When The "Saints" Go Marching In Ivalice 作:N22b
B.B. 754年10月1日 ネルベスカ島
0500時
私は起床して洗面をすませると、フライト・スーツに袖を通し、地下に埋められる様に作られた宿舎から出ると塹壕のような通路を通って階段を上がった。外はやっと空が白んできたころだ。100メートル程歩き、小さな祠に偽装されたエレベータに乗ると、地下に降りていく。ここでは、全てが地下にあるのだ。
公式には、ネルベスカ島は、古代の神殿があるだけの無人島だ。しかし、その地下には同盟諸国の研究機関や、秘匿度の高い軍事施設が密集している。領内で唯一、ミミック菌が発生、繁殖しないという自然条件がその大きな理由だ。土壌とミストの質が関係しているらしく、100年以上の間、科学者たちが必死になってその原理を解明しようとしているが、未だに達成されていない。いずれにせよ、施設を地下に埋めることが出来るというのは、何かと隠し事が伴う研究機関や、軍の秘密作戦の準備には都合がよかった。
ブリーフィング・ルームに入ると、すでに自機コ・パイロットのアキュラ中尉をはじめ、列機のメイン・クルー達が勢ぞろいしていた。
「おはようございます、機長」と、アキュラが笑顔で会釈する。
「早かったのね。皆、揃ってるの?」
「ええ、男衆は皆一緒のトラックで来ましたので。」
「あら、で、女性を歩かせたわけ?空軍のモラルも地に堕ちたものね。」
「いや、だって、私らの宿舎はここから1キロ以上離れてるんですよ?女性宿舎はすぐそこじゃあないですか。」
「冗談よ。で、作戦の『責任者さん』は?まさか、まだ寝てるんじゃあないでしょうね?」
「私らより先にこっちに来てたみたいで、まだ向こうの電信室にこもってますよ。案の定、何やってるかはさっぱり分かりませんが。」
おそらくは、「現地」のエージェントとコンタクトを取っているのだろう。敵に傍受されずに直接遠隔地と交話出来る、成層圏プラットフォーム極超短波通信システムが使用出来るのはここだけだ。
あの話し合いの後、シュワルナゼ中佐は約束通り、ミッション・クルー・コマンダーである私にのみ、作戦の全てを明かした。それだけでなく、作戦立案に至る背景や、最終的な目的までも含めて、すべてを洗いざらい話したのだ。一聞すると、あまりに現実離れしたその遠大な計画に、いささか不安を覚えたが、目の前で力説するシュワルナゼの目は真剣そのものだった。今までに協力を要請してきた情報軍の幹部達は、例外なく腹に一物抱えたまま、適当な方便で私達を言いくるめようとしてきたものだ。いくら、ニード・トゥ・ノウとは言っても、実際に危険な前線に飛ぶ身としては、腹にすえかねる思いがあった。だが、シュワルナゼは、明らかに私が知らなくてもいい事まで教えてくれた。秘密を扱う軍人が、その情報をたとえ味方であっても他人に語るということは、とても勇気のいることだ。彼はおそらく、全てを話すことで私に対する信頼を示そうとしたのかもしれない。私にとっては、それで十分であったが、シュワルナゼは、このフライトに同行することを強く希望してきた。この手の作戦で、指揮官自身がミッション機に乗り込むというのはまれだし、あまり推奨できるものでもない。リハーサルでは何とか成功したが、本番でも必ずうまくいく保証はない。墜落の危険が常に伴う事を重ねて説明したが、彼は
「これは私の責任で行う作戦だ。君の成功なくして私の成功は無い。ならば地上に残っても、機上にいても同じことだろう。それなら私は乗る。墜落については問題視していない。私は君の腕を信頼している。君のクルーと同じようにね。」
と言ってのけた。指揮官としては感情的に過ぎるところがあるが、人間的には十分信用するに足る。それが、現時点でのシュワルナゼに対する私の評価だ。
「0600までに戻ってこなかったら、ブリーフィングを始めておいてくれと言ってましたが・・・」
アキュラがそう言うのと同時に、シュワルナゼが、気象予報官と一緒に部屋に入ってきた。
「おはよう、中佐」
「ああ、おはよう、少佐。」
秘密を共有したということもあるのだろう。始めて会った時のような、よそよそしさは今の私達にはなかった。
「目が赤いわ、ひょっとして寝れてないんじゃ?」
「緊張してるのと、あとはやることが多くてね。しっかりと準備してきたつもりだが、いざ本番となると、それでも結構バタバタするものだな。君は大丈夫なのか?」
「睡眠はパイロットの仕事のうちよ。緊張して寝れませんでした、なんてのは二流。」
「そいつは手厳しいな。」
「むこうとはうまく連絡できたの?」
「ん、ああ、ばっちりだ。後は、あの子がビビらずに皆を外に引っ張り出してくれるのを祈るばかりだな。しかし、ここの回線はやはりすごいな。5年前からちょくちょく使わせてはもらっているんだが。」
「成層圏プラットフォームのこと?」
「ああ、あの無人飛空艇はまだ、ここで試験中の一点モノで、正式な装備ではないからね。でも、アレを経由することで、指向性の強い極超短波で遠方と直接通信できるから、盗聴のリスクも少ないし、なにより意思伝達がスピーディだ。それに何といってもこの新開発のデジタル秘話装置だな。今までいちいち機械式の暗号変換器をガチャガチャいじくり倒していたのがバカバカしくなってくるよ。正式採用されて、配備が進めば革命が起きるな。まあ、この島以外の地べたで使えないのは相変わらずだから、使えるのは空軍くらいだろうが。」
「これ以上、陸軍から妬まれるのはゴメンだわ。」
「まあな。ミミック菌のせいで、いまでも陸軍は、剣と魔法のカラダ勝負だ。仕事上、陸軍とも話すんだが、彼らに言わせると、君ら空軍は、機械がないと何もできない『ギーク野郎』なんだとさ。君らも他の軍を綽名で呼んだりするのかい?」
「陸軍が『ドカタ』で、潜水艦しか能のない海軍は『モグラ』。ちなみにあなた達、情報軍のことは『覗き屋』って呼んでるわ。」
「なるほど、軍の統合運用の必要性が叫ばれて久しいが、いっこうにはかどらない理由がよくわかったよ。」
シュワルナゼが、半ばあきれたといった感じの半笑いを浮かべるのと同時に、6時のチャイムが鳴った。
「さ、時間だ。」
談笑をやめ、席に着く。ミッション・ブリーフィングはいつも通り、気象予報官のウェザー・リポートから始まった。
「・・・以上のように、基地周辺はこの移動性高気圧の圏内にありますので、一日を通して晴れの天候が期待できます。風も弱いですが、下層ではやや視程が悪くなりますので注意してください。一方、ベルべニア周辺は、この高気圧の後面になりますので、やや雲量が多いでしょう・・・」
「理想的だな。」
シュワルナゼが小声で話しかける。
「まあね。でもその西側の低気圧は結構強いわ。夜まで持ってくれればいいけれど。昼のミッションが成功したら、今度は夜でしょ?」
「ああ、『ピックアップ』だ。だが、そっちのソーティは、前に話した通り、『バニシュ』搭載でやるからね。重量も余裕があるし、そんなに心配しなくてもいいのでは?」
「飛行自体はね。でも雨天時は光学迷彩の効果が相当落ちるのよ?」
「そうなのかい?まあ、そこは神に祈ろう。こればかりは人間にはどうにもならん。」
ウェザー・リポートが終わり、ミッション・ブリーフィングへと移る。アキュラが、用意されたレジュメに沿って説明していく。搭載物件、飛行経路、作業手順、ETC・・・。
「・・・作戦空域でのEMCON(電波管制)は厳格に守ること。帰投予定時刻は1600、その後、長機のみ、『EARE』を外して『バニシュ』を搭載。給油後、低空飛行で再度エリアに進出し、夜半、人員のピックアップを行う。その際は、作戦指揮官のシュワルナゼ中佐が機を離れて、搭載のチョコボ車で対象を迎えに行く。ピックアップ対象の居る、居ないに関わらず、中佐が機内に戻ってきたならば、速やかに離陸、エリアを離脱し、基地へ帰投する。作戦の概要については以上。質問は・・・」
誰も手を挙げることはない。リハーサルで各自のやるべきことはしっかりと頭に入っている。
「では、ミッション・クルー・コマンダー、ネフスカヤ少佐、お願いします。」
私はいつもブリーフィングでやるように席を立ち、クルーの前に立つ。
「皆、久しぶりの実戦で、緊張しているかもしれないが、全てはリハーサルでやったとおりだ。あの通りにやれば、うまくいくから、自信を持ってやってほしい。ただ、知っての通り、今日のセイレーンは、EAREを張り付けた上に、最大積載量というハードな装備だ。パイロットを始め、運航に関わるクルーは常に機の状態を把握、少しでも異常を見つけたならば、令なく速やかに離脱、帰投すること。国境地帯内での墜落や不時着は、絶対に回避しなければならない!」
