When The "Saints" Go Marching In Ivalice 作:N22b
B.B.759 3月22日 シルバニア国立病院整形外科
「サディア・ヒサーリ様、診察室へどうぞ!」
受付の看護師の澄んだ声が白亜の待合所に響く。
サディアは待合所の席を立つと、案内に従って診察室に入った。
「はい、いらっしゃい。」
初老の男性医師がにこやかに挨拶し、サディアを席に促す。
「私が診るのは施術以来だね。ここ2週間は研修の子達に任せてたけど、大丈夫だった?」
「はい、とても良くしてくれた・・・と思います。術後の痛みもありませんし。」
サディアは軽く会釈しながら答える。その顔には幾つものガーゼがテープ止めされている。頭には包帯とネット。
「それは何より。ま、研修医とはいってもこのヨシュア・ターカスの弟子達だからね。その辺の開業医には負けないように鍛えてるのよ!」
ターカスと名乗る医師は眼鏡を光らせながら軽口を叩いた。
「今日、最後に私が診て問題なければ終了だ。もうガーゼや包帯は要らないよ。」
そう言いながら、サディアの顔に張り付いたガーゼや包帯を外していく。
「うんうん・・・少し腫れぼったくなってるけど、治癒魔法ですぐに引くから。」
ターカスが目配せするとサポートの研修女医がサディアの顔面にケアルを唱えた。顔面の腫れた感じが一気に引いていく。ターカスが再び顔面をのぞき込んだ。
「・・・うん。キレイな奥二重だ。瞳の色もよし。碧色から鳶色に変えるなんてね。逆は多いのだけれど・・・。鼻も顎もちゃんと出来上がってるね。傷跡も、なし。髪は・・・よし、ちゃんと変えた色で生えてきてるね。コレは魔法も使った新技術なんだよ。いちいち染め直さなくて良いから、美容院殺しだな。はい、鏡」
ターカスが床屋で使うような鏡を持ってサディアの前に突き出す。施術後の顔を見るのは今日が初めてだった。事前に打ち合わせしてシミュレートしたとおりの顔ではあったが、改めて見ると現実感がない。
「随分、シュッとしましたね・・・いや、全然大丈夫です。注文通りですから。」
「まあ、元が大分、優男だったからね。アレはアレで魅力的なベイビーフェイスだったけど、まあ今も良いよ。いかにも軍人らしくてさ!あとは、筋トレして鍛えればバッチリだな。あ、筋肉整形術もあるけど、やってく?」
ターカスはそう言うとおもむろに自身のシャツの腹をめくって見せた。年相応にたるんだ身体の腹の部分だけが、見事なシックスパックになっている。あまりのアンバランスにサディアは目を丸くした。
「あ、いや、そこまでは・・・もう時間もないんで!」
「そうか残念!まあ、君は若いし、自分で鍛えたほうが良いよ!じゃあ、お疲れ様!プライベートで変えたいところがあったら、また来たまえよ。」
ターカスから送り出されたサディアは精算処理の順番を待つために、待合室のソファに身を預け、目を閉じる。自然と、先月の「その日」のことが思い出された。
2月1日(その日)、在ダルマスカ大使館の警備官としての任期を終えて帰国したサディアをオフィスに呼びつけたのは、情報軍の上官であり、義父でもあるオニクス・ヒサーリ少佐だった。
サディアがオフィスに入ると、オニクスが笑顔で出迎えた。
「どうだった?初めての国外勤務は?」
「ダルマスカは熱いね!2年ぶりに帰国出来たのはうれしいけど、惜しむらくは女の子達の露出度が一気に下がったことかな。」
課業時間を終えたオフィスには他に誰も居なかったので、特段、上官と部下として取り繕う必要は無かった。
「それはご愁傷さまだ。ハニー・トラップにはあわなかったか?」
「残念ながら、そんなおいしい事は無かったよ。」
しばらくの間、サディアは、任地での体験を冗談交じりに義父に話して聞かせた。
義父オニクスは笑みを絶やすことなく、息子の土産話に耳を傾けた。やがて、話題はサディアの転勤先の話になった。
「ところで、次の任地はどうなりそうなんだ?」
「中央の地誌班になりそうだよ。ダルマスカで大使に言われたんだ。『次は内地に腰を据えて、結婚相手でも探せ』ってね。それで、どうも口利きが行ったらしくて。」
「ハッハ!大方、羽目を外して遊び過ぎたのが大使の耳にでも入ったんじゃないか?しかし・・・そうか、お前ももうそんな年になったか!」
オニクスはそう言って笑った。そして笑い終えると、ポツリとこぼした。
「お前は、お袋さんに似て、イイ男になったよ。この分だと、アジョラちゃんも、さぞかし綺麗になってるかもな。」
その瞬間、サディアの顔つきが変わったのをオニクスは見逃さなかった。オニクスはしばらく息子の顔を眺めていたが、やがて手元のメモに何やら書きなぐると、サディアに手渡した。
「今日中に資料室に行って、そこに書いてある番号の記事を読んでこい。」
「・・・?」
サディアが見上げた義父の目は、先ほどとは打って変わって真剣そのものだった。
「記事を見て、もし気になる事があれば、明日1000時、シュワルナゼ課長のオフィスに来るんだ。」
「明日は新着任地に挨拶にいかないと・・・」
「知っている。お前の人事発令の案文はもう見たよ。だから、記事を読んでも、何も思うところが無ければ、そのまま、地誌班長に挨拶に行ってもらって構わない。これは上官としての命令だ。」
「・・・了解しました。」
命令という言葉を聞いたサディアは、不可解な表情を残しつつも、姿勢を正して敬礼した。
部屋を出たサディアは資料室へと足を運ぶ。
義父の態度がいきなり変わったことや、突如、不可解な命令を出されたことよりも、その口から妹の名が出たことがサディアには驚きだった。
(なぜ、義父さんが、あいつの名前を口にしたのだろう・・・)
自分がベルべニアから引き取られた時、オニクスは、悲嘆にくれる自分に、
「ベルべニアのことも、アジョラのことももう言わない、自分の幸せだけを考えろ。」
と言った。そして実際、それから十数年の間、オニクスは自分を『一人息子』として扱いながら、彼女や、べルべニアのことを話題にすることは一切無かった。子供心に、オニクスが自分を気遣っているのは良くわかった。成人して、軍に入隊した後も、それは変わらなかった。その義父が、唐突に、そしてどう考えても意図的にアジョラの名前を出した。
(あいつの身に何かあったのだろうか?)
そう考えているうちに、資料室にたどりついた。手持ちのパンチカード・キーを差し込み、施錠を解く。
渡されたメモに記されたラックを開く。中にはファイルが1つ。開くと、そこには、アジョラを特集したドールマンの記事のコピーが張り付けられていた。
「あいつ、いったい何をやってるんだ・・・」
記事を読んだサディアは思わずこぼした。
そして、記事の最後に書き込まれた注釈に目が止まった。そこには義父の筆跡でこう書かれていた。
俺達には、責任がある。そうだろう?
翌日、サディアの姿はシュワルナゼのオフィスにあった。部屋にいるのはシュワルナゼとサディアの2人だけ、義父の姿は無かった。
最初に口を開いたのはシュワルナゼだった。
「よく来てくれた。ヒサーリ少佐からは、こちらに来る確率は5分5分だろうと聞かされていたが・・・彼女は良いお兄さんを持ったようだ。」
サディアの頭は完全にこんがらがっていた。妹が国境地帯で、新興宗教の教祖まがいのことをやっている・・・それだけでも驚きだというのに、今度は目の前の指揮官が、あたかも妹を良く知っているかのような事を言い出す。もはやわけがわからなかった。
「中央の方には私から言っておいたよ。君は今日から私のチームに入ってもらう。君のお義父上の推薦だ。」
サディアの脳裏には、義父が記事に記したメッセージが浮かんだ。
サディアは口を開こうとしたが、何から話していいのかわからなかった。その様子を察したシュワルナゼが続ける。
「君が、妹さんの事について何も知らなかったのは当然のことだ。君は、国境地帯の出来事に関知しうる立場には無かったし、私の作戦についても同様だ。」
「作戦・・・?」
「君にはこれからいろいろと働いてもらうことになる。驚くこともあるだろうが、良く聞いてほしい。」
そう言うとシュワルナゼは、オペレーション・ウォール・ブレイカーの全てをサディアに話して聞かせた。そして最後にこう付け加えた。
「一人の人間として・・・君の肉親をこんな風に使っていることについては申し訳なくも思う。だが、君も軍人なら、わかってくれると信じている。」
サディアはしばし黙っていたが、やがて視線を上げると口を開いた。
「作戦の内容については理解しました。なぜ、妹がその中核にいるのかも判りました。作戦の拡大に伴って、新しいスタッフが必要なことも・・・。ただ、何故、私なんですか?私より優秀な同期ならいくらでもいます。エージェントの実の肉親を作戦に関わらせるなんて、聞いたこともありません。」
「私個人としては、連絡員が君である必要性は無かった。さっきも言ったが、これは、ヒサーリ少佐の強い推薦があったからだ。君の子供時代の事は少佐から聞いたよ。随分と過酷な経験をしたようだな。」
「・・・・・」
「君は知らなかっただろうが、少佐は、もう10年この作戦に関わっている。私は、かつて少佐に聞いた。私は、君の姪っ子を使って、この作戦をやる、とね。その時、彼はこう言った。『あの子から兄を引き離した自分には、あの子の人生に対して責任がある、だから自分は作戦から降りるわけにはいかない』とね。少佐は、君を無理やり、ここに連れてきたのかい?」
「・・・いえ、資料室のドールマンの記事を読んで、もし気にかかるのならここに来い、と。記事の最後には、義父のメッセージがありました。『俺達には責任がある』と。」
「なるほどな・・・つまり、ここにきて君に選択させたわけだ。今まで通り、オニクス・ヒサーリの『一人っ子』として生きるか、それとも、アジョラ・グレバドスの兄として、妹の人生を背負って生きるか・・・」
「・・・・・」
「少佐は相当思い悩んだはずだ。この作戦に君を関わらせれば、少なからず君を苦しめることになるだろうとね。君を見ていれば、少佐がどれだけ君に愛情を注いでいたか、良くわかる。彼を尊敬しているかい?」
「それは間違いありません。義父は、私を引き取って、実の子同様にここまで育ててくれました。私は、ヒサーリ家の人間であることに誇りを持っています。」
