青き炎のBEACON《道標》   作:リクライ

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第十九話 『喉元がひりつく【後編】』

 

 

 

「よぉ、星野!」

 

 午前授業終了のチャイムがなり、昼休みが始まる。食堂へといざ、と向かおうとした一条であったが、今日も元気よく声をかけたのはやはり切島だった。

 だが、今日()切島だけではない。

 

 その隣には、金髪で黒い稲妻の入った髪の少年。確か、昨日上鳴(・・)と名乗っていた少年だ。そしてピンク色の肌をした芦戸三奈もいる。

 

「昨日みたいに、また一緒に飯食おうぜ! 今日は上鳴と芦戸も一緒だ!」

 

「星野ちゃん、今日こそは女子トークしよーね!」

 

 わいわいと、食事メンバーも随分と変わったものだ。赤色、黄色、ピンク色と色とりどりな三人に囲まれ、一条はこくりと頷く。

 

「…………、うん。今日もお腹減った」

 

「相変わらず、ブレねぇな! うしっ、今日は何を食う──」

 

「──星野」

 

 切島の言葉を遮るように、低く冷たい声が響いた。

 その声は背後からのもので、後ろへと振り返る。そこには、いつものように感情を読み取れない無表情を貼り付けた少年──轟焦凍が立つ。

 

「「「────」」」

 

 その登場に、切島、上鳴、芦戸の三人がピタッと、まるで氷にでも当てられたかのように固まった。

 そう反応されても無理はない。昨日の第二試合で激闘を超えた死闘を繰り広げたのは一条と轟。訓練の範疇を逸脱しうる凄惨な戦いをした二人が相対するなど、何が起こるかわかったものではない。

 それに、皆気遣って話さないものの、途中まで一条がおぶって運んだのもある。

 

 気まずいどころの騒ぎではない。だからこそ、昨日の因縁をつけて何か文句でも言いに来たのかと、切島が一歩前に出ようとした。

 だが、

 

「…………」

 

 名を呼ばれ、一条は席から立ち、轟のオッドアイを正面から見つめ返す。

 すると、轟が小さく息を吸い込んで、

 

「昨日……戦闘訓練のとき、悪かった」

 

「「「えっ」」」

 

 切島たちが豆鉄砲を喰らった鳩のように声を漏らした。

 しかし、そんな三人などお構いなしに、轟と一条の間の会話は紡がれる。

 

「俺は……なんていうか、周りが見えてなかった。血が昇って侮辱するようなことを口にしたんだ。……猿とか」

 

「さる」

 

 猿。予想だにしなかった自分の例えに、一条は反芻してしまう。

 だが、止まらない轟の言葉。

 

「それに……子供みてえにムキになっていた。当たらねえからばかすかと氷を撃ちまくって、みっともねえ。俺はこの力で、この力だけで一番になるつもりだったのに」

 

「…………」

 

「あの一票は俺の戒めだ。だから──こっからは本気で行く。お前が強いって言ってくれたこの氷で、どこまでも」

 

「…………。そう」

 

 轟が謝る必要がどこにあるのか、一条にはわからなかった。少なくとも昨日の戦闘訓練、あのときの二人はできることを全力で尽くした上で、あのような結果になったのだ。

 

 戦闘当初は手を抜いていた、ということは轟のみならず一条にもある。

 本来であれば、轟が仕留めたと錯覚したところに肋骨の一つや二つひびを入れて動きを奪い、そして捕縛したかった。それを、これは防げないと思い込んで、挙句氷を纏われて防がれた。

 ある意味、油断だった。

 

 だからこそ、彼の申し出に断る、なんて野暮なことを一条はしなかった。

 

「じゃあ……」

 

「…………」

 

 こちらの反応を伺っていた轟に、片手を持ち上げてみせる。開いた隙間の中間に、自分の柔らかく開いた手を置いて、彼に答えたのだ。

 

「──よろしく」

 

「────」

 

 握手。

 これが、一条の答えだ。

 

 淡く、ひどく平坦な声で相槌を打つ一条が差し出したのは右手だ。

 それは昨日、凍てつく路面で膝を折った轟に対し差し伸べ、そして彼自身によって弾き飛ばされた同じ手。

 

