではないのが嬉しいところだ。
口径の大きいそれをフラッペに突き立て、
サイコロ大の氷と共にカラカラと混ぜ合わせ、
「ん……」
ストローを咥え、砂糖の甘さとベリーの酸味が溶け合ったそれを喉へと運ぶ。
期待通りの味と冷たさに額の汗が引き、
らしくもなく疲弊していた脳が普段通りの
“超高校級”としての機能を取り戻していくのがわかる。
・
ズズ、と音を立てることはなく静かにグラスを空にし、
内臓が冷やされていく余韻の中で動かした視線の先。
「…………」
いつの間に席を立っていたのか。カウンターの向こう、
食器棚のガラスに映る10人余りの男たちの立ち姿を、その瞳が捉えた。
首から上は見えないが、体格や服装、袖から覗くタトゥーの種類から察するに、
今しがた摘発を終えたばかりのコロシアイ事案の実行犯連中——
恐らくは、その下部組織だろうか。物々しい威圧感を細身の背に浴びながら、
しかしメイルは穏やかな表情で卓上のナプキンで口元を拭い、
対照的に店主の男は、彼女に向けて視線を注ぐ男たちの威容に全身を緊張させ、
エプロンのポケットに入ったスマートフォンの存在も忘れたまま、
1歩また1歩と後ずさる。一挙手一投足に異様な緊張感を要する沈黙の中、
やがて外ではぽつりぽつりと雨が降り始め、
通りに面した窓ガラスを叩く無数の雨粒が、店内に流れる音楽——
店主の故郷であるアメリカ西海岸の人々に親しまれていた心地良いリズムを、
不規則な音で上塗りしていった。
・
20時19分
・
スピーカーから流れる音楽とガラス越しに聞こえる環境音が交錯する中、
それらの合間を縫うような凛とした声が、
「——私を殺すのに、たったこれだけ?」
その表情を見せぬまま、背後の男たちの鼓膜を震わせる。
・
「そのフラッペが最期の晩餐だぜ、お嬢様よォ。
特務生徒会だか何だか知らねェが、
ガキのくせに俺たちのビジネスの邪魔しやがって……」
煙草臭い息と共に、拳銃を構えて悪態を吐く男の声を聞き流しながら、
メイルはストローを手に取り、
ペン回しのように細く形の良い指の上をくるくると滑らせる。
「だがそれも今日で終わりよォ。
セリフの結びを中断された男の耳にその短い声が届いた時には既に、
彼の視界の右半分は“自身の内から溢れ出た”血液によって赤く閉じられていた。
極小の半径での上半身の回旋に乗せ、握り込まれたプラスチック製のストローは
メイルの腕を柄とした槍の切っ先として、男の右眼窩を抉っている。
周りの男たちのリアクションが遅れる中、
タトゥーまみれの手からこぼれ落ちた拳銃を拾い上げ、
「ドイツ製かよ……
残弾を確認し、マガジンを再装着。薄緑の瞳に、黒々としたカットが静かに入った。
・
同刻
・
「あーもうまだ繋がらない! メイルちゃんどこ行ったのー!!」
大通りから外れた、レンガ造りの建物が立ち並ぶ細い路地。
張り出した細い屋根の下で雨音を聞きながらスマートフォンを片手にそう声を荒げるのは、
メイルの身辺警護を担当する“超高校級の親衛隊”、アイル・アルフェッカ。
頬を膨らませつつ何度もコールするが、共に事案を片付け、
実行犯連中を現地警察に引き渡し終えたタイミングで忽然と姿を消して以降、
メイルとの通信はできないままでいた。
親衛隊としてあるまじき失態に自責の念を痛感すると同時に、
自分勝手にも程がある主人の軽率な単独行動への純粋な怒りと心配が
同時多発的に湧き出る。そんな彼女とは対照的に、
努めて冷静な表情を崩さないまま後に続いて歩くのは、
アイルの双子の弟にしてもう1人の“超高校級の親衛隊”、フラウ・アルフェッカ。
「声が大きいですよ姉さん。それに第一、心配しすぎです」
「む」と振り返る姉と歩幅を合わせ、さらに続ける。
「メイル様の膂力は、あの夏生
純粋な力比べでは確かに勝ちを譲ることもあるでしょうが、
こと戦術……戦いの場における戦闘IQは、メイル様の方が格段に上です。
どこかで厄介事に巻き込まれていたとしても、こうして街が静かなままということは、
メイル様1人で対処可能な範疇の小規模なものでしょう。それとも——」
強まってきた雨足の中、視線は合わせず低音で告げる。
「オレたちの主人を……彼女の才覚を、信じていないのですか?」
「っ……それは——」
コールを続けるスマートフォンを握る手を下げ、アイルが伏目がちに言葉を詰まらせる。
先の“人類史上最大最悪の絶望的事件”によって
居場所を失い戦災孤児となった2人にとって、
自分たちを拾い育ててくれたアリアンロッド家と、
メイルの親衛隊という居場所を与えてくれたHALBERDsは、
まごうことなき命の恩人にして、
彼ら2人の生きる指針。常に最も近い距離で見てきた主人——
メイルの令嬢としての強さも、人間の一個体としての
そして特務生徒会会長としての確かな才覚についても、