そこまで言うと、アキュラに目くばせする。
「では、作戦指揮官、シュワルナゼ中佐、お願いします。」
呼ばれたシュワルナゼが、少し目を丸くした後、おもむろに前に出て、私の横に立つ。
「えー、皆さんとは3日前の最終リハーサル以来ですね。この度の協力には感謝しています。ただコマンダー以外への作戦の説明が不十分であることについては申し訳ありません。しかしながら、本作戦が、西部イヴァリースの未来を担っていることだけは確実です。皆さんのご尽力、宜しくお願いします。あと、毎度のことですが、本作戦は、最高度の機密区分で実施されます。くれぐれも、守秘義務については宜しくお願いします。」
そう言うと、深々と頭を垂れた。ベテランの中佐にしては、あまりにも腰が低い。こうまで下手だと、威厳がなさ過ぎて不安にもなるが、今までの高慢ちきな情報軍将校に比べればよほどマシなのも確かだ。現に、古手の下士官クルーなどは、腕を組んで満足げな顔を浮かべている。まあ、部下を持ち上げてやる気を引き出すのも指揮官の大事な仕事だ。この男にはそれが分かっているのだろう。
「では、ブリーフィングを終わる。各機ごと、グロセア・エンジン、ガスタービン・エンジンの試運転を実施後、小麦の搭載を実施。0930には機内に整列すること、かかれ!」
号令を発すると、各機のクルーが敬礼し、蜘蛛の子を散らすように部屋を出て行った。
その動きを、シュワルナゼが感心したような面持ちで見ている。
「さすがにきびきびしているな。いかにも作戦部隊の兵士と言った感じだ。」
「情報軍はそうじゃなくて?」
「悲しいかな、ウチの軍は、そういう意味では一番軍隊らしくないな。私も含めて・・・」
シュワルナゼはそう言うと口をへの字に曲げて見せた。
「じゃあ、私はもう少し調整があるから、機内整列でまた。」
そう言うとシュワルナゼも踵を返して部屋から出た。
「さて、と・・・」
私も自機の試運転をしなければならない。プリ・フライト・チェックは昨晩のうちに済ませてあるが、エンジンの試運転はミッション当日にやるのが規則だ。
部屋を出て地下格納庫に向かう。防音扉を開け、格納庫内に進むと目の前に、愛機が腰を据えていた。
DÖNEM(ドネム)社製V-04、愛称「セイレーン」、全長25m、翼幅33m、2発のターボ・プロップ・ティルトローターの同軸に、グロセア・エンジンが備え付けられた、ヤクト対応型のハイブリッド輸送機。燃料満載時の最大ペイロード15トン。このクラスの輸送機としては破格の搭載量を誇る。今回のミッションでは、その内2トンがEAREに当てられ、小麦の搭載は1機当たり13トン、作戦に使用する5機なら計65トンの小麦をベルべニアに送ることが出来る。目の前のセイレーンにはすでにEAREが特殊な接着剤で機体全面にわたって張り付けられている。セイレーンの外板はこのステルス・パーツによってことごとく覆われ、空気抵抗を最小限にすべく設計された、本来の流麗なラインは見る影もなくなっていた。ただ、主任務が小麦の輸送・投下である以上、8トンもの重量で、カーゴ・スペースの大部分を埋めてしまう『バニシュ』システムを搭載するわけにもいかない。お世辞にも美しいとはいえなくなった愛機を目の前にすると、4日前まで繰り返されたリハーサルの苦悩が自然と脳裏に浮かんできた。レーダー・ステルスと引き換えに機体の機動力を削ぐEAREを張り付け、13トンの砂袋をつめ込んだセイレーンは、少しでも操縦桿を捻ると、途端に速力を落していった。グロセア・エンジンの魔力で飛んでいるときはそれでも問題ないが、プロペラ推進時のスピード喪失は、即、失速につながる。この重量と機動力では、失速はすなわち墜落と同義だ。さらに、作戦空域では、そのプロペラすらカットしなければならない。速度計、迎え角計とにらめっこしながら、腫れものに触るように操縦桿をあやつり、得られた回答は「ギリギリ任務達成可能」であった。安全性を上げるために、砂袋の量を減らしてみたが、試しに1トン投下量を減らしてみたところ、地上の監視員からは「一気に降り具合の景気が悪くなった」と言われた。作戦の命題である「雨のように小麦を降らせる」を達成するためには、どうしても小麦を満載しなければならないことが判明した。列機にはとにかく自機との位置関係をキープするようきつく言い置いた。そうすれば、自分が落ちない限り、列機が落ちることもない。今回に限ったことではないが、編隊飛行は全機の責任が長機のパイロットにのしかかってくる。緊張するなと言う方が無理な話だが、コマンダーである私が、不安を他のクルーに見せるわけにはいかない。
こんな「お膳立て」をしてピックアップしないといけない人間とは、いったいどんな人物なのだろう?
心のもやを振り払うかのように、いつも通りの点検をこなす。オイル漏れはないか、タイヤにヒビはないか、EAREの剥がれはないか・・・、忙しく動いていれば、不安は自然と姿を消すものだ。果たして今回もそうだった。一つずつ手順を重ねていくたびに、心にエンジンがかかり、錆のように張りついた不安をふるい落としていくのが分かる。機内に入り、コックピットに座るころには、いつもの訓練と同じような心境になっていた。
「コックピット、キャビン、オール・ノーマルです。」
先に機内で始動前点検をしていたアキュラが申告しながら親指を上げる。
「了解、じゃあ、試運転に入りましょう。」
風防の外ではすでにライン・マンが待機している。始動前のチェックリストを手早く済ますと手先信号でエンジン始動を合図する。まずはグロセア・エンジンからだ。
バッテリーと燃料ポンプのスイッチを入れ、グロセア・リングまでの系統圧力を確認、グロセア・リング系統の滑油量を確認、ノーマル。
スタータを入れる。燃料と電圧がかかったグロセア・リングが、蓄えられた魔力を開放し、浮力を発する。非常に簡単で確実な機構だ。このシステムを考え出したモーグリの技術者は大したものだと思う。
機体が浮遊するギリギリのラインまで出力を上げていく。リングが軽快な音を発する。
オール・ノーマル。
グロセア・エンジンは問題ない。出力を下げ、アイドリング状態にする。
ライン・マンに合図、次は、ターボ・プロップだ。魔力で浮くグロセア・エンジンと違い、全てが理詰めの工学で設計されたこちらのエンジン・システムは、打って変って複雑だ。扱うスイッチ、確認する計器の数もグロセア・エンジンとは段違いである。
まずAPU(補助動力装置)をオンにする。メイン・エンジンのスタータを回す圧縮空気を送り込むためだ。オンにしたとたん、甲高い爆音が機内に響き渡る。通常の飛空艇ではまず耳にすることがない大騒音だが、その出力はメイン・エンジンに比べれば微々たるものだ。それでも前方のライン・マンは、首にかけていたイヤ・マフラーをたまらず耳にかぶせる。
今度はアキュラにチェック・リストを読ませながら、計器をチェックし、各系統の油圧、燃圧、電圧を確認する。全てノーマル。
再度、ライン・マンに合図し、スタータを入れる。
ガス・タービンエンジンが甲高い音を立てながら、回転数を上げていく。エンジンとリンクしたプロペラも回転を始め、これまた強烈な風切り音を発生する。
回転計、タービン温度計を見る。ノーマル。もう片方のエンジンも同じ要領でかける。
ゆっくりと出力を上げていく。やがて、軽く脚がはなれ、機はホバリング状態に入った。
格納庫内はもはや、騒音を通り越して爆音の嵐だ。
ガス・タービンを始動する度に、この飛空艇に、よりによって歌声の女神である「セイレーン」の名前を付けた開発者は、よほどのブラックユーモア・センスの持ち主ではないかと疑う。しかし、私は実のところ、ほとんどのパイロットが「野蛮だ」と言って嫌う、この内燃機関の響きが好きだった。命を持たない金属の塊に、燃料とオイルの血が通い、その身を震わせながら産声を上げる。初めて子供を産んだ時、我が子の産声と、この発動機の音がなぜかリンクしたのを今でも覚えている。
この爆音を聞くたびに愛機に命が宿るような気がして、ある種の嬉しさが心に湧き出してくるのだ。上品なグロセア・エンジンではこの感覚は得られない。
とはいえ、そんな感性が圧倒的な少数派であることも事実で、現に風防の先のライン・マンは、爆音と風圧にもまれて、顔をひきつらせながら、異常なしのサインを送っていた。
出力を下げ、エンジンをアイドリングにする。
「試運転、オール・ノーマル」
そう宣言し、エンジンをカット、プロペラの停止を確認し、各ポンプのバルブを閉止、APUもカットし、最後にバッテリーをオフにする。
再び、格納庫を静寂が支配した。
「やはり、この島だと、ガス・タービンも調子いいですね。」
アキュラが感心したような声を上げる。
