When The "Saints" Go Marching In Ivalice   作:N22b

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04 The first Miracle

B.B. 746 8月3日、ベルべニア市庁舎前広場

 

 日中のベルべニア市の市庁舎前広場、商業施設もなく、日頃は閑散としているこの広場だが、ここ数日の間は、夏の炎天下にも関わらず人込みでごった返していた。「浄水場のトラブル」のために市街全域の水道が止まった翌日から、この広場には消防の給水車が設置され、臨時の給水元となっていた。しかし水を求める市民の数に比して、給水車の数は圧倒的に少なく、庁舎前には、順番を待つ長蛇の列が、えんえんと連なっていた。

「なんだって、オレがこんなことを・・・」

 列の中頃で空のポリタンクを両手に抱えた少年が悪態をついた。列の前方が騒がしくなる。少年がそちらに目を向けると、おそらくは熱中症にやられたらしい老人が、駆けつけた市の職員に担ぎ出されるところであった。少年はあらためて、呪うような目で空を仰ぐと、汗だくの額をぬぐった。

「あのバカのせいだ・・・」

少年が再度悪態をつく。

「サディアさん!」

 聞き覚えのある声が少年の名を呼ぶ。振り向くと、隣の列にバンガの少年の姿があった。

「おお、サドル、お前もかぁ?」

同じくポリタンクを抱えた後輩の姿を認めたサディアの顔が若干綻ぶ。サディアがサドルにたずねる。

「おまえ、例の井戸には行かなかったのかい?」

一寸、間をおいた後、サドルが答える。

「ああ、あっちはお袋が行ってます。でも、おれはおれでこっちで水貰ってこいって。先輩もですか?」

 サドルの問いに、再度、サディアの眉間にしわが寄った。

「こっちは俺だけだよ。何でか知らんが、あのバカがわめくせいで、あの後、お袋もオヤジも結局、井戸にはいけなかったんだよ。で、しょうがないから、オレに庁舎前に行って来いってさ!ったく、例の井戸にいけてりゃあ、こんな行列に並ぶこたあなかったんだ。」

「あのバカ?」

「ほれ、おまえんとこのクランの最下級戦士だよ!まったく、何だってあんなに騒ぎ出すのか、わけわからんぜ、なあ?」

「ん・・・あ、ああ・・・ですねえ」

サドルはややバツが悪そうに答えた。見るからに不機嫌そうなサディアの顔を見ると、とても自分の差し金が原因でこうなったとも言えなかった。

 

 

 水道が止まって以降数日間、居住区の市民達は、市が手配した給水車に列を作ったり、雨水をためたりしてしのいでいたが、とても十分な量は確保できなかった。市の広報によれば、一週間で水道は復旧するとのことだったが、いかんせん急な断水で皆何の備えもなく、しかも真夏ということもあって、早晩、人々は自力で水を確保する必要に迫られた。最初は、川に直接水を汲みに行こうかという話になったが、市の衛生課は、不衛生であることと、2日ほど続いた雨による増水を理由に、川からの取水を厳禁し、川沿いに警察まで配備した。

 自治会のメンバーは困り果てたが、ほどなく市の地誌課に勤める役員が朗報を持ってきた。ミロドス区はじめ、市の郊外には水道敷設後、使われなくなって放棄された井戸があり、いまでも水が湧いているかもしれないというのだ。もし使えれば、全部の必要量とはいかなくても、いくらかの「足し」にはなる。さっそく、自治会長が井戸を調べに行ったが、1時間後、会長は額から血を流しながら帰ってきた。魔物でも出たかと自治会の会議室は騒然となったが、その問いに対する会長の答えは「否」であった。

「ありゃ、神父様んとこの娘さんだよ・・・」

自治会長は、額をぬぐいつつ憮然とした表情で答えた。

会長曰く、古い地図を頼りに、井戸の100メートルほど手前に来たところに「彼女」はいた。教会の子女ということもあり、軽く会釈をして、そのまま井戸に向かおうとしたところ、いきなりスリング・ショットで「一撃」されたというのだ。会長は、よほどこのイタズラ娘をとっ捕まえようかと思ったらしいが、子供とはいえ、当たれば怪我を免れないパチンコ玉を何発も飛ばしてくるのと、やはり、「教会の娘」という看板ゆえに折檻するのも気が引けたために、こうして一旦戻ってきたという。 

 会議室に同席し、この顛末を聞いたキルティア教会神父、ビクトル・グレバドスとその妻ヴィシニアは顔を真っ青にして、コメツキバッタのように自治会長に頭を下げた。教会神父としての権威はあっても法的には一市民以上のモノではなく、第一、信心深いこの地方の人々のよりどころである教会の子女が、流血沙汰のイタズラをしでかしたとあっては申し開きのしようもなかった。

