青き炎のBEACON《道標》   作:リクライ

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第十話 『個性把握てすと【前編】』

 

 

 

   ──グラウンド──

 

 本格的に登る陽光が照らす土の匂い。一条は瞳を閉じながら、鼻をひくつかせてその匂いを噛み締める。

 

 ──ただの土と違う……へんな匂い。

 

 学校の“グラウンド”は昼寝で寝そべっていたとことは違う匂いだった。

 

 現在、整列した二十一人の中に一条はいた。全員が全員、用意された紺色の指定体操服に着替えており、新しげな香りが困惑に混じる。

 一条は白のラインの入った体操服、その胸元を摘むと、着心地を確かめるように肩をすくめた。制服とは違い、実技試験のジャージに似たいい着心地だ。スカートのようなヒラヒラもない。

 

 一通りジャージの総評を切り上げると、一条含め整列した生徒たちの前に、相澤が立つ。

 

「お前らには……──今から『個性把握テスト』をしてもらう」

 

「「個性把握テストォ!?」」 「…………」

 

 みんな声がよく揃っていることこの上ない。一条だけ乗り遅れたように口をぽかんと開けてしまっていた。

 

「入学式は!? ガイダンスは!?」

 

 普段麗らかな麗日でも、この驚きの孕んだ声には麗らかさのかけらもない。

 そんな驚愕も、相澤は冷淡に言い放って沈めた。

 

「ヒーローになるなら、そんな悠長な時間はない。雄英は“自由”な校風が売り文句。そしてそれは、“先生側”もまた然り」

 

「「…………。………………?」」 「…………」

 

 皆、雁首揃えて首を傾げたそうにざわめく。

 相澤は手元のデバイスを操作しながら、生徒たちを射抜くように見据えた。

 

「お前たちも中学の頃からやってるだろう?」

 

  ──項目──

・ボール投げ

・立ち幅跳び

・50m走

・持久走

・握力

・反復横跳び

・上体起こし

・長座体前屈

 

「“個性”禁止の、体力テスト」

 

 ──やったことない。

 

 スマホのような端末の画面に映る項目の数々。それは一条に縁もゆかりもないことで、当たり前にやってると言われても首を横に振らざるを得ない。

 

 しかし、こうも考える。なぜ個性というものが存在しているのに、人はそれを禁止して記録を出そうとしているのか。

 

「国は依然として、平均化を求めている。が、それじゃあ合理的じゃない。……そこで──爆豪」

 

「──?」

 

 不意に名前を呼ばれ、険しさを振り撒くような愛想のない顔する爆豪が顔を上げた。

 相澤は首に巻いた布を避けるように顎で差すと、懐から一つのボールを取り出す。

 

「実技入試成績……獲得敵P(ヴィランポイント)がトップだったな。中学の時、ソフトボール投げ何mだった」

 

「……。67m」

 

 それがどれほどの記録なのか一条は知らないが、相澤の手から放物線を描いて飛んでいくのを眺めた。

 ボールは、相澤から、爆豪へ。

 

「じゃあ“個性”を使ってやってみろ」

 

 

 

 * * *

 

 

 そうして始まった、予行演習。みんな日常的に、普通に、生きていれば、学校競技で個性を使う機会はそうない。

 だからこそ、まるで本当に外に出ていいのかわからなくなる、久しぶりの外気に対する妙な気持ち悪さみたいなものがあった。

 

「縁の中からでなければ、どう投げても構わない。──“自由”だからな。思いっきりな」

 

 サークルの中に入り、腕を組んでウォーミングアップする爆豪。その背中からは隠しきれない闘争心が陽炎のように立ち上っている気さえする。

 

「んじゃまぁ──」

 

 投球の段階。足をグラウンドに踏み締め、構える。

 刹那、爆豪の形相が刃物のように鋭利になり──、

 

「死ねえ──ッッ!!」

 