今さら疑うべくもない。しかし——
「才能があるとか強いとかの話じゃなくってさ……
メイルちゃんは女の子で、アタシたちと同じ高校生なんだよ。
親衛隊とか抜きにして、心配すんのは当然じゃん」
「…………」
メイルの親衛隊として数年、特務生徒会として3ヶ月活動する中で、
アイルのスタンスは一貫して“メイルを守ること”にあった。
親衛隊として仕える以上それは当然のことであり、そこに異議を挟む余地はない——
が、アイルのそれはどちらかといえば“子供に怪我をさせたくない親心”に近いものだった。
同じ“守る”というスタンスにあって、双方が相容れないのはそこだ。
フラウは徹頭徹尾、メイルの携える“武器”として、親衛隊の任をこなしている。
そこに“女の子”や“高校生”といった、判断を鈍らせる要因となるノイズは必要ない。
姉の言い分は、概ね理解できる。理解した上で、
「……何度聞いても、賛同はできませんね」
やはりそれは、彼にとっては必要のないものだった。
相変わらずのリアクションに、アイルは尚も続ける。
「この際だから言っとくけど、アタシはメイルちゃんに、
会社のこと継ぐのはやめてほしいって思ってる。
できれば、特務の仕事も……やっぱり、どう考えても重すぎるよ。
才能があるからって、強いからって——」
数歩先にある大きな水溜まりに反射する、
ショーウィンドウの中の学生服を着たマネキンに、メイルの姿が重なる。
ぱしゃりとその像を歪ませ、
「……高校生にさせるような仕事じゃない」
そう結んだ姉に対し、しかしフラウは毅然とした態度のまま、
「ただの高校生であれば確かにそうでしょうが、今のオレたちは“超高校級”です。
才能に恵まれた人間に、選択肢なんてないんですよ」
「それはッ——」
と、アイルが振り返ろうとしたその時、ようやく通話が繋がった。
咄嗟に耳に当てたスマートフォンから聞こえてきたのは、
・
20時25分
・
「どうした? 今取り込み中なんだが」
まるで緊張感のないメイルの声と、
その後ろで鳴り響く複数の発砲音や、ガラスや食器の類が割れる音。
『——メイルちゃん今どこ!? 何してんのッ!?』
「あー……」
メイルはスマートフォンを左の肩と耳で挟みながら、
すっかり荒れ果てた店内を駆けてカウンターの奥へ。
掃除用具入れに身を隠し震えている店主が扉の隙間から見守る中、
手にした拳銃に新たなマガジンを装着する。
『ねぇまさか、どっかで撃ち合ったりしてないよね!?』
図星を突かれながらも口角を上げて銃のスライドを引き
「電波が悪い」とスマートフォンをカウンターの向こうへ放り投げた。
反射的に男たちが引き金を引き、端末が弾丸に貫かれる音と共に、通話は終了。
・
ヂィン!! という耳をつんざく金属音に顔をしかめつつ、
アイルがスマートフォンを懐に戻す。
「え〜……やってます」
「反響の具合からして、そこまで広い空間ではなさそうでしたね。
ガラスの他に割れていたのは陶器でしょうから——」
聞き耳を立てていたフラウがつらつらと推理を始める。
いつになく真面目な横顔に、
「え何、鋳銃くん意識してる?」
つい姉としてのいたずら心が顔をのぞかせた。
弟は至って真剣な様子で、顎に手を添えたまま返す。
「彼のようにはいきませんよ。
あの空間認識能力は努力でどうこうできるものじゃない……
でもまぁ、ある程度は割り出せました」
フラウが自身のスマートフォンを取り出し、
通話越しに聞こえてきた音から空間の構造と建物の種類の予想を立て、
地図アプリにいくつかのピンを立てて見せた。
「…………」
雨足が弱まり、屋根を叩く粒の音が次第に小さくなっていく。
アイルは軽くストレッチをしてから周囲を見回し、
手近なところに投棄されていた園芸用の丈夫な支柱を手に取ると、
「——助けに行こう」
絡みついた枯れ草を落として肩に担ぎ、
対するフラウは腰に携えた得物のマチェーテに手をかけながら、
「“助け”?」
屋根の下から一歩外に出て、しとしとと降る雨を頬に伝わせながら振り返った。
「“
・
20時36分
・
HALBERDsはイギリスの軍や警察向けの兵器、装備品を開発する企業。
メイルもまたいち技術者として、日々多くの武器に触れている。
その経験と令嬢としての実績に裏打ちされたセンスと解釈の前では、
街の人々にとっての憩いの場であるこの小さなダイナーも、
刺客を屠るには十二分に機能する、上等な“武器庫”と化す。
・
外れかけた蛍光灯がキィ……キィ……と揺れながら照らすダイナーの店内。
弾痕と剥がれた壁紙、砕けて散乱した食器の上に四肢を投げ出して転がる男たちの
身体には、致命傷は避けつつも、しかし確実に動きを止めるに至る箇所に、
卓に用意されていたカトラリーやマドラーが突き立てられ、
その屈強な胸板には弾丸のめり込んだ痕が残されていた。
