青き炎のBEACON《道標》   作:リクライ

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第二話 『これからどうしよう』

 

 

 一通りの指示を受けたヒーローたちが、静かな廊下を淡々と進んでいく。

 

 夜、都市から離れ、郊外の郊外。忘れ去られていた場所、と言っても不思議ではない、実際忘れ去られていた秘奥から引き上げられた現場は、すでに警察とヒーローによって制圧。残ったのは事態の残響だけだった。

 

 そこは、正式な手続きを経て閉められ、リストから忘れ去られていた研究所。中の有様は、破壊された壁、陥没した床、そして突き刺さった真っ黒の異物。

 

 今いるのは、一件が片付いたあと、急拵えの資料を配られ意見をまとめた一室だ。

 

「……これはまた、ずいぶんと派手にやったな」

 

 低く、気だるげな声。

 

 包帯のような灰色の布を首元に幾重にも巻いた猫背の男──抹消ヒーロー『イレイザーヘッド』は、眠たそうな目で現場を押さえた写真とその資料を眺めてぼやいた。

 

「研究所……トリガー関連の騒ぎを想像してたんだが……」

 

 ヴィランは全て拘束済み。

 全員が大小異なる傷害あれど、命に別状はない。

 そして──、

 

「被害者は一人。こんな子どもが……」

 

 『イレイザーヘッド』相澤消太は教師である。故にこそ、その凄惨さは無表情のままに現実を突きつけてくる書類を通しても、書類だからこそ、包み隠さず真正面から突きつけてくる。

 一概に被害者、と呼ぶには語弊があるだろうが、被害者には変わりない。その原因としては、

 

「被害者の子どもが入れられていたとされるカプセルに……それを保護するコンテナ。そして、ここだけの戦闘痕が異常に多い」

 

 二人のヴィランの被害。壁を破り、廊下に伸びていた二人は同じく頭蓋にヒビが入っており、頸椎にも多かれ少なかれの損傷がある。が、これらはリハビリをすれば回復も見込め、効果は確実とのことだ。

 

 そして、そんな二人の役割は鉄砲玉と拘束役。どちらも正面からの殴り合いにおいては手こずる曲者。それに閉鎖空間であるから、前衛と後衛、連携の取れる組み合わせになっているから、並のヒーロー相手ならほぼ勝てるだろう。

 

「それを前にして、この有様か」

 

 戦えば傷は免れないことから、不意打ちからの二撃が予想できる。

 けどだ、こうなるかという話だ。

 

 目が疲れるような思いで、相澤は眉の間を揉みほぐす。

 して──、

 

「ミッドナイト」

 

「何かしら?」

 

 相澤が名を呼ぶと、少し後ろを歩いていた彼女が顔を出す。

 さっきまでの軽口は影を潜め、今は一ヒーローとしての表情だ。

 

「被害者……例の子はどうだ」

 

 ミッドナイト。あの場で少女のそばに誰よりも近くにいたのが彼女だ。

 その視線の先は、書類にプリントされたリストの、写真の中で眠る黒髪の少女。事細かに書かれたそれには、少女の推定年齢と推定健康状態。

 

 そして、──隠しきれない傷跡。手術痕。

 

「深いわよ。……物理的にも、たぶんそれ以外にも」

 

「個性はどうだ? あの場で、この子が戦っていたのを見たのはミッドナイト、お前だった。まぁ、答えなんて出てるようなもの」

 

「そうね……この体じゃ持ち上げることなんて叶わない黒い大砲。たぶんこの子の体の一部じゃないかしら。そうだとしても……」

 

「これが鉄と仮定してみた推定重量は800キロかそれ以上。…………。全く常識はずれ、合理性に欠けるね」

 

 少女の華奢な体躯にはアンバランス、無骨にも程がある黒の大砲。これを、こともあろうか振り回していたそうだ。それを皆が聞いたときは、資料と話で右往左往、二度見三度見なんてことがあったものだ。

 