 わずかに目を見開く轟の灰色と青色の瞳には、細い一条の手が浮かぶ。

 見上げてみても、彼の目に映るのは、やはり何の感情も浮かんでいない一条の面持ち。口元には笑みはなく、ただガラス玉のように透き通った青い瞳が、轟の瞳を真っ直ぐに見抜いている。

 それは、彼を無機物としてではなく、周りの人間にも向けるような、ただその人だとする瞳の色。

 

「ああ……」

 

 これは、馴れ合いではない。ましてや気遣いでもない。

 だからこそ、轟は少し間があった後、一条と同様に真っ直ぐ手を伸ばし、握る。

 

「…………」「…………」

 

 ひんやりとしていて、しかし熱の通った轟の掌。一瞬、硬く握られると、轟はすぐに未練のかけらもなく離した。

 

 二人の間に、もうこれ以上言葉はなかった。

 

「…………」

 

 何も言わず、轟が踵を返して教室の戸口へと歩いていく。背筋を伸ばし、足取りの迷いのなさは、この校に慣れたという以上に、芯が背筋を貫いたようだった。

 一条は瞬きを一つせずに、彼の背中をまっすぐ見つめて、見送った。

 

「「「…………」」」

 

「────。……」

 

 しん、と嵐が過ぎ去った後のような、異様な静寂が背後に落ちたような気がし、一条は顧みる。

 そこには、背後に影を作って恐る恐る傍観でもしていたかのような三人がいた。

 

「……ぅえっと」

 

 最初に沈黙を破ったのは、引き攣った笑いを顔に貼り付ける、切島だ。

 

「い、今の……仲直り、だったんだよな? スッゲェヒリヒリしてたけど、最後握手してたし! アツいな!」

 

「いや、絶対違うだろ! なんだよあの果し状突きつけ合ってるみたいな空気感! ここの気温だけマイナスってたぜ!?」

 

「ええ〜……トップ層のコミュニケーション難しすぎない……? 握手したのに、全っ然仲良くなったように見えないんだけど……」

 

 切島が冷や汗を拭いながらも暑さのパラメータ全振りで、上鳴がそれにツッコミ、芦戸が先の一合の解読難易度の高さに左右のこめかみを指で突いた。

 

 三者三様。混乱極まるリアクションを見せる彼らに、一条は小首を傾げる。

 

「どうかした?」

 

「「「どうかしたじゃないよ!?」」」

 

 切島たち、三人の息のあったツッコミが昼前の教室にこだました。

 何だかテレビの漫才をやってるみたいで、一条はここで瞬きを一つ落とす。

 

「じゃあ、ランチラッシュのとこに行こう」

 

「だ・か・ら、何でそんなに平常心なんだよ! あんな電撃バチバチのライバル宣言受けておいてさ!」

「星野ちゃん、将来ビッグになるよぉ……」

 

 急激な路線の変更、というよりは脱線した路線の回復なのだが、上鳴が頭を抱え、芦戸は尊敬と呆れの入り混じった眼差しを向けてくる。

 しかし、当初の予定として、優先順位は今はランチラッシュだろう。轟の宣誓なら受け取ったし、ならば次に浮かぶのはお昼ご飯しかない。

 

「ま、まあ星野らしいっちゃ星野らしいぜ! よし、気を取り直して飯食いに行こう!」

 

「お、おー」「おー……」「…………」

 

 切島の豪快なかけ声にようやく路線が戻り、四人は連れ立って大食堂へと向かった。

 

 

* * *

 

   ──ランチラッシュの飯処──

 

 クミン

 

 ターメリック

 

 コリアンダー

 

 じゃがいもと肉(素敵なもの)いっぱい。

 

 これらは最高のカレーを作るために選ばれた材料。

 だが料理人は誤って ※わざと※ 余計なものを入れちゃった!

 

 それは──エックスセンス!

 

 その結果生まれた、目が燃えるほどの赤。

 喉を焼く猛烈な蒸気。

 

 こうして誕生したのだ!

 一口食べれば誰でも火を噴くことができる、雄英生徒ドンと来いチャレンジャー!

 究極の極辛カレーライスが──ッ!

