青き炎のBEACON《道標》   作:リクライ

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第十一話 『個性把握てすと【後編】』

 

 

 

  ──第五種目 ボール投げ──

 

 

 個性把握テストは、淡々と、しかし確実にクラスメイトの精神を削りながら進んでいく。

 一条にとっては、力加減をするのが一番の難問と言えよう。力加減と言っても、手加減とはまるっきり異なる。

 迷惑がかからない、かつ全力で取り組むという線引きが難しいのだ。走るにも地面を抉りかねないし、握力計は……粉砕したけども、他はうまく行ったはず。

 峰田は投げてしまったが不可抗力だ。

 

「……疲れる」

 

「疲れるの方向性が違うだろ、星野……」

 

 隣で肩をほぐす切島が、呆れたように、しかしどこか楽しげに笑う。

 

 さて、個性把握テストもいよいよ後半戦。第五種目はデモンストレーションにもあった──ボール投げ。

 そして今投げようとしているのは、麗日お茶子。彼女がサークルの中に入ると、手中のボールを、

 

「せい!!」

 

 投げた。

 

「「「…………」」」

 

 やる気なさげのボールの軌道は、放物線を描くどころか、大空目掛けて一直線。

 そのままずっと──

 

「「「…………」」」

 

 ずっと──、

 

「「「…………」」」

 

 ずっと──

 

「「「────」」」

 

 ボールは飛んでくどこまでも。

 

 ピピッ。そうして届けられる記録。

 相澤が掲げた端末には、横に倒れた『8』の文字が表示されていた。

 

「「「む……無限!?!?」」」

 

 クラスが再び、今日何度目かわからない驚愕に包まれた。

 

「計測不能が二人……! すげェな、星野!」

 

「…………」

 

 ──すごい……これが無重力の個性か。

 

 自分にはない、無限を体現する『無』重力の麗日の個性に、一条は星になったボールを仰ぎ見て感嘆した。

 自分はただ力が強いだけ。他の人のように、爆発したり、硬くなったり、弾んだり、腕を増やしたり、ビームを出したり、などなど。突飛なことはできない。だからこそ、こうして個性を目の当たりにできるのが、一条にとってとても刺激的だった。

 

「次……、時間も押してるから、はよ」

 

「──っ」

 

 相澤に煽られ、引っ張られるように出てきた出久の背中が目に見えて強張ったように見えた。

 そう、緑谷出久。彼は個性把握テストで、ただの一度も“個性”を使っていない。他の種目では、必死に、泥臭く、生身の肉体だけで食らいついていたが、それでも個性なしでは差が開く一方であった。

 

「…………」

 

 一条は、じっと群衆の中から出久を見つめる。

 

 ──なんで使わないんだろう。

 

 他でもない、八木に似た炎を目に宿す少年出久が、一回も“個性”を使わないで終わるなんてこと、あるのだろうか。

 何せ、出久は自分と同じように実技試験をパスしている。ということは、少なくともナナと同じくらいのフィジカルはある。はず。

 

「緑谷くんはこのままだとマズイぞ……」

 

「ったりめーだ。無個性のザコだぞ!」

 

「…………?」

 

 ──むこせー?

 

 爆豪が豪語する、一条にとっては聞き馴染みのない“無個性”という単語。

 一条は横に流した目つきで爆豪を見ると、

 

「無個性!? 彼が入試時に何を成したか──」

 

「飯田」

 

「──む? どうした、星野くん」

「テメェ最後まで話し続けろやゴラァ!!」

 

「出久は無個性? 無個性って何? 出久は実技で何したの?」

 

「それはだな──」

「話し聞けや!! この『星屑女』ァ!!」

 

「…………。星屑女じゃない。私は星野一条って名前がついて──」

「るっせえわ!!」

 

 埒が開かないとはこういうことを指すのではないだろうか。

 爆豪の怒鳴り声が至近距離で炸裂するも、

 

「…………」(スーン)

 

 一条は眉をぴくりとも動かさない。ただ、猫が動くものを眺めるような静かな目つきで、爆豪の口元と、その奥で震える出久の背中を見比べる。

 

