青き炎のBEACON《道標》   作:リクライ

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第一話 『目覚めたら最初にすること』

 

 

 ──真夜中。

 街は眠っているはずなのに、眠りきれない光だけが脈打っていた。

 

「────」

 

 高層ビルの屋上、フェンスのさらに奥から見下ろす日本のビル街は、底知れない谷のようだ。整然と並ぶオフィスビルの街明かりは、消えかけの星座のように点在し、ネオンと信号機が赤と青の鼓動を刻む。遠くを走る車のヘッドライトも、まるで音のない川のようにアスファルトの裂け目を流れてく。

 

 ──風が吹いた。

 

「────どこへ行ったの」

 

 白の鈴の音が、夜毛を含んだ冷たい風にかき消される。

 誰にも届かない、心の叫び。心だけがひび割れている、そんな歌。けれどそれでもと──、

 

「聞こえますか」

 

 『前に進め』と、私はここにいると、心を燃やし続ける。

 

 夜闇の中、その唇を緩める存在は真上から降りかかる月光を、白、まるで色だけがすっぽりと抜け落ちたような純粋な白が、冷たく答える。

 

「ついに会えるな、『ホワイト』。──待ち侘びたぞ」

 

 薄く微笑む真っ白な少女、頭の後ろでまとめ、二つに分かれた真っ白の長い髪が、風に流れる──

 

 

 

* * *

 

 

 暗く、何も見えない。

 何も聞こえない。

 何も、感じられない。

 

 今、たった今わかったことがある。それは

 

 ──何も……わかんない。

 

 この漆黒で彩られた色の中、寒さも、温もりも存在しないまさしくゼロの世界で、何を知れというのだ。

 

 一体──『すまない』

 何を──『君を──』

 知れ──『おやすみ』──したら──。

 

「────」

 

 思考がぐるぐると回転して、頭から──頭。そう、頭から抜け落ちた内容物が途切れ途切れに鳴り始める。

 それは、警告。あれは警笛。これはアラーム。すなわち──

 

「ケポ……」

 

 目覚め。

 

 空虚の感覚に横槍が入ってきた。胸の奥で、何かが軋む感触だ。

 

 ──吸う。

 

 何かが、自分の中へと流れ込んでくる。液体が押し付けられて、頭の下の、喉という場所が震えた。けれど、苦しくはない。ただ、『情報』が、『世界』が──中に入ってくるという奇妙な実感だけがある。

 

 ──吐く。

 

 『吐き出す』と、のぼってくる粒々が頭を、頬を掠めていく。

 その感触で、自分は初めて『境界』を知った。『私』と『私ではない』もの。その区切りが、吸って吐く『呼吸』として現れ──

 

「おい──の中にいるんだな!?」

「そのはずなんだ──」

「早くしねぇと──来ちまうぞ!」

 

 胸の中へではない、頭の中へ入ってくる騒々しい音。警笛ではない、これは『声』で、『私』ではない『誰か』がこの真っ黒な世界の奥にいる。

 聞くに耐えないうるさい振動が、遠くでわらわら湧いて出てくる。

 

 『私』は、もう──

 

「さっさと起きやがれ──ッッ!!」

 

 ──『眠る』必要がない。

 

 瞬間、呼吸が二度目を刻んで──胸に宿った残火に従うままに、『腕』を前に突き動かした。

 

 

* * *

 

 

「オイっ!? なるべく丁寧に扱えって上様が……」

 

「うっせぇ! 起きねえなら叩き起こすまでなんだよッ!!」

 

 焦燥し切った声が、声を荒げる男へと訴える。

 しかし、その声は絶え間なく目の前のコンテナに浴びせられる無数の針のけたたましい響音によって破り捨てられた。

 

「楽な仕事だって聞いたのによぉッ!! ヒーローが来るなんて聞いてねぇぞ」

 

「待て……聞けやテメェ!! そんなバカすかやってたら、中のやつがどうなるんだ!? わかるだろ!」

 

「んなこたぁ箱ん中でグースー眠りこけてる野郎にぶつけてろ! これも全部、さっさと起きねぇ──!」

 