 ──爆音

 爆風を推進力に変えた渾身の一投が、空気を爆破。破られた空気が、三度も軌道上に真っ白な円を広げた。

 のちに降り注がれる衝撃波。徒党を組んで爆心地にいる爆豪から逃げるように舞い上がる土煙が、グラウンドに立つ全員に襲いかかった。

 

「…………」

 

 ──死ねって言った……。

 

 一条の青い瞳は、空の彼方へはるか大きい放物線を描く白い点を見送る。

 すると、ピピッ、という音が、相澤の手元に収まる端末から知らせが舞い込んだ。

 

「まずは、自分の『最大限』を知る。それがヒーローの素地を形成する合理的手段」

 

   ──『705.2m』──

 

 それが、相澤が皆に向けた端末に表示された、爆豪の記録だ。

 

「「うおおおお──ッッ!?!?!?」」

 

 個性を授業で初めて使う。そんな不安が、爆豪の爆発的記録によって爆破されたように、歓声が上がった。

 

「な、700超えたって、マジかよ……」

 

「何これ、面白そう……っ!!」

 

「“個性”思いっきり使えるんだ……!! さすがヒーロー科あ!!」

 

 そう。不安が弾ければ、傾れ込んでくるのは恐怖による震えか、胸を躍らせる興奮感だ。

 クラス中から、驚嘆の声がまるでお祭り騒ぎのような熱気が広がる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「面白そう……か」

 

 

 

 だが──、

 

 

「ヒーローになるための三年間を、そんなお遊び気分の腹積りで、過ごすつもりか?」

 

 相澤の冷たい声が、熱気を一瞬で凍りつかせ、霧散させた。

 クラスの全員が彼の変化に気づくも、もう遅い。

 

「よし、なら……新基準を設けよう。8種目のトータル順位、最下位の者は……──見込みなしと判断し、“除籍処分”とする」

 

「「「──ッ!?」」」

 

 瞬間。絶叫に近い動揺が、和気藹々としていたクラスの中に迸る。

 出久の顔が、献血で血を抜かれすぎたのかと思うくらい真っ青になり、麗日は麗らかさを完全に消失していた。

 

 そして、再起動が全員の思考回路を編み直し終えた。その途端、

 

「「「はあああ!?!?!?!?」」」

 

 絶叫に近い動揺は絶叫となりて、広々としたグラウンドへ充満、残響させる。

 その混乱の中、一条はただ、自分の手のひらを見つめて、それから瞳を閉じた。

 

「…………」

 

 ──除籍、ここかにいられなくなるのは、私も困る。

 

 ミッドナイトに『頑張りなさい』と笑っていた顔を脳裏に甦らす。

 吉田が『君はいい子だ』と頭を撫でてくれた温もりを思い出す。

 髪を切ってくれたことも、出久のトレーニング観戦の記憶も、入試試験も、何もかも。一年という中で詰め込まれた記憶。

 ここを追い出されて仕舞えば、またあのなにも聞こえない暗闇に戻ってしまう。

 

「────」

 

 入学初日に、退学の危機。その理不尽に、一条は胸の中でざわめく妙な感覚に襲われ、自分の手を握りしめた。

 

 『ヒーローになる』という目標は、まだ始まったばかり。

 

「…………。やろう」

 

 どよめきでまぜこぜになる中、一条の呟きが一つ。

 それは、周囲の喧騒にかき消されるほど小さいもの。しかし、開かれる一条の青い瞳には、静かな、けれど逃れようのない意思が灯った。

 

 

* * *

 

 

 さて、入学初日に突然始まった個性把握テスト。

 トータル平均が最下位であれば除籍という、理不尽。

 

 だが、悲しいかな。この世にはありとあらゆる理不尽が跋扈するのである。それは、一条が日々暮らしている中、テレビやら実際に遭ったこともある。とは言っても、遭ってそうそうパンチひとつで壁に激突してことなきを得たが。

 

 ともあれ、自然災害、あるいは大事故、そして個性を私利私欲に使う敵たち。

 

 そういう理不尽を悉く覆していくのが、“ヒーロー”。

 