「そりゃ、そうよ。もし、内地にこのエンジンを持っていったら、1週間でタービン・ブレードの腐食が始まって、そうね、1ヶ月後には要オーバーホール確実だわ。」
「一回も使わなくても、ですか?」
「そうよ。ユードラがミミック菌の除染技術を死んでも公開しない理由がよくわかるでしょう?」
「・・・・・」
「さ、エンジンはOK。次は小麦の積み込みよ。早く終わればコーヒー飲むくらいの時間はあるかもね。とっととやりましょう。」
「あ、はい!」
操縦席を立ち、一旦機外へ降りる。外ではすでに、小麦の袋を満載したフォークリフトが待機していた。作業監督にOKサインを出す。作業監督は同じサインで返すと、フォークリフトに指示を出した。コンテナが、セイレーンの腹に吸い込まれていく。機内では、運び込まれたコンテナを設置、固縛する作業が粛々と進んでいく。弾薬のような危険物ではないから、作業の進捗は早い。20分ほどで、全てのコンテナが機内に格納された。
「後は、こっちでやっておきますから、機長は休まれててください。」
かけられた声に振り向くと、アフメド・フセイン曹長がライトを片手に立っていた。ヒュムとモーグリがほとんどを占める飛空艇クルーでは異色のバンガの機上整備員だが、クルー内では最年長だ。セイレーンの機体やエンジンを扱わせたら、右に出る者はいない。親分肌で、下士官クルーをよくまとめてくれる、貴重な人材だ。
「ありがとう、出発前にもう一度、天気も確認しないといけないし、じゃあお願いするわ。」
フセインの肩をたたき、格納庫を後にする。アキュラがおっとり刀でついてきた。
0850時 地下連絡通路
電信室で現地とのコンタクトを終えたシュワルナゼは、連絡通路に置かれた煙缶の前で煙草をくゆらせていた。
現地のエージェントの報告では、すでに相当数のベルべニア市民が家を後にしたという。「宣伝」はうまいこといったようだ。となると、このフライトの成功に全てがかかってくる。緊張を紛らわせようと、いきおい煙草が短くなるペースも速くなった。
2本目が半分ほど燃えたころ、連絡通路に、言い争う声が響いてきた。声はだんだん近づいてくる。シュワルナゼが声の方に目を向けると、どこぞの研究員と思わしきン・モウの男が、陸軍の将校に食ってかかっているところであった。
(おそらくは、軍からの研究予算なりスペースなりをカットされた科学者の悪あがきだろう。この島の地下では特に珍しい光景ではない・・・)
そう思いながらも、シュワルナゼは、『覗き屋』の性からか、無関心を装いながら会話の内容に耳をそばだてる。
一方的にわめき散らしているのはン・モウの方だ。
「なぜだ!こっちはあんたがたの注文通りのモノをスケジュール通りに組み上げているんだ。」
「何度も言っているだろう。使えなければ意味がない。」
「使う、使わないは、あんたがたの問題だろう!こっちは当初のリクエストに従っているまでだ。局長にリポートは見せたのか?」
「見せたさ。」
「それでこの金額か?要求よりゼロが2つ少なくなってるぞ?こいつはネコの飯代か?」
「実用化は出来んという局長判断だ。要素研究の継続が認められただけでも御の字だと思え。感謝されても、責められる覚えは無い。」
「ショバだけあったって何が出来る?カネだよ、カネがなきゃスタッフも雇えん!」
「競争率100倍以上のこの島の研究スペースを割り当ててやってる恩義もなしか?何なら全部ご破算にして、入札からやり直させてやろうか?まあ、無理だろうがな。」
「この若造!こっちはお前の父親がマスかきを覚える前から、ここで飯を食っているんだぞ!」
「それこそ、私には関係ない話だ。じゃあ、確かに伝えたからな。」
あくまでもすました態度の陸軍将校は、そこまで言うと、足を止めたン・モウを振り返ることもなく、シュワルナゼの前を通り過ぎて飛空艇ターミナルへと消えていく。
「くそったれ!このマザー・ファッカ―め!」
散々、汚い言葉で罵りまくり、肩で息を切らせたン・モウは、サンダルを手に持ち、去りゆく陸軍将校の背中に向かって投げつける。しかしサンダルはその手をすっぽ抜け、脇にいたシュワルナゼの目の前の煙缶に当たった。煙缶が倒れ、甲高い金属音と共に、たまった灰が盛大にぶちまけられる。
それから数分間、無人の連絡通路では、中年の情報軍将校と、ン・モウの博士が四つん這いで煙草の灰をかき集めるという何とも形容のしがたい情景が繰り広げられた。
「いや、まことに申し訳ない・・・」
男が頭を下げる。どうやら先ほどまで頭に上っていた血はすっかり落ち着いたようだ。
「いや、いいですよ。」
シュワルナゼは灰まみれの手を払いながら苦笑でかえす。
「すっかり我を忘れてしまった、恥ずかしい限りだ。」
「いやいや、烈火のごとく怒るン・モウなど、めったに見れるものではありませんからな。」
「確かに・・・」
男は再度頭を下げた後、上目づかいにシュワルナゼの目を見る。だが、その目つきには、すでに謝罪の念よりも、打算的な商売っ気が漂っているのをシュワルナゼは見逃さなかった。男が口を開く。
「ところで、その制服は、情報軍の・・・中佐さんですかな?」
「ええ・・・」
「そうですか、いや、さっきの若造は陸軍の国防研究所のヤツなんですがね。陸軍の連中は相変わらず頭が固い。まあ、このご時世になっても剣を片手に鎧カブトで戦っているような田舎侍にはこの島の研究所は過ぎた玩具だったようだ。そうは思わんですかな?」
「そうですねえ・・・」
シュワルナゼはやや警戒感を強めながら適当に答える。おそらくは予算を大幅に切られたのであろうこの男が、新たなスポンサーを物色しようとしているのは火を見るより明らかだった。面倒はご免だ。だが男はなおも続ける。
「わたしは、あいつらの要求通りのシステムを開発したというのに、一方的に予算をカットしてきおった。採用する見込みが無くなったというのが理由だそうだが、フン、単に怖気づいただけじゃろうが・・・」
このまま黙っていればやり過ごせるだろうか・・・あえて男と目を合わせずに話を聞き流していたシュワルナゼであったが、ふと、かつての上司であるカイラの教えがその頭をよぎった。
― 情報員は常に外交的・社交的でなければならない。人脈の広さは益にはなっても害にはならないものだ ―
よくよく考えてみれば、自分はここネルベスカの人間にはほとんどコネがない。足を踏み入れるのはほとんどが作戦区画で、連絡通路の向こうの研究区画では一体なにが行われているのかほとんど分からなかった。知っているのは、一部の区画で、陸海空軍や厚生総局のスポンサードで、先進的な兵器や魔法の研究開発がおこなわれているということぐらいだが・・・
そこまで考えたところで、シュワルナゼの頭にあるアイデアが浮かんだ。場合によっては、この男とのコネが役に立つかもしれない。少しばかり面倒だったが、シュワルナゼは師の教えに従うことにした。
「それは難儀でしたな。いったいどういうシステムなんですか?ええと・・・」
「アンドレイ・バルビエだ。ドクター・バルビエでいいぞ。」
バルビエと名乗ったン・モウは案の定、シュワルナゼが話に食いついたと見て、目の色を変えた。
「現時点では陸軍の管轄ですからな。守秘義務はまだ生きておるから、そう簡単には言えんよ。だが、アルケイディアのバハムート級戦艦を超える戦略価値と、ミミック菌の繁殖環境下でも低コストでの運用が可能という、陸軍の無茶な要求を必要十分に満たした、究極のシステムと自負しておる。」
「失礼ですが、ドクター・バルビエのご専門は?」
「戦術戦闘システムの開発だよ。機械もやるが、どちらかといえば魔法メインだな。」
「そうですか・・・なかなか、情報軍には縁遠いものですね。」
「そうかね?まあ、大規模戦闘用のシステムだからな。確かに、あんたらデスク・ワーク組が扱う代物ではない。だが、あんたらの分析やら工作も、私の研究も、お国のためにやっているという点では同じだ。」
(たとえそうだとしても、残念ながらこの男の専門は、自分の求めているものとはかけ離れている・・・)
シュワルナゼは、ややがっかりしたが、さらに続ける。
「そう言えば、ドクターは、大分前からこの島にいらしてるんですか?さきほど、件の陸軍士官の父親がマスかきを覚える前からここに居る、と・・・」
「そのとおり、これでも私はこの島の研究区画では一番の古株だよ!ここの研究員で私の名を知らんものはおらんし、その逆もしかりだ。どうやら、あの若造は、その辺が分かっておらんようだがな。」
「では、厚生総局でやっている、先端治癒魔法研究の事なんかもご存じで?」
「ああ、あれか?厚生総局の研究の主任をやってるドクター・ビストリィは私の教え子だよ。なんだい、あんた、そっちの方に興味があるのかい?」
(ヒットだ!)
