グラウンドでの『合理的虚偽』による落差が冷めぬまま、個性把握テストは幕を閉じた。
さっさと着替えを終え、再び足元のスカスカ感が落ち着かない制服に身を包んだ一条は、校舎の長い廊下を歩いていた。
「…………」
──なんだか、今日は足元がふわふわする気がする……。
時折足元に視線を仰ぎ、別段何ともない足に一条は口を噤んだ。
別に疲れている訳ではない。ただ、さっきまで『除籍』が肩を並んで首筋を優しく撫でられていたという事実が消え、代わりに『明日も』ここにいていいという手に入れた切符。
それに、一条は何だか足が軽くなる感覚があったのだ。
「星野さーん! 待ってよぉ!」
「────」
背後から響く、麗らかで、どこか必死そうな声。
一条は足を止めて、首を小さく傾げながら振り返ると、そこには出久、飯田、そして小走りの麗日がやってくるところだった。
「麗日くん! 廊下を走ってはいけないぞ!」
「ごめん飯田くん。星野さん歩くの早いから、追いつかないとーってなっちゃって」
いつの間にか仲が良くなっている二人に、一条は体を彼らに向ける。
個性把握テスト以前に、この二人は何か交流があったのだろうか。出久とも距離が近い。
「…………。出久、指、大丈夫なの?」
「あはは……。あのときに比べればちょっとだけど、今から保健室に行ってくるんだ。リカバリーガールっていう凄いお医者さんがいてね?」
「リカバリーガール」
赤紫に腫れ上がった人差し指を苦笑いしながら見せる緑谷に、一条は反芻する。
一条は、去り際の相澤から紙を受け取るのを見た。生徒全員の前で渡したのだから、他の人も見てわかるのだが、
『リカバリーガールのとこ行って治してもらえ。明日から、もっと過酷な試験の目白押しだ』
まあ記憶の相澤もそう言っている。
「リカバリーガール……。私も、行ってみていい?」
「なに? 星野くんもどこか怪我をしたのかい!? あの凄まじい記録だ。君の“個性”にも緑谷くん同様にそれなりの代償が……」
「違う飯田。……ただ、見てみたいだけ」
「それは失礼した、変な勘違いを。しかし好奇心か! 何かを知るために、向上心というのは一助となる。よし、俺もお供しよう!」
ブンブンと腕を振って、何気に張り切っている飯田を先頭にして、即興奇妙な四人組は保健室へと向かった。
──保健室──
「失礼しまぁす……」「失礼します!」「お邪魔します……」「……ん」
ガラガラと扉を開けた先にいたのは、看護師服に身を包んだ、とても小さな老婆。
彼女こそが、怪我人なんでもござれ、雄英の屋台骨──治癒ヒーロー『リカバリーガール』。
「おや、随分と大勢だね。それに知ってる子もいる。君は実技試験で……」
「あ、はいっ。入試のときは治していただいたと聞いて…………本当にありがとうございました! 僕は緑谷出久です」
「こんなおばあちゃんにありがとうね。それで……あらららこりゃひどい。ほら、そこにかけなさい」
「す、すみませんっ。失礼します」
用意されたクランケチェアに低い姿勢で出久が腰掛け、リカバリーガールと向き合う形になった。
リカバリーガールは、出久が律儀に差し出す『保健室利用書』を受け取ると、続いて彼の人差し指を診察。
「んー……全く入試のときと言い、派手に壊す子だねぇ。自分を大切にしないと、ヒーローを続けるのは難しいよ」
リカバリーガールは心底ため息をつきながら、出久の腫れ上がった人差し指のある右手を顔まで持っていった。
すると──、
──…………ん?
