戦国転生 4歳から始める十種影法術 作:匿名希望
呪霊がさらに呪力が激化すし、海底の闇が蠢き彌虚葛籠を押し潰そうとしてくる。必中を無効化されたことに焦れて、力任せになったか。
だが、遅い。
彌虚葛籠の印を解くと同時に、魂振りを行う。
天元の結界によるパッケージング――この国の呪術師が当然のように恩恵に預かり、同時に縛られている「世界の型」から、今の俺は完全に脱却している。
ゆえに、空間を分かつ外郭など必要としない。
「――神域顕現」
一歩、水徳の背を踏み締める。
「『布瑠部大潮(ふるべのおおしお)』」
世界が鳴動した。
呪霊の領域を閉じる結界の壁が、内側からではなく、世界そのものの変質によって跡形もなく融解していく。
外郭がないのではない。結界という概念そのものに干渉されず、影響を受けない。ただ、俺の足元を起点として、周囲の海そのものが、天元の結界外の理――「神威」よって塗り替えられていくのだ。
体中を巡る呪力が、急速に純度の高いエネルギーへと変質していく感覚。
どこまでも深く、どこまでも黒い。だが呪霊の生み出す泥のような闇とは違う。それは万物の命を育み、同時にすべてを呑み込む、原初の海の輝き。
呪霊が、言葉にならない恐怖の絶叫を上げた。
これは領域の上書きではない。依って立つ呪術のルールそのものが、この空間では意味をなさない。
どす黒い海底の景色が、端からサラサラと砂のように、あるいは水に溶けるインクのように分解されていく。
世界の前提を上書きされた呪霊の領域は、維持する形すら保てずに崩壊し、俺たちの身体は一気に現実の海へと弾き出された。
同時に、『神域顕現』を敢えて終了させる。
神威に満ちた海において、産まれ直した式神たち――それも十種神宝をベースとした顕現を行うこともできた、が。
試したいことがあるため、今回はゴリラ廻戦とさせていただく!
それは現時点で俺がどれだけ肉弾戦が行えるかだ。
(ゲプッ……)
思考の裏、領域の外で保険として待機させている魔虚羅の、気の抜けるようなゲップの音が頭に響いた。
「ぷっ」思わず笑ってしまう。
「よし、それじゃあ試させてもらうぞ」
――その僅か数十秒前。安宅船の甲板の上は、重苦しい絶望に支配されていた。
「おい、嘘だろ……領域……!」
呪術師の一人が、ガチガチと奥歯を鳴らしながら、海面を覆い尽くすどす黒い結界を見つめていた。
突如現れ、自分たちの窮地を救った『禪院』を名乗る術師。彼が海中へ問いかけた直後、凄まじい呪力の爆発とともに、あの漆黒の球体が世界を切り取ってしまったのだ。
呪術の極致、領域展開。
引きずり込まれたが最後、生得術式の必中効果によって、内部の人間は確実に屠られる。
「領域……」
「ここまでか……」
術師たちが天を仰ぎ、絶望に身をすくませた、まさにその時だった。
彼らが「ああ、終わった」と確信してからわずか。
「……な、んだ、これ……?」
術師の一人が、海面を指す。
異変は、呪霊が作り出した漆黒の球体から起きたのではない。安宅船を取り囲む、周囲の海一帯すべてから、領域の外郭など比較にならないほどどこまでも黒く輝く「何か」が、大潮のように湧き上がってきたのだ。
次の瞬間、誰もが我が目を疑った。
その未知の輝きに触れた瞬間、頑強であるはずの特級呪霊の領域が、まるで水に溶けるインクのように、あるいは波に洗われる砂の城のように、音もなくサラサラと分解されて消えていったのだ。
押し合いすら起こらず消滅していく。
その静かで、あまりにも圧倒的な異常光景に、船上の術師たちは言葉を失い、ただ硬直するしかなかった。
完全に領域が霧散し、海面へと弾き出される二つの影。
ずるりと現れたのは、悍ましき呪いの具現だった。
腐り落ち、ドロドロに溶けかかった無数の幼子の手が、黒い泥のような質量とぐちゃぐちゃに絡み合い、巨大な球体を形成している。その異形の中心に、裂けたような大口がぽっかりと開いた、悪夢のような特級呪霊。
そして——。
「よし、それじゃあ試させてもらうぞ」
水面を蹴り、禪院の男が一気に肉薄する。
甲板から見上げていた術師たちは、完全に硬直していた。領域を分解した男の異常さ。そして眼前に現れた特級呪霊の、あまりにも禍々しい姿。その二つに、思考ごと奪われていた。
しかし、戦いに見惚れる余裕すら、世界は与えなかった。
甲板のど真ん中から、影が噴き上がった。
