「ゲホッ……、ハァ……ッ、マジかよ……」
薄暗い屋内。粉塵が微かに舞う廊下の床にうつ伏せに組み伏せられた少年が、信じられないものを見るような目で、自分を見下ろす少女を仰ぎ見た。
彼の両腕は背後でしっかりとホールドされ、白い捕縛テープがすでにその手首に巻きつけられている。
「『第三試合は……、ヒーローチームの勝ちだ!』」
野太い声が、スピーカー越しに演習終了を告げる。持ち主は、『ブラドキング』
今この場はA組の戦闘訓練ではなく、また別のグランドで行われているB組の訓練だ。
「……ふぅ」
その声を聞き届ける、灰色の髪を片手で押さえて視界を晴れさせる少女。赤縁のメガネの奥にある、鋭い灰緑色もつ少女の名は、
「いや、無個性って聞いてたんだけどな……。推薦入学のプライド、バッキバキに折られちゃったよ。──灰原」
灰原ナナだ。
「……フンっ、別に大したことしてないわよ。あんたの個性が、この狭い屋内じゃ使いにくかった。それだけでしょ」
ナナは大太刀の鞘を肩に担ぎ直し、そっけなく下で伏せている少年に返す。
その少年の名は──骨抜柔造。彼の個性は『柔化』で、触れた無生物に対し泥のように柔らかくする、環境制圧能力に長けた強力なものだ。
実際、戦闘が始まって早々、柔造は、
しかしどうだ、
「個性把握テストで間近で見たけどさ……灰原ってマジに無個性? 壁キックして近づいてくるなんて、あんた昔あったコミックの赤青したヒーローでしょ」
「誰が隣人のタイツ女よ」
「イテテテ、ギブっ! 極めないで極めないでっ、悪かったよ」
「…………。はぁ……」
──床がダメなら、壁を使えばいいだけよ。
ナナは沈みゆく床から跳躍し、狭い廊下を『壁』と『壁』の間へと飛び移った。
そこからは、骨抜にとっては悪夢のような時間の始まり始まり。
壁から壁へ、天井から壁へ。ナナの凄まじい脚力が生み出す、常軌を逸した三次元ピンボール機動。
骨抜もそれが来たからには壁も『柔化』しようと考えはした。だたすぐにその手は止まる。
なぜなら、建物の構造を変えるとなれば、それを支える支柱となる壁もまた泥となる。自分ごと生き埋めになってしまうという、リスクがあったからだ。
自分の個性で自分の首を絞めるなんて本末転倒。
その一瞬の戸惑いが、勝敗を決した。
『……へぇ、驚いたよ。灰原、君案外やるじゃないか……“持たざる者”のくせにさ』
「……、何よ。見下してるつもり? ようがないならさっさと降りてきなさいよ」
『いいや違うさッ! 床を沼に────』
口やかましい無線が舞い込んだものだ。途中でナナは耳元の小型無線の接続を切ってしまったが、支障はないだろう。
「誰から? っていうか、いい加減腕解いてくれね?」
「はいはい、そんなに力入れていないでしょ。雑魚ねぇ、もっと肉食いなさいよ」
「お前の基準が狂ってんだよ! 握力ゴリラ並とか、柔化の俺が思わず身を固めるほど…………つかっ、おばあちゃんかっ」
「──誰がババアよ。ったく」
ナナは掴んでいた腕を解き、柔造の後ろ腰から降りる。「イテテテ」と言いながら立ち上がる柔造だが、本当に柔っちいったらありゃしない。
「で? 誰だったのよ」
「? 誰って……無線のことね。『寧人』よ。…………ネチネチネチネチ、鬱陶しいったらないわ。回りくどい」
「……それ、灰原が言う?」
「──なんか聞こえた気がしたわね。よーく聞こえなかったから、もう一回言ってくれる? 柔造」
「いいや、ごめん被るよ。そんじゃあ解放してくれたということで、そそくさとモニタールームに戻るとしますかね」
本当に調子がいい。個性に対して性格が引っ張られる、ということがあるのだろうか。
肩をすくめて歩き出す柔造の背中を見送りながら、ナナはふと、大太刀の柄を握る手に力を込めた。
──あれが、推薦入学者。
強力な個性を持つ、いわゆるエリート。そのエリートを相手に、自分は『無個性』の身体能力だけで完全勝利を収めた。戦い方も、判断も間違ってはいない。