老婆の唇が膨張し、出久の拳へと──伸びた。
「チユウウウウウウ────」
「────」
一条の青い瞳が、わずかに『?』を浮かばせて揺蕩う。
癒す、というのだから、セントラル病院で見た高度な医療機器、あるいは注射でも使うのかと想像したのだ。
だが、目の前で行われたのは、あまりにも──、
「……口つけてる。これが、あなたの“個性”?」
「わ……すごい、治った……。けど……なんか疲れが……」
たちまち腫れ上がった指が元の色を取り戻し、無数の関節が二つの関節へと戻っていく。
が、治療を終えて万事了解となると思いきや、存外そうでもない。目の前の出久が、なにやらドッ、という言葉が似合いそうなほどに疲れているのだ。
一条と出久。二人の疑問に、リカバリーガールがドクターチェアを机の方へ向けながらに紡ぐ。
「私の“個性”は人の治癒力を活性化させるだけ。治癒っていうのは、体力がいるもんなのさ。だから大きな怪我が続いちまうと、体力消耗しすぎて逆に『死ぬ』から気をつけな」
「────」
「……え」
「逆に──」
「死んでしまう……!?」
「仲がいいんだね、君たち」
驚愕の事実に放心する出久の代わりに、一条、麗日、飯田の順が言葉を出すのに、リカバリーガールが締めた。
「……ところで、あんたはミッドナイトのところの子かい?」
「うん。ミッドナイトの親戚の子供──」
「「「え!?」」」
ということになっている。と伝えようとしたら、三人の驚愕に滲んだ声にかき消されてしまった。
出久に至っては疲れなんて吹き飛んだぐらい声を張ってきて、一条は少し身を固める。
「ええっ!? ミッドナイトって……あの『18禁ヒーロー』の!? ……本当だったんだ! でもそうだ、要所要所人を惹きつける雰囲気とか共通点があるかも……あ、目とか髪の色とか似ている……ブツブツブツブツ」
「まさにサラブレッド! ヒーロー界の重鎮に連なるものとして、君もまた強い自覚を持っているのだな! 素晴らしい!」
「ミッドナイトって結構派手目やん? 家ってどんな感じなん? やっぱりあんな感じの格好しとるん?」
「…………」
──一気にきた……。
出久、飯田、麗日。三者一同が前に乗り出すように話を詰められ、一条はキャパを越えそうになった。自分の口は一つしかないゆえ、一つの口から三つの回答を出すなんて、それこそ腕を複製した人でない限りできない。
「これこれ三人とも。一気に話しかけられたらこの子が困るじゃないの」
リカバリーガールの嗜めるような声と、「ほれペッツだよ、お食べ」とお菓子を差し出す仕草。それでようやく、三人の勢いがわずかに収まった。
ちなみにペッツは一条が先にもらった。
一条はぼりぼりと菓子を頬張り、咀嚼。くたくたになった内容も咀嚼して整理する。
「ミッドナイトは、家では普通。あと猫がいる、おすしって名前の」
「ええっ、あのミッドナイトが猫飼ってるん!?」
「うん。なんか……デロデロって感じ」
本人の意思とは別で明かされるミッドナイトの私生活に、麗日が「想像つかへんわぁ」と頬を赤らめる。世間が知る『18禁ヒーロー』の艶やかな姿と、一条が見ている『
「飯田……。『さらぶれっど』とか、私にはよくわからない。私はただ、ここにいていいって言われたから、ここにいるだけ」
「……! なんという謙虚さ……。自身の出自に甘んじることなく、個としての存在意義を問うているのだな! 俺にも学ぶ点が多いな…………、実に素晴らしいぞ星野くん!」
──違う、そうじゃない。
感涙に咽ばんとばかりの飯田から、一条はそっと視線を外した。
この人、なぜか言葉を全て自分の枠に入れて『熱い物語』に変換してしまうらしい。
「……出久。あなたは少し、いやだいぶうるさい」
「ひゃっ!? ご、ごめん星野さん! ついつい“ヒーロー”のこととか“個性”のこととかになると、考えが止まらなくなっちゃって……」
「…………。出久は指を治しにきたんでしょ。もういいなら、行こう。私も見たし……時間だって……」
一条は時計を指差す。
テストも終わって、服を着替えて制服に。そこから、今や三十分も経過していた。