「これから三年間、雄英は全力で君たちに苦難を与え続ける。更に向こうへ──”Plus Ultra”さ」

 

 人差し指で仰ぎ、試すような目つきで、相澤は息を呑む生徒に言い渡す。

 

「これが雄英高校だ。さあ……全力で乗り越えて来い。こっからが本番だ」

 

 こうして、本当の個性把握テストの火蓋が切られた。

 

 

 

   ──第1種目:50m走──

 

 

 

《位置について》

 

 スタートの合図を任されたのは、カメラレンズ携えた記録ロボット。

 そして、その奥。三つのレーンには三人が並んでスタート位置につき、両手を地面に。

 

《よぉい……! 》

 

 左から、カエルのような少女。

 そしてその隣に、足にエンジンのような機関を持つ、飯田天哉。

 さらにその隣、一条はいた。

 

「……」「……」「……」

 

 気は逃さず、三者一同は皆、膝を地から離して体を前に、臨戦体制だ。物音ひとつで飛び出して行きかねない静寂の孕む風が、まるで西部劇のように横を通り過ぎて──、

 

《────ッ》

 

「「「──!」」」

 

 開始点が今放たれ、開始地点が爆ぜた。

 

「しぃ……っ!!」

 

 飯田のエンジンが熱を放ち、凄まじい排気音と共に弾丸となって飛び出す。

 カエルのような少女もまた、しなやかな跳躍で一歩ごとを数メートルと稼ぎ、異能の走法を見せる。

 

 だが、その前方──、

 

「──っ!」

 

 二人を置き去りにする黒い影が、一条がいた。

 脅威のスタートダッシュを収める一条の足元は、その速度とは裏腹に砂を巻き上げずに疾走していた。

 地面を這うような低姿勢のまま、倒れる体を地に寝かせないために“純粋すぎる脚力”がぐるぐると逸した回転数を保つ。

 

「な──」

 

 加速の半ばにも達せない飯田が、真横を通り過ぎる一条に絶句する。

 飯田のふくらはぎのエンジンは本調子ではないのか、加速期間の短さ故にスターターが詰まる。それでも、飯田のエンジンはコンマが刻まれるたびにその速度を増し、

 

「グゥ……!」

 

 追いつき、抜い──

 

《3秒02! 》

《3秒04! 》

 

 ゴールラインを二つが駆け抜けた。

 無機質なロボットの音声が、静まり返るグラウンドに二つの数字を叩きつけた。

 その差、わずかコンマ02秒。瞬き一つ分にも満たない空白が、ゴールラインを超えた二人横たわる。

 

「──……ふぅ」

 

 砂煙を上げながら、隣の飯田と共に急停止する一条。黒く長い髪が、生き残った慣性によって、ばさりと大きな弧を描いた。

 それほどまでに、この二人の出したスピードをありありと物語らせる。

 

《5秒58! 》

 

「ケロ……」

 

 一拍送れる形で、カエル少女がゴールラインを飛び越え、最初の一組目が終了した。

 

「…………」

 

 ──靴……よかった、壊れてない。

 

 一条は自分の足元に瞳を落とし、運動靴の無事を確かめた。

 あれがアスファルトなら、少し削れていたかもしれない。

 

 と、一条が胸を撫で下ろすのとは対照的に、待機していた生徒たちは宣告されたタイムに二度見。三度見。

 一瞬き、二瞬きと繰り返して固まっていた。

 

「おい、今の見たかよ! 飯田の走ってたやつと同じくらい並んでたぞ……!」

 

「並んでたどころか、最後先に抜けてなかった?」

 

「でも、3秒って……二人ともすごいね!!」

 

 ざわめきは波紋のように広がった。

 

 その傍で、相澤は手元の端末を眺めると、納得したように頷く。

 

「一位、星野。二位が飯田だ」

 

 一位二位。白黒はっきりしたことで、待機するクラスメイトたちが、戦慄を含んだ驚嘆の声が上がり始める。

 

「凄まじい……ぼ、俺も走りには人一倍自信があったのだが、まさか上回られてしまうとは……。実に見事な激走だったぞ、星野くん!」

 