「神父さまが頭を下げられるなんて、よしてくださいよ。」

自治会長は神父夫妻の謝罪を『大人の対応』で受け入れると、会議室のメンバーに呼びかけた。

「とりあえず、遠目ではありますが、現地に井戸があるのは確認できました。市役所の方の話では、埋め立ててはいないということでしたから、水脈が変わっていない限りはまだ水も出ているでしょう。さっそく人を集めて、水を汲みに行きたいと思います。」

「娘のほうは、私のほうで何とかしますので・・・」

ヴィシニアが申し訳なさそうに頭を下げた。

 

 約1時間後、100人ほどの「水汲み隊」が、井戸のある郊外にたどりついてみると、果たしてそこには、件の少女が仁王立ちでスリング・ショットを構えていた。

「きたらダメっ!!」

 わめく少女の前に、彼女の母親であるヴィシニアが進み出る。何だって、娘がこんなところでこんなことをしているのか、皆目見当もつかなかったが、今はそんなことはどうでもいい。とにかくこれ以上皆様に迷惑をかけるわけにはいかない。

「なにやってんの、あんた!その危ないのをしまって、こっちに来なさいっ!」

「じゃあ、帰ってよ!来たらダメなの!」

「アジョラ!いい加減にしなさいッ!!」

 ヴィシニアは構わず前に進み出る。小さなアジョラはスリング・ショットを構えるが、いくらなんでも母親を撃つわけにはいかず、来るな、来るな、とわめき続けるだけであった。結局、危険な玩具はヴィシニアに取り上げられ、アジョラ自身も、母親に抱きかかえられ、退場する運命が決定した。

 とにかく、イタズラ娘の不可思議な妨害は終わり、「水汲み隊」の人々は、それぞれ井戸の方に歩を進めた。その脇では、井戸に行くなと泣きわめき続ける娘を逃げ出さぬようにしっかりと抱き抱えつつ、ヴィシニアが申し訳なさそうにお辞儀を繰り返していた。

 ちょうどそのころ、学校を終えた子供たちが、井戸のある現場に駆け付けた。自治会から連絡を受けた教師達から、水汲みの手伝いをするように言いつけられ、学校からバケツを持って直接駆けつけたのだ。

「おい、サドル、やっぱりあの井戸だったよ・・・」

ヨシフが口惜しそうにつぶやいた。サドルががっくりと肩を落とす。

(せっかく見つけた秘密基地だったのに、一週間も持たずに、こんな形でバレるなんて・・・)

 しかし、水不足という差し迫った事情がある以上、秘密基地がどうたら、とは言っていられない。井戸の奥の『宝物』さえ無事なら、あとはしょうがない。子供とはいえ、「クラン・マフディ団」の面々は、一人の例外をのぞいて、世知辛い現実を受け入れていた。

 サドル達学童が大人達に交じって井戸の方に歩を進めると、列の脇から泣き声ともわめき声ともつかぬ悲壮な叫びが聞こえてきた。果たしてサドルがそちらの方に目を向けてみると、「マフディ団」の最年少メンバーであるアジョラが、母親に抱きかかえられながら泣きわめいていた。彼女を抱きかかえる母親の手にはスリング・ショット、そしてその母親がペコペコと頭を下げている相手は、頭に血の染みた包帯を巻きつけた自治会長・・・

この状況を見たサドルは、全てを理解した。「彼女」は、あくまでも「任務」を完遂しようとしたのだ。大人達から「秘密基地」を守るという「任務」を・・・しかも、状況から察するに、彼女は、自治会長の頭をスリング・ショットでぶち抜いたのだろう。まだ学校に行っていない彼女は知る由もなかったが、自治会長は、サドル達の通う小学校の校区内の学童達から、「カミナリオヤジ」として畏怖される存在であった。数多の「子供クラン」が、彼に悪戯を仕掛けようとして挫折していた。

(流血沙汰とはやりすぎだが、それでも、あのオヤジにひと泡吹かせるなんて敢闘賞ものじゃあないか!)

 サドルは、この小さなクラン・メンバーを誇らしく思うとともに、「大人の事情」に負けて、のうのうと自分達の秘密基地に水を汲みに行こうとする自分に恥ずかしさを覚えた。

 サドルは横を歩くヨシフを小突くと言った。

「おい、今からマフディ団のメンバー探すぞ。で、ここから出よう。」

「でも先生から『水汲んでこい』って言われてるぜ?」

「バカ!あれ見ろよ!アジョラは必死で秘密基地を守ろうとしたんだぞ?あのカミナリ親父の額をぶち抜いてだ!その脇を、俺たちゃ一体、どの面下げて水汲みに行くってんだ?」