気道に穴を開けられ、弱々しく空気を吐き出す音と共に自らの血液で
溺れそうになっている男の脇を素通りし、
メイルはカウンターに身を預けながら震える手でライフルの
チャージングハンドルを引いている最後の1人、
彼女に右目を潰された男の背後で立ち止まった。
「奢ってやるよ。最後の晩餐、何がいい?」
男に答える余裕などあるはずもなく、
既にズタズタになっている右手でライフルを支えて構え振り返る。
その瞳孔の開いた左目の突き刺すような視線は無視し、メイルは調子を変えずに続けた。
「……私のおすすめは、ベリーのフラッペかな。
砂糖の量が丁度いいんだよ、甘すぎなくて飲みやすい」
「ハァ……ペラが回るガキだ……」
そう低く唸りながら、男の指がトリガーに触れる。
メイルもつま先の向きを変え回避の予備動作に入り——
「……あ?」
銃声の代わりに両者の耳に入ってきたのは、ガラスが砕け飛び散る音。
外で降っていた雨が風と共に吹き込み、
小さなつぶてがその背に降りかかる。そしてその視界の端で、
ギラリと輝く無骨な刀身。2人がその得物の持ち主の顔を視認するよりも先に、
よく研がれたそれは下から抉り上げるように、ライフルを構えた男の手指に食い込んでいた。
「——ッ!!」
皮膚を破って肉を削ぎ、中手骨へと到達する鋭い痛みに男の額から汗が噴き出ると同時に、
刀身はそのまま振り抜かれ、天井に肉片と血飛沫が飛び散る。
そして支えを失い宙を舞うライフルが床に落ちる間もなく、
ガラ空きになった男の脇腹、その真芯を、
細長い如意のような得物が横殴りの形で捉える。
受け身を取り損ねた男の大きな身体はバランスを崩し、
「…………ぅ」
派手に吹き飛び店の奥、店主が隠れている掃除用具入れ近くの棚に叩きつけられた。
何本かの指を失った右手をだらりと投げ出し、濡れた床にくずおれる。
・
「案外早かったな」
メイルが拳銃を持ち主の男の顔の前に投げ捨て返してやり、
肩で息をする双子に向き直る。
アイルは男の胴の形に沿ってひしゃげた園芸用の支柱を放り、
その肩に手を置き耳元で呟いた。
「……1人で無茶しないでっていつも言ってんじゃん。心配させ「あー、はいはい」
振り払うように身をひるがえし、薄ら笑みのまま店主が隠れている掃除用具入れへ。
歪んだ扉の隙間から紙幣を何枚か差し入れ、
「フラッペ美味かった。こんどは昼に来るよ」と声をかける。
一杯分にしては多すぎる額だったが、これは店の修繕費として。
彼が受け取ったことを確認し、メイルは再び踵を返す。
「後片付けは——」
「既に現地警察を手配してあります」
隣にぴたりと付き従い報告するフラウに「さすが」と
目を細める主人の後ろ姿にやや寂しげな視線を投げつつ、
アイルもまたその後を追う。
・
やがて割れたガラスと食器を踏みしめる音が遠ざかり、
雨音も止んだ中聞こえてくるのは、先ほどまでかき消されていた陽気な店内音楽。
「はぁ……はぁ……」
紙幣の束を手に掃除用具入れから出てきた店主の男が店内の惨状に眉をひそめる中、
その音楽にフェードインしてくるように、
警察車両のサイレンが通りの向こうから聞こえ始めていた。
………………
…………
……
・
……
…………
………………
・
11月23日-22時19分
・
希望ヶ峰学園寄宿舎2階の角部屋、雨頭目涼郎の個室。
卓上ランプの抑えられた光のみが薄ぼんやりと浮かぶ、
先日までの摘発作戦での大立ち回りや、
血と埃の飛び交う凄絶な現場を忘れさせるように
時間がゆっくりと流れる空間で微かに聞こえてくるのは、
2人分の穏やかな寝息。
「…………」
わずかに届くランプの光で白く縁取られている、雨頭目の薄く形の良い唇。
その隙間から漏れ出るすぅすぅという一定のリズムを子守唄に、
「…………」
彼の腕に抱かれながら——“超高校級の画家”
・
23時44分
・
「…………ん」
京都での一件やその事後処理で疲弊した脳内が、
肉体の回復と共に少しずつ整理されていく。
レム睡眠とノンレム睡眠を行き来する中で、
ふと雨頭目の意識が深層から浮上する。そして戻ってきた肌感覚に
わずかな違和感を覚え、思いまぶたを持ち上げた。
「……あれ」
おぼろげな視線の先、横になった彼の腕の中に先ほどまで共に寝息を立てていた
撫切の姿はなく、代わりに残り香と体温の残滓だけが、シーツの上に残されていた。
中学卒業前から付き合い始め、希望ヶ峰学園へ入学して以降、
寄宿舎での生活を共にする中で、彼らが1人で夜を過ごしたことはない。
苛烈な任務をこなす日々の中にあって、
そのわずかな平穏を心の拠り所にしていた雨頭目の脳が、
らしくもなく焦りの色を見せる。“水を飲みにでも行ったのだろう”
という安穏な想定が思い浮かぶことはなく、
寝覚めの頭は彼の思考を、ネガティブな方向へと導いていく。
・
“どこに行った?”
