戦国転生 4歳から始める十種影法術 作:匿名希望
円鹿を従えたことで、俺は炳の任務についていくことが増えた。主に回復と索敵要員としてだ。
俺は生活改善部隊である躯の頭をやっているので、正規所属というわけではないが、実質掛け持ち状態と言っていいだろう。
最初の何回かは様子見もかねて二級呪霊相手の任務が多かったが、今回は初めての大物となる一級クラスの任務に同行することになった。
大物相手の空気を、ということで弟の景次も一緒である。
うーん、次期当主なんだからもっと大事に育てるべきでは? と思うのだが、この時代の禪院家は獅子は子を千尋の谷に落とすを地で行くスタイルらしい。
そして出立の日。
「影久様、若様。道中、お召し物が汚れた際はこちらをお使いください」
「予備の足袋と、少しばかりですが干し肉を用意いたしました」
躯としての訓練を積んでいる彼女たちは、かつてのように卑屈に縮こまることはない。背筋を伸ばし、簡潔に必要なものを差し出してくる。
だが、その瞳には主の身を案じる色が隠しきれず、景次の装束の乱れをそっと直す手つきには、教育だけでは消せない情愛がこもっていた。
「ああ、助かる。皆も留守中の管理を頼むぞ」
「ありがとう、行ってくるよ」
俺が頷き受け取った荷物を影へと入れている隣では、景次が柔らかく微笑みながら返事をしていた。
そんな、禪院家の主従としては少しばかり温すぎるやり取りを、門前で待っていた男が鼻で笑った。
炳の若手である禪院 扇一郎だ。
「お二人とも、相変わらず下女にお優しいこって。あんな見送りまで律儀に受けて」
「扇一郎君もやってみては? なかなか気分がいいですよ」
景次が事もなげに、まるで新しい玩具でも勧めるような気軽さで言う。
扇一郎は一瞬虚を突かれたように目を丸くしたが、すぐに肩をすくめて笑った。
「勘弁してくださいよ景次様。俺にはそんな柄じゃありません。」
そういうと俺に向き直り。
「影久サン、今回もよろしく頼みますよ。あんたが居れば景次様の安全は保証されたようなもんだ、次期当主様をしっかり守ってください」
「わかってる」
「ははっ、期待してますよ、影久サン!」
何度か任務で一緒になる機会があったのだが、この扇一郎君。術式はなんとあの、焦眉之急だ!
扇おじさんと同じ術式である、名前も似てる。
術式の火力が高く禪院家でも指折りの攻撃力を誇る。
マイルドな直哉といった風で選民思想はあるが、それはそれこれはこれと割り切りのできるやつだし。何より俺が軽口を叩いても同じように返してくれるので、人間的には嫌いではないのだ。
何より景次が最強クラスの術師になると確信しているようで、それゆえに彼を次期当主として強く支持してくれてるのもいい。
兄である俺に対しても、強者として一目を置いてくれてるようだが、当主として仰ぐには何考えてるかわからんすぎるから無理、だそうで、とりあえず同じ禪院家として程よく仲良くやっていきましょということだ。
これはなんと本人が直接言ってきた。
俺もそのくらいの距離感で、気の抜けない親戚かつ友人枠としてやってければと思う。
さてさて、今回の任務先は石山。織田と本願寺が十年も殺し合ってる地獄らしい。
景次になにもないようにしっかり頑張らねば。
二日ほどかけて、呪霊の生息場所と思われる打ち壊された寺からほど近い村に到着した。
一五七九年。織田の包囲網に喘ぐ石山周辺は、十年の歳月が流した血で土が黒く濁り、昼間だってのに空は煤けたように常に薄暗い。
「……酷いもんだな。これじゃ呪霊の数より、死人の数の方が多そうだ」
扇一郎が鼻を突き、不快そうに辺りを見回す。
だが、村の雰囲気は俺が想像していた「呪霊に怯える村」とは全く違っていた。人々は怯えているどころか、どこか恍惚とした表情ですらある。
俺たちは手分けして聞き込みを行うことにしたが、出てくる証言はどれも奇妙なものばかりだった。
「……ああ、あの寺のことかい? あそこには、優しい仏様がいるんだよ」
焼け跡に蹲る老人は、焦点の合わない目で空を仰ぐ。
「死んだ息子が、森の奥で手を振っているのが見えた。昨日はあそこで一晩中語り合ってきたんだ。……ああ、体が羽のように軽い」
老人の言葉通り、村には「寺に行って、無事に帰ってきた者」が溢れていた。
別の村人も、震える指で複数の方向を指差した。
「仏様は、あっちの廃寺にも、こっちの焼け寺にもいらっしゃる。どこへ行っても、仏様が守ってくれてるんだ、とても温かくてね……」
聞き終えて合流した俺たちは、人気のない村外れで顔を見合わせた。
「影久サン、気味悪すぎますよ。二級術師が戻ってこないって話だったのに、村に死人が一人も出てねぇ。それどころか、皆『山に行って救われた』なんてツラしてやがる」
