青き炎のBEACON《道標》   作:リクライ

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第十六話 『つめたい瞳【後編】』

 

 

 

 

   ──モニタールーム──

 

 

「な……んだよ、あれ……」

 

 誰かが息を呑む音が、ひどく大きく聞こえた。

 モニターの向こう側、猛スピードで移り変わる戦闘情景をカメラを変えながら捉えていたカメラに映し出されていたのは、一条が飛び込み、アスファルトが無惨にひび割れ、僅かに陥没したところだ。

 

 もし、あれが轟の体に直撃でもしていたら。

 その想像に、上鳴はモニターを直視しながら顔を青ざめて、切島は目をひん剥いて頭を抱えていた。

 

「当たっていれば、ただの骨折では済みませんわ! 最悪の場合……!」

 

 八百万が眉を顰めながら、モニターに映る、ゆっくりと立ち上がる一条の影を見つめる。

 

「授業だぞコレぇ……! 星野、マジで容赦がねェのな……」

 

 実技入試で共に並びたったからこそわかる切島。巨大ロボットを、大太刀ありきでも切り裂いた実力持ちだ。あのときは胸の晴れ晴れする決着ではあったものの、それがいざ『人』に向けられた時の恐ろしさをまざまざと見せつけられた。

 出久と爆豪の戦いも凄惨だったが、あれは感情と感情のぶつかり合い。

 

 だがモニターはどうだ。

 

 あの一条の瞳には、何もない。ただ目の前の、“障害物”を排除しようとする轟の姿しかない。ひどく冷淡だった。

 

「いくらなんでもやりすぎだろぉ……ヴィランよりヴィランじゃねぇか……」

 

「あいつも才能マンかよ。才能ウーマン」

 

 峰田がガタガタと震え、上鳴が口元を引き攣らせる横、オールマイトはマイクを握り締め、厳格な教師として声を張り上げた。

 

「『星野少女! 君の今の一撃は、明らかに訓練の範疇を逸脱する行為だ! こと戦闘訓練において、ヒーローヴィランどちらも制圧し捕縛するため、各自には捕縛テープを配ったはず! 相手を殺傷するのが目的ではない!』」

 

 オールマイトの声には、普段の陽気さは微塵もなかった。

 平和の象徴として、これだけは絶対に線を引かなければならないという強い意志でもある。

 

「『次に同等の、相手の命に関わる攻撃を行った場合……強制終了としてIチームの負けとする……!』」

 

 モニタールームが、シンと静まり返る。

 すると、モニターに映る一条が手を下ろし、冷気がわずかに乱れた。

 

 

* * *

 

 

   ──演習ビル外──

 

『──次に同等の、相手の命に関わる攻撃を行った場合……強制終了としてIチームの負けとする……!』

 

 耳元から放たれるオールマイトの厳重注意。しかしそれは、轟の耳にも共有された音声でもあった。

 

『君もだ、轟少年』

 

「────っ」

 

『いくらなんでも、二発の氷結の規模は市街地への被害が甚大だ。もしあれが実戦で、周囲に逃げ遅れた市民がいたらひとたまりもない。あるいは、君が保護・回収すべき『核』があるビルが近くにあった場合、その全てを巻き込みかねないんだぞ』

 

 オールマイトの言う通り、これではヒーローがたとえ勝ったとしても、マスコミュニケーションが許さないし、世間もまた許さない。これは、ヒーローの所業ではない。

 

『大味すぎる力の解放は、ヒーローとしてもヴィランとしても減点だ。二人とも、よく考えながら訓練に取り組みたまえ!』

 

 オールマイトの正論が、耳に痛いほど響く。

 見渡してみれば、周囲の有り様は悲惨そのものだ。

 自分が放った氷結によって、街路のビル群の一階は凍りつき、窓ガラスが内側から割れてしまっている。

 圧倒的な力で短期決戦に捩じ伏せようとした結果、一条含んだヴィランよりも『被害』を拡大させてしまっていたのだ。これではどっちがヴィランなのか。

 

「チッ……!」

 