「無個性……。個性が、ない?」

 

「そうだ! 生まれつき、なーんの“異能”も持たねぇ、ただの木偶の坊……石っころのことだ!!」

 

「爆豪くん! 星野くんに誤ったことを言うんじゃない! それに、緑谷くんはだな──」

 

 一条の淡々とした物言いと、飯田の壁のように動じない反論に、爆豪のこめかみがビキビキと音を立てんばかりに血走る。吊り上がった目端も、なんだか眉を押し上げているように見えた。

 

 そのとき、

 

「────」

 

 何かとてつもない圧が間近に捉え、一条の瞳が横へ走る。

 意を決したようにボールを握りしめて、腕を振りかぶる出久に。

 

 ──何か、くる。

 

 今まさに、出久の瞳の所以が垣間見える。応援というよりは、一条のそれは海浜公園のときと同じ、観察して待ち遠しいような感じに近いもの。

 

 出久が腕を振り抜いた──

 

《46m》

 

 ──……え。

 

「な……なんで、今確かに使おうって……」

 

 出久が投げたボール。それは情けなく、ポトリと手前の地面へと落ちたのだった。

 しかし、変だ。今、確かに出久は個性を使おうとした。そんな気配を、一条は肌で感じ取ったのだ。

 

 そのとき、グラウンドを冷たい風が吹き抜けた。

 

「──“個性”を消した」

 

 相澤だ。

 煩わしげに首元に巻いた布を握り引いて、彼はたじろぐ出久へと歩いていく。

 

「つくづくあの入試は……合理性に欠く。お前のような奴も入学できてしまうからな」

 

 相澤の様相は、一条含めたのクラスメイトからは見えない。だが、相澤の口から紡がれる声音は平時のだるさがまるでなく、沈むような重みがあった。

 

 彼、相澤。またの名を──抹消ヒーロー『イレイザーヘッド』。

 

 見ただけで人の“個性”を抹消する“個性”をもつ男であり、プロヒーローであり、教師だ。

 

「…………」

 

 ──見ただけで、個性を消す……。そんなのもあるんだ。

 

「…………」

 

 ──あと、相澤にもやっぱり二つ名前があったんだ。

 

 一瞬、一条の脳裏にどちらの名前で呼ぶべきかと思考がよぎった。ミッドナイトのことはミッドナイトと呼んでるし、けど相澤のことを『いれいざーへっど』とは呼べない。なんとなく言いずらい。

 一条は相澤で固定した。

 

「緑谷出久。お前の“力”じゃ──ヒーローにはなれない」

 

 言い切り。その小さい言葉だけが、一条の耳に届いた。

 

 相澤の言葉の、まるで冷たい刃のように出久の胸を刺し貫く様に、一条の瞳が持ち上がる。

 捕縛するように布に絡め取られ、身動きを封じられ、ただ正面から言葉を受けることしかできない出久。その姿は、ひどく脆く見えた。

 

「…………」

 

 一条は無言で、風にたなびく相澤の黒い髪を見つめる。

 消した。

 確かに、出久の中に灯ろうとしたあの“炎”が相澤が顔を向けただけで霧散したのを一条の肌は感じ取っていた。

 

「自分の力を制御できず、ただ壊れるだけの木偶の坊。そんなものを助けに向かわせるほど、甘くはない。…………」

 

 ふ……と、一言二言、相澤が出久に伝えたら、空白感が消えて、元に戻った気がした。

 

 相澤が布を解き、背を向ける。

 

「“個性”は戻した。ボール投げは二回まで。とっとと済ませな」

 

 合理的。という冷徹な計算の下で、出久に残されたのは、たったの一球のみ。だが、これは誰しも与えられたチャンスだ。

 

 クラスメイトたちの間に、重苦しい沈黙が広がり始める。爆豪の嘲笑うような視線、飯田や麗日の祈るような表情。

 

 それらを差し置いて、一条はただまっすぐに出久を青い瞳に収めた。

 

