戦国転生 4歳から始める十種影法術 作:匿名希望
そしてずっと言ってみたかった、
「初投稿です」
「……チッ、またか」
耳の奥を、濡れた紙を爪でなぞるような不快な音が通り抜けた。
蠅頭だ。
以前なら蚊の羽音程度だったはずの雑魚が(それでも不快なんだけど!)、ここ数ヶ月、どうにも図太くなっている。蠅頭如きがイキリやがって! 空気に混じる呪いの混じった不快な唸り。それが俺の精神を削りにくる。
(……織田信長か。あの男が暴れ回ってるせいかな、これは)
大人たちの噂話に混じる響きから、前世の記憶をぼんやりと手繰り寄せる。
俺の貧弱な戦国時代レパートリーだと信長、秀吉、明智光秀、くらいしかわからないが……。
多分今は1570年とか、それくらい。本能寺がいつだかは細かくは忘れたが多分1580年くらいだろう。日本のどこかで上がっている勝ちどきや、飢えた連中の湿った熱量が、そこら中に漂う雑魚呪霊どもの鳴き声を一段と耳障りにさせていた。
「……あー、もう。うるさい」
思考の端で、俺は自室の隅、天井付近で蠢く蠅頭に意識を向けた。
俺の足元からスッと伸びた影が、壁を這い、その羽音の主を飲み込む。
つーか最近家の中までぽこじゃか入り込むじゃん。
――プツン。
音もなくつぶした感触と残穢、それで静寂が戻る。
脱兎の柔らかな毛に指を沈め、ようやくひと心地ついた。だが、この呪いの濁った空気そのものは、一匹や二匹潰したところでどうにもならない。
「はぁ……掃除してこい」
影の底にいる玉犬と脱兎に、思考の端っこで屋敷とその周りの蠅頭排除命令を流し込む。
俺が指定した範囲の敵を、影の犬が噛み殺し、溢れた分を数多の兎が圧殺する。連携としては悪くない。だが、この命令は今、屋敷周辺にいる奴らを消し去った時点で切れる。
新しい蠅頭が入り込むたび、俺はまた「掃除しろ」と意識を割いて再起動(リロード)しなきゃならない。いちいち「あれを殺せ」「次はこいつだ」と指示を飛ばすのが、最高に面倒くさい。
(……全自動掃除機みたいに、一度スイッチ入れたら勝手に索敵して、勝手に一生巡回してくんねえかな……)
半ば自律、いや、もう一段階深く「俺の思考の外」で勝手に動き続ける仕組みを作らないと、掃除だけで日が暮れる。
そんな澱んだ空気の中、さらに追い打ちをかけるような音が、離れた修練場から響いてくる。
――ズ、ン。
地面から伝わる、不規則な振動。
一つ下の弟、景次の術式が判明した。
『震(ふるい)』。
ただの振動じゃない。触れたものを直接揺さぶるような、わかりやすく破壊を起こせる真っ直ぐ強い呪いだ。
背後に控えていた源蔵が、複雑そうな面持ちで何か呟くように話しかけてくる。
「……景次様、目覚めて早々あのような威力。家臣の間では、早くも次代の……影久様、よろしいのですか? このままでは……」
「……いいだろ、それで」
俺は脱兎の耳を弄りながら、淡々と返した。
「源蔵。禪院の当主なんてのは、景次みたいなのが向いてるんだよ。今は、ああいう分かりやすい力の方が周囲も納得しやすいだろ」
「しかし……」
「俺はさぁ源蔵、つまるとこ当主なんかになるより快適な暮らしがしたいんだよ。景次が立派な当主になってくれれば、俺はそれなりの呪霊を祓う義務だけやって、残りの時間で生活水準を上げていきたいわけ。お前も最近はその功利がわかってきてるんだろ?」
「……左様でございますな。影久様が整えられる茶や、あの奇妙な寝椅子……あれを知ってしまえば、私とて元の暮らしには戻りかねます」
「だろぉ? その上で呪霊を祓う力もちゃんと伸びている。源蔵だって俺と同じことを始めて、その歳になって全盛期の力を取り戻したんだろ?」
そう言ってにやりと笑うと、源蔵が苦笑まじりに頭を下げた。俺は満足して、脱兎を影に沈ませると、ようやく重い腰を上げた。
遠くからバタバタと騒がしい足音が近づいてくる。景次が訓練を終え、汗を拭いながらこちらへ意気揚々と駆けてきたのだ。
「兄上! 届いたか、今の地響き! 兄上の影より、俺の拳の方がずっと派手で強そうだろ!」
「ああ、届いてたよ。……景次、あんまり無闇に鳴らすな。あの術、ちょっと耳に響くんだよなぁ」
