戦国転生 4歳から始める十種影法術   作:匿名希望

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視点が大きく変わる時って話数分ける方がいいんでしょうか。
悩ましい。


第十三話 領域を、破る

景次は膝をつき、地面に直接、左耳を押し当てた。

 

視界を埋め尽くす白濁とした霧。

先ほど兄上が消えた「西」の奥からは、何の音も、呪霊の気配すらも漂ってこない。

本来ならそこにいたはずの影久の残穢すら、まるで最初から存在しなかったかのように、この不自然なほど白い霧に拭い去られている。

 

耳が痛くなるほどの完全な静寂。

生き物の気配が一切絶たれているからこそ、空間そのものに張り巡らされた「呪力の糸」の冷徹な殺意が、肌を刺すように伝わってきた。

 

(……聞こえる。……いや、届いてる)

 

物理的な音を遮断した景次の鼓膜を、空間の層を伝って叩く「震え」があった。

 

ドォン。

 

一拍おいて。

 

ドォン。

 

ある時点から音の質が変わっていた。

あまりに正確で、執念すら感じる一定のリズム。

景次は閉じた瞼の裏で、その振動が伝播してくるラインを一本ずつ、呪力の筋として繋ぎ合わせていった。

それは震源地から直線的に届くものではない。複雑に分岐し、交差し、ある法則性を持って空間を旋回している。

 

「……これ、蜘蛛の巣だ」

 

景次の独り言のような呟きに、長柄刀を構えて周囲を警戒していた扇一郎が、視線だけで反応した。

 

「音の伝わり方がおかしいんです。直線じゃない。円を描くように、同心円状に響いてる。……今、僕たちが立ってるこの参道が『縦糸』だ。そして、兄上が消えた西への道は、その縦糸同士を繋ぐ『横糸』だったんだ」

 

「影久サンは慎重に調べてたはずだが……」

 

「丁寧に調べたからだと思います。周囲を調査するために、今立っているこの縦糸に呪力を流しすぎた。……獲物としての重みを奴に悟られてた状態で、あの一歩で横糸に触れちゃったんだ。だから、瞬時に生得領域へと引き摺り込まれた」

 

景次は耳を地面に当てたまま、思考を加速させる。

この不自然な呪力の配置。そして、地を這うように響く兄の打撃音。

 

「蜘蛛の巣なら、主がいるのは中央のはずです。……村に戻らなきゃ」

 

「戻る? 西じゃなく、逆走するってのか」

 

「この振動の刻み方……兄上はあえて一定の音を出し続けて、僕たちを導こうとしてるんだ。あんな目立つことをすれば、領域の中にいる敵に居場所を教えるようなものなのに……」

 

景次の言葉に、扇一郎がふと眉を寄せ、低く呟いた。

 

「……もしかして戦闘になってないんじゃないか?」

 

「えっ?」

 

「敵とやり合ってるなら、音はもっと乱れるはずですよね。だが景次様に聞こえてる響き方は、まるで釘でも打ってるみてぇに正確だって話だ。敵を前にしてそんな妙な真似をするとは思えねぇ」

 

扇一郎の指摘に、景次は背筋が凍るような感覚を覚えた。

戦っていない。

つまり、兄上はすでに捕らえられているか、あるいは一歩も動けない状況で、それでもなお「合図」だけを送り続けているということだ。

 

「……だとしたら時間がない。兄上が完全に動きを封じられる前に、僕たちが辿り着かないと」

 

確証はない。だが、あの兄が、この極限状態で無策に音を立てるはずがない。

あれは、領域に閉じ込められた兄上が、外にいる僕たちを「正解」へ導くための、命懸けの道標だ。

 

「……奴の意識は今、きっと、内側で抵抗し続けてる兄上に向いてるはずです。……扇一郎君、静かに戻りましょう」

 

「普通に戻れば、糸を揺らして気づかれるかもしれませんよ」

 

「だから、僕が震えの道筋を読みます。扇一郎君、あなたの炎で『道』を切り開いてください」

 

景次の瞳に、迷いのない術師としての光が宿る。

 

「呪力の糸を揺らさず、奴に悟られないまま、村まで潜り込む。……、僕たちが外から領域をこじ開けるんだ」

 

扇一郎は、景次の覚悟を汲み取るように、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

 

「……了解です、景次様。影久サンに『遅い』って小言を言われる前に、さっさと迎えに行ってやろうじゃねぇか」

 

