時を遡る。
# # #
── 演習ビル・ヴィラン陣地にて ──
「……。私が前に出る」
話は、一条が尾白と葉隠の方へと振り向いたときだ。
「「え?」」
尾白と葉隠の素っ頓狂な声が、薄暗い部屋に見事にハモって響く。
特に尾白は、太い尻尾を疑問符のような形に捩りながら、慌てたように口を開いた。
「ま、待って星野さん。俺たちは『ヴィラン側』、つまり核を防衛する立場なんだ。核を離れて前に出るのは、さっきの八百万さんの講評にしても定石から外れるんじゃ……」
「尾白くんの言う通りだよ! ここで待ち構えて、私が見えない不意打ち。で、尾白くんと星野ちゃんの二人で一気に畳み掛けて一網打尽にする方がいいって!」
先ほどの八百万の講評を聞けば、まさにお利口と言わずしてどうするというような、二人の作戦だった。
確かに、先の戦闘の記録において、爆豪は前線に立ち、そしてみすみす麗日を核のところまで進ませてしまった。そして出久の作戦の上、核は見事に確保され、辛勝という形で幕を引く。それが第一試合だ。
しかし、ここで大きく違うのは最初の動き。爆豪は飯田に言わずして独断専行し、一条は今二人に伝えたこと。この一点だ。
「二位のあの人、確か轟って書いてあった。多分、氷を使って凍らせて終わり」
「「────」」
一条のひどく平坦な、しかしないとも言い切れない断言に、尾白と葉隠の二人が息を呑んだ。
相手は、個性把握テストで圧倒的な氷結を持ってして二位に躍り出た少年だ。氷結の現象が、セントラル病院の吉田が言った『大気を凍らせる』か『生み出す』か定かではない。だが苦も無く氷を出現させることからも、このビル一棟は丸々飲み込むことなんて造作もない、だろう。
多分。
──そうしたら、あとはビルを歩いて核に触ればいいだけ。
「待つのは……非合理的」
こと戦闘において息を詰まったが最後、終わり。いかにスルスルと状況を手にするかがキーだ。
だから、別に防衛戦で最初に切り札のようなものを切るのもアリ。
「だから、私が行く。…………」
一条は淡々と述べると、二人の間を抜けて部屋から出ようと歩を進めた。
すると、
「で、でもさ星野ちゃん!」
「…………」
まだ掴んでいるらしい手袋をポンポンとふる葉隠が声を上げた。
「一人で二人を相手するなんて無茶だよ。いくら星野ちゃんが凄くても、体は一つしかないんだから!」
「私は──」
歩みを止めた一条。コツンと金属フレームの踵を踏むと、途端に張り詰めた危機感が嘘のように晴れ、そのまま振り返る。
「──二人を相手するなんて言っていない」
固まる尾白と葉隠を、一条の青い瞳がただ見つめた──。
# # #
──現在 エントランス──
「なんだ……!?」
障子が複数の腕を交差させて頭上を庇い、轟が反射的に右手を天へと伸ばす。
もうもうと立ち込める粉塵。その中、分厚いコンクリートの天井をただの足場のごとくぶち抜いて、二階から重力に従って自由落下する黒い影があった。
「…………いた」
一条だ。左右非対称の黒髪を重力に逆らわせて靡かせる──星野一条だ。
障子の索敵能力は極めて優秀だった。こと一条は彼が耳を複製できることなんて一切知らず、ただ腕がいっぱいの手数多い人という印象。
ではなぜ、索敵に引っ掛からなかったのか。
──始まるまで二階にいた。それだけ。
一条は分厚いコンクリートを隔てた真上で、ただの棒立ちで気配を殺し、ただその時を待っていたのだ。
去年ことあるごとに教師寮の近くの木を根城に昼寝しただけあって、溶け込みは自然と身についた。その気配切りで、ずっと伺い、足を振り上げた音で上にいることがバレ──今に至る。
「チッ……!」
顔に焦りが走る轟。
エントランスの壁を伝たわせようとした右手の冷気を、咄嗟に真上から降ってくる一条へと向け──
「しぃっ──!」
たちまち、一秒も満たずして轟の『右側』から氷晶が一条へ手を伸ばした。触れただけで、間違いなく肌を伝って霜を下ろすだろう冷気を伴う氷塊。
が、刹那──、
「……っ」
一条が天井へと張り付き、氷晶は真っ直ぐに天井の穴へ針を通すように素通った。
自由落下。初速ゼロから重力に伴って落ちる一条は、自らが作り出した穴に手をかけ、落下に逆らって体を天井へ引き寄せたのだ。
そのまま、長くしなやかな足を折り畳み、張り付く一条が地面へと真下に跳躍。
轟と障子の間を割るように落ち、タイルの床が陥没する。