 一条は見た。

 海浜公園。受験が終わり、その次の日の早朝にミッドナイトを連れて。

 何があったか。そこにはゴミはなく、錆びついた軽トラも何もない。遮るものは何もなく、居心地良く地平線が息づく──砂浜があった。

 

 出久は知らないだろうが、地平線の彼方から太陽が現れる“日の出”を一条はこの目で見たのだ。

 彼は強くなっている。だからこそ、

 

「…………」

 

 出久の努力は、正しく発現せねばならない。

 

 ──あなたが、最高の水平線を見せてくれた出久なら、きっとできるよ。

 

 出久が、サークルの中で再び構える。

 ぶつぶつと呟くのは、海浜公園でも見せた整理のようなもの。だが、少なくとも見込みゼロというほど、彼の瞳には曇りのない決意が宿っていた。

 そして、迫る気配。

 

「────」

 

 腕ではない。指先に、一点に全神経を集中して内包させるような、静かなる気迫。

 

 ──くる。

 

 一条の首筋に、ピリリとした静電気が走るような感覚。

 刹那──、

 

SMASH(スマァッッシュ)──ッッ!!!!」

 

 ──轟音。

 指先に詰め込まれた“威力”がボールを吹き飛ばす渾身の一投。爆豪のそれとはまるで違う、投擲の瞬間で空気を打ち破った。

 空気を引き裂く白の衝撃波を伴い、軌道を駆け抜け、空へ羽ばたく一条の光となってボールが消えていった。

 

  ピピッ

 

 相澤の手元で、端末が宣告する。

 

   ──《705.3m》──

 

「……先生」

 

 ボロボロになった一つの指を握りしめ、歯を食いしばる出久が、

 

「まだ……動けます……!」

 

「「「う、うおおおおおお!!!」」」

 

 行動可能(・・・・)であることを。

 

 再び湧き上がる歓声。そして隣で喚き散らす爆豪の怒号。

 一条は、視界に飛び込んだ数字を確認し、それから小さく息を落とす。

 

 ──やっぱり、あなたは綺麗な朝焼けみたい。

 

 

 

   ──第五種目 ボール投げ(続)──

 

 

「次。……星野」

 

 相澤の気だるげな、けれどどこか、先ほどとは違って暖かさを含んだ期待。そんな声に呼ばれ、一条はゆっくりとサークルの中へ歩みを進めた。

 出久がふらつきながらサークルを出る間際、一条の青い瞳と出久の深緑の瞳が交わる。

 

「……星野さん、頑張って」

 

「…………」

 

 瞳をまっすぐに戻し、逸らすのを答えにすると、相澤からボールを受け取った。

 

 ──……思ったより軽い。

 

 あの武器に比べれば、もう無いに等しいほどに軽い。

 

 ──潰さないようにしないと……。

 

 いつものように、物を、ペンを握るような繊細な手つきでボールを転がす一条はサークルの中心に立って、空を見上げた。

 

 爆豪が爆破した、はるか先の空。

 麗日が打ち上げた『無限』の空。

 出久が身を削って繋いだ空。

 

「…………」

 

 ──どうすれば、あんなに遠くまで走らせることができるの。

 

 一条は、自分の体に走る力を探る。

 自分には、爆発も、氷も熱も、ビームも、無重力も、明確な個性すらわからない。無いのかもしれない。

 あるのは、ただここにある体と、使命感。

 

「…………っ」

 

 一条は右足を一歩引いて、踏み込む。強くではなく、固定させるために僅かに沈み込ませる。

 体を捻り、一条は自分自身で挑んでみせた。

 

 ──みんなはみんな。私は私。なら──。

 

 一条の瞳が、見開いた。

 その瞬間、一条の髪が舞い上がり、

 

「──やっ!!」 

 

 ──破裂音。

 それは、爆破ではない。一条の腕から放たれた、空への一投が、音の域に達した合図だ。

 単純かつ明快な、身一つで打ち出されて空に駆ける計測ボール。角度の甘い放物線を描くそれは、破った空気を真空の筒にして突き進む。

 