「たしかにな・・・俺らが「基地を死守しろ」って言っときながら、いざこうなったら、大人達と一緒に水汲みに行ってるんじゃあ、あいつが上った梯子を外すようなもんだもんな。」

「わかったら行こうぜ!おれたちゃ死んでもあそこの水は飲まねえ。それがマフディ団の『意地』だ。」

そう言うと、サドルは、ヨシフをつれて、こっそりと列中から外れていった。

 

 

 サドルとヨシフが列を離れたのと時を同じくして、彼らと同じく学校からポリタンクを抱えてやってきたサディアは、井戸に向かう群衆の脇で泣きわめく妹とそれをなだめる両親の姿を認めると、そちらに足を運んだ。

「なにやってんの、てーか何でこいつ泣いてんの?」

息子の姿を認めたヴィシニアは困惑した表情を投げかけた。

「ああ、サディア、私にもよくわからないのよ、この子ったら、自治会長に怪我までさせて・・・なんだか皆が井戸に行くのがイヤみたい。」

「ふーん、わけがわかんねえや。まあ、こいつのわけわかんねーのはいつものことだけど。でも、今、水が出るのはあの井戸だけなんだろ?とっとと行こうぜ。」

「でもねえ・・・」

「じゃあいいよ、俺一人で行ってくるから」

サディアは家族に背をむけて井戸の方に歩を進めようとしたが、その瞬間、アジョラが一段と火がついたようにわめきだした。「行かないで!」と言っているようだが、叫び声と嗚咽がいっしょくたになって、もはや何を言っているのかもよくわからない。泣き声のあまりの大きさに、群衆の視線が再度、グレバドス一家に注がれた。母ヴィシニアは顔を真っ赤にして周りにお辞儀をしながら、娘の口を覆うと、サディアにささやいた。

「なんだかわからないけれど、よっぽど井戸に行かせたくないみたい。私達は市庁舎の給水車の方に行きましょうか。」

「はあ?なんでだよ!ここからあそこまでどんだけあると思ってんだよ!しかもあっちは全市内から人が来るから大行列だぜ?いいじゃん、放っておけよ!そんなの!」

「これ以上皆さんに迷惑かけたくないのよ!」

「なんなんだよ!わけわかんねえ!」

サディアはしぶしぶながらも母親の提案を受け入れたが、腹いせにこの騒ぎの元凶である妹の尻を思い切りつねるのだけは忘れなかった。ベルべニアの郊外に、ひときわ大きな金切り声が響き渡った。

 グレバドス一家は群衆から離れて、市庁舎の方に足を向けたが、あいも変わらずアジョラは泣きやまず、結局、サディア以外の3人は帰宅、彼だけが炎天下の市庁舎前に水汲みに行かされるハメになったのであった。

 

 

 市庁舎前、担架に乗せられ運ばれる老人を横目にサディアがサドルに話しかける。

「おまえは一人っ子だったよな。うらやましいよ・・・」

「そうですか?おれは妹とか弟とか欲しいですけどね。」

サドルの答えに、サディアは冗談じゃあないという顔を浮かべた。

「まったく、お前もかよ!みんな言うんだ。「お前んとこは可愛い妹がいてうらやましい」とか何とか。とんだ幻想だよ。人の部屋に勝手に入るわ、本は勝手に引っ張り出した挙句にしわくちゃにするわ、フィギュアの部品は折るわなくすわ、で、仕舞目にはわけのわからん癇癪起こして、俺はこの通り、熱中症でぶっ倒れるかもしれないってな。お前も一人っ子でさみしいってんなら、イヌでも飼う方をお勧めするぜ。間違っても妹が欲しいなんて親に言わないこった。」

「そんなもんですか?」

「そうだって!単なる無いものねだりだよ。オレはお前が羨ましい!」

 二人が話しこんでいる間に列は進み、やがてサディアの順番がやってきた。どうやら熱中症にはならずに済んだようだ。やれやれと思ったのもつかの間、水が満載されたポリタンクの重さは尋常ではなく、サディアはまたしても顔をゆがめた。

「じゃあな、俺は先に帰るぜ!」

「あ、はい、お疲れ様です・・・」

未だ列中のサドルに別れを告げると、彼は自宅の方に足を向け、よろよろと歩を進めた。

 