「何にしろ、この子にはトリガーよりも黒い匂いがするな。これがこの子──『ブラックロックシューター』と名乗る子の個性だとしても、振り回されるか大砲に潰されるかがオチだ。仮に大砲が個性じゃなくても、あのフィジカル自体が何らかの“個性”だというのが、(警察)の今のところ結論づけられてるが……」

 

「そう決めつけるのも早計よね」

 

「あぁ……」

 

 何度も見た資料を今一度見通し、おおまかなプロフィールを最後に、止められた書類の一枚目に戻した。

 

 『違法研究施設被害者保護および関連事案報告書』

 

 それが、この事案の名付けだ。長ったらしくて覚えにくい。

 しかしだ、最終結論はどうあれ、

 

「本当にいいのか? ミッドナイト」

 

「ん? 何が?」

 

「何がって……例の少女、身元がわかって元の家庭に引き取られる間、お前がその子を養子として引き取るっていう話だ」

 

「あ、あぁーそのことね」

 

 

 

* * *

 

 

 最初に戻ってきたのは、音、だった。

 

 規則正しく刻まれる、遠くて鈍い電子音。

 それが何を意味するのか、それはわからない。考える余裕は今の時点でまだない。ただ、この暗闇の奥で誰かが合図を送り続けているような気がする。

 

 …………

 

 におい、がする。

 

 鼻腔をくすぐる、綺麗でどこか冷たい匂い。

 喉の奥がわずかにひりついて、無意識に息を吸い込んだ瞬間、胸が上下する。

 

 ──息、してる。

 

 思った瞬間、以前のように、目覚めたときのように意識と外の境界線が描かれる。背中に感じる、水だらけのときとは全然違う──柔らかい。

 ざらりとした繊維が、皮膚一枚越しに伝わってくる。

 

 重くは、ない。

 ただ、動かそうとすると意識の方が先に沈みそうになる。喉のひりつきに、何かあるのか。

 

 ──起きよう。瞼。

 

 閉じているはずのそれの向こう側から、ひどく曇った曇りガラス越しに当てられたように、わずかに明るい。

 眩しさが滲むように広がって広がって──

 

 

 広がっていって──

 

 

* * *

 

 

 眩い光の先、最初にあったのは──、

 

「……まっしろ。知らない天井だ……」

 

「それ本当に言う人いるんだー」

 

「────」

 

 ぼやけた視界に飛び込んできた天井。

 敷き詰められた白タイルでいっぱいとなった見通しに横槍が入ってきて、瞬いた少女が青い瞳を横へズラす。

 

「目が覚めたのね、よかった」

 

「…………」

 

 手を膝に置き、指を組んだまま、大人の女性は少女を見下ろしていた。

 視線が合った。そのほんの一瞬、彼女の表情がふっと緩む。

 

「大体……だいじょぶそうね。ちょーっとごめんねー」

 

 自分がどこにいるのかわからず、こちらに身を乗り出す大人の女性に青い瞳が釘付けになる少女。

 動こうにも体が重いし、

 

「えーっとぉナースコールはっと」

 

 ──この人、だれ?

 

 声は最後耳にした記憶に似てる。けど、体の線がよく浮き出るあの服装とか、

 

「えーっとぉナースコール……あったあった。まったく慣れないもんねぇ」

 

 目の周りを覆っている赤縁のマスクとかがない。

 

「ぁ、の……」

 

「ま、ナースコール押し慣れてないってのも、いいんだろうけどさっ」

 

「あの」

 

「んー?」

 

 カチッ、と音が鳴るのと同時に、投げた問いに大人の人が喉を鳴らして訝しげに片眉を上げてくる。

 

 そんな様子に、口元に違和感のある少女は手を伸ばして、

 

「あなたは、だれ、なの?」

 

 ずっとついていた、口元を覆うマスクを外して、身を起こしながら女の人に聞いた。

 するとどうしたのだろうか。

 

「ふふっ、あーごめんね? あなたにはまだあっちの方しか見せてなかったし仕方ないわね」

 