シュワルナゼの脳裏に「怪我の功名」という言葉が浮かんだ。
シュワルナゼの反応に目ざとく気付いたバルビエの目じりにしわが寄る。
「まあ、あれだ。この島の各研究室は、スポンサーごとに完全に縦割りでね。通常、隣の研究所で何をやっているかはさっぱり分からんし、規則上、関わることも出来ん。だが、まあそれも、並みの研究員であれば、の話だ。私クラスになると、いろいろと顔で話ができたりするんだな。やってみるかね?」
「当然、ロハで、というわけにはいかんでしょうな。」
「察しが良くて助かる。君はなかなか話せそうだ。」
シュワルナゼには、カネの算段は付いていた。情報軍には、緊急で行われる工作や作戦に備えて、かなりの額の予備資金が積み立ててある。これに手をつけるのは、情報軍内の他のセクションに敵を作りかねないため、あまりやりたくはなかったが、こちらには「元首直轄の作戦」という、錦の御旗がある。
「わかりました。とはいえ私もそうすぐにまとまった額が用意できるわけではない。後日、もし機会があれば・・・ということでよろしいかな?」
「期待しないで待て、ということか?まあ、かまわんよ。だが、これだけはアドバイスしておこう。ここのコネや技術は通常、正面からいくらカネを積んだって、手に入れられるような代物じゃあないんだ。これは、いい買い物なんだぜ。ではでは・・・」
そう言って、シュワルナゼに名刺を渡すと、バルビエは踵を返して、研究区画へと去っていった。
(ま、このコネが役に立つかどうかも、今日の作戦次第なんだがな・・・)
シュワルナゼは、制服に残った灰を払うと、時計を見る。時刻は0910。機内整列まであと20分だ。できればもう1本煙草を吸いたかったが、これからフライト・スーツに着替えなければならないし、そうそう時間に余裕はない。次の1本は、今日の全てが成功した後に吸うことにした。
(もし、失敗したら・・・禁煙だな。)
シュワルナゼは小さくため息をつくと、バルビエが去った方角とは逆の、作戦区画へと足を進めた。
0945時、地下格納庫・エプロン区画
機内ブリーフィングを終えた私は、コクピットの左席に着き、ハーネスを締める。いつもやるように深呼吸をひとつ、これで気持ちを切り替える。「まるでルーキーみたいだ。」といわれるが、これが私の「儀式」だ。
「よろしく」
かけられた声に振り向くと、シュワルナゼがパイロット席の後ろの電子機器ラックに腰掛け、私のシートのヘッドレストに肘をついていた。
「なにやってるの、キャビンの席について、シートベルトをして頂戴。」
「堅いこと言うなよ。飛空艇にはよく乗るが、コックピットから外を見たことが無いんだ。」
「乱気流で頭打っても知らないわよ。」
「君に迷惑はかけないよ。」
「言っても聞きそうにないわね。」
私の問いかけに、シュワルナゼは無邪気な笑みで返す。たまにこんな子供っぽい顔をするかと思えば、一方で、私でもぞっとするような冷徹な目を見せることもある。シュワルナゼにはそういう、つかみどころのなさがあった。いずれにせよ、彼が大人しく席に着くことはなさそうだ。
あきらめて、コ・パイロット席のアキュラにチェックリストをリクエストする。いつものようにエンジン・スタートのためのリストが読み上げられ、それぞれの項目に沿って、スイッチを入れ、コンディションを確認する。
「レディオ・チェック」
通信テストの項目を読み上げたアキュラは交話機のスイッチを押しこみ、列機に呼びかける。
「アカツィア・フライト、アカツィア・リーダー、チャンネル1、レディオ・チェック」
「ツー、ラウド、アンド、クリア」
「スリー、ラウド、アンド、クリア」
「フォー、ラウド、アンド、クリア」
「ファイブ、ラウド、アンド、クリア」
全機の返答が返ってくる。
「リーダー、オール、ラウド・アンド・クリア」
通信機は正常、しかし、この作戦では機上通信はほとんど使用しないだろう。
チェックリストを続け、エンジン始動シーケンスに移る。
手順に従って、グロセア・エンジンを始動、ノーマル。
「エンジン・スタート、チェックリスト、コンプリート」
「OK、テイクオフ・チェックリスト」
離陸前の最終チェックをコール、アキュラと後席のフセインが最終調整、確認を行う。
オール、ノーマル、アンド、アジャステッド。
シーケンスが終了すると同時に、後部から「キャビン・カーゴ・ノーマル」のコールが機内交話機で伝えられる。
そして間もなく、列機からも「レディ(離陸準備よし)」がコールされた。
私は了解すると、機外交話でタワー(管制塔)を呼び出す。
「タワー、アカツィア・フライト。スポット11から15、ダイレクトエアボーン、レディ」
「アカツィア・フライト、スタンバイ」
タワーがそう答えるのと同時に、地下格納庫の天井が二つに割れ、外の光が降り注ぐ。30秒ほどで天井は全開となった。
「アカツィア・フライト、離陸を許可します。」
通常であればここですぐに離陸だが、今回はその前に一言タワーに伝えることがある。
「タワー、アカツィア・フライト、離陸後、無線封止とします。」
タワーの周囲1マイル程度は、魔法障壁で電波の出入りをカットしているが、いったん外に出たならば、電波管制は厳格にしなければならない。万に一つも、我々がここから飛び上がったことを知られてはならないのだ。
「タワー、了解。」
通常の管制ではありえないことだが、ネルベスカ発のミッションではたいがいがこの方式だ。
「プリ・テイクオフ・プロシジャ、コンプリート。」
アキュラがコールする。
「OK、アカツィア・フライト、レッツ・ゴー!」
私はそう宣言すると、パワー・レバーを押しこみ、出力を上げる。
30%・・・50%・・・65%・・・
通常のコンディションであれば、このあたりで機体が浮くが、最大重量のセイレーンは未だに地べたに張り付いている。
70%・・・80%、82、84・・・
ここで機体が初めて浮遊する。パワーを95%にセット、機体は少しずつ高度を上げる。1500フィートでいったんパワーを下げレベル・オフ(水平飛行遷移)。左右をチェックすると、すでに列機は編隊の所定位置についていた。
「じゃあ、いきましょうか・・・」
再度、深呼吸し、パワーを上げる。身重のセイレーンは、ゆっくりではあるが着実に高度とスピードを上げていく。
10000フィートで機を巡航状態にセット。自機、列機ともどもトラブルはナシ。ここまでは順調だ。外は晴天。水平線もバッチリ見えている。
1時間ほど経過したところで、センサー員が声を上げた。
「ESM(電波探知)、コンタクト!ベアリング(到来方位)240°、識別スタンバイ・・・」