“連れ去られた? 誰に?”
“カルテルの連中? 夏生くんたちと摘発した……”
“まだ残りがいたのか? 寄宿舎のセキュリティは? 他の皆は?”
・
わずか数秒の間に、とめどなく湧き出る不安と不信、悪い予感。
雨頭目の額に浮かんでいた寝汗が引き、代わりに冷たい汗が一筋伝う。
その雫が白いシーツに落ち、小さな染みが広がり始めたところで、
「ぇっほ……ん……」と、
部屋のどこかから聞こえてきた咳き込むような声に、雨頭目が顔を上げる。
トイレの方向からだ。彼はベッドを降りて声のした方へ足早に駆け、
開きかけていたトイレの扉を開け放つ。
「…………しずは?」
灯りのついていない狭い部屋。その隅に雨頭目が見たのは、
弱々しくうずくまり、乱れた呼吸で肩を震わせている撫切の姿だった。
そして視線を移した先、蓋の開いた便座の内部には、彼女のものと思われる吐瀉物。
ひとまず悪い予感が当たらなかったことに安堵しつつも
予期していなかった光景に面食らった雨頭目が、
しかし冷静に片膝をつき、彼女の小さな背に優しく手を置く。
意識ははっきりしているようで、撫切は自ら手を伸ばしてレバーを引き、
彼の目を汚してしまったそれを流し去る。
水流の音が止み呼吸も落ち着いてきたところで、雨頭目がその背を撫でながら、
「……大丈夫? 何があったか話せる?」
彼女の顔に張り付いた前髪を左手で払いつつ問う。
撫切は幾度か瞬きをしてから「……だいじょうぶ」と
その指を握り、そのまま手を借りて立ち上がった。
・
23時50分
・
雨頭目と撫切はすっかり無人となった寄宿舎の食堂で2人、
温かい緑茶の入った湯呑みを手に、互いの精神を落ち着かせていた。
“夜中に何があったのか”という問いに対する彼女の答えは、
「——夢を見たの。とても、とても……怖い夢」
「夢?」
正確には、彼女の脳——
“決して忘れられることなく”
澱のように積み重なった無数の記憶が混ざり、溶け合って体を為した、
通常の夢の機能である“記憶の整理”とは真逆の性質を持つ“混濁した記憶の再上映”。
特務生徒会としての活動が始まる前の時点でも
幾度か同じような夢にうなされ目を覚ますことはあったが、
この日のそれはレベルが違った。経験したことのない血生臭さと、
経験したくもない実感を伴った痛み——
それは言わずもがな、特務生徒会としての活動を続ける中で否応なしに集積された、
数多のコロシアイとその犠牲者の亡骸、遺族たちの悲痛な叫び、
理不尽にも自分たちへ向けられる怨嗟の念といった、
高校生がその身で経験するにはあまりに重い記憶の数々によってもたらされたもの。
生来の体質であるこの特性との付き合い方は撫切自身も心得ており、
平時であれば深い眠りによって“不必要”と判断した記憶を意識の深層へと追いやり、
いわゆる“メモリの容量”を確保することができていたのだが、
この3ヶ月という短期間で彼女の脳に詰め込まれた情報量は、
時間換算で8年分はゆうに超えており、
文字通りの容量オーバーの状態にあった。
そのダメージが直接脳を傷つけることはなかったが、
彼女の身体は脳の稼働を優先させるあまり他の部分、
今回でいえば消化器系の運用に支障をきたし、
先ほどのような事態を招いてしまったのだった。
・
「うん……でも、大丈夫。さっきのでなんとなく掴めたから……余計な記憶の沈め方」
嘔吐によって余計な思考も吐き出されたのか、
その瞳には何か“解”を得たかのような明瞭な光が宿っていた。
それがどのようなものなのかは雨頭目の知るところではないが、
ともあれ彼女の顔色が戻ったこと、
そして何より彼女が目の前にいるという事実に雨頭目の側もまた心を弛緩させ
「……そっか」と湯呑みを口に運ぶ。
——でも、やはり。
「しずはさ、特務生徒会……やめたいと思ったことないの?」
察するに余りあるその負担と重責を、
できることなら取り去ってしまいたい。かねがね思っていたことではあるが、
先ほどのトイレでの姿を見て確信した。
これ以上、この子の身に無理はさせられない。させたくない。
事実として、彼女の生来の特性と“超高校級の画家”としての才能は、
雨頭目たちが特務生徒会としてコロシアイの摘発を行う中で
大きな役割を果たしてくれている。
わずかな目撃証言を元にした似顔絵の作成や、削除された映像記録の再現、
一言一句
彼女の活躍がなければ、先日の京都での事案も、その前の渋谷での事案も、
あそこまで迅速に動くことはできなかったろう。
撫切は、特務生徒会にとってなくてはならない存在だ。
しかし、それを理解したうえで、雨頭目は仲間としてではなく、
