CHERNOLOGUE   作:あるぺす

2 / 2
始まるらしいです。


#2 NO TIME TO LOSE

 

 

11月26日-22時18分

 

 

東京、新宿。

新宿駅東口からほど近い場所にそびえ立つ、

地下2階、地上30階建ての高層ビル“Shinjuku Peaks(シンジュク・ピークス)”。

先の“人類史上最大最悪の絶望的事件”の鎮静化から数年後、

復興の象徴、新たな東京のランドマークとして建設されたその巨塔は今、

目の細かい安全ネットにその全容をぐるりと覆われたうえで“改装工事中”の看板を掲げ、

蟻の一匹すら侵入を許されない立ち入り禁止区域と化していた。

 

しかし、正面エントランスをはじめその周囲に現場作業員や建設機械の姿はなく、

ただ工事用点滅灯の赤い光が、建物の前を行き交う人々の隙間から見え隠れするのみ。

看板の前で足を止める通行人こそいれど、この眠らない街の喧騒の中、

そこに違和感を覚える者は誰一人としていなかった。

 

退勤した勤め人たちが電車を降り、駅を出て街へと繰り出していく。

群衆の雑踏の音が次第に厚みを増す中、

 

 

………………

 

…………

 

……

 

 

22時23分

 

 

「…………」

 

ネットと外壁を隔てた先、

Shinjuku Peaks1階フロアの暗く長い通路を人1人分の急いた足音だけが、コツコツと響き渡る。

冷たく沈んだ一面の黒の中、非常誘導灯の緑と消火栓表示灯の赤だけが、

足音の主——八咫莱真名巳の固く結ばれた表情の輪郭を、薄く縁取っていた。

 

 

Shinjuku Peaksは、地上1階から5階が商業施設エリア、

6階から最上階までがオフィスエリアとなっている。

食料品や雑貨を扱う店舗、ファストフードのチェーン店などが軒を連ねるこの通りは、

通常であれば平日でも家族連れなどで賑わうエリアだが、

この場所は今、彼女以外に人の姿はないうえ照明も全て落とされた、

無機質極まるリミナル・スペース。

 

自身の息遣いさえ耳障りな静寂の中、この階の探索を開始して既に40分強。

これといった収穫もなく焦燥感だけが募る中、

真名巳は脚を止めないまま、焦りを鎮めるように、ここまでの道行きを改めて回想する。

 

 

………………

 

…………

 

……

 

 

彼女が“目を覚ました”のは、21時44分。

商業施設エリア3階の寝具売り場にディスプレイされていたベッドの上だった。

上体を起こした真名巳は眼前に広がる何の脈絡もない光景に一瞬面食らったものの、

そこは特務生徒会。これまでの活動の中で培った洞察力で寝覚めの頭を働かせ、

自身の身体に外傷がないことを確認しつつ、

脳の奥から目覚める前の最新の記憶を手繰り寄せる。

 

 

思い出されたのは、川崎の工業地帯の外れにあるセーフハウス——

特務生徒会発足当初にHALBERDsから提供された彼らの拠点に集まっての話し合い。

確か時刻は、11月25日の20時頃。

メイルに招集され、生徒会メンバー全員があの場にいたはずだ。

そこで、事案の摘発をさらに効率的に行う方法や、

直近発生したメイルや火零を狙った刺客による襲撃への対策案など、

特務生徒会としての今後の行動方針についての話し合いを行い、

 

「…………」

 

行い——と、真名巳の記憶はそこで途切れた。

思い出そうにも取っ掛かりそのものが見当たらず、これ以上の思考は無駄だ、と即断。

“組織的な襲撃を受けたか、隠密裏に催眠作用のあるガスでも吸わされたのだろう”と結論付け、

彼女はベッドから腰を上げた。

 

 

その後、別のベッドで目を覚ましていた般若間と合流し、

二手に分かれて3階フロアの探索を開始。10分ほど脚を動かし判明した事実はまず一つに、

この建物には現在、電気の供給がされていないこと。エレベーターやエスカレーターはもちろん、

各店舗に備え付けられていた固定電話や内線の類も全て、操作に反応を示すことはなかった。

 