 サディアが汗だくになりながら帰宅すると、ヴィシニアがキッチンで野菜を刻んでいた。

「水、もらってきたぜ」

ポリタンクにいっぱいの水をみて、ヴィシニアの顔がほころんだ。

「ああ、これでやっとお米が炊けるわ。野菜も洗える。洗濯はできないけど、あと2

日程度で水道が戻るっていってたから、それまではこれで何とかなりそうね。重かったでしょう?」

「腕が千切れそうだったよ。オヤジも来てくれればよかったのに。」

「お父さんは、あの後、信者さんのお家を周りに行ったのよ。「一人暮らしのご老人が心配だ」って。」

「ふーん、で、アレは?」

「・・・アレ?」

「バカ・アジョラ」

「あの子なら、泣き疲れて死んだように寝てるわよ。最後まで「井戸にいかないで」ってグズッてたわ。ああ、そうだ!自治会長さんの家に何か包んで持っていかないと・・・」

「あのオッサンん所、子供いないんだろ。「アイツ」を包んでくれてやればいいよ。」

「サディア!」

ヴィシニアは茶化すサディアを諌めると、ポリタンクの水でコメをとぎ始めた。サディアも、ポリタンクからコップで水をすくうと、そのカラカラに乾いた喉に流し込んだ。しかし、汗ばんだ体を流すまでの水は無く、体中がねっとりとした不快さに包まれたままだった。例の井戸に水を浴びに行くには、外はもう暗い。

「ああ、くそ・・・」

サディアはまた小さく悪態をついた。

 その日は結局、アジョラ抜きの3人で夕食をすませた。いつもと同じく、夜の教会を訪れる者は無く、グレバドス家の騒々しい1日は幕を閉じた。

 

 

 翌日、風呂に入れず、汗ばんだままの髪を掻きながら登校したサディアの目には、異様な光景が映し出されていた。いつもならこの時間にはにぎわっているはずの教室はスッカラカンで、授業が始まる時刻になっても、教師すら現れなかった。他の教室にも人の気配はない。まさかと思ってカレンダーを見たが、やはり今日は平日だ。教室を出てしばらく歩くと、キョロキョロとあたりを見渡しながら走るサドルとヨシフの姿が目に付いた。サディアは二人を呼びとめる。

「おい、どうなってんだこりゃ?」

「あ、先輩!イヤ、誰も学校に来ないもんですから・・・あれ、ひょっとして5年生もですか?」

「おまえらもかよ?」

「そういえば、登校中にも誰ともあわなかったよ。なんかおかしいと思ったんだけど・・・」

「先生は?」

「職員室にも誰もいないんだ。」

「どうなってんだよ、一体?」

3人は頭をかしげた。誰もいない学校は静寂に包まれていたが、遠くに救急車か消防と思わしき鐘の音が聞こえる。そして、その音はいつまでもなり続いていた。

(何かあったのか?)

サドルが校門の方に目をやると、女子生徒が一人、門をくぐってくるところであった。しかしどうも様子がおかしい。その生徒は、明らかにふらついていたが、やがて門のそばにしゃがみ込むと、うつぶせに倒れてしまった。

3人がすぐに駆け寄って、女子生徒の様子を見ると、その顔は蒼白で、唇をかみしめながら震えている。

「先生、誰もいなかったよな?」

サディアが振り返って問いただすと、サドル達は首を縦に振った。

「と、とりあえず病院に連れて行こう!」

サドルとヨシフが女子生徒を担ぎ、少年達は、学校から一番近い、ベルべニアの市民総合病院に向かった。そして、彼らが病院のエントランスで目にしたのは、さらに異常な事態であった。

 病院の長椅子には例外なく人々が寝そべり、フロアには足の踏み場もないほどに毛布が敷き詰められ、そこにも人々がうめきながら体を横たえていた。苦しむ人々の顔は、少なくともヒュムに限って言えば、3人が運び込んできた女子生徒と同じく蒼白になっており、さらに種族に関係なく、激しい痛みや悪感に犯されているようだった。そして患者達の間を医師や白魔道士達が叫びながら駆けまわっていた。よく見ると、患者達の中には、3人が通う学校の生徒や、教師の姿も目に付いた。やがて、茫然と立ち尽くす3人の前で医師の一人が足を止めた。

「あ、あの・・・」

 サディアが言葉を発するよりも早く、その医師は看護師を呼びつけ、女子生徒を担架に移すと、奥に連れて行かせた。そして、少年達に問いただした。

「君達は大丈夫なのか?」

「は、はい、でも、学校にほとんどだれも居なくて・・・」

「学校は?」

「かもめ第3小学校です。」

「やっぱり郊外のミロドス区か・・・」

 医師はうつむいてつぶやくと、再度、少年達に目を合わせた。

「いいかい、君達はもう高学年のようだからわかるだろうが、ひょっとしたらこれは伝染病かもしれない。門の外で消毒をしているから、君達はそこで消毒を受けたら、一旦家へ帰るんだ。帰ったら、家の人と一緒に、家の隙間をテープか何かでふさいであまり外には出ないこと、いいね。」