「…………」

 

 風が遅れてやってくる。

 一条の足元から砂埃が放射状に広がり、周囲の生徒たちが目元を腕で覆った。

 

  ピピッ

 

 相澤の端末が、数秒の計測期間を経て、結果を弾き出した。

 

 

   ──《829.5m》──

 

 

「「「…………は」」」

 

 

 

 

* * *

 

 

   ──第六種目 持久走──

 

 

 

 

 

 グラウンドを延々と周回する、孤独な戦い。

 そこには、普通の学校では見られない異様な光景が広がって──

 

 

「しいいいねええええ!!!!!」

 

 ……広がっていた。

 絶え間なく爆破を推進力で先行。罵声を大気に当たり散らしながら騒ぎ散らかす爆豪。

 

「長距離ならっ────フルスロットルだッ」

 

 土煙を後に置いて行き、先行する爆豪に迫り、追い抜き、先頭へと瞬く間に疾走する飯田。

 

「しぃっ──!」

 

 氷の進路を目の前に作り上げ、ぐんぐんとスピードを上げる二位の半分白半分赤の少年。

 

「相澤先生はおっしゃいましたもの。故に、個性で生み出したもので体力の消耗を最小限に抑えつつ速度を維持するのは、真っ当な判断ですわ!」

 

 お嬢様口調で、セグウェイで爆走するポニテの少女。

 

 そしてそのセグウェイを、50m走に近い速度を維持した、“純粋な走力”で追い越す──、

 

「…………。みんなはやい」

 

 もはや定番となってきている、変わらない涼しい顔をした星野一条。

 

 

   ──カオスここに極まれり──

 

 

「……嘘でしょう? 私、最高出力のモーターを積んだはずですわよ!?」

 

 遠ざかる一条の背中を見ながら、セグウェイのハンドルを握りしめるお嬢様少女。

 その先で氷を滑る赤髪白髪少年が眉を顰めた。

 

「あいつ、心肺機能どうなってんだ……?」

 

「どけえええええ!! どかねぇと爆破するぞ星屑女アアアア!!」

 

 後方から必死に爆破で追い縋る爆豪だったが、哀れ。体力において、長時間飛行なんてものはこれが初。それでも速度は保っていられているのだから、彼の天性なまでの感覚は凄まじい。

 

 ──すごい、ずっと爆発してる。疲れないのかな……。

 

 ──前のあの人も。氷ずっと出して、疲れないのかな……。

 

 と、やっぱりどこかズレた感想を抱きながら、風景の一部のように一条は走り続けた。

 

 

 

 

 

   ──第七種目 上体起こし──

 

 

 さあ、個性把握テストも後半戦に両足を突っ込んだ頃合い。

 このまま何事もなく、興奮のまま進めば万事オーケー。

 

 のはずだった。

 

 

「…………」

 

 若干に息を切らし、若干汗ばんだ一条の前に立つのは、防護ネットから救出された──、

 

「……へ、へへ……オイラ峰田実ってんだ」

 

「…………。………………………………。………………そう。私は星野一条」

 

 まさかの一条のペアは紫の子供みたいな外見の少年、峰田だった。

 あのどろっとした、背中に垂らされるタールめいた妙な感覚。それが、彼の瞳の中に澱んでいるように感じる。

 流石の一条。凄まじい間を生み出すが、一応は対話に乗じようとする姿勢を見せた。

 

 が、

 

「さ、さっきはよくも投げてくれたなぁ星野……。でも、この『上体起こし』はペアが必要なんだぜ? オイラが足を押さえてなきゃ、記録は出ねぇ……」

 

 正面の峰田。一条の冷たい視線に震え上がりながら、その欲望だけは枯れていなかったのだ。今にも、ジャージの中に内包された一条の足にわきわきと手のひらを動かす。

 

「…………」

 

 一条は、自分の足元と、峰田の意味不明な手つき──いや華奢な腕を見比べた。

 

 ──だめ。

 