 ギリッと歯を噛み締め、轟は眼前で立ち上がって足を鳴らす一条を睨んだ。

 冷静さを欠いていた。目の前の、初めて相手にする規格外の身体能力を持つ少女──星野一条。一条に対して、『これくらいやらなければ止められない』と、無意識のうちに己の力を過信し、同時に息つく間もない戦闘に急いていたのだ。

 氷だけで、この訓練は完封できる、はずだったのに。

 だが、

 

 ──左は……絶対使わねえッ

 

 自らが引いた線が、それを許せるはずがない。

 

「……怒られた。もっと頑張らないと、いけないね」

 

「ッ」

 

 土煙と冷気の混じる大気が晴れた視界の先、一条が淡々とつぶやいた。

 その手には、腰のポーチから取り出された白い布──“捕縛テープ”が握られる。

 

 どうやら動きが変わるらしい。『破壊』から、『捕縛』に。

 

 ──舐めてやがるな……っ

 

「……舐めるなよ」

 

 自分の中でポロポロと崩れかけた何かに逆撫でされた気がして、片膝をついたまま轟は低く唸って右腕を構える。

 だが、先のオールマイトの注意がある以上、もう広範囲の氷結は使えない。それに、

 

 ──さみぃ……。

 

 追い詰められている。じわじわと、ゆっくり。この体温とは裏腹に、体の芯から湧き上がる温度はまるで猛獣に見つめられながらじわじわと距離を詰められるような、緊張の漂うサバンナ。

 

 これから先、狙いを定め、より精密かつ一点集中の氷槍を一条の動きを読んで早く放ち、縫い止めるしかない。

 

 ──できるか……? いや、やるんだ……!

 

「シィッ……!」

 

 轟の足元から、鋭く研ぎ澄まされた氷の柱が、一条の右側から屈曲して穿ち向かう。

 速度は、やや鈍い。だが鋭さはまだ申し分ない。だが──『範囲』が狭まった攻撃など、一条にとってはむしろ、

 

「──っ」

 

「逃すかッ」

 

 ──そうくるよなっ

 

 一条が地を這うような低姿勢で、幾重にも伸びた氷の槍から──轟の右側に逃げるように走り向かってくる。

 

 ──予測しろ……! あいつが詰む、予測線を!

 

 一条が走り、氷の手が足に差し伸ばす。

 一条が跳び、氷の手が行き場を失う。

 跳んだ一条に氷の枝を分け、氷を伸ばし、氷が足場に。

 一条が氷を蹴り、ビルの壁に飛び移り、下に。

 一条が、氷を、一条が氷を、一条が氷、一条氷、一条が一条が一条が一条が一条が一条が一条が一条が一条が一条が一条が一条が──

 

「──っ」

 

 ──ここだッ!

 

 一条がテープを持ち、眼前に差し迫る。

 そこを轟が、

 

 ──っぶねえ……!

 

 右足を起点とした氷柱を押し出し、自身の体を横に押し流した。

 緊張か。

 緊迫か。

 この一瞬が、震える呼吸が随分と長く引き延ばされるこの須臾のひととき。

 街路の中央に運び込まれる轟の真横を、手を伸ばす一条が通りすぎていく。

 

 ──決まった……っ。そっから復帰する手段はもうねぇッ!

 

 一条のパーカーに走る、いや落とされるのは太い線状の影の数々。それは頭上で枝分かれし、一条を取り囲むように配置された──氷の檻だ。

 

 一条が張り手が地面へと激突。アスファルトと癒着した氷がひび割れ、彼女の小柄な体が前傾に体勢を崩す。

 そのタイミングだ。これを、轟は待っていたのだ。

 

 轟は伸ばした右手を握り締める。

 瞬間、取り囲むようにした氷の柱の先が軌道を変更し、一条へと差し迫った。

 直後、面を四角くつぶした氷の幾つもの柱が体勢を崩した一条を殺到。そして地面へと貼り付けた。

 転んだ余韻すら感じさせない、浮いた足をも氷で縫い合わせ、四肢を完全に地面へ縫合。顔だけを残し、ひとつたりとも瞬きをしない一条のつめたい青い瞳と、轟の霞んだ瞳の視線が合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうなるはずだった。ありえたはずの情景だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──ッ」

 

──時が加速する。いや、長くスローにも思えた時間は、一秒にも満たなかった。

 

 体勢を崩す一条。その刹那、割った氷を握りしめ、体を前へと押し出して転がしたと思えば、

 

「──しっ」

 

 遠心力に従うままに、しなやかな足を伸ばして解き放った一条の体が跳ね起き──檻を潜り抜けた。

 

 ──跳ね起き……だとッ!?