「私は、作戦に私情を持ちこむことはイレギュラーだと考えている。まあ、私に限らず、ほとんどの指揮官はそうだろうな。だが、少佐は違った。君に注いだのと同じ愛情を君の妹君に注ぎ込み、この作戦の裏方として誰よりも精力的に動いてくれた。そして、おそらく、君にも、彼女の兄としての務めを果たしてほしいと考えている。一軍人である以上に、一人の人間としてね。指揮官には向かないだろうが、熱いハートを持った男だよ。」
そう言って、ひとつの分厚いファイルをよこして見せた。表紙には、めったに目にすることのない『アイズ・オンリー』の刻印。
サディアがそれを開いてみると、そこには、2年以上前からのアジョラの活動記録がびっしりと書き込まれていた。ケース・オフィサーがまとめたであろうその一つ一つに、義父の筆跡での注釈が書き込まれていた。アジョラの錬度、体調、精神状態、教団の運営状況、そしてサポートすべき事項の上申等々。
サディアの脳裏に義父の姿が浮かんだ。ベルべニアでのあの日、義父は、自分をアジョラから引き離すことをひどく思い悩んでいた。だが、引き取る、引き取らないに関わらず、義父は自分を見守ってきたのと同じように、彼女を見守っていたのだ。そして、その一方で、自分は、のうのうと自分の人生だけを追いかけていた・・・。
「義父は、私を引き取ってからつい昨日まで、妹の事を一切口にしませんでした。恐らくは、私が思いわずらわないように・・・」
「そうか。だが、今度は一転、君をこの作戦の一員として推薦してきた。少佐は、君が十分に成長したと判断したんだろう。彼女の人生から目を背けず、支えてやれるほどにね。」
サディアには、義父がこの場にいない理由が良く分かった。義父は愛情豊かだったが、決してそれをひけらかしたり、ことさら口に出すようなことはしない人間だ。とてもこんな場面に同席は出来ないだろう。
「わかりました。サディア・ヒサーリ上級中尉、謹んで任務を受けます。」
サディアは改めて姿勢を正し、敬礼した。
「よし!ではさっそく、ブリーフィングをしたいが、大丈夫かな?」
シュワルナゼが、やや上目づかいにサディアを見た。
(あの時は、ああ言ったものの・・・)
そう思いながら、サディアは再度、目を開けた。その顔は憂鬱げだ。
いくらシュワルナゼが優秀だと太鼓判を押したところで、自分の記憶の中でのアジョラの姿は相変わらず、聞き分けのないお転婆のガキのままなのだ。それが今や、同盟諸国の元首直々の作戦の中心だという。あまりにもギャップが激しすぎて、全くイメージがつかない。
(そもそも、何だって中佐はあいつなんかに目をつけたんだろう。顛末の説明は受けたけれど、全く実感が沸かないな・・・)
名前を呼ばれ、会計を済ませると病院の正門を出た。その先には義父のオニクスが立っている。
「義父さん!迎えはイイって言ったのに・・・」
サディアはややバツが悪そうな顔をしながら義父の方に足を進めた。
オニクスは怪訝な顔をしていたが、すぐに目を丸くすると
「あ!お前だったのか!いや、全然違う顔のがコッチに来るから最初は人違いかと思ったぞ!・・・はー、なんか、アルケイディアの北の方の顔みたいだ・・・髪も真っ黒になって!」
と感嘆の声を漏らした。
「情報員が顔を変えるなんてのはちょくちょくある話だと思うけど・・・」
とサディア。
「そりゃ、ベテランのコントラクト・エージェントの話だよ。顔が売れてきたら「リセット」しなけりゃならんからな。だが軍の、それも士官が、ていうのはそうそうない。義理とはいえ、息子の顔が急に変わるのは複雑だよ・・・。」
ー 顔と名前を変えさせてくれ ー
それが「作戦」に参加するに当たってサディアが出した条件だった。経緯はどうあれ、かつて妹を「見捨てた」自分がのうのうと彼女の前に姿を現すことはできる気がしなかった。ましてやコミュニケーションを取ることなど思いもよらなかった。「責任」はある。ただ、義父やサドルのようにはできない。あの時、妹が一番頼りにしていたのが他の誰でもない自分だったことは分かっていた。だが自分は離れた。あの時は他にどうしようも無かった、という結論は今でも変わらないが、それも慰めにはならない。どう楽観的に見積もっても「あら、兄さん!お久しぶり!」などということにはなるまい。どう転ぶにせよ、相当に気まずいスタートになってしまうだろう。自分の存在が作戦の進行にマイナスになってしまっては本末転倒だ。うん、そうだ。義父の期待に応えつつ、作戦の順調な遂行に寄与するには、アジョラを他人としてサポートすることが最適なのだ・・・!それがサディアが出した結論だった。
「10年以上会ってないのだし、顔まで変える必要はないだろう」とオニクスは眉をひそめたが「いつバレるかとヒヤヒヤしながら仕事をするのは心臓に悪い。」とサディアは譲らなかった。
「で、肝心の名前は考えたのか?」
オニクスが聞く。サディアは、しまった、という顔をした。整形手術に頭がいっぱいで、そちらの方に頭を回していなかった。しばし頭をひねる。
「・・・ハリ・レイレナード」
「聞き慣れない感じの名前だな?」
「最近やったゲームに出てきた名前を適当にくっつけた。」
「お前な、そういうのは、カバーストーリーをちゃんと作って、民族的なバックグラウンドとかいろいろ考えた上で付けるもんなんだがな・・・」
サディアの短絡的な回答に呆れたオニクスだったが、小さく笑うと
「・・・だが、まあ良い。最近は子供にそういう名前の付け方をする若いのも多いからな。いいよ。今後はあの子の前ではその名前で通しな。」
そう言って、サディアの背中を優しく叩いた。名前を変える、と言ってもあくまで彼女の「教団」と接触する際に使うためのものだ。戸籍上の名前まで変わるわけではない。
「さて、じゃあご対面といくか。」
オニクスがサディアを病院前のロータリー、チョコボ・タクシー乗り場に促した。
「コッチに来てるのかい?」
サディアが眉をしかめる。
「ああ。四半期ごとの定期報告でな。我々が向こうに行くよりも、彼女をピックアップして連れてくる方が簡単でリスクも少ないんだ。」
「そうなの?」
「ああ。腕のいい専属パイロットもいるしな。それに今回は、たまたまこの近くの軍用ホテルに場所を取ってたから丁度良い。」
そう言ってオニクスが待たせていたチョコボ・タクシーの扉を開ける。対面4人がけの座席の1つに年の頃40手前といった感じの女性が1人。サディアに顔を向けると笑顔で小さく手を振った。サディアも小さく会釈してからヒサーリと席につく。
「貴方がお兄さん?」
そう言って女性は整形されたサディアの顔をまじまじと眺めた。
目を丸くするサディアにオニクスは「彼女と、ネルベスカのバルビエ博士にだけは、お前の「身元」を伝えている。」と明かす。「こちら側」で一番世話になる2人だから、と。
「フフ、是非顔を変える前に会ってみたかったわ。ねえオニクス、彼、元は彼女に似ていたの?」
「私の感覚では似てはいませんね。彼女は父親似、彼・・・サディアは母親似の金髪碧眼の優男でね。私は別に整形なんてしなくて良いと言ったんですが・・・」
そう言いながらオニクスは頭を掻く。
「そう。あ、失礼。私はネフスカヤ少佐。パイロットよ。」
階級を聞いたサディアは着座のまま姿勢を正して敬礼する。
「サディア・ヒサーリ上級中尉です。」
「ああ、いいのよ。楽にして。」
「義父さんが言ってた専属パイロットって・・・」
「そんなふうに言ったの?」
ネフスカヤは少しおどけたような顔をオニクスに向ける。
「他の仕事もちゃんとしてるわよ。まあ、チェスターが彼女関係の仕事は毎回私に振ってくるから、そんなふうになってるだけで。」
そこまで言うとネフスカヤはハッとした顔でサディアの方を向け
「あ!それが嫌だって訳じゃないのよ!むしろ逆。あの子、妹さん?とても良い子。私「達」、彼女のファンなのよ。」
そう言ってケラケラと笑った。
ネフスカヤの笑い声で場の雰囲気が和む。サディアは肩の力が抜けていくのを感じた。
「そうなんですか?ご迷惑おかけしてませんか?あ、私が知ってる妹は、それはジャジャ馬で、言う事なんかマトモに聞いたためしがないもので・・・」
ついペラペラと口が走る。
「そうなの?まあ確かに「大人しい」ってことはないわね。とてもお喋りさん。まあ、あちらではずーっと演技で疲れるのでしょうね。定期報告で私が迎えに行くと、もう喋る喋る!飛空艇なら周りに聞かれる事も無いしね。でもおかげで、私以外のクルーも作戦の専属チームみたいな扱いになっちゃったけれど。」
ネフスカヤによると、それはアジョラの誤解に端を発していた。国境地帯での活動を開始してから初めての定期報告の際、迎えに来たセイレーン輸送艇の中で仕事の成果を嬉々として全部ぶちまけてしまったのだ。実際にはネフスカヤだけが作戦に関する情報の取扱指定者だったのだが、アジョラはクルー全員がそうだと誤認していた。正規の軍人であれば、過失による軍規違反で懲戒の対象にもなるような案件だが、彼女以外に代えの利く作戦でもないが故に、彼女には口頭注意(ゼルテニアの「教官」からのキツイお叱りと反省文)で済まされた。報告に慌てたシュワルナゼはその時のセイレーンのクルーが話を他言していないことを確認すると、全員を集めて作戦のブリーフィングをし、改めて情報の取扱者に指定した。その結果、アジョラの定期報告の際には、毎回同じクルーが集められることになってしまったのだ。幸運なことに、その時のクルーは副操縦士のアキュラ中尉以下「レインフォール・オブ・ハーヴェスト」の時にアジョラをピックアップしたのと同じメンバーだったためクルー達の理解は速かった。
「私のチームメンバーったら、彼女がセイレーンに乗り込むといつも「お嬢!お嬢!」ってはやし立てるの。予想外の展開だったけれど、皆、楽しんでるようで何よりだわ。何よりも彼女がね。」
ネフスカヤはそう言うと懐から1枚の写真を取り出して見せた。飛空艇の機内で撮ったとみられる写真には「祝18歳!」と描かれたホールケーキを満面の笑顔で抱えたアジョラと、その周りを囲む飛空艇のクルー達の笑顔。
「皆さんが、アイツのガス抜きになってる?」
「そんなところね。なんだかんだ言ってもまだ10代の女の子よ。私の娘の1人と同じくらいだけれど、娘に同じ事をやれと言ってもとても出来ないわ。」
(ちょっとしたアクシデントのお陰でアイツは存外、楽しめているのか。自分はホントに必要なのかな?)