「…………」

 

 飯田は一条の側にたち、正々堂々と、しかしレンズの奥で驚きの孕んだ目をして見つめた。

 

「別に……、ただいっぱい走っただけ」

 

「ただ、いっぱい走っただけ、だと……!?」

 

 飯田はメガネをクイッと押し上げ、一度絶句した後、さらに勢いよく手を前後にブンブンと振り回してきた。

 

「結果をただの積み重ねと言い切る、その精神性……君は、努力家なのだな!」

 

「「いやおかしいでしょっ!!」」「…………」

 

 ──全然違う。

 

 飯田の真っ直ぐがすぎるが故に逸れた答えに、全員からのツッコミと混る。

 一条は胸の中で、みんなと同じように呟いた。

 

 

 

 

 

   ──第二種目 握りょ──

 

   バキィッ!!

 

「────」

 

「「────」」

 

 第二種目は握力測定。50m走の余韻に浸らせる間もなく始まったそれは、盛大な金属の乾いた悲鳴が響いた。

 

 その張本人とは──、

 

「相澤……」

 

「先生をつけろ」

 

「…………、相澤せんせー、壊れました。これ、どうすればいい」

 

 グリップの形を失い、ひしゃげたプラスチックの塊となったものを相澤に見せる、毎度お馴染みになりかけている紹介──星野一条だ。

 淡々と、まるで今日何を買ったのか世間話でもするかのようなトーンで、一条は起こったことそのまま報告した。

 

「……そうだな」

 

 相澤は、ボリボリと頭を考えるように掻く。

 

 ──もしかして……、

 

 一条の頭に浮かび上がる、二文字の漢字。

 学校の物損による──

 

 

   ──“退学“──

 

 

 それが、感情の起伏を感じさせないおもたげな目つきをする、一条の脳裏を猛スピードでよぎった。ドップラー現象もびっくりな音を伴って。

 

 しかし、初めは良かったのだ。

 デジタル表示が、50から100。100から165と上がってきたのだから、まだまだいけるのではないか。

 そう考えた一条は、とくに理由のない大丈夫かもという意識で、目一杯グリップを握りしめる。

 

 するとどうだろう。

 

 

 # # #

 

 

『頑丈……』

 

 500と数値が膨れ上がっていくではないか。

 これには一条、まだまだいける。もうちょっとでもいける。と、本人でさえわからない謎の好奇心に指に力がこもった。

 この繰り返しで握った果てが995という数値。

 

『おお……』

 

『おーい! 入試以来だな、星野!』

 

『……ん、だれ?』

 

『そんな言い方ねェだろ!? 俺だ、切島鋭児郎だ!』

 

『切島……、髪赤い』

 

『そうだぜッ。高校デビュー……ってやつだッ。…………まあ、話すタイミングがあれだったし、次俺やるから、待ってる間だけでも挨拶はしときたくてよォ』

 

 と、実技試験以来、見当たらないと思えばまさかの黒髪が赤髪になった切島が現れたのだ。

 0Pを共に撃破した仲。あと一人、ナナがいるのだが、このクラスにはいない。一条は、新たな気掛かりに息を落とすも、そんなのお構いなしに切島が目を見開いた。

 

「にしても星野……その数値すげェ!! どうなってんだ!?』

 

『……。まだまだいける』

 

『本当かよそれ!? その手にどれだけ力詰まってんだァ……? 星野、終わったら次ィ俺にやらせてくれッ』

 

『うん。じゃあ……』

 

 短く、静かな吐息。気合いを入れる叫びもなく、ほんの少し見を固めるように一条は手のひらに力を込めた。

 

 すると──

 

  バキィッ!!