 

「んなのありかよッ!」

 

 跳ね起き。それはアクロバティックでありながらも武術の基礎とも言えるその動作だ。しかし、それを自らが体勢を崩した極限の隙から、予備動作なしでやってのける人間など、映画でしか見たことがなかった。

 

「────」

 

 空中で弧を描いた一条の体。ふわりと、しかし絶対的な重力を伴って着地した。

 そのまま、カツン、とブーツの金属フレームが叩いたのと同時に、一条が再び黒い線となる。

 ──止まらない一条。

 

「来いよ……ッ」

 

 ──やってやるよ……。

 

 轟が地面に右手と右膝をつき、防壁を兼ねた無数の氷の棘を、走り向かってくる一条に向けて走らせる。

 だが、その幾重にも襲いかかる棘の間を、

 

「──っと、──しっ、──ッ!」

 

 縫うように、地を這うような低空跳躍で来てのける。

 あろうことか、通りすぎざまに横槍で押し潰そうとした氷の柱に手を置いた一条。勢いを活かしたまま、氷の柱を軸とした上回転でリズムを崩し、体を引き寄せ、足場とした氷を蹴って跳躍してきた。

 

 ──俺の氷は足場だってか……ッ!!

 

 だが、

 

「──今だッ!!」

 

 テープを握る一条が肉薄した。その瞬間、轟の右腕から爆発的に、しかし小規模で冷気が開放された。

 逃げ場のない至近距離。視界の全てを白く塗りつぶすような、轟の『意志』を宿した氷の奔流。それは、触れれば体を蝕んでは覆い尽くし、凍結する。そして轟にとっても諸刃の付け焼き刃だ。

 

 だが、一条は止まらなかった。いや──下がった。

 

「……んッ」

 

 体に影を落とすように迫り来る氷の圧力に対し、一条が一瞬で重心を入れ替える。

 押し寄せる氷の波、その先端が触れるよりも、一条の足先が前進する体を引き止める方が早く、支えのない空中へと体を投げ出した。

 

 体を回転──バク転。バク宙。

 空中で捻りを加えた──側宙。

 

「な……っ、グゥッ!」

 

 轟の眼前に広がるのは、氷の波、ひいては茨から逃げるように、氷の粉が舞う世界を動く一条。その姿はまるで、タイムラプスを見送る──黒氷の精だ。

 

 ──ちが、う。目がっ、霞んで……っ

 

「かっ──うぅ……っ」

 

 目の前の白いモヤが自分の口から立ち上る冷気と気づいた瞬間、一条を捉えようと氷の槍を伸ばす勢いが衰え──消えた。

 

「あ、ぐっ……」

 

 視界がぼやける。震えが、止まらない。歯が、面白くもなんともないのにガタガタと噛み合わなくて。

 右の感覚が──「……ねえ」

 

「……っ」

 

 正面、四つん這いに、地面と瞳を合わせて陸にも関わらず溺れないように必死に大気を取り込む轟に、落ち着きのと疑問の孕んだ声が降りた。

 顔をもたげると、そこには離れた場所で着地して長いツインテールを揺らす一条がいて、

 

「さっきから、どうして右からしか氷が出ないの?」

 

「……、なにを──」

 

「左は使わないの?」

 

 

 

 

 

 

 その時──

 

 

 ──ひだり……

 

 

 轟の思考が真っ白に染まった。

 

 

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

「…………。…………?」

 

 一条は見つめたまま、ゆっくりと首を傾げる。目の前の少し離れたところで膝を屈した轟が、何も言わなくなってしまったからだ。

 はて、何か轟を止めるようなことを言ってしまったのだろうか。一条は考えを巡らせてみるも、思い当たる節が見当たらない。だってそうだろう。

 

 ──轟の右側、すごい凍ってる。

 