 

 

 

 

 

「扇一郎君、お願いします」

 

小声で囁かれた景次の合図とともに、扇一郎が長柄刀を構えた。

いつもなら轟々と周囲を焼き焦がすはずの彼の呪力は、今、刃の先端へと凝縮されている。火色は消え、ただ不気味なほどに白い光を湛えた熱。

 

「……白、頼むぞ」

 

景次が声をかけると、白が霧の中、何もない虚空へ向かって鼻を寄せ、一点を鋭く示した。

そこには目に見えるものは何もない。しかし、呪力の流れを嗅ぎ分ける白の鼻には、空間を横切る「不自然な淀み」が見えている。

 

扇一郎の刃が、その一点を撫でるように滑った。

ジュッ、という微かな蒸発音。

爆ぜることも、揺れることもなく、そこにあったはずの「不可視の横糸」が音もなく消滅する。

 

「……よし。行けます。僕についてきてください」

 

景次は、地面から伝わる兄上の刻みを意識の芯に置きながら、ゆっくりと足を動かした。

歩くのは、かつて来た道——『縦糸』にあたる参道の中心。

そこを少しでも外れれば、その瞬間に領域の主へと自分たちの存在が知れてしまう。

 

一歩踏み出すたびに、景次は耳の奥に響く震えを確かめる。

 

ドォン、

 

一拍、

 

ドォン。

 

変わらない。だが、その微かな震えが自分たちの足元に届くまでの「僅かな間」の変化から、確実に村へと近づいていることを景次は確信する。

 

景次が先頭で「震えの道筋」を読み、白が「罠の結節点」を暴き、扇一郎がそれを「消していく」。

二人と一匹にとって視界を覆う霧は、恐怖の対象ではなく、自分たちの接近を隠す覆いとなっていた。

 

物の怪の気配はない。

ただ、冷徹な糸の檻を、音もなく逆走していく。

 

不自然なほど静まり返った村。

景次たちは、かつて自分たちが通り過ぎた、あの荷車のあった場所へと辿り着いた。

 

見た目には、そこにはただ霧が漂っているだけだ。

だが景次の耳には、もはや地面を伝う震えではなく、空間そのものが軋むような、重い衝撃が響いている。

寺から西へ向かう「横糸」に触れて消えた兄上は、今、間違いなくこの巣の中心に囚われている。

 

(……ここだ。兄上は、ここにいる)

 

しかし、確信とともに足元を注視した景次の表情が、強張った。

正確無比だったリズムが、ふっと途切れる。数秒の空白の後、無理に引き絞り出したような、重く、どこか乱れた一撃が返ってきた。

 

「……音が、弱くなってます。それに、遅れてる」

 

景次の声に、隠しきれない動揺が混じる。

扇一郎もまた、白熱した刃を構えたまま、空間の一点を見据えて低く呟いた。

 

「……何かあったか。影久サン、ここにきて急に崩すなんてよっぽどだぞ」

 

寺の西で消えた兄上が、今この場所の内側で、何と向き合っているのか。

敵と交戦しているのか。それとも、内側から領域を叩くことすらままならないほど、何かに侵食されているのか。

 

 

ここまできてすぐ近くにあるはずの核が見つからない、あるはずなのにわからない。

 

 

景次の胸の奥で、先ほどまで「僕」を律していた冷静な理性が、激しい焦燥に塗り潰されていく。

 

(どこだ、振動が反響しすぎて出所がわからない……。兄上……!)

 

地面から伝わる震えは、もはや一本の線ではなかった。幾重にも重なり、反射し、歪み、増幅される。

まるで巨大な鐘の内側に閉じ込められたように、すべての方向から同じ音が返ってくる。

 

(違う……これじゃ特定できない……!)

 

正確に読み取れていたはずの振動が、ここに来て意味を失う。正しい方法が、通用しない。

 

(落ち着け……まだ絞れるはずだ)

 

思考を重ねるほど、音は遠ざかる。解析しようとするほど、輪郭が崩れる。

 

(……なんでだ)

 

焦燥が喉元までせり上がる。

 

(兄上は、確かにここにいるのに……!)

その時だった。

 

ふと、違和感が走る。

自分のすぐ横。本来なら、常に感じているはずの気配。

 

(……白?)

 

いつもなら、兄から預けられるときは。

次にどこへ行くか。どこを警戒するか。

命令しなくても、呼吸のように共有されているはずのそれが――

 

(……ブレてる?)