 

「はいお待ちどー」

 

「ありがとう」

 

 一条のトレイには、今日も今日とて例《・》のカレーライスが鎮座していた。

 

「星野、それ色やばくね……? なんていうか、発光してないマグマみたいなってる……?」

 

「……ただのカレー」

 

「あ、あそこの窓際! 四人座れそうじゃない!?」

 

 一条のトレイに収まる『カレーライス』に苦言を呈すも、湯気によって持ち上がってくる鮮烈な刺激に悶える上鳴。

 そんな二人を差し置き、芦戸が指を刺した。

 

 そこには、六人掛けのテーブル席。だったが、端に一人、女子生徒がポツンと座っていた。

 

「あー……でも、誰か座ってるぜ?」

 

 そもそも、なぜ四人はトレイを持ちながら難民の如く席を探しているのか。

 理由は単純。ここランチラッシュの飯処には、ヒーロー科に加え、サポート科、普通科、経営科の生徒たちでごった返しになっているからだ。

 故にお昼時は戦場。誰が最初に料理を受け取り、席につくかが鍵となる。

 

 その事情があるからこそ、雄英の食堂は基本的に相席。

 だが、

 

「あ、相席頼むの、ちょっとハードル高くねぇ? オーラ出てるっていうか……」

 

 上鳴が尻込みするのも無理はない。

 そこに座り、『近づかないで』オーラを纏うのは、灰色の髪を揺らし、赤縁メガネの奥の瞳を冷たくしながら、手元のパスタを黙々と口に運ぶ少女。

 周囲の喧騒を煩わしいとでも言いたげな、孤高の一匹狼感を放つ少女──B組の灰原ナナだった。

 

「…………」

 

 だが、四人の中、一条の歩みは止まらなかった。

 早かった。

 瞬きをする間にも一条の足はスタスタとナナのいるテーブルへと直行。そして、昨日と全く同じように、ナナの隣にトレイを設置した。

 

「誰──ン!? ンブブッ……!?」

 

 突然隣に現れた黒い影に突き放そう──とするよりも、視界に映った一条の顔を見た瞬間ナナが咳き込んだ。

 口元をナプキンで抑えながら、赤縁メガネの奥の灰緑色の瞳が驚愕と苛立ちで一条を射抜いた。

 

「な、なな……何よ急に!! また来たの!? あんた!」

 

「だって、ここ空いていたから」

 

「空いているからって、何で昨日からわざわざ私の『隣』に座るのよ! 向かい空いてるでしょ!」

 

「…………。向かいは切島たちが座るから」

 

 一条が淡々と事実を述べるのと同時に、

 

「おーっす灰原! 今日も相席頼むぜ!」

「お邪魔しまーす!」

「よ、よろしく〜……」

 

 切島を始めに芦戸、上鳴が順に座る。切島がドカッと正面に座り、芦戸が快活よくその隣に相乗り。上鳴は少々及び腰で一条から斜め向かいの席に腰を下ろした。

 

「は、はぁ!?」

 

 目が点とはまさにこのことと言わんばかりに、ナナの瞳が見開かれる。

 昨日までは『一条』と『切島』の二人だった。それならまだいい。実技入試でも共に戦ったという共通点がある故、ナナも譲歩できる。

 だが、今日はその二人にプラスして、

 

 『ピンクのギャル』──。

「よろしくねー!」

 

 『チャラそうな金髪』──。

「い、いえーい……あはは」

 

 追加されているのだ。

 しかしながら、たった二人だ。ナナの隣に座れないならまだしも、こうして先手必勝を投じて座れるのなら、追加人数なんて些細なもの。

 と、一条は思っていた。

 

「あんたは問題ないでしょうけどね! 星野一条!」

 

「うん」

 

「うんじゃないわよ! 私に問題があるっていうの! 大体……っ、あんたと切島ならまだしも、何で今日は増えてるのよ!」

 

「偶然。みんなでご飯食べようって、なったから」

 

「偶然で私のペースを乱さないで!」

 

 バンッ、とナナがテーブルを軽く叩くが、当の本人一条は全く悪びれもしないでスプーンを手に取った。

 

 すでに座ってしまった以上、そして置いてしまった以上、もう仕方のないこと。それに、何だか落ち着くのだ。同じ戦場を潜り抜けた点で言えば、別に切島の隣にでも座っていいのだが、それとは別にナナの隣に吸い寄せられてしまう。

 これが。これこそが。

 

 ──女子トーク(?)。

 

 芦戸の言ったような、催しなのだろう 

 

 一人納得する一条。その隣、ナナは深く、とても深くため息をついて肩を落とした。

 