 ひとしきり笑ったあと、にこやかに椅子に戻っていく女の人が、肩から下げた鞄から赤縁のメガネを取り出して、ふっと口角を上げた。

 

「それじゃあ改めて自己紹介っ」

 

 淀みのない動作でフレームを開け、耳にかける彼女は躊躇いのない仕草だった。

 一挙手一投足で、病室の空気がほんの少しだけ軽くなった、次の瞬間──、

 

「アタシは『ミッドナイト』。これから、あなたの肉親が見つかるまでの間、あなたの面倒を見る、ヒーローよ!」

 

 『ミッドナイト』と。そう言ってきた。

 耳の小太鼓を打つ溌剌とした声、言葉が、ゆっくりと胸に落ちてくる。ヴィランは倒すべき存在だ。けど、それ以外はどうだろう。

 ヒーロー。面倒を見る。その意味は、完全にはまだ噛み砕けない。噛み砕けていないことが、まだ多すぎるから。

 

 ──けれど。

 

「……ヒーロー……」

 

 小さく呟いた、そのときだ。

 

「────」

 

 コンコン、と控えめなノックが病室に響いて、さっきまでの空気がなくなった。

 

「失礼します」

 

 静かに扉が横へと避け、白衣に身を包んだ──、

 

「目が覚めたようですね」

 

 竜っぽい人が入ってきた。

 

「────」

 

「安心して大丈夫よ。彼は……」

 

「いえ、大丈夫ですよミッドナイトさん。自己紹介は私の方から直接」

 

 先走りかけたミッドナイトを片手で制す竜っぽい人が、少女の横たわるベッドに歩み寄る。こちらに害意はないと伝えるように笑みを浮かべながら。

 

「私は君を担当された担当医師、吉田竜です。気分はどうかな? どこか痛かったり、悪かったりするところはあるかい?」

 

「…………」

 

 ふるふる、と首を左右に振って、それから少女はミッドナイトに目を移した。けれど、彼女は微笑むだけで何もしないし、何もしてこない。

 だから、外を眺めることにした。

 

「ここは、どこなの?」

 

「ここは、眠った君が運び込まれた『セントラル病院』だよ」

 

「せんとらる……」

 

「聞きたいことはまだまだいっぱいあるでしょうけど、まずは君のことから、だよ。……念のため聞くけど、君は自分の名前を覚えているかな?」

 

「名前……わたしの……」

 

 名前。名前だ。内と外。自分と自分以外を決める器。境界線。

 

 吉田と名乗る医師の問答に、少女は一秒も間もない逡巡を経て、自分の太ももに落とした視線を上げた。

 あのとき、ミッドナイトに聞かれて胸に響いた言葉を、今口にする。

 

「わたし。私は──『ブラック★ロックシューター』。…………。……だと、思う」

 

「そうか……。一応だけど、他にはあるかい?」

 

「ほか……? ううん……それしか、知らない」

 

 少女の口が紡いだものは、おそらくは他人が名乗るそれとは違うのだろう。それがわかったのは、他の人の反応しかあるまい。

 

 名乗った途端、場の空気が止まった気がした。吉田が記そうとしていた紙。おそらくはカルテに書こうとしていたペンが止まって、困ったようにミッドナイトと視線を交わしたから。

 

 悪いことは、言ってない。と思う。

 思うが、

 

「……どうか、した?」

 

「いや、なんでもないよ。……そうか、ブラックロックシューター……かっこいい名前だね」

 

 吉田が、努めるように明るい声で語りかけ、カルテにペンを走らせる音が鳴った。

 

「でも、それだと今後生活する上で何かと不都合が生じうるかもしれないんだ。だから、君には名前を決めなければならない。私が吉田竜と名乗るように」

 

「アタシも『ミッドナイト』って言っちゃったけど、本当の名前は香山睡って名前なのよね」

 

「──。名前は、みんなに二つ付けられるの?」

 