サディアの頭にチラとよぎった。
そしてそれを見透かしたかのようにネフスカヤが続ける。
「でもね、私も私のチームもあの子からしたらオバチャンとオッチャンばっかりなの。唯一20代のコ・パイロットはモーグリだし。貴方、あの子とは幾つ?」
「5歳差ですね。」
「ね。若い貴方が来てくれて助かるわ。彼女の良い友達になれそう。」
「・・・友達、ですか」
そう言いながらサディアはチラとオニクスの方を見る。実際、この作戦の中での自分の立ち位置や役割は聞かされておらず、自身でも良く分かってはいなかった。ただ一つ言われていたのは、彼女に直接コンタクトを取る立場になる、ということだけだ。
少しばかりの沈黙の後、オニクスが口を開く。
「この作戦で一番大事なのは、彼女の精神状態だ、といっても過言じゃない。向こうではサドル君達のサポートがあるとはいえ、彼女がリーダーだ。何万、いや何十万もが彼女に期待し、一挙手一投足を見ている。我々には想像も出来ないプレッシャーを感じるだろうし、不安や悩みもあるかもしれない。彼女には実務的なサポートだけじゃなく、精神的な支援も必要なんだ。」
「俺にカウンセラーになれ、と?」
「そんなに堅苦しいものじゃあない。思うに、彼女には「家と家族」が必要なんだ。お前になら分かるだろう。あの日から、あの教会はあの子の「家」ではなくなってしまった。自分を殺して、役割を演じなければならない、いわば「職場」だ。今だって本質的には変わりがない。向こうにいる間は「教祖」を演じ続けるわけだからね。違うのは我々のサポートがあることと、何より彼女自身がやる気だということだが・・・誰だって働いた後には休息が必要だろう?肩に背負った全てを降ろして安らげる「家」がね。彼女にとってその「家」はどこだ?感じたことをぶちまけて、一緒に笑ったり怒ったりできる「家族」は?」
サディアはオニクスの問いに思いを巡らす。あの時、ベルベニアの教会が「家」でなくなってしまったのは自分も同じだ。自分は義父に救われた。今は独立したとはいえ、自分にとっての安らげる「家」はシルバニアのヒサーリ家に違いなかった。ではアジョラは?そう考えたとき、オニクスが彼女の定期報告を国境地帯内ではなく、こちら側に設定した理由が解った。単なるリスク管理だけではない、彼女の心をケアするための方策。自分を救ってくれたのと変わらない、妹への気遣いに違いなかった。
「・・・義父さんは、変わらないなあ。公私混同も良いところだ・・・」
「目標達成にプラスなら、何も問題はないさ。中佐も理解してくれている。まあ、彼女の起こしたトラブルのおかげもあって、私が思ったよりもずっと所帯じみた環境になってしまったがね。」
オニクスはそう言って目尻にシワを寄せた。
「じゃあ、俺は少佐がいうように、アイツの友達になれば良いのかな?」
サディアの問いにオニクスは微笑んだまま小さく首を横に振る。
「どう接するかは、お前が決めるんだ。最初は色々と迷うところもあるだろうが、まあ、思ったようにやってみるんだ。」
チョコボ車が速度を落とし、軍用ホテルの前に停まる。
「もちろん、ただのバカンスではないから、彼女から報告も受けるし、コチラから必要な事も伝える。今日は私がやるから、お前は挨拶程度にして横で見てるといい。」
オニクスはそう言うと席を立ち、車を降りる。サディアとネフスカヤもその後に続いた。
「イェニ・サンノウ」と看板が掲げられたホテルのゲート下には、ボーイと呼ぶには屈強に過ぎる警備員。3人はそれぞれIDを掲げてゲートをくぐる。同盟諸国の軍が保養やレセプションのために使うために建てられたホテルだけあって、内装は広々と格式高くしつらえられていた。
植物を模した曲線的なデザインで統一された淡いベージュの大理石のフロントでヒサーリが問い合わせる。「415号室のラナ・トーラス氏はご在室かな?」
「お呼びしましょうか?」
フロントの申し出にオニクスが頷く。内線電話が掛けられるがコールには出ない。フロントは受話器を置き、手元の端末を確認する。
「トーラス様はフィットネス・ルームの予約を取られてますね。おそらくそちらの方にいらっしゃるかと。」
オニクスは礼を言うと案内板も見ずに奥手の通路に足を向けた。
「こっちだよ。何度か使わせてもらってるホテルだから大体覚えてる。」
「ラナ・トーラスって?」
サディアは不可解な顔でオニクスに問いただす。
「彼女だよ。あの子もコチラじゃ偽名さ。顔はともかく、名前は同盟諸国(コチラ)でもチョコチョコ売れてきてるからね。身分も軍属扱いでIDと軍の後払い用カードを渡してある。」
横を歩いていたネフスカヤが唐突に吹き出す。
「この人ったら最初、カードに限度額設定しないであの子に渡したのよ。そしたらどうなったと思う?あの子ったら、物珍しかったんでしょうね。初めての定期報告の時、ホテルのルームサービスを片っ端から使い倒しちゃったの!スパのVIPコースまでね!流石にお酒は頼まなかったようだけど。」
「請求がとんでもないことになってて焦ったな。アレは私の不注意だった。今はちゃんと限度額設定してるよ。」
「ハメを外すところも可愛いわ。」
どうやら、根っこのお転婆ぶりは健在らしい。それにしても2人がアジョラの話す時は本当に楽しそうだ。自分1人が悶々としているのがどうにもむず痒い。サディアは居心地の悪さを抱えながら2人の後に続いた。
3人は幾つか並んだパーソナル・フィットネスルームの前で足を止める。使用中の札が掛かっているのは1室だけ。オニクスが呼び鈴を押す。
「はーい!」
ドア越しにややくぐもった声が聞こえ、一寸置いて扉が開く。鳶色の瞳に、後ろに括ったやや灰色がかった白髪。直に見るのは十数年ぶりだが、サディアにもそれが妹であることはすぐに分かった。
オニクスが腰に手を当てて小さなため息をつく。
「いきなり開けない・・・ちゃんと相手を確認する。」
「あっ!・・・ゴメンナサイ・・・」
指摘されたアジョラは申し訳なさそうに肩をすぼめる。その手にはゴム製の拳銃。
「護身銃術?」
「型稽古は毎日しとけ、って叔父さんいってたじゃん。だから・・・」
「それは感心だな。じゃあ確認だ。護身において一番大事なことは?」
「敵を作らない!」
「よし、では2番目は?」
「逃げる!3キロ走12分、テレポは1秒!基準タイムはクリア出来てるよ。」
「よろしい。銃術なんて最後の手段だからな。」
そう言ってオニクスは満足気にアジョラの頭を撫でた。
「ダイエットにも良いのよね、護身銃術。」
ネフスカヤがオニクスの後ろから合いの手を入れる。
「おばさん!」
アジョラが自分より一回り大きなネフスカヤに埋もれるように抱きつく。
「またラウンジのカフェでケーキでも頼んだんでしょ?で、ここでカロリー帳消しにしようとしてるんじゃない?」
「そんなこと!オホホホ・・・」
冗談半分のネフスカヤのツッコミのはずだが、アジョラの目は泳いでいる。
「あんまり食べ過ぎると私みたくなっちゃうわよ。ダイエット出来る魔法はないのにね。」
ネフスカヤがたしなめるが
「あら、おばさんみたいに胸が大きくなるなら私、歓迎よ?」
アジョラは減らず口で返す。
彼女がどうやって「定期報告」に来ているか、サディアは道すがらに聞いていた。春分・夏至・秋分・冬至の日、彼女は「神々との対話」のために、元はヴィエラの集落があった原生森に1人で赴く。森は聖別され、彼女以外の何人も入ることは許されないようにした。鬱蒼とした原生林の中央部は集落跡の空き地になっており、そこがネフスカヤが搭乗するセイレーンのランディングゾーン、即ちアジョラのピックアップポイントになっているのだ。セイレーンは「バニシュ」を起動しているので、森の外にいる信徒たちに気取られることはない。概ね1週間程度の休養と報告、そして作戦会議を経て、「対話」を終えた彼女は再度「聖別の森」に降ろされ、「いかにもな感じ」で森から出てくるのだ(因みに、その「いかにもな感じ」をどう演出するかでアジョラとオニクスはひと悶着起こしていた。常識的な「断食苦行者」スタイルを提案したオニクスに対してアジョラは「1週間も泥まみれ虫まみれの森の中にいるのに、キレイな服のまま、肌も髪もツヤツヤでいい匂いさせて出てくる方が人間離れしてて聖者ポイント高くない?」と筋が通っているようでその実、下心丸出しの逆提案をしたのだ。擦った揉んだの激論の末、結局は保守的な「苦行者スタイル」でいくことになったのだが、「どうせメイクでボサボサのルンペン・スタイルにされるのだから」と、その前にホテルのエステ・サロンで最上のトリートメント&リラクゼーションコースを受ける権利を獲得したのだという)。
「アイツ、ここに来て何日目?」
ちちくりあう女2人を横目にサディアがオニクスにボソリと聞く。
「3日目だな。」
「なるほど。」
サディアは再度アジョラをまじまじと見る。記憶を辿ってみる限り、今の愚妹ほど肌艶の良いベルベニア女など見たこともなかった。運動のために無造作に束ねた白髪からはいかにも高級なトリートメントの良い香りが漂ってくる。清貧なる在野の聖女というよりは贅肉の燃焼に勤しむ貴族のドラ娘である。紛うことなき「偽りの聖者」。だがそんなことはサディア自身が誰よりも先に知っていたことだ。
アジョラがサディアの視線に気づく。
「ええと、この方は?」
サディアは無意識に身構える。
「新しくチームに入った。レイレナード上級中尉だ。」
オニクスが淡々と紹介する。サディアはオニクスの淡々ベースに乗せて、これまた淡々と
「ハリ・レイレナードです。はじめまして」
と手を差し出す。アジョラも
「あ、はい。ヨロシク。」
