When The "Saints" Go Marching In Ivalice 作:N22b
9月13日 1000時 オーボンヌ
西大教区の各地では叛乱軍などという連中が騒ぎを起こしているようだったが、今のところ、ここオーボンヌでは、それはテレビとラジオの上だけの話だった。式典のために市内の岸壁沿いにある群司令部に集結していた第1機動戦術群の兵力2万人が、叛乱軍蜂起の報を受けた後、市街を囲うように警備に当たり、「市外からの一切の干渉に対して「適切に」対処する。」との声明を出したためだった。装備の過半をザランダに置いてきたとはいえ、1機戦群が国軍最高の練度を持つ部隊であることに変わりはなかった。群司令部自体にもある程度の防空機構は備わっていたし、各旅団の歩兵・魔道士達は、司令部に常備された最低限の個人装備を与えるだけで文字通り人間兵器と化した。アジョラの拘束作戦に従事したような一部の特殊部隊を除けば治安維持や対テロ警備が主任務の僧兵軍が正面からどうにか出来る相手ではない。東からは同盟諸国軍が侵攻を開始したとの号外ニュースが流れる。こちらもろくでもないニュースに違いなかったが、同盟諸国とは事実上、何の縁も無くなったサディアは大して興味を示さなかった。同盟諸国にあって自身を良く知る人達はとうにあの世で、亡命してきたセイレーンのクルー達は帝国内の国軍の影響が強い各地に保護されて、新しい生活を送っていた。
前触れもなく始まった内乱に、「遂に始まった」戦争、かつてインテリジェンスを扱う軍籍に身を置いた者として、事の経緯や今後の趨勢が気にならないといえば嘘だったが、サディア自身に出来ることは何もなかった。確かなのは、アロイス達の庇護下にあるこの街が一番安全だということだ。
サディアは興味本位でそれぞれ何が起きているのかをゲルンに問う。この、イヴァリース中、何処にでも瞬時に跳んで行けるらしい、魂とその器だけの生き物はどうやら事態を仔細把握しているようだったが、こちらも特に興味は無さげだった。
「短気な宗教原理主義者の一派が起こした民族浄化に、領土目当ての軍事侵攻・・・悠久の歴史を振り返れば、どちらも幾度となく見てきた退屈な光景だ。かつては我等も介入したが、何度調停しようが、解決に仕向けようが、馬鹿共は何度でも繰り返す。今となっては、いちいち我が口で語る程の価値も無い。ニュースでも見てろ。」
それがゲルンの回答だった。
「そんなことよりも、お前は「策」を考えるんだ。」とサディアにハッパをかける。
「分かってるさ。でも、もう大体考え尽くした。ライトなのから、ハードコアなやつまでな。覗いてみるかい?」
サディアの申し出に対するゲルンの回答は「本番の楽しみにしておく」というものだった。
サディアは呆れたように鼻息を吹きながら、早くも子供達の昼食の準備を始める。
「今は、こっちのが大変なんだ。ここのところ、アリアンの体調がすぐれなくてね。」
そう言いながら米を研ぎ、炊飯器のスイッチを入れる。
「それが群司令部のアロイスから連絡があって、なんと奥さんが応援に来てくれるんだとさ。でも、色々あって来れるのは明後日かららしいけど・・・いや、良いタイミングだよ。念でも通じたかな?」
そう言って振り返ると、既にゲルンは姿を消していた。
(まあ、アンタの興味が湧くような話でもないか・・・)
サディアは意識をまな板の上の食材に向ける。
ここ数日は、子供達の分だけでなく、アリアンの食事も用意しなければならなかった。といっても、食欲がないというので果物を用意するくらいなものだ。これなら食べれるという、擦り林檎を作るために、林檎の皮を剥いておろし器にかける。そうしながら、ふと考える。もし、義父(ちち)が自分に選択を迫った時、シュワルナゼの所に行かずに元々配属されるはずだった部署に行っていたらどうなっていただろうか、と。義父は、少しはガッカリしたかも知れないが、それでも自分の決断を認めてくれていただろう。その後は、義父とデスクを並べることも無ければ、アイツに会うこともない。全く別の出会いがあって、或いは今頃、既に結婚して子供の一人くらいは居たかもしれない。そして今頃は同じようにこうやって妻の看病でもしながら、子供の食事を作っているのかもしれない。アイツだって、もしかしたら処刑台になんか行かずに、国境地帯での「革命」を成し遂げていたかもしれない。歴史は、ちょっとしたボタンの掛け違いで全然変わっていくから・・・
結局、どうするのが一番、幸せだったのだろうかと考える。考えても分からない。ゲルンから与えられた「高等種族」たるオキューリアの「知識」までを動員しても、それは分からなかった。結局、出来ることといえば、その時、その時で最善だと思った事を選択していくことだけだ。知識が増えれば、選択肢は増える。だが、どの選択肢も、未来を保証してくれるわけではない。この先、アイツが見つかったとして、自分が用意した数多の「策」はアイツを幸せにできるだろうか?
気がつけば、林檎は擦り上がっていた。子供達よりも先にアリアンに食べてもらおうと、擦り林檎のボウルと匙を盆に載せて振り返ると、ゲルンが浮かんでいる。
「消えたり出てきたり、せわしないヤツだな!」
サディアは眉間に皺を寄せながら愚痴る。だが、いつもならここで辛辣に言い返してくるはずのゲルンが何も言わない。サディアは怪訝な顔をしながら、首を傾ける。
「・・・見つけたぞ。」
ゲルンは一言、そう言うと、サディアに「知識と記憶」を与えた時と同じように、「今しがた見てきたもの」をその頭の中に共有する。
サディアの動きが止まり、瞳孔が開く。その手から、盆とボウルが落ちる。
何かが焦げ付いたような、嗅いだこともない匂いが漂う瓦礫の上に立つ妹(アイツ)の姿。その服は血に塗(まみ)れているが、意に介す様子はない。グロセア・エンジンが空気を切り裂く音。戦闘機だ。何機もの戦闘機が一直線に飛んできて、銃弾を撒き散らすその先に、アイツがいる。土煙が立って、何発かがアイツの身体を貫く。服が裂け、血がほとばしる。それなのに、アイツは立ったまま、顔色一つ変えない。掃射を終えて飛び去る戦闘機達を一瞥すると、その瞬間、空が青白く光って、それらは1機残らず爆散する。
場面が変わる。
街だ。殆どの建物が崩れて、焼き尽くされている。黒煙、そしてまた、嗅いだことのない胸にもたれかかるような匂い・・・人だ。人の肉が焼ける匂いなんだ・・・沢山の人が倒れている。まだ動ける人々が瓦礫や傷者達に取り付いて、懸命に救助や介抱に明け暮れている。
高台から、それを見下ろすアイツ。空に向って手をかざす。また、空が光って・・・
「ウソだ。」
戦闘機はまだいい・・・どんな経緯でそうなったのかは分からないが、見る限り、先に手を出したのは向こうだ。撃たれても倒れない・・・多分、「聖天使」の「力」なんだろう。戦闘機を墜としたのも・・・
でも、その後、アイツが撃ったのは・・・手に掛けたのは・・・
「ああ・・・クソ!・・・なんてこった・・・」
サディアは唸る。
(見間違いじゃあない。アイツが焼き払ったのは、兵士じゃない。街、そして、そこでまだ生命をつないでいた普通の人達・・・女性も、子供も居た。アジョラ・グレバドスが子供を殺す?何の悪い冗談だ!?)