 飛び込んでくる情報。量としては減ってはいるが、また新しい情報が入り込んできて首を傾けざるを得ない。

 

 そんな少女の様子に、二人は困り笑いを浮かべる。

 

「そうなのよ。まぁ、少しややこしいけど、アタシたちヒーローにとっては、どっちも大事な名前には変わりないわ。……あなたにとっての『ブラックロックシューター』のようにね」

 

「うん」

 

「私たちが暮らす中で、呼びやすい、君という名前を、私たちと一緒に考えさせてはもらえないかい? もっと短い、君が呼ばれたって思えるような名前をね」

 

 どうやら、『ブラック★ロックシューター』と名乗るには色々と何かがあるようで、少女は軽く息を吐いて、差し込んでくる光の先。太陽を見た。

 

「いいよ。私の呼び方が変わっても、私は変わりなく『ブラック★ロックシューター』……だと、思ってるから」

 

 確然たる意思の割には二つ名と言う、一つしかないはずの名前に二つあるという疑問から来た曖昧な宣誓から、一日が始まった。

 

 まずは、『名前』を決めることだが──

 

* * *

 

 少しだけ懐かしい場所で戦っていた時の小さくて黒い布とは異なり、今は青いダボダボの布を纏っている。けど、なんだか……、

 

 ──落ち着かない……。

 

 少し暑苦しいから、緩めようとした途端に大人の人が慌てて止めてくるし、暑いと言ったらバタバタと忙しないしで、何が何やらわからない始末。

 

 とりあえずということで、ミッドナイトがベッドの脇の装置を拾い上げてきて、

 

「お、おおー……」

 

 駆動音と同時に体が、起き上がった──。

 

「動いてる……」

 

「それだけで驚いちゃうなんて、あなたきっとこれから楽しいわよ! ベッドが起き上がるだけじゃない、いろんな人がいっぱいいるんだから。──あ、そうだ。日々が新しいっていう感じで『日歩新』なんていうのはどう?」

 

 カキカキ

 

 どこからか取り出したかわからないでっかい紙を取り出して、『日歩新』と達筆極まった字面。

 

「違う」

 

──に、日歩新と名付けられかけた少女が払った。

 

「え」

 

「戻ってきたら、これはっ……ぶっ」

 

「私は、新しくなんかない。歩むのは……合ってるけど、なんか違う。……私、もっと速いし、もっと……なんかつよい」

 

「ショック! ちょーショック! アタシのネーミングセンス、全否定!? けっこー自身あったんだけどなー!」

 

「ははは……じゃあ血圧をまずは測りましょうか。」

 

 病室の中は静かに、っていうのが定番ではないのだろうか。だって──

 

 ──うるさい……。

 

 寝て起きて、それから急に叫ばれるのは耳がキンキンしてきて頭が痛くなるから。

 

 寝ぼけ眼のように、まんまるの青い目を半分だけ開けて半月のようになる少女。若干の呆れと若干の諦めが宿った表情で訴えるも、少女の知らぬ間に、腕に包帯より厚いものが巻かれた。

 

「これは、君の中に流れる液体の圧を測るものなんだ。少し窮屈かもしれないけど」

 

 流れるような手つきで巻かれ、ボタンが押された。すると、ギューッと肘から上のあたり、ちょうど巻かれた部分が締め付けられて、腕が、中の管が、流れが、閉められる。

 

「大丈夫だよ。これは腕を締め付けてだんだん緩んだとき、どくどく音がするところ……君の胸の中にあるもの『心臓』が縮んだときの血の流れを読むんだ」

 

「胸……心臓」

 

 左腕の抵抗をなくし、右手を自身の左胸に添えてみた。とくとく、音が鳴ってる。これが、医者の吉田が言う心臓の音なのだろう。

 

 だんだんと締め付けられて、布に触れた肌で感じた心音が聞こえなくなると、気づいたときには巻かれたものが萎んで、最初と同じになった。

 と同時に、

 