1人の女の子、自分の恋人として——
「……俺は」と言いかけたところで、
対面に座る撫切が湯呑みを空にしてテーブルに置き、
彼の暗くなりかけていた表情を覗き込みつつ割って入った。
「やめないよ」
「え」
目を丸くする彼に返答の間を与えぬまま、続ける。
「だって、わたしは“超高校級”だもん。わたしの才能と
世界を少しでも良くするために有用だっていうなら、使うべきだと思う。
使い方さえ間違えなければ、長持ちすると思うよ。
まぁ練習と、気の持ちよう次第だけど——」
「涼郎が一緒にいてくれるなら、その心配はいらないかな」と微笑み、席を立つ。
その笑顔は屈託なく、裏側に無理や我慢が隠されている様子もなかった。
その涼やかな表情につい頬がほころび、雨頭目は内省する。
目の前の彼女は自分が思っていたよりもずっと、強い人間だったようだ。
当然、今日のようなことが再び起きる可能性は十二分にあるが、その時は——
否、そうなる前に、
徹底して予防とケアに努めよう。テツとギンの仕事を増やすことにはなるが、
彼らの力を借りてみるのもいいかもしれない。
「……そっか。分かった、俺も……ベストを尽くすよ」
もうしばらく、特務生徒会としての仕事をこなす日々は続くだろう。
そう簡単に日常をに戻ることはできないだろうが、せめてその日常が——
いつか訪れる平穏が、居心地の良いものとなるように。
今はとにかく、目下の仕事に取り組もう。
「——部屋、戻ろ」
・
11月24日-00時18分
・
そう言って雨頭目の裾を引き、彼と共に個室へと戻ってきた撫切。
ひとしきり休んで落ち着いたとはいえ、
そのうなじには彼女の見たという“夢”の凄惨さを物語るような、
じっとりとした脂汗が浮かんでいた。このままベッドに戻るのは、
彼がそのあたりを気にしない性格とはいえ流石に遠慮が勝つ。
ベッドに腰かけスマートフォンを触っている雨頭目を横目に数秒思案すると、
軽い足取りで歩み寄り、自分と同じように汗で照っている彼の耳元で
「シャワー借りるね」と囁いた。
「あー……うん」
スマートフォンに視線を落としたままの生返事に
やや不満そうな表情を浮かべつつ、撫切はシャワールームへ。
「…………」
ドアの開く音に続き、彼女の鼻歌とシャワーの水音が聞こえる中、
要件を済ませた雨頭目がスマートフォンから顔を上げる。
「…………」
その視界の端、シャワールームのドアは、
施錠もされないまま半開きの状態になっていた。
「…………」
雨頭目の首筋を伝う汗が、ぽつりとスマートフォンの画面に落ちる。
そこに反射する彼の表情が、
特務生徒会として任務にあたる際にはまず見せることのない、
年相応の男子としての色を帯びる。
「…………っ」
ほどなくして、シャワーの水音が止む。
それに続いて、ギィ……という音と共に、彼はベッドから腰を上げた。
・
中学卒業前から付き合い始め、希望ヶ峰学園へ入学して以降、
寄宿舎での生活を共にする中で、彼らが1人で夜を過ごしたことはない。
それはこの日も、例外ではなかった。
………………
…………
……
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………………
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11月24日-10時35分
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翌朝。特務生徒会の1人である
“超高校級の僧侶”
先の渋谷で発生したコロシアイ事案で犠牲となった6人のうちの1人、
13歳になったばかりの孫娘を亡くした初老の男性の自宅にて、
和室の奥に設えられた仏壇の前に座り、経を唱えていた。
コロシアイ事案によって家族を失った遺族の心は、
葬儀による別れを経てもなおすぐに立て直すことは難しく、
今日のように彼が遺族の元へと直接赴き、積もる話を聞き届け、
その心を雁字搦めにしている重荷を1つずつ降ろしていくこともまた、
特務生徒会としての活動の一環となっている。
経を唱え終えた火零は男性に促され、彼の孫娘が使っていたという部屋へと通された。
からりと引き戸を開けると、飴色の勉強机の上に並べられた教科書やノートの類、
キャラクターものの文房具や雑貨などが、持ち主の帰りを疑うことなく待つように雑然と、
しかしそこにあるべくしてあるように並んでいた。
壁にかかっているハンガーには、ビニールが被せられたままの、
まだ一度も袖を通していない中学校の制服。
孫娘がこれを着て新しい学び舎へと駆けていく姿を