「は、はい・・・」

 そのとき、エントランス前に救急のチョコボ車があわただしく止まった。台車からは3人の患者が運び出される。少年達の前にいた医師もそちらへと向かっていった。

「・・・とにかく、医者の言うとおりにしようぜ・・・」

「・・・はい・・・」

 あまりにも現実離れした光景に圧倒された3人の少年は、言葉少なに、エントランスを後にする。サドルの脳裏には、家を出る前、どうにも調子が悪いと横になったまま彼を見送った母親の姿が浮かんでいた。

 

 少年達が去った後も、ベルべニア市民病院は地獄絵図の真っただ中であり続けた。内科主任を務めるカーラ・ブラヴァーのもとには、すでに30人以上の死亡報告が上がっていた。未だにこの急な集団疾病の原因は分からず、苦しむ患者達に医師ができることといえば、患者達にリンゲルの点滴を打つことと、問診を繰り返すことだけであった。ブラヴァーは周辺の開業医に連絡を取ったが、どこの病院でも状況は似たり寄ったりであった。そもそも医師からして、相当数がこの原因不明の病に倒れているのだ。たった今も、目の前で一人の患者が息を引きとったところであった。看護師に指示をして、遺体をボディバッグに移し替え、それを見送る。ブラヴァーの耳の中は、うめき声と、信心深いこの地の人間達の、ひたすらに神の救いを求める弱々しい祈りの声で充満していたが、やがてひときわ大きく自分を呼ぶ声が聞こえた。

彼が振り返った先には、息を切らした部下の内科医師、ミール・シャポシニコフの姿があった。その手には分厚いカルテの束。ブラヴァーが待ちかねたようにミールに問いただす。

「どうだ?なにかわかったか?」

息を整えたミールが答える。

「こいつの原因はまだ分かりません。でも、片っぱしから問診してみたところ、患者の共通項が判明しましたよ。」

「そいつはデカイな!で、その共通項は?」

「まず、ウチの患者のほとんどは郊外のミロドス区とその周辺の住人です。そしてこいつが重要なんですが、私が問診した全ての患者が『昨日、井戸水を飲んだ』と言っているんです。倒れたウチの医師も含めてです。」

「井戸水だって?」

「ええ、市の断水のせいで水道水を使えなくなった住人が、自分達で昔の井戸を見つけ出して、そこの水を使ったらしいんですよ。この病院は、外から買ってきた水を使った市の給水を優先的に受けてますが、倒れた医師は皆、ミロドス区やその周辺に住んでいる者でした。家族が汲んできた井戸水を飲んだのでしょう。」

「つまり、その井戸水が汚染されている可能性がデカイわけだ。となるとまずやらなきゃならんのはその井戸の封鎖だな。」

「ええ、もし推測がビンゴなら、とりあえずそれで大元は封じれます。」

「よし、俺はすぐ院長から警察に掛け合ってもらって、井戸を封鎖してもらう。君は、市役所の地誌課にこの件を連絡して、市内と近郊の昔の井戸を全部洗いださせてくれ。汚染がミロドス区の井戸だけなのか、このあたりの地下水全部なのかはわからんが、とりあえずはそれで予防だ。」

「わかりました!」

ミールはうなずくと、踵を返して足早に去っていった。

 ブラヴァーはミールの仮説の確認の意味も込めて、フロアの患者に呼びかけた。

ベッドが足りず、廊下や床の上で横になった患者達の虚ろな視線がブラヴァーに集まる。

「皆さんの中で、昨日、井戸水を飲まれたという方は手を上げてください。」

はたして、ミールの言った通り、全ての患者の手が弱々しく上がった。

「・・・先生、井戸水に原因があったんですか?」

ブラヴァーの足元から、一人の患者が横たわったまま、かすれるような声で聞いてきた。頭に包帯を巻いた初老の男性だ。

「ええ、まだ確定ではないのですが、どうも何らかの関係がありそうです。」

「・・・すぐ自治会に知らせないと・・・私は、ミロドス区の自治会長なんです・・・」

「大丈夫です。すぐに当院の方から警察に連絡して、井戸を封鎖してもらいます。もう間もなく、原因の方もわかるでしょうから、それまで安静にしていてください。」

「・・・ありがとうございます。」

自治会長は蚊の鳴くような声で答えると、再び目を閉じた。手足はしびれ、頭の中は鐘をついたようにグワングワンとうなっていたが、一つだけ、鮮明な記憶が呼び起こされた。

井戸を調べようとした自分の頭にパチンコ玉をぶつけ、その井戸に向かう人々を泣きながら止めようとした教会の娘の姿である。

 

 ブラヴァー達の働きかけもあり、ミロドス区を含めたベルべニア市内の全ての井戸は速やかに警察によって封鎖された。そして、彼らの予想通り、それ以後、この奇病に倒れる者はいなかった。伝染性の病でもないことが判明し、ひとまず安心した医師達であったが、水道復旧後に判明したその被害は惨々たるものであった。全市内での死者は1500人にのぼり、その10倍近い人間が、生命を取り止めながらも何らかの後遺症を引きずることになった。ミロドス区も含めて断水期間中に運悪く昔の井戸を見つけた自治区の住人は、ほぼ全員がこの病に倒れていた。井戸水を使用した自治区内で世帯全員が無事だったのは、ミロドス区の教会の一家くらいなものだった。