扇一郎が長柄刀の柄を苛立たしげに叩く。
「ああ。戦による死の気配はこの地に満ちているのに、呪霊による直接的な死者の痕跡が一切ない。だが、これだけの人間が山に入って、誰一人食われていないなんてことがあり得るか?」
目撃場所が広範囲に散っているのも解せない。北、西、東、に廃寺があり、それぞれに「仏」がいて、人々を迎え入れ、そして何事もなかったかのように帰している。何体かいるのか、あるいは……。
村人たちは「帰ってきている」のではなく、何か別のものに変質させられた上で「戻されている」のではないか。
「……仏様、ですか。……あの人たちの肩には、蜘蛛の糸のような呪力がべったりと張り付いていますよ、兄上」
確かに異常に粘着質な呪力だ、蜘蛛、蜘蛛か。
嫌なことを思い出すな、今ならあの呪霊も祓えるだろうか……。
「ひとまず、一番近い北の寺から行ってみよう。……二人とも、用心していこう。術師だけを選んで仕留めているのか、それとも村人を生かすことに何か別の目的があるのか……いずれにせよ、かなり厄介なやつだろう」
扇一郎が不敵に笑い、得物の柄を握り直す。
景次は静かに俺の影の端を踏むようにして、無言で頷いた。
村の出口、霧が立ち込めるように澱んだ森の奥へと足を踏み入れようとしたとき。村の終わりと、森の始まり。その境界線に、一台の「ひしゃげた荷車」が打ち捨てられていた。
(……なんだ、これ。妙に目がいくな)
普段なら一瞥して通り過ぎるだけのガラクタだ。
だが、なぜか、その無機質な残骸に目が吸い寄せられた。
「兄上、どうしました?」
「……いや。なんでもない」
その時の俺は、自分がなぜこれほどまでに、その残骸の「形」を意識してしまったのか、その理由すら分かっていなかった。
一歩。森に足を踏み入れた瞬間に、肌を撫でる空気が変わる。
「……景次、止まれ」
俺は立ち止まり、背後の景次に声をかけた。
「兄上?」
「念のためだ。お前の護衛として、白を預けておく」
俺は印を結び、足元の影から式神『白』を呼び出した。白は音もなく現れると、景次の匂いを確かめるようにその足元に鼻を寄せる。
「えっ、でも……」
「この霧だ。視界も音もいつ狂わされるか分からん。白は俺と繋がっている、いざってときは俺の居場所を知らせる標にもなる」
もし逸れるようなことがあっても、お前の『耳』とこいつの『鼻』があれば、俺の元まで辿り着けるはずだ。
そう告げると、白は景次の影に溶け込むようにして姿を消した。
「……はい。ありがとうございます、兄上。白、今回もよろしくね。」
「扇一郎、後ろを頼む」
「へいへい。後ろは任せときな。景次様にぁネズミ一匹通しゃしませんよ」
扇一郎が長柄刀をどっしりと構え、不敵な笑みを浮かべて背後を固める。
俺を先頭に、中央に景次、最後に扇一郎。
この布陣で、俺たちはさらに深い森の奥、廃寺へと続く闇の中へ進んでいった。
北の廃寺は、拍子抜けするほど静かだった。
崩れ落ちた梁や、苔むした地蔵。どこをどう見ても、ただの打ち捨てられた残骸に過ぎない。
「……何もありゃしませんね。村人たちはここで死者に会ったと言ってましたが、幻覚でも見てたんですか?」
扇一郎が長柄刀を肩に担ぎ直し、周囲を警戒する。
「少し探索範囲を広げてみよう」
俺は円鹿を出し、広範囲を索敵するために反転をかけ、周囲に影をじりじりと広げていった。
村人たちは死んだ身内を見せられていたはずだ。俺たちにも何かしらの幻覚を見せてくるのだと思っていた、しかし兆候すらない、なぜだ?
彼らと俺たちで何が違う?
呪力の有無か?
(もし呪力の有無で『見せる相手』を選別しているのだとしたら、単にここに留まっているだけでは何も引き出せないな)
俺は北の寺だけでなく、西や東の廃寺との相関を調べるため、さらに広範囲へと「影」を扇状に投射した。
その時、影の先端が、虚空に揺らめく「極細の呪力」を捉えた。
(――見つけた。隠されていた呪力のラインだ)
それは北の寺から、西、そして東へと水平に伸びている。
俺は反射的にその正体を見極めようと、影をさらに深く、そのラインへと絡ませた。
「影久サン? どうしました、黙り込んで」
「……景次、扇一郎。この廃寺自体には少なくとも今のところ何もいないようだ。だが、西と東に繋がる、不自然な呪力の流れがある。まずは西にあるという廃寺へ行ってみよう。三つの地点を結ぶ呪力の流れを確認すれば、この違和感の正体が掴めるかもしれない」
俺は、これまで歩んできた「参道」を外れ、西の廃寺がある方向へと、真横に大きく一歩を踏み出した。
その瞬間、影を通じて脳内に流れ込んできた情報の「形」が、俺の思考と合致した。
これは同心円状に張り巡らされた――。
(しまっ――これ、横糸だ!)
