戦国転生 4歳から始める十種影法術 作:匿名希望
こっちは後です。
投稿順44と45話で間違えてしまったすみません。
今はあってます。
▫️鹿紫雲一
天正十一年(一五八三年)秋。
「だれだお前」
「やぁ鹿紫雲一、やっと会えたよ」
茂みの縁に腰を下ろしたのは、一人の僧衣の男だった。墨染めの衣は旅埃に汚れ、托鉢笠を膝に置く仕草はあまりに慣れたものだ。
だが、その呪力は坊主のそれではない。
深く、古く、強さを感じない。しかし、底が見えない。
鹿紫雲は答えない。ただ静かに男を観る。
「君の警戒はもっともだ。だからまず縛りを結ぼう」
男が続ける。
「私はこれから君に取引を持ちかける。そしてこの取引において、嘘はつかない――これは縛りだ」
男が呪力で自らに枷を嵌めた。
鹿紫雲は黙って確かめる。縛りは本物だ。これだけの密度で結べば、虚言一つが命取りになる。
「……続けろ」
「私は六百年生きている術師だ。あの宿儺も呪物にした。そして今、君に同じことを頼みたいと思っている」
男の口調は軽いが、目は笑っていない。
「君のことは、しばらく見ていた。この時代で、君を満たせる相手はもういないだろう。どうだい」
鹿紫雲は答えない。否定もしない。
「未来には、まだ見ていない高みがある。術師というものが、どこまで到達できるのか。私はそれを見たい。そのための旅に、君を誘いたい」
「……呪物になれということか」
「そう。眠って、未来で目覚める。その頃には、今とは比べ物にならない術師がいる。宿儺を筆頭にね」
鹿紫雲はしばらく黙っていた。話の筋は通っている。縛りがある以上、これは事実だ。魅力がないとは言わない。だが。
「現世に、片をつけたい相手がいる」
男の目が、わずかに動く。
「そいつと満足に戦わずに眠るのは未練になる。未練を残したまま呪物にはなれん」
「ほう」
羂索は少し間を置いた。
「禪院影久かな。そこまで固執しているとは、思わなかったよ」
「固執ではない」
鹿紫雲は静かに言う。
「あいつと満足いく戦いをするために反転を教えろ。戦いが終わったら呪物にでもなんでもなってやる」
天正十四年(一五八六年)冬。
夜が明ける直前の河原。影久の右拳が、鹿紫雲の頬を掠めた。
皮膚が裂け、血が散る。その軌跡を目で追いながら、鹿紫雲は構えを解いた。
「……合格だ」
肩で息をしながら、頬の血を拭う。
影久も息を乱していた。互いに、限界近くまで削り合った証だ。
約束を、果たした。
旅に出る前、景次の前で言った言葉が浮かぶ。術式なしで、この男と殴り合えるところまで鍛える。それだけのことだった。
それだけのことが、四年近くかかった。
(まだ足りん)
本音はそうだ。だが、約束は果たした。それでいい。
思えば阿蘇の火口を離れる時、すでに見えていた。影久が「北に行くぜ」と言った時、鹿紫雲は即答しなかった。
「北、ね。いいんじゃねえか」
それだけ返した。醒めて聞こえたかもしれない。だが違う。蝦夷に渡れば術式を取り戻す。そうなればこの旅は終わる。ただ、それが見えていただけだ。
翌朝、桟橋へと続く石畳の上で足を止めた。
影久が振り返る。
「そうか」
驚いた様子はなかった。昨夜の手合わせで、なんとなく分かっていたのだろう。
「ありがとな」
その言葉に、鹿紫雲は答えなかった。
「……じゃあな、なかなか楽しめたぜ」
背を向ける。影久の声が後ろから届いた。
「……またいつか会おう、鹿紫雲」
返事はしなかった。
石畳を踏みしめ、歩き出す。
潮騒が、遠ざかる足音を包んでいった。
天正十五年(一五八七年)より……
最初に反転の骨格を聞いた時、鹿紫雲は笑った。
呪力を正に転じる。
負の産物である呪力を、その根本から反転させる。
理屈としては単純だ。
聞いた瞬間に見えたのは賤ヶ岳での共闘だった。