 

 

「なんというか、私ら医師が言うのもなんですけれど、「神の御加護」ってやつですかね?」

2週間後、やや落ち着きを取り戻した市民病院の屋上で、被害調査のレポートをめくりながら、ミールがつぶやいた。対面で煙草をくわえていたブラヴァーがミールのつぶやきに反応した。

「ミロドス区のキルティア教会のことか?確かにあそこは一番被害がひどかったからな。その中で、教会の家族だけが全員無事となると、あながち否定もできんかもな。だが、だとすれば大層不公平な話じゃあないか?依怙贔屓する神様ってのもなんだかな・・・」

「それなんですけど、面白い話が出回ってるんですよ。」

「面白い話?」

「いや、人づてに聞いた話なんですけどね、なんでも、ミロドス区の有志が例の井戸水を汲みに行った際、そこに何故だか教会の娘が居て、彼らが井戸に行こうとするのを止めようとしたらしいんですよ。ただ、結局その子は皆から無視されてしまったみたいですけど。」

「で、その結果、井戸水に手を出して、皆、お陀仏、少女の忠告に従った教会の家族だけが助かった・・・てか?」

「なんだか神々しい話じゃあありませんか?」

同意を求めるような顔のミールに、ブラヴァーはやや眉をひそめながら答える。

「・・・いかにもこの地方の人間が飛びつきそうな話だな。私はランベリーからこっちに出てきて10年になるが、ここベルべニアや周りの国境地帯の住人の信心深さというか、迷信深さには未だに慣れないよ。君には悪いがね。」

 ミールは恥ずかしそうに頭を掻く。

「私がこちらからゼルテニアの医学校に留学した時は、逆にあまりにも周りがそういうのにドライなのでビックリしましたよ。まあ、私の方は3~4年で慣れましたが。でもやっぱりほら、この街はヤクトと国境地帯のど真ん中じゃあないですか。自治都市と言えば聞こえはいいですけど、早い話が陸の孤島ですよ。土地も痩せてるから度々食糧難にもなる・・・かといって、条約とヤクトが邪魔になって、東の同盟諸国みたいに簡単に助け合えるわけでもない、孤立した街なんです。だから、どうしても、閉鎖的になったり、心理的に神様に頼ることが多くなるんじゃあないかと・・・」

「それは君自身の分析かい?」

「ええ、まあ・・・ゼルテニアの留学中に考えたんですけどね。」

「ひとつそれで論文でも出してみたらどうだ?ひょっとしたら、宗教学か比較文化史の学位くらいとれるかも知れんぞ。」

「いや、今は内科の方の勉強で手いっぱいですよ。二股かけてる余裕もないですし、やっぱり私はこっちを飯のタネにしたいですよ。」

「それを聞いて安心したよ。君は当院の貴重な戦力だからな。」

「ありがとうございます。でもせっかくなので、今度の安息日は、ひとつその教会の子を詣でてみようかなとは思うんです。なんたって、ひょっとすると、その子が「救いの御子」なんじゃあないかって話もチラホラ出てるくらいですからね。」

「救いの御子?」

はじめて聞くフレーズにブラヴァーは首をかしげた。ミールが答える。

「ああ、ブラヴァー主任は外から来られたから知らないかもですね。この地方一帯にあるんですよ、そういう伝説が。まあ、今は叙事詩みたいになって伝わってるんですけどね。この地方の人間はだいたい子供のころにそれを歌で覚えるんで、皆、知ってるんですよ。詩の内容は、簡単にいえば、ベルべニアに天から救いの御子が使わされて、人々を病と飢えから救うっていう・・・まあ、どこにでもありそうな伝説というか予言なんですけど、いかんせん、今回、ミロドス区で起こった出来事が、あまりにもその詩の一節とマッチするっていうんで、評判になっているんです。違うことと言えば、伝説の方では、「救いの御子」が人々に伝えようとしたのが、今回みたいな原因不明の病じゃなくて、「黒死病」だったってはっきりしていることぐらいですかね。」

「黒死病・・・ペストか。その点に関しては、伝説通りじゃなくて本当によかったよ。今回の病は未だに原因不明だが、幸運なことに少なくとも伝染病ではなかった。これがもしペストだったらと思うと背筋が凍るよ。治療薬があっても、このぐらいの被害では済まなかっただろうからね。」