「うーん……あ、これならどうっ? この世界という名の生に己という強さを鋭く焼き刻みという意味で『今生鋭火』っ!」

 

「違う」

 

「お、血圧は至って健康だ。上下ともに基準値以内。……でもこの血圧計、鱗系の皮膚の厚い患者に使うものなんだけどなぁ……」

 

 一回破れ二回目。だが、一度あることは二度もある。そう体現するように、少女の否定の刃にミッドナイトはまたもバッサリ一刀両断。

 後に続く落胆の声が上がるも、医者は自分の世界に。少女は眠たげな目をした瞳で、病室よりも広い青い空を見つめた。

 

 その後、布団ならぬベッド、正式名称は医療用ベッド。その上でできること、体温も脈拍測定もことなきを終えた。

 

 

 

 

 

 

 

 ちょっとだけ、体温があったかいらしい。

 

* * *

 

 

 

 

 なんとなく、

 

「じゃあ次は身長と体重だね」

 

 思い出してきたような、気がする。

 

「仮称Bさん。Bっていうのは、君のいうブラックロックシューターの頭から来てて……Bっていうのは」

 

「──知ってる」

 

「えあ、そう? ふーむ……」

 

 記憶とはまた違う。自分の生まれとかそういうのは、今のところわからない。どこか置き去りにしてしまったのか。例えば、あのカプセルの中なのか。

 

「どうしたんですか? この子に何か悪いところでも……」

 

「いや、そういうことじゃないんです。もしかしたら、あの子は……」

 

 何か考え込むようにペンのノックを顎に押し付けたと思えば、ミッドナイトとどこかへと行ってしまった。ポツンと二人、吉田の付き添いできた看護師と、一緒に。

 

 何やら少女を置いて、診察室の外へと出て行く吉田とミッドナイト。すると、ドアの方をずっと見て立ち呆ける少女に助け舟。

 

「じゃあ私が代わって、あなたの検査を請け負いますね」

 

「…………。わかった」

 

 身長は160センチ。体重は48キログラム。だと言われた。

 痩せ気味らしい。

 

 

 

* * *

 

 

 

 程なくして、扉が開く。

 

「すまないね、少しわかったかもしれないことがあってね?」

 

 去り際に聞いた声色とは裏腹に明るい雰囲気を纏ったミッドナイトと吉田が診察室に再び足を入れてきた。

 

「なに? まだ調べるの?」

 

「さっきとは、ちょっとした趣向を変えてね? 100引く12は?」

 

「──88」

 

「ふむ…………じゃあ──97×96」

 

「ぇ…………。ん……。────。──9312」

 

「なら、割り算はおそらく問題ない。四則演算は申し分ないことは確実だ」

 

 そして、少し長い『勉強?』が始まった。

 問題自体は簡単で、病院にあった本を読めるかだとか、ローマ字が読めるかだとか、文字が書けるかだとか。

 やっていいことと、やっちゃいけないこととか、そういうものはよかったらしい。誰かのものを取ったらいいか、ダメか、みたいな感じの。

 ただ一つ、社会に関することがわからなくて、「わからない」と答えるたびに喉を鳴らしてくる。

 

 突然、算数や簡単な言葉の問題の連続。投げられた問いに、青い瞳は吉田から外れなかったものの、少女の頭は傾いたままだ。

 

「ごめんね、急に考えさせるようなことさせて」

 

「ううん、別に疲れなかったよ。でもどうして……?」

 

「君が心配することは何もないよ。そこだけは安心して大丈夫だから」

 

 

 

 ──わけがわからないよ……。

 

 

 

* * *

 

 その後は、横に動く硬いベッドに横たわったり、

 

「これはMRIと言ってね、君の体の中を調べるものなんだ」

 

「体の──」

 

「じゃあこれ! 『日向彗』とかどうかしら? 日に向かって飛んでいくお星様みたいな意味なんだけど」

 

「うーん……」 

 

「お、手応え──」

 

「私は消えないし、もっとつよい」

 