ついぞ見ることが叶わなくなってしまった男性の心中を察してか、
火零の目尻が微かに動く。窓が締め切られた部屋に漂う空気も、
犠牲となった女の子が生きていた当時のまま——
火零が部屋の中ほどまで歩みを進めると、
一緒に部屋に入った男性が、音もなく後ろ手で引き戸を閉めた。
パタ、という音に振り向くと、男性の顔には先ほどまで見せていた悲痛さ、
孫娘を亡くし悲しみに暮れる祖父としての表情はなく、
どこかいびつな、何かに取り憑かれているのではと思わせる、
そんな不気味な色が浮かべられていた。
「……お爺さま?」
火零は数珠を握る左手に力を入れつつ、警戒レベルを上げながら1歩2歩と距離を取る。
「…………僧侶様。いや、火零……壱矢くん」
しわがれていながらも明確な意思を宿らせた声色で名指しされ、
彼の警戒レベルがさらに上がる。
火零よりひと回り体格の小さな男性は彼の顔を下から覗き込むように、
まばたきもなく続けた。
「きみ……降霊術が使えるんだってね」
脈絡もなく登場したその単語に、火零の瞳が引き絞られる。
降霊術といえば元来は古代西洋に源流のある、
死者の霊魂を呼び寄せて占いや予言を行うという儀式の総称。
輪廻からの解脱へと至ることを目指して修行に身を投じる火零をはじめとする
仏徒とはまず相容れない、縁遠い概念のはずだが——
「…………?」
火零は無言のままさらに1歩後ろに下がり、
古びたフローリングの床が蚊の鳴くような声で軋む。
それに合わせて男性は前に出ながら、
「噂をね、聞いたんだ……“超高校級の僧侶”は
あの世と繋がる
条件を整えさえすれば、その身体に、死者の霊を降ろすことができる……と」
そう語る男性の目は、言ってしまえば“氣づいた”人のそれだった。
大方、希望ヶ峰学園の生徒やその才能について
語り合うことを目的に立てられたスレッドや、
動画サイトなどに投稿されている“超高校級”の生徒たちに関する
根も葉もない都市伝説の類を誇張して語った
コンテンツを目にし、真に受けてしまったのだろう。火零も例に漏れず、
インターネット上の有象無象によって様々な噂が囁かれている張本人ではあるが、
こと“降霊術”という切り口は初めてだった。
呆れよりもつい興味が勝り、男性に投げかける。
「噂ですか……その“条件”というのは、例えば?」
「……きみが一番よく知っているだろうに。
まず第一に、降ろす人物の情報を正確に把握すること、
そして、その人物の生前愛用していた物品を、
できるだけ多く用意すること……最後に——」
男性が3本目の指を立て、
「……降ろす人物の死から、7日以内に行うこと」
と、そう得意げに告げた。
「……ふむ」
確かに、理にかなってはいる。情報の把握については前提条件として、
愛用していた物品を用意するというのは間違いなく有効だろう。
物には、人の情念が宿る——彼の寺でも年に数回お焚き上げを行っているが、
その理由として“それそのものから視線を感じる”だとか
“声が聞こえてくる気がする”といういわくがあるものも少なくない。
さらに“死後7日以内に行うこと”に関しても、
降霊を行うための条件としては妥当だろう。
仏教における死後の世界観では、死者は命日を含めた7日目に、
三途の川のほとりに辿り着いて最初の裁き(三途の川の緩流か急流のどちらを渡るか)
を受ける。これが行われる前であれば、確かに降ろす人物の魂は、
多少の語弊はあるが“手の届く距離にいる”と言えなくもない。
火零の口元がわずかに緩む。昨今の都市伝説はこれだから厄介だ——
荒唐無稽な話を、事実に基づいたディティールで包むことで大衆を欺く。
しかし、都市伝説は都市伝説。彼は再び口角を下げると、
「興味深いお話ですが……残念ながら、
そのような力は私には備わっておりませんで、ご期待に沿えず申し訳ございません」
・
柔らかな、しかし毅然とした声と表情でそう言い切られ、
男性の顔に浮かんでいた期待の念がするりと剥がれ落ちる。
「……そう、か」
そして、生気の抜けた力ない声と共に姿を現したのは、
「——ならもう、きみに用はないな……」
落ちくぼんだ眼窩の奥から火零を見据える、明確な“殺意”を宿した視線だった。
その手にはいつの間に取り出していたのか、大ぶりの木槌が携えられている。
男性の顔から視線を移し、その得物を視界に捉えた時には既に、
男性は火零の間合いに入っていた。
低い姿勢から振り上げられた木槌が、彼の鼻先をかすめる。
「お爺様、何を——」
「…………」
問いには答えず、男性は空を掻いた木槌を持ち替えて追撃の姿勢に入る。