「ははっ、兄上、もしかして怖かったのか? 影に隠れてばっかりの兄上には、刺激が強すぎたかな!」
生意気に鼻を鳴らす弟。俺は少しだけ苦笑いを混ぜて首を振った。
「あーまぁそうだな……お前の『震』は、呪霊をしっかり祓う力を最初から持っている。いい術だ。俺は臆病だから、どうにも守りを固める方向にばかり術を伸ばしてしまったけど、お前は違う。それは誇っていいことだぞ」
景次は一瞬きょとんとした後、照れ臭さを隠すようにぐいっと顔を逸らした。だが、その口元は緩みを抑えきれていない。
「……ふん、まあな! 兄上の分まで俺が呪霊を祓ってやるよ!」
「頼もしいな、景次。ただ……だからこそ、しっかり呪力操作の訓練をしてくれ。周囲に被害を出さない、お前だけの力の使い方を覚えるんだ。……無駄な音や震えを撒き散らさないようにな。わかったか?」
「わかってるって! 俺が完璧に操れるようになったら、兄上の耳まで届かないように、呪霊だけを粉々にしてやるよ! 家を壊しちゃ困るしな!」
「おぉ、楽しみだ、お前ならできる」
少しだけ誇らしげに胸を張った弟の頭を撫でた。
(……よし。これで少しは静かになるよう努力してくれるだろ。あいつの術は、放っておくと俺の安眠をごっそり削りにくるからな)
弟の術式が思った以上に派手で、気を良くしたのだろう。父上は俺たちを呼び出した。
「景次、影久。その力を試してみるか」
父の重々しい声が、縁側の空気を冷たく引き締めた。
「京の端、荒れ寺の周辺で蠅頭が湧いている。民が数人、音に当てられて寝込んでいるそうだ。景次、お前が中心となって祓ってこい。影久、お前は弟の補佐をしろ」
「わかった! 任せてくれよ父上!」
「はい」
意気揚々と胸を叩く景次。
屋敷の門前には、俺たちの他に三人の術師が控えていた。
術式をもたない躯倶留隊の面々、それも3級以下だ、おいおいこっちは子供二人だぞ?
「……連れて行くのはこれだけか? 源蔵は?」
俺の問いに、父に付き従う男が淡々と答える。
「源蔵殿を含め、二級以上の術師は皆、比叡山付近の残党狩りに駆り出されております。京の治安維持は今、どこも人手が足りておりませぬ。もっとも、蠅頭を払うだけならば、これで十分すぎるほどでしょう」
(……ッかぁー!これだから頭戦国の禪院家はよお!人手不足だからって限度があるだろうがよお!)
同じタイミングで、他の分家連中もあちこちの現場へ引っ張られていくのが見えた。
世情が荒れれば呪霊が増える。呪霊が増えれば、末端の術師から順に駆り出され、現場の管理はどんどんザルになっていく。
世はまさに戦国時代よなあ。
そんなことを考えながら、意気揚々と鼻息荒く歩き出す弟の後を追った。
補佐、と言えば聞こえはいいが、要は景次が暴れて散らかした残骸を掃除してこい、ということだろう。
「行くぞ、兄上! 遅れるなよ!」
「はいはい。……あんまり飛ばすと、現場に着くまでに疲れるぞ」
そしてたどり着いた京の都の端。瓦礫の隙間にへばり付く、澱んだ空気。
そこに、蠅頭どものあの神経を逆撫でする羽音が重なる。
「……うわ、本当にうるさいな」
耳を塞ぎたくなるのを堪え、周囲を見渡す。やたらとデカい蠅頭があっちこっちにいる。
確かこの一帯は、五条家が持ち回りで管理している区域だったはずだ。それがこの体たらく。管理の手が回らないほど「湧き」の速度が上がっているのか、あるいは単純な怠慢か。
(……まぁいい、これくらいならあいつの練習台にはちょうどいいだろ)
俺は足元の影に指を浸すと、そのまま空間の「キワ」をなぞるように腕を振った。
「――闇より出でて闇より黒く、その穢れを禊ぎ祓え」
影から染み出した「黒」が、重力に逆らって立ち上がり、荒れ寺の一帯をドロリと飲み込んでいく。
漆黒の幕が下りると同時に、周囲の喧騒が遮断された。
背後で、同行している躯倶留隊の面々が息を呑む気配がする。影を編むように幕を下ろしたのが、彼らの持っていた帳の常識とは違う何かに見えたのかもしれない。
(……一般の方々がこんなとこまで来ることはそうそうないだろうけど、被害者出てるってなら一応ね、景次が暴走した時の保険にもなる。それに、外に漏らすにはこの羽音が不快すぎる)
「兄上、見ていろよ! 全部まとめて粉々にしてやる!」