「くゥー!!」

 

 

* * *

 

 

「……正直に言いましょう」

 

 MRIの検査が終わり、体を自由にしていいという声が部屋に響き渡った後だ。

 透明な壁一枚を隔てた先にいる吉田。マイクを体に寄せ、一方のミッドナイトは肩を震わせて身悶えしている。

 

「君の体のおおよそは見れた。脳もね。その結果言えることは、外的損傷による記憶障害ではないし、病変による記憶の欠損でもない。けど“忘れた”わけではない」

 

「じゃあ、私は?」

 

「必要な知識はあるように思える。学力低位までは。しかも──」

 

「あーもォ!」

 

 並んだ機械の画面を眺め、光る画面に反射して瞳が少女から隠れる吉田。どこか重たい声音で。

 その声が、ミッドナイトのガムシャラみたいな殴る声がガラスを打ち──吉田からマイクを奪った。

 

「このままじゃ埒が開かないわ! 毎回毎回名前の呼び方でヤになっちゃうし、“あの”とか、“きみ”とか、“ねぇ”とかじゃ、壁がある感じがするじゃない!」

 

 ──壁。かべ。

 

 心の中で反芻し、少女の青い瞳がズレたのはミッドナイトの方──ではなく、透明な壁に視線を目掛けて瞬いた。

 

 ──確かに、壁ある……。

 

 ※ 違うそうじゃないぞ……少女よ ※

 

「『ジョン・ドゥ』とか『ナナシ』なんて可愛くないし──」

 

「と、とにかく!」

 

 このままでは埒が開かない。ギャイギャイと大人にあるまじき見苦しさをひけらかすミッドナイトを看護師二人が止まり、吉田が一区切り打ってみせる。

 

「順当に学びを得る機会があれば、同年代の子どもたちと同じくらいになれるよ。君は頭もいいし……いい子だからねっ」

 

「そう?」

 

「そうなんだよ。だから君は、君のままでいなさい」

 

 

* * *

 

 何はともあれ、

 

「何はともあれ、検査は全て終了。そして結果としては、まったくの健康児だよ。よかったよかった」

 

 ──頭ぐわんぐわんする……。

 

 ぐしぐしと頭を撫でられて眉間に皺がよる少女をよそに、吉田は口に柔らかな弧を描く。笑顔は少女のから横へ、難しそうに口を曲げるミッドナイトへと向けられた。

 

「ミッドナイトさんも、あんまり性急すぎるのはよくないですよ」

 

「それはそうですけどね……」

 

「そう。名前はこの子を表すんです」

 

 ──名前。名前は、自分のこと。

 

 それは、ここにいていい理由なのか。そうではないにしても。

 

「私はブラック★ロックシューター」

 

 どんな呼ばれ方をされたとして、私は『ブラック★ロックシューター』なんだ。と、一つの筋道は譲れない少女はまっすぐな青い瞳で吉田を見上げた。

 

「……ま、まぁ、本人にもこだわりがあるんですよ。一方的なものもこの子に悪いですし、一度話し合ってみてからでもいいじゃないですか?」

 

「そう、ですよね。ごめんね、アタシばっかり先走っちゃって」

 

 肩を落とし、赤縁メガネのやるせなさを青い瞳に宿らせるミッドナイト。

 溌剌。活発。さっきとは一変した気分の落差に、少女は生まれていたわずかな距離を踏んで、

 

「ううん、だいじょうぶだよ」

 

「────」

 

 手を、握った。

 こうすると安心するから、この人にも安心してほしい。だから──

 

「ああんもう! この子ったら可愛くていい子!!」

 

「んむむっ、ミッドナイトくるしいし暑い……」

 

 ほんわかと暖かい空気が少女とミッドナイトの間に満ちてきた。と思った途端、息を吹き返したか如くミッドナイトに抱きしめられ、不快に顔が顰める。顰めたとして、表情筋は真顔からあんまり変わらない。