とビジネスライクにその手を握る。生き別れた兄妹の、あまりにも素っ気ない再会。しかも困ったことにサディアには、この先何を喋って良いのかアイデアらしいアイデアも無かった。正確には、色々考えてはいたのだが、全て吹っ飛んでしまった。
サディアの窮状を察したオニクスが機転を利かす。
「そうだアジョラ!せっかく銃術の型稽古してたんなら、ハリ君と組手でもしたらどうだい?審判は私がやってあげよう。」
そう言ってサディアに目配せした。
「えぇ!?いや・・・はい。彼女が良ければ・・・」
サディアの護身銃術は士官学校の格技訓練とクラブ活動で経験していた程度で、実戦で使えるようなレベルではなかった。一方アジョラのそれも、戦いで使うためのものではなく、あくまで万が一、身体に危険が及んだ場合や拘束の危険が生起した場合に緊急避難的に用いるための護身スキルとして通用する程度であった。双方のスキルを把握してるからこそのオニクスの提案だった。
「玄人の試合じゃないんだ。せいぜいひと汗流してアイス・ブレイクといこうじゃないか。」
「まあ、いいわよ。おじさんが言うならね!」
そう言うとアジョラは両手に持っていたゴム銃の一つをサディアに寄越し、自身の銃を帯の後ろに挟みフィットネスルームの奥手で構えをとった。
「レイレナード中尉?」
「・・・ハリでいいですよ。」
「そう、ハリさん、段位は?」
「・・・初級です。陸軍の特戦隊や特別高等警察の特殊捜査員じゃあないですからね。」
「そりゃ良かった。私も初段で偉そうなことは言えないの。ケガさせないでよ?」
「そりゃ、もう。」
サディアはそう言うと上着とネクタイを取り、アジョラと同じく銃をベルトの後ろに挟み、構えた彼女の手の甲に自らの手の甲を合わせ、相半身の体勢を取る。主に3m以内の超接近戦での執銃術と付随する当身・関節技の技法の総合が同盟諸国統合軍で制式化された「護身銃術」であり、組手の際にはその状態(納め銃の手合せ)から始めるのが礼法だった。組手では相手に正確に銃口を向けた状態で発砲音を叫ぶのが有効打、部位によって「技あり」か「一本」を審判が判定する。関節を極めて相手を制圧しても「一本」だ。2人の呼吸が合い、一寸の静寂の後、「はじめ!」のオニクスの号令が響いた。
サディアは様子見と接触でのケガ防止の意味も込めて足を引き逆半身に、距離を取りつつ抜銃し構えの動作を取る。いわゆる「引き撃ち」の型であり、積極性には欠けるが相手に動きを邪魔されづらい安全策であり、相手の反応が鈍ければそのまま狙いを付けて一本をとることも出来る。だが、十数年前には一方的にシバかれて泣かされるだけだった妹は、果たして果敢に兄の懐に飛び込むとサディアが構える前にその眉間に手の甲で当身を入れた。開かれた指がサディアの瞼を打ち、視界と判断力を奪う。一瞬怯んだサディアの胸元にさらに飛び込むとその銃を持った手首を掴み一気に小手返しの体勢に入る。このまま投げられれば腕と手首を極められて銃を奪われる。妹の狙いを察知した兄は反射的に脇を締めると手首が極まりきる前に前回り気味に飛び極めを外す。(大した度胸だ!)感嘆するサディアの目の前では、アジョラが速やかに抜銃し、狙いを付けようとしている。サディアは銃口が自分の身体に向く前に肘を彼女の腕に押し込み銃先を外す。そこから10秒程は両者譲らずに、体捌きと当て身で相手の射線を外しては自らの銃口を向け・・・の繰り返し。中々狙いの付かない中、サディアの心中に苛立ちがたまりだした。自身の心配やら悶々とした心情をよそに義父達と「お調子よくやっている」彼女へのものなのか、かつては一方的にやり込めていた妹相手に精彩を欠いている自身へのものなのか、或いはその両方なのか、とにかくサディアの無意識下に、このイラつきを目の前の妹に一発ぶつけてやりたいという衝動が生まれた。サディアは体を捻り一瞬足腰に溜めを作ると、鉄山靠の要領でやや乱暴目なタックルをかました。
サディアより体重では一回り軽いアジョラの身体が後方に吹っ飛ぶ。尻餅をつき、後ろ回りに受け身をとるが部屋の広さが足りずに壁に叩きつけられる。そしてほぼ同時に「一本!」のオニクスの声が部屋内に響いた。アジョラを吹っ飛ばしたサディアは動きを止め、不可解といった顔をする。どれだけ強くても当て身で銃術の有効打は取れないからだ。だが、オニクスは2人に始めの位置に付くよう促すと、アジョラの方に勝者のハンドサインを出した。そしてもう片方の手でサディアの頭を指した。頭部への有効打(ヘッドショット)による一本勝ちの判定。イラつきで頭に血が上っていたサディアは気付いていなかったが、彼がタックルのために溜めを作った一寸の隙に、アジョラは兄の頭に狙いを付けて気合十分の発砲音を叫んでいたのだった。
肩で息をしていたアジョラが「ヤッタ!」と叫んでガッツポーズをとる。サディアは「初めての(兄妹喧嘩での)敗北」に一瞬呆然としたが、直ぐに自分がやらかしたことを自覚すると、アジョラに駆け寄った。
「あ、あの!ケガはないですか!?」
作戦の「最重要アセット」たる彼女の身体にサポートスタッフがキズをつけるなど絶対にあってはならないことだ。(義父に「公私混同だ」などとどの口で言えたものか!)サディアは自らの不明を恥じた。
「え、あー・・・」
問われたアジョラは首、肩、腰をひと通り回してみると「んー、大丈夫みたい。」
と返した。そして
「ねえ、手抜きしてないよね!?」
と唐突にサディアに詰め寄った。
「しませんよ!」
詰め寄られて一歩後ずさりながらサディアが答える。アジョラが笑顔になった。
「いやー、一本取るって爽快だなー!コレならゼルテニアの学校でももっと気合い入れてにやってたのにな!いや、私の段位って、試合に勝って取ったやつじゃなくて教官との組手で技量判定されただけのヤツだからさ。」
「・・・そうなんですか?」
「そ。訓練学校じゃあ教官に毎日ケチョンケチョンにされるだけだったからね。銃技教えるためだけにわざわざロマンダから呼んだ教官らしいんだけどコレがめっぽう強くてさ。知らない?プレストン教官。何人かしかいないらしい「赤帯」なんだけどさ。」
「残念ながら。士官学校の教官は皆、黒帯でしたね。」
「そうかー。なんで軍隊の学校が黒帯教官なのに、私みたいなか弱い乙女にあんな厳しい教官つけるかなー?」
そう言ってアジョラは非難めいた三白眼をサディアからオニクスに移す。
「君がヘマをしても絶対に捕まってもらっちゃあ困るからね。向こうじゃ私達が助けられない分、身を守るのと逃げるのに必要な技術はしっかり身につけて貰わにゃあ!」
オニクスは悪びれもせずに返した。
「そのために護身銃術を?ダイエット目的じゃあなかったんだ。」
サディアは改めてアジョラを見る。本人は初段だと言ってたが、初手を無銃(素手)で来た胆力やタックルの隙を瞬時に突く技量を考えれば実際にはもうプラス1、2段でもおかしくはないだろう。それを女性でここまでやるのは中々ない。当然ながら、シュワルナゼに連れ出される前の妹には格闘技どころかマトモに身体を動かす経験すらなかった。オニクスに聞いたところでは「生き神」時代はほぼ家(教会)にカンヅメだったのだ。それをたかだか2年足らずでここまでにするとは、プレストンとかいう教官はよほど厳しく彼女を鍛えたに違いなかった。
「・・・銃術以外にも護身術を?」
「貴方、叔父さんから聞いてないの?やったわよー!最初にベルベニアからコッチに来てから1年間なんて、ほぼほぼ体力錬成に護身術、忍術、治癒・撹乱魔法に敵性装備品操法の訓練だったんだから!」
「敵性装備品操法?」
「ユードラ製の銃器、車両、小型飛空艇、AC・・・1人で動かせるものならひと通り動かせるように叩き込まれるわけよ。万が一ヘマして捕まって向こうに連れて行かれたら、それら全部使って意地でも逃げ帰ってこいってさ。」
「AC?ああ、アームド・コンプレックスのことですか・・・そんなものまで?」
主にモーグリやヒュムが搭乗する「アーマー」と総称される機動兵器群、その中でもユードラが圧倒的な工業力で作り出した「AC(Armed Complex(武装複合体))はその最終進化形とも言える代物だ。過去、情報軍が必死のオペレーションでOSと幾つかの機体バリエーション、武装の設計図を盗み出したが、あまりに高い工作精度とそれ故のミミック菌への耐腐食防護を要求することが分かり「絶対に模倣出来ない」事だけが判明したという、曰く付きの兵器システムだった。
「アタシもそう思うわよ。流石にACは実機じゃなかったけどね。ユードラから入手した設計図ベースでシミュレーターだけは作ってたみたいで、「折角だからやっていけ」って、わざわざネルベスカまで行かされたのよ。まあ、ユードラの乗り物って規格とか基本的な操法がガッチリ統一されてるし凄い自動化されててメンドクサイことは機械が勝手にやってくれるから、ひとつ覚えれば飛空艇もACも結構潰しが利くんだけど・・・流石にACなんて操縦することあるのかしら?第一・・・」
アジョラの苦労話だかウンチクだかを片耳で聞きながら、サディアは横目にオニクスを見る。彼女にそんなカリキュラムを組んだのが義父の差し金だとすれば、その目論見は明らかだった。作戦を統括するシュワルナゼにとってどうかは知らないが、オニクス個人にとってアジョラの「任務達成」は二の次なのだろう。作戦が順調だろうが失敗しようが、何かあった際には愛する姪っ子を絶対に生きて帰らせる。だからこそ、「教団教祖」としてのスキルよりも先に、護身と逃走に必要な術を叩き込んだのに違いなかった。そして、目の前の一見ただのお調子者の妹は、おそらく2年という決して長くはない期間に大層な努力をして求められた技量を身につけたのに違いなかった。
「さて、双方いい汗も流したようだし、一風呂浴びたらミーティングといこうか!」