 一条は直感する。これは、峰田を拒絶したというわけではない。

 今までの個性把握テストを鑑みればわかること。本気を出せば、上体を起こす間の反動で、峰田は間違いなくグラウンド投擲事件の二の舞になってしまう。ならなくても、飛んで顔面が壁に突き刺さる。

 

 流石にその物的破損は、迷惑の範疇を大きく超える。

 

「相澤」

 

 一条は、近くで記録をつけていた相澤に声をかけた。

 呼びかけられた相澤はため息をついて歩んでくる。

 

「先生をつけろ……いい加減に。で、なんだ。さっさと始めろ」

 

「せんせー。峰田を殺したくはない」

「え?」

 

「何?」

 

「だから峰田の“個性”を使わせてほしい」

「オイラの……?」

 

「……あ?」

 

 一条の喋りに被せる峰田は一旦置いておいて、相澤が怪訝そうに眉を寄せた。

 一条は峰田に向き直ると、片膝をつき、真っ向から峰田のつぶらな黒い双眸を真剣に見つめる。 

 

「峰田。このままだと、あなたは私の上体起こしで吹っ飛んで死んじゃうの。私はあなたを殺したくない」

 

「え」

 

「だからあなたのボールが欲しいの」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれよ! なんなんだよさっきから! オイラが死ぬとか意味わかんねぇんだよぉ! 大体ボールとか……っ、星野お前……っ、こんな公衆の面前で……」

 

「──っ」

 

「ぇえ゛!?」

 

 ダラダラと、それになんだか頬を赤らめる意味不明な峰田に、一条は痺れを切らして彼の両肩を掴んだ。

 カエルを轢いたような「──ケロ?」…………。

 

 

 どこからか声が聞こえたような気がしたが…………、アヒルが鳴くような声を吐く峰田にはお構いなしに、一条はズイッと顔を近づけた。

 

「紫のそれ、一つだけ私の足につけて」

 

「……む、紫のこれ……? オイラのモギモギを……足に……?」

 

 峰田は困惑した。

 自身を投げ飛ばした美少女が、今度は真剣な眼差しで自分の『玉』を欲しがっていることに。浴びせられる青い瞳には一点の曇りもなく、純粋に身を案じる瞳だった。

 

「ひっ、……わ、わかったよぉ! 一つ……いや、二つ(・・)だな!?」

 

 峰田が頭からブドウのような球体を二つもぎ取ると、それを一条の運動靴のつま先あたり──地面との境界線にペタリと貼り付ける。

 

 ──よし、これなら。

 

 一条は見ていたのだ。反復横跳びで、あの速度に耐える地面への接着力を。

 この超強力な粘着力さえあれば、一条の足は床を掴んでは離さない。

 

「…………。これでよし。せんせー、準備できた」

 

 一条は仰向けに寝転がり、胸の前に手を組んだ。

 足元を固定する峰田を『重石』としてではなく、ただの『観察者』として脇に退けさせ、相澤を見る。

 

「……フン、いいだろう。始めろ」

 

 ロボットカメラが設置されたのち、ピーッ、という笛の音。

 その瞬間、

 

  ミシミシミシミシッ……

 

 床が悲鳴を上げるような音を響き渡らせた。

 

「っ、っ、っ、っ、っ、っ、っ──」

 

 一条の上半身は、もはや起き上がるというには生やさしい動作ではなかった。それは、まるで強靭なバネが弾けるような、あるいは機械のピストン運動のような高速の往復運動。

 

 実際、目にも止まらない速度だった。一条の上体が起き上がったと思えば床に伏せていて、思ったらまた上がる。

 地面に固定された足首には、計り知れない負荷がかかり、峰田の『モギモギ』が限界にまで引き伸ばされた。

 

  メキメキャ…ッ‼︎ ハヤクオワッテクレエエエエッッ

 

 床も、もはや万事休すか。

 

「……お、おいらのボールがぁ……」

 

  10秒──

 

  20秒──

 

 しかし、一条の運動は止まることは知らない。

 そうしてはや30秒を経過した。

 

  ピーッ

 

「…………」

 