 それもあるが、ミッドナイトの胸の、自分とは違うクッションのようなものに押し付けられて息ができない。

 

「あっごめんなさいアタシったら」

 

「しかし、この子の個性は興味深いですね。運び込まれたときもそうなんですが、点滴を打つ針が歯が立たなかったんですよ。今回刺したものは皮膚の厚い個性を持つ患者に使うものでして……発動型、ではないでしょうね。本人を見ても、力んでいるといった様子はなく自然体ですし。どちらかといえば異形も混じっている……? いや憶測で語るには早すぎる……」

 

 解放の後、言葉の嵐。

 ぶつぶつと、医者である前に研究心ゆえの好奇心。吉田の口や思考は止まることを知らない。

 

 ──な、ながい……。

 

 ペラペラ、自分のカルテを捲って自己論争する吉田を、少女は呆けながら立ち尽くす。

 そんな少女の無温度の視線に、吉田はぴくりと眉が上がって、愛嬌のある竜っぽい頭を向けた。

 

「一人で長々とやってしまった……。まぁ、名前同様に一朝一夕にはいかないものです。焦らずとも、この子の個性はきっとわかりますよ。差し当たっては『身体強化』に留めておくのが無難でしょうね」

 

「でしょうね……この子ったらでかい大砲を軽々と持ち上げてたんですよ。ちょうど、これくらい」

 

「君の背と同じ……それはまたとてつもない……! であれば、尚更身体強化という個性に、一時留めるのがいいでしょうね」

 

 ──こ、せい?

 

「個性って、なんなの?」

 

「君にはまだ教えられていなかったね。君やミッドナイトさんとは違い、私は竜っぽい姿なのも個性の一つなんだ」

 

「アタシの個性は、体から出てくる香りで眠らせることができる個性なの。あなたが昨日アタシと出会って気を失ったのも、この力のおかげね」

 

「ここにいた人たち、みんな個性持ってるの?」

 

「うん。ただ、全員が全員持っているわけでもないんだよ。同じ個性のように見えても実は違ったりするのもあって……例えば……氷を出すっていう個性だけでも色々ある。体から直に出したり、周囲を冷やして間接的に出したりとか、色々ね」

 

「へぇー」

 

 個性だけでも色々あるらしい。ということは、自分のようにヴィランを壁まで吹っ飛ばすような個性も少ないのだろうか。温度だって、周囲を冷やすことができるのなら、少しあったかくて鬱陶しいこの服も気にならなくていい。

 

 ここにくるまでの間にも、診察を待つ人の姿を見たことがある。ツノが生えていたり、一つ目だったり、鼻が長かったりなど、十人十色。

 

 ──みんなすごい……。

 

 少女は思い馳せた。ここを出て、まだ見ぬ人たちがいるという広大な世界に。

 

「お腹の傷のことだけど……右横腹と左脇腹の手術痕は定着してしまっていて、跡は消せない。医者として、不甲斐ないと思っている。……すまない」

 

 まだ見ぬ、少女からすれば全てが新しい世界──新世界に現を抜かす傍ら、吉田が口を強張らせた。

 

「女の子にとって、その傷は人によっては好奇な目で見られるのはいい気がしないでしょう。しかし。その傷は将来──」

 

「いい」

 

 繋がったように見える大きな吉田の瞳に影が落ちる寸前、少女の短い割り込みが、顔を上げさせた。

 吉田のブレる視界にあったのは、

 

「私は、気にしていない。だから、吉田が気にして謝る必要はないよ」

 

 何者にもブレない、静かに暗闇を温めるような少女の青い瞳だった。

 

「それは……っ、君はそう言ってくれるのか。──ありがとう」

 

 

* * *

 

 

「しかし、いいんですか? 退院はまだ早いんじゃ……」

 

 ことなきを経て、日が傾いて空模様は橙色にようよう染まっていたが、今や日の反対からは紫の空が押し寄せてくる。

 