 

『──』『──』

 

 

 # # #

 

「…………」

 

 ──こうなった。

 

 ということなのだ。

 隣の切島も、これにはポカンと口をあんぐりとして放心せざるを得ない。

 

 一条は、合格発表とは比べ物にならないほど固まり切っていた頬をさらに固めて、相澤を、下される裁定を待つしかできなかった。

 

 ──ヒーローは迷惑なことをしたらダメ、ってミッドナイトが言っていた。なら……

 

 記憶の中のミッドナイトが指し棒でホワイトボードを叩いている。

 一条、絶体絶命を目の前にして、ため息をついた相澤を見つめ続けた。

 

「星野の握力測定の記録は──測定不能とする」

 

「……ぇ」

 

「お前ら──」

 

 小さく息をこぼす一条から顔を背く相澤。辺りを見渡し、一条の鳴らした音と握力系の末路に放心するクラスメイトらに、言葉を紡いだ。

 

「これは個性を測るテストだ。道具のことなんか気にしなくていいから、考えるままにやれ」

 

 相澤は毅然とした態度で言い放つと、記録帳に書き込んだ後、一条の元を離れていった。

 

「…………星野、お前って半端ねェのな」

 

「うん、半端ない。これ、あげる」

 

「いらねェよ!!」

 

 

 

 

   ──第三種目 立ち幅跳び──

 

 

 砂場前には、すでに数人の生徒が記録を終えて溜まっている。

 爆豪が手のひらから生み出す爆破の推進力を持ってして砂場を大きく飛び越えたのは、周囲もさすがと色めき立つ。

 その中、

 

「…………」

 

 星野一条の順番が回ってきた。

 片足をふらふら、片手をふらふら。揺らして体をほぐす一条からは力強さはまるで感じさせない。つい先ほど握力計を文字通り捻り潰したのにだ。

 

 白線の前でコンディションを整える一条には何か考えがあった。

 

 

 ──跳ぶ。

 

 

 ……考えはあった。

 

 やり方はわからないが、とりあえずは跳ぶ。着地の憂いはその後だ。

 

 周囲の視線が突き刺さるが、一条は両腕に勢いづかせ、重心を低く、バネのように体をしならせ──

 

「や……っ!」

 

 地面を蹴った。

 それは、0Pを一つの跳躍で舞い上がった光景の再現にも等しいもの。

 一条の体は、砂場を悠々と飛び越し、その先のグラウンドのはるかさきへ跳んで、音もなく着地した。

 

 《76m》

 

 ──……もう少し、前に飛べたかもしれない。

 

 機械が言い渡してきた記録に、一条は砂場の、跳躍地点を振り返ってわずかに肩を落とす。

 思いの外山なりに飛んでしまったためか、あんまり伸びない。

 

 

「「「…………」」」

 

 心なしか寂しげな空気を纏いながら駆け足で戻ってくる一条とは裏腹に、クラスメイトはもう驚くのも疲れてきたな、という、半ば諦めにも似た感嘆が漏れ始めていた。

 

 

 

   ──第四種目 反復横跳び──

 

 左右に引かれたラインを、制限時間内に何度行き来できるか。それを測る種目らしい。

 みんなの動きを見て、粗方動き方を覚える一条は軽くラインを踏んだ。

 

 ──多分、こんな感じだったはず。

 

「準備はいいか。峰田、星野」

 

 準備万端の予感に気付いたのか、相澤が端末片手に本番を煽る。

 そして──始まった。

 

「ひゅううう!!! オイラだって、いいとこ見せるんだあああ!!」

 

 頭のブドウみたいなものをサイドに敷き詰めた峰田という小さい少年。最初は子どもかと思ったが、別に飛び級をしたわけでもないただただ背が低い男の子だ。

 そんな彼は、もいだブドウの間を驚異的なバウンドで往復。ブヨンブヨンと小気味よく、そしてどんどんと記録を伸ばしていく。

 

「…………」

 

 その横、一条は反復横跳びの合理的な動きを模索していた。

 

  ──右、真ん中、左──

  ──右、真ん中、左──

   ──右真ん中左──

    ──右──左──

    ──右、左──

     ──右左──

 