理解した刹那、「――兄上っ」という景次の短い声が、遥か遠くから聞こえた気がした。
◆◆◆
「兄上っ!」
景次が叫び、影久が消えた虚空へと飛び出そうとした。だが。
「動くな! 止まれ、景次様っ!」
背後から扇一郎の怒声が響き、その太い腕が景次の肩を強引に引き戻した。勢い余って地面に膝をついた景次が、信じられないものを見る目で扇一郎を振り返る。
「離せ! 兄上が、あそこに……!」
「落ち着け! 今不用意に動けば、あんたまで消える。……いいか、よく見ろ」
扇一郎の視線の先。影久が踏み出した「西」へと続く一歩。その直上の空間に、目に見えないほど細い銀の糸が一本、ピンと張られていた。それは影久の残穢を絡め取ったまま、空間の継ぎ目に溶け込むように消えている。
「……ありゃあ、罠です。それも、とびきり質の悪いやつだ」
扇一郎の額に冷や汗が流れる。彼は長柄刀の石突きを地面に突き立て、周囲の霧を睨み据えた。
「影久サンは、慎重、そうだ慎重に調べてた。……そして、西へ行こうとしたあの一歩が、消える引き金になった、恐らく手順を踏んで誘い込む生得領域だ」
二人はまだ、この領域の正体までは気づいていない。
ただ、影久は呪力を用いて周辺の探索を行っていた。西と東、そして今いる北。その三点を結ぶ呪力の流れの中に、影久だけが気づいた「何か」があったはずなのだ。そして、その正体を確かめようとした瞬間に、彼は連れ去られた。
「……兄上だけが、領域の中へ……。僕たちは、ここで待っていろというんですか」
景次は拳を握りしめ、地面を叩いた。
その時、景次の足元の影が不自然に波打ち、一匹の白い犬――白が這い出してきた。森に入る前、影久が護衛として景次に預けていた式神だ。
白は、主人が消えた虚空に向かって低く唸り、鼻を鳴らす。
「待つだけなわけがねぇだろ」
扇一郎が、低く、重い声で言った。
「影久サンが消えた瞬間、足元が微かに震えた。恐らくその糸が何かしたはずだ……。景次様。振動はあんたの得意分野でしょ。それに」
扇一郎は、景次の足元で低く唸る白を顎で示した。
「あんたの護衛として残されたそいつも、主人の居場所を嗅ぎ分けようとしてますよ。……どこへ連れて行かれたか、二人で聞き届けてくださいよ」
扇一郎の言葉に、景次は弾かれたように地面へ耳を寄せた。
静寂。いや、違う。
(……聞こえる。……土の奥、もっと遠い『どこか』で……)
それは物理的な音を超えた、命の脈動だった。
銀の糸が張り巡らされた領域の内側。そこから、微かに、だが確かな規則性を持って響いてくる震え。地を這うような鈍い打撃音。
「……兄上の足音だ。まだ、戦ってる。……あの領域の主と、やり合ってるんだ」
景次の瞳から迷いが消え、凍てつくような殺気が宿った。
白もまた、主人の呪力の残滓を辿るように、霧の奥――空間が歪んだ「境界」を正確に睨み据え、牙を剥く。
景次が立ち上がり、兄が消えた虚空を真っ直ぐに指し示した。
「兄上が中で戦ってるおかげで、振動っていう領域外への影響が出てる。西へ向かわず、ここで仕組みを暴こう!……そして、兄上を引き摺り出すんだ」
◆◆◆
視界が、物理的に断絶した。
一歩踏み出した足が、土ではない、弾力のある銀色の繊維に沈み込む。
振り返ると、そこには扇一郎も、景次も、廃寺すらも存在しなかった。
あるのは、地平線の彼方まで張り巡らされた、巨大で美しく、そしておぞましい銀の蜘蛛の巣。
空には煤けた雲の代わりに、無数の白い糸が天網のように覆い被さっている。
「……また、お会いしましたね。影の、お客様」
頭上の梁から、艶然とした声が降ってくる。
そこには、人知を超えて整いすぎた女の形をした呪霊が、優雅に糸を操りながら俺を見下ろしていた。
俺は影を呼び戻そうとしたが、俺の術式そのものが、周囲の糸と複雑に絡み合い、回路を物理的に縛り上げているのを感じて舌を巻いた。
この、脳を直接撫でまわされるような不快な呪力の感触。
「……貴方のおかげですよ。あの日、私の『拙さ』を教えてくれた貴方のおかげで、私はこうして言葉を紡げるほどまで、姿を整えることができた」
女が慈しむように微笑む。その瞬間、かつて荒れ寺で対峙したあの獣の面影が、今の知性溢れる姿と重なり、背筋に冷たいものが走った。
「今度は、逃がしません。……その影も、心も、ひと欠片も余さず、私の糸で綴じて差し上げます」
完全に独り。
俺は、自らの『過去』が育て上げてしまった最悪の再会と、その腹の中で対峙することになった。