サディアは膝から崩れ落ちる。
「想定外、か?」
サディアを見下ろしながら、ゲルンが問う。
暫しの沈黙の後、しかしサディアは答えた。
「舐めるな・・・想定はしていたさ・・・一番、最低最悪なヤツだ!」
「それは何よりだ。でなければ、知識を与えてやった意味がない。」
そう言って、ゲルンは淡々と続ける。
「勿論、何が起きたかは分かっているな?」
サディアは首を小さく縦に振る。
「アイツは、もうアイツじゃない。見た目だけだ。アイツの魂の器は、「聖天使」に乗っ取られた。」
ゲルンが頷く。
「それも、すっかり「澱んだ血」に汚染されてな。この絶妙な場所とタイミングで、馬鹿共が大量の「血」を流した。「澱んだ血」は、苦痛と共に命を絶った生命が龍脈にまで持ち込む、負の思念だ。その死が痛みを伴い、怒りや恐怖、悲哀を伴うほどに、澱みは増す・・・高度な感情を有する知的種族の「澱み」が一度に万単位で注ぎ込まれれば、「聖天使」とて正気は保てん。かつての「千年の戦い」で、母なる星は自らの進化の為の淘汰を妨害する「聖天使」を廃するために、「澱んだ血」を集めてぶつけ、汚染した。我等はその澱みの集合体を「堕天使の黒き翼」と呼んだ。戦いの後、我等が「毒抜き」を続けておったのを、まずお前達が奪い、そして叛乱軍を名乗るファラ教僧兵軍の馬鹿共が見事に台無しにしてくれた。愚かな殺戮で無自覚のままに「黒き翼」の再現などしおって・・・流石は人の子だ。イヴァリースのウジ虫共だ。相変わらず、救いようの無い・・・」
何か言う度、最後に現生種族・・・特にヒュムを「人の子」と呼んでクソ味噌にけなすのはゲルンの「お約束」だった。サディアは今や大して腹も立てずに、冷静に返す。
「その「ウジ虫」の一匹に賭けたのもお前さんだぜ?」
と、自身に知識と決断を委ねたゲルンに突っ込む。
「・・・「策」は、有るんだろうな?」
ゲルンが問う。
サディアは目を閉じて頷く。
「ああ、あるぜ。とっておきの、飛び切り面倒臭いのがな。勿論、アンタにも最後まで付き合ってもらう。」
そう言うと、頭をゲルンの方に傾げる。
意を察したゲルンはサディアの頭の中を読む。
「・・・なるほど、そう来るか・・・だが貴様、この「策」の意味する所は分かっているな?」
「ああ、わかっているさ。「聖天使」をこの次元から切り離せば、彼女が留めていたイヴァリースの「時計の針」が動き出す・・・そうだろ?」
「滅ぶぞ・・・イヴァリースは。小さな農村の上流で、満水のダムを破壊するに等しい。」
「俺は、耐えきる方に賭ける。そうでなきゃ、困るんだ。他に、アイツを助けられる方策はないんでね。」
「それが目的か・・・我等が数千年に渡って護り続けてきたイヴァリースの繁栄・・・その揺り籠の上で生きる数多の生命よりも、肉親一人を優先するつもりか?」
「だから言ったろ?俺に任せた時点でイヴァリース云々は諦めろって。それにアンタ、普段、俺達「下等種族」の事を虫程度に見ているんだ。だったらここは一つ、ゴキブリ並みの生命力に賭けてみても良いんじゃないか?」
ゲルンは思いなおす。(そうだ、これこそが自分が求めていたものだ)と。もし、自らが「オキューリアに作られたプログラム」だとしたら、まずサディアが考え出したような「策」は取らないし、それを実行しようとする者がいれば排除するだろう。最早、自らが種として繁栄する手段を失ったオキューリアにとって、その存在意義は「イヴァリースの守護と繁栄」その一点のみだからだ。だが、今、目の前にいる、恐らくは今まで導いてきたどんな人間よりも俗物なこの男が考え出した破滅的な「策」を承認することで、自分はその軛から解き放たれる。自らの思考が、自由意志の産物なのだと証明することが出来る。その意味で、サディアの「策」は、期待に応え得るものだ。この男がこの孤児院の地下書庫に刻んだ、一見無意味な魔法陣の意味も理解した。
「どうする?乗るか?」
サディアが問う。
オキューリアが「人の子」から提案と誘いを受ける事などイヴァリース史上皆無・・・ではなかった。数十年前に一度だけ、アルケイディアで、「思慮浅薄なオキューリアの若者」と、二人の「人の子」が互いを友と呼んでイヴァリースの「秩序」を破壊しようとした。
ゲルンは思う。動機は違えど、自らもまた、あの若者達と似た者同士になりつつある、と。しかも、冷静に考えれば、自分達の「動機」は、彼らよりも数段、幼稚だった。自らが造られた存在ではなく、魂を持つ意志なのだと証明したいだけのオキューリアの王に、肉親一人と世界(イヴァリース)の未来を平気で天秤に掛ける超弩級の大馬鹿者・・・二人揃って理想も理念もない、情念だけが力の源なのだ。自身は己が「魂」への・・・この男は、妹への。そして、その「情念」の行き着く先は、イヴァリースの「秩序」どころではない、「ほぼ全て」の破壊だ・・・
サディアが答えを促す。
「放っておけば、あの「聖天使」はイヴァリースの「全て」を破壊するまで止まらないんだろう?アンタが俺に寄越した知識はそう見積もってるぜ。俺の「策」なら、奴を止められる。たとえソレがイヴァリースの「ほとんど」をブチ壊すとしても、だ・・・。それとも他に妙案でもあるかい?」
ゲルンが検証しても、「イヴァリースの維持」を前提条件に置く限り、取りうる策は不確実な長期戦しかなかった。サディアの「策」は、最も短期かつ確実に「聖天使」を排除できるものだった。
「良いだろう・・・乗ってやる。今、この時をもって、貴様をウジ虫と呼ぶのは止めだ。」
ゲルンはそう答えて、すぐにでも出発するよう、サディアを促す。サディアは首を縦に振ったが、少しだけ時間をくれるよう、請うた。
「一つだけ・・・ケジメを付けなきゃいけない事がある。」
サディアは、もう一度、擦り林檎を仕込むとアリアンの部屋の扉をノックする。部屋に入ると、アリアンはベッドから、上体を起こしたところだった。
「ごめんなさいね、いろいろやらせてしまって。」
そう謝るアリアンにサディアは首を横に振りながら無言で笑いかけると、擦り林檎のボウルをベッドの脇に置く。そして、ベッドの脇の椅子に腰掛けると、アリアンの手を握った。
「なあに?言っとくけど、今は「そんな気分」じゃないわよ?」
アリアンは少し呆れた顔で笑いながら言う。
サディアは鼻息で笑い返す。目を閉じて、小さく深呼吸をする。一寸して目を開くと、意を決したかのように口を開く。
「見つかったんだ。妹が・・・アジョラが。」
アリアンの目が丸く開く。
「本当に?生きているの?」
サディアは頷く。
「生きてる。生きてるんだけれど・・・悪い・・・とても悪い呪いに掛かっていて・・・助けに行かないといけないんだ。その・・・俺が、行かなきゃいけない。」
「・・・え?」
アリアンは要領を得ない。
「酷い呪いなんだ。自我を失って、人を傷つけている。望んでやってるんじゃない。「呪い」のせいなんだ。」
サディアはそう言うと、左手をアリアンの頬に添える。アリアンには見えぬように脇にいるゲルンに、さっき自分に見せたアジョラの姿をアリアンに見せるよう、念じて頼む。ゲルンは従い、アリアンは突如頭の中にイメージが流れて来るのに驚いた様子を見せたが、かつて尊敬の念を抱いていた「推し」の変わり果てた姿と、その所業に絶句した。
岬でのアドルフとの一件の後、サディアは自身とアジョラの事をアリアンに話していた。何が真実で、何が出鱈目なのかを知って欲しかったからだ。アリアンも、それを望んだ。サディアとアドルフがアジョラについて話す時、自分だけが蚊帳の外のような扱いになるのがどうにも気分が悪かったからだ。
だがしかし、アジョラと「聖天使」との融合の下りについては、サディアも話してはいなかった。バルビエがやったようにクドクドと話すのも骨が折れるし、アリアンがアジョラを理解するに当たって、そのエピソードは必要ないと判断したからだ。
だから、アリアンの理解を助けるためにも、サディアはアジョラの現状を、単に「悪い呪い」と表現した。
「俺が止めなくちゃいけない。他の誰にも、任せられないんだ・・・」
サディアは伏し目がちに言う。果たしてアリアンは、サディアの「肉親としての責任感」には理解を示したが、実際に行ったとして、貴方に何が出来るのか、と問いただした。その問いの真意が分からないほどサディアは無神経ではなかった。アリアンは言葉通りに「サディアに、何が出来るのか」を知りたいのではない。ただ単に「行って欲しくない。一緒に居て欲しい」だけなのだと理解する。サディアの心の一部は、間違いなくアリアンと思いを同じくしていた。だが、アジョラを「また」突き放すという選択肢は、彼にとってはあり得ないことだった。しかも、幼少の頃と違って彼女を「聖天使」にしてしまったのには、自身の決断も噛んでいるのだ。
「俺達には責任がある。そうだろう。」
義父(ちち)オニクスが書き留めたメッセージが突き刺さる。
(そうだ。俺には責任がある。アイツを、「人間に戻して」やらなきゃいけない・・・子供の頃は、失敗して「無力な生き神様」にしてしまった。今度は、「究極の力を持つ天使様」だ。両極端もいいところだが、俺のやるべきことは、あの頃から、何も変わってはいない・・・アイツを不条理な「不幸」から救い出して「幸せ」にする。それが俺が自身に課した本当の「使命」・・・。義父もそうだった。義父と俺にとって、「国境地帯の解放(オペレーション・ウォール・ブレイカー)」は、本質じゃない。アイツが「幸せ」になるための「手段」でしかない。それは作戦が「ファイナル・ファンタジー」になってからも同じだ。任務はまだ途上だ・・・放棄するわけには、いかない。)
サディアはアリアンの目を見る。アリアンとの間に生まれ、育んだ「愛情」は、肉親であるアジョラに対するそれとは全く異質なものだ。比べられるものではない。アリアンの手を握っていた手を放して、彼女自身を抱き寄せる。
「俺は、行かなくちゃならない。アロイスが助けてくれることになってる・・・でも、やっぱり、俺が行かなくちゃあ、いけないんだ。」
アリアンを抱き寄せたまま、サディアは答える。アリアンが何も言わずに、ただ頷くのが、触れた身体を通して伝わる。
「だから・・・」
そう言ってサディアはアリアンへの抱擁を解き、その目を見る。
「今、この場で、俺と結婚してくれ。」
脇から顛末を見ていたゲルンは呆れる。
(たった今から、今生の別れだと言うのに、何を言っているのだ、この馬鹿は!気でも狂ったのか?)