次に、外部との連絡手段が断たれていること。

2人のスマートフォンは奪われてこそいなかったものの、

モバイルデータ通信は不可能な状態になっていた。言うまでもなくWi-Fiへの接続もできず、

真名巳はバッテリーを温存するため、ひとまず端末の電源を切った。

建物全体がジャミングでもされているのか、基地局に何かがあったのか——

 

ともあれ、外部の力を頼れないのであれば、

自分たちだけでこの状況を打破する他に手立てはない。

2人は稼働していないエスカレーターを降り、般若間はそのまま2階、

真名巳はさらに降りて1階へと向かい、それぞれ探索を続けることにした。

 

 

………………

 

…………

 

……

 

 

22時25分

 

 

そして、他メンバーとの合流も並行して目指しながらフロアをくまなく歩き回り、

やがて真名巳が正面エントランスの前でその脚を止める。

 

「供歌!」

 

振り返りながら彼女が自身の後方、

2階へと続くエスカレーターを上り切った先を歩いていた般若間に向けて短く呼び掛けると、

 

「——ッと」

 

真名巳がエントランスに向き直るよりも早く、その右隣に般若間が馳せ参じる。

その声と共に耳に入るのは、磨かれた床を削る勢いの、厚底による急ブレーキの音。

そこに遅れる形で吹き付けてきた突風が、2人の服や髪を大きく揺らした。

 

「…………」

 

真名巳が乱れた前髪を手櫛で直しつつ、険しい顔で前を指差し、エントランスを見るよう促す。

般若間が足首を揺らしながら視線を動かした先にあったのは、

探索を続ける中で判明した、停電、外部との連絡不能に次ぐもう一つの事実。

 

 

2人が見上げる先には本来そこにあるはずの大きな出入り口のドアはなく、

代わりに黒く無機質な、分厚い防火シャッターが、正面エントランスを封鎖していた。

一分の隙もなく閉め切られたそれに近づき、

般若間が手のひらをシャッターの溝の上で滑らせながらこぼす。

 

「こっちもか……」

 

「こっちも……って?」

 

真名巳の問いに振り返りつつ、2階を指差しながら答える。

 

「さっき2階で、立体駐車場と繋がってる出入り口見つけたんだけど……

そこもこれと同じシャッターで塞がれてたんだよね。多分だけど、他の階も……」

 

つまり、

 

「——このビル全部が、バカでけぇ密室ってわけか」

 

なんとなく、自分たちをこの状況に陥れた犯人の狙いが見えてきた。

先日のメイルや火零の時のように、特務生徒会メンバーの命を狙っての犯行であれば、

セーフハウスで襲うなり眠らせるなりした時点で、

その場で全て終わらせることができたはずだ。

銃で撃ち殺すことも、ナイフで刺し殺すこともできたろう。

しかし犯人は、そうはしなかった。わざわざこのような密室を作り出し、

自分たちを眠らせたうえで、目を覚ますまで放置した。

今もどこかで、こうして思案投げ首の自分たちの様子をモニタリングしているのだろう。

 

見知ったシチュエーションだが、

いざ自分が“こっち側”になると、思いのほか居心地が悪い。十中八九、犯人の狙いは——

 

「真名巳ちゃん」

 

「あぁ。どうやら……私たちにやらせるつもりらしいな」

 

真名巳もシャッターに一歩近づき、拳を目の前の鉄壁に打ち付ける。

 

 

「——コロシアイを」

 

 

………………

 

…………

 

……

 

 

22時26分

 

 

同じ頃。建物5階フロアでは、別の拳がシャッターに叩き付けられていた。

般若間も言及していた、立体駐車場と繋がっている出入り口。

そこを正面エントランス同様に固く閉ざしている防火シャッターの前に立っていたのは、

 

「……痛って」

 

血管のくっきり浮き出た右拳を震わせながら引き戻し、

軽く振って熱を帯びた関節を冷ます夏生。そして——

 

「もう何十発目ですか……いい加減諦めなさい。

馬鹿力で太刀打ちできる相手ではありませんよそれは。どこかに制御盤があるはずです」

 

