戦国転生 4歳から始める十種影法術 作:匿名希望
二話同時こっちが先です、
投稿順44と45話で間違えてしまったすみません。
▫️羂索
天正十一年、秋。(一五八三年)
球磨川沿いの街道は、山から下りてきた風が冷たかった。
羂索は川べりの岩に腰を下ろし、水面をぼんやりと眺めていた。先ほどまでそこにいた鹿紫雲一の気配は、もう街道の先へ消えている。
「いやあ、思ったより素直だったね」
そう独りごちて、口角を上げる。
先に決着をつけたい相手がいる、と鹿紫雲は言った。影久のことだろう。
死に場所を探していたはずの術師が、あの少年と旅をするうちに何かが変わっている。羂索にはそれが少し意外だった。
(未練を残したまま呪物化はできない。そういうことかな)
まあ、悪くない。影久との決着がつくまで鹿紫雲は生き延びる。その先のことは、その時に考えればいい。時間はいくらでもある。
「京の仕込みも順調だしね」
変質しつつある実験体たちの様子が、遠くからでも手に取るようにわかる。あと数年もすれば、面白いデータが揃うだろう。
「しばらくは見物といこうか」
川面に映る自分の顔を一瞥して、羂索は立ち上がった。その姿は冷ややかな川風に溶けるようにして、街道の人混みへと消えていった。
天正十五年、晩秋。(一五八七年)
編笠の僧が一人、逢坂の関を歩く。
禪院影久が蝦夷から戻ってきた。どんな旅をしてきたのかは知らない。
重要なのは今、禪院影久という少年が青年となり、そして「何者」になっているか。
その彼が進む街道の向こう、白い髪の小さな影——五条遥が仁王立ちしている。
今代の六眼と無下限の抱き合わせ。
その遥が、影久に向かい飛びかかって行った。
羂索は気付かれない距離で足を止めた。
影久は式神を連れていた。だがその式神を使わない。
そのほかの式神も出すこともしない。
素の体術と呪力だけで遥をあしらっている。
しかも本気を出しているようには見えない。
六眼を持つ相手にそれができるということは、出し惜しんでいるのではなく、本当にそれだけの余裕があるということだ。
(……あの式神)
そして傍らにいる式神。
あれが十種影法術最強の式神、魔虚羅のはずだ。
禪院影久がそう呼んでいたからだ。
だが羂索の知る魔虚羅とは全く違う。
白髪の童の姿などしていなかったはずだ。
しかも干し柿をかじっている。
(あれは一体、何をしたんだい)
突発的な二人の戦闘は終わりを迎える。
終始劣勢だった五条遥。その目が負けを認めたくない。
こいつに勝って己を認めさせてやりたい。
そんな目をしていた。
(まずいね、これは)
六眼と、異常な十種影法術の影久が組むかもしれない。
羂索のやり口を看破する方向に、あの二つは補い合う可能性がある。
京の仕込みなど、あっさり暴かれかねない。
「……参ったね」
編笠の縁を指先でなぞりながら、羂索は小さく息をついた。
「あの子は面白いと思っていたけど、よりによって六眼と親しくなりそうじゃあないか。これは近づくべきじゃないか」
時間はある。やりたいことはやった。京から離れる潮時だ。
羂索の姿は、晩秋の雑踏の中へと静かに溶けていった。
天正十八年、初夏。(一五九〇年)
京を離れてから三年が経っていた。
羂索は東海道沿いの宿場町の片隅で、行商人に紛れて茶を啜っていた。
京で仕込んだ実験の成果は十分に得られた。非術師を変質させて術師を作れるか、あるいは呪霊化させられるか。
答えは出た。
影久が呪力だまりを削ってきたのは予想外だったが、本質には関係ない。
問題は別のところにあった。
五条遥。影久との手合わせを重ねるたびに、別人のように変わっているという話が各地の術師から入ってくる。
(どのくらい伸びているんだろうね)
羂索は茶を一口啜った。
(まあ、まだ焦る段階でもないか)
「のんびりいこうかね」
宿場の喧騒が、羂索の独り言をかき消した。
文禄元年、秋。(一五九二年)
各地を転々としながら、羂索は五条遥の話を集め続けていた。
影久との手合わせを重ねるたびに、遥の無下限が変わっているという。
蒼の使い方だけでも、出会った頃とは別物になっているらしい。術師としての地力も、六眼の精度も。
(影久との手合わせが、あの子の天井を引き上げているわけだ)
羂索は夜風の中で目を細めた。
遥が強くなること自体は、どうでもいい。
この時代に遥が何をしようと、羂索の計画の本番はまだ数百年先だ。
問題はそこではない。
遥が積み上げたものは、五条家に残る。
技術として、
記録として、
あるいは血の中、その因果に刻まれた何かとして。
数百年後に生まれてくる六眼持ちは、その蓄積の上に立つ。
例えば、遥が影久との手合わせを通じて、極ノ番の先まで押し上げられたとして。
それが、五条家の土台として残ったとしたら。
(その上に生まれてくる六眼は、一体どこまで届くんだろうね)
羂索は少し黙った。
「……参ったね」
今度は、晩秋の京で呟いた時とは違う温度だった。
慶長元年、冬。(一五九六年)
旅の僧が一人、山道を歩いていた。
五条遥の話は、もう集めるまでもなく耳に入ってくるようになっていた。
京でも、東海道沿いでも、術師たちが遥の名を口にする。
強くなっている、という話ではない。別次元に入ったという話だ。
羂索は足を止めた。
(赫、か)
反転術式を習得したらしい。
影久との手合わせの中で、引き出されたという話だった。
蒼と赫、その先に何があるか。羂索は五百年以上を生きてきた。知っている。
茈だ。
そしてその先に、極ノ番がある。
(影久という奴は、一体何をしているんだろうね)
殺すつもりもなく、支配するつもりもなく、ただ手合わせを重ねながら、あの子の天井を引き上げ続けている。
無自覚なのか、それとも意図してやっているのか。
どちらにしても、羂索には始末が悪かった。
天元と星漿体の同化を阻止する障害が大きくなりすぎる。
ただでさえ細い糸の計画が、根本から狂う。
「……これは、さすがにまずいね」
飄々とした口調の奥に、珍しく重いものが滲んだ。羂索は編笠の縁を指先でなぞりながら、静かに結論を出した。
影久をこのまま生かしておくわけにはいかない。
ただし直接手を下すのは論外だ。
六眼と組んでいる以上、自分が動けば看破される可能性がある。
(鹿紫雲に、御前試合で決着をつけてもらうとしようか)
御前試合。術師たちの晴れ舞台。あの場に仕込みを入れれば、誰も羂索の影を疑わない。
鹿紫雲と影久が全力でぶつかった直後、消耗しきったところを狙う。
審判役に、京の実験体を一人潜り込ませておけばいい。
羂索は自分の手を眺めた。僧の手だ。御前試合の場に入り込むには、少し不都合がある。
「さて、そろそろ動くとしようか」
山道の先、冬枯れた木々の向こうに街の灯りが見えた。羂索の姿は、冷たい夜風の中へと静かに溶けていった。