だが、サディアは大真面目だった。これを言わずにアリアンの元を去るのは卑怯だと考えた。自分が彼女をどう想っているのか。彼女が、自分にとってどれだけの存在なのか。もう話せなくなるその前に、明確に伝えるには、他に適当な言葉は思いつかなかった。好きだとか、愛しているだとか、一過性の感情でも言えることではない、一生を添い遂げるだけの価値がある女(ひと)なのだという事を、伝えたかった。
果たしてアリアンは、全てを理解した。その一言で、心が満たされるのを感じた。満たされて溢れた分が、涙になって流れていく。そして同時に、ひょんな縁で繋がり、愛するに至った男の、曲げられない決意の深さも理解した。
今度は、アリアンがサディアに抱きつく。
「行ってらっしゃい。私の旦那さん・・・」
そして問う。
「戻っては、来られないんでしょう?」
女の勘だった。
サディアは一瞬、躊躇したが、無言で一度だけ頷く。
「・・・そう。」
そう答えながら、アリアンは決意を固める。
(それならば、「この子」のことは、言うまい・・・)と。
「あの人を・・・妹さんを、助けてあげて。」
そう言って励ます。だが、その後、サディアを抱きしめる両の手にひときわ強く力を入れると、若干の怒気を孕んだ声色で続けた。
「でも、これだけは言わせて・・・私、あの人を許さない・・・偽りの聖者だったからでも、人を殺したからでもない・・・あなたを、ここから連れていってしまう・・・ただ、それが、許せない。」
この言葉がサディアを苦しめる事をアリアンは分かっていた。だが、言わずにはいられなかった。ただ気持ち良く送り出してやることなど、できるわけがなかった。
サディアは、黙って受け入れる。アリアンを責める気にはならない。そこまで自分を想ってくれることに、感謝しかない。
しかし、だからこそ思う。あの日、義父が自分を救い出して、アイツは一人ぼっちになった。今、自分はアリアンに救われて、アイツはやっぱり、一人ぼっちだ。もう偶像(アイドル)でもなくなったというのに、自分のように人生を分かち合える人にも出会えずに・・・。
サディアには、あの惨状が、単にアジョラの肉体を乗っ取った「聖天使」が暴れているというだけには見えなかった。アイツ自身もまた、怒っている・・・この世界の不条理に。どれだけ頑張っても幸せになれない自分の運命に怒り、癇癪を起こしている・・・そう見えた。妹が癇癪を起こして人に迷惑を掛けるなら、止めるのは兄である自分の責務だ。一人で幸せを掴み取れないなら、助けてやるのが、兄である自分の仕事だ。
「子供達にも、言わなくちゃあ。」
そう言うと、アリアンに口づけをする。アリアンは、私も行くと言ってベッドから腰を上げた。
子供達も、別れを惜しんだ。ただ、子供達は、サディアが当然また戻って来るものだと思い込んでいる。そこをわざわざ「もう戻らないのだ」と念押しすることまではしなかった。子供達を抱きしめる。
最後にもう一度、名残を惜しむようにアリアンを強く抱きしめる。
孤児院を離れる。
もう一人、話をしないといけない。
サディアは市場へと足を向ける。途上の並木道、その視線の先には、買い出しを終えて戻ってきたアドルフのオート三輪。経典法の定めに従い、その腕には「15歳未満の子供が特別に保護者の許可を得て外出している」事を示す腕章を着けている。アドルフには、サディアの脇に浮かぶゲルンの姿が見える。その雰囲気から、サディアが発とうとしている事をすぐに察した。停車して駆け寄ると、サディアがその肩に手を掛ける。
「アイツを見つけた・・・行ってくるよ。作戦計画、発動だ。」
アドルフは息を飲む。
「・・・どのプランで?」
サディアは、アリアンにしたようにアドルフの頭に手のひらを添える。ゲルンが「イメージ」をアドルフの頭に送り込む。「惨状」がアドルフの脳内で走馬灯のように高速再生される。
アドルフは目を見開いたまま、サディアを見る。サディアはアドルフの両肩に力強く両手を添えて、その目を見る。
「泣くのは後だ。状況は分かったか?」
アドルフは無言で首を縦に振る。
「こうなった場合のプランは、一つだけだ。分かるよな?」
アドルフは、もう一度、頷く。
サディアは、アドルフに全ての「策」と、そのためにアドルフがやるべき全てを叩き込んでいた。アドルフの特異な頭脳と、彼のアジョラへの「想い」を信頼して。
「ティーディアス・プラン・・・延々、いつ終わるかも分からない・・・」
「そうだ。『オペレーション・FFT(Final Fantasy Tedious)』・・・君が爺ィになって死ぬまでかかっても終わらない。そこから先、何世代も、何世代も続ける必要がある。聖石と、残りの異形者達も必要だ。最高に面倒臭いTedious(うんざり)計画だ。だから、君が全部やろうとする必要はない。助けてくれる人を見つけて、「続けられる体勢」を作るんだ・・・でも最初が肝心だからな。そこは君にしか、頼めない。」
「僕なりの「やり方」で良いんでしょう?」
「ああ、やり方は、任せる。「結果」が全てだ。でも、もし上手くいかなくても、自分を責めるなよ?こんなプラン、上手くいくと思う方がどうかしてるんだ。もし君がまた首をくくったりしたら、俺はアイツに殺されちまうからな。」
「自殺はしないって誓うよ。まあ、僕が死んだ後の事までは責任持てないけれど、僕が出来る全てで臨む・・・僕に相応しい「任務」だから。」
アドルフは胸を張ってサディアに答える。サディアは、右手をアドルフの肩から頭に移すと、ワシャワシャと撫でる。
「まあ、まずは「生き残る」事だ。前にも話したとおり、計画どおりに俺がアイツを連れて「向こう」に行ったら、多分、イヴァリースは、酷いことになると思う。まずは、生き延びてくれ。できたら、アリアンや子供達の事も守って欲しい・・・改めて考えたら、14歳の子供に頼むことじゃないな。」
サディアはそう言って頭を掻くが、アドルフの目を見ると、果たして闘志だか希望だかで爛々と輝いている。
「たとえ「小数点以下の確率」でも賭ける価値があるなら賭ける・・・それだけのことだよ。それに、僕を舐めないで欲しいな。やってやるさ。少なくとも、あなたの予想以上にはね!」
国家のサポートと異形者の力を盾に事業を進めてきたアジョラ、オキューリアから知識と記憶を与えられなければ何もできなかった自分、そんなグレバドス兄妹とは違い、持って生まれた才覚とそれに対する自信だけでそう言ってのけるアドルフにサディアは舌を巻く。高笑いすると、アドルフの肩を数度、優しく叩いた。義父オニクスが自分によくやっていたように。
アドルフのオート三輪が走り去るのを見送ると、サディアは口を開いた。
「もう、いいよ。これ以上は、名残惜しいだけだ・・・じゃあ、行こうか。」
残暑の残る並木道から瞬時に姿を消し、移動した先は、孤児院から数km離れた岸壁沿いにある、帝国統合軍、第1機動戦術群の群司令部庁舎内の男子トイレの前。一気に空調が効いた屋内となり、サディアの汗ばんだ肌が乾いていく。ゲルンが「アロイス・オークスの居場所辺り」を「検索」して飛んだのだ。個人が発する微弱なミストの波形を識別・記憶すれば、対処がどこにいようが瞬時に「飛んで」いけるのだという。2人の目の前には、ハンカチで手を拭きつつトイレから出てきたアロイスの姿。目があったところで、アロイスが呆れたように笑う。
「どうやって入ってきた?すっかり、人外になっちまって・・・」
サディアの口角にも思わず笑みが浮かぶ。やったのは自分ではなくゲルンだが、警備も鉄扉も魔法障壁も全て無視して瞬間移動してくるなんてのは、軍関係者からすれば全く悪い冗談以外の何物でもない。
目の前のアロイスは相当に疲弊しているのか、いつもよりも目が窪んでいる様に見えた。ある程度の「事前ブリーフィング」は済ませてあるアロイスになら、まずは端的に現状を伝えるのが良いだろうと、サディアは判断する。
「起きたよ。「最悪の事態」だ。」
アロイスは頷きながら返す。
「この状況か・・・君はどれだけ把握してる?確かに最悪だな。」
サディアは、ハッとした。
(そうか・・・国軍のアロイスが対処しているのは「こっち」の事じゃない。恐らくは、同盟諸国の侵攻対処がメイン、そして、僧兵軍の一部が造反した「叛乱軍」の事も・・・)
それはそれで「最悪」には違いない。だが、あくまでも「人類史」の範疇での「最悪」だ。ゲルンや、今のサディアの視点に立てば何れもが「些末事」だ(とはいっても、「聖天使」を最悪の寝覚めで起こしてしまった、忌むべき事態には違いなかったが・・・)。
サディアは首を横に振ると、もう一度言葉を選んで伝える。
「「聖天使」が起きた。フォボハムだ。」
その瞬間、アロイスの動きが止まる。伏し目がちに考え込むような仕草を見せた後、サディアに問いかける。