はずだ。
「…………」
後ろ腰に大太刀をマウントし、ナナは屋内の出入り口から出た。
思えばあの時の空──入試の日の空も、こんな感じだったような気がする。
脳裏をよぎるのは、今日の昼食で別れた、自由気ままに隣に座ってくるや否やカレーライスを頬張る長い黒髪ツインテの少女──星野一条だ。
──あいつなら、もっと簡単だったのかしら。
どんな状況でも、顔の無表情さは変わらない一条。
それがなぜだか──無性に腹が立つ。
「ハァ……まあいいわ」
「何がいいんだい?」
「…………」
後ろから声をかけられる。その相手を舐めるようで、それでいて鼻にかかる声は振り返らなくてもわかった。
寧人だ。
「……いたの、気がつかなかったわ。もう中には誰もいない?」
「あぁ。君がぼうっと突っ立っているうちに、鉄哲が行ってしまったよ。何か声をかけていたようだったけど、気がつかなかったのかい?」
「…………」
寧人の指摘に、ナナは片眉をあげて視線を横に走らせる。そこには、怪訝そうに腕を組みながらモニタールームのある方へと歩いていく鉄哲の背中。
しかも、かなり離れている。
「おやおやあ? やっぱり“持たざる者”に“持っている者”たちの訓練は、流石の灰原にも堪えたのかなあ?」
「少しはその口数を減らしてもらえると、気力が削がれなくて助かるわ。それに、私はただ……」
「ただ……?」
疑い深く顎に指を添える寧人。
だが、下から顔を覗き込むような無粋な寧人の視線なんてお構いなしに、ナナは若干雲が流れ着いた青空を見上げ、紡いだ。
「あいつ、今どうしてるんだろうって」
同じように、今頃戦闘訓練をしている一条に、無意識に思い馳せながら。
──バカみたいね……。
* * *
一方、その頃。星野一条は──
──モニタールーム──
バサァッ──‼︎
「ごめんなさい……」
──謝っていた。
お辞儀。
いや直角。
いや、重ねて
それ以上に鋭角な。己の柔軟性をフルに生かした、九十度を超える深い深いお辞儀だ。
それはまるで、児童の、小学生の、ランドセルの蓋を開けっぱなしにしたままお辞儀をしてしまい中身の教科書やノートを床に丸々全部ぶちまけてしまうかのような、勢いと誠意(?)に満ちた凄まじい角度。
これには左右で長さの違うツインテールをビタンっと、モニタールームの床についてしまっている。
「ほ、星野ちゃん!? 顔あげて頭あげて! そんなに謝らなくてもいいから!!」
「そ、そうだよ星野さん! 俺たちも力不足だったし、星野さんが轟を抑えてくれてたのは事実なんだから!」
黒髪の毛先が、床にかかっている。
一条はその姿勢のまま、淡々と、しかし真剣な声音で床に向かって口を動かした。
「ううん。私が……、私が、轟にかまけすぎていたから負けてしまった。……ごめんなさい」
「本当に本当! 大丈夫だから。星野ちゃんがいなかったら私たち一瞬でカチンコチンっ。凍らされて終わっちゃってたし!」
「うん。結果は負けちゃったけど、星野さんが轟を倒した。それは本当なんだ。だから顔あげて星野さん! 髪、床にくっついちゃって汚くなるよっ?」
どおどお、とする尾白と、グローブでぐいぐいと一条の細い肩を引く葉隠。ようやく一条の体が九十度以上のお辞儀呪縛から解放されれば、ほっと一息ついた。
バサリと髪が元の左右の位置に戻り、一条はいつも通りの無表情。──しかし、先ほどのお辞儀で印象が瓦解したおかげで、無表情の中に込められた意味がなんとなく見えるような顔。
一条は、二人を見つめた。
「けど、負けは負け。核を取られてはいけないのが、私たちヴィランIチーム。次は負けない」
「うん! 次同じチームでも、そうじゃなくても、絶対頑張ろ! 私も頑張るから!」
「俺も、頑張るよ」
三人の間に、即席チームとは思えない奇妙な連帯感が生まれる。そのやりとりを、
「「「────」」」
モニタールームで先の戦闘を見て戦慄していた空気感が妙な感じにもなる。