オニクスが壁にかかったタオルをアジョラに、ネフスカヤが持っていたネクタイと上着をサディアに差し出した。
「了解!じゃあ、30分後に部屋に来てね。」
アジョラはフィットネスルームを後にする3人にヒラヒラと手を振った。
一旦、アジョラと別れたあと、3人は時間調整の為にホテルのラウンジに腰掛けた。
「どうだった?久々の再会は?」
オニクスが問いかける。サディアは一寸考え込んだ後、頭上のシャンデリアを見あげながら口を開いた。
「そう・・・だね。まずは義父さんに感謝、かな。」
「うん?」
「組手を采配してくれたろ?下手な挨拶なんかより、アイツのことが良く解った気がする。・・・根っこは昔と変わってないってこと。そして・・・ああ見えて凄く努力してるらしいってこと。で、何よりも今を楽しんでるってこと。」
サディアの答えを聞いたオニクスは目を細めた。
「そう感じてくれたなら、何よりだ。」
「フフ!まるで男同士の友情譚みたい。肉体言語で分かり合う、なんて!」
ネフスカヤが合いの手を入れる。サディアは首を横に振った。
「正確には分かり「合えて」はいませんね。私は正体を隠しています。どうやら向こうは気づかなかったようですし・・・そういう意味じゃ、フェアじゃない。」
「じゃあ、どうする?今からでも全部話しちゃう?」
ネフスカヤの問いにサディアはもう一度小さく首を横に振った。
「意地悪いわないで下さいよ。・・・整形費用が無駄になってしまいます・・・」
一寸の沈黙の後、オニクスが膝を打った。
「さ、そろそろ彼女の部屋に行こうか。サディア。銃術の組手をしたくらいで彼女の事を「解った」なんて言ってやるなよ?それじゃまるで、ただの脳筋みたいだ!」
「そうじゃあない?」
「これから打ち合わせだ。彼女がどれだけ脳みそも使って頑張ってるか、しっかり見てやってくれ!」
そう言うとオニクスは席を立った。
514号室。定期報告のミーティングはアジョラの近況報告から始まった。コチラに着いてからの2日間は休養で、3日目の今日からが近況報告と作戦会議となる。証拠を残さない為、報告に紙面や魔石に記録した資料の類は一切なし。全ては彼女の記憶にかかっていた。
獲得した信者の概数、(農場、炊き出し、医療、有力者スポンサーの獲得等)事業の立ち上げと運営実績、収入と支出、加えて信者や各コミュニティのニーズ等々・・・神のかの字も出てこない。
(これじゃ宗教というよりは企業の業務報告だ。ここに座っているのが軍人でなく株主だったらまるきり株主総会じゃないか)
報告の内容を聞くサディアの率直な感想だった。だが、考えてみればそれもそうだ。彼女が「神の御子」なんかでないことは誰よりも兄である自分が分かっていたことじゃないか!
それにしても、淡々と実勢報告をするアジョラの姿は、先ほどのお調子者とは打って変わって真面目な経営者そのものだった。サディアの目は、オニクスに語りかける生気に満ちた妹の目に釘付けになった。
「教団」は、アジョラの「神の御子」という設定の一点を除けば極めて実利的な方針で運営されていた。それが「国境地帯を一国家として成立させる」というシュワルナゼの方針だったからだ。彼女のカリスマはその事業を円滑に進めるための潤滑剤だった。ドグーラ〜ベスラ・ラインの山脈を挟んで数十万平方kmに及ぶ広大な無主地には、唯一の都市国家であるベルベニアの他に、多様な民族・氏族構成による小コミュニテイが無数に点在していた。尋常な方法ではコレを一つの国民国家に仕立てるなど100年かけてもおぼつかない事業に違いなかった。各コミュニティがその日暮らしの小規模農業、物々交換に毛が生えた程度の商業を営み、僅かな余剰生産物から得られる雀の涙ほどの現金収入でベルベニアで作られる農工具や肥料を買い付ける。ベルベニアから離れた集落はそれも出来ないため、部族ごと盗賊に身をやつして、比較的裕福な集落から略奪したり、人身売買に手を出す集団も後を絶たない。それらを取り締まる警察組織も無ければ、そもそも「法」がないので「違法行為」も無い。国無き民衆が頼れるのはそれぞれが小さなコミュニティの同胞と、まだ「国家」の枠組みの中で暮らしていた先祖の代から守り続けていたキルティア教の神々への信仰だけだった。だが、彼らの唯一の共通項たるキルティア教は、実質的に彼らに何をもたらすこともなかった。唯一の大都市ベルベニアでは、ビクトル・グレバドスのように、聖地ブルオミシェイスで修行し、正式な比丘戒を受けた聖職者が所在していたが、それとて地域コミュニティのハブ以上の役割はこなせなかった。まだ30手前で「オペレーション・ウォール・ブレイカー」を立案したシュワルナゼ大尉(当時)は、この地を国家として成り立たせるための要素を「生産」「流通」「秩序」に分けた。国境地帯内には、北部のベルベニアの様に工業やサービス業に秀でる(反対に農業生産効率は低い)地域もあれば、南東部の旧ランベリー領の様に潜在的に農業に適した地域(国境地帯として条約で分離させられるまでは、ランベリーの穀倉地帯として高い農業生産高を誇っていたが、領土放棄させられた現在では大部分が耕作放棄地となっていた)もある。埋蔵資源を有望視されながら戦乱とその後の緩衝地帯化の為に手付かずのままの鉱山や炭田、油ガス田も少なからず存在した。各地域ごとに適した産業を発展させ、生産物を流通させることが出来れば、地域全体が自活可能な体勢を作り上げるだけの地力がこの地帯にはある。それがシュワルナゼの見立てだった。最大の問題は100年以上の無法地帯化のためにバラバラに分断され、相互不信状態にある小コミュニテイ群をどうやって統合し、シュワルナゼが描いたゴールに向かわせるか、であった。結局のところ、総計200万超の民力を統合させることが出来なければ計画は絵に描いた餅でしかない。氏族と限られた同胞しか信じられないこの地域の民衆がすべからく信じることの出来るもの。混沌が支配する地に「秩序」をもたらすお伽話のような「救世主」。シュワルナゼはその原石を辛抱強く探し続け、4年目に「幾つかの不幸な偶然の産物」として世に出てきたアジョラ・グレバドスを8年かけて見定め、そこから2年かけて磨き上げ、万全を期して再びその地に送り込んだのだ。
結論から言えば、少なくとも現時点でシュワルナゼの見立ては間違っていなかった。齢6歳にして彼女は既にベルベニアの信仰の対象であり、14歳で起こした(正確には「シュワルナゼがプロデュースした」)「麦の雨の奇跡」により、その名は広く郊外にまで知れ渡った。その後2年間を経て、この「神の御子」は、人民を導くための知識とリーダーシップ、そして決して表に出ることはない「同盟諸国統合情報軍の後ろ盾」という力を備えて帰って来た。聖女の帰還に人々は熱狂した。およそ、この地において最も獲得するのが困難な「広範な信用」を現状彼女以上に有している人物はいない。そして、現地に在ってその「信用」を武器にシュワルナゼの描いた青写真をカタチにしていくのがアジョラの「仕事」だった。しかし、確かに彼女のブランド力は絶大だったとしても、それだけで全てが上手くいくほど甘くはない。人々を勇気付ける救いの言葉がただの空証文だとなれば、余裕のない民衆はすぐにでも愛想を尽かすだろう。彼女の地元ベルベニアはそれでも彼女を支持するだろうが、そうなれば最悪ベルベニアとそれ以外の地域をさらに分断させることになる。そうなれば作戦は瓦解するだけだ。そうならないために、アジョラには「自身への信用(信仰)を拡大して人手(信徒)と金を集め」「生産と流通を拡大」し「目に見える実利」と「安寧の内に暮らせる秩序」を民衆に提示し続けなければならなかった。10代の少女、それも実際には何の神通力も無いただの少女がそれをやるのだ。今日、サディアがアジョラの姿を目にするまで、既に2年半に渡って彼女はそれを破綻させることなく続けていた。サディアの知る彼女は断じて天才の類などではない。シュワルナゼにやれと言われたという理由だけでこんな事業ができるわけもない。彼女自身が並々ならぬ熱意と努力で成り立たせているのに違いなかった。それを想った時、サディアは目の前の妹に圧倒された。何が彼女を突き動かしているのかを知りたいとも思った。そして、たとえ自らの素性は隠したとしても、作戦に関わる以上、中途半端な姿勢では許されないことも自覚した。アジョラはサディアの視線に気づくこともなく、それまでの定期報告でもそうしていたようにオニクスに語り続ける。
「差し当たっての問題は、穀物のストックが足りないこと。前回までの集団農場の収穫が予想外に少なかった影響が出てるわ。西ランベリーの収穫はまだ先。これじゃあ貧困集落での定例の炊き出しも出来ないのよ。」
「炊き出しを延期はできないのか?」
「あの地方の人達は、私が麦やジャガイモを降らせるたりパンや魚を無限増殖させたり出来るって信じてるのよ。延期や中止の理由が立たないわ。」
「西ランベリーの一期目の収穫から追加で前借りは出来ないのか?」
「それも考えたけどダメ。西ランベリーの人達にしてみたらせっかく収穫したものを取られるだけだもの。あそこの農地復元もまだまだ進行中。セレーナさんが召喚獣(タイタン)まで使って耕してくれてるけど、まだ始めてちょっとだからね。他より肥沃だといっても全然楽じゃないわ・・・」
「不足分は?」
「ヨシフが計算したの。ざっと見積もって小麦か米で1500トン。何とかならないかしら・・・」
「今までみたいに本国からの隠密空輸でどうにか出来る量じゃないね。船便や陸送は足がつくからまず無理だし。」
「海軍の潜水艦は?」
「モグラ輸送かい?かなりの船腹を割かなきゃだし、そうなると海軍のパトロール計画への影響がデカすぎる。多分承認されないよ。」