通路脇に設置されている簡易ベンチに腰掛け足を組み、正論で彼の頭を冷まそうとする火零。

2人も今1階にいる彼女たちとほぼ同じ頃、この階に入っている歯医者の待合室で目を覚ました。

軽く探索を行い、手にした情報もまた彼女たちと大差はない。異なる点と言えば、

この5階はビルのオフィスエリアに繋がるエントランス階にもなっているということ。

ただし上へと続く階段はシャッターにより封鎖され、

エレベーターは停電によって使用不可能な状態になっている。

オフィスエリアへのアクセスさえ叶えば探索の幅は大きく広がるが、

現状その手段がない以上、この階を含めた商業施設エリアで手掛かりを探すしかない。

 

 

「ほら、行きますよ」と火零が夏生のジャケットを引っ張るが、

その細腕では彼の大木のような体幹は揺らがず、ただ裾が伸びるのみ。

 

「おい……」

 

幼馴染である彼に対しつい素が出た火零に対し、夏生は腕を組みつつ振り返った。

 

「……確かに、これだけブチ込んでもダメなら、殴って破るのは無理かもなぁ」

 

「最初からそう言ってんだろ……」

 

「だったら次は……爆弾だな。ここ、デパートだろ? 材料ならそこらに「ねぇよ」

 

火零が雑にジャケットを離し、その手を額に当て眉間にしわを寄せる。

 

「あったとしても花火か爆竹が関の山だ。

それに第一このシャッター、爆弾があっても破れるかどうか……」

 

「やたらこいつ(シャッター)の肩持つなぁ。そんな頑丈に見えるか?」

 

「…………」

 

実際、火零の評価は正しかった。

Shinjuku Peaksの防火、防犯システムに採用されているこのシャッターは、

“人類史上最大最悪の絶望的事件”以降大幅に見直された安全基準と設計理念に基づき、

故・刺国(さしくに)為澄(いずみ)の遺したナノメタルのテクノロジーを応用して製作された、

サーモバリック爆薬による爆発にも耐えうる、現代日本の技術力の粋を結集した、まさに傑作。

物理的な破壊による突破に必要なエネルギーは、地中貫通爆弾(バンカーバスター)で最低レベルといったところだ。

当然、そのような破壊力をもたらすことのできる物が、この建物の中にあるはずもなく——

 

「……まぁいいや。じゃ、とりあえずこのフロア、

もう一周見て回ろうぜ。手分けしたとこ交換してさ」

 

夏生が踵を返し、

 

「互いに見落としがあったかもしれね……しれませんしね。

そうしましょうか、他の皆さんとも合流したいところですが……」

 

火零が眼鏡を掛け直しつつその後に続いて歩き出す。

 

「すぐに外に出られないのは今ので分かったし、どっかで鉢合わせるだろ」

 

「ですね」

 

言いながら軽く拳を突き合わせると、

2人はそれぞれ最初に自身が担当した区域とは別の方面に向けて駆け出した。

 

 

………………

 

…………

 

……

 

 

22時31分

 

 

4階フロア、レストランゾーンの一角にあるイタリア料理店のテーブル席に腰掛けているのは、

 

「……じゃあ、ここまで整理してきた情報を総合すると——」

 

無人の店舗のレジ前からくすねてきた店舗オリジナルのパンを千切りつつ、

スマートフォンのメモ帳アプリに視線を落とす煤波羅と、

 

「うん。私たちはあの夜……」

 

同じく、店の厨房から拝借したミネラルウォーターを注いだグラスを手に、

彼の対面で神妙な表情をしている撫切。

 

約1時間前にこの階で目を覚まして以降、

彼女は普段の寝起きではまず経験することのない頭痛に襲われ身動きが取れない状態だったが、

煤波羅の介抱によってなんとか回復。レストランで腰を落ち着かせながら頭を冷まし、

現状を把握するにあたっての頼みの綱であるその記憶力も、本来の明瞭さを取り戻していた。

そこからは煤波羅の質問に答える形で、11月25日の夜、

自分たちの身に何が起きたのかを分刻みで遡り、ようやく答えに辿り着いた。

特務生徒会の10人はあの夜——

 

 

「……わたしたちは、20時ちょうどにセーフハウスに集まって、05分には話し合いが始まった」

 

確かメイルが急な招集を謝罪し、全員に紅茶を淹れてくれていたはずだ。

 

「そこから26分時点までは、特に問題なく話し合いが続いて……」

 