「はぁ……まぁいいわ。好きにして。ただし、私の食事の邪魔、しないでよね」

 

「うん。……いただきます」

 

 即答、からの食事。

 手を合わせると、一条は早速マグマのように茶色ではなく赤茶色のルーにスプーンを差し向け、掬った。

 

「あむ」

 

 躊躇なく口へと運んだ。

 

「おぉ……食った。やりやがった……まじで色ヤバいのに」

 

「…………」

 

 もぐもぐ、もぐもぐ。と、一条の小さな口が動く。

 上鳴が息を呑み、肉を食う切島も噛み千切る口を止めてその様子を見守った。隣のナナでさえ、手元のパスタを巻くフォークを緩めながら、一条の顔色を横目で伺う。

 

 そして、一条の喉元が動いた。

 

  ゴクリ

 

「……うん、やっぱり美味しい」

 

「「「マジか!?」」」

 

 一条の涼しげな顔と、全く変わらない無表情から繰り出される感想に、上鳴と切島、芦戸が叫びをハモらずにはいられなかった。

 

「星野ちゃん、それ本当に辛くないの? 見てるだけで目がチカチカ〜ってするんだけど……」

 

「うん。でも、いい感じがする。……上鳴も、試してみる?」

 

「出た出た星野のそれっ、マジか!? いや、まあ俺も男。星野がいけるならワンチャン……」

 

 一条が差し出したスプーンの先。からさの懸念もあるが、それとは別の口と口の間接的な要素に戸惑う上鳴が、口へと運ぶ。

 

 一秒、経過──。

 

「ふむ……おぉ、鼻を通り抜ける香ばしさ……」

 

「「…………」」「でしょ」

 

 二秒、経過──。

 

「あと意外と甘いのねこれ。それにちょっとピリってくる、旨辛!」

 

「「えー……?」」「…………」

 

 三秒──。

 

「おぉお? お、ぶ、コケ──ッ!?!?」

 

 瞬間、上鳴の顔が一瞬にしてトマトのように真っ赤に染まり、額からとめどない汗が体を動かしていないにも関わらず湧き出始めた。持久走の比ではないほど、ダバダーと。

 

「ぽおぁぁアアアアアアアアアアア──ッッ!!!」

 

 無言で立ち上がったと思えば、首を閉められた鶏のような声にならない悲鳴をあげ、手元の水を一気にがぶ飲み。だが、

 

「あ全ッ然ッッ!!!」

 

 消火不良。業火の如く上鳴の舌を焼き尽くすカレールーは、彼を犬のように息を荒げさせて虐げる。

 

「あッ……くッ、おぁッ、しゃっくり止まんっねえ! 誰か水……ッ! 舌が焼けるっ! 溶ける! 溶け焦げる──!! おあ゛ッ!!!」

 

「だ、大丈夫か上鳴!? 水……はヤベェよな。星野っ、その牛乳上鳴にやってくれ!」

 

「あはははは! 上鳴、顔やばーい!」

 

 慌てて背を撫でて介抱する切島と、爆笑する芦戸。

 そのカオスな光景を前に、一条はスプーンとグラスに注がれた牛乳を交換。すると上鳴がそれをひったくるようにして飲み込んだ。

 スプーンを取り戻した一条。惨状がすぎる上鳴に向けた視線を再びカレーに向けると、黙々とカレーを食べ始めた。

 

「…………。上鳴には、まだ早いみたい」

 

「あんたの味覚がぶっ壊れてるだけでしょ……」

 

 ナナが深いため息をつきながら、横から暑さも吹き飛ばす冷ややかなツッコミを投じる。

 どうやら、皆にはわからないらしい。この口の中に広がるスパイス。チャレンジャー御用達というのもあり、喉を通り過ぎるたびにひりつくような熱さが残るのだ。そして、中でも米のほのかな甘さが食欲を進ませる。

 

 ──世紀末って感じがして、いいね……。

 

 しみじみと噛み締める一条であった。

 

 それにしても、

 

「あ……一条、口元カレーで汚してるじゃない。あんたタダでさえ肌真っ白なんだから目立つのよね。……ほら」

 

「んっ……」

 

「動かないでよ。……はい、拭けたわ。あんたって……ほんと仕方ないのね」

 

 あれだけ嫌だ嫌だと言っていたわりには、煩わしながらにこの騒ぎをナナが許容しているように思う。

 