しばらくの間沈黙が続く。
(こんな悩みを抱えたまま、さっきまで表向きはヘラヘラしてたのか。まるでベテランの部隊指揮官じゃないか・・・)サディアの妹を見る目は完全に変わっていた。今までの人生で自分が抱えてきた悩みが全てとても小さく見えてくる。
オニクスが一寸、考え込んだ後、口を開く。
「アジョラ、今まで「奇跡」はどのくらい披露したんだっけか?」
「〜ジャ級の治癒魔法はひと通り。あとはこの間渡された失明治癒の魔法も。アレイズは一度だけ。」
「魔法で「奇跡」?どういうことですか?」
サディアが割って入る。アジョラの視線がサディアに移った。
「そうか。ニューカマーのハリさんには教えたげないとね。」そう言って少しばかりはにかむ。
「私も聞いた話でしかないけど、軍にいれば、連隊か飛行隊に1人くらいは〜ジャ級の治癒魔法やアレイズ級の蘇生魔法が使える魔道士は居るんでしょ?」
「まあ、定員配備基準でそうなってますからね。実際には充足できてない部隊も少なくないですが・・・」
「私がいる国境地帯は簡単に言えば「ド田舎」なの。ケアルラとエスナが使えれば集落のスーパースターになれるわ。蘇生魔法なんてレイズですら見たこともない人達がほとんどなの。この点じゃベルベニアも大差ないわ。そんな中でケアルジャやアレイズを披露すればどんな反応になると思う?」
「・・・そりゃ、まあ、神の使いでも来たみたいになる・・・んですかね?」
サディアの脳裏に、自らがベルベニアを追われる原因となった「井戸の病」の時のことが思い浮かんだ。サドルと向かった市民病院、床にまで並べられた患者達には医療処置では効果がなかったのか、数人しかいない病院付の白魔道士があちこちに引っ張り回されながら治癒魔法をかけて回っていた。もしあの魔道士達がもっと高位の白魔法を使えれていれば、あの時の犠牲も大分少なくて済んだのかもしれない・・・
そこまで考えたところでサディアに疑問が浮かぶ。そんな高位魔法が使える術者など、軍に所属する彼自身ですら片手で数える程しか会ったことがない。単純に習得に凄まじい労力と経験を要するからだ。百戦錬磨の冒険者や年中訓練漬けの特殊部隊等、居る所には居るのだろうが、普通の部隊の衛生班程度ではそのクラスの魔道士はいたとしてもすべからく定年間際や定年後に魔法の力量を見込まれて再任用されたジジババだった。いくら努力したとはいえ、そう簡単に習得できるものではない。サディアの怪訝な視線にアジョラが気づく。
「ああ、私が自力で使えるのはケアルラまでとリジェネにエスナ、レイズくらいよ。まあ、並みの白魔道士くらいね。秘密はコレです!」
そう言うと懐から幾つかの親指サイズのクリスタルを出して並べた。
「右からケアルジャ、アレイズ、あと新開発の失明治癒魔法、まだ名前もついてないの。この魔石に魔法を詰めておいてもらうのよ。1個で20回分は詰められる。コレを懐に隠して私はトリガー呪文を暗唱するだけっていうね。」
「ネルベスカで開発された技術だ。クリスタルのコストが高すぎるのと魔法を詰めるのに時間がかかるので世には出回ってないがね。」
オニクスが割って入る。
「バルビエ博士だっけ?何度か会ったかな。あの人、ン・モウなのに、口悪いよね。」とアジョラ。
「正確には博士のコネで手に入れた厚生総局の試作品だ。中佐と博士の人脈のなせるワザだな。」
「凄いよね〜。集団農場とか炊き出しとか色々やってるけど、やっぱり私が皆の前で直接怪我人や病人を治癒してみせるのが一番効果てきめんだもん。でも自分の魔力だけでやってたらケアルラ10回でガス欠だからね。「神の御子」がエーテルがぶ飲みしながらやり続けるわけにもいかないし・・・ところで、おじさん、何で「奇跡」の話に?」
「・・・うん、やっぱり千トン以上もの穀類を隠密で移送するのは厳しいかなって。仮に何とか運んだとして、陸送じゃどうやったって卸下作業の痕跡が残るし、モグラ輸送にしたってドラム缶やらゴム袋のかたまりが海岸に浮かんでたらソレはもう「神の御業」じゃあないだろう。だから、西ランベリーの次の収穫までは魔石を使った「奇跡」で何とかお茶を濁すしかないのかな、と。」
そう言ってオニクスは脇に置いていたケースを手に取り、卓上で開いた。中にはクリスタルが二つ。一つは先ほどアジョラが並べたのと同じ規格。もう一つは一回り大きな、鶏の玉子を透明にして少しばかり平べったくしたような形。
「右の小さい方は厚生総局の試作品だ。らい病の治癒効果があるらしい。ついこの間、治験で効果を確認できたばかりの世に出回ってない魔法だから、そこそこインパクトはあると思う。こないだの報告で、らい病患者が隔離された集落があるって言ってたろ?そこで披露してみるといい。」
「わお・・・ありがとう!これまで、行きたくても行けなかったんだよね。行ったら当然、私が直してくれるだろうって皆、思っちゃうだろうからさ。知らないフリしてるのキツかったんだよ・・・これで面目が立つわ。で、そっちのでっかい方は?」
アジョラの問いにオニクスがもったいぶったように一息つく。
「・・・実は、コッチが本命でね。まあ、渡すのは今日渡すつもりだったんだけど、ホントはもっと後の「ここぞ!」という時に使ってほしかったんだ。ただ、1500トン分の食糧支援が出来ないのをウヤムヤに出来るインパクトのある方策なんてそうそう無いからね。コイツは今までみたいな厚生総局の横流し品じゃあない。バルビエ博士自身が開発したものなんだ。私も中佐経由で聞いただけなんだけれども・・・死者を「本当に」蘇らせられる魔法、正確に言うと魔法ですらないらしい。」
「アレイズのちょっと上、とかじゃなくて?」
「アレはあくまで仮死状態からの復活魔法だ。例えるなら心肺停止して直ぐの人間に心臓マッサージと電気ショックと人工呼吸と強心剤を同時にぶち込んで無理やり蘇生させたところにケアルガをかけるようなもんだ。高度には違いないが、「死者」の蘇生ではない。墓の中の棺にアレイズをかけたって生者にはならないだろ?」
「このクリスタルを使えばそれができる?」
「博士によれば、死んでからの時間制限はあるらしい。72時間、それを越えると魂が「星の龍脈」とやらに溶け込んでサルベージできなくなるんだとか・・・」
「なんだか、聞いても良くわかんない理屈だね。」
「博士曰く、「「聖天使」の生命還流システム」を解析して流用したとか何とか・・・私も、直接博士から話を聞いた中佐もワケは分からなかったんだが、なんでも博士はエライ上機嫌でコイツを中佐に渡したんだそうだ。「アンタがあの時、カネの算段をつけてくれたおかげでコイツが出来た!」って。とにかく、墓穴から死者が蘇るなんて、これまでアンデッド以外ではあり得なかったわけで。ソレを君がやって見せれば、メシが足りない程度、吹き飛ぶくらいのインパクトがあるんじゃないか。」
「まあ、ねえ・・・」
オニクスの話にアジョラも生唾を飲み込む。今までやってきた「奇跡」は言うなれば世間知らずの純朴な田舎者にマジックショーを見せるようなもので、行くところに行けばあくまで「神ならぬ人の業(わざ)」でしかない。だが、コレはレベルが違う、紛うことなき「奇跡」の装置に違いなかった。
「わかった。食料の件は口八丁で何とかしのいでみせるよ・・・」
そう言ってアジョラは二つのクリスタルを手に取った。
「コレで何回ぐらい「蘇生」できるの?」
「博士によるとそのクリスタル自体に魔力が詰まっているわけではないらしいんだ。どうも術者の魔力と体力を相当持って行くらしくて、博士のスタッフがサルで実験した時は3日間寝込んだとか。あと、複数回の使用は実証してないから保証出来ないそうだ。」
「そう・・・気をつけるわ。」
「まあ、このレベルの奇跡は安売りするもんじゃないよ。そりゃ、可哀想な人達をガンガン生き返らしたくなるかもだけど、君の仕事は自然の摂理を曲げてまで人におもねる事じゃあない。そこは気をつけておかないと。人々に「何でもありの何でも屋」だと思われてしまったら、君自身が潰れてしまうよ?」
オニクスはたしなめるように言うとアジョラの肩に優しく手を置いた。アジョラは黙って目を閉じ、小さく首を縦に振った。
「・・・さて、定期報告お疲れ様!今期は食糧支援以外は概ね順調か、予想以上だったね。中佐も喜ぶだろう。」
オニクスが1段明るい声でアジョラの頭をワシワシと撫でた。
「ありがとう。中佐とおじさんが「使徒」の人達を6人も付けてくれたおかげよ。去年までは「マフディ団」のメンバー6人だけで何とか使徒を頑張ってくれてたけど、セレーナさんとか新しい人達は動きが凄いんだもの。まさにプロ!」
「ユードラ側の動きも見ながらね、「もう少し大胆にいっても良いんじゃないか」って中佐が思い切って本国のスタッフやコントラクト・エージェントをサポートに入れたのが良かったんだね。勿論、経歴ロンダリングはしてるけど私はちょっと心配だったんだけどね。中佐が選りすぐったメンバーだから、これからもきっと助けになってくれるよ。」
「そうね!あ、じゃあひょっとして・・・」
そう言ってアジョラはぐるりと首をサディアに向けた。
「ハリさんも、何かのプロフェッショナルなの?」
期待を込めた顔で目を輝かせる。
「わ、私は・・・」
サディアは思わず座ったまま、アジョラの顔が寄った分だけ仰け反った。
(俺はただの中堅情報士官だ!専門は軍事情報で、お前達の役に立つような特技なんて・・・)
その目は横に居るオニクスに助けを求める。オニクスはチラとサディアの方を見て小さく頷いた。
「近々、定期報告の報告受けはレイレナード中尉、いや、ハリ君に引継ごうと思ってる。」
「え!?」
「え!?」