グラスを傾けた撫切に続くように、煤波羅が口を開く。

 

「20時30分頃……だったよな」

 

「うん。わたしの見間違いじゃなければ、

部屋の天井近くにあったダクトから、29分時点で変な音がしてきて——」

 

それに追従する形で、室内の空気がわずかに湿り気を帯び始めたのだ。

最初に気付いたのは確か、夏生。しかし彼が明確な異変を察知し、

声を上げようとした時には既に——

 

「それからすぐに、意識が朦朧とし始めて、それで……」

 

指先、膝と順に力が抜け、椅子から落ちて床にくずおれた時の感触は煤波羅もまた覚えていた。

床に伏せたまま視界は白く閉じられていき、彼の意識と記憶はそこで途切れたが、

撫切の鼓膜と脳は“その後”の景色を無意識下で記録していた。

バタバタと皆が倒れ、最後に一際体格の大きな夏生が椅子ごと倒れ伏す。

ダクトからの空気が漏れ出るような音と、生徒会メンバーの弱々しい呼吸音だけが聞こえる中、

約1分半を置いて、別の音が撫切の鼓膜を揺らした。

 

「…………」

 

重い衣擦れと足音。椅子を引ずるような耳障りな金属音を捉え、反射的にまぶたがわずかに開く。

磨りガラスを何枚も重ねたようなもやの中で見えたのは、

弛緩した動きで遠ざかっていく人影が、線の細い誰か、

般若間かアイルあたりだろうか——の両手を掴み引きずりながら部屋のドアを開け、

その向こうへと消えていく姿。

 

「…………」

 

戻ってきたかと思えば、さらにもう1人を引きずってドアの向こうへ。

2人、3人と運ばれていくのを視線で追いながら、

 

「——————」

 

自身の背中が床を擦る感触を最後に、彼女の意識もまた、深層へと沈下していった。

 

 

「がっつりテロリストの手口だよな……心当たりは?」

 

「あるわけないでしょ。姿がはっきり分かれば、記憶を辿って特定できただろうけど……」

 

あの時見えた人影の輪郭は、あまりにも曖昧なものだった。

身長、年齢、性別すらも判然としない。

 

「だよなぁ……まぁでも、

相手が“それだけのことをできる奴”ってことが把握できただけでも十分か……

あ、つらそうだったのに、無理させて悪かったな」

 

「……謝らないでよ。そういうタイプじゃないでしょ、煤波羅くん」

 

「あー……」

 

つい素直に謝意が出た自分に時間差で赤面しつつ、

煤波羅がスマートフォンをしまったタイミングで、

彼と撫切の間、整然と並べられたこの店のメニュー表の上に、黒い塊が飛び乗ってきた。

グラスの中の水が揺れ、煤波羅は椅子から落ちそうな姿勢で固まっている。

2人の視線の先、果たして唐突にダイナミックエントリーをしてきたのは——

 

「……ギンちゃん?」

 

毛並みの良いドーベルマン。

雨頭目の相棒の1頭である彼はその呼びかけに答えるように目を細め、撫切の頬に頭を近づける。

彼がここにいるということは——

 

「……よかった。しずはも無事だったんだね」

 

主人である雨頭目も駆け寄り、安堵の表情で手を振る。

その姿が視界に入るや否や、撫切は弾かれたように座席から離れ、

 

「涼郎!」

 

出会い頭、その手を取るよりも先に両手を広げて彼に抱きつき、

ここまでの彼の不在による穴を埋めるように、その胸元に顔を埋めた。

雨頭目が「寂しかった?」と慈愛に満ちた表情で彼女の頭を撫でる様子を、

 

 

「…………」

 

残りのパンを黙々と口に運びながら、煤波羅は“無”の表情で見つめていた。

彼女について行ったギンに代わり、テツが彼の隣席に飛び乗ってくる。

「そう凹むなよ」とでも言いたげなその顔つきに、

 

「……んだよ」

 

通じないなりに言葉を返しつつ、その艶やかな背を撫でてやった。

 

 

22時35分

 

 

「なるほど……」

 

先ほどまで2人が話していた撫切の記憶の件を改めて本人の口から聞いた雨頭目は、

彼女の隣席で長いまつ毛を伏せてしばし思案し、

スマートフォンのボイスメモアプリを終了してから口を開いた。

 