 ナプキンを口元に押し付けてくるナナを横目で見つめながら、一条は返した。

 

「ありがとう、ナナ」

 

「────。ど……どういたしまして」

 

 わずかに吃りながら、どこか視線のやり場に困ったように逸らすナナ。手元のナプキンは捨てるどころか、ポヤポヤと握ったり握らなかったりと繰り返す。

 口では何だかんだと言いながら、結局は世話を焼いてくれる。しかし、ツンと視線を逸らすのは、一体どうしてなのだろうか。こんなにもぽかぽかするのに。

 

 一条はそんな様子のナナに首を怪訝そうに傾げるものの、さほど胸に挫くようなものでもないためカレーを食べ進めた。

 

 だが、──ナナが、一条の口元についたカレールーをナプキンで拭き取った。それを目撃した者がいる。

 

 上鳴の『自爆』に爆笑していた──芦戸三奈。彼女の動きが、ピタリと止まったのだ。

 

「……あ、れええ?」

 

 芦戸の黒い瞳が、ニヤリと細められる。先の爆笑から一転して、何か獲物を見つけたような肉食獣、あるいは甘い匂いに気づいたような、じっとりとした笑み。

 峰田のドロドロとしたものとは違う、どこか甘ったるいピンクよりもピンクのものを、今の芦戸からは感じる。

 無論、一条の予想は、

 

「ねえ、ちょっとちょっとちょっとお!! 何今の!? 二人だけの世界!?」

 

 座っていた席から身を乗り出し、机に両手をついて割り込んでくることで回答を得られた。

 一条とナナの顔の間に割り込んでくる芦戸。その距離、わずか数センチ。

 

「ナナ、だっけ? 私芦戸三奈! ねぇねぇナナちゃん! ナナちゃんてば星野ちゃんの口元拭いてあげちゃって! 節介焼きの彼女さんみたーい」

 

「な────ッ」

 

 瞬間、ナナの顔が劇薬よりも劇薬を芦戸に投入され、真っ赤に染まった。赤縁メガネがずり落ちそうになる程、驚きが全身を駆け抜けたらしい。

 

「な、なななな……──何言ってるのよ。今のは、この子が、あまりにも間抜けな顔して汚してたから……ついよ」

 

「ってクールを装って言ってもさ、顔が真っ赤で説得力なーい」

 

「…………/// ぶっ飛ばすわよ、このピンクギャル……ッ。それに、ナナって呼ばないで!」

 

「えーでも、星野ちゃんにナナって呼ばれてもそんなこと言わないじゃん。語るに落ちたってやーつ??」

 

「くッ────!!!」

 

「あはは! 威嚇してるナナちゃん照れてるー! 可愛いー!!」

 

 握り潰されそうになっていたナプキンがナナによって放たれるも、ひらりと芦戸に躱される。背もたれにビタンと張り付くナプキンをお構いなしに追求の手を緩めない。

 

「で、星野ちゃんは? ナナちゃんに拭いてもらって、どうだった?」

 

「ちょッ、ピンクギャル!!」

 

「…………」

 

 灰緑色の瞳を『キッ……!』と吊り上げるナナを一旦置いておいて、一条はスプーンを持ったまま思考を巡らせる。

 

 芦戸の問いはまっすぐだ。しかし意図が読めない。芦戸の言う、ナナが彼女、というのは違うとは考える。なぜなら、これが彼カノなんて思えないし、そもそも性別だって当てはまらない。

 けれど、ナナが自分のためにしてくれたこと。その一点だけ、一条は手元のカレーとは別種の温もりを覚えた。

 

「……。ナナは優しいけど、──私の彼女じゃない」

 

「じゃあ彼し──」

 

「違う。……わからない」

 

 伏せられた芦戸の札発動も、一条は首を横に振って弾き飛ばす。

 答えのないどっちつかずの反応に、芦戸が「じゃーなんなのさー」背もたれに垂れて、両手を振り、どかしさに悶える。

 ナナが横目で睨みつけるも、一条は一ミリも臆することなく紡いだ。

 

「けど、もしナナの座る席の隣に空きがあるのを見たら……、──私は迷ず、ナナの隣に座るよ」

 

 瞬間、一条を取り巻く空気がこの周囲に限って止まる。

 だが一条だけがその空間の中を動き続けて、目を見開くナナの顔を覗き込んだ。

 