 舞台は少しだけ外寄りの、病院玄関前。そこで、隣にいるミッドナイトは懸念を押し出すみたいに半歩だけエントランスを踏んだ。

 長く艶めいた黒い髪を揺らすミッドナイト──今は『香山睡』だが。睡のその様子に、吉田は目を細め宥める。

 

「幸い、本人の体内に異常は見受けられませんでしたし、脳もまた同じく異常はありませんでした」

 

 言って、吉田が視線を斜めに落とす先には、太陽が地平線に潜り込む反対、夜の空を青い瞳に映す長い黒髪を持つ少女。

 青い患者衣は身につけておらず、今は有り合わせの服を見繕っている。これは退院する患者がもういらないと言って置いていった服、事情のある人向けにストックした中古衣類だ。

 当然、ちょうどいい丈のあったものがあるわけもないから、

 

「…………」

 

 袖の余った服に、少女は時折居心地悪そうにしている。が、腕を一通りぶらつかせると瞑目して僅かに鼻をひくつかせた。

 病院の、それも空調の効いた管理された空気ではない“空気”を、痺れていた五感を目覚めさせるかのように。

 

 そんな代わりのない奔放さを漂わせる少女に、吉田は苦笑いを浮かべる。

 

「言えることとすれば、激しい動きなどは念の為控えるようにして、なるべく油分の少ない食事を摂ることが大事です」

 

「…………。お粥とか豆腐……なるべく常温に近いくらいがいいですよね」

 

「ええ。彼女の経緯は資料を拝見させてもらいましたが……粗雑な髪の伸びからして長時間はあのままだ。体は正直ですから、拒絶反応を起こしてしまいかねません」

 

「わかりました。では、この子の食事はだんだんと慣らしていき、アタシたちのと同様のものにしていく、ということでいいですか?」

 

「そうです。今日は油分控えめでも、明日からいきなりでは負担になります。そのようにしていただいてよろしい。何かありましたら、最寄りの病院に連絡を」

 

「わかりました。では、そのように。えぇーと……ねぇ君」

 

 区切りはついた。そして、これからのことを話し合おうと、睡が名前不詳、名無しの権兵衛な少女を呼びかける。しかし、瞳を閉じて世界に触れていた少女の瞼は開いていて、遠くの方を、“空”を見つめていた。

 

「──ぁ」

 

「……? どうかしたかしら?」

 

「いま──明るいのが……」

 

 「明るいの?」と少女の小さい口から出た言葉を反芻する睡が、己が青い双眸を同じ方角へ、“空の向こう”へと視線を伸ばし──

 

「あ、流れ星じゃない!」

 

「それは幸先がいい。軌跡も長いですし、一直線だ」

 

 少女の瞳にも、睡にも、吉田にも、それぞれの瞳には夜空を切り裂く一条の眩い光があった。

 星の核は過ぎ去ったが、それでも尻尾のように伸びる流星痕は五秒も経っても残り続けている。一瞬の儚さではなく永遠に続くような、どこまでも走り続ける蒼白い光。

 

「流れ星の……一筋。一条ね。星の軌跡。星の一条──“星野一条”!」

 

「──っ! ぇ……」

 

「どうかしら! 今の。“星野一条(ホシノ・イチジョウ)”。あの光みたいに、自由で、それで真っ直ぐなとこ……あなたらしいって、思うんだけど」

 

「────。…………」

 

 半月目が見開かれ、真ん丸の青い瞳を揺らす少女がハッと睡を見て、それからいまだに空に残ったままの光の──“星の軌跡(スターレイル)”を再び目に移す。

 今度は記憶に残すかのように、手を差して、光を細い指でなぞって──、

 

「うん。……それが、いい」

 

「ホント!? よかった……! これでもう……呼び方に悩まなくていい。呼べないの、なんだか変だもの」

 

「そうですね……名前は大事です。どんなものにも名前があるように」

 

 三人が横に並び立ち、空を見上げた。

 どこまでも流れていく星を。世界を超えて翔んでいく光を──。

 

 

 

 

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