 笛の音が響くと同時に、ぴたりと残像が消えた。

 乱れの一つもない呼吸で、寝そべった状態から一条は静かに起き上がる。

 

「……ふぅ。ありがとう、峰田。おかげで死なせなくて済んだ」

 

 一条が、真顔で、淡々と告げる横で、峰田は黒目を白くして放心状態だった。

 その足元では、健闘を讃えるように球体の姿を保ったモギモギが、一条の足に張り付いたままだ。

 

 

 峰田は相澤が一条に見せる端末の数値を見て、胸で呟く。

 

 

   ──《137回》──

 

 

 

 あぁ……、今日体調良くてよかった……。と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみにこの後、床に一つ、両膝の間に一つ、モギモギをつけた峰田が上体起こしで無双した。

 

「ひゅうううううう!!!! 全自動腹筋ワンダーコ──」

 

 

 

 

 

 

   ──第八種目 長座体前屈──

 

 

 

 一条は、測定器の前に座り、足を伸ばしていた。

 ルールは至って単純。どれだけ深く体を曲げ、箱を押し出せるか。

 

 一条の柔軟性は極めて高いものだ。関節なんて柔らかく、筋肉に無駄な突っかかりもない。

 

「ふぅー……」

 

 一条は息を吐きながら上半身を倒すと、頭は膝にぴたりとつき、背骨は美しい弧を描いた。指先は、一条の体が許す限りの『最大距離』まで、測定器のメモリを推し進める。最も、人差し指と親指の間で挟むようなものであるから、指先を伸ばしても意味はない。

 だが、それでも己の体の器を超えた動きはできない。

 

「…………」

 

 ──ここまで。

 

 腕の感覚が、物理的な限界を告げていて、いくら力んだとしてもはち切れそうな弦のように張る。

 腕がゴムのように伸びることも、指先から何かが飛び出すことも、一条はできない。

 

  ピピッ

 

「…………」

 

 記録としては、平均の女子よりははるかに上。だがそれは──

 

「おっ、これくらいか? ほいよっ……とぉ」

 

 個性を使わなかったらの話に過ぎない。

 

 一条の隣のレーンでは、肘に射出口を持つ少年が、勢いよくテープを繰り出していた。

 

「ケロ。私もやるわね」

 

 カエル少女が、しなやかな舌を弾丸のように伸ばした。

 自分の指先が届かなかった遥か先の領域まで、一条の記録は容易く凌駕される。

 

「……ぁ」

 

 一条は何もできず、それらの光景をただじっと眺めた。

 腹から影を伸ばして記録を抜いてく鳥頭のような少年。

 腕を増やして伸ばしていく少年。

 

 自分には到底できない光景を、その瞳に現実としてありありと。

 

 お嬢様少女に至っては、もはや柔軟性という概念を飛び越えている。指先から創造した構造物で、これまた優雅に記録を更新。

 

「…………」

 

 ──……、個性ってずるい。

 

 そんな子どもじみた言葉が、一条の脳裏に掠めた。

 いや、ずるくはないのだ。これこそ『個性把握テスト』。むしろ真っ当に機能していると言える。

 これが、この場においては『正解』なのだ。

 

「…………」

 

 握力計を捻り潰し、ボールは音速で投げ飛ばし、50mをただの走りで3秒駆け抜けた少女。

 けれど、この座りにおいては、ただの柔らかい少女に過ぎなかった。

 

「……し、仕方ないよ星野さん。誰にだって向き不向きはあるんだから」

 

 ボールを投げてから、今の今までずっと腫れ上がった人差し指の痛みに奥歯を噛み締めて耐える出久が、一条に声をかけた。

 

 その声に、一条は少しだけ肩を落とし、

 

「…………。指、伸びればよかった」

 

 白く細い手のひらに向かって、ポツリと、聞こえない声で呟いた。

 

 

 

 

* * *

 

 

   ──全種目終了 結果発表──

 

 

 長く思えた個性把握テストも、今に思えば短く思えてしまう。そう思ってしまうのは、一条にとって刺激的だった日々の一つに君臨したからだ。

 