それもそのはず。つい先ほどまで、二位を圧倒していた冷徹なる三位の少女が、小学生ばりの謝罪を目の前に見せられて、いろいろごちゃごちゃなのだ。
すると、三人の空気に、
「その意気だ、少年少女ッ」
オールマイトが歩み寄って引き締める。
「試合結果に足をずるずる引かれるよりも、反省を肝に銘じ、後に生かすということはヒーローにおいて重要と言える一つなんだ。この後も、しっかり励むように!」
「はいっ」「はーい!」「……うん」
個々人の相槌を聞き入れ、オールマイトは笑みを称えながら満足げに腕を組むと、頷いて見せた。
そして、轟、出久を除いたクラスメイトがオールマイトの前方へと集まり、講評が始まる。
「個の戦闘においては、星野少女が轟少年を圧倒していた。それは、紛れもない事実ッ。だがこの訓練はあくまで『屋内対人戦闘訓練』であり、個人の武力のみを競うものではない!」
オールマイトの言葉に、A組生徒たちは胸襟を正されるようだった。
静まり返ったモニタールーム。オールマイトが咳払いをし、本題に入る。
「さて! ここで皆に問おう! 先の第二試合におけるベストプレイヤー……MVPは誰でしょう!?」
その問いに、いち早くスッと手を上げた者がいた。
黒髪をポニーテールに結んだ、知的な雰囲気を漂わせる少女。講評二度目ではあるがもはやお馴染み──八百万百だ。
「はい、先生。今回のMVPは、障子さんですわ」
「ほう……して、その心はッ」
「はい。まずヒーロー側ですが、轟さんは自身の力への過信と焦りが見受けられました。市街地への甚大な被害を顧みず、一人のヴィランに対しての大規模な氷結の連発は、ヒーローにおいての反転行為。ヒーローとして、そしてこの訓練の目的においても、非常に危険極まりない行為です」
「ふむふむ。ではッ──」
「次にヴィラン側……星野さんは──」
「う、うむ……」
ヒーローチーム側の評価に続いて、続いて行われるヴィランチームの評価。
何か言おうとしたオールマイトであったが、止まらない八百万の総評に若干笑みが引き攣ってしまっていた。
「星野さんは、個人の戦闘能力では圧倒的でした。が、本来の目的である『核の防衛』を放棄し、味方との連携を結果的に絶って単独行動に走ってしまっていた。尾白さんと葉隠さんは防衛に徹してはいたものの、障子さん索敵による看破と複数の腕による手数に押されてしまい、対応しきれていませんでしたわ」
流れるような、それでいて一切の隙のない完璧な解説。
八百万は続いて、一人ヒーローチーム側に立つ障子に目を向け結論を述べる。
「その中で唯一、障子さんだけが己の役割を見失いませんでした。轟さんが星野さんを、星野さんが轟さんの対処に手一杯になっている隙を突き、的確な索敵能力で核とビルに残った二人の位置を見破り、最小限の戦闘で目的を達成した。故に、最も訓練の意図を理解し結果を出したのは障子さん。ですね、オールマイト先生っ」
静寂。
あまりにも論理的で、反論の余地もない完璧な総評に、クラスメイトはまたしても口をポカンとして聞き入っていた。
「そ、その通りだよ八百万少女……ッ」
これには、オールマイトもまた親指を立てて納得するしかなかった。
事実八百万の言う通りだ。一条自身、『敵を倒す』ことに固執し、『目的を達成する』ということは後に回していた。倒し、捕縛
ミッドナイトは、『ヒーローは暴力を振るう人じゃない』と言っていた。その言葉が今になってようやく重くのしかかってくる。
──むずかしい……。ミッドナイトは、おーるまいとは……相澤は、これをやってるんだ。
暴力を振りかざすだけでは、それはヴィランと同じ。救助と撃退、この二つを同時にこなしてこそ、『本物』ということなのだろうか。
今日、一条はヒーローの道への遠さを実際に目の当たりにし、思い知らされた──。
「さあみんな! 戦闘訓練はまだまだ始まったばかりだぜ? 今の講評を胸に刻み、次に移ろうッ!」