「少し前、ライオネルの総司令部から情報共有があった。フォボハム方面の少数民族自治区を制圧に向かったとみられる叛乱軍の部隊が壊滅した、っていう報告だ。少なくとも1個空中戦隊と1個旅団級の陸上兵力。奴等が空になった我々の基地から奪取した陣地攻略用の魔導砲艦も、そこで撃沈された・・・。俺は、国軍の部隊が鎮圧したものだと思っていたが・・・」
ゲルンが淡々と皮肉たっぷりに返す。
「実におめでたい脳味噌だ。驚嘆に値する。」
相変わらずの「オキューリア節」だったが、アロイスは気分を害する様子も見せずに、腕を組む。一寸の沈黙の後、確認するようにサディアに問うた。
「これが、君の言っていた「対処すべき事態」ってヤツで良いんだな?」
サディアが頷く。アロイスは更に詰め寄る。
「東からは同盟諸国の数十個師団と空中艦隊が攻め込んで来ている。どうやったかは分からんが、主力がヤクトを越えてな。恐らくは法王府とグルになった謀略のせいで初動を封じられた我々は、後手に回っている。防衛線を破られて山脈西方に橋頭堡の構築を許せば、その後は戦闘員も非戦闘員もない、血で血を洗う人民戦争だ・・・。国内では、我々国軍が対処できないのをいいことに、法王府内の極右共が30万の兵力で帝国西半分の少数民族を片っ端から虐殺している・・・君の言う「聖天使」は、それらよりもなお、優先すべき脅威だと・・・それで、間違いないんだな?・・・君の妹君の事は脇に置いても。」
サディアはもう一度、首を縦に振る。
「誓って。アジョラの事は関係ない。確かに俺にはアイツの事が最優先事項だけれど、それは脇に置いても、コイツが一番ヤバい。」
そしてゲルンの方を見る。
「彼等が、肉体と、種族としての繁栄を捨ててまで千年・・・誇張抜きで千年戦い続けたヤツだ。そこまでしてでも封じなければ、イヴァリースの全てを滅ぼしてしまうから・・・召喚術の思念体とはワケが違う。正真正銘の化け物だ。」
アロイスもゲルンの方を見て問う。
「「千年神戦争」の寓話は、ウチの国でも言い伝えられて残ってる。昔話ってやつは白髪三千丈、大概、盛りに盛られてるもんだが、この寓話に誇張は・・・」
「ない。」
ゲルンはただ一言で答え、そして続ける。
「お前達の助力などなくとも、我等でやるだけの話だ。だがそれでは、被害が極大化する恐れがある。人が住む場所で我等が戦えば、数多の巻き添えが出るだろう。作戦の遂行に当たり、付随する被害は最小限にしたい。そのためには猫の手だろうが何だろうが借りる・・・それが、この男の考えだ。私自身は、「聖天使」を抑え込みさえできればどうでもいい。」
アロイスはゲルンとサディアを交互に見る。小さく数度頷くと、口を開いた。
「分かった。群司令に上申しよう。イヴァリース最強の「猫の手」を貸してやろうじゃないか!」
群司令部の指揮所に入る。目算でも30m✕50mは下らない広大な指揮所には10m四方はある状況表示ディスプレイが横一面に並び、データ・リンク経由でリアルタイムに更新される統合戦闘状況図や戦域毎のテキスト通信、各報道局のニュースチャンネルが表示されている。整然と並んだ端末席の間を軽装の戦闘服に身を包んだ幕僚達が慌ただしく動き回っている。かつて同盟諸国の情報軍内で「いつかこんな指揮統制通信が実現したらスゴイね!」と半ば冗談で言っていたのが、ことごとく実現されている室内に、サディアは圧倒された。
アロイスが指揮する第1旅団付の幕僚が駆け寄ってくる。禿げ上がって天井の照明を反射した額には脂汗をかいていた。
アロイスは時計を見る。先程、席を外してから30分と経っていない。それだけの間で、何か大きな事態の推移でもあったのだろうか。
「どうしたコックス少佐?そんな顔して!」
「ライオネル経由で、ジークデンの陸軍第3師団が壊滅状態だとの報告が・・・同師団の救援に入った空軍第2航空戦隊が交戦中ですがコチラももう保たないと・・・」
指揮所のスピーカーの一つに繋がれた航空無線のオープン・チャンネルからは幾つもの救難コールが流れている。
状況表示板に示された同盟諸国軍との前線は未だ国境地帯の西端近く、グローグ=ゼイレキレ=ザランダのラインで膠着している。国軍の各師団・航空戦隊が必死の抵抗で食い止めているのだ。奇襲のインパクトさえ乗り切れば、自国内という地の利と、何よりトータルでの兵器性能に勝るユードラ帝国軍がいつまでも後塵を拝し続ける理由は無かった(戦時において帝国領内での国軍への補給を担当することになっている僧兵軍が協定を守れば、の話ではあるが・・・。少なくとも、今、この時点では、東方前線の国軍部隊は手持ちの武器弾薬で頑張っていた)。だが、コックスの口から出たジークデンは、そこから遙か西方のガリオンヌ北部だ。叛乱軍は帝国の西半分で好き放題に暴れ回っているが、その目的は少数民族の根絶、国軍の師団級部隊に喧嘩を売る余力も時間もあるわけが無かった。
(残る敵性勢力は・・・)
アロイスは息を飲む。
「ジークデンの連中は、何と交戦してるんだ?敵は、何だ?」
「それが、分からんのです。音声も、テキスト通信も、どの報告も全く要領を得ていません。大部分が、何と戦っているのかも分からないままに、一方的に蹂躙されているんです。ただ一つ、師団隷下の偵察部隊のパッシブ・ミスト・センサーに馬鹿げた濃度のミスト反応があって、師団の部隊はその放出点に向かって攻撃をかけていたんです。空軍は、今もそうやって・・・」
「ミストの放射源は?赤外か可視の画像は無いのか?」
「無いんです。報告では、放射源に向かっても何も視認出来ないと・・・視認出来るまで近づいた部隊は、軒並み攻撃されて全滅したようで・・・」
アロイスは手近な端末でテキスト通信ログを立ち上げる・・・第3師団隷下部隊からの報告も、第2航空戦隊の報告も混乱の極みを呈しているのが一目瞭然だった。コックスの言うとおり、「何」と戦っているのかが、さっぱり読み取れない。砲兵や歩兵の迫撃砲部隊はとにかくミストの放射源に向かって狂ったように砲弾を撃ち込み、その後に、アーマー部隊や戦闘機部隊が突撃をかけている。まさか、センサーの出力画面を真っ白に染める程の莫大なミストが、「たかだか170cmの人間一人サイズ」から放射されているとは、誰もが想像していなかった。少なくとも中隊級以上の部隊かモンスターの群体、仮に単体だとしても巨大な戦艦か伝承級のドラゴンのような「敵」を想定して突撃したアーマーや飛空艇の部隊は、「敵」を視認することすら叶わずに一方的に薙ぎ払われていた。視程内戦闘の要となるはずの白兵戦科や魔道士部隊は、火力支援の航空部隊やアーマー部隊が軒並み返り討ちにあって壊滅してしまうために、近接する事すらできていなかった。
テキスト通信から明確に読み取れたのは、「敵」が北側、フォボハム方面から来た公算が高い、ということだった。ライオネルの総司令部は、フォボハム方面で叛乱軍の動向を収集していた情報収集機が探知した異常ミストと、ジークデン方面で第3師団の情報収集部隊が探知したミストの波形を解析し、放射源が同一であるとの評価をテキストに載せていた。アロイスはテキストに添付された解析ファイルを開く。フォボハム、ジークデンのミスト解析結果を比較検証したプロダクト、解析部署のコメントには、参考事項として「細部は不明ながら、両者の波形に「異形者・聖天使アルテマ」との類似点が多く認められる。」との注釈が付いていた。
アロイスは手元のマイクのスイッチを入れる。
「情報幕僚部、こちら第1旅団長。ジークデンの第3師団と総司令部とのテキスト通信はモニターしているか?」
天井のスピーカーから、拡大されたアロイスの声が響く。
「情報幕僚部、モニターしています!」
甲高いモーグリの声で同じくスピーカーに返答が入る。広大な指揮所内に百人近くの幕僚やコンソール操作員がごった返しているので、マイクとスピーカー越しに会話をしているのだ。
「後令するまで、同方面の情報収集を最優先で行え!アップロードしてある資料は全てまとめてサーバーに入れておくように!あと、異形者・・・特に「アルテマ」関係の資料も!」
アロイスが命令し、スピーカー越しに了解の返答。
ここでコックスが「当然」の質問をする。
「ところで旅団長、その方は・・・確か、同盟諸国軍の・・・なぜ、ココに?」
アロイスはハッとする。サディアがあまりに「自然に」司令部内に入ってきたので今まで気にも留めていなかったが、機密区画の指揮所に1人だけ私服の外国人が居るわけだから、端から見れば違和感がないわけがなかった。
「彼は・・・オブザーバーだ。こんな状況だからな。同盟諸国軍の諸々について確認したくて連れてきた。まあ、他にもあるが・・・後で説明する。」
「はあ・・・」
