戦国転生 4歳から始める十種影法術   作:匿名希望

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第三十八話 無下限呪術

その日、禪院家の評議の間は、独特の熱気に包まれていた。

上座に据えられた文机の後ろで、実務のほぼ全てを取り仕切る次期当主・禪院景次が、居並ぶ親族たちを見渡す。

 

「——以上が、兄上に関する現時点での報告です」

 

景次の凛とした声が広間に響く。

 

「およそ四年半前、兄上がその全力を以て封印した特級呪霊。それを真に祓うための力を培う旅も、まもなく終わります。旅先での十種影法術の進境など、詳細については戻られた兄上から直にお話ししてくださるでしょう」

 

その言葉を合図に、大所帯の評議は解散となった。

一同が部屋を退出した途端、廊下の向こうから一気に騒がしい歓声が湧き上がる。

若い衆が、影久の帰還が確実になったと知って大盛り上がりしているのだ。

彼らは「躯」と呼ばれる部隊の面々——かつて影久自身が、男尊女卑の風潮や戦闘力のみを重視する旧弊な家風を嫌い、自ら組織した家事部隊である。家中の雑務一切を完璧にこなす彼らにとって、影久は絶対的な恩人だった。

 

しかし、廊下の喧騒を余所に、評議の間に残った長老衆の表情は硬い。禪院家において影久を慕うのは若い世代と一部の柔軟な者たちに限られており、旧態依然とした既得権益を守ろうとする保守派の重鎮たちからは、影久は家中の秩序を乱す異分子として強く警戒されていた。

 

人払いが済み、静まり返った広間に残ったのは景次、躯統括の禪院源蔵、そして炳筆頭の禪院扇一郎の三人。

 

「どうにも躯が騒がしくて申し訳ありませぬ」

 

「それだけ兄上が慕われているということ。弟として誇らしいよ」

 

源蔵が頭を掻きながら苦笑する。その言葉を受け、景次は声を落として本題を切り出した。

 

「さて、これより先は人目を忍ぶ話です。少し前に、兄上に同行していた鹿紫雲一が、一人でここへ戻ってきました」

 

景次は二人の顔を見据え、鹿紫雲の言葉をそのまま告げた。

 

「鹿紫雲曰く——『呪力強化のみでの殴り合いで、自身と対等に近い状態まで育った。あと少し研鑽を積めば、殺し合いで俺と完全に等しく戦えるようになる。俺の役目は終わった』とのことです」

 

その言葉に、源蔵が驚きに目を見開く。しかし腕を組んだままの扇一郎は、腑に落ちないといった様子で眉をひそめた。

 

「……四年前、直に鹿紫雲の旦那と話しましたが、あの人は相当な術師ですよ。しかも戦闘狂、そこまで強くなった影久サンを放って離れるなんて、にわかには信じられませんね。普通ならその場で殺し合いをしてから離れそうなもんですが」

 

鋭い指摘だった。その違和感を受け止めるように、景次は小さく息を吐く。

 

「その通りです。……兄上がまもなく戻られるからこそ、お二人にだけは真実を話しておかなければなりません」

 

景次はさらに声を潜め、これまで秘匿し続けてきた、この旅の前提を覆す事実を口にした。

 

「実は、四年半前の特級との戦いで、兄上の『十種影法術』は失われました。この旅はそれを隠すため——そして、取り戻すために旅立ったものです」

 

「……な、んですと?」

 

源蔵の口から、掠れた声が漏れた。

 

相伝の術式である『十種影法術』の喪失。それが事実なら、禪院家にとって——いや、呪術界全体にとって天地がひっくり返るほどの凶報だ。術師から術式を奪われることがどれほどの絶望か、二人は痛いほど理解していた。

しかし、驚愕に目を見開く源蔵の横で、扇一郎は別の事実に気づき、総毛立つものを感じていた。

 

「待ってください、景次様。ってことはですよ?……影久サンは術式なし、呪力強化のみの殴り合いで、あの鹿紫雲の旦那と対等に渡り合えるところまでいったってことですか……?」

 

扇一郎の震える声に、景次は静かに頷いた。

術式という最大の武器を失いながらも、影久は立ち止まらなかった。

それどころか、呪力操作と体術のみを極限まで研ぎ澄まし、歴史にその名すら刻まれることなく——しかし戦国から江戸、その時代において紛れもなく最強であり続けた男に、「役目は終わった」と言わしめるほどの域へと至ったのだ。

 

「化け物、なんて生易しいもんじゃねぇ……」

 

扇一郎が戦慄混じりに呟く。

 

「鹿紫雲一殿というのは、それほどの御仁だったのか?」

 

源蔵が思わずといったふうに尋ねる。

 

「少なくとも、影久サンが旅立ったあの日——鹿紫雲の旦那が本気を出していたなら、禪院家は全滅していたと思って間違いないっす。影久サンはそんな男と、術式なしで対等になったってことですよ」

 

「……なんという」

 