オールマイトの快活な号令を合図に、モニター室の空気は一新。次なる試合への気合へと切り替わる。
だが、一条の胸の中には、八百万の言葉と、自分が犯したミスの重さが、無表情な一条の中で静かに、確かに残った。
* * *
その後も、戦闘訓練は白熱した試合が続いた。
一条にとっては、まさに激動と言っても過言ではない、把握テストでは見られなかった『個性』の新たな活用法。そして新たな課題と発見が生み出される。
そうして、全ての訓練が終了し、オールマイトが颯爽と去っていった後の、
──放課後 1- A教室──
教室には、帰り支度をする生徒たちのざわめきと、今日一日の興奮を語り合う熱気が残置する。
皆、多くの学びと反省を得られたらしく、一条もまた大きな学びを得られた。
「…………」
──頭、いっぱいだ。
一条は、自分の席に座ったまま机に肘をついて、窓の外の夕焼けをぼんやりと見つめていた。
カバンの中はすでに筆記用具も教科書もしまい終わって、あとは教師寮へゴーホームするのみ。けれど、場所によってなぜか見え方に取られる印象の違う夕日を眺める。
「おーい、星野!」
「────」
不意に、思考の海に沈みかけていた一条の意識が、弾けるような明るい声によって現実の水面へと引き上げられた。
ゆっくりと首を窓から教室の中へと戻せば、そこにはいつものように快活な笑みを浮かべた切島と、ピンク色の肌をした少女──『芦戸三奈』。
そして、クッキー人形にクリームをつけすぎたような口をした筋肉質な体躯の『砂藤力道』。さらにカエルのような特徴を持つカエル少女──『蛙吹梅雨』が、一条の席を囲むように集まった。
「みんなで今日の訓練の『反省会』してたんだ! 星野も混ざらねェか?」
「反省会……」
「そうそう! 星野ちゃん、轟くんとの戦いマジでヤバかったよ! 動きが早すぎて目がこんなのになっちゃったし! あと、私『芦戸三奈』! よろしくね星野ちゃん!」
「……芦戸。私は、星野一条」
「うんっよろしくね! でも本当にすごいよ!」
芦戸が身振り手振り、ときに目をぐるぐると回しておどけながら、興奮気味に一条の動きを再現しようとする。しかし、「グオー」とか「くるんぱっ」とか、擬音語を載せた動きはどう見てもしっちゃかめっちゃかにぶん回してるだけで、似ても似つかない。
一条は芦戸の名を確かに覚えると、その動きをよそにして横に目を歩かせる。
すると、芦戸の影からひょこっと蛙吹が現れた。
「『蛙吹梅雨』よ。梅雨ちゃんと呼んで」
「ん、蛙吹」
「
「────」
一条の頭に蛙吹の名前が広がった。
なぜだ、蛙吹は蛙吹ではないのか。ミッドナイトにもう一つの名前の香山があり、相澤にはイレイザーヘッドというのがあるように、まさか蛙吹にも二つ名があるのか。
※ 違います ※
けれど、蛙吹は『梅雨ちゃん』と呼んでくれと頼んできた。
「あす──」
「…………」(じーー)
「あすぃ、つ、つつ……。『つゆちゃん』」
「そうよっ。よろしくね、一条ちゃん」
──いいの? そう呼んで。
名前に後付けするようなことはあっても、名前を丸々変えるようなことがない。少なくとも一つ、『ブラック★ロックシューター』が私であるということを除いて。
いや、ミッドナイトが『いっちゃん』と自分を呼ぶのと似ている。
それとも同じということなのだろうか。
嬉しそうに微笑む蛙吹あらため『つゆちゃん』──やはりここでは蛙吹にしよう。微笑む蛙吹に、一条は無表情な面持ちに疑問を浮かべたが、コクリとこの場は頷いた。
「……うん。よろしく、つゆちゃん。私は星野一条」
一条がそう言うと、蛙吹は満足そうに「ケロ」と呟いて目を細めた。
なんだか妙な達成感がある。名前をまるっきり違うように呼ぶという、ただそれだけの行為に、こんなにも色があるのか。
「俺は『砂藤力動』! よろしくな星野!」
蛙吹の隣から、分厚い唇をニッと歪ませる大柄な少年が親指を突き出す。