 轟の右側は驚くほど凍っていた。今触れさえすれば、布越しの手が轟にくっついては離れなくなるのではないかと思えるほど。

 冷気を立ち上る様は、オーバーヒートして壊れたリフリッジレーター。実際は凍りついているのだが、轟の急停止はまさしくオーバーヒート状態。個性というのは、どうやら限界値というものがあるのだと、一条ははっきりと目にした。

 だからこそこう考えざるを得ない。

 

 ──左側からも氷を出せばいいのに。

 

 そう、左だ。右側に一点集中してしまうから、左に分散できずあのように半身を蝕み動けなくなる。

 そもそも左は使えないのか。だとすれば、個性にも特定の部位しか出せないという特性があるのか。

 

 ──いや……。

 

 一条は今は考えるべきではないと、手の中に収められた捕縛テープを握りながら歩み始めた。

 轟を、ヒーローを──捕えるために。

 

『星野ちゃん!』

 

 ふと、一条の足を止める声が耳元から響いた。

 

「なに──」

 

『星野ちゃん! お願い、早く戻ってきて!』

 

 それは小型無線から飛び込んできた、葉隠の悲痛な叫びだった。

 普段の陽気さは微塵もなく、あるのは切羽詰まった声。その叫びが、耳の奥の小太鼓をビリビリ振るわせる。

 

「……どうしたの」

 

『障子くんが……障子くんが腕をばーってやって、それがもう強すぎて! 尾白くんが頑張ってるけど押されてるの! 私じゃ透明でもなんでかバレちゃうし、このままじゃ尾白くんが捕縛テープで捕まっちゃう!』

 

 無線の向こう側からは、打撃音と、尾白とおそらく障子の短い発声がかすかに漏れ聞こえてくる。

 

 ──尾白が……、

 

 捕まる。

 迫りつつある状況に、一条は小型無線に手を当てながらビルの方へ振り返る。

 距離は遠くにあり、たとえ自分が走っていったとして、後ろの轟がもし立ち直って氷で移動してしまえば手がつけられない。──この場から離れられない。

 

 かといって、障子。彼は個性テストのときも見たが、複数の腕を展開できるすごい個性だ。手数が圧倒的に多く、かつ体格も大きい。真正面からの近接格闘となれば、尾白の尻尾がいくら強力で多彩であれ、相手は六本の腕を持つ。

 

   ──圧倒的手数──

 

 そして何より、葉隠の言った『透明』が看破されているらしいということ。そも乱戦の最中に入ることもリスクが高いから、直接的援護は困難。

 

 ──戻らないと。でも……。──あ。

 

 一条は視線を落とした。

 そこには、氷とアスファルトの境目。ちょうど隆起していて、ひび割れてしまっている足場だ。

 ならば、一条は足を頭上まで振り上げると──、

 

「ふんっ……よっ」

 

 金属フレームの足で砕き、道の一部が瓦礫となったものを蹴り上げる一条。

 空中に投げ出されたそれを、片足に体重を載せた上で自由となったもう片方の足を引きしぼり、

 

「や──っ!」

 

 蹴り飛ばした。尾白と葉隠のいるビルの方へ──。

 一条は額に手を当てて瓦礫の行末を見届ける。

 

 瓦礫はぐるぐると錐揉みしながら、隣のビルの窓を巻き込んでいって突き抜け、着弾。穴と、ガラスが飛び散った。

 

 ──よし。これで勘違いして、障子の気が逸れる。よし。

 

「じゃあ──」

 

『今の星野ちゃ──』

 

 そうして、悠々と振り向き轟にテープを巻こうとし──

──瞬間、右端に伸びた水色。

 

「──!」

 

 直後、一条の体がその場から大きく飛び退き──氷の柱が通り過ぎた。

 その出所は、

 

「おい……ッ」

 

 轟だ。

 分厚く覆われた霜を、顔に一条に向けることでボロボロと剥がれ落ちる。そこから覗く瞳は、刃のように鋭く、そして冷たかった。

 

「人をっ……散々コケにして……、いい度胸してやがるな……お前」

 

「……轟はコケじゃない」

 

「黙れ……っ」

 

 もはや動けないだろうに、轟をどうしてそこまで動かすのか。すでに体力は限界で、目も朧げ。

 だが、目の前の轟は事実として立っている。それが、一条の警戒を強めた。

 