「おや、もうそんな時間かい。ほら、あんたたちもさっさと帰りな。新入生が初日から飛ばしてちゃ、明日の授業に響くさね」
「そ、そうだった。明日から過酷な試験が目白押しって、相澤先生も言ってたし……リカバリーガール、今日はありがとうございました!」
リカバリーガールに追い立てられようにして、四人は保健室を後にした。
* * *
──校門前──
日が傾いて頂点へ。空が深き空色に輝く空の下、四人の影が地面に落ちて揺れる。
「……星野さん」
隣を歩く出久が、落ち着いた様子で声をかけてきた。その人差し指は、先ほどまでの腫れが嘘のように引いている。
「今日、個性把握テストで星野さんの記録見たとき……僕、本当にびっくりしたんだ。まあ……海浜公園で壊れた軽トラを持ち上げたのも凄かったけど、星野さんってなんていうか、迷いがないよね」
「迷い?」
「うん。自分の力をどう使うか、なんのために使うか。それが決まってるように見えて……。僕なんてほら、まだ自分の力に振り回されてるのに」
困り笑いを浮かべて、出久がすでに治った指を振って見せる。
一条は、歩みを止めずに、わずかに歩幅を緩めた。
迷いがない。出久のその言葉は、確かにその通りとも言える。実際一条は決めたことがあれば歩みを止めずに突っ走る節がある。しかしそれは、そうだと決めたときだ。
ボール投げだって、一条はある種の迷いがあったには違いない。
胸の中にある、人としての迷いのハードルが低いから、迷いがないように見える。ただなぞってるだけだ。
「私は、別に決めてない。ただ、やるべきことを、やってるだけ」
「……そっか」
「…………」
なぜだか、納得したように頷く出久が、少しだけ寂しそうに見えた。
「しかし、相澤先生にはやられたよ。俺は『これが最高峰!』などと思ってしまっていた。まさか教師が嘘で鼓舞するとは」
「…………」
いや、と一条は胸の中で首を横に振った。勘違いするのも仕方がない、飯田たちは去年のことを知らないのだし、人の心を読めというのもまた無理な話。
このことは胸にしまって、一条はとりあえず首を縦に振った。
「む……、どうしたんだい星野くん。首が赤べこのようだぞ」
「……。────」
『赤べこ』と評されたことに、一条は一時停止したように動きを止めると、ゆっくり首を元に戻した。
「別に。ただ、納得しただけ」
「納得か。うむ、常に己の腑に落とし、次への糧と──」
「飯田くん、それくらいにしてあげてよ。星野さん、困惑しちゃってるから」
「そうか? それはすまなかった」
麗日の苦笑いしながらの言葉に、飯田は小さく肩を落とし、謝罪。
その横で、出久が「あはは……」と力なく笑うと、今度は麗日がそういえばと言わんばかりに握った拳を皿のようにした手のひらに落とした。
「そういえば、緑谷くんって出久くんだよね?」
「え? そうだけど、どうして?」
「いや、だってテストのときに爆豪って人が……『デクてめェー!!』って」
──出久。もしかして相澤とかミッドナイトみたいに……。
もしや出久にも通り名があるのかと、一条は逡巡のややこしさに目つきが鋭くなる。鋭さは相変わらず元の表情から一変も変化ないのだが。
すると、出久が麗日の擬似再現VTRに挙動が不審になる。
「あ、ああああの……本名は出久なんだけど、『デク』はかっちゃんがバカにして……」
「蔑称か」
「え──そうなんだ!! ごめんね、気分悪くなる話ししちゃって」
蔑称というのは、文字通り人を蔑む名称を指す。
一条は爆豪に『星屑女』という蔑称をつけられてはいる。何度訂正したとしても、知らぬ存ぜぬぶっ殺すの三段構え。爆豪の中では、人類は全てあのようにラベリングしてしまうらしい。
すると、「でも」と申し訳なさそうにしていた麗日が拳を握りしめて肘を閉めて続けた。
「『デク』って……『頑張れ!!』って感じで、なんか好きや! 私」
「…………」
物は言いようというのだろうが、木偶を
一条は、とりあえず出久の反応の出方を見ることにした。
が、
「──デクです」
「緑谷くん!?」「…………」
──どうして。
思いの外好印象だった──。
流石の飯田も、出久の即答には物申したいところが山のように聳え立つ。