 吊り目をさらに吊り上げる男が髪から無数の針を作り出し、無数の触手のようにぶつけ続ける。止めようとする声を振り払う、なりふり構わず唸らせる猛攻は怒りだ。怒りのまま癇癪をあげるかの如く、その男はハリネズミのように連打、連打、連打。

 針をぶつけ続ける。

 

 そして、

 

「コイツのぉ──!」

 

 攻撃の雨が止んだ。それは諦めか、いや違う。

 一際声を溜めるのと同時に、ハリネズミのような男は体を丸め、ジャキッと金属めいた喝采がなり響いた。

 無数の切先が指し示す先は綺麗さの見る影もない、数多の裂創で削られた真っ黒なコンテナ。

 

 刃先が白く染められたニードルは光を受け取る漆喰のものと化し、一点に集合──

 

「せいダァ──ッ!!」

 

 射出された。

 

 それは針というにはあまりにも大きく、巨大で、そしてそれは『ドリル』だった。

 

 踏み込んだ瞬間、地面が爆ぜる。砂塵が渦を巻くように舞い上がり、引き裂かれた空気の間を漆黒の大錐が邁進。衝撃だけが遅れて届いた。

 勢いは続く。削れた黒の箱へと穿たれ、腹の底を揺さぶるような轟音を爆ぜさせた──。

 

「おいおいおい……! くっそなんで止めない、オレの馬鹿が……ッ」

 

 雷鳴のような音を叩きつけられ、金属が悲鳴をあげた。炸裂した爆音は、まるで爆弾が起爆したかのようで、砂埃の奥のコンテナはもはや原型すら保っていないだろう。

 それはおそらく、中身までも。

 

 相方を止める方に専念すべきだったと、遅ればせながら影、床、壁から帯を出す男がドリルとなったハリネズミ男を引き寄せる。

 

 ──煙幕が晴れる。

 

「なっ」「……はぁ」

 

 両者、それぞれ違った意味合いの息が喉を鳴らした。

 それは、コンテナがあれだけの攻撃を受けてもなお原型をとどめていたからか。それもある、が違う。

 

「────ッ」

 

 ニードルの残響を塗りつぶす新たな轟音が、あたりに響き渡ったからだ。

 

 刹那、弾け飛んだコンテナの天井が落ち、床を大きく歪ませたと同時に固まっていた二人の息が吹き返した。

 

「何が、起きて……」

 

「おい、あれっ……アイツがそれじゃないか?」

 

 ハリネズミ男が指差す先に、帯を出した男の目線が釣られて動く。その目は驚愕の色が滲んでいた。だってそのはず、形は保っていてもへこんだコンテナの内側には衝撃がかなり伝わったのだ。

 しかしながら、中身が無事ならそれでいい。だが、肝心の中身が困惑の種。

 

「へっ、やっぱり俺のやった通りだろ!? あれだけやれば起きるに決まって──」

 

「だまれテメェは! それよりもあの野郎……いや、野郎じゃねぇ、あれは……」

 

 コンテナの上、ゆっくりと立ち上がる人影があった。

 

 連合の秘密兵器。と聞いたからには興奮だった。どんなマッチョマンが、どんなチート個性を宿した男が、この世界を変える一躍を担うキーパーソンとなるのか。

 好奇心もありながら、目覚めの一員として選ばれたときはまさしく歓喜極まれり。一躍担うキーパーソンをいち早く目覚めさせ、連合に運び込んだ英雄として仲間どもにちやほやされる。

 そのはずだったのだ。

 

 けれど、目の前でキョロキョロと辺りを怪訝そうに見渡すそれは、

 

「あれ、子ども……じゃないか?」

 

 子どものそれだった。

 

 自分がなんでここにいるのか、目の前の子どもは、もっと言えば『少女』はわからないのだろう。深く吸って深く吐く様は、小さく声はないものの産声をあげているようで、目の前の『世界』を受け入れているようだった。

 

「子ども? 子どもがどうしたよ」

 

「は? だから、あんなのが秘密兵器に見えるのかっていう話だ」

 

「昔のコミックでもあったろ。小さい姿に見えてシンプルなやつが、実はめちゃくちゃにつええってやつ」

 