「葉隠、すぐには行けなくなった」

 

「無駄、だ……っ。お前が呑、気に……っ、したとき……耳はもらった」

 

『ジジジッ……ジジッ』

 

「…………っ」

 

 ──無線が……。

 

 手を当てるも、指先に伝わるのはゴツゴツした感触だ。それにこの皮膚を引き攣らせるような、いや熱くなるようなこれは──氷の塊。

 

「これで、お前は孤立……。どうした……? 余裕ねえみたいだな……っ」

 

 体内を凍てつかせる寒さに轟の声は震えて、覇気が感じられない。だが、瞳から垣間見える色は苛立ちと焦りだ。

 

 しかしまずい。これでは葉隠たちの状況がわからない。そしてギラつかせた目を向けては離さない轟がどう出てくるかもわからない。

 

 あっちは、葉隠と尾白に託して、

 

 ──まず轟を捕縛。

 

「────しっ」

 

 ──走る。

 

 疾走。爆走。快走。

 一条は加速した。

 轟を円の中心に据え、付かず離れずの距離を保ちながら、アスファルトと氷の入り混じる路面を、

 

  カッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッ──‼︎ 

 

 旋回し始める。

 規則正しく、それでいて暴力的なまでに早い足音が、轟の周囲を幾重にも取り囲むように。

 

「……っ、こ、んの……!」

 

 必死に一条の姿を轟が追おうと試み右手を差し伸ばす。だが、通ったと思えば通り過ぎまた追えば今度は通り過ぎる。通り過ぎ通り過ぎた、通り過ぎる。

 

 右半身を凍傷に近い冷えが、耳の奥深くに存在する三半規管をぐりぐりと苛ませた。

 

  ──右から左──

  ──右から左── 

  ── 右→左 ──

 

  ──右左──

 

  ──右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左──

 

「あっぐっ……そういう……っ!」

 

 首を動かすたびに、視界がぐにゃりと歪む。右に見える黒い影が次の瞬間には左へと飛び、残像だけが轟の網膜に焼き付く。

 

 一条の狙いは明白だ。

 まともにぶつかれば、また氷を放ってくる。ゼロ距離でやられた経験もある。

 ならばと、目を回させ、平衡感覚を奪えばいい。

 そして、

 

「タイミングでやれば……っ」

 

 ──私もそうする。

 

 ガクリと膝を折りかけるも打開策を見出す轟。

 その慣れた瞬間。

 

 ──今。

 

 一条は円運動を突如として破棄し、あたりに響き渡っていた足音が消えた。

 そして、移動に変えても決して音が限りなくゼロとなる場所──宙へと飛び込む。

 

 轟の背後。一条を探し回り、体を回す轟の死角へ。

 ──着地。

 

「……っ、しま──!」

 

 ──遅い。

 

 振り返ろうとする轟の動きは、もはやスローモーションにも等しい。

 一条の揃えられた両足。その片方がぐるりと周り、轟の左側へと解き放たれた。

 

 抗うための氷を右側からどうするよりも早く、お荷物となった左を一条の伸びた片方の足が、轟の腹を、胴を、ふくらはぎ(・・・・・)で刈り取り──

 

「ごア──っ!?」

 

 左半身を覆う氷のコスチューム。その氷を砕きながら、轟の五体をアスファルトへ吹っ飛ばした。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ──寒い。

 

 ──痛い。

 

 ──息が、できない。

 

 アスファルトの上を何度も転がり、何度もグレイと青空を垣間見る。しかし、それさえも認知できないほど、轟の視界は白と黒が混ざり合ったように明滅した。

 

 左の脇腹に叩き込まれた、異物感はなく、むしろ焼けたように熱い。熱い。いや──蹴られたのだ。

 内臓を揺さぶるその痛みが、咳を誘発して、さらにキリキリと縛り上げる。だが、それ以上に轟の五体を縛り上げていたのは、自身の右半身から発せられるリミッター、『凍傷』に近い冷えだった。

 

「ガ、あぁ……ッ、は……」

 

 無理やり身を起こそうと右腕に力をこめる。動かない。

 代わりに、返答としてピキりと、張り付いた分厚い霜が嫌な音を立てるだけで、力が入らない。

 