機外に搭載されたESMポッドが、敵性の電波をとらえた。電波の到来方向は南西から、となれば、答えはほぼ一つだ。
「識別終了、ユードラAEW(早期警戒艇)サーチ・レーダーです。」
「予想通りね。サーチ・パターンは?」
「ノーマル・サーチと思われます。現在、敵AEWからの通信の兆候なし・・・」
「了解、おそらく敵はこちらをつかんではいないわ。引き続き現高度で進入、もしサーチ・パターンが変わったり、敵の通信が活発になったら、すぐに報告すること。」
「センサー、了解!」
結局、敵のAEWが我々の編隊をつかむことは無かったようだ。もちろんそうでなければ、苦労してEAREを張り付けた機体を操縦する意味がないのだが。
そして間もなく、次の関門がやってきた。
「編隊、間もなくヤクトに入ります。あと7分。」
航空チャートとにらめっこしていたアキュラがコールする。魔力が利かなくなるここからが、腕の見せ所だ。
「了解、じゃあ、ターボ・プロップ、入れるわよ。列機に発光信号で伝えて。」
アキュラが指示通り、信号でエンジン切り替えを合図する。
「全機、了解しました。」
「了解、ターボ・プロップ、エア・スタート、チェックリスト!」
チェックリストをコール、アキュラがリストを読みながら、フセインと共にガス・タービン起動の手順をこなしていく。
「プロペラ展張ノーマル、インジケーション・オール・ノーマル。」
「了解、スタートして。」
「スタータ、オン!」
展開されたプロペラがロックを解除され、空力で回転を始める。回転数の安定を確認。
「フュエル・イグニション、オン!」
ガス・タービン発動機に燃料が送られ点火、それまで風車のように空回りしていたプロペラが、自らの力で推力と揚力を生み出していく。それと共に機体を騒音と振動が包む。
「インジケーション、オール・ノーマル、パワー操作可能です。」
コールを受けた私は、それまで右手に握っていたパワーレバーをグロセア・エンジン用からターボ・プロップ用に握り替え、パワーを最大まで上げる。
「OK!グロセア・エンジン、カット」
コールと同時に、グロセア・エンジンのパワーが切られ、操縦桿の感覚が一気に重くなる。魔力での「浮遊」から、航空力学での「飛行」に切り替わった証拠だ。ラダ―と操縦桿の感覚をつかみ、すばやくトリムをとる。この重量では操縦の難易度は一気に上がるが、経験を積んだパイロットであれば何とかなる。問題はこの後だ・・・。
それから30分後。気象予報の通り、雲量が増えてきた。地上からの発見確率が減るのは良いことだが、編隊を引きつれたまま雲には入れない。慎重に雲の間を縫いながら、同じく鈍重な列機を引きつれていく。
「間もなく、投下ポイントまで20マイル」
アキュラがやや緊張した面持ちでコールする。これからやることがいかにリスクを伴うか、よくわかっている証拠だ。
「オール・クルー、こちら機長、これより投下シーケンスにはいる。」
機内スピーカでコール。クルーからは「了解」のコール・バックが入る。
「機長、航法、投下位置座標送ります。」
航法員がコールすると同時に、目の前の戦術ディスプレイに投下座標のシンボルが表示される。画面上のこのシンボルに、自機のシンボルを重ね合わせれば、予定地点に小麦がばらまかれる寸法だ。ただこれは地上が無風時の位置なので、投下までに地上の風を読み取り、修正しなければならない。
「投下ポイントまで15マイル」
アキュラのコール、いよいよヤマ場だ。
「了解、これよりエンジン・カットする。カット後は、速力と迎え角、降下率に注意!」
「コ・パイロット、了解!」
斜め後ろに座るフセインが手を伸ばし、計器盤から突き出たエンジン緊急停止レバーに手を添える。
雲の少ないコースをとり、再度計器をチェックする。問題は無い。うっすらと前方にベルべニアの街区のシルエットがあらわれる。
「オール・エンジン、カット!」
コールと同時にフセインの手に握られたレバーが引かれ、エンジンとプロペラがその鼓動を止める。つい先ほどまで機内を支配していた爆音は消え、まるでグライダーのように風を切る音だけが響く。これで市街周辺を飛行しても、気付かれる確率はずっと低くなる。もし見られたとしても、地上の人間は、このヤクトの空を音も出さずに飛ぶこいつを飛空艇だとは思わないだろう。私は速やかに最良の滑空比を得られる姿勢を確保する。少しでも無駄な機動をすれば、それはたちどころに速度と高度の喪失につながる。その先に待っているのは墜落か不時着だ。一定の速度をキープしつつ、細心の注意で操縦桿を扱う。
「9000フィート・・・・降下率700フィート/ミニッツ」
アキュラがコール。リハーサル通りの諸元だ。
後ろから肩をたたかれる。振りかえると、シュワルナゼが前方を指さしている。
「あれだ、あれが例の化学工場の煙突だ。あの煙突の煙で、風向きを見てくれ」
シュワルナゼの指の先、市街地からやや山の手のほうに視線を移すと、打ち合わせ通り、化学工場の煙突が、濛々と煙を吐き出している。地上の風を知るにはもってこいだ。煙はわずかに南西方向にたなびきながら伸びている。
「航法、こちら機長。地上の風、240°5KT」
「航法了解、投下地点、補正します。」
コールの後、ディスプレイ上のシンボルの位置が小さく動く。
「8000フィート、投下まで12マイル」
「カーゴドア・オープン!」
交話機でキャビンに令する。間もなくして、機内にモーター音が響き、後部のドアがゆっくりと空いていく。
「投下準備完了!」
了解をコールしつつも、私の目はめまぐるしく風防の外と計器をいきかう。失速を回避するためには、速度を確保せねばならない。しかし動力は無いから、高度はどんどん下がる。満載なだけに降下率も大きい。すぐにでも荷を捨ててしまいたい気持ちが湧きあがるが、これを抑える。
「全機、投下用意よし!」
列機の信号を受け取ったアキュラがコール。ここまできたら、やるしかない。
「6500フィート、あと5マイル!」
その時、雲の切れ間から、投下地点の地上が見えた。
「・・・これは!!」
私は目を疑った。投下地点はベルべニア市街からやや離れた、一面の草原だが、その一帯が、まるで黒い砂をぶちまけたかのような影になっている。眼下の雲の切れ目から見えるそれが人だかりであることを識別するのに時間はかからなかった。
「何万・・・いや、もっと!?」
草原の中に広がるいびつな帯が、どれだけの群衆から成り立っているか、正確なところは分からない。しかし、どう少なめに見ても、10万は下らない人間が、その地に立っていることは確実だった。もちろん、この群衆の「正体」はシュワルナゼから聞いている。しかし、これほどとは!