 眉を顰める帯び男だったが、笑いでハリネズミ男に一蹴される。

 

 もう一度、目を少女に戻す。

 歳は、おそらく十五か十六かそこらへんの姿をしている。コンテナに詰められていたカプセルか何かに液体が入っていたのか、脆さを感じさせるほどの白い肌は濡れていて、ひどく儚げだ。

 女として隠すべき場所は最小限に黒ビキニで済まされていて、見ているだけで寒さを感じさせる。

 

 カプセルの中で育ったため切られることなく自由に伸びた長い黒髪は、怪しく部屋を照らす淡い緑の照明を反射。

 その中で、

 

「────」

 

 怪しく輝く青い双眸が、存在の核を確実なものにしていた。

 

「あれが、総督様がいう噂の秘密兵器ってやつか。ま、帯のお前の通りに細っちいガキ見りゃ思うけどよ、やっぱ案外ってやつかもだぜ? ──おーい!」

 

「…………?」

 

 声を張り上げるハリネズミ男に、コンテナの上で体の状態を知ろうとする少女の瞳が見下ろした。

 そして、コンテナのふちに手をかけるた少女は、ひたっと確かな足取りで床に降り立つ。

 

「ほぅら、動きに澱みがねぇだろ。普通なら立つこともできねぇし、俺の見立て通りコイツが秘密兵器なんだよ。ちっこいけどなッ」

 

「……。それも、そうか」

 

 話しながら、恥ずかしがる気配もない悠然たる歩みで近寄ってくる少女に二人は目を向けた。自信をこれでもかと誇示するかのように、鋭い笑みを口元に宿して。

 

「よぉ嬢ちゃん。お目覚め早々に悪いが、後から来る……」

 

「あな、た……たちは……」

 

「あん?」

 

 滑る口舌に熱を帯び始めるも、それを傍から閉じるように少女が見上げる形で辿々しい言葉を投げかけた。

 

 ノリ始めた命運に待ったをかけられ、神経に苛立ちを覚えるハリネズミ男。だが、眠たげでありながら他者を注視する、猫っぽい様子に気が抜け、一応は最後まで聞く。

 

「あなたたちは、誰なの……?」

 

「あ? あぁ、そうだそうだわな。名乗んねぇとわかるもんもわかんねぇな!」

 

「おい、あんま時間食わせるなよッ。後ろから追っ手も来るだろうし……」

 

「んなカッカすんなッ。コイツがいれば、奴らなんざ塵芥だ。けけッ、連中が苦しむ様が楽しみだぜ。……っとわりぃな」

 

 話が長くなってしまったが、ジリジリと迫り来る限界とやらもハリネズミ男はどうでも良くなっていく。時代の変わる、試合でいうところの初陣、盤上でいうところの一手、競争でいうスタートライン。それらの二歩目をいくために、それからを軽快に遮る障害をぶっ飛ばすには、これから仲間となる女に自己紹介は必要だろう。

 

 見栄えはカッコよく、そして誰も口出しできない風情を纏った上で、ため息をつく帯男は壁から無数の帯を生やし、ハリネズミ男は体から無数の棘を生やし、言った。

 

「俺たちは、この枷だらけで、公平でなく、容易く裏切られるこの生きづらい世の中を、誰もが生きやすい世界に変革する立役者ッ! ヴィラン──」

 

 ハリネズミ男が両腕を仰ぎ、世界に訴えるように声高に反感を上げる──よりも先に、誰よりも先に、少女の達観したようなジト目に鋭さが加わった瞬間、

 

「血団だ──ブベ──ッ!?」

 

 少女の小さい拳が、ハリネズミ男の巨大な体を叩き飛ばした──。

 

「え」

 

 腑抜けた声が帯男の口から漏れる。

 だが、そんな隙間時間が切って落とされる間にも、後ろに飛ばされたハリネズミ男は壁にぶつかり、なおも止まらず、一枚のコンクリートの壁をぶち破った。

 

「ヴィラン。じゃあ……」

 

「おまっ!?」

 

「──敵」

 

「ま」

 

 待って。

 そう言い切る前に、帯が拘束に走る前に、顔一点に下される少女の拳によって帯男の意識が、

 