「随分と手際のいい犯行ですね。

そこらの……今まで摘発してきたような犯罪者連中とは大違いだ。

それに、僕たち全員が集まったタイミングを見計らって

ガスを投入してきたということは、あのセーフハウスの場所も、構造も、

相手は把握しているということになる。相当な情報通か……」

 

わずかに視線を揺らす彼に代わるように、撫切が静かに続く。

 

「……特務生徒会(わたしたち)の中に、内通者がいるか」

 

「何言ってんだ急に。縁起でもないこ「“あり得ない”とは言い切れないはずです」

 

膝の上でテツを抱きながら苦い顔をする煤波羅の声を遮り、

雨頭目が真剣な顔つきでその理由を口にする。

 

「……僕は、2階フロアで目を覚ましました。1人……正確には、彼ら(テツとギン)も一緒に、ですが」

 

目を覚ました直後の彼は努めて冷静に今自分が置かれている状況を俯瞰し、

余計な思考は捨てて“仲間たちと合流する”と目的を絞って行動を開始した。

これだけ広大な施設だ。散り散りになった9人を探すのは至難の業だが、

フロアを駆け回って体力を無駄に消費する手段を選ぶほど、彼も愚かではない。

雨頭目は特務生徒会としての活動を行うにあたり、結成当初の時点で既に、

他の9人のメンバーの匂いをテツとギンに覚えさせている。

自分たちを攫った何者かが、この施設に運び込む前にシャワーや脱臭でもしていない限り、

必ず仲間たちの臭跡は残っているはずだ。

 

彼はテツに上階、ギンに下階をそれぞれ任せ、自身は2階の捜索を担当。

2頭には「姿は見えずとも、匂いが残っていることさえ分かれば今はいい」とオーダーを出し、

そこからおおよそ30分。2階の釣果はゼロだったものの、テツからは1階に真名巳と般若間、

ギンからは5階に夏生と火零、4階に撫切と煤波羅、

さらに3階から5階にかけての範囲でアイルとフラウの匂いが残っていた、と報告を受け、

すぐさま撫切のいる4階へと駆け付けたという。

 

「さすがは災害救助犬。てかいつの間に俺らの匂い覚えさせてたのかよ……」

 

やや引き気味に言いつつ、煤波羅が「……ん?」と首を傾げる。

 

「なぁ……メイルは? あいつの匂いは無かったのか?」

 

「…………」

 

雨頭目が腕を組み、どこか迷いを孕んだような、難しい顔のまま続ける。

 

「……えぇ。何度も確認しましたが、彼らが捜索した範囲に、

彼女の臭跡は残されていませんでした。これが……“あり得ない”とは言い切れない理由です」

 

ここにいる面々以外の姿をまだ目にしていない以上断定はできないが、

“一切の臭跡が残されていない”という事実は、

彼女に対する疑心を抱くのには十分すぎる違和感だった。

もしそうだとしてもその目的や動機は計り知れないが、セーフハウスの場所と構造を熟知し、

これだけの大仕掛けを計画、実行可能な手合いの候補としては——

 

「……妥当っちゃ妥当だな」

 

煤波羅がテツの頭に顔を埋めつつ呟く。

仲間を疑うようなことはしたくないが、

少なくとも今手元にある情報だけから考察すると、その答えが最も納得できてしまう。

納得できるだけの実力が彼女にあることを、

自分たちはここまで活動を共にしてきた中で知っている。

 

「とはいえ——」

 

と、雨頭目が手を叩き、居心地の悪くなってきた空気を切り替える。

 

「あくまでこれは可能性の話です。なにせ、把握できている情報が少なすぎる……

ひとまずここからは3人で行動して、他の皆との合流を目指しましょう」

 

「しれっと親衛隊のお二方あたりが、見つけ出しているかもしれませんしね」と結び、

椅子を引いて席を立つ。それに続いて撫切と煤波羅も立ち上がり、

テツとギンが殿(しんがり)になる形で彼らは再び動き出した。

 

 

………………

 

…………

 

……

 

 

22時36分

 

 