「な、んだ、まさかまだ呪霊が――」
悲鳴を上げかけた術師たちは、影の中から現れた「それ」を見た瞬間、声を失った。
異形ではない。
影からずるりと現れたのは、十尺にも届こうかという巨大な白い狼。そしてその背に乗る、十歳ほどに見える美少年だった。この世のものとは思えないほど均整の取れた、頭上に奇怪な法陣を戴く――美少年。
神聖さと、肌を刺す呪力の「格」。それだけで、全員の思考が恐怖で塗り潰された。
美少年――魔虚羅は、海上の戦いを一瞥もしない。ただ、白く細い手を、自身の足元の影へと無造作に突き入れた。
次の瞬間。巨大な翼と禍々しい大蛇の尾を併せ持つ、見たこともない怪鳥が影から躍り出た。
「鵺」と「大蛇」――本来なら術師の明確な意思と呪力によって成されるはずの拡張術式・嵌合獣を、魔虚羅が影久に代わって、生み出したのだ。
「ヒッ、あ、あああ……!」
腰を抜かす術師たちを、合成式神の巨大な鉤爪が衣服ごと掴み上げる。凄まじい羽ばたきとともに、甲板の人間全員を乗せたまま崖上へと一気に飛び上がった。
安全圏に放り出され、パニックのまま下界を見下ろす術師たちの目に映ったのは――甲板から人が消えたのを確認し、ふっと満足そうに微笑みながら、静かに影の中へと溶けていく美少年の姿だった。
邪魔者が消えた。現実の海面に残されたのは、男と怪物だけ。
大格闘の幕が、いよいよ上がった。
呪霊の巨大な口腔から絶叫が迸った。球体を埋め尽くす無数の腐った手が、津波のような質量で一斉に押し寄せてくる。
一歩も引かない。水面を爆ぜさせ、真っ向から踏み込む。
最前列の手の群れを左の裏拳で薙ぎ払う。肉が爆ぜ、骨が砕ける感触が拳を突き抜けた。呪霊の纏う呪力が磁石のように剥がれ影へと落ちる。間を置かず、さらに肉薄。
「ギチ、ギチチチッ!」
溶けかかった指先が蛇のように伸び、全身を絡め取ろうとする。呪力を掠らせ相手を削りながら、最小限のステップと上体の揺さぶりだけで、すべてを紙一重にかわす。掠った水面が呪霊の毒気でじゅうと蒸発していくが、肌には一切触れさせない。
空振った指の隙間を縫い、巨大な大口の真正面へ踏み込んだ。
「オ”、ア”――」
危機を察した呪霊が口を大きく開く。内部から凝縮されたどす黒い呪力が、至近距離で噴射されようとした――その刹那、右ストレートが上顎へと突き刺さる。
海面が丸く抉れた。衝撃波が大気を裂き、呪霊が歪にへこんだ。その呪力を絡め取り引き戻そうとすると、自ら一部を引きちぎり繋がりが断たれた。巨体か後方へと吹き飛んでいく。
やるね、でも逃がさない。
足元の影を瞬時に伸ばし、吹き飛ぶ「体」へと黒い茨のように巻きつかせる。そのまま力任せに引き戻した。
宙に浮いた無防備な胴体へ、左、右、左と連撃を叩き込む。打撃が炸裂するたびに衝撃が呪霊の内側を突き抜け、背後から黒い体液と千切れた手が扇状に撒き散らされるそれを回収する。
呪力を右足の踵へ。身体を極限まで捻り、球体のど真ん中へ回し蹴りが突き刺さる、その瞬間呪霊が膨れ上がった、しかし蹴った感触が妙に軽い。
どうやら膨れたのは目眩しで薄皮一枚を本体から剥がしたものだったらしい。
「海中に逃げられたか……」
水中に入り込まれれば水徳も意味をなさない。肉弾戦の一撃は水の抵抗で威力が激減する。ホームグラウンドに引きこもることで、体勢を立て直そうってわけだ。
海の底から、現実の空間ごと震わせるような呪力の膨張が始まった。
海面がみるみる黒く染まっていく。腐肉と血の混じったどす黒い呪力が、水面を覆い尽くす。
自分の有利を確信したのだろう、下層から無数の巨大な腐手の触手が一斉に飛び出してきた。
凄まじい水圧を伴い、全方位から引きずり込もうとしてくる。
「——めんどうだな」
水面を蹴り、大きく退避する。
水中の敵をどう引きずり出すか。あるいは、どう仕留めるか。
「今度は影での戦いと行きますか!」
海面を覆った影の質量を操作し、一気に自重で沈み込ませる。影は質量を持たない。だからこそ数十メートルの海水の抵抗を一切受けず、すり抜けるようにして一瞬で海底へと到達する。
「――捕まえたぞ」
海底で安堵していた呪霊の真下。そこへ滑り込ませた影を「8層」分重ね合わせ、超高強度の投網へと変貌させた。網の目が呪霊の巨体を包み込む。
大きな泡が海上へ上がってきた。
自分の下から現れた黒い網に絡め取られ、逃げ場を失った呪霊が狂乱の声を上げたのだろう。