「よし……。全種目終了だ。トータルの結果を今から表示する。いちいち読み上げるのは合理的じゃない。自分の目で、確認しろ」

 

 相澤が空中に投影したホログラム。

 そこには、二十一名の名前と順位が並んでいた。

 

「…………」

 

 一条は探し、そして見つけた。

 

 3位:星野一条

 

 そしてキリが悪く、枠に溢れるようにあぶれた二十一番目が、

 

 21位:緑谷出久。

 

 その瞬間、グラウンドに再び重苦しい沈黙が降り立った。

 

「…………」

 

 ──出久……。

 

 一条は、飯田の隣に並ぶ出久の背中を見つめる。

 最下位は除籍。相澤がそう言っていたことを一条はもちろん覚えている。ならば、ここで除籍になる人物は、もちろん最下位である出久ということだ。

 

 ──…………。

 

 思えば、去年のミッドナイトは慌ただしかったような気がす──

 

『──全くあの人ったら、担当教室の生徒全員除籍なんて……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──あ。

 

 言ってた。言っていた。

 その瞬間、一条が頭に底冷えする気配を覚えて、出久の背中をバッと見つめる。

 ミッドナイトが慌ただしかったのは、それが理由である。なら、除籍は本当ということ。

 

「…………っ」

 

 ──相澤。あの人は鬼なんだ。

 

「…………」(ジーーーー)

 

 一条は小さくなっていく出久の背中から目を外し、相澤の顔面を見つめた。

 それは、抗議するという目ではない。怒りとか敵意といった類は持ち合わせていない。ただただ相澤という人物を瞳に収めていた。

 それだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちなみに除籍は嘘な」

 

「「「────」」」

 

 今、何と言った。

 一条は耳を疑った。自分の耳が機械であるのなら、ドライバーでバラして一から組み直すほどに。

 

 相澤の口から放たれたのは、『除籍は嘘』という言葉。それが、まるでガムのように咀嚼して延々とクラスメイトの間で反芻する。

 そして、グラウンドに漂っていた絶望感は、吹っ飛んだ。

 

 つまりは、

 

「……嘘。……嘘つき」

 

 一条は握りしめていた拳の力をふっと抜いた。

 胸の奥で戦慄の火花が燃え上がっていた『相澤 is 鬼』という認識が、行き場を失って地面へとダイブ。

 一条の相澤をジッと見る目つきは、いつしか得体の知れない生物を見るような目へと変化した。

 

「君たちの“個性”を最大限引き出すための──合理的虚偽だ」

 

「「「──え」」」

 

 ニヤリ、とそれこそ子どもを騙す大人気ない笑みを浮かべる相澤。

 次第に状況が思考回路を脱線からもとの路線へ戻ったクラスメイトらは──、

 

「「「んなっ、はアアアアアアアアアアア!?!?!?!?!?」」」

 

 それはもう大絶叫だった。

 だが、あくまで大多数の生徒であり、一部の生徒は気づいていた様子。

 

「あんなの嘘に決まっているじゃない……。ちょっと考えればわかりますわ……」

 

「…………」

 

 ──いや。

 

 胸の中で、一条は首を振り、ツインテールをビタンビタンと横に振った。

 彼、相澤はミッドナイトの評価もある通り、やりかねない男。今回は相澤の眼鏡にかなったから欠けることなく、こうして驚いたり安堵したりできるだけで、おそらく相澤は──、

 

 ──誰か一人でも手を抜いたら……

 

 確実に除籍していたに違いない。

 一条の頭に、起こりえた最大のIFが手を振ってどこかへと走り去るが、これを偶然と片付けるには安すぎる出来事であった。

 とにかくは──、

 

「そういうこと。これでテストは終わりだ。教室にカリキュラムなどなど書類が置いてあるから、今日中に目を通しておけ」

 

 これで、『個性把握テスト』という波乱の入学式兼、一条の人生初の学生生活一日目の幕が下りたのだった──。

 

 

 

 

 

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