後ろを振り返ると、シュワルナゼは目を飛び出んばかりに丸くして見入っている。彼も驚いているのだ。
「彼らの上に、『雨』を降らせる・・・」
ひとり言のつもりだったが、シュワルナゼが反応した。
「ああ、そうだ・・・やってくれ。」
再度前を見る。
「5000フィート、あと2マイル!」
すでに眼下の群衆の一部は、風防の下に隠れている。
「投下用意」
「用意よし!」
「1マイル!」
「スタンバイ・・・」
「マーク!」
「投下!!」
満載された小麦の投下をコールする。投下の様子はここからでは見えない。だが、機体が少しずつ軽くなっていくのが、操縦桿の感覚で分かる。機体をゆっくりと旋回させる。眼下の群衆に、まんべんなく、この「小麦の雨」をいきわたらせるために。
「4500フィート、降下率下がります!」
機体が軽くなっていくおかげで、相対的に機体の飛行性能が上がっていく。
「キャビン、全量投下まであとどのくらい?」
「あと3トンです!」
あと少しだ。ギリギリの空力で空を滑り降りていく機体を保つ。エンジンの再始動は、この群衆から十分に離れた上で実施しなければならない。その時に十分な高度が残っているかどうか・・・
「4000フィート!」
ここまで降りてくると、地上の人間に見つかってもおかしくはない高度だ。これ以上ここで高度を落としたくはない。そう思ったとき、
「全量投下、投下完了!!」
キャビンからのコールが入る。
「了解!」
焦る気持ちを抑えながら、ゆっくりと機体を群衆と逆の方向、帰投コースに向ける。
「3500フィート」
左右を確認。列機はしっかりついてきている。大したものだ。
「3000フィート」
「キャビン、群衆からは何マイル離れた?」
クルーに、地上の群衆からの距離を目測で測らせる。
「5マイルです!」
「2500フィート」
もうこれで限界だ。
「ターボ・プロップ、リスタート!!」
思わず大声でコールする。すぐさまフセインがスタータのスイッチを入れる。
プロペラが回転を開始。回転数の安定を確認。
「2000フィート」
「フュエル・イグニション・オン!」
甲高い爆音が少しずつ戻ってくる。地上の人間にバレやしないかとヒヤヒヤするが、もしエンジンが正常に点火してくれなければ不時着するしかない。この高度ではやり直しは利かないのだ。
だが、その心配は杞憂に終わった。エンジンは順調に回転数を上げ、定常回転となった。
「OK、高度、上げるわよ!」
パワー・レバーを押し込み、操縦桿を引く。EAREを張り付けているとはいえ、積荷をばらまき、燃料を半分以上食って身軽になったセイレーンは、先ほどまでの鈍重さが嘘のように、どんどん高度を上げていく。
「8000・・・8500・・・9000・・・9500・・・」
高度10000フィートで再度レベル・オフ、左右をチェック。列機は変わらずしっかりとついてきている。
「センサー、ESMはどう?」
敵警戒艇の状況を確認する。
「先ほどから特段変化はありません。探知はされていない模様。」
「了解」
そこまで確認して、初めて大きく深呼吸する。なんとかやりきった。嬉しさというよりは、安堵が心を支配した。
「うまくいったかしら?」
後ろを振り返りながらシュワルナゼに問いかける。
「地上の連中が、あの『雨』をどうとらえたか・・・私のもくろみどおりにいったかどうか、今すぐに知るすべはないが、少なくとも君は完ぺきにやってくれたよ・・・ああ、パーフェクトだ!」
そう言って、シュワルナゼは手を差し出した。私は今度は躊躇することなくその手をつかんだ。
1610時 ネルベスカ島・地下飛行場
「エンジン・ノーマルカット、リフューエル(給油)、25キロ・リッター」
フセインがコール、私は手先信号で、前方のライン・マンに給油量の合図を送る。
視線を左に移すと、列機のクルーが談笑しながら降りて行くのが見えた。彼らのミッションはこれで終わりだ。しかし、自分の機は、これからもう一度、ベルべニアに飛ばなければならない。
「とりあえずお疲れ様。私は『結果』を確認してくるよ」
後ろに立つシュワルナゼが私のシートを軽く叩きながら言った。
「了解、良い便りを期待するわ」
シュワルナゼは軽くはにかんで返したが、少しの沈黙の後、口を開いた。
「君も来るかね?」
これは予想外だった。いくら私が作戦の詳細を知らされているといっても、少しばかりオープン過ぎる気がする。だが、私とてミッションの成果の成否を知りたいのは当然だ。
「いいの?保全上問題では?」
一応、確認する。シュワルナゼの回答は、
「君はこれだけやってくれたんだ。すべてに関われる、十分な資格を持っているよ。」
やや感情的な理屈だが、なかなか嬉しいことを言ってくれる。
「では、遠慮なく。」
アキュラとフセインに後を任せ、シュワルナゼと機を降りる。振り返ると、整備員達が、機体に溶剤をぶっ掛けながら、EAREを引っぺがしていた。後部ではフォークリフトが『バニシュ』のモジュールを機内に積み込もうとスタンバイしている。再度、前を向くと、すでにシュワルナゼは、相当の速足で先行していた。よほど結果が気になるのだろう。
10分ほど歩いて、作戦区画内の電信室に入る。帳簿への記帳を済ませ、渡された立ち入り許可証をぶら下げた上で、電波遮断剤が仕込まれた分厚い鉄の2重扉をくぐる。
「寒いわね・・・」
設置された大量の機器を冷やすために、電信室内にはガンガンに冷房がかかっていた。汗が一瞬で乾く。
シュワルナゼは通信員と2、3言話すと、彼らを下がらせ、交話機をとり、端末を操作する。
「こいつを・・・送話機の方のコネクタは抜いといてくれ。」
そう言うとシュワルナゼは私にヘッドセットを差し出す。これで「現地」との会話をモニターしろということだろう。
「キューケン、キューケン、こちら、チャーイカ、感度どうか?」
シュワルナゼが「現地」のエージェントを呼び出す。最新のデジタル秘話装置を経由した通信電波は、強い指向性を持ったまま、島内のアンテナから、成層圏に浮かぶ無人飛空艇を中継し、はるか地平線の彼方のベルべニアへと飛んでいく。数秒後、ZIP音がなり、受話器に応答が入った。
「こちらキューケン、感度良好。」
「チャーイカ、了解、こちらは基地に帰投した。」
まるで電話をしているかのように秘匿事項を話す。従来のアナログ短波通信ではまずあり得ない。長距離通話が可能な代わりに、指向性が弱く全方位に発射される短波通信は、ほぼ確実に傍受されるからだ。本当に大丈夫なのか少し不安になるが、これが今のイヴァリースの最新技術なのだろう。技術の結晶とも言うべき最先端の通信モジュールを目の前にしながら、不意に本土の陸軍兵士の昔ながらの甲冑姿が脳裏をよぎる。つくづくこのイヴァリースはいびつな世界だ。
「キューケン、了解。状況をリポートする。」
いよいよだ。胸が高鳴る。
「作戦はパーフェクトだ。こっちはお祭り騒ぎだよ。見事な小麦の雨だった。まさに『伝承の再現』だ。」
「我々の存在はバレなかったか?」
「今のところそういう話は聞いていない。『奇跡』の手柄は、あの子のものだ。一応サクラも用意していたんだが、全く必要なかったな。『雨』が降り出したのと同時に、彼女を讃える声がそこらじゅうからわき上がったよ。」
「そうか・・・それは良かった。」
「彼女にとっては、8年ぶりに起こした『奇跡』ということになる。」
「『救いの御子』の面目躍如だな。それで、彼女には伝えたのか?」
「ああ、23時に郊外ミロドス区の閉鎖された井戸の前だ。地図は受け取っているかい?」
「ああ、もらっているよ・・・あとは、彼女が現れるかどうか、だ。」
「きっと来るさ。それだけのインパクトがある『奇跡』だった。」
「・・・・・」
「あと、ピックアップの際には、メディックを連れてきた方がいい。」
「なぜだ?」
「中程度の栄養失調状態だ。まあ、今のベルべニアでは彼女に限った事ではないがな。宜しく頼む。」
「わかった。しかし、大した気の遣いようだな。」
「伊達に内科医をやっているわけじゃない。それに、8年間見守ってきたんだ。ある意味、娘みたいなものさ。」
「そうか、いままで有難う、キューケン。」
「こちらこそ、良い「仕事」をさせてもらった。私の「契約」はここまでだが、作戦の成功を祈っているよ。」
「了解、では通信終わる。」
そう言ってシュワルナゼは通信を切った。
「今のが、ベルべニアのエージェント?」
「ああ、そうだ。コードネーム、キューケン。20年以上前からベルべニアに滞在している、情報軍で最も信頼できるコントラクト・エージェントの一人だ。この世界は私よりも長いよ。」
「それを私に明かしてもいいわけ?」
「それだけ君も信頼しているということさ。計画を明かした時点で、君はこの作戦の基幹スタッフの一人なんだ。」
「大した信用ね、泣けてくるわ。」