アロイスは適当に話を作ると、指揮所を出て一旦、旅団長執務室兼自室にサディアを連れ込む。ロッカーから戦闘服の上下と半長靴を引っ張り出すとサディアに寄越した。
「ソイツを着ておいてくれ。名札と階級章は外しておいてな。」
サディアは言われるがままに、難燃性の繊維で織られたカーキ色ベースの迷彩服に袖を通す。
(まさか、コイツを自分が着るコトになる日が来るなんて・・・)
ちょっとした違和感と感慨が入り混じった感情を覚えながら、半長靴の紐を編み上げた。
アロイスはといえば、自身のデスクで端末を立ち上げると数枚のペーパーをプリンターから打ち出す。出てきたものをサディアに突きだした。
「君から聞いた「構想」をベースに、作戦計画をスタンス・ペーパーに纏めた物だ。それで問題ないか、見てくれ。修整点がなければ、ソイツを今から群司令と他の旅団長に出す。」
サディア(と、ゲルン)は紙面を見る。自らがアロイスに話して聞かせた「構想」はしっかりと反映されていた。自分で考えておいてなんだが、改めて紙面で見せられると、何ともファンタジック、オカルトチックというか、ぶっ飛んでいる。特別に縁のあるアロイスは理解してくれたが、コレで軍の高官が承認してくれるのか不安になる。
作戦に充当する兵力の欄に目が留まる。
「俺の言った所は大丈夫だよ。ただ、この兵力のところで・・・」
「ああ、そこに記載のあるザランダの兵力は使えない。即応予備旅団を充てるつもりだったけれど、叛乱軍に基地と装備を抑えられてしまったからな。そこは修整して・・・と」
「ああ、うん。俺が気になったのは、この、「群司令部庁舎艦」ってところなんだけど、「艦」って、どういうこと?」
アロイスは端末に打ち込む指の動きを止めると、サディアの方を見てニヤリと笑う。
「お、同盟諸国統合情報軍でも把握してなかったかな?この庁舎はな、「飛ぶ」し、「戦える」んだぜ。それも、単艦での戦闘力は国軍最強だ。もしかしたらイヴァリースでも最強かも知れん・・・もっとも、カタログ・スペックどおりなら、だけれど・・・。今は時間がないから、詳しくは後で教えてやるよ。」
そう言うと、慌ただしく電話をかけ出す。
「よし、群司令と旅団長達は押さえた。今から司令部会議室だ。」
数部の「スタンス・ペーパー」を引っ掴むと、慌ただしく部屋を出て上階に上がる。サディアは迷子にならないよう、アロイスの尻を追いかける。会議室に続く通路で3人の「旅団長達」とかち合う。ヒュムは1人、後はモーグリとヴィエラだ。
「私達の身の振り方、決められそう?」
ヴィエラの「第2旅団長」がアロイスに問う。
「このままずっと、オーボンヌ市の用心棒、ってわけにもいかないからなァ」
とモーグリの「第3旅団長」
「まあ、1旅団長の「名案」とやらを聞いてみようじゃないか。あまり熟議している時間は無いが・・・」
ヒュムの「第4旅団長」がそう言う間に、会議室のドア前に着いた。
「あら?生体認証装置、新しく付けたのね。」
第2旅団長の視線の先には、指の血管のパターン読み取りと顔認証のハイブリッド型生体認証装置が設えられていた。
3人の旅団長達はそれぞれ認証を済ませると会議室に入っていく。アロイスはサディアの方を見た。
「んー、困ったな。共連れも出来なさそうだし、これじゃ君が入れない・・・」
ゲルンが割って入る。
「問題ない、行け。」
アロイスは肩をすくめて「返答」する。
「どうすんだよ、実際?」
眉間に皺を寄せるサディアを尻目に、ゲルンは認証装置の前に移動する。一寸して、認証クリアとロックが解除の音がした。
「児戯だな。とっとと、入れ。」
サディアはゲルンを見上げると、呆れたという顔をしながらドアを開けた。勿論、ゲルンは「フリーパス」だ。
1機戦群各旅団長とサディア(とゲルン)が揃い、アロイスが人数分のペーパーを卓上に置いたところで、室内にいた群司令付の副官が会議室内の脇のドアの向こうに消える。少しばかりして、少将の階級章を付けた戦闘服に身を包んだ小柄な好々爺風の「群司令」が脇のドアから入室したところで、4人の旅団長が起立のまま不動の姿勢を取る。サディアも遅れて同じ姿勢を取った。群司令はジェスチャーで各旅団長に着席を促した。
「さて、今度はジークデンか・・・どえらいことになったね・・・」
群司令は、そう言いながら手元のアロイスの資料に目を通す。ジークデン方面のテキスト通信ログを抜粋して纏めたモノに、アロイスが作成したスタンス・ペーパー、そして、総司令部の解析部署がアップロードしたミスト波形の解析資料に「異形者・アルテマ」の基礎資料・・・
「1旅団長は、我々はジークデン方面の「敵」に対処すべきだ、と。そういうわけだね?」
アロイスは「はい。」と端的に回答する。
「こっちの「敵」は未だ正体不明・・・のはずだが、君の資料だと、異形者・アルテマがその正体だと・・・にわかには信じ難いな。確かに、最高位の「異形者」だが、余りに威力が違いすぎないか?ウチの白兵戦科なら1個分隊で抑えられるヤツだろう。」
(1個分隊で異形者を!?)
サディアは耳を疑う。例え思念体相手だとしても、相当に馬鹿げた練度だ。
アロイスが回答する。
「それは、ギルヴェガンの「思念体」の話です。伝承に出てくる「生身の本体」は、そのウン万倍もヤバい代物だった、ということです。」
「で、その「生身の本体」が、なぜ今、ジークデンに出てくるんだ?ログと資料だと、最初に出てきたのは、フォボハムみたいだが・・・」
「それは・・・」
アロイスはサディアの方を見る。サディアは頷き、発言の許可を求める。
「君は?」
「サディア・ヒサーリと申します。元、同盟諸国統合情報軍大尉。先般、貴国に亡命させて頂きました。」
群司令は目を丸くして声のトーンを上げる。
「ああ、あの!上には死亡扱いで通して1旅団長が保護していた彼だね。はじめまして。」
群司令がサディアに発言を促す。サディアは生唾を飲み込み、意を決して口を開く。
「端的に申し上げます。ジークデン方面の「敵」の正体は、「異形者・聖天使アルテマ」と、「人間・アジョラ・グレバドス」の融合体です。同盟諸国統合軍が、ネルベスカの地下研究所で融合処置を・・・私が立ち会いました。」
群司令と、アロイスを除く各旅団長の視線がサディアに集まる。
「久々に聞く名前だな・・・グレバドス女史が、同盟諸国の「紐付き」だという話は、国軍でも将官以上には共有されていたが・・・なぜ、異形者との融合なんぞ・・・いや、そもそも彼女はとうに死んでいるだろう?」
「過去、同盟諸国内の内紛で、彼女の立場が危うくなりました。彼女をサポートする立場にあった統合軍の我々は、ネルベスカで開発された「異形者の本体をサルベージする技術」を使って、「聖天使」と彼女を融合させました。人為的に「ゾディアック・ブレイブ」を創り上げて、彼女の生命、立場と、事業を守ろうとしたのです。結果的に我々の目論見は、外れました。「聖天使」の力は、人間としてのアジョラが死ななければ現出し得ないものでした。彼女が処刑された事で・・・なぜこんなにも期間が空いたのか、そして何故フォボハムなのかは分かりませんが、とにかく、「聖天使」は実体としての肉体を得たことで、本来の力を備えて現出しました。これまでの行動から見て、明らかに、我々への敵意に満ちた状態で、そして伝承どおりの馬鹿げた戦闘力で・・・」
サディアは極力、細かい経緯は端折って説明した。ここは学術研究所ではない。作戦部隊だ。とにかく、「敵」の正体とその脅威度が伝われば良いのだ。
アロイスがかぶせるように続ける。
「私は、彼を保護する立場にあったことで、この話を聞きました。もっとも、話の段階では、あくまで「これから起こり得るかも知れない可能性の一つ」としての扱いでした。余りにも不透明な見通しでしたので小官で留めておりましたが、それでも、そうなった時の準備は必要だという彼からの「提言」がありましたので、旅団長の権限でできる範囲で、これまで準備を進めていた次第です。」
「それで、ここしばらく、この司令部庁舎に延々と武器弾薬燃料を搬入してたのね・・・定数一杯のACに、AD(アサルト・ドローン)まで全弾詰め込んで・・・即応待機の準備にしては気合が入りすぎ。1旅団の予算は大丈夫なのかと心配していたわ。」
第2旅団長が椅子に寄りかかりながら半ば呆れたように言う。アロイスは笑い返した。
「コレで、ウチの来年度の予算はゼロだよ・・・来年度があれば、だけれど。」
「でも、お陰で、ザランダを接収されても戦える態勢が取れた。結果論だが、ファイン・プレーだ・・・」
と、第3旅団長。一寸、笑顔を作ったが、すぐに眉間に皺を寄せて頭のポンポンを左右に振る。
「とはいえ、「聖天使」の件を抜きにしても、国内外この有様だ。さすがにオーボンヌを空にする訳にもいかないし・・・。」
アロイスが手を挙げる。群司令が発言を促した。