 使い過ぎた。短時間での大出力と、今までにない精密な氷結の連続。本来なら、『左』で調節しなければならないのに、それを意地で封じ込めた代償が、今になって完全に運動機能を奪い取ろうとした。

 

『さっきから、どうして右からしか氷が出ないの?』

『左は使わないの?』

『右からしか──』『左は──』『右から──』『左は──』『左』『左』『左』

 

 左左左左ひだりヒダリひダリ──

 

 ──うるせえ……ッ

 

 凍てつく脳髄に、一条の言葉が、声音が何度もフラッシュバックする。

 あれは、挑発でも、哀れみでもない。ただの『疑問』だ。

 わかっている。にも関わらず、頭を駆け巡っては耳鳴りのように脳みそを攻め立ててくるのだ。

 それが、神経を苛立たせる。

 

 ──使わねえ……! あいつの、力なんざなくたって俺は……母さんの氷だけで……ッ!

 

 あるのは反骨心だ。

 朦朧とする意識を、この心が意識を繋ぎ止め、轟は顔を上げた。

 

「…………」

 

「こっ──」

 

 一条がいた。黒く長い髪を引っ提げて、星野一条が──『青い瞳』が轟を見下ろしていた。

 

 ──見るな……ッ

 

 違う。

 

 ──こっちを見んな……ッ

 

 違う。あいつじゃない。

 

 青い瞳で、自分を物としてしか見下ろさないあいつじゃない。一条はあいつじゃないのに、どうして──、

 

『…………』

「…………」

 

 こうも被るのか。

 

 

「じっとしてて」

 

 頭上から降り注ぐ命令に、轟の動きは停止し、思考が現実に引き戻される。

 気づけば轟の左腕は、屈んだ一条の両手によって引き寄せられた。

 

 もうすぐ、巻かれる。一条が持つ白い捕縛テープにより、“負け”てしまう。

 巻かれる。巻かれて負ける。巻かれて、負け

 

『轟! 聞こえるかっ? 俺だ、障子だ!』

 

「────」

 

『核を回収した! 俺たちの勝ちだ!!』

 

「……っ!」

 

 その小型無線の報告は──

 

『屋内対人戦闘訓練、第二試合……ヒーローチーム、WIIIINNN!!』

 

 轟・障子チームの、勝利であった。

 

 大音響で、グラウンドβにオールマイトの声が響き渡り、凍てついた街路に終止符を打った。

 

「────」

 

 一条の手が、巻き付けようとした寸前の状態でピタリと止まった。

 轟の腕を拘束しようとしていたテープは、あと数センチのところで空を切ったのだ。

 

「……負けた、みたいね」

 

 テープをくるくると巻き直し、腰のポーチへと無造作に放り込む一条。その声には、悔しさも、焦りも、驚きもない。

 ただ、起きてしまった『事実』をまるまる口に出しただけだ。

 『事実』だ。

 

「ふ、ざけんな……っ」

 

 地面に這いつくばったままの轟が、震える声で地面へ吐き捨てる。

 勝利宣言に歓喜なんてない。こんな戦いに、そもそも歓喜なんてするわけがない。勝って当然、だったはずだ。

 だが、目の前に転がっているのはなんだ。敗北だ。自分の全力を、赤子同然に転がされた。

 

 勝った。勝った。

 試合には勝った。障子が核に触れたから。障子(・・)が核に触れたから。

 それで轟自身はどうだ。ここでこうして、膝を屈して見下ろされている。──負けたのだ。

 戦闘に、勝負に。

 

「…………くっ」

 

「体、震えてる。氷は出せても、寒さは感じるんだね」

 

 また何かを言っている。目の前で立ち上がり、本当に見下ろしてくる一条に、何かを言われている。

 

 すると、轟の顔に影が近づいた。

 

「……触るなッ!」

 

 パチン。鋭い音。

 手だ。手を差し伸べようとした一条を、轟は残された力をやっと振り絞り、今払いのけた。

 

 右半身を覆う下はすでに限界をこえ、今も刻々と体温を吸い取り続ける。息をするたびに白い靄が漏れ出て、剥き出しとなったオッドアイの──轟の青い瞳を屈辱的に歪ませ、睨む。

 