「もちろん、ばっちりと『下調べ』した上での信頼だがね。」
シュワルナゼは悪びれることなく言ってのける。『覗き屋』の本領は健在というワケだ。
「さて、では次だ。」
そう言うと、シュワルナゼは、手元のコンソールを再度いじる。今度はどこと話そうというのか。
数度のコールの後、相手が受話器をとる音が聞こえた。
「元首陛下、こちらシュワルナゼです。」
「よく聞こえるよ。」
あまりに予想外の相手に私は一瞬息が止まった。確かに『元首直轄の作戦』とは言っていたが、ここまで『近い』とは・・・。シュワルナゼは元首相手に物おじする気配もなく続ける。
「レインフォール・オブ・ハーヴェストは成功です。ユードラとの交渉を進めてください。」
「それは良かった!これ以上、支援交渉を行き詰らせるのは良心が耐えかねるところだったんだ。」
「申し訳ありません。」
「気にすることは無い。ではすぐにユードラとの折衝を再開するとするよ。なに、話し合いはすでに9割方ついている。後は私が国防総局長の首を縦に振らせれば、すぐにでも両国の支援がベルべニアにいくだろう。・・・それで、ピックアップは出来そうかね?」
「まだ分かりませんが、現地のエージェントの感触では、イケるだろうと。」
「そうか、期待しているよ。では、引き続き頑張ってくれ。」
「了解しました。」
シュワルナゼはヘッドセットを外し、通信機のスイッチを切る。そして、私が訪ねるより前に口を開いた。
「以前、今年のベルべニアの食糧難では、同盟諸国とユードラの支援交渉が行き詰っていると言ったろ・・・交渉を停滞させたのは私だ。」
「・・・!」
「ベルべニアにはいくつもの伝承があるんだが、その中の一つにこんなのがある。『・・・地が干上がり、口を満たすことあたわぬ民を憐れんだ救いの御子は、天の父に訴えた。父は子の名において天より小麦の雨をもたらし、この奇跡によって民を祝福された・・・』今回の作戦はこの伝承に沿うべく計画した。伝承に示された奇跡どおりに筋書きを進めるためには、我々がベルべニアに『小麦の雨』を降らせるより前に、国家による支援の手が入っては都合が悪かった。作戦遂行までの間、私が元首に進言し、わざとユードラの支援計画を拒否することで交渉を停滞させたんだ。」
「じゃあ、私達がこのフライトを準備している間、余計に国境地帯の人々を苦しませたということ?」
「そういうことだ。君をここに連れてきたのは、それを伝えるためだ。全てを教える、君にはそう約束したからな。作戦前に言わなかったのは、実情を知らせることで、君を焦らしたくなかったからだ。」
「・・・・」
「私が、冷酷な鬼畜に見えるかね?」
そう問うシュワルナゼの目は、ひどく寂しげに見えた。作戦のために数十万の人間を困窮させる。確かに非人道的だが、本当に冷酷な人間はこんな目つきはしない。
「・・・そうは言わない。でも、なぜ、そんなことをする必要があったの?」
「ベルべニアや国境地帯の人間は、その地に伝わる伝承や迷信にとても敏感だ。8年前、あの子、アジョラ・グレバドスがベルべニアの『救いの御子』に祀り上げられたのも、そんな伝承の一つに人々が熱を上げたのが原因だ。私はそこに目を付けた。伝承に絡ませた『奇跡』を演出してやれば、あの地の人々は簡単になびく。そして『奇跡』の主は、よりカリスマを高めることが出来る、とね。そんな中で、この大干ばつ、そして食糧難が起こった。伝承を活用しない手は無かった。冷酷と思うなら、それで構わない。」
「・・・・」
「たかだか10年程度で国境地帯を一つの国家にまとめ上げようというのが、このオペレーション・ウォール・ブレイカーだ。まとめ上げるには強力なカリスマが必要だ。私はその素材を見つけた。私は、あの子を新国家の主にするためには何でもするつもりだ。」
「それが、同盟諸国の未来につながるの?」
「我々だけではない。このイヴァリース全ての未来だ。現状を見てみろ。あの忌々しい不毛の国境地帯が全てを分断している。文化も、経済も、科学も。あれは取り払うべき鉄の壁なんだ。」
私にはその時、シュワルナゼが時に見せる異様な迫力の正体が分かった。彼が掲げた理想、閉塞した現状を打破しようという、尋常なざる決意。その決意が滲み出るとき、飄々とした振る舞いの中に、冷酷さともとれる迫力が現れるのだ。
私は、彼を冷酷と思うどころか、この冷戦が延々続くと半ばあきらめながら20年近く飛んでいた自分自身が恥ずかしくなった。少なくとも私に彼を責める権利は無い。
「さあ、次のフライトの準備をしましょう。あなたも、さっきは乗っているだけだったけど、今度は動くんでしょう?」
下手な言葉を返すよりも、この作戦で、私が出来ることを最大限やる、その意思を表すことが彼の問いに対する私の答えだ。
果たしてシュワルナゼは私の意図を察したのか、先ほどまでの険しい面構えを解くと
「ありがとう、私は幸せ者だな。」
そう言って、恥ずかしげにうつむき、ポケットから煙草を取り出した。
2130時 ネルベスカ南西
高度は15000フィート。満月がその明りで星空を隠し、かすかに眼下の雲の縁を照らしている。
「まもなく、敵レーダーの覆域に入ります。」
センサー・マンがコール。
「了解、では『バニシュ』を起動する。」
コールを受けたフセインがコンソールを操作、カーゴに積まれたモジュールが作動し、その振動がわずかにコックピットのシートにも伝わる。
「レーダー、ビジュアル、IR、アコースティック・・・アクティブステルス・チェック・・・『バニシュ』ノーマル・オペレート」
「了解」
これで、この機は外からは完全に隠れた状態になった。今度は単機ということもあって、昼のミッションよりも道中ははるかに気楽だ。とはいえ、イリーガルな空域でのイリーガルなミッションであることに変わりは無い。油断は禁物だ。
「エンジン切り替え後、低空での侵入に切り替える。」
昼間と同じように、エンジンをターボ・プロップに切り替え、高度を下していく。
雲海をくぐった眼下には真っ暗な闇。チャート上では、すぐ前方に大陸の陸岸が広がるはずだが、海と陸の境目は見た目には全く分からない。海上には漁船の一隻も見当たらず、陸地には灯台も、街の明かりも何もない。人間の活動の息吹が全く感じられない、完全な闇。そこが不毛の国境地帯であることを改めて痛感させられる。もしこの闇の中で動いている人間がいるとすれば、そのほとんどが闇が似つかわしい犯罪者やアナーキストだ。とても夜の陸路で行こうとは思えない。
『すべてを分断する鉄の壁』
シュワルナゼのこの比喩は的を得ている。
「暗視ゴーグル、装着」
ヘルメットに取り付けた暗視ゴーグルを下ろす。全面緑色の視界に、波打ち際の地形がくっきりと浮かび上がった。
「陸岸に入る。電波高度計に注意。」
「了解、現在高度、100フィート」
本来なら、地形レーダーを使いたいところだが、電波の輻射は最低限が原則だ。電波高度計だけを使用し、後はチャートとの位置整合で墜落を防ぐ。航法士とコ・パイロットは腕の見せ所だ。
戦術ディスプレイ上に航法士が算出したシンボル上に機を誘導、横ではアキュラがシンボルと自機の位置をチャート上でチェックする。
「経路上、30フィート以上の障害物なし。」
「了解」
視界の端では、荒れ地に点在する林の木々が次々と後方にすっ飛んで行く。
「高度は?」
「気圧高度100、対地40フィート。」
せいぜい5階建てのビル程度の低空飛行だが、レーダーを欺瞞するにはこれが一番古典的で確実な方法だ。『バニシュ』のレーダー・ステルスは信頼できるが、物事に完璧は無い。
心のどこかでスリルを楽しむように、綱渡りの飛行を続ける。
地平線上の一角にうすぼんやりとした明りが、染みのように現れる。ベルべニアの夜の灯りだ。まだ完全に眠りにはついていないのだろう。
「ランディング地点まで5マイル」
航法士のコール、それからしばらくして、林の前方に一面開けた草原が現れた。
「ギア、ダウン」
降着用のタイヤを下ろし、ホバリング、草原にゆっくりタッチダウンする。
エンジンをカット、ただし、いつでも離陸できるよう、APUを起動させる。
「では、行ってくるよ。」
昼間と同じように、私のシートの後ろに立っていたシュワルナゼは、そう言うとキャビンへと降りて行った。今度はフライト・スーツではなく、現地の商人のような格好をしている。APUの作動音にまぎれてカーゴからチョコボの鳴き声がかすかに聞こえた。
間もなく、機外に出て風防の前に現れたフセインがライトで信号をよこす。
カーゴ・ドア、オープン。
ドアを開けるモーター音と共に、外の騒音がダイレクトに入ってくる。それからほどなくして、搭載したチョコボ車がシュワルナゼを乗せて、風防の向こう、夜闇の中へと消えていった。
「少し、外に出てくるわ」
アキュラに機を任せ、機外に出る。5歩、10歩、機から離れるように歩く。