影久の式神が外から補ったあの感触。
崩壊しながら出力を上げる幻獣琥珀を、外部から再構築し続けることで成立した均衡。
あの時、鹿紫雲の肉体は壊れながら戦っていたのではない。
壊れながら、同時に戻り続けていたのだ。
(内側から、同じことができる)
確信。
電気は生命現象だ。神経を走り、心臓を動かし、細胞を駆動する。
幻獣琥珀が肉体を雷へ変える術式なら、その反転は雷を肉体へ戻すことになる。
崩壊と再構築を、同時に自分の内側で回し続ける。それが限定開放の正体だと、理屈より先に身体が理解した。
だが。
(わかることと、できることは別だ)
最初の試みは、話にならなかった。
幻獣琥珀をわずかに起動した瞬間、崩壊が始まる。そこへ反転を重ねようとすると、二つの呪力が噛み合わずに弾け飛ぶ。
順転と反転は、同じ術師の中で同時に成立しない。それが呪術の理だ。
何度やっても同じだった。
崩壊が始まれば反転が間に合わない。反転を先に立ち上げれば順転が潰れる。
二つの流れを同時に走らせる回路が、自分の中にまだない。
季節が変わり、また変わった。
転機は、些細なことだった。
嵐の夜、落雷を全身で受けた時のことだ。
外から叩き込まれた電気が肉体を走り抜ける感触の中に、一瞬だけ、崩壊と再構築が同時に起きる瞬間があった。
(これだ)
外から来る電気と、内側から起きる崩壊は、同じ流れの中にある。
反転は崩壊を止めるのではない。
崩壊と同じ速度で、同じ回路を逆向きに走る。
二つの流れを別々に立ち上げるのではなく、一つの流れの中に両方を畳み込む。
そこから先は、少しずつ動いた。
幻獣琥珀の出力を極限まで絞る。
ほんのわずかな崩壊の中に、反転を滑り込ませる。
最初は一瞬しか持たなかった。
次第に数拍、数十拍と伸びていく。
崩壊が再構築を上回れば術式は暴走する。
再構築が崩壊を上回れば出力が落ちる。
その均衡を手探りで探し続ける作業は、地味で、痛く、終わりが見えなかった。
それでも、鹿紫雲は飽きなかった。
数年が経つ頃には、一分ほど維持できるようになっていた。
戦いになるには程遠い。だが、回路は確かに自分の中に根付いている。
慶長元年(一五九六年)冬
気配に気づいた時、男はすでにそこにいた。
以前とは違う風体だ。僧衣ではなく、武家の装束。
その呪力の質だけは変わってない。
「久しぶりだね、鹿紫雲一」
「……お前か」
「約束があるからね」
羂索は短く笑い、続けた。
「御前試合がある。朝廷が禪院、五条、加茂の三家を呼び集める。君にはそこへ出てもらいたい」
「影久とそこで闘えというとこか、……なぜ御前試合でなければならん」
「影久だけじゃない。五条の六眼も同じ場に引き出せる。この時代の最高峰が一度に集まる機会など、そうはない」
鹿紫雲の目が、わずかに細まった。
禪院影久。五条遥。
両方と、同じ場で戦える。
「加茂に入り込んでいる。君を加茂の術師として送り込める。禪院と加茂は第一戦で当たる組み合わせになる」
「一つ確かめさせろ」
鹿紫雲は静かに言った。
「お前が戦いに口を挟むつもりはないか」
羂索は少し間を置いた。
「鹿紫雲と影久の戦いには干渉しない――これは縛りだ」
呪力が固定される感触。
縛りは本物だ。
鹿紫雲はしばらく黙っていた。
影久だけではない。六眼まで戦える。
呪物になる前に、この時代の最高峰と戦い尽くせる。
「……わかった」
羂索が踵を返しかけた時、鹿紫雲は独りごちるように言った。
「間に合わせる」
羂索は振り返らなかった。
その背が夜気に溶けるように消えていく。
鹿紫雲は空を見上げた。
今の限定開放では、まだ足りない。
崩壊と再構築の均衡を、もう一段引き上げなければならない。
どこまで持つかではない。
どこまで引き上げられるかだ。