 けれど、

 

「…………。そう」

 

 目の前の少女は、そんなことお構いなしに、いや──構わず払いのけられた手を見つめて、それから下ろした。

 

「私は、あなたたちに負けてしまった。強いね、轟と障子は」

 

「────」

 

 その言葉には、一切の皮肉も、嫌味も含まれてはいなかった。

 やはりただの、“感想”だ。

 

「…………っ」

 

 ギリッと、奥歯を噛み締める音が驚くほど間近に響いた。自分だ、轟だ。

 皮肉であって欲しかった。いっそのこと見下して、嘲笑って欲しかった。この胸に燻る、喉を焼いてはなおも奥歯を噛み締める気持ち、『怒り』を、名のある形にして相手にぶつけることができたのに。

 

 轟を見下ろす一条。払いのけられた手をもう一度見つめると、柔らかに握りしめる。 

 

「私も、そろそろ戻らなきゃいけない。……あなたは、一人で戻れる?」

 

「恩売ろうってか? 余計な世話だ…………、構うな」

 

 轟は、一条の問いかけを唾棄するように拒絶する。

 凍てつく右半身を引き摺るようにして、今にも立ち上がる。そう示唆する動きをして。

 

「…………。わかった」

 

 驚くほど淡白に返される。

 背を向け、一条がカツンカツンと金属と街路を叩く足音を奏でて、離れていく。

 その背中が、どんどん離れていく。

 どんどん。

 

 どんどん、離れ、

 

 ──くそ……

 

 痩せ我慢だった。もはや限界を超えた体はいうことを聞かずに、右に溜まった重さに耐えきれなくなって落ちていく。

 

 視界が、斜めになる。

 

 

「…………」

 

 

 視界が、横になる。

 

 

「ひゅぅ…………」

 

 

 一条が、横になる。

 違う、轟の視界が横たわったのだ。

 

 

「ひゅ……ぅ……」

 

 

 どんどん、離れていく。

 

 

 どんどん、冷えていく。

 

 

 どんどん。

 

 

「…………」

 

 

 どんどん

 

 

 

「……」

 

 

 ひえ、て────────

 

 

 ──

 

 

 

 ────

 

 

 

 ──────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 揺れる感覚があった。

 

 固まって動けなくなって、冷えてしまった身体。凍えてしまった身体。

 

 それが、今はどういうわけか、暖かく感じた。

 

 ──………………

 

 熱くはない。拒もうとしていたあの熱とは違う。ずっと穏やかで、氷よりも、温かい。

 

 うっすらと見える光の奥。

 

 白い人がいた。白い肌をして寒そうなのに、その肌の下は血が通っていて、温かい。

 

 このまま、どこへ連れて行かれるのか、轟はわからなかった。

 

 だが、いつしか忘れていた温みとは違うことだけはわかった。

 

 それを知った瞬間、ひどく懐かしくて、

 

『いいのよ、お前は────』

 

 ──…………。かあ…………さん……。

 

 

 ひどく、暖かく感じた──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

 

 降り注ぐ太陽の光とは対照に、注がれる光を受ける街下は温もりを否定する凍てつく世界があった。

 そこを、一人が歩く。いや、正確に言えば、一人は『背負われ』、一人は『背負って』だ。

 

「…………」

 

 完全に意識を手放し、だらりと力の抜けた轟の体を、一条は無言で背負い直した。

 

 触るなと払われた手ではあったが、気を失った人を極寒の世界に放置するのは、誰がどうみても『情緒』というものがない。

 

 カツン、カツンと凍てついたアスファルトを再び叩き始める。向かう先は、第一試合出久の運び込まれたリカバリーガールの元か、途中に出会うだろうサポートロボットだ。

 

 ──……涼しい……。

 

 背中から伝わってくるのは、尋常ではない冷気だ。

 だが、病院で測った、人としては少し高めの体温を気持ちよく冷ましてくれるくらい、この轟の個性はミッドナイトのハグに似た感覚がある。

 

 それと──、

 

 ──私は、お母さんではない。

 

 そんな否定をしながらだが、別にどうでもいい。

 今何か言えることがあるのなら、冷たくて涼しく、そして轟は強かった。

 

 それくらいだった──。

 

 

 

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