「スタンス・ペーパーにあるとおり、「聖天使」には本庁舎を振り向けます。可能な限りの装備、人員は搭載しますが、2万人もは入りませんから、基本的には第1旅団で当たろうかと。群司令と2、3、4各旅団は、引き続きオーボンヌに在所頂いて、市の警備、後は、他方面への対処に当たって頂ければ・・・」
「それなら第2旅団は人を出すわよ。貴方の所の若年兵とウチのベテランズを入れ替えましょう。こないだまで即応旅団だったから、訓練の必要も無いしね。」
「良いのかい?」
「貴方のスタペ、見たけれどコレ、ほぼ決死隊じゃない。この「庁舎艦」と搭載兵力で、「聖天使」を洋上まで誘導するんでしょう?ジークデンの状況を見る限り、「天使様」は相当、お怒りよ。その気を引きながら、今の動きなら・・・西バグロス海の沖まで。耐えきれるかしら?」
「やらなきゃいけない。このまま奴を南下させれば、ガリランドにミュロンド、どちらも人口密集地帯だ。それまでにインターセプトして奴の気を引く。それも相当な火力と防御力で臨まないと、振り向いてすらもらえないだろう。現状、条件を満たせる戦力は、この庁舎艦とその搭載兵力しかない。ここで動かなけりゃあ、1機戦群の存在意義に関わる。」
アロイスの力説に第2旅団長も首と耳を縦に振る。
第4旅団長がペーパーをめくりながら口を開く。
「まあ、誘導が成功したとしよう。スタベだと、その後は、戦闘を「審判の霊樹」に引き継いで、庁舎艦を含む国軍兵力は全速で離脱・・・とある。追加の説明が必要だな。」
サディアが顔を前に出す。
「そこからは私が説明します。」
そう言うと懐から「リーブラ」を出し、卓上に置いた。
「この中に「異形者・審判の霊樹」の本体が入っています。「聖天使」と同じく、ネルベスカでサルベージしたものです。」
議場がどよめく。サディアは続ける。
「伝承にあるとおり、「審判の霊樹」は最古の異形者です。言わばプロトタイプ。古代の人々が神と呼んだオキューリアは元々、「審判の霊樹」にイヴァリースの監視と維持の全てを担わせるつもりで稼働させました。しかし期待する成果を得られずに用廃・封印措置となり、その後に「聖天使」を頂点とする環境維持・社会統制システムを整備したのです。」
「それもまあ、概ね伝承どおりだね。」
と第3旅団長が合いの手を入れる。サディアは軽く頷く。
「そして、それ故に、この異形者は、唯一「聖天使」の統御を受けません。主従関係にないのです。」
「つまり、奴と戦える、と。」
と第4旅団長。サディアはまた頷く。
「今の「聖天使」と同じく、フル・スペックで。」
「なるほど、召喚術とは比べものにならん程の隕石(メテオ)でもぶつけるのかい?確かにそれなら、陸上では戦えないね。」
4旅団長の言葉に、サディアは今度は首を横に振る。
「この異形者の「本当の力」はそれじゃあないんです・・・。「無」の力、空間そのものをこの次元から捻り切って、別の次元へと転移させる。捻り切られた空間にある物は、この世界において「無い」ことになる・・・「審判の霊樹」は自ら、この力を編み出しイヴァリース上で使おうとした。オキューリアは、全く意図しなかった破壊行為を始めようとしたこの異形者を稼働停止にせざるを得なかった。」
「なるほど・・・その「無」の力で、「聖天使」をこの世界そのものから「排除」するわけだね。では、何故わざわざ洋上まで連れて行かねばいけないのかな?過疎地でなら、陸上でもよさそうなものだけれど・・・」
と3旅団長。
「効果範囲が分からないんです。「審判の霊樹」は「無」の力を行使することはできますが、制御する事はできません。一旦、「力」を発動したら、どこまでが「削り取られて」しまうのか、全く予想がつかないんです。ですから、国軍の皆さんには、出来るだけ遠く、少しでもリスクを減らすために、洋上まで誘導して頂きたい。1マイルでも、1メートルでも遠くに・・・」
一寸の沈黙の後、群司令が口を開いた。
「うん。計画の概要、作戦目標は理解した。確認したいのだが、その「審判の霊樹」は、すぐに稼働できるのかね?」
サディアが答える。
「いえ、「聖天使」と同じく、人間に「受肉」させる必要があります・・・そこは、私が。」
「待て待て待て!」
第2旅団長が割って入る。
「貴方は元、同盟諸国の軍人とはいえ、今は非戦闘員の一市民だ。同盟諸国、秘密の塊のネルベスカからそれだけのモノと知識を提供してくれただけでも御の字。保護対象である市民の生命にリスクを負わせることは、軍として許容できない。そのクリスタルは提供頂き、隊員の中から志願を募って・・・」
第3、4旅団長も、その言葉に首を縦に振る。
サディアは眉をひそめる。まさか話がそういう方向に流れるとは思っていなかった。第2旅団長の言葉は全くの善意とプロ意識からなのだろうが、サディアにとっては、お節介でしかなかった。「オペレーション・FFT」は、「聖天使」を別次元に飛ばして「終わり」ではない。「本当の目的」のためには、「審判の霊樹」と融合するのは自分でなければならなかった。
(どうする?ここで俺の身元を明かして、「個人的な理由」を話すか?いや、この場でそんなモノは流石に通らないだろう。こんな所で蹴躓くとは・・・)
自らが出ることを正当化する理屈をこねようとするが、良い案が浮かばない。このままでは「計画」が自分の手から離れてしまう。そうなったら、アドルフとの「打ち合わせ」も全て無意味だ。
「それは出来ない。「石」はすでにこの男を選んだ。」
突如として室内に声が響き、声の方を見た第3旅団長が「キュウ!」と可愛らしい叫び声を上げて椅子の上でひっくり返った。
ゲルンが「部屋の全員」に姿を見せたのだ。
「・・・何か、「居る」ような気はしてたのよねぇ。」
第2旅団長が鼻で溜め息をつく。
群司令は動じない。少なくとも、表向きには。
「ギルヴェガンからの珍客がいらっしゃったとは・・・なるほど、それだけ事態は容易ならざる、ということなんだね。」
「軍籍かどうかなどという瑣末事に拘って時期を逸したいならば好きにしろ。ここから、下らん議論を積み重ねる気か?」
「貴方のような悠久の存在にとっては些事なのでしょうが、我々には大事な「矜持」でしてね。そう信じればこそ、軍人は市民の盾になれるのです。」
ゲルンは「鼻」で笑う。
「綺麗事だな。貴様のような顔をして御高説を垂れていた軍人様や騎士様達が、戦が切羽詰まると一転して市民から絞りとり、あまつさえ盾にまでするのを幾度となく見てきた。」
群司令は初めて眉間に皺を寄せる。数千年に渡り、イヴァリースで繰り広げられてきた栄枯盛衰の様を見続けてきた存在が言うのだ。実際に、そうなのだろう。40年のキャリアで、訓練と災害対処、モンスター討伐に明け暮れ、「戦乱」を知らずに将官の星を賜った自分が言うことは彼の言うとおり、ただの綺麗事、ヒロイズムなのかも知れない。飾られない歴史を「見てきた」者の言葉は重い。それでも、「たった40年の間に」自らの犠牲を顧みずに市民の盾になってきた軍人達を何人も見てきた。ドラゴンから子供を庇って殉職した士官学校教官時代の教え子、ルグリア大尉の顔が思い出される。彼女の夫もまた、訓練中の事故で殉職した。一昨年、部隊葬に参列した時に挨拶をした一人娘の悲しむ顔は一生忘れないだろう。このオキューリアの物の見方は余りに一面的すぎる。
「・・・それだけでは、ないはずです。」
群司令は、絞り出すように言い返す。
その時、会議室に設えられた電話機がコール音を鳴り響かせた。群司令は片手を上げてゲルンに断ると、スピーカー・モードで応答する。
「はい、1機戦群司令です。」
「こちら、作戦指揮所から作戦統括幕僚です。ジークデン方面の「敵」を失探しました!」
室内に居た全員の目が丸くなる。
「失探?撃破ではなく、失探なのか!?」
群司令が問い直す。
「はい。3師団と2航戦のいずれもと通信途絶となった後、ミスト反応が突如消失したと、収集機から報告がありました。情報幕僚部の分析では、フォボハムからジークデンに移動する際にも、一時的にミスト検知が消失していたようです。今後、暫くの間を置いて、また何処かに現れる可能性があります。」
「・・・次の出現地は見積もれるか?」
「少々お待ちください・・・」
電話口の向こうから作戦統括幕僚が怒鳴りつけるように情報幕僚部に問いただす声が漏れ聞こえる。暫しの問答の後、再び作戦統括幕僚が電話口に取り付いた。
「不明ですが、規模の大きな自治区の市街区に、国軍師団の駐屯地と、人口密度の高い場所に出現していることと、南下の傾向から、今後、南岸部の都市圏に移動する公算が高いです。」
「・・・分かった。すぐそちらに下りる。作戦方針を下令するから、そのつもりでね。」
群司令はそう言うと電話を切る。そしてサディアの方を向いた。