「ぶ──」

 

 途絶えた。

 

 

 

 

* * *

 

 

 

「あ」

 

 振り抜いた拳をだらりと下げ、少女は呆けた声を漏らしながらに辺りを見渡す。一発ずつ相手の顔面に目掛けて放った拳は、たったの一撃で二人を沈ませた。二人とも仲良く壁にめり込んでいるが、自分には関係はない。

 

 考えるよりも先に、体が動いていた。

 

 『人々から……脅威を、ヴィランを……遠ざけるんだ』

 

 この声が、ヴィランと名乗った敵を討てという衝動となって体を、腕を突き動かしたから。

 

「…………」

 

 敵を倒したとはいえ、まずは状況確認が必要となる。

 二人の男が話していた内容からして、仲間がいるらしい。仲間ではあれど自分の仲間ではなく、敵の仲間はみんな敵だ。

 敵となれば、倒すことが必要だ。

 倒すとなれば、まずは武器が必要だ。

 

「武器。……私の」

 

 考えていることが頭からほんの少し言葉となって漏れる。

 足が動くか確認、動く。目覚めたばかりというのは、何かと体に気だるさがのしかかるとハリネズミの男が言っていたが、どうやら普通の者と異なるらしい。

 実際に体感した辺りだと、自身の拳の威力はなかなかのものではある。ただ、さっきのこれは相手のほつれた意識の間を縫った不意打ちが起因しており、これが今から押し寄せてくるだろう敵たちに通用するかと聞かれたら、少女は首を横にふる。

 

 棘を出す相手の技、一瞬の間に懐に飛び込んできた拘束帯を出す技。どちらもリーチに優れていて、特に棘の男に関してはカプセルの中でその威力を思い知った。

 

 少女が振り返ってみれば、自分を充填していた入れ物を守るような真っ黒な箱は無数の傷と一際大きな摩耗によって損傷している。生身で当たっていればどうなっていたことか。

 

「考えても仕方ない」

 

 過ぎ去ったことは今考えても仕方がない。これから間も無く来る敵に対して策を講じるのが先決だ。

 

 そうと決まればと、少女は自分を入れていたカプセルへと足を向け、駆け寄って跳躍。

 確か武器はここにあったはず。どんな武器が入っているかは記憶していないが、とにかく少女は足を向けて眠っていた先に目を向けた。

 

「これ」

 

 当たりだった。

 青い瞳が見開き、少女は箱の取っ手に手をかけ──、

 

「──っと」

 

 こじ開けた。

 重厚さを誇っていたはずの蓋は鍵がかかっていたようなのだが、ヴィラン二人を容易く壁に吹き飛ばした少女の細い腕の前には無力で、ロックとヒンジが容易く引きちぎられた。

 

 瓦礫のかけらが一つことりと落ち、かき消すように捨てられた蓋がガコンッと落とされる。

 

 目の前にあったのは床に垂直になるよう置かれた大小二つの獲物。

 一つは、

 

「これは……うん、使いやすい」

 

 印象としては、異様に真っ黒でまっすぐだ。

 反りもなければ、装飾も主張もない。ただ『切る』という一つの目的を突き詰めた結果からの直線だ。

 

「ふっ、はっ……うん、いい感じ……かもしれない」

 

 軽く振ってみても、違和感はない。

 刀身は長細く幅は最小限、それも起因しているだろう。グリップは無骨そのもので、持ち手は長細い刀身と比べると短い様は、これを片手で御してみせろ囁いているようだ。

 

 武器が喋るとは到底思えないが、ものの例えだ。実際、握った手の指の甲にはナックルガードが間近に伸びていて、両手で扱うには妨げになる。

 

「じゃあこっちは……? ──っと」

 

 黒剣は右手に握り、残る大きい獲物を左手で抜き取る少女。

 しかし、その武器は大きい。大きすぎた。

 

「こんなのあるんだ」

 

 考え深そうに口元を猫口のようにしながら真上に掲げるそれは──大砲だった。

 前に長く角張った輪郭は打つために必要な部分だけを切り取って残したような飾り気のない粗野さしかない。これもまた真っ黒で、無機質な光沢があった。

 それに先についているもの。

 