特務生徒会といえど、全員が全員、戦闘巧者というわけではない。
火零と撫切は、いわば安全地帯からの後方支援担当。
最低限の護身術はメイルや双子に手ほどきを受けてはいたが、
コロシアイ事案の被害者遺族の、しかも初老の男性ということもあって
無意識に警戒心を解いていたことが隙となり、咄嗟の反応に遅れが出てしまった。
頭上から振り下ろされ迫り来る木槌の
カシャアン——と、痛打を覚悟しまぶたを強く閉じた火零の耳に、
殴打の音とは似ても似つかぬ乾いた音が突き刺さる。
木槌を構えた男性も、反射的に動きを止めた。
少し遅れてその視界に飛び込んできたのは、
砕けたガラス片を伴い宙を舞う、赤褐色の大きなレンガ。
両者の視線が、それが飛んできた方向へと移される。
続けて彼らが目にしたのは、窓を砕いたレンガを追うように部屋へと飛び込んできた——
「……ッ、八咫莱さん!?」
返事はなく、真名巳の赤い瞳には木槌を持った男の姿だけが映っていた。
男は突然の闖入者に驚きの声を漏らしながらも、即座に標的を変更。
木槌を構え直し、着地と同時に真名巳の腹部を狙いにかかる——
が、既にその手から、木槌は姿を消していた。
真名巳ではない。彼女の着地に合わせて身を屈めた火零が、
男の意識が彼女に向いた一瞬の隙に、力の抜けた手からかすめ取るように奪い去っていた。
「——き、貴様……ッ!!」
丸腰となった男はなおも真名巳を脅威として排除せんと食ってかかろうとするが、
得物も持たない初老の男など——
「……ジジイはそこで寝とけよ」
起き抜けの彼女にとっては、
ウォーミングアップにすらならない、取るに足らない手合いでしかなかった。
男は間もなく、老骨を軋ませる痛みでもって、それを理解することになる。
・
10時41分
・
床に散らばったガラス片と、もうもうと舞う埃。
机上の文具類はいくつも落下し、壁に掛けてあった服の類はハンガーから外れ、
壁に背を預け白目を剥いて項垂れる、
両の親指を結束バンドで拘束された男性の足元に散乱していた。
わずか数分の間に様変わりした部屋の中、ようやく元来の冷静さを取り戻した火零が、
勉強机の前で空転していた椅子に腰かけたところの真名巳に問いかける。
「……八咫莱さん。ひとまず……説明していただけますか?」
・
彼女曰く、まず前提として——この男に孫娘などいない。
当然この家に、亡くなった女の子が住んでいたという記録はなく、
この部屋に置かれている机も椅子も、文房具、中学校の制服に至るまで——そのすべてが、
男の用意した“小道具”に過ぎなかった。
この部屋は、彼——“コロシアイ事案の間接的な加害者として、
誘拐した子供たちを実行犯連中に向け売り捌くブローカー”が、
攫ってきた子供たちを監禁しておくための、いわば
今回に限って言えば、火零を油断させるために孫娘の実在性をディティールとして散りばめた、
罠としての機能を併せ持った空間だった。規模こそ比べ物にならないが、
この男の行っていることは先日京都で夏生たちが摘発したカルテルと重なっている。
話を追うごとに表情を険しくしていく火零に、真名巳がスマートフォンを触りながら続ける。
「——で、コロシアイ配信に投げられたドネーションの何割かを、
報酬として受け取ってたんだと。しかも現役時代はエリート外交官。
そん時の人脈使って、顔と名前を何度も変えてる……
おかげで警察はほぼお手上げ状態だったんだが——つい昨日、ようやっと素性が割れた」
真名巳の語るところによれば、MVPは撫切。
先月から捜査に加わった彼女が特務生徒会としての活動を続ける中で
集積していた膨大な画像、映像記録や、捜査関係者の過去の証言に基づいた
記憶の再現イラストを元に外堀りを埋めていき、
この男の正体に辿り着くことができたという。
近頃根を詰めていた反動もあってか昨夜は悪夢にうなされなかなか
寝付けなかったようだが、今朝寄宿舎で彼女と顔を合わせた煤波羅の証言によると、
・
「なんかあいつさ……やたらツヤツヤしてたんだよ。
いや、いつも顔ばっか見てるとかじゃなく……般若間その顔やめろ」
・
すっかり元気を取り戻しているらしい。
「で、割り出したジジイの現住所に向かったら、
ちょうどお前がボコされそうになってたって話」
「……面目ない。しかし、なぜ子供狙いのブローカーが、私を……?」
しかも、わざわざ降霊術の話題を出してまで
“孫娘を亡くしたショックで真偽不明の情報に傾倒した哀れな祖父”を
演じた理由も、また判然としない。顎に手を当て思案する火零を横目に、
真名巳が頬杖をつきつつ口を開く。
「まぁ、コロシアイで小金稼ぎしてる連中にとって、