術式を取り戻せたかどうかは、まだ分からない。だがそれ以上の存在となって、影久はまもなくこの家へ帰ってくる。三人は、若きカリスマの帰還を前に、改めて深く息を呑んだ。

 

 

 

舞台は京の入り口、逢坂の関の手前へと移る。

 

旅の終着点を目前にした街道の真ん中に、不釣り合いな影が一つ、ぽつんと立ちはだかっていた。

白い髪に、どこか傲岸不遜な気配を纏った八歳の童。五条家の護衛を鮮やかに巻き、「噂の禪院の神童」を品定めしにやってきた現代の『六眼』——五条遥(はるか)であった。

遥は近づいてくる影久を見据え、いつものように相手の術式と呪力の流れを読み切ってやろうと、その双眸を全開にする。

 

影久の傍らには、十歳ほどの童がもう一人いた。何故か足元に伸びる影の中へ手をつっこんだかと思うと、どこから取り出したのか干し柿を一掴み引っ張り出し、涼しい顔でかじり始めている。

 

「……お前、それどこから出した」

 

「かじかじ」

 

「聞いてるか」

 

影久の呆れ混じりの問いかけを、干し柿に夢中な童は完全に聞き流した。返ってくるのは咀嚼の音のみである。

何者だと訝しんだ遥が六眼を向けると、そちらはそちらで、世界の理に収まらぬ異様な気配をその小さな体から滲ませていた。

 

しかし、少年の世界が本当に一変したのは、改めて影久へと視線を戻した次の瞬間だった。

六眼が捉えたのは、天元の結界の枠組みに収まらぬ、呪力になる前の純粋な力の奔流。

あるいは、傍らの童——魔虚羅を介して無理やり呪力へと変換された、歪で不格好なままの莫大な力の濁流だった。

 

「……は? 何それ、意味わかんない」

 

世界の全てを見通せるはずの六眼。その至高の眼が「見えているのに、世界の理に存在しないから何と定義すればいいか分からない」という未知の事態に直面した。

思考の処理が完全に追いつかなくなり、遥は生まれて初めて、その場で頭の中が空白になった。

 

干し柿をかじる音だけが、のどかに響いている。

理の外からやってくる恐怖。そして同時に、それを遥かに上回る異常なほどの知的な飢えが、八歳の脳髄を激しく揺るがしていた。

 

「……おい、大丈夫か?」

 

不意に上から降ってきた声に、遥の視界の端で干し柿をかじる音が、ぴたりと止まった。

我に返った遥は、大きく一歩跳び退がりながら、目の前の男——禪院影久を激しく睨みつける。驚愕のあまり完全に思考が白飛びしていたという恥じるべき事実を、八歳児なりの傲慢さと生意気さで必死に覆い隠すように、早口でまくしたてた。

 

「な、何それ! お前それどうなってんの!? なんで見えてるのに僕の頭で形にならないわけ!? 意味わかんない! お前本当に禪院の神童なの? 呪術師ですらない別の何かじゃないの!?」

 

向けられる言葉は傲然としているが、生まれて初めて自分の六眼を裏切り、世界の理を逸脱してみせた存在を前にして、遥の脳髄は恐怖を塗りつぶすほどの興奮で沸き立っていた。

さらに、遥は隣の童にも鋭い視線を突きつける。

 

「そっちのチビもだ! お前、どうしてそんな歪な変換をしてるの!? 僕の眼が間違ってるはずないのに、お前ら二人とも世界のどこにも載ってない!」

 

「いやチビって、お前のがチビじゃん」

 

「なぁ」

 

影久が隣の童へと目を向けた、その瞬間だった。

 

「チ、チビって言うな!!」

 

顔を真っ赤にした遥が叫ぶと同時に、街道の空気が爆ぜた。

八歳にして無下限呪術を操る神童は、六眼を輝かせ、空間を収束させ、並の術師なら一撃で肉塊に変える質量を拳に纏って影久へと突進する。

しかし、影久の身体は幽霊のように揺らぎ、その猛撃を紙一重で躱してみせた。

 

「くそっ、なんで当たんないの!?」

 

遥がさらに躍起になり、空間の引き寄せを絡めた連続体術を繰り出す。最初の数手は確かに通じていた。空間ごと引き寄せる動きに、影久の重心がわずかにぶれる。六眼がその乱れを捉え、遥は確信とともに拳を叩き込んだ。

 

——が、触れない。

 

ぶれたはずの重心は既になく、影久の体は一瞬前とは全く異なる間合いに収まっていた。対応が速すぎる。それも、洗練された回避ではない。初めて喰らう動きに対して、その場で強引に帳尻を合わせているような、荒削りで泥臭い対応だった。

 

 

それでも、届かない。

 

 

六眼でいくら軌道を先読みしても、次の一手を変えるたびに、影久はぎりぎりのところで食らいついてくる。

まるで遥が手札を切るたびに、その札ごと吸い取られているかのようだった。

まだ完全に対応できているわけではない。

随所に綻びはある。なのに、決定打だけが、寸のところで掠りもしない。

遥からすれば、屈辱的なほど「吸われている」感覚だった。

 