次の瞬間、粉塵が衝撃波で弾けるのと同時に、
「──出てって」
近場にいた轟の胸に平手を押し付け、
「ごあ──ッ!?」
玄関へと突き飛ばした。開始前にいたであろう、ビルの外へ。
「ぐ、ぅ……ッ!」
アスファルトの上を転がり、青空とアスファルトを何度も瞳に映す轟。受け身を取り、どうにか立て直し、立ち上がった。
だが、そのオッドアイには明らかな驚愕と、それに勝る何かが冷たく燃えるのを、ビルの外へ悠々と出ていく一条は見る。
「轟!」
ビル内に残された障子が、瞬時に事態を把握したらしい。複数の腕を展開し、明け透けにさらされた一条の背後を取り捕縛に向かおうとした。
そのときだ。
「障子くん! こっちだ!」
尾白の声。そして、見えないが確実にいるであろう葉隠の気配が、上階から嫌でも障子の耳へと届く。
「……なるほど、分断か」
その通り。一条の狙いは、最初から二人を相手するのではなく、誰か一人を外へと弾き出し、かつ制圧能力を持つ轟を外へ弾き出し、タイマンの状況に持ち越すことだったのだ。
一条を相手にするよりは、むしろ核の確保という本来の目的を遵守すれば、時間切れによるヒーローの負けは少なくともなくなる。
「轟! 核の方は俺に任せて、黒い方を頼んだ!」
「あァ……言われなくとも」
踵を返し、上階へと走り出す障子を目に入れながら、その前に立ちはだかる一条を轟が見つめる。
── モニタールーム ──
一方モニタールームでは、一回戦目にも引けを取らない怒涛の開幕に歓声があがった。
「す、すげえ! 三位が二位をポイ捨てした!?」
「オ、オイラあれで投げられたのか……」
金髪に黒い稲妻を走らせた少年──上鳴が爆豪の奇襲にも引けを取らない一条の大胆な動きに顎を落としかける。
そして、把握テストで投げられ、間近で体感した峰田が轟に同情する一方、
「……大胆かついい判断だ。『屋内』対人とは言ったが、何も分断において外で戦ってはいけないなんて言っていないからね。……だが」
モニター室のどよめきをよそに、オールマイトは顎に手を当てて影の奥に潜む鋭い視線を画面へ向けた。
「相手は推薦入試で二位という成績を収めた轟少年だ。外に出したとはいえ、彼の個性の範囲と速度は桁違い。核という人質がない今、星野少女はどう立ち向かうつもりか」
* * *
── 演習ビル外 ──
吹き抜ける風が、轟の右半身から漏れ出す冷気を薄く運んでくる。
その正面、一条はゆっくりと足を運び、決して轟から目を離さずに左へと歩いた。口を一筋にし、轟を中心に円を描くように。
「…………」
「俺を外に出して、タイマンに持ち込んだことは評価する。だが……」
轟の右足が、アスファルトを静かに踏み締めた。
刹那、轟の足元から周囲の地面を伝い、意志を宿らせたように一条へと急激な霜を這い上がらせた。
「外なら、核兵器の御機嫌取りをしなくていい。──結果は変わらねぇよ」
突如として、轟の右手が仰ぎ、追従するように爆発的な速度で氷の波が押し寄せにかかった。
先ほどのエントランスでの氷晶とは比べ物にならない、大通りを丸ごと飲み込む──まさに氷の津波。それが、一条の前方を覆い尽くし、牙を剥く。
──すごい。
緊張か、はたまた麻痺か。引き伸ばされた時間の中、一条の青い瞳は迫り来る白銀の世界を捉える。
避けるスペースはある。だが、後ろに下がっても辺りを凍らせる方が早い。いずれ追い付かれるのがオチだ。
なら、
「────ッ」
進めばいいだけ。
一条は逃げを選択から捨てた。
次の瞬間、一条の
「……終わったか」
冷気を伴った白い吐息を轟がつく。
あれだけの氷結、飲まれれば、たとえ身体能力が高くとも動く隙間がなければ割る手段なんてない。それこそ、オールマイトであれば氷漬けにされたところで突っ切るだろうが。
「あいつはオールマイトじゃねぇ。天井を破ろうが凍らせちまえば動けねぇだろ」
決めつけ、障子が二人を相手にするビルへと轟は視線を向けた。
当初の計画とはズレたが、合流してしまえばあとは核が凍らない程度にビルを凍らせてしまうだけ。
「俺には関係が──」
そのときだった。
視界の端に、黒が迫る。
「な──」
「…………」
瞳を横に動かすと、そのすぐそばに張り手を振りかざした一条がいた。
「──ッ!」
轟の生存本能が頭の中で警笛を鳴らす。
咄嗟に、右半身から限界値に近い冷気を爆発させ、一条との間に氷の鎧を展開した。