「この先っぽの、とんがってる」

 

 銃口部には異様なもの──刃のようなエッジを持っていて、射ち放つ以外の意味を持ち合わせている。

 

 だがしかし、これはでかい。グリップも含めれば少女の身長を超えるほどの大砲で、ただの人が扱うには無謀そのもの。少女の細い腕に、この質量はアンバランスだ。──理にかなっていない。

 だが、それを利き手ではない左手で、なおかつ細い腕で簡単に掲げてしまう少女もまた理にかなっていないことの証左となっていた。

 

 『私』専用の武器。

 

 そう捉えるに相応しい。

 

 にしても──、

 

「前がよく見えない。こんなにいらない……」

 

 だらりと重力に従って落ちる前髪に鬱陶しさを感じざるを得ないと、少女は右手の黒剣を握りしめながら指で弄る。

 重さを感じさせない挙動で大砲を下げると、少女は床に放り投げ──

 

「うん、こんな感じがいい」

 

 ドガッシャンと轟音が落ちるのとカプセルに残った液体に映りこむ顔を覗くのは同時だった。

 手早く黒剣で切り払ったことで、前髪は──パッツン。まだ鼻より長いくらいで、もっと短くきればよかったと思う反面、別にこれでも支障はないとも思う。

 うん、これでいい。

 

「あなたたちは──」

 

「おい! こっちからすげぇ音がしたぞ!!」

「二人壁ぶち抜いてるし、仲良しかよっ」

「あれ見ろあれ! 女だっ」

 

 埃っぽさに水気が混じる広い部屋に声を荒立ててゾロゾロと出てくる忙しない連中ども。

 髪を揺らし、少女は顔と共に視線を背後へ回す。

 

「だれ?」

 

「あ!? ダチやったのはテメェだな!? ぶっ殺してやる!」

 

 殺す。攻撃してくるやつ人は、ヴィラン。なら──敵だ。

 

 なら再び始まる。いや──

 

「始めよう。私の……戦いを」

 

 放射状にひび割れた灰色のコンクリートの床。その中心に突き刺さった大砲に飛びかかり、掠める取る。のと同時に、

 

「やあぁ──ッ!」

 

 ──集団の敵の前へと躍り出た。

 

 

* * *

 

 

 *事の始まりは、中国軽慶市。

 

  発光する赤子が生まれたという、『ニュース』だったようだ。

 

  以降、各地で“超常”は発見され、原因も判然としないまま、時は流れる──。

 

  いつしか、超常は日常となり、夢という名の架空は現実になったのだ。

 

  世界総人口の約八割が、なんらかの特異体質である超人社会となった現在──

 

  ──混乱渦巻く世の中で、かつて誰もが空想し、憧れた『英傑』が一つの職業として脚光を浴びていた。

 

  その職業こそ、人は口を揃えて『ヒーロー』と言うらしい。*

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 甘ったるい香りが、迷宮のように伸びる廊下に流れ込んでくる。戦場に似つかわしくない、横槍を入れてくるように、電力を絶たれてもなお薄緑に怪しく照らす光と交わり、眠たげにしてきた。

 

 これは、火薬でも、血でも、薬品の類でもない。

 夜の湿り気に溶けるような、それでいて鼻腔をくすぐり落ちる匂い。

 

「──はい、そこまでよっ」

 

「ぅ、ぉぁ……」

 

 その匂いを伴う戯けた声。

 だが、その声が響いた瞬間、騒がしかった空間と雑踏が鎮まり崩れ落ちる。

 怒号も足音もない。ただ、並んだように倒れていく音が残った。

 いや──

 

「わお」

 

 鈍く、腹の底を燻る音が鳴った刹那、ドアは本来の役割を放棄したただの鉄屑と化し、人の形をした影が弾丸のように飛来。──壁に激突する。

 

「随分と」

 

「────」

 

 扉を失い、枠だけの空間から現れた。

 

「派手じゃない」

 

「だれ?」

 

 黒い大砲を片手で下げ、黒い剣をもう一方の手で携えた少女がピタリ、動きを止めて、照明で影が落とされてもなお光るような青い瞳が見上げた。

 