「お前、あんな細い体のどこにパワー隠してるんだ? やっぱり、すげぇ甘いもんとか食ってエネルギーにしてんのか? 甘いものは別腹ーみたいな」
「……砂藤。よろしく。私は、星野一条。……甘いものは、わたあめとかペッツとか最近少し食べただけ。お昼は辛口のカレーライス」
「辛党かよ!? いやでも、あの動きはマジですごかったぜ! プロ顔負けの試合されたら、俺らのハードル上がって本当にヤバかったよ!」
砂藤の驚きに、切島と芦戸がうんうんと首を縦に振って同意する。
「八百万の講評は確かにその通りだったかもしれねェけどよ。でも、あの状況で推薦枠の轟を完全に押さえ込んでたのは、紛れもなく星野の実力だぜ。俺ぁ見ててアツかった!」
「そうそう! 反省は次に活かせばいいんだし、次は私たちとも組んで、一緒に作戦立てよーよ!」
芦戸が屈託のない笑顔で、一条の手を握ってはブンブンと上下に振り回す。
その手の妙な涼しさと、自分を囲む四人の言葉に、一条は青い瞳をわずかに見開いた。
──次に活かすのは、いいことだし……いいかな。
「……うん。私もいく」
「おう! いいぜ! おい、お前らもやるだろ!」
切島がニカッと笑い、背後の面々にも誘いを投じる。
その和やかな反省会の入り口に入る、最中だった。
「────」
教室の扉が開き、夕陽を背負って入ってきたのは。
一人は、包帯や絆創膏を巻いたボロボロのコスチュームを身に纏ったままの緑谷出久と──、
「…………」
左の氷は見るも無惨に無くなって、今は白い衣服のようになったコスチュームを纏ったまま、疲労の色を濃く残す轟焦凍だった。
「おお緑谷に轟! 来た来た!! おつかれ!!」
どたどたどた。と、我先に群がっていく切島と芦戸と砂藤。蛙吹は一条を見ると、そろりと彼らの後へ続く。
緑谷は「わわ……」と照れくさそうに狼狽えて、皆の質問攻めにしどろもどろに答えている。
一方、
「…………」
轟は群がる人垣から少しばかり距離を置いて、無言で自分の席へと歩みを進めようとしていた。
行き場のない、定まらない左右で違う瞳。それが、
「────」
「…………」
一条の青い瞳と交差した。
だが、一瞬だ。一瞬に過ぎない。スルリと、一条の目から離れると一言も二言も交わさずに席に戻って荷物をまとめ始めた。
「……轟」
一条は、立ち上がって無言を貫き通そうとする轟の方へと歩み寄った。
「…………なんだ」
「もう、体の方は冷えていない?」
「…………あぁ。リカバリーガールに診てもらった。問題ねぇ」
轟は一条に一度も視線を合わせることなく、カバンに荷物を詰め終えるとファスナーを閉める。
どうやら轟は運んでもらえたことに気づいていないようすだった。
おぶっていたとき、途中でたどり着いていたサポートロボットの担架に乗せたこともあってか、リカバリーガールにも何か言われることもなく今に至る。
その事実に一条は触れようともせず、ただ彼が支度を終えるのを見ていた。
「なぁ……」
「…………」
「氷、どうだった」
「…………強かった。私が今まで戦ってきた、誰よりも」
「…………そうか」
吐息混じりの弱々しい声音。冷たさに溺れた戦闘訓練のときのものとは異なり、今の声には熱が含まれる。
片付けを終えた轟。一条に顔を向けることもなく鞄を肩にかけると教室の扉の前に立ち、ガラガラと横に開ける。
一歩外に出る轟の背を、一条は見つめた。
すると、足が止まる。
「……また」
それは、背を向けたままの轟が放った言葉だ。
一条は左右揃わないツインテールを揺らすと、彼の背に向かって唇を滑らせる。今日の轟との戦いは、あの時終わったのだから。
「…………。さよなら」
「…………」
一条は、別れの言葉を口にした。
言葉はこれ以上返ることはなく、ボールは背中越しにしっかりと轟へパスされる。その答えに、轟がどう感じたか定かではないが。
「…………」
去り際の、轟の教室の扉の戸締りは、とても静かだった──。