この前もロンドンでメイルが襲われたらしいし、その流れだろ。
お前を狙ったのは……」
“線も細く戦闘経験もない——言ってしまえば、弱いから”
などと口に出すことはなく、一拍置いて続ける。
「——僧侶ってのは“優しい人間”だってイメージがあるからな。
被害者の遺族のフリでもすりゃ、簡単に
多分降霊術の話も、意識を逸らして隙を作るためにしたんだろうな」
「…………」
火零からの返事はなく、代わりに口を突いたのは、
「……助けていただき、ありがとうございました。
あなたが来ていなければ、私は今頃……」
特務生徒会として活動を共にしてから3ヶ月、
珍しく弱った表情を見せた彼に、しかし真名巳は声色を変えることなく、
「あーそういうのいいわ。礼なら撫切に言ってやれよ」
「そんな顔されるよか、昼飯でも奢ってくれた方が普通に嬉しい」と続け、
まずは最寄りの警察署に連絡。事の仔細と事後処理を任せる旨をつらつらと伝え、
「行くぞ」
と、火零の肩を小突いて部屋を後にした。
「…………えぇ」
彼もつま先をドアの方へ向け、後に続く。
その脳内では、先ほど真名巳が語った話の内容が反復されていた。なるほど、どうりで——
・
“どうりで聞こえてくる声が、やたらと重なり、濁っているわけだ——”
・
男に通され部屋に入った時から抱いていた違和感の正体にようやく納得がいき、
火零の表情が、わずかばかりだが晴れやかになった。
・
11時09分
・
火零の寺の檀家が経営しているという焼肉店に向かう道中、
「——八咫莱さん」と、彼が唐突に切り出した。
「ん?」
視線は正面を見据えたまま返事をする彼女に、数秒置いてさらに続ける。
「……もしも、本当に“降霊術”などというものが実在したら、
八咫莱さんは……その、お兄さ「ない。絶対ない」
吐き捨てるように言い切り、歩くスピードがわずかに上がる。
歩幅を合わせてきた火零に先んじて、真名巳が小さなため息ののちに付け加えた。
「兄貴が死んだって聞いた時、私がそこまで悲しまな……悲しめなかったのは、
多分兄貴が死んだ瞬間を見てなかったからだ」
九道時雨子による刺殺の瞬間。その様子はホテル内の監視カメラに捉えられ、
その後現地警察を通して警視庁にも共有されていたが、
それが真名巳の目に入ることは当然ながらなかった。
「……だから、正直実感も湧かなかった。
いつの間にか“いなくなってた”って感覚だったからな」
——でも、もし。
「もし、その降霊術とやらで兄貴を降ろして、
何か話をしたとして……きっと、ずっと一緒にいられるわけじゃない。
“その時”がもう一度来て、今度こそ目の前で、
お兄ちゃ……兄貴がいなくなるのを実感したら——」
ひと呼吸置き、
「——多分、私は耐えられない」
そう結び、ちらと隣の火零を見やった。
「だから、もしあのジジイが言ってたことが本当だったとしても、
馬鹿な気は起こすんじゃねぇぞ」
特務生徒会の筆頭戦力、“超高校級のトラブルシューター”としての強さと、
兄を失った妹としての年相応の脆さとがないまぜになった
その声とわずかに潤んだ瞳に、火零が強く頷く。
「……不躾な質問でした。申し訳ない」
「別にいいよ……あ、悪いって思ってんなら——」
「?」
・
その日、彼らが寄宿舎に帰ったのは夕方5時を過ぎた頃。
真名巳は焼肉店への到着直後に今回のMVPである撫切と、
当然雨頭目も招集し、一通り皿を空にしたところで、
彼から送られた写真を目にしてたまらず自分の脚で駆け付けた般若間も合流。
卓はものの数分で肉の赤と脂の白で埋め尽くされ、またものの数分で更地に。
それを幾度か繰り返し、伝票は火零の手に。大衆店ではまず見ることのない長さの
レシートをかさばらせながら、
彼は自身の身の振り方、自己防衛の手段を、改めて考え直すこととなった。
「火零お前ちゃんと食ったのか? 肉付けろ肉」
「貴女と般若間さんがほとんど空にしたせいでは……」
「そんなに食べてましたかね……しずは、見てた?」
「牛一頭分ぐらいはいってたんじゃない?」
「にゃはは」
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………………
…………
……
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……
…………
………………
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#2へ続く
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