帳が下り切るのを合図に、景次が意気揚々と荒れ寺へと踏み込んだ。
拳が空気を叩くたび、ズン、と重い振動が走り、群がっていた蠅頭たちが文字通り「弾けて」消えてゆく。真っ直ぐで残酷な破壊、うーん脳筋。
(派手だな。んでもってやっぱ、無駄が多い。響きが散ってる。蠅頭に負けず劣らずうるせー……)
影の底にいる玉犬に、景次の撃ち漏らしを「掃除」しろと意識の端で放り投げる。
だが、ふと足が止まった。
耳の奥、蠅頭の羽音に乗った呪いとは違う、もっと密度が高く、糸で絡め取とってくるような「呪力」が、荒れ寺の奥から滲み出してきた。
(……なんだ? これ)
景次はまだ気づいていない。手応えのある破壊に酔いしれ、さらに奥へと踏み込もうとしている。
だが、俺の視界、景次の前方――崩れかけた天井にある蜘蛛の巣に潜んでいた呪力が、不自然に波打った。
そこにあるものを隠していた呪力のカーテンが上がり、空間が歪んだように見えた。
ギチ、と嫌な音がして、予感が形になる。
「景次、止まれッ!」
俺の叫びと同時に天井が弾け、巨大な蜘蛛が降り立つ。だが、そいつから感じる呪力は、さっき感じた「空間が歪むような悪寒」に比べれば拍子抜けするほど薄い。
「死ねッ!」
景次がヤケクソ気味に拳を叩きつけた。そこから放射状に広がる衝撃波が蜘蛛の胴体をあっけなく粉砕する。黒い霧のような残穢を撒き散らし、そいつは呆気なく霧散した。
「……ははっ、なんだ。驚かせやがって。兄上、大袈裟だよ!」
勝ち誇る弟。だが、俺の肌にまとわりつく粘りついてくる殺気は、少しも晴れていない。
(……おかしい。三級程度の呪霊一匹で、あんな化け物じみた呪力を感じるか? 奥にまだ、何かいるんじゃないのか……?)
「一旦引くぞ、景次。何か嫌な感じがする」
「何言ってるんだよ兄上、もう終わったろ!」
俺が呼び止めるのと、寺の奥、深い闇の向こうから、か細い声が響いたのは同時だった。
「……助けて……だれか……熱いよぉ……」
子供の声だ。焼き討ちの火に巻かれたような悲痛な叫び。
「兄上、生存者だ! まだ奥に人がいる!」
「待て! 景次ッ!」
制止も聞かず、景次は暗がりの奥へと駆け出す。
一歩、二歩と闇へ吸い込まれていく弟の背中を追い、俺がその「境界」を越えた瞬間――。
パチ、と爆ぜる音がして、周囲の風景がドロリと歪んだ。
(しまった!……誘い込まれた……!?)
背後の出口が火の粉と共に消え、視界は一瞬にして熱を帯びた『焦土の観音堂』へと塗り替えられた。
天井からは焼け落ちた仏像が蜘蛛の糸で吊るされ、足元には焦げた匂いが充満している。
「な、なんだよこれ……兄上、外が見えない!」
「……呪霊の生得領域だ。……景次、俺から離れるな」
嫌な汗が背中を伝う。
今の今まで、俺たちは「巣」の入り口で踊らされていただけだったのだ。
「熱い……兄上、これ、本物の火なのか!?」
景次が焦げた匂いと熱気に顔を歪める。足元には、闇に紛れて熱を帯びた細い糸が、無数に這っていた。
「動くな景次。俺の影の中にいろ」
俺は足元の影を急速に練り上げ、自分たちを囲むように三重の防壁を構築した。
闇の死角から、呪霊の鎌が振り下ろされる。影のマットレスが衝撃を吸収し、不快な振動を逃がすが、防壁がひしゃげるたびに「焼かれる記憶」のような不快な感覚が脳に直接流れ込んできた。
(クソ……一番外側の影の層が焼かれている。外側を放棄して新しく貼り直せば耐えるだけはできるが、そんなのはただのジリ貧だ)
こびり付くような高熱に耐えながら、この不自然な空間の構造を観察する。
流石に特級呪霊が行うような「領域展開」じゃない、だったらもうすでに俺たちは死んでるだろう。だが、ただの生得領域にしては、引き摺り込む力が強固すぎる。
(……いや、違うな。手順だ。雑魚を倒させ、救いを求める声に応えさせた。この二つの『自発的な侵入』を縛りにして、生得領域の強度を底上げしてやがる)
蜘蛛の呪霊が、天井に吊るされた仏像の間を狂ったように跳ね回る。
俺はあえて、玉犬や脱兎を小出しにして、攻撃を誘うように影を波打たせた。
(だが、それだけか? それほど難しくない手順だけで、この領域を維持できるとは思えない。……何を「縛り」にしている?)