サディアとアジョラがほぼ同時に声を上げ、ヒサーリを見た。
「考えてもみたまえ。この作戦は長く続く。中佐も私もあと10年かそこらで定年だ。突出した特技は無くても、我々が退いた後、君と二人三脚で計画を進められるマネージャーが必要だろう。ハリ君にはいずれその役を担ってもらう。これから暫くはその予行演習だな。」
ここにきて初めて義父が意図を明かした。サディアは呆気にとられたが、確かに考えてみれば義父は何も突拍子もないことを言っているわけではなかった。これまで特に気にもしていなかったが、確かに作戦の中心メンバーたるシュワルナゼ中佐も義父もいい年齢(トシ)だ。定年して軍を退けば原則作戦には関われなくなる。一方でアジョラにとってこの事業は足抜けできないライフワークのようなものだ。軍側には後継者が必要だ。自分の役割をサポーター位に考えていたサディアは一気に身が引き締まる思いがした。
「へえ、じゃあハリさんはおじさんの秘蔵っ子ってわけね!でも・・・大丈夫かな?ゴメンね、何かハリさんってちょっとこう、距離がある、っていうか、何か他人行儀な感じが・・・」
「(コイツ、ずけずけと言ってくれるじゃないか!人の気も知らないで)・・・スイマセンね。こういう性格だもので。」
「まあ、しょうがないよ!君の叔父の私と比べちゃあ、ねえ。最初は・・・」
オニクスがとりなす様にそこまで言ったところでサディアが唐突に割って入った。
「ミス・グレバドス!今日初めてお目にかかりましたが、お顔はお父上に良く似てらっしゃるが、性格は大分違うようですね。」
「!」
アジョラの目が一気に丸くなる。サディアは構わず続けた。
「私の父はあなたのお父上の旧い友人でしてね。私も幼い時分、お父上にお目に掛かることが何度かあったんですよ。とても理性的で思慮深い、聖職者らしい方だと子供ながらに感じ入りました。」
「へえ・・・それで?」
「随分と元気でお転婆なお嬢さんがいると聞いたことがあります。その後、ずいぶん大変な事になったとも聞きましたが・・・今日、貴女とお会いして、お父上の言われていた昔の貴女から変わっていないことがよく分かり・・・安心した次第です。」
「・・・な!?」
ハリを演じるサディアの人を食ったセリフにアジョラの目が白黒する。
「な、何が言いたいのさ!?」
「貴女が思っているほど「アカの他人」ではない、ということですよ。態度や喋り方でそう感じさせてしまったのなら、お詫びします。先ほども申し上げましたが、性格だもので。私もたった今、ヒサーリ少佐から私の役割を仰せつかったところですが・・・そういうことであれば、今後ともよろしくお願いします。」
そう言うとサディアはやや慇懃なお辞儀をしてみせた。横に立つオニクスも少しばかり驚いた顔を隠さなかった。
「そ、そう。何か・・・他人行儀とか言っちゃって・・・気に触ったのならゴメンナサイ。」
そう言うとアジョラは少しばかりしおらしく頭を垂れた。
「いえ、貴女の幼少時代が随分と大変なものだったことは、ヒサーリ少佐から随分聞かされました。思い出させてしまった事を私もお詫びします。」
サディアも頭を下げる。
「・・・ねえ、私って父に似てるの?」
一寸の沈黙の後、アジョラが問うた。
「ええ、特に目が。あと、髪のお色はお父上のものでしょう?」
サディアが思うままを答える。
「そう・・・家を出てから・・・会ってはいないけれど、父さんを・・・悪く思ってはいないのよ?オニクス叔父さんにも言ってはいなかったけれど、父さん、教会神父って立場があったから、私をあんな風に扱ったけれど・・・いなくなってしまった兄や、怖がって隠れてしまった母と違って、裏では娘として接してくれた。学校に行けなかった分、勉強を教えてくれたり・・・コッソリ遊んでくれる事もあったのよ。だから、父さんの事を思い出すのは、別にイヤじゃないわ。安心して。」
「・・・そうですか。それを聞いて安心しました。」
サディアは最大限、平静を装いながら答えた。心の中では(やっぱり整形しといて良かった!偽名にしといて良かった!)と繰り返しながら・・・
アジョラとネフスカヤは「飛空艇操縦法のおさらい」のために部屋に残り(ネフスカヤ曰く、実際の中身はほぼ世間話。化粧やファッション等の洒落た話が好きらしく、後日、それを聞かされたサディアは子供時代の趣味とのギャップに驚いた)、男二人はホテルを出る。
「大丈夫か?」
それがオニクスが最初に掛けた言葉だった。
「ああ、アイツの中の俺の立ち位置がよく解ったよ。な、顔変えといて正解だったろ?」
「・・・そうだな。」
ヒサーリが溜め息をつくように答えた。
「大丈夫だよ。予想の範疇内なんだから。ハリ・レイレナードとして、義父さんの期待に応えれるよう、頑張るさ!」
「・・・ありがとう。しかし、義兄(あに)が思ったより彼女を慮っていたのは初めて聞いたな。生き神にされた彼女が完全に腐ってしまわなかったのは、義兄のおかげなのかもな。お前の一件の時は随分と義兄を罵倒してしまったし、それからはほぼ連絡も取らなかったからなあ。もし、話すことがあったら謝っとくか・・・」
「俺も初めて聞いた。オヤジには感謝だな。なんだかんだであの時は俺のことも庇ってくれてたし・・・。そういえば今更だけど、アイツ、義父さんに俺のこと聞いたりはしなかったの?」
「聞いてきたさ。会って割とすぐにな。」
「何て答えた?」
「少し早いがロザリアに婿に出した、って。」
「なるほど。それじゃあ「いなくなった」扱いになるわけだ。」
「済まなかった。あの時は、そう答えるのが良いと思ったんだ・・・。ところでお前、あの敬語は何なんだ?あと義兄の旧友の息子とかいう謎設定も!」
「距離感だよ!・・・結構悩んだんだ。で、一歩引いた感じでいこうと思って敬語にしたんだけれど・・・」
「けれど?」
「なんか、義父さんはまだいいとして、他人のハズのネフスカヤ少佐とか、写真で見た少佐のクルーなんかも凄くアイツと近くて・・・」
「・・・妬けたか?」
「分からない。何か、一番アイツに近いはずの俺が、一番距離が遠い扱いってのが何か癪に障って、それで突如あんな経歴を思いついて・・・」
「そうか・・・そうか・・・」
オニクスはそう言いながら、嬉しそうにサディアの頭を、アジョラにしたのと同じようにワシワシと撫でた。
2日後、オニクス、サディアの2人がホテルに向かいチェックアウトしたアジョラと合流、ホテルの定期航空便でフィナス空軍基地に向かった。定期便がゲートに接続されると、航空隊の建屋に入ることなくそのまま別ゲートに駐機されたセイレーンへ。機側にはフライトジャケット姿のネフスカヤ。アジョラはいつもそうするように、ネフスカヤに抱きつく。
「頑張ってね!」
ハッパをかけられたアジョラはネフスカヤの胸に顔を埋めたまま、無言で頷く。
抱擁が終わるとネフスカヤは機内に入り、今度はオニクスが、またいつものようにアジョラの頭を撫でる。
「このサラサラ・ヘアとも暫くお別れよ?」
アジョラがいたずらっぽく言い。オニクスは無言ではにかむ。
オニクスが手を降ろすと、アジョラはサディアを見た。
「ハリさんは今回、LZ(ランディング・ゾーン)まで見送ってくれるんだっけ?」
サディアは頷く。
「ええ、クルーの方とも話したいですし、色々と見ておきたいものもありますから。お願いします。」
「そう。じゃあ、まずは今の私の姿をしっかりと目に焼き付けときなさい!極上のトリートメントでツヤツヤの白金みたいな髪!スベスベの肌艶と手!コレが本来の私のポテンシャルよ!」
そう言ってクルリと回転するとモデル雑誌の表紙のようなポーズを取る。サディアは改めて十数年ぶりに再会した妹の決めポーズを眺めた。
軍仕込みのトレーニングをしているだけあって体型は締まっている。上背も170センチとちょっとはあるようでスタイルは悪くはない。金髪碧眼で彫りの深い母親よりも東方出身の父の血が強めに入ったのであろうエキゾチックな顔立ちは、見る人が見ればそこそこ魅力的なのかもしれなかった。彼女が真似したようなモデル雑誌は無理でも、十代向けのファッション雑誌の読者モデルくらいならイケるのではないか。それがサディアの率直な感想だった。だがそもそも、長らくサディアにとってアジョラは土埃と汗と食べこぼし、擦り傷と虫刺されの引っ掻き傷にまみれた小汚いクソガキの姿だったのだ。今でも化粧こそしてはいないが、あの頃の記憶とのギャップでいえば、十分に「蛹から蝶になった」と評価できるだろう・・・
「ああ、随分と綺麗になったよ。」
妹の成長に感慨深さを覚えたサディアは「ハリ・レイレナード」としてのカバーを忘れて、つい素で感想を言ってしまった。「しまった!」と思ったが吐いた言葉は取り返せない。だが果たして目の前の妹は「綺麗」のワードだけに反応したのか「でしょ〜」とクルクル回り続けている。先日の機内での情報暴露の失態といい、このあたりの脇の甘さは訓練でもどうにもならない性格なのだろう。サディアは今度ばかりは妹の間抜けさに感謝した。
アジョラはひとしきり大回転を終えると「まあ、これから「逆」メイクアップだからね。それに向こうじゃ美容もへったくれも無い生活だから、名残惜しいわけよ。折角キレイにした時くらい、誰かに見てほしくてさ。ハリさんは新キャラだから新鮮だったわ。アリガトね!」と指でハートを作ってみせた。
その時、機内からバンガのクルーの首が出た。
「お嬢!まだですかい!?」
「フセイン准尉!ゴメンナサイ!今行くわ!」
アジョラはそう答えると回れ右をして機内に駆け込んでいった。サディアもあとに続く。
機内にはセイレーンのクルーが整列している。皆が笑顔で敬礼、アジョラも笑顔で答礼する。
「新しくスタッフになってくれたレイレナード上級中尉!」