「確かにその通りです。私もそこだけは予言どおりじゃなくてよかったと思ってるんです・・・そうだ、主任もせっかくですから、一緒に詣でてみませんか?何か御利益があるかもですよ?」

ミールの勧誘にブラヴァーは少しばかり考えたが、やはり軽く首を横に振りながら答えた。

「いや、私は遠慮しておくよ。君達のような生粋のベルべニアっ子でもないからな。私みたいなのが冷やかし半分で行っても、信心深い人には迷惑だろうしな。」

ミールの提案をやんわりと断ったブラヴァーがほのかな熱気を感じた手元を見ると、すでに煙草は根元まで燃え切っていた。煙草を灰皿に捨て、壁の時計を見る。あと5分余りで診療所の開業時間だ。

「さあ、信心深いのも結構だが、仕事中は、内科医として頑張ってもらうぞ。こっちは神頼みはナシだからな!」

ブラヴァーが笑いながら激励すると、ミールも快くそれに応えてお辞儀をした。

 

 

 その週の安息日、ミール・シャポシニコフが、地元の中央区の教会ではなく、ミロドス区の教会の集会に足を運ぶと、そこはすでに黒山の人だかりとなっていた。自身も人のことを言えた義理ではないが、ベルべニアっ子は「この手のこと」には異常に敏感だ。周りよりも頭一つ抜けた長身が幸いして、ミールは遠目に何とか聖歌台の上に立つ、それらしい子供を視認することが出来た。灰色がかった白い髪に鳶色の目。金髪碧眼が特徴の、この地方の人間(ヒュム)とは少し趣が違う。グレバドス家といえば、東方が出自の名家だから、きっと、あの少女が例の「グレバドス神父の娘」なのだろう。

 やがて頭に包帯を巻いた初老の男性が群衆を代表するかのように少女の方に進んだ。明らかに右足を引きずっている。ミールはその男に見覚えがあった。例の騒動の際、ブラヴァーから担当につくよう命ぜられたからだ。

(たしか、この地区の自治会長だったな。何とか助かったのは良かったが・・・ああ、やはり後遺症の麻痺が残ったか・・・)

一瞬、「内科医」に戻ったミールだったが、すぐにその興味は例の少女に戻った。

 正装した自治会長が少女の前にひざまずく。何か言っているようだが、さすがに聞き取ることは出来ない。少女の方は何をするでもなく、戸惑ったような感じで両側に立つ両親と思わしき人物をきょろきょろと繰り返し見ている。彼女の父親である神父は、特に変わった様子もなく、自治会長を抱きかかえて起こすと、何かを説いているが、その時、少女の母親らしい女性が卒倒したように倒れこんだ。

 医者の性分からか、ミールの足は反射的に動いたが、前に陣取る群衆は、とても彼を通してくれそうにはなかった。しかし、ミールが案ずるよりも早く、前列にいた数人が、彼女を抱えあげて、奥へと運び込んでいった。

 

(そりゃ、まあ、そうだろうな・・・)

ミールには子供はいなかったが、自分の家に群衆が大挙押し寄せてきた挙句、娘が神の遣いだなどと言われれば、おそらく、大方の「母親」は、卒倒するかパニックになるかのどちらかであろうことは想像できた。

 少女は母親の後を追おうとしたが、父親に制止されたようだ。

こうやって彼女の挙動を追っていると、全くもって、年相応の幼児にしか見えない。神がかった予言の一つでもしてくれるのではないかと期待していたミールにしてみれば、ややアテの外れた感はあったが、それでも彼女が、例の井戸水を汲もうとした人々を制止し、自身の家族を救ったことは間違いない。

(巫女様みたいに、時と場合に応じて「神が降りてくる」タイプなのかな?)

ミールが勝手に想像をめぐらしていると、ふいに肩がぶつかった。

 振り向くと、肩をぶつけたと思わしき壮年の男性が申し訳なさそうに頭を下げた。

「あいや、すいませんでした。」

「いや、大丈夫ですよ。」

「しかしこれはまたすごいですな・・・」

やや禿げあがった頭のその男はあたりを見渡しながらつぶやく。ミールが尋ねた。

「この大群衆がですか?それともあの子?」

「両方ですよ。いや、私、つい先日、仕事の都合でこちらに出張してきたんですが、何やらすごい騒ぎになっているもので、ついつい・・・」

 

(そういえば、この男の訛りは、ベルべニアのものじゃないな。確か・・・そうだ、ゼルテニア留学中に、シルバニアから来た連中がこんなしゃべり方をしていたな・・・)

ミールが記憶の糸を手繰り寄せていると

「いったいなにがあったんでしょう・・・」と頭を捻っている。

(どうもこの男は、よほど最近こちらに出てきたのか本当に何も知らないようだ。)