30メートルほど離れたところで、甲高く鳴り響いていたAPUの騒音が瞬時に消える。振り返ると、そこには一面の草原が広がり、本来そこに鎮座しているはずのセイレーンの姿は無い。エンジン音の代わりに秋の虫の鳴き声が耳に染みる。『バニシュ』が正常に作動している証拠だ。視線を脇に移すと、消音器付きのボルトアクション・ライフルを構えたクルーが周囲を警戒していた。古風なライフルだが、構造がシンプルな分、ミミック菌の腐食にも長く耐える。だが、やはり時代遅れの感は否めない。以前、ネルベスカでユードラ製の無薬莢弾式アサルト・ライフルや魔法装てん可能な自動擲弾砲を見せられたときには、つくづく陸軍でなくて良かったと思ったものだ。
セイレーンのガス・タービンや可変ピッチ・プロペラも、低空を飛び、こうして駐機している間に、確実に腐食が始まっているだろう。精密な機械ほど、ミミック菌の腐食には弱い。勿論、すぐに錆つくわけではないが、地上で愛機が蝕まれていくのはいい気分がしないものだ。一刻も早く飛び立ちたいが、ここからベルべニア市街までは10キロ以上離れている。シュワルナゼも小一時間は帰ってこないだろう。
機の方向に足を進める。10歩ほど歩いたところで、静寂が再び騒音にかき消され、目の前にセイレーンが姿を現す。フセインはサルの毛づくろいのように、ライトを片手に機体に張り付いて点検に余念がない。
機内に戻り、シートに座る。
「機長、コーヒー飲みます?」
横に座るアキュラがだしぬけに聞いてきた。
「コーヒー?」
「ネルベスカ製の缶コーヒーです。ネルベスカに飲料メーカーの研究所で働いてる友人がいたんで、試作品を譲ってらいました。」
手渡されたのは手のひら大の無地のスチール製の缶だ。
「これにコーヒーが入ってるの?」
プルトップを開け、中のコーヒーをすする。甘ったるいが悪くは無い。
「でも、スチール缶じゃあ、本土では売れないわね?」
「ええ、とりあえずは、フィナス基地みたいな空中空軍基地に納入したいと言ってました。こうも言ってましたよ。鉄が腐らないユードラで商売出来れば、これでいくらでも稼げるのに、って。」
「それは無理よ。条約で、両国の通商は厳しく制限されてるわ。」
そう諭した時、シュワルナゼの姿が脳裏に浮かんだ。「国境地帯が『壁』から『国』になれば、必ず、同盟諸国とユードラの交流は活発になる。本当の平和への第一歩だ。」彼はそう言っていた。
「・・・でも、この作戦がうまくいったら、お友達の願いもかなうかもね。」
「・・・?」
アキュラはよくわからないといった感じで頭のポンポンをかしげる。彼は、私と違ってシュワルナゼから全てを聞かされてはいない。他のクルーも同じだ。ただ「任務だから」やっている。この作戦に関わるまでは、私もそうだった。
「いいのよ、気にしないで。それより、帰りの準備は大丈夫?」
誤魔化すようにはにかみながら、帰投の準備を始める。シュワルナゼが『救いの御子』のピックアップに成功しようと失敗しようと、基地に帰り着くまでがミッションだ。気圧高度計を調整し、チャートを整理する。
準備を終えてしばらくした時、視界にチョコボ車が現れた。外で警戒していたクルーが戻ってくる。
「戻ってきましたよ。」
そう言いながらフセインが席に着いた。
私はいつものように深呼吸する。
「エンジン回すわよ、計器をチェックして。」
「油温、油圧、燃圧、タービン・テンプラチャ、インジケーション、オール・ノーマル。」
「機長、こちらキャビン、カーゴ・ドア、クローズ。」
「了解」
背後に人の気配がする。またシュワルナゼだろうと思い、振り返る。だが、そこに居たのは、壮年の情報将校ではなく、一人の少女だった。コックピット内は暗く、はっきりと顔は見えないが、年は14、5歳といったところか。我が家の長女と同じくらいだ。
「・・・あなたが?」
それが、彼女を見て、私の口から出た最初の言葉だった。
少女は何も答えずにコックピットを見回している。とにかく、ここにいさせては危険だ。
「いまから離陸するわよ。席についてベルトを・・・」
そこまで言ったところで、シュワルナゼがコックピットに入ってきた。本来3人掛けの設計で大して広くもないコックピットはすし詰め状態だ。 「ちょっと・・・」
さすがに振り返ってシュワルナゼに詰め寄る。シュワルナゼが口を開いた。
「すまない。私は後ろに下がっているから、彼女に見せてやってくれないか?」
「・・・え?」
「いや、彼女が、コックピットを見たいって言うもんだから・・・」
「そんな、年頃の男の子じゃああるまいし・・・」
そう言いつつも、少女の方を見る。大人しく立ってはいるが、確かに頭はキョロキョロとコックピット内を見回し続けている。
「そうなの?」
少女に問いただすと、彼女は小さな声で
「・・・ダメですか?」
と縮こまる。まあ、シュワルナゼが下がるというなら、スペースは問題ない。
「しょうがないわね・・・そこのラックの上に座って、揺れるからしっかりシートにつかまるのよ。」
「あ、はい。」
少女はそう答えると、電子機器ラックの上にちょこんと座り手をシートにかけた。
すっかりやせ細った手だ。たった今もこの地を食糧難が襲っている事実を改めて思い知らされる。もし自分の娘がこんな目にあったらと思うと、思わず胸が熱くなる。
「おなか、空いてない?」
「・・・すこし」
「アキュラ、何か食べるモノある?」
「ええと、さっきと同じ缶コーヒーの試供品と、あと救難用のチョコレートなら・・・」
「それでいいわ。」
「コーヒーもチョコも消化に悪いですよ?」
「いいから!」
怒鳴りつけると、アキュラはあわててフライト・ジャケットのポケットからチョコレートを引っ張り出し、コーヒーと一緒に少女に渡す。
「ありがとう。」
少女は礼を言うと、チョコの銀紙をはがして口に運ぶ。こうやって見ていると、全くもって、ただの女の子だ。この子のどこに、シュワルナゼが言うようなカリスマがあるのか、さっぱり見当もつかない。しかし、シュワルナゼの話を信じるなら、まぎれもなく、昼間、眼下の大群衆を集めたのはこの子なのだ。
「機長、そろそろ行きましょうや。あまり長いこと地上に居ると、エンジンが腐っちまう。」
フセインにたしなめられる。確かにここに長居は出来ない。
「ごめんなさい、じゃあ行きましょうか!」
気を取り直して、始動チェックリストを進める。後ろを振り向くと、フセインとアキュラの手が動き、スイッチの灯りが切り替わる度に、少女の目が興味津津といった感じでそれを追っている。まるで小・中学生の男子だ。
「こういうのが、好きなの?」
聞いてみると、少女は恥ずかしそうに「うん」と答えた。
「レフト・エンジン、スタータ、オン!」
視線を計器に戻して針の動きをモニターする。ノーマル・スタート。
「珍しいのね、女の子なのに。」
計器をモニターしつつ、再度、少女に問いかける。少し間をおいて「うん」という答えが返ってきた。
「機長だって女性じゃあないですか!しかも子持ちでまだ乗っているママさんなんてのは機長くらいなもんですよ。」
フセインが思わずといった感じで突っ込みを入れてきた。
「そうね、私みたいなのも珍しいわ。でもバンガのフライト・クルーも珍しくなくて?」
「ちげえねえ。じゃあ、今ここにいる連中で、まっとうなのはアキュラ中尉くらいってことだ!」
「・・・クポ!」
いきなり話の的にされたアキュラが、思わず素頓狂な声をあげる。と同時に、後方から少女の小さな笑い声が聞こえた。振り返ると、暗闇のコックピットでも、彼女が笑顔を作っているのが分かる。私はその笑顔を見て、安堵をおぼえた。この子は「大丈夫」だ。
「さ、次、ライト・エンジン、いきますよ。スタータ、オン!」
再度、計器をモニター。ノーマル・スタート。
離陸前チェックリストを手早く済ませる。
「オール・クルー、離陸する。」
暗視ゴーグルを下ろし、パワー・レバーを押し込むと、一寸置いて機体が浮きあがる。ラダ―を踏んで、機体を帰投方向に向け、操縦桿を前に倒す。徐々に機速がついていく。十分に速度がついたところで、ティルト・ローター・モードを切り替える。プロペラが前傾し、一気に速度が上がっていく。この間の機の安定を保つのが、セイレーンの操縦の中でも最も難しい。だが、私には手慣れたものだ。モード・チェンジ完了。
後は、行きの逆コースをたどるだけだ。
15分ほどで海上に出る。
「高度、上げるわよ。」
「了解、『バニシュ』ノーマル・オペレート」
操縦桿を引き、高度を上げる。何層かの薄い層雲の雲海を突き抜けると、満月が出迎える。
レベル・オフし、後ろを振り返ると、はたして少女は、顔を窓に張り付けて、目を輝かせながら外を眺めていた。
(シュワルナゼは、いや、私達は、これからこの子をどうしていくのだろう・・・)
初めて子供を授かった時のような、漠然とした不安が、私の胸をよぎった。