アジョラはクルーにサディアを紹介し拍手する。クルー達もアジョラに倣って拍手でサディアを迎えた。
「ネフスカヤ少佐のクルーはこれで皆さんですか?」
サディアが問う。
「機内ブリーフィングはもう終わってますからね。機長と、コ・パイロットのアキュラ中尉はもうコックピットに居るんですわ。ここに並んでるのは私、機上整備員のフセインと、後は左から航法員のサリーン曹長(モーグリ)、センサー員のアルタイ1曹(ヴィエラ)、機上電子整備員のケナン曹長(ヒュム)、見張員兼カーゴマスターのギュネイ2曹(ヒュム)、同じく見張員のアジズ2曹(ヒュム)になります。お聞きになられたかもですが、ひょんなことからから皆、腐れ縁になってしまいましてね。まあ、面倒な転勤もしなくて良くなったし、僻地手当に搭乗員手当も貰い続けられるから、不満な者は居りませんがね、ハハ!」
「なるほど。アジズ2曹の横のお二方は?」
アジズの横にはまだ紹介を受けていない男女のコンビがいた。フライト・ジャケットを着てはいるが、2人とも随分と派手なメイクと髪型で全く軍人らしくはない。
「ああ、あの方達はお嬢のメイクアップ・アーティストですよ。一応、軍属ですわ。まあ、任務の性質上、お嬢のメイクはその辺の美容院でやるわけにもいかないし、メイクした後で基地外を歩き回るわけにもいかんですから。移動中に機内でやっちまうってわけです。」
フセインが説明している間に、アジョラは奥のカーゴ・ベイに移動した。カーゴ内に押し込められたアクティブ・ステルス・モジュール「バニシュ」の大仰な筐体と機体内壁の隙間をするりと後方に抜け、その奥の床上にパレットごと固定された美容室用の椅子に腰掛け、後付けのシートベルトを腰に締めた。2人のメイキャッパーも後に続くと内壁に据付けられた簡易座席に腰掛け、同じくベルトを締めた。
「さ、そろそろ行きますんで、中尉殿も後ろへどうぞ」とフセイン。
「随分、あっさりですね。少佐の話では、皆で彼女を囃し立ててる、と聞いたのですが・・・」
「向こうからコッチに「帰る」時は、そりゃあね。「お疲れー!」って感じですよ。でも、「行き」はね。お嬢も気持ちを切り替えたり、頭を整理したり、色々せにゃならんでしょうから・・・」
「あー、なるほど。確かに。」
サディアはフセインの説明に納得すると、カーゴ・ベイに移動した。メイキャッパーの対面側の簡易座席に腰掛け、ベルトを締める。カーゴ・マスターのギュネイが顔を出す。アジョラ以下、カーゴ・ベイに腰掛けた面々はサムアップし、離陸準備完了の合図を出す。ギュネイもサムアップで返し、機内マイクでコックピットのネフスカヤに準備完了を伝える。それから1分ほどして、機体はゲートから離れ動き出した。軍用の輸送機なので後部のカーゴ・ベイは見張り席以外、窓もなく外は見えない。機体の振動と加速度が離陸、そして巡航状態への移行を知らせる。
機体の動きと振動が落ち着き、機内に「オールステーション・オペレーション・ノーマル。気流、安定」のマイクがネフスカヤの声で響く。同時にメイキャッパー2人はベルトを解いて椅子を立ち、アジョラにまとわりつくようにメイクの体勢に入った。
任務上のこととはいえ、女性のメイクには違いない。
「外しましょうか?」
サディアはアジョラに声をかけた。
「いいのよ。折角なんだし、見ていったら?」
アジョラは視線だけをサディアに向けて答えた。
奇妙なメイクだった。艶がかっていた唇はカサついたように、目元にはクマのようなシャドウが施される。彼女が一番嬉々としてアピールしていたサラサラの髪には油脂のようなワックスが塗り込まれ、まるで何日も洗っていないかのようなバサついた質感へと様変りしていく。一流のメイクアップ術をまるきり逆再生しているかのような工程。心なしか、メイクが進む度にアジョラの顔つきが険しくなっていくように見える。メイクが終わるとメイキャッパーはアジョラに衣装を渡し、2人がかりで簡易的な布のパーテーションで彼女の四方を囲った。3分ほどしてパーテーションが畳まれ、そこにはキルティア教八百万柱の神威を授けられた「神の御子」が立っていた。先程まで見せていた年相応の愛嬌を一切感じさせない佇まい。サディアはメイクの効果よりも、彼女の目つきの余りの変化に固唾を呑んだ。メイクが始まった当初は、少しばかりの励ましのお世辞でも言ってやろうかと考えていたのが、そんな気も失せてしまった。薄暗いカーゴ・ベイに見張り窓から差す僅かな陽光が彼女の輪郭を照らす。だが、影になっているはずのその目の方が爛々と輝いている様に見えた。どう言葉をかけてよいのかも分からない。いつの間にか席を立って、気をつけの姿勢になっていた。
「結果的に・・・」
アジョラが口を開いた。
「叔父さんの提案どおりにして正解だったわ。」
「・・・どういうことです?」
「男の人には分からないかもだけど、メイクって、「心を作る」のよ。向こうから帰ってきてシャワーを浴びて・・・化粧水とルージュを付けるとね、向こうで背負ってたものがふうっと消えて、身体が軽くなるの。今は逆。目の下にシャドウが入って、髪から艶と香りがなくなって、唇の艶が消される度に、気持ちが引き締まっていくの。初めから狙ってたわけじゃあないんだけど、やってみたらそうだった。」
「ヒサーリ少佐から聞きましたよ。貴女はホテルでトリートメントを受けたツヤツヤの状態での任務復帰を希望されたんでしたっけ?」
アジョラがクスリと笑う。張り詰めた空気が少し和らいだ。
「初めて定期報告で軍の静養ホテルに入った時ね、よく分からずに最高級のスパ・トリートメントを予約しちゃって受けたのよ。もう・・・極楽。髪から爪先までツヤツヤのスベスベのいい香りになってさ。テンション爆上がりで、生まれて初めて「女に生まれて良かった!」って思っちゃった。出来るだけ余韻に浸っていたくて、変な理屈までコネたんだけど結局、却下されちゃった。でも、もしアレが通ってたら、私、気持ちを切り替えて任務復帰出来なかったかも・・・だから、こうやってボサボサにしていく、叔父さんの案で正解。ただの「イイ女」のままじゃね。「選ばれし神の御子」にならなきゃだから・・・」
そう言ってアジョラは端が土埃で煤けた白いローブを羽織る。
「月並みな言葉ですいませんが・・・お疲れ様です。」
サディアは本当に月並みなセリフしか出てこない自身の気の利かなさにほとほと呆れた。
「ありがと。でも、任務が嫌だってわけではないのよ?むしろ逆。私に、こんな力があるなんて・・・もちろん、ほとんどは借り物なんだけれど、それでもこんなことができるなんて、とても嬉しいの。こんな機会を与えてくれた中佐、いちいち世話を焼いてくれるオニクス叔父さん、昔の母さんみたいにハグしてくれる少佐やクルーの皆。向こうに行けば、私の事待っててくれるマフディ団のみんな。みんな、仕事もあったのに、私と一緒に来てくれた。そして私を頼ってくれる信徒の人達。もう私は無力じゃないわ・・・大変だけれど、みんな、大好き。一緒に、やり遂げたいの。」
そこまで言うと、アジョラはサディアに整体した。
「ハリさんも、これからヨロシクね!」
「・・・身の引き締まる思いです。」
サディアの嘘偽りのない心情だった。これ以上、何か喋ると涙が出てしまいそうだった。
「オール・クルー、こちら機長。ヤクトまで5マイル。内燃機関に移行する。シートベルト装着。カーゴマスター、各席の確認。エンジン起動後、バニシュを起動する。」
ネフスカヤの機内マイクが響く。アジョラとサディアも席についてベルトを締め直し、見張り席から降りてきたギュネイにサムアップする。ギュネイの報告から10秒程して機体が振動を始める。展張したプロペラが空転を始めた合図だ。
「オールクルー、ターボプロップ、イグニッション!」
甲高いアキュラ大尉の声が機内マイクで響く。機体の振動が一気に強まり、エンジンの爆音が隔壁越しに響きだした。ギュネイとアジズが見張り窓越しにプロペラとエンジンの状況を確認する。それぞれが異常無しを報告すると、一寸して、アジョラの目の前に鎮座する「バニシュ」が特大のエアコン室外機のような音を立てて起動した。こうなるとカーゴ・ベイ内での肉声での会話は困難だ。セイレーンは吸い込まれるようにヤクトに入り、「イリーガル・フライト」へと移行した。
ベルベニアから南南西200km地点
ヴィエラの集落跡LZ (ランディング・ゾーン)「聖別の森」
ネフスカヤらコックピット要員を除くフライト・クルーが機内に整列、その脇を降機するアジョラが通る。通常であれば敬礼するところ、アジョラはクルー各個と拳を合わせていく。双方笑顔で、言葉は無く。列の最後にはサディア。同じように拳を合わせる。思えばこんな風に妹と気持ちを合わせたことなど、記憶にある限り生まれて初めてだった。
機を降りたアジョラは振り返ることなく、空き地から鬱蒼とした森の中に入っていく。直ぐにその姿は見えなくなった。
クルー達は令なく機内の配置に戻っていく。ものの1分後にはセイレーンは空中にあった。
「貴方も、コックピットに来ちゃう派なのね(血は争えないわ)・・・」
呆れたように笑みを浮かべるネフスカヤの後ろにはサディア。
「・・・少佐」
「うん?」
「これまで、彼女のこと・・・本当にありがとうございました。」
「うふふ、いいのよ。好きでやってるんだから!」
「あと、今日、彼女を見て、話が出来て・・・月並みな感想ですが、良かったです。彼女の思い、よく分かりました。」
「ね、いい子でしょ?あなたもファン・クラブに入る?」
サディアは一寸、驚いた風を見せたが、小さく笑うと視線を機外の地平線に移した。
「そうですね・・・まあ、他の人達よりも評価は厳しめかも知れませんが・・・」