シャッターから離れ、真名巳と般若間は一度頭を落ち着かせようと、

ファストフード店が並ぶ通りの一角にあるドーナツショップへと入っていた。

棚に陳列されていたうちのいくつかを手に取り、

念の為レジスターの横に紙幣を何枚か置いたうえで、

座席に腰掛け口へと運ぶ。疲弊した脳に手早く糖分を流し込み、

 

 

「……行こう」

 

余韻を味わう間もなく席を立つ。

真名巳に続いて般若間も口の周りのざらめを払いつつ立ち上がり、

2人は上階へと続くエスカレーターへと向かった。

 

 

Shinjuku Peaksは、1階から4階までが大きな吹き抜け構造になっている。

今は照明が落とされているため1階から見上げてもただの暗闇が広がるばかりだが、

平時であればそこには、建物の西側と東側を繋ぐ通路がいくつも、何段にも重なる、

施設そのものを大きく貫くような、半ば恐怖さえ覚えるような空間が佇んでいたはずだ。

 

上からの景色もまたひとしお。

4階の東西を繋ぐ通路から見下ろす2人のシルエットはあまりにも小さく、

こうも暗い中では個々人の判別はほぼ不可能だ。そんな2人の影がエスカレーターの中腹まで

歩みを進めたタイミングで、彼女たちの後方、総合案内所付近の広場で展示販売用に

ディスプレイされていた真っ赤なボディの高級車の屋根に、

 

 

ッバアァァァン——ッッッ!! と、

けたたましい衝突音と共に、何かが物凄い勢いで落下してきた。

 

 

衝撃でフレームは歪みフロントガラスは細かく弾け飛び、

粉状になったそれが薄い白煙となって屋根の上に舞う。

 

「うわぁッ!! なに、爆発!?」

 

思わず身体を大きく跳ねさせた般若間が振り返るより早くエスカレーターから

飛び降りていた真名巳が、着地後の受け身も早々に音のした方へと走る。

 

「何が——」

 

真名巳が車の左脇、少し距離を取った位置に駆けつけたタイミングで、

ただの偶然か仕掛けられたものか、

1階フロアの照明が明滅を繰り返しながら1つ、また1つと点灯していった。

次第に開けていく視界、未だ明るさに慣れない目を細めながら真名巳と、

エスカレーターの上の般若間が動かした視線の先、真っ赤な車の屋根の上に見たものは——

 

 

………………

 

…………

 

……

 

 

 

「……ふぅ、ぁ……はぁッ——」

 

仰向けになり、眉間にしわを寄せて歯を食いしばり、

得物のマチェーテを右手で柄、

左手で刀身を押さえるようにして腕を震わせている銀髪の美丈夫——

フラウ・アルフェッカ。そして、

 

「…………」

 

彼の構えるマチェーテの刀身に直上から突き立てられた、

先端が鋭利に尖った鈍く輝く銀色——所々に赤が滴るそれは、頑強な鉄製のシャベル。

ギリギリと音を立ててその太い柄をを両手で構え、

ひしゃげた車の屋根にさらに体重を乗せて眼下のフラウを追い詰める。

 

「え…………」

 

ガラスの白煙が晴れた先、

真名巳はその見覚えのある横顔の、見たことのない表情に、足を止めて言葉を失った。

 

「…………」

 

恵まれた骨格から伸びる美しい鼻筋。深い眼窩に嵌め込まれ、

豊かなまつ毛に縁取られた薄緑色の瞳は瞬きもなくフラウを捉え、

陶器のように白い頬に飛び散った返り血が重力に従ってその曲線を伝い落ち、

嗜虐的な笑みを浮かべた口角へと合流する。

その唇に絡む金髪は血を吸ってなお艶やかに輝き、(あるじ)の息遣いに合わせて揺れている。

身に纏っているのは、華美なデザイン性を捨てて機動力と防御力に振り切った、

ワインレッドのコート——見間違うはずもない。

今、真名巳の目の前でフラウにシャベルの切っ先を向け、その喉笛を貫かんとしているのは、

 

 

 

「——メイル? お前、何してんだ……?」

 

 

 

 

 

 

“超高校級の令嬢”にして特務生徒会会長——メイル・アリアンロッド、その人だった。

 

 

 

 

「…………」

 