が、
「ふん──っ」
一条の押し出す張り手が氷もろとも轟を捉え、轟の右肩から胸部にかけて重い一撃として叩き込んだ。
「ガ、ハァ……!?」
声にならない空気が肺から押し出される轟。
衝撃が轟の全身を貫いたのと同時に、真っ直ぐと後方へと綺麗に吹き飛んだのだ。
真っ直ぐ、街路を突き進んで、さらに数メートルバウンドしてようやく、その勢いは止まる。
「ゲホッ……! ガッ……」
「…………」
あの氷壁をただの一撃で粉砕してのけた一条。そそくさと飛んでいき自らが生み出した距離を駆け足で埋めた。
『星野ちゃん! そっちはどう!? 障子くんがなかなかすごくて……こっちは結構ギリギリ!』
「……大丈夫、一人外に出した。……今から倒すから、そっちは任せる」
耳にあてがわれた小型無線。葉隠に情報を端的に送り終え、一条はその足を徐々に緩めながら右手のひらを見つめた。
先の張り手、少しでもビルへの再侵入を防ぐものであったが、少しだけブレた。咄嗟に遮られた氷がクッションになっていたらしい。
本当はあそこで肋骨にヒビを一つや二つ入れて身動きを封じたかった。
──加減って難しい……。
そうすれば捕獲テー「おい……」──
「…………」
前方、ゆっくりと立ち上がる轟の声に一条の瞳が持ち上がる。
「…………?」
「チッ……、その顔……っ。お前、今のどうやって……」
轟がわずかに首を傾げる一条に煩わしげに舌を打つ。肺に残る衝撃のせいでわずかに掠れ、焦燥が入り混じった声だった。
右半身から漂う気配は、先ほどよりもさらに濃い冷気が刺々しいほどに噴き出す。アスファルトが『右足』から白く染まり、大気が悲鳴を上げるほどだ。
だが、一条は黒いパーカーを時折強く流れる風になびかせながら、ゆっくりと轟を軸に横へ歩く。
そんなに知りたいのであれば、
「じゃあ、もう一回──試してみる?」
「────」
やってみればいい。
試してみる。その声に、轟は脳内で何かが弾ける音がしたのを感じた。
それは『親切』ではない。圧倒的な実力差がある相手が、格下に対して『もう一度胸を貸してやる』という、慢心だ。
「……ふざっけるな」
轟の右足がアスファルトを踏み抜く。
先ほどまでの『ゲーム感覚』なんてものは消え失せた。今は目の前の女を、
──完膚なきまでに氷漬けにしてやる……ッ
その一念だけで、右半身から、これまでの訓練では見せたことのない規模の冷気が──爆発した。
「どうやって避けたか砕いたか知らないが──今度は逃さねぇ!」
轟の咆哮と共に、巨大な氷の牙が、さながら生き物のように歩をやめた一条へと襲いかかる。
今度は捉えた。ビルの一階部分を丸ごと飲み込むほどの、文字通りの氷壁。逃げ場はない。
そして、氷が一条を視界から覆い尽くした──そのとき、
「──これで覚えてよ」
一条の声が、轟の耳を刺した。それは氷の奥からではない。もう少し上──上、斜め、上から。
「そうか……っ!」
轟が目を見開く。
驚き、けれど疑問の点と今この目の前で起こっている現象の点が繋がり──一つになった。轟は左右で異なる色の瞳で、黒い影が左右に飛び交うのを目撃。
それは、
──んなのありかっ
体をコマのように回転し、真横にある演習ビルの壁へと張り付かせる一条。
足底に仕込まれた金属のフレームが、ビルのコンクリート壁を削り、火花を散らす。
── 右、中央、左 ──
── 右中央左 ──
── 右左 ──
重力すら存在しないかのように、一条が垂直な壁を、街路で挟んだ向こうのビルの壁へと着地し駆け上がる。
「っ、逃すか……!」
轟は右腕を仰ぎ、壁へと向ける。直後、彼女が走る壁面を狙い氷の棘が這い上がるも──一条の方が速い。
「…………」
「チィっ」
壁の氷が迫った次の瞬間には、彼女は反対側のビルの壁へと弾丸のような速度で跳躍済み。
これだ。これこそ、この動きこそが、先の氷の波を潜り抜けた一条の動きなのだ。
「……ありえねぇだろ、猿か……ッ」
その間にも、下方を、轟が放った巨大な氷の津波が、轟音と共に通り過ぎてしまう。圧倒的質量でさえも、一条の足を止めるには至らなかったのだ。
「…………」
空中で一条が体を捻る。
重力に従い、轟の斜め上から、一条が真っ直ぐに急降下して──
カツン──ッ
「しッ──」
接近──。
「……っ」
──くっそ、なんで動かなかった俺っ!