ミールは水道が止まって以来の事の顛末を男に話して聞かせてやった。一通り、あらすじを話してやると、男は

「そうですか、それは大変でしたな・・・しかし有難い話もあったものですな」

 と感慨深げに呟き、礼を言って去って行った。

 やがて日没が近づき、集まった群衆達も、次第に家路についていった。

 ミールは結局、例の子供と話すことは出来なかったが、なんとなく遠目に見ただけでも、今後のご利益がありそうな感じがしたのに満足しつつ、教会を後にした。ふと横を見ると、先ほどの禿げ頭が、また別の住民を捕まえて話しこんでいる。

(俺の知っているシルバニア人はこういうのには無頓着な奴ばっかりだったが、「熱心」な奴も居るには居るんだな・・・)

 ミールは少しばかり驚いたが、それ以上は気にとめることもなく、再び家へと足を進めた。

 

 太陽が半分ほど沈んだ頃、ベルべニア東区の郵便局に男が一人、入っていった。

 男は電報窓口に歩を進めると、職員に声をかけた。もう客は来ないだろうと、その日の仕事の片付けに入っていた職員が、やや億劫そうな顔で男に応対する。

男は、やや禿げあがった頭を下げると、電報を1通出したい旨を職員に伝えた。

「では、こちらの用紙に、送付先の電話番号と、こちら、一マスに一文字ずつでお願いします。」

 男は言われたように記入すると、脇に書かれた「至急」の欄にチェックを飛ばして窓口に渡し、清算を済ますと、もう一度禿げ頭を下げて、足早に帰っていった。

 

 

同日 シルバニア 下町の酒場

 

 チェスター・シュワルナゼ少佐は、毎週日曜の夜、このうらぶれたバーに足を運ぶ。その日もいつも通り、「指定席」で煙草をくゆらせながら、チビチビとラクをなめていた。最初は、母方の家系の出自であるロマンダのスコッチばかり飲んでいたが、ここシルバニアの地酒であるラクも、慣れると中々悪くない。元首はこの酒が三度の飯よりも好きだと公言していた。

とはいえ、シュワルナゼはただ酔っぱらうためだけに毎週この店に足を運んでいるわけではなかった。

彼の煙草が全て灰になったころ、バーのマスターがシュワルナゼの前で足を止めた。

「今日の分ですぜ、サー。」

そう言うと、マスターは一通の封筒を差し出した。

「ありがとう。じゃあ、今日はこれでおいとまするよ。」

 シュワルナゼは封筒を受け取ると、いつものようにやや多めの会計を済ませて店を後にした。家路へとつきながら、おもむろに封を開ける。中にはいつものように電報が数通、発信元はいずれもベルべニアからだ。国境地帯で電報局があるのはベルべニアだけなのでこれはいたしかたない。ベルベニアを除いて公式には不毛地帯である国境地帯のど真ん中で電波を発信させるようなバカをするわけにはいかないからだ。

 

(さて、今週の釣果は・・・)

電報を順番にめくっていく

「アレクセイの赤ん坊はもう少しかかりそうです」

「スターリナの赤ん坊はもう少しかかりそうです」

「モロゾフの赤ん坊はもう少しかかりそうです」

「カチンスキの赤ん坊はもう少し・・・」

めくるたびに、いつも通りの文面が目に入る。

(まあ、予想通りだな。)

 頭では分かっているが、やはりこの「定時報告」を見せつけられると、少しばかり沈んだ気持ちになる。「作戦」開始後、この連絡方式を確立してから4年間、シュワルナゼにとって、日曜日の夜は、世のサラリーマンとはまた違った理由で、諦観という名の憂鬱が襲ってくる時間であった。

半ば作業のように電報をめくっていく。すると、最後の1通に、今まで見たことのない文面が現れた。

「ベリエフの赤ん坊が生まれました 女の子です 新居はH棟の6号室です 遊びに行ってあげてください」

 シュワルナゼは足を止めてもう一度文を読み直す。ラクの酔いは完全に吹っ飛んでいた。

 

― ついに釣り上げた! ―

 

 思わずガッツポーズが出そうになったが、何とか抑える。作戦開始後、4年で「候補者」が見つかるとは、正直予想していなかった。勿論、この「候補者」が、自分の期待通りの人物かどうかは全くの未知数だ。だが、一人でも「候補者」が居るのと居ないのとでは天地の差だ。まだ調査期間は何年も残っている。この電報に記された「女児」がオペレーション・ウォール・ブレイカーを担う存在になるかは、今後の「候補者」の出現の有無も合わせて全くの未定だが、大切な1人であることに間違いは無い。

奇しくも翌日は、師であるカイラ准将の定年退官日だった。

(いい土産話が出来た・・・)

シュワルナゼは封筒をポケットに入れると、目の前のバーに足を運んだ。今度は、純粋に酒を愉しむために。

 

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