戦国転生 4歳から始める十種影法術 作:匿名希望
最終的には前書きのページを作ることをやめました。
しかし後書だけは奥付けの呪いからかなんとなく続けてしまい……
「――結局、何も残っていなかったそうだ。行方も生死も分からぬとは、五条の連中も焼きが回ったものよ」
先日の荒れ寺での顛末を父がそう言って結んだ。
あの日、景次を背負って逃げた足の重さや、蜘蛛の呪霊の生得領域での、肺が焼けるような熱い息苦しさは、しばらく忘れられそうにない。
広間の隅には、五条家から届いたらしい詫びの品が、高く積み上がっていた。高そうな菓子の甘い匂いと、希少な呪具が放つ微かな金属臭。
肝心の呪霊が行方不明という、どうにも後味の悪い結果となったが、この山積みの慰謝料を見ると、改めて自分で自分を褒めたくなるぜ。
「兄上、すごかったです! 俺、兄上みたいになりたいです!」
隣で目を輝かせる景次を見て、肩の力が抜けた。
あの時、こいつの喉を締め上げたのは、あんま気持ちいいものではなかった。
恐怖を燃料にするので仕方なく気絶させたということは説明したのだが、景次は特に気にした様子もないようだった。
(……しかし、呪術の世界っていうのを俺はどこかで舐めてたんだろうな)
これまでは、美味い飯を食い、暖かい布団で眠れればそれでいいと思っていた。
けれど、あの蜘蛛に追い詰められた時の、胃の底が冷えるような感覚。
景次に褒められるような立場じゃないんだ。俺だってあの時、きっと怖かったのだ。
そうだ、恐怖を感じてしまった今では、俺の平穏に過ごしたいという希望は、めちゃくちゃに贅沢なものだったと思う。
強くなりたい、なんて殊勝なことを言うつもりはないが。
ただ、二度とあんな思いをしないために。
自分の快適な居場所を、誰にも、何にも侵させないために。
「盾」だけじゃ足りない。向かってくる火の粉は、降りかかる前に叩き落とすべきだ。
そんな風に、これからのことを考えていると、蜘蛛との死闘で負った怪我や火傷のこともあり、過度な鍛錬や任務を止められた。
折角の新たな目標ができたところで、ただ寝て過ごすのも癪である、俺はここぞとばかりに脱兎への命令入力の実験をすることにした。
屋敷の掃除を統括する女中の元へ向かい、下女を集めてもらい告げる。
「今日からしばらく、少なくとも怪我や火傷が治るまでは、脱兎という俺の式神に掃除を手伝わせる。
式神を扱うための訓練を兼ねているため、これによって出た不都合や不具合は、すべて俺が責任を負う。お前たちは俺に掃除のやり方を指示しろ、その通りに脱兎を動かす」
「若様、滅相もございません……! 私共が若様に指図するなど……」
女中が顔を青くして首を振るが、俺はそれを片手で制した。
「まてまて、落ち着け。指図じゃない、指示だ。お前たちが培った効率的な掃除の手順を、俺が式神に入力するんだ。……いいから、始めてくれ」
有無を言わせぬ調子で押し切り、俺は数羽の脱兎を解き放った。
脱兎は一つ仕事を終えればそこで止まる。命令の精度を上げるには、俺自身がその後ろを歩いてついていき、逐一入力を更新し続けなければならない。
廊下を這うように進む脱兎と、その後ろを歩いて追う俺。その三歩後ろを歩く下女。図らずも直哉の布陣になってしまった。
源蔵は、俺が脱兎に雑巾やハタキを持たせて歩き回るのを、理解が追いつかないといった顔で眺めていた。
「若。……一体どうして、式神を使ってまで下女たちの仕事を手伝うなどと? 」
源蔵もだいぶ毒が抜けてきたようだ。
出会った頃ならそんな雑務などとか、式神の無駄遣いなどと言ってただろう。
俺目線の分析では現在、ドブカス度50%(俺自身は10%くらいと自認している、汚染の進む景次は75%くらい)といったところだな。
それでも彼にとって、術師が奉公人の領域に干渉すること自体が、不可解で不合理な越境行為に見えるのだろう。
「源蔵、お前もわかっていることとは思うが。人間は10の指示を出しても、勝手に気を回して余計なことをしたり、逆に能力次第で結果が大きくばらつくんだ、それこそ8だったり100だったりな」
1を聞いて10を知るというやつだぜ。
俺は、脱兎の動きに視線を固定したまま、言葉を続ける。
「でも、式神は10の指示を出したら、10の結果しか出さない。だから今、100の命令を一度に叩き込めないか、あるいは10の言葉で50の結果を引き出す『効率的な命令の形』を探ってるんだよ」
あるいはひたすら入力を続けることで、学習が起きないかを期待してるんだ、俺は。
源蔵は分かったような、分からないような顔でこちらを窺っている。
隣でくっついてきた景次は、脱兎と俺の横顔を交互に見ながら、食い入るように話を聞いていた。
(ちょうどいい、景次もしばらく安静、この機会に矯正していこう)
「……それに、だ。景次、よく聞けよ」
俺は少し声を落とし、忙しなく立ち働く下女たちに視線を向ける。
「人間が期待以上の成果を出すのは、相手に良い印象を持っている時が多いんだ。こうして少し手伝ってやるだけで、あいつらは勝手に俺を慕う。
そうすれば、より快適に奉公してくれる。すると俺も快適な奉仕に気分が良くなる。そうなるとまた下女達に優しくしてやろうとなるだろう?」
俺はこれを善意の連鎖、いや善院の連鎖と呼ぶことにしよう。
なんちゃって、ふふっ。
これはかなりドブカス度ダウンするんじゃないか?