轟は、自分の上に落ちた影を見上げるだけに飽き足らず、一条が完全に着地するところまで見届けてしまった。
舌を打つ間も今や惜しい。
右腕を再び振り上げようとし──見失った。
「な……ッ」
轟の視界の中で、一条が揺れたのだ。
右、左。重心を極限まで低く保ったまま、ステップが刻まれる。それは、──獣の狩り。
金属フレームがアスファルトを、ひいては先ほど敷いた氷を叩くリズムが、轟の耳を打ち鳴らして狂わせる。
──どっち……右、左ッ。
轟が右腕を振り上げた、その刹那だった。
「……ッ!?」
消えた。一条の姿が、唐突に視界から『消失』した。
一体どこに。その思考が胸に落ちる間も無く、たった一回視線を下にすることで回答を得られた。
「な──」
一瞬の沈黙。それさえも十秒も長く感じる轟。
轟の視界には、『屈んだ』一条がいたのだ。ただ、屈んだ。それだけで、その事実を認識し、腕を振り下ろすよりも早く、一条の足が横へと薙ぐ。
「ガハッ……!」
轟の脇腹に、金属の、硬い衝撃がめり込む。
勢いは当たるだけには止まらない。一条の足が、轟という障害物を押し除けるように横へと振り抜き、容易く砲弾のように吹き飛ばした。
だが、轟は瞳を見開き、噛み締めた。
「くッ……!」
意識がぐるぐると巡る寸前に、轟は空中で咄嗟に背後へと右の掌を靡かせ、巨大な氷壁を滑り台として生成。衝撃を強引に相殺し、地面へとなんとか転がり落ちたのだ。
が、これで安堵するほど、黒は隙を与えさせはしない。
「……っ、ぁ──上!」
足元、いや移動してきた軌道。そのアスファルトに、氷とは別の影が自分の場所にまで付いてきたのだ。──一条だ。
冷や水にでも当てられたかのような気配に見上げれば、逆光の中に舞う黒い影。一条、あのときの後ろ回し蹴りから跳躍し、空中で独楽のように体を捻らせていた。
重力。回転運動。彼女の軽い体重を補うには十分なそのエネルギーを一点に収束させた技は、──“ヒール・ドロップ”。
「っ、雹閂……!」
反射的に、轟は頭上を氷で覆う。
しかし、一条の金属フレームが氷に触れたその瞬間、轟の頭の中の警笛が不協和音を奏で出した。
その直感──本能になりふり構わず従って、轟は横へと体を投げ出す。
直後──大地が震えた。
「バケモンかよ……っ、──」
一条の踵が、轟がさっきまでいた場所を氷もろとも貫通。その下のコンクリートへと突き刺さった音だ。
爆発音。破裂音。それらとともに街路の一部が大きく震え、ヒビ。一条を中心とした、放射状の浅いヒビが数メートルに渡り迸った。
「お前……っ」
ゆっくりと粉塵と真っ白な冷気の中で立ち上がる一条の影に、戦慄と怒りの一混じった声を漏らした。そのときだった。
『──ストップだ星野少女!!』
二人の片方の耳に詰められた小型無線。そこから、オールマイトの切羽詰まった大音声が鳴り響き、轟と一条の身を固めたのは──。