「・・・ヒサーリさん。仮に、我が軍の誰かが、その役目を代わると言ったらどうされるか?」
サディアは即答する。
「私がやります!軍籍が必要なら、三等兵でも何でも良いので採用して下さい。それに、そこに浮かんでるオッサンも言ったでしょう。石が私を選んだと!」
「分かった分かった。私は、貴公が「志願した」という言質が欲しかったのだ。」
群司令はそう言うとアロイスの方を向いた。
「1旅団長の作戦案を承認する。庁舎艦に搭乗する人員は即応旅団の1旅団を基準に、あとは練度等を勘案して1、2旅団長間で調整。1旅団長は庁舎艦の出港準備。出港したら、ガリランド北方に進出して「聖天使」の出現に備えてくれ。私以下、群司令部のスタッフと残る各旅団は市郊外の陸軍駐屯地に移動し、引き続き市の警備並びに即応待機。「聖天使」、「同盟諸国、」「叛乱軍」、どの方面にも速やかに対応できるようにな。私は総司令部に上申するから、各旅団長、速やかに準備に掛かってくれ。なに、上には即決させるさ。オキューリアまで出てきたと言えば、理解するだろう。」
各旅団長が一斉に起立し、「かかります!」と一声、部屋を退出する。
サディアはゲルンを見上げると一言、「ありがとう」と声をかけた。「何がだ?」と問うゲルンにサディアは「リーブラ」を見せながら「「審判の霊樹」の件さ。石が選んだ、なんてハッタリで俺を推してくれたろ?」と答える。
「フン、他の誰にも、貴様の妹へ執念に勝るエネルギーは期待できそうにない、というだけだ。」
「ウジ虫扱いが終わったと思ったら、今度はシスコン呼ばわりかい。大概だな。」
サディアはそう言うと笑いながらトイレへと姿を消した。
サディアが離れたのを確認して、アロイスがゲルンの側に寄る。
「私からも礼を言わせてくれ。」
「何だ貴様まで。しつこい。」
「さっきの会議の件じゃない。数日前のメールの件だよ。私の端末にアレを寄越したの、アンタだろ。」
「・・・何のことやら」
「あの通信系は最高度の暗号が掛かったクローズド・ネットワークでな。まず私用のメッセージなんかやり取りする事はないんだ。送り主が分からないなんてこともあり得ない・・・あり得ないのに、送り主不明でアリアンの事を伝えてきた。さっきの生体認証ロック解除を見て確信したね・・・アンタ、実は「いい奴」だろ?」
「・・・無神経な馬鹿を見るに見かねただけの事だ。話はそれだけか?仕事にかかれ。今の貴様は、人類で一番多忙なはずだ。」
「へいへい。」
アロイスは両肩を上げると指揮所へと降りて行った。
数日前、自室のデスクで業務に忙殺されるアロイスの端末に、送り主不明のメールが着信した。表題も無い本文のみ。そこには一文
「孤児院の娘は妊娠、まともに動けず。孕ませた馬鹿は気付いていない。」
とだけ書かれていた。
アロイスの頭には幾つもの「?」が浮かんだが、手は反射的に電話機を取り、自宅の妻を呼び出していた。妻は快くアリアンの看護と孤児院のサポートを申し出てくれた。
親友たるサディアが、アリアンを「手籠め」にしたなどとは想像しなかった。不条理に心を抉られた二人は、互いを求めるべくして求めたのだ。あの場にサディアを送り込んだ時点で、まったく狙っていなかったと言えば嘘になる。これで「聖天使」の一件が無ければ、アロイスにとっては万々歳だった。しかし、現実はなお世知辛い。構図だけ見れば、兄(サディア)の幸せを妬んだ妹(アジョラ)が暴れ回って気を引き、アリアンとの仲を裂いたようにも見えた。
(さすがに、下卑た想像に過ぎるな・・・)
と、アロイスはすぐにその考えを頭から振り払った。
群司令以下、指揮所に入る。総員が起立して出迎える。群司令はすぐに、作業を続けるよう令すると、指定席に座り、現状の報告を受ける。ゲルンと共に指揮所に入ったサディアも、巨大なディスプレイに表示された統合戦況図を確認する。東側の同盟諸国との戦線は、予想以上にユードラ側が善戦していた。というより、同盟諸国側の陸上兵力が国境地帯をほぼ全く進めていなかった。空軍と空挺部隊はヤクトを越えて突出していたが、それだけでは拠点の占領は出来ない。両国空軍が拮抗している間に同盟諸国側の空挺部隊が山脈西側に橋頭堡を築こうとする。こうなることを見越して国境地帯設定時に構築された地雷原は、その多くがアジョラ達の開拓・農地復元事業によって「除去」されていたが、ユードラ陸軍の砲兵による執拗なロケット弾攻撃と、危険を覚悟で前進した召喚士部隊の妨害が橋頭堡の構築を阻んでいた。ランベリー軍と示し合わせていた僧兵軍は、本来担当すべき弾薬等補給物資の前線への移送を叛乱軍対処の理由をつけて拒否していたが、各地の民間人が義勇兵を組織して自前のトラックで砲弾を移送していた。前線で弾薬を降ろしたトラックは、復路には傷者を満載して後方の病院へと後送した。
サディア含め、ユードラ帝国軍の面々は知る由もなかったが、国境地帯東部の状況は更に劇的だった。侵攻の要となる、ランベリー陸軍を主体とした地上兵力は、国境地帯の各集落を補給拠点としながら前進する計画だったが、山脈東部のベルベニアと西ランベリー集落群が軒並み反旗を翻したのだ。侵攻に先立って、国境地帯ではヨシフやセレーナ以下、「アジョラの使徒」が情報戦を繰り広げていた。ランベリー大公とユードラ法王府がグルになってアジョラとサドルを殺したという「事実」を国境地帯中にばら撒いた。国境地帯内には、フォッシュら法王府が主導して刷った「ニセ聖者・アジョラ」の記事も、各地の特別用務員達を経由してばら撒かれていたが、彼女の「神性」が否定されても「業績」と、厳粛さを演じても隠しきれなかった「人柄」を知る住人達は一顧だにしなかった。勝手知ったる西ランベリー地域を遠足程度のつもりで拠点化し通過する腹づもりだった同盟諸国陸軍は、「愛する御子と第一使徒」を奪われた怒りと共に城門を閉ざし域内通過までをも拒否する国境地帯集落群に翻弄される事になった。実力行使で押し潰す事も不可能ではなかったが、民族的にほぼ同胞のランベリー軍将兵には荷が重い。加えて、同盟諸国軍最高司令官たる元首フレイジャーは、隷下将兵に国境地帯住人へのあらゆる暴力・実力行使を徹底して禁じた。結局フレイジャーはランベリー大公ルーフに元首の座を「禅譲」する事なく、「汚れ役」たる進攻軍の総大将も引き受けたのだが、それはまさに、このような事態が生起した際に、主導権を行使するためだった。もしルーフに「禅譲」していたなら、ルーフは問答無用で実力行使を命じ、国境地帯は流血の惨禍に見舞われていただろう。フレイジャーは自らの決断が間違っていなかったことに安堵し、対照的にルーフは、かつて軽蔑して止まなかった甥のアメミヤよろしく、感情丸出しで歯軋りして地団駄を踏んでいた。シュトラールからのリバース・エンジニアリングで獲得したヤクト対応型飛空石を使った経空奇襲攻撃で始まった攻勢が予想外に早く膠着したことで、フレイジャーは早くも「引き際」を考えていた。最高司令官の消極的態度は直ぐさま旗下の幕僚達に伝染し、いきおい同盟諸国の攻勢は開始初日にして鈍化の兆しを見せていた。
法王府の叛乱軍は、国軍の対応不可と僧兵軍の事実上の黙認の下、引き続き行動の自由を享受していたが、主力のフォボハム方面の動きが鈍くなっていた。叛乱軍の中では貴重な航空戦力の大部分を「聖天使」相手に喪失し、地上兵力も全く歯が立たなかった。この先、ファラ教徒達の聖域たるミュロンドやガリランド方面に「聖天使」が進むリスクがある中、ファラ教の最右翼たるフォッシュら叛乱軍がなお、民族浄化に拘るかは疑問だった。
そうなると、比較的後方のオーボンヌで健全な戦力を有する1機戦群が最優先で対処すべき正面が「聖天使」であることは自明の理だった。群司令は現下情勢を取りまとめた報告を幕僚部から受け、旅団長達と話した方針を変更する必要が無い事を確認する。立ち上がると、マイクを片手に口頭で作戦命令を下令する。その後ろでは、書記係が作戦命令を文書化していく。群司令が話し終えるのとほぼ同時に命令文書が印刷され、群司令がサイン、これで正式に第1機動戦術群の作戦命令が発動となった。後は、命令の方針に従って、細部を司令部の幕僚や隷下の各部隊が詰めていくのだ。アロイスも、旅団付の作戦幕僚を呼び付けると、練度に応じた人員の交換を第2旅団と進めるように命ずる。「聖天使」相手に1秒でも長く戦い続けるため、第1旅団には群内でも最精鋭を付ける必要があった。加えて、作戦上見積られる生存率の低さから考慮しても、次代を担う若手将兵は地上に残しておきたかった。
アロイスは人員の調整と編成を作戦幕僚に任せると、指揮所を出て庁舎艦の「機関制御室」へと向かう。そこには「棺桶に片足を突っ込んだお爺さん」と言っても差し支えのないほどの老齢の下級士官が立っていた。
(ユードラの軍には定年が無いのか?)