 

ほんの僅か。だが確かに。

白の意識が、自分から外れている。

 

(……なんで)

 

命令は出していない。状況は共有している。

 

なのに――

 

白は、別の何かを見ている。

 

 

――その時

 

景次の指示を待たず白が動いた。

 

かつて荷車が置かれていたはずの、何も存在しない虚空。そこに向かって、白は牙を剥き、その鋭い爪で空間を裂くように激しく掻きむしり始めた。

まるで、そこに見えない「膜」があることを知っているかのように。

 

「白……! そこなんだな?」

 

景次が呼びかけるのと同時に、扇一郎が溜め込んだ呪力を刃の先でさらに激しく発光させた。

内側で抗い続ける影久と、外側で牙を剥く景次たち。

 

領域の壁が、歪んだ空間の継ぎ目として、今、彼らの目の前に露わになろうとしていた。

 

景次は、白が掻きむしる虚空の直下、その地面に右手を強く押し当てた。

泥の冷たさはもう感じない。伝わってくるのは、内側に閉じ込められた兄の、消え入りそうでいて、しかし熾火(おきび)のように熱い意志だけだ。

 

(……来る)

 

一拍。

その静寂の終わりを、景次の指先が、誰よりも早く察知した。

内側で兄上が、最後の一撃のために拳を振り上げる。その予動が、空間の歪みとなって指先に吸い付いてくる。

 

「……次の一撃で、合わせます」

 

景次の声から「僕」という遠慮が消えた。

隣で扇一郎が、白熱する刃を限界まで引き絞る。白が、その喉の奥で空間を震わせるほどの唸りを上げる。

 

「……三、二、一……」

 

景次の脳裏に、影久の姿が浮かぶ。

暗闇の中、独り孤独に耐え、弟たちが来ることを信じて拳を構える兄の姿。

 

「今だッ!!」

 

景次の咆哮が、静まり返った村に爆ぜた。

同時に、扇一郎の長柄刀が、凝縮された熱のすべてを一点に叩き込む。白の爪が、空間の継ぎ目を物理的に引き裂いた。

 

――ガランッ!!

 

空間そのものが砕け散る、耳を刺すような音が響き渡る。

内側からの衝撃と、外側からの苛烈な打撃。二つの力が「境界」の一点で噛み合い、行き場を失った呪力が光の奔流となって溢れ出した。

 

その光の裂け目から、一人の男が弾け飛ぶように転がり出る。

 

「兄上っ!」

 

景次は反射的に駆け出し、泥にまみれて倒れ込もうとするその体を、力一杯に受け止めた。

腕の中に伝わってくるのは、ひどく冷え切った、しかし間違いなく生きている兄の体温。

 

「……あぁ。お前なら、気づいてくれると信じてたぜ」

 

掠れた、しかし確かな信頼が籠もった声。

影久は景次の肩にぐったりと体重を預けながらも、その瞳には不敵な光を失っていなかった。

 

「さすがは、俺の自慢の弟だ、……あと一匹な」

「……っ、はい……!」

 

景次は込み上げるものを堪えるように、兄の体を強く支え直した。

領域の一部を食い破られた蜘蛛が、その巨大な怒りを持って、再び周囲の霧を濃く、赤黒く染め始めていた。

 

「影久サン、生きてて何よりだ。……だが、感動の再会は後にしましょうや。主がお冠だ」

 

扇一郎が長柄刀を構え直し、霧の奥から這い出してくる巨大な異形を睨み据える。

 

影久は景次の肩を借りてよろりと立ち上がると、力が入らない右手を無理やり握り込み、短く息を吐いた。

 

「はぁークソ呪霊がよ、少しは休ませろってんだ」

 

影久の視線は、すでに霧の向こうで蠢く主の輪郭を捉えている。

景次もまた、隣に立つ兄の体温を背中に感じながら、静かに前を見据えた。

 

「兄上。ここからは、僕も行きます」

 

「……あぁ」

 

短く、重い応諾。

白が低く喉を鳴らし、扇一郎が静かに間を詰める。

 

霧が大きく裂けた。

そこから這い出してきたのは、おびただしい数の「眼」をぎらつかせた、巨大な蜘蛛の異形。

生得領域という隠れ家を失い、むき出しの殺意を晒した主が、八本の脚を震わせて地を蹴った。

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