その声が耳に届き、彼女の視線がわずかに動いて真名巳の顔を視界の端に捉える。

メイルの意識がそちらに傾いた一瞬の隙を突いて、

 

「——ッ!」

 

フラウが仰向けの姿勢から身を翻し、シャベルを弾いて飛び退いた。

屋根の上で体勢を立て直そうとするがメイルの反応は想像以上に早く——

 

「……ッと」

 

空を掻いたシャベルをつま先で跳ね上げ、大きく振りかぶって彼の首元へと叩き込む。

フラウは即座にマチェーテで防御するが、刀身に腕を重ねてもなおその衝撃は重く鋭く、

 

「ぐ——」

 

勢いそのままにメイルがシャベルを振り抜くと同時に両足が屋根から離れ、

左手首の辺りから嫌な音を立てながら、彼の身体は後方へと吹き飛ばされた。

受け身を取る間もなく、フラウは通路に面したガラス製のショーケースへと「やっば!!」

 

 

「…………般若間、か」

 

あわや激突、すんでのところでエスカレーターを駆け下り、

彼の身体を受け止めながら雑貨店の大きなクッションへ突っ込み

勢いを殺すことに成功した彼女の腕の中で、フラウが大きく息を吐く。

般若間は状況を理解できないまま、

遠目では見えなかった彼の満身創痍の背中に視線を落として表情を強張らせた。

 

「フラウくん、何があったの……? どうしてメイルちゃんが「うるさい——」

 

その声と腕を振り払うように立ち上がり、側に落ちていたマチェーテを拾おうとする。

しかしその左手首は、

 

「ちょ、それ折れてんじゃん!」

 

皮膚の上からでもはっきりと分かるほど大きく腫れ、手根骨の一部の位置が明らかにズレていた。

しかし、なおもフラウは「黙れ」と一蹴し——

 

「ただの脱臼だ」

 

そう吐き捨てながら右手で左手首の腫れた部分を力任せに叩き、

握ったマチェーテをスナップを効かせて振り下ろすことでズレた手根骨を元の位置に戻した。

半ば恐怖にも似た般若間の視線をその背に受けながら脚を動かし前に出ると、

直線距離にして10メートル先、赤い車の砕けた屋根の上では、

シャベルを担いだメイルが色のない視線を彼とその後方の般若間、

そして彼女に駆け寄る真名巳に向けていた。程なくして、

 

「おいなんだよ今の音! 何が——って、え……?」

 

先ほどの落下音は吹き抜けを通じて上階にも鳴り響いていたようで、

煤波羅をはじめとする生徒会メンバーが各階から集合する。

3階通路の手すりから身を乗り出している夏生と火零の隣には、

途中で合流したらしいアイルの姿もあった。

彼女もまた弟ほどではないが怪我を負っており、その息遣いは荒い。

 

「これは……」

 

2階からの下りエスカレーターの中腹で足を止めた雨頭目が、

先ほど撫切たちと話していた“可能性”が最悪の形で実体化している

目の前の光景に表情を曇らせる。テツとギンの鼻腔に、なおも彼女への反応はない。

 

 

「…………」

 

1階フロアのほぼ中央、赤い車の屋根の上で、

自身を見上げる視線と見下ろす視線に囲まれたメイルはしかしその顔色を帰ることなく、

シャベルを歪んだ足元に突き立てながら、

 

「……思ってたより早起きだったなぁお前ら。ガスの量、日和ったのがいけなかったかな」

 

と、微かな笑みを浮かべた。

 

 

雨頭目たちの考察は正しかった。

しかし悪びれもせずその解を口にした彼女の表情からその真意を読み取ることはできず、

驚愕と混乱、そして恐怖の中で、9人はただただ、押し黙ることしかできない。

チリチリと肌を焼くような沈黙が続く中、

 

「まぁ何はともあれ、全員揃ったわけだ——」

 

メイルが自身の後方、総合案内所がある方に向き直り、

カウンターの背後に設置されていた大型の案内板——横幅約4メートル、

縦幅約2.5メートルのLEDサイネージに向け、静かに告げた。

 

 

 

 

M.O.N.O.(モノ)……始めてくれ」

 

 

 

 

 

 

#3へ続く

 

 

 

 

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