とサディアは訝る。
果たしてアロイスは「お爺さん」の前に進み出ると満面の笑みで叫んだ。
「シド爺さん!遂に飛ぶぞ!このフネが!聞こえたかい?と・ぶ・ん・だ・よ、!」
シド爺さんと呼ばれた老士官は暫くの間、何も言わずに目を閉じて突っ立っていたが、やがてその目尻から涙が零れ落ち出した。
「遂に、この日が来たか・・・本来なら、晴れ晴れしい式典と共に空へと上がるべきだった・・・栄えある艦名も授けられてしかるべきだった・・・だが、贅沢はいっとれん。国家存亡の危機に際して奉公出来るなら、軍艦冥利に尽きるというもの・・・もう、「オーボンヌ原発」などとは言わせんぞ!」
尻上がりに声が大きくなり、最後は年にそぐわない大音声となる。
「オーボンヌ・・・原発?」
サディアが頭を捻る。
「爺さん、準備はどうだい?」とアロイス。
「今から慌てて準備することなどあるものか。この40年、機関・操舵、何時だって整備も準備も万端よ。命令一下、すぐにでも上がってやる。あの忌々しい送電線を切り離してな。」
「そうか、いや、心強い限りだ!」
アロイスはそう言って老士官を褒めそやすと、サディアに紹介する。
「こちら、このフネの艤装時からの乗員にして、国軍唯一の原子力士官、カイシ・シド特務中尉だ。まさにこの庁舎艦の生き字引。私はコレから作戦細部のアレコレやら兵装のチェックやらがあるので、君はここで爺さんの話を聞いておくと良い。」
そう言い残すと足早に去っていった。
「小僧、このフネの事を知りたいのか?」
老士官がギラつく瞳でサディアを睨む。
「え、ええ。完全に陸上施設だと思っていましたから。」
「殊勝な心掛けだ。このフネには帝国技術史の全てが詰まっていると言っても過言ではない。」
そう言って始まった老士官、シド中尉の話を纏めると、概ね以下のとおりだった。
約60年前、帝国統合軍内に一つの建艦プロジェクトが立ち上がった。アルケイディアのリヴァイアサン級の空陸両用戦力と、アレクサンダー級の戦闘機運用能力の双方を1艦で兼ね備えるというビッグ・プロジェクトだ。当初は、ヤクトを除く空域のみでの運用を前提に、建造開始から5年程度で就役となる見込みだった。ところが、建造開始から間もなくして始まったダルマスカ戦役が全てを狂わせる。戦役中、アルケイディア艦にはヤクトを航行する能力が付与され、極めつけはバハムート級の出現。従来型の火砲を積んだ巨大な揚陸・航空母艦を作るだけでは全く意味をなさなくなってしまった。
ヤクト対応型飛空石の技術を持たないユードラは、科学技術力で対抗する道を選ぶ。全長、幅共に700mを超える船体を長期間、ヤクトを含む全環境下で運用するために、原子力機関の搭載を決定。苦心の末、90%以上の高濃縮ウラン燃料で稼働する艦載用小型原子炉を実用化し、液体金属による冷却機構を備えた6基の原子炉が艦体に組み込まれた。バハムート級を主砲の射程外から攻撃するために、開発したものの運用が頓挫していた固体燃料式宇宙ロケットを転用した超巨大対艦ミサイル、アサルト・ドローン(AD)の発射筒24基が据え付けられた(イヴァリースでは一部の先進国が宇宙ロケット技術の実用化に漕ぎ着けていたが、「領宙」の概念について各国の折り合いが付かず、政治的な理由で宇宙進出が頓挫していた)。計算上は、全弾斉射で確実にバハムート級を葬ることが出来、並の戦艦なら1発で戦闘不能に追い込める代物だ。更に、バハムート級主砲射程内での戦闘に備えて、艦体の前面とバイタル・パートには新開発の超耐熱合金とミスト・エネルギーを吸収可能な人工クリスタル・コーティングが奢られることとなった。吸収したエネルギーは増幅器とパルス圧縮により、瞬間出力を最大1万倍にまで上げて撃ち返す、乾坤一擲の「リフレクション・グレネイド」機構が採用された。この時点で間違いなくイヴァリース最強の性能が保証され、更に時代が下ってアーマーの最終進化形たるアームド・コンプレックス(AC)が戦力化されると、その運用機能までが付加された。他国の主力艦と違い、航空力学上の効率を重視して設計された比較的扁平な艦型は、結果的に正面被弾面積の低減に貢献し、設計開始当初は「巨艦」に分類された大きさも、結果的には重武装と高い防御力、艦載機運用能力を相対的にコンパクトな艦体規模に詰め込む形となり、正式に就役した暁には、この艦はイヴァリース中から驚嘆と畏怖の念を持って迎えられる筈だった。しかし、その代償は天文学的な価格となって跳ね返ってくる。原子炉こそ炉心交換不要の設計をしていたが、複雑極まる補機類に、巨体を揚力のみで浮かせる為の原子力マルチクラスター・エンジン数十基の維持整備費用、特にバハムート級との殴り合いに必須の人工クリスタルの精製コストは致命的で、ユードラ自体の経済力が斜陽化し始めると、年度毎に予算可決された畳数十畳分のコーティングを施していくという惨めな状況に陥り、その間にも、就役する前から老朽化する構造部材や電装品の維持整備所要の発生を含め、この艦の就役スケジュールの度重なる遅延は「ネバー・エンディング・ストーリー」と揶揄されることになった。約15年前、人工クリスタルの設置が96%をクリアしたところで、ついに追加予算が否決され、巨大な維持費用、2番艦以降を用意できない事による運用サイクル上の問題、極めつけは、事故や撃破された場合の放射能汚染問題までもが提起、勘案された結果、遂に正式な就役は断念され、以後の飛空艇への原子力機関の搭載も見送られる事となった。一時は廃艦も検討されたものの、この艦の完成に世代を越えて心血を注ぎ込んできたメーカーの技術者や軍の艤装員らが強硬に反対、発電炉換算で約200万キロワットの有り余る電力をオーボンヌ市はじめ帝国内の各自治体に「売電」した収益を維持整備費用に充てることで「予備役艦」として命脈を繋ぐこととなった。そんな経緯から、就役出来ずに岸壁に留め置かれたこのフネは、巷からは「オーボンヌ原発」と渾名される羽目になったのであった。艦隊決戦や揚陸作戦をはじめとする統合作戦指揮の為に設えられた広大な司令部区画・作戦指揮所や、充実した指揮通信設備はとうに完成していたため、法王府と行政府国防省との軋轢の結果としてザランダから引き剥がされた第1機動戦術群の司令部が引っ越すことになり、それ以降は「1機戦群司令部庁舎艦」あるいは単に「庁舎艦」というのが半ば正式な通称となっていた・・・。
最強を約束されて作られながら、これまで飛ぶことも叶わず、名前すら与えられなかった「悲劇のフネ」。それが、ここに来て、恐らくは「千年神戦争」以後最大の脅威に対抗する為に、飛ぶことを許された。シド中尉は一兵卒として配属された最初の配置がこのフネの艤装員であり、原子力士官の特技を得てからは数十年、実の子供以上にこのフネの面倒を見続けてきたのだった。
「あと5年・・・炉心寿命が来たならば、問答無用で廃艦となるところだった。戦乱に感謝するわけではないが、飛ぶことすらできずに捨てられたのでは、水子も同様でな・・・ウワサが流れてきとるぞ。何でも化け物相手の戦いらしいじゃないか。人間相手じゃないってのは、何よりだ。存分にブチ込んでやれる!」
シド中尉はそう言ってガハハと笑う。
サディアも合わせて笑う。
(まあ、ウチの妹なんだけど、な・・・)と腹の中で返しながら。
脇に浮かぶゲルンが耳打ちする。
「艦の装備・兵装をよく把握しておけ。恐らくお前が「使う」ことになる。」
サディアは頷くと、シド中尉をおだてて、装備の詳しい説明を請う。生き字引というだけあって、専門の原子力機関以外の武器装備についても完全に把握していた。
そうこうしている内に、マイク越しに「出航用意」のラッパと号令が響く。
「シドさん、艦橋で見て来たらどうです?こっちはバッチリやっておきますから。」
壮年の機関員が促す。
「ええのか?スマンな、じゃあ、任せたぞ。」
意外にアッサリと部下に任せると、サディアにも艦橋に上がるよう、促す。
「ここじゃあ、浮かんでもよく分からんからな。」
シド中尉の後を追って艦橋へのエレベーターに向かう途上で、床が小さく揺れる。
「引き上げ始めたな。コイツは自力での水上滑走でも上がれるが、進路上の船舶を除けたりと手間が面倒でな。コイツ専用のグロセア・タグが釣り上げるのよ。」
シド中尉が解説する。
エレベーターに乗って艦橋に入る。
やや西日がかってきた陽光が眩しい。
艦の「大御所」たるシド中尉の姿を認めた艦長が、左舷側舷側の「特等席」へと案内させる。サディアも、しれっとその後に続く。
見通しの良い舷側の窓から外を眺めると、視界内だけでも分厚い翼部や胴体に5機以上の「タグ」が取り付いて艦体を引き上げているのが見えた。巨大なグロセア・リングに操縦席と懸架装置だけが取り付けられた異様な風体だ。
下を見ると、既に地面は目線から100メートル近く下になっていた。と言っても、艦体自体が巨大なので、艦底は、ようやっと離水した程度だった。
岸壁を見ると、人の山!艦を降りた群司令部員と、2、3、4旅団の面々が千切れんばかりに帽子を振っているのが見えた。
チラと横を見ると、果たしてシド中尉はその様を見ながら大粒の涙をボロボロとこぼしている。
「艦底、離水確認!」
報告が入ると同時に艦長が「艦底浄化」の号令をかける。艦橋からは見えないが、号令に沿って「魔法」がかけられた瞬間、一条の青白い光が艦底を艦首から艦尾にかけて走る。次の瞬間、数十年に渡って艦の水線下にこびり付き増殖したカキ殻・フジツボ・海藻の類が艦体との繋がりを絶たれて一斉に水面へと叩きつけられた。立ち上がる水飛沫に、岸壁の見送り前列がたまらず帽子を振る手を止めて、顔を覆う。
「高度1000フィート!」
報告と同時に、艦首が真西に向けられる。艦首から左は海、右は陸。このまま真っすぐ西へと進めば、右手にドーターを見ながらガリランド方面に到達する。
「両舷、前進微速。進路270度。高度3000まで上げ!」
「両舷、前進微速」
「270度、ヨウソロ」
「上方よし、3000まで上昇」
艦長の号令と操舵員、機関操縦員の復唱が小気味よく響く。
薄くまばらな下層雲を上に抜ける。岸壁は死角に入ってもう見えない。
指定高度で姿勢が安定する。
「両舷、前進原速。180ノットでタグを切り離せ。」
恐らくイヴァリース広しといえど、完全な非グロセア・エンジンの主力艦はこの一隻のみだろう。数十基のマルチ・クラスター原子力エンジンが出力を上げ、エンジンが並んで埋め込まれた広大な翼と、格納庫で盛り上がったブレンデッド・ウィング形状の艦型も手伝ってみるみると揚力を増していく。指定速力に達したところで、20機のタグが一斉に懸架装置を艦体から切り離して離脱していく。艦橋の一番近くに付けていたタグは、「航行の安全を祈る」を意味する万国共通の旗旒信号を掲げている。
「機関正常」
「指揮所より、指揮通信・各戦闘システム共に異常なし」
報告を受けた艦長は令する。ここからは一刻の予断も許されない。
「両舷、第3戦速!進路290度、高度10000まで上げ!光学・赤外・レーダー・ミスト、全アクティブ・パッシブセンサー、対空、対地上、対水上見張りを厳となせ!」
これから、このフネは地獄へと向かう。生還の望みは薄い。乗り組む全員がそれを胸の奥にしまい込み、無言のうちに誓う。あくまで訓練どおりに、持てる力を出す。恐れるべきは、それを出来ずに斃れること。何が敵だろうと、やることは変わらない。銃砲弾の威力と、剣先の鋭さと、精神の冴えと、戦友との連携を信じ、傷の痛みと死への恐怖は脇において、全てを敵にぶつけるのだ、と。