水の中に隠れた程度で、逃げ切れると思うなよ。
「ここがお前の墓場だ。――上がってこい!」
水面を踏み締め、水底から呪霊の巨体を力任せ引き上げ、物理的に水上へと引きずり戻した。
海中から巨大な水柱とともに、影の網に囚われた特級呪霊の巨体が上方へと弾き出される。水というアドバンテージを完全に剥ぎ取られ、現実の太陽の下に晒された。
宙に放り出される呪霊の姿を、捉える。
「かくれんぼの時間は終わりだ。ゴリラ廻戦、再開といこうか」
無防備な懐へと、再び弾丸のように肉薄した。
その瞬間、呪霊の全身から霧が爆発的に噴き出した。
瞬く間に周囲一帯が、一寸先も見えない濃霧に包まれる。気配を隠し、海中へ逃げ延びようという本能的な悪あがきだろう。タコみたいなやつだな。
霧の中で、俺は小さく口元を歪めた。
「そりゃ、悪手だな」
影操作による索敵範囲がある。海面を覆う影の領域を大きく広げた、海面に触れているならどこに逃げようと手に取るように分かる。
それだけじゃない。
海面上に漂うこの濃霧――その無数の微細な粒子のひとつひとつに、影が光の遮蔽となって綺麗に落ちていた。
これ、影を纏えば空中だろうが何だろうが、すべて確固たる足場にできるじゃん。
「らぁッ!」
霧の粒子に落ちた影を踏み締め、宙へ飛ぶ。そこから重力を無視した、自在な空中機動へと遷移した。
縦横無尽。三次元のあらゆる点が足場になる。
空気を切り裂く一撃とともに、逃げようとしていた呪霊の死角へ一瞬で回り込んだ。
驚愕に大口を歪める呪霊へ一撃を叩き込む。吹き飛ぶ先へ、霧の足場を蹴ってさらに先回り。左、右、上から下へ。視界の効かない霧の中で、音を置き去りにした超高速のワンサイドゲームが始まった。
打撃が炸裂するたびに、無数の幼子の手が弾け飛び、黒い腐肉が霧散していく。どこへ逃げようと、どれだけ霧を濃くしようと、影の檻からは絶対に逃れられない。
「よし、実験終了。――結構いけるね」
十分に確かめ終えた俺は、空中で動きを止め、自身の影へと手を伸ばした。
「――『円鹿』」
呼び声に応えた円鹿の角から溢れ出すのは、呪霊にとっての絶対的な猛毒――反転術式による純粋な「正のエネルギー」だ。
「おオッぉぉィィイイああ、あああ、あアアアアアッッ!!」
清浄な光に触れた瞬間、特級呪霊の巨体が内側から沸騰するようにして崩壊を始めた。呪力による再生すら許さない、絶対的な消滅のエネルギー。
光が霧を払い、海を照らし出す。無数の手が光の粒子となって、現実の世界から掻き消えていった。
静まり返った海面の上で、手をにぎにぎとしてみる。
「うん、なかなかいいんじゃないか」
「はい、治療終わり」
言葉とともに、円鹿がふっと淡い光となって影の中へ溶けた。
俺の前に呪霊と死闘を繰り広げていた術師たちが、座り込んでいる。毒気による侵蝕も、骨折も、衰弱も――すべてが嘘のように消え去っている。
円鹿やっぱすげえよな、「全部あの人でいいんじゃないですか」感ある。
そろそろ京へ向かうか、と踵を返しかけたとき、一人の術師が居住まいを正してこちらへ向き直った。
「……禪院の影久殿、とお見受けする」
問いではなく、確認の言葉だった。
「おっ、もしかして弟から?結構広まってるのか、俺の話」
肯じると、術師は隣の仲間と静かに目を見交わした。十種影法術の本物を前にして本人照合と言ったところなのだろう。
まあもう十種影法術じゃないんだけど。
「これから京へ帰るところでね」
術師はすっと一歩前へ出て、深く頭を垂れた。
「此度の御祓い、見事にございました。……ついては、我が主に目通り願えませぬか」
お偉いさんかぁ。どのくらいの相手が出てくるかわからんし、めんどくさいなあ。
とはいえ、頭を垂れる術師たちの切迫した様子を見るに、このまま踵を返すのも座りが悪い。大名の膝元で大立ち回りをした術師が現れた、そりゃあ上へ報告を上げねば立場がないという事情はわかる。
「会うのは構わない。急いでるわけではないし。その代わり、一つ頼まれてほしいんだけど」
一歩踏み出し、困り顔の術師たちへ向き直る。
「禪院家へ文を出してくれないか。上杉領内にいて、もうすぐ家に帰る――それだけでいい」
「京の、禪院家へ……、承知いたしました。早馬を手配しましょう」
「よろしく。じゃあ、案内を頼むよ」
術師たちは小さく息を吐き、歩き始めた。その背を追うように、こちらも歩を進める。