出久の浅さに、飯田が懸念を呈するのだが、当の本人に至っては『こぺるにくすてきてんかい』と、なんだか意味のわからないことを言う始末。
一条は、疑問に思う理由が異なるものの、麗日と共に首を傾げた。
校門を抜け、駅へと続く緩やかな坂道。
帰路につく他の科の生徒たちが、一条の横を通り過ぎていく。
「ねぇ、星野さんっ」
「…………」
「星野ちゃんって呼んでもいい?」
「…………。…………別に」
「よかったー! なんか星野ちゃんにさん付けだと、そわそわしちゃって……。星野ちゃんは駅まで?」
麗日の問いに、一条はふと足を止めた。
駅。
電車。
どれも今の一条には必要のないものだし、ミッドナイトのところに来た日からも必要がない。何せ自分の寝泊まりするところは、雄英高校の広大な敷地のすぐ隣にあるのだから。
「……あっち」
「あっち?」
「教師寮。ミッドナイトの部屋の隣に住まわせてもらってる。部屋も繋げられてるし」
「ああ、そうだった。星野くんは住まわせてもらっている身であった。なるほど、雄英教師にはそのような処置もあるのか…………、しかし、頼りきりは迷惑になってしまうよ、星野くん」
「……、うん」
そう捉えられるのも、致し方なし。一条は、メガネを日で反射させる飯田から目を外して、小さく頷いた。
飯田の言う通り、甘えすぎは良くない。だが一条は甘えていたという自覚はなく、むしろミッドナイトに構い倒されていた、というのが現実的にも正しい。
とはいえ、ミッドナイトがどう思っているかもわからないのはその通り。
──今日は、少しミッドナイトとは話さないようにしよう。
──しゃべるのは、疲れるだろうし。
* * *
「っくち……!」
「…………。先輩、風邪ですか? 明日から本格的にカリキュラムが始まるんですから、体調管理はしっかりしてください。あと、移さないでくださいよ」
「ちょっその言い方はないでしょ相澤くん! これはあれよ、きっと噂話。多分いっちゃんあたりね」
「どういう根拠ですか、それ。……はぁ、合理性に欠ける」
「相澤くん、それよりもよ。あなた、また入学式に出なかったわね? 一生に一度のいっちゃんの晴れ舞台、見れなかったじゃない!!」
* * *
駅へ向かう緩やかな坂道の途中、分かれ道。
そこを左に曲がれば、教師寮に帰ることができる。
一条は「私はここだから」と言い残し、三人から離れて帰路に着こうとした。
そのとき、
「星野ちゃんって、なんだか楽しそうだね!」
「────」
麗日が不意に弾ませた声に、一条の軽い足が止まった。そして、ゆっくりと体を翻して、三人の方へ向く。
「どうして?」
知りたかった。
鏡に映る自分は、ミッドナイトが見てもあんまり嬉しそうじゃないのね、というくらい、ピクリとも表情筋が動かない。
デフォルトがこれであるのだ。
だから知りたかった。何を見て楽しそうに見えたのか。
そんな疑問を抱く一条とは反対に、麗日は陽光に当てられながら目を細め、どこか確信めいた明るい笑顔を向けてきた。
「なんか、そうかなって! 雰囲気とか、なんか『ふわふわ』してるし」
「…………? ………………?? ────────???」
「なんかわかんないって顔しとるっ」
「────。そう、……よくわからない」
麗日の言っていることは、よくわからない。
よくわからないことだらけだ。なぜ吸い込まれるように足を雄英に踏み入れたのか。なぜ廊下を進む足が、あんなにも軽やかにしてくれるのか。
なぜ──足元が『ふわふわ』するのか。
──ふわふわ……?
『なんか“ふわふわ”しとるし』
なんか“ふわふわ”しとるし
──か“ふわふわ”しと──
──『ふわふわ』──
「────」
──そうか。私は今、楽しいんだ。
言葉のない感情に意味がつき、一条は今この瞬間に、納得というツボの中に腑が落ちた。
「ありがとう麗日。感情って、こうやって通わせるものなんだ」
一条は麗日へ青い瞳を向けると、握った右手を差し向けて、
「また明日、麗日、出久、飯田」
親指を立てた。
納得、したから。
最後、麗日、出久、飯田と別れるときの一条の声は、本人でもわからないくらい、わずかに弾んでいた──。