そして、それ以上に不気味なのが——傍らで干し柿をかじり続けている童だった。

戦闘が始まってからというもの、童はその場を動こうとしない。

ただ、奇妙な眼で遥の無下限の光をじっと、じっと見つめている。

 

咀嚼の音だけが淡々と続いていた。六眼を向けるたびに感じる、世界の理に載らない歪な気配。見えているのに定義できない。

その童の眼が自分の術式をなぞるたびに、遥は背筋に粘つくような悪寒を覚えた。

あの童は、笑っているのか。それとも、ただ食べているだけなのか。表情は読めない。読めないのに、視線だけが剥がれない。

 

どれだけ手数を繰り出しても、影久の底は全く見えない。遥はハアハアと息を荒くしながら、自分の全てが、二人がかりで静かに、丁寧に、解体されていくような戦慄に囚われ始めていた。

 

「遥様ーーっ!!」

 

割って入ったのは、血相を変えた五条家の護衛たちだった。

最悪の衝突を警戒し、必死の形相で身構える彼らを余所に、影久はすっと構えを解き、爽やかな満面の笑みを浮かべた。

そして一歩下がり、これ以上ないほどの賛辞を遥へと贈り始める。

 

「いや見事だ、本当に素晴らしい才能だ。五条家の未来は明るいな。家同士、色々ときな臭い噂もあるが、これほどの神童がいるなら実に心強い。……共に、日の本を守ろうじゃないか」

 

完璧に整えられた、非の打ち所のない言葉だった。

 

しかし遥には、それが何よりも腹立たしかった。命懸けで全力をぶつけた相手に、大人が子供をあやすような笑顔と綺麗な言葉で丸め込まれた。

プライドをズタズタにされた遥は、顔を真っ赤にして声を荒げる。

 

「な、何その上から目線! ふざけんな、僕は本気でお前をっ……!」

 

「魔虚羅、そろそろ京が近いから、一旦影に入ってくれ」

 

イライラを爆発させてわめく遥を完全に置き去りにしたまま、影久は干し柿を食べ終えた童を影へと収める。

そのまま背を向け、遥の呪詛じみた怒声を背中に浴びながら、禪院の神童は堂々と京の都へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

(いやー! どうなることかと思ったが、めちゃくちゃ美味しい経験を得たぞ!!!)

 

護衛たちに囲まれて未だにギャーギャーと喚いている五条遥の声を背中に聞きながら、俺は内心で派手にガッツポーズを繰り出していた。

まさか京の入り口というこのタイミングで、五条家の六眼——それも無下限呪術持ちの現物と遭遇できるとは、幸運以外の何物でもない。

あまりの僥倖に、今すぐ道端で一踊りしたい気分だった。

 

もちろん、八歳の子供が放つ無下限だ。

出力も技術も未完成で、今すぐ成熟した五条家当主クラスに対して有利が取れるわけではない。

だが、それでいい。いや、それがいいのだ。

 

今回、俺の隣で大人しく干し柿をかじっていた魔虚羅が行っていたのは、言わば『無下限呪術への、極めて効果の薄い予防接種』とでも言うべきものだ。

 

未完成の無下限——毒性を限りなく薄めた情報を魔虚羅の裡に刻み込んでおく。

将来あの子供が成長し、完成された無下限を引っ提げて俺の前に立ちはだかったその時、魔虚羅の適応の速度は爆発的に跳ね上がる。

 

その礎を、今ここで築くことができた。

 

「……ん」

 

不意に、俺の影から小さな手が伸びてきて、服の裾をきゅっと引っ張られた。

見れば、影の中に半分沈んだ魔虚羅が、空になった両手をこちらへ差し出してじっと見上げている。

お前めちゃくちゃ食うじゃん。

 

「もう干し柿はないぞ」

 

そう答えながら、俺は少しだけ頭を悩ませた。

久々の実家帰りだ。何か手頃なものでも買って帰るか——などと考えながら逢坂の関を越え、京の都へと足を踏み入れた。

 

街道から一変して、活気に満ち溢れた街並みが広がる。

行き交う人々、並び立つ店。その喧騒に耳を傾けていると、ふと近くを歩く町人たちの弾んだ声が聞こえてきた。

 

「聞いたか? 北野のあそこで売っとる長五郎餅ってやつ、もう食べたか?」

「あぁ、今、京中でえらい評判らしいなぁ」

 

(ほう、長五郎餅、ねぇ……)

 

耳に飛び込んできた噂話に、俺は内心でこれだ、と膝を打った。

 

「今の聞こえたか? 実家に戻る前に寄って行こう、みんなも食うだろ」

 

影に向かって小さく声をかけると、服の裾を引いていた手が満足したように離れ、するりと影の底へと消えていった。

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