 次第につなぎが曖昧になり、一条の姿がぶれて見え始めていく。

 その動きに、真ん中を経由する時間なんてものは疾っくの疾うに消滅した。

 左右のラインに足が触れる瞬間、一条の五体はそこにあるが、次の瞬間には反対側にいる。峰田のそれにも等しいブレた虚像が一条にも生まれ、並んで見えた。

 

「……おい、嘘だろ。あいつ、消えてねーか?」

 

 金髪に黒い電気の走った髪をする少年が目を擦って、切島に関してはどこか誇らしげだった。

 

 記録終了。

 

 一条のは乱れることのない呼吸のまま、ぴたりと動きを止めた。

 

 その横で、

 

「うおぉっ!? ちょ、止まんねえ、止まらねええええ!」

 

 弾かれる存在となる、パニック峰田がいた。

 ボヨンボヨンと反発するのはいい作戦であったが、肝心の止まり方を峰田は考えていなかった。

 次の手をやろうと思えば、反発してまた次の手を考えたら反発して反発して──

 

 反発し──

 

「ぶべっ!?」

 

 瞬間、黒い影が手足をばたつかせていた峰田を掻っ攫う。

 

「…………」

 

 一条だ。無言の一条が、峰田の首根っこを掴んで救出し、そのままぶら下げた。

 

 助かった──。そう峰田は安堵の息を漏らそうとして、

 

「……! スンスン」

 

 刹那、峰田の鼻腔をくすぐるに香りがあった。

 峰田、鼻を利かせる。それは、女子高生というには簡単に言い表せない香り。強いて言えば、冬の夜の冷気のような、あるいは研ぎ澄まされた鉄のような、ひんやりして、それでいてどこか闇を予感させる、不可思議で、ひどく可憐な、官能的な香り──。

 

「……?」

 

 一条が、峰田の変な挙動に怪訝そうに首を傾げる。

 

「へ、へへ……。サンキューな。お礼に、もっと近くで君の匂いを、クンカクンカ…っ」

 

 峰田が鼻を蠢かせ、一条の白い肌に顔を寄せようとしてきた。その時、

 

「……っ!?」

 

 一条の肩がかすかに跳ねる。

 今、背筋を、ミッドナイトの邪魔くさい感じのものとは違う、どろりとした粘液のような感覚が身を這い上がってきたのを、一条は覚えたのだ。

 

 その純粋すぎる欲望。目の前にした一条は、

 

「……っ」

 

「くん……うぇっ、ちょっ!? ちょっ、まって──」

 

 救助対象から排除すべき対象へとクラスチェンジした峰田から、一刻も早く手から離そうと振りかぶって、

 

「──ふん」

 

 ──放り投げた。

 ごく自然な動作で、まるでゴミを投げるようなフォームで。

 

「ギャアアアアアアアアアアアア!?!? アアああ!? あアあア!」

 

 放物線を描き、投射物となった峰田の叫びは遠くなるたびにどんどん低くなる。さながら人力ドップラー効果だ。

 あの軌道上には、彼の感情の礫がまるで宝石のように輝く──。

 

「うぅおわ!? 投げた!?」

「ええええええ!?」

「星野ォ!?」

「星野くん!? それは危険行為だああ!!」

 

 皆が突然の一条の暴挙に目が飛び出て、哀れ峰田が飛んでいく方へと走って行った。

 

「……あ」

 

 一条は、自分の手を見つめ、それから遠ざかる絶叫の方へと視線を戻した。

 やりすぎた、という自覚は実のところ微塵もない。ただ、変な背中を這うゾワゾワとした感覚が近づいたから、遠ざけた。

 けど、投げてしまった。その事実が、瞬間一条の頭に冷や水を浴びせる。

 

「あ」

 

「……はぁ」

 

 相澤は深いため息をついて、端末を片手間に操作しながら峰田の行く末を見守った。

 

「ああぁあああ! アベシッ!!」

 

 っぽーんと放り投げられた峰田が、野球の防護ネットに突き刺さるそのときまで。

 

「……やりすぎだ、星野」

 

「……ごめんなさい」

 

 

 

 

 爆豪は鼻で笑った。

 

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