「あなたも──敵なの?」

 

 ──子どもだった。

 

 こてん、と首を傾げ警戒の高まりを示唆するように素手に握られる黒剣の切先が揺れる。

 青い瞳が捉えたのは、目の前、闇を裂くような白のコスチューム。体のラインを強調するような露出はないにしろラインの露出がこれでもかと前面に出すが、黒の装飾が品位を引き締める。

 目元を隠す赤縁のマスクは表情を隠すものではなく、彼女の澄んだ青の双眸をより鋭くさせるものだ。知性を立たせ、それでいて挑発的で、そして余裕を孕んだもののそれだ。

 

「ふぅん」

 

 鼻を鳴らして、警戒心を募らせながら黒き大砲の砲口を自身に向けられても、彼女は目を細めて対する少女を見た。

 

 髪は自由に伸びてタイルの床につくかつかないか。それでいて前髪が斜めに切り揃えられているのは、壁に激突し意識を飛ばしているヴィランか、少女が右手にもつ黒い剣で切ったのか、だ。

 だが、それだけではない。

 

「────」「────」

 

 羽織るものはなく、惜しげもなく外へさらされている少女の白い素肌。隠すのは最低限の黒い布。

 そして──

 

「──っ」

 

 少女の胴に目を移し、眉を顰める彼女は──『ヒーロー』だ。

 警戒の色を滲ませる少女に、痛々しく刻まれて二度と消えない跡となっている傷跡に、歪んだ。顰めて歪めて、口元を硬く結んでしまった。

 

 怒りと困惑と、そして嫌悪感だ。誰にも痛みに気づかれず、そして少女の痛みに気づいて助けにいけなかった、自分への──嫌悪。こんな傷、人に弄ばれて刻まれた痕跡だというのは、脳が拒否しても嫌でもわかってしまったから。

 だから、

 

「────」

 

 ヒーローの女性は右手にもつ赤黒い鞭を地面に打ち、静寂を叩き払って、固まった思考に鞭を打った。

 

「参ったわね……すごいじゃん」

 

 目の前の少女は、それでもなお、己の傷を受け入れて立っている。請け負っている生徒なんかよりも弱々しい体でありながら、なんてまっすぐな立ち振る舞いだ。

 隙もなく、呼吸に澱みはなく、視線は鋭い。

 

 そんな少女に、だからヒーローは称賛した。

 

「あなた、名前は?」

 

「私は……」

 

 問いかけ、ヒーローは距離を保ったまま腰に手を置いた。

 

 少女は数秒、思考に間を置いた。目の前の人が果たして敵なのか味方なのか。自身を目にした時点で飛びかかってきた人たちとは違うことを、目の前で間を合わせてくれる女性から理解している。

 

「私は──ブラック★ロックシューター」

 

 淀みのない、名前とは言えない名前。その名乗りは、彼女が口にするものと同義かそれ以上の宣言があった。

 

 それに、ヒーローは目を細め、薄い白の布地に手をかけた。

 

「アタシは──ミッドナイト。あなたを迎えに来た、ヒーローよ」

 

 そう──プロヒーロー『ミッドナイト』。それが、彼女の体を為す名だ。

 

「そう……」

 

 不信感が解け、黒の大筒をミッドナイトから外す少女。ひとまずは、自分に襲いかかってきた人たちとは全くの別団という確証が取れた。

 だからこそ、ここで止まっている暇はない、と歩き出そうと──

 

「ヴィランじゃ──」

 

 して──

 

「敵じゃ……な、い」

 

 ぱた……

 

 

 

 

 

 

 

「助けが遅くて、ごめんなさいね。でも、もう大丈夫。あとはアタシに──お姉さんに任せなさい」

 

 力なく倒れる少女──ブラック★ロックシューターの周りには、ピンクの霧の、甘い香りが立ち込めていた。

 腕の中に眠る少女は安らかに眠っていて、ミッドナイトは安堵に相好を崩し、吐息する。

 

 

 

 

 

「にしても……」

 

 というわけにもいかず……。

 

「これ、どうしようかしら」

 

 タイルを無惨に砕け散らかして横たわる大砲を横目に、ミッドナイトは吐露した。

 

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