ふと、背後で震える景次に目を向ける。術式が暴走し、恐怖で呪力を撒き散らしている弟。
……その震えに呼応するように、周囲の「熱」が増し、影の層が焼かれる速度が上がっている。
(そうか。こいつ、侵入させた獲物の「恐怖」を燃料にしてやがるのか。景次が怖がれば怖がるほど、この檻は硬くなる)
皮肉な話だ。助けようと必死になればなるほど、出口は遠のく。
蜘蛛の呪霊が天井で鎌を研ぎ、最大火力の突進準備を整えている。猶予はあと数秒だ。
「……悪いな、景次。ちょっと寝てろ」
「えっ、兄上――何を――」
景次が驚きに目を見開く。その瞬間、彼の足元から伸びた影が、蛇のように這い上がり、首筋を締め上げた。
頸動脈を圧迫され、脳への血流が絶たれる。景次は恐怖の理由さえ理解できないまま、静かに崩れ落ちた。
それを影の中に沈ませて固定した瞬間、寺の内壁が目に見えて「揺らぎ」始めた。
燃料が途絶え、領域の出力が急落したのだ。
(よし。今なら……突き抜ける!)
苛立ちを爆発させた呪霊が、火の粉を撒き散らしながら弾丸のように突っ込んでくる。
(……来い。お前の力で、この檻を壊させてやる)
俺は多層展開していた防御壁をすべて解き、自分と景次を包み込むように影を「箱」の形へと再構築した。ただ守るための膜じゃない。正面に受けた圧力を、できるだけロスなく背後へ突き通すための、強固な一つの塊。
呪霊の鎌が、俺たちの正面を覆う影の面に激突した。
凄まじい衝撃が影の箱を介して俺の全身に響くが、その運動エネルギーは霧散することなく、そのまま俺たちの背後――不安定になった領域の内壁へと直通する。
俺たちは呪霊の突進を「推進力」に変えた弾丸となり、自分たちの影ごと内壁を内側から強引に押し切った。
空間がガラス細工のように粉々に砕け散り、焦げた匂いが一瞬で夜の冷気に塗り替えられる。
俺たちは呪霊を領域の残骸ごと置き去りにし、荒れ寺の壁すらも突き抜け、さらには最初に外側に貼られていた「帳」をも破壊しながら、夜の森へと転がり出た。
「……はぁ、……はぁ……死ぬかと思った……」
湿った土の匂いが鼻をつく。
気絶した景次を抱えたまま、俺は冷え切った夜空を見上げた。影の操作で指先が震え、呪力を絞り出したせいで視界の端が暗くなっている。
寺の方を見れば、内側から食い破られた帳がボロボロと剥がれ落ちていた。
(……蠅頭の掃討、だと? 冗談じゃない。報告と実態が違いすぎるだろ……!)
ただの雑魚の群れを払うだけの、退屈な仕事のはずだった。それがどうして、二級、いや準一級か? 生得領域を構築するような化け物と戦う羽目になってやがる。
(しかも、あの領域。妙な洗練のされ方してたよな。自発的に奥へ踏み込ませる縛りまで付けて……条件を見破れば脆くなるとか、なんなんだよそれ!ご都合主義かよ!脱出させてくれてありがとね!でも死ね!くそくそのくそ!)
心の中で、前世の記憶まで総動員して罵詈雑言をぶちまける。
寝ている間に家の周りを掃除してくれる、そんな便利な術式をのんびり考えるための「暇潰し」のつもりで受けた任務が、どうしてこんな命懸けの泥仕合に変わるんだ。
(……だが、待てよ。落ち着け俺。あんな呪霊から、景次を抱えて擦り傷とちょっとの火傷だけで逃げおおせたのは、もう大大大大金星と言ってもいいんじゃないか?)
そうだ。死んでない。五体満足だ。これ以上の戦果があるか。
そう自分に言い聞かせ、必死に心臓の鼓動を鎮める。
だが、弟を自分の手で締め落としてまで生き延びなきゃならないような状況は、もう二度と御免だ。
(……最悪だ。本当に、最悪な夜だ)
外にいた連中が助けを呼びに行ったのか、それとも腰を抜かして逃げ出したのかは知らないが、
できるだけ早くここから離れなければ。
俺は気絶した景次を背負い直し、震える足で歩き出す。
疲れから気絶しそうになる、だがここで倒れるわけにはいかない。
俺は一歩、また一歩と、冷え切った夜の森を自分の足で歩き続けた。