「でもあいつらが俺たちに奉仕するというのは、当たり前のことで奉仕できることに感謝するのが当然なのでは?」
勿論。そんなことはなかった。
景次の純粋無垢な、それゆえに救いようのない傲慢さに、俺は一瞬だけ遠い目をした。
「……感謝するのが当然、か。まあ、この屋敷の理屈ならそうなるな」
俺は、一羽の脱兎が雑巾を絞り損ねて桶をひっくり返すのを眺めながら、考えて言葉を継ぐ。
「だがな、景次。『当然』で動く人間は、指示された以上のことはしない。むしろ、見ていないところで手を抜く方法を考える。……想像してみろ。お前が寝ている部屋に、下女の気分が良ければ注意力が途切れず、埃を見逃してなかった、その結果お前のの喉が痛くなる。あるいは、お前の飯にほんの少しだけ嫌なものが入るのを見逃してしまう。それともちょっとお茶を苦く入れすぎてしまう、とかな?そういう『小さな不快』を、奴らは『当然』という義務感の中では防いでくれないんだ」
「……あ」
景次が少しだけ、嫌そうな顔をする。自分の快適さが、下々の「気分」に左右される可能性に、初めて気づいたらしい。お?これはうまくいきそうか?
「だからこそ、相手を『その気にさせる』のが、賢い主人のやり方だ。感謝させるんじゃない、感謝したくなるように仕向ける。それができるようになれば、お前は指一本動かさずに、今よりもっと贅沢で、もっと完璧な平穏を手に入れられるぞ」
「……指一本動かさずに、もっと……」
景次の瞳に、怪しい光が宿る。
俺の言っていることは、結局のところ「いかに相手を低コストで最大効率よく働かせるか」という、俺なりのなりの功利主義だ。やりがい搾取というやつだぜ。だが、景次の脳内では「より高度な支配階級の振る舞い」として、禪院家の価値観を残したまままま変換されていく。
「兄上、やっぱり凄いや! 僕も、下女たちを『その気』にさせてみます!」
景次が鼻息荒く、近くの下女にぎこちない笑みを向けるのを確認し、俺は再び自分の入力作業に戻る。
(よし!とりあえず『優しく接する』というアウトプットさえ出れば、動機は何でもいいな!禪院家相伝ドブカス呪法、反転術式のアウトプットだ!)
会話に意識を割かれる。景次に説法をしつつ、複数の脱兎に「廊下の端から拭く」という単な動作をを維持し続けるだけで、想像以上に脳を削られる。
廊下を拭かせる、お互いがぶつからないように移動する、雑巾を桶で濡らし絞らせる。汚れてきた水を交換する。
(……くそ、熱いな。頭が回らなくなってきた)
一羽に意識を割きすぎると、別の脱兎が廊下の角で指示待ちのままフリーズする。
一方で、横では下女たちが危なっかしい足取りで高い梯子に登り、鼻歌まじりに煤(すす)を払っている。改めて人間って高性能すぎるだろ!
彼女たちは俺の指示がなくても、状況を見て、梯子の揺れを膝で吸収し、俺の脱兎より遥かに「効率的」に、そして「不安定」に動いている。
その、俺の計算(入力)を軽々と越えていく「生身のデタラメさ」を見ていたら、脳の奥が焦げ付くような不快感がこみ上げてきた、知恵熱でそう。
生温い風を吐き出し、ひっくり返ったバケツからじわじわと広がる黒い染みを見つめていると、景次が声をかけてきた。
「兄上! ほら、あっちの下女に笑いかけたら、顔を赤くしていつもより速く床を磨き始めましたよ! これが『その気にさせる』ってことですね!」
景次が意気揚々と報告してくる。俺の教えを、自分に都合のいい「支配の快楽」として吸収した景次のドブカス度は、もはや80%に届きそうだ、可愛い子供の武器をよく理解しとる、立派やね。
「若。……あまり詰め込みすぎると、知恵熱が出ますぞ。弟君も」
源蔵の皮肉が、今は少しだけ耳に痛い。もう出てるわ。
「……うるさい。……喜べ源蔵たった今、10の入力で12の結果が出たところだ」
景次が綺麗なドブカスに進化した!+2ってか?