「ナナ。私は、ナナの隣に座っていてもいい?」

 

「」

 

 一条の言葉が伝播して、時間が動き始めたようにナナの目が瞬く。

 別に決まった解が欲しいというわけではない。ただ単純に、座るたびにナナが怒るのを見て、本当は嫌なのではないのかと考えてしまったからだ。

 

 ──それでも、私は座るけど。

 

 だから、なんだと言った話だが。

 

 すると、ナナが握りしめる拳を緩めて、胸の前で腕を組んだ。

 

「────無理よ」

 

「…………」

 

「だって…………私が言っても、あんたは勝手に座ってくるから意味ないじゃない。……だからいいわよ別に。あんたってあんまり喋らないし、私の食事の邪魔もしないし……」

 

 そう言って、ナナがそっぽ向いてしまう。

 一条はそんな彼女の反応を目にし、小さく頷いた。少なくとも、引っかかっていた一点が綺麗さっぱりとれたことは大きい。

 

 だが、納得感にサムズアップを進呈するよりも前に、一条は遮られることとなった。

 

「キャーッ!」

 

 芦戸の黄色い声によって。

 

「何それ尊いぃい! 素直じゃないナナちゃんも可愛いー!!」

 

「うるっさい! もう三奈って呼んでやらないから、このピンクギャル!!」

 

「ねぇねぇ! 上鳴もそう思わない!?」

 

 芦戸のからかいに、ついにナナが堪忍袋の緒を引きちぎりかけて立ち上がりそうになる。

 その横。切島を挟んだ隣の上鳴へ共感をパスする芦戸。

 上鳴はようやく現世に帰還したようで、ゼエゼエと息を荒げながら机に突っ伏した。

 

「ああ〜……見えた見えた。咲き乱れてたわ……岸越しに真っ赤な花が」

 

「上鳴、リカバリーガールんとこ行くか!? 目ェ真っ赤だぜお前……!?」

 

 方やほんわか、方や惨状。何ともカオスな光景だが、これが一条にとっての『日常』になりつつある。これが一条の学校生活だ。

 そして今、一条がすべきことといえば、

 

「なむう……」

 

「死んでねえわ!? 見ただけだっての!!」

 

 一条が無実のカレーライスによって死にかけたことに手を合わせるも、上鳴が血走った目をひん剥いて食ってかかる。

 一条は、そっと合わせた両手を離すと、スプーンを持った。

 

「…………。おかえり」

 

「──た・だ・い・ま!!!」

 

 半ば空振りめいた掠れ声だったが、上鳴が復帰を宣言。

 それに芦戸が相変わらずケラケラと笑い、切島は心配そうに上鳴の背中をさする。

 ナナは呆れてため息をつく。

 

 ──騒がしいけど……まあ、悪くない。

 

 話すのは相変わらず疲れて好きではないけど、誰かと話すのは別にどうとも思ってはいない。見ている分に退屈はしないし、輪に入れてくれることが一条にとっては助けになるのだ。

 

 ──麗日のおかげで見つけた『楽しさ』。私は、それを感じている。

 

 一条は頬張ったカレーライスを飲み込み、ティッシュを一つ摘んで口元を拭う。

 穏やかな昼休み。会話にも花が咲いてきた。

 

 だが、その温い空気を──

 

「「「「「────」」」」」

 

 横入りに切り裂く無粋なモノもいた。

 

 突如として、雄英高校の敷地全体を震わせる、鼓膜を劈くけたたましい警報音が鳴り響いたのだ。

 ビクッ、と芦戸が肩を跳ねさせ、舌を手で仰いでいた上鳴が危うく噛みそうになる。

 

『セキュリティ3が突破されました。生徒の皆さんは、速やかに屋外へ避難して下さい』

 

 誰かが言っているわけではなく、無機質な機械音声。あらかじめ設定された音階を吐き出すそれが、けたたましいサイレンの合間を縫って大食堂に響き渡る。

 

「セキュリティレベル3!?」

「うっそだろ!? 過去三年間、一度も鳴ったことないのに……ッ!!」

 

 上級生らしき生徒たちはこのレベルが何を指すのかを知っているらしく、顔からは血の気が引いて蒼白に。同時に悲鳴のような声も上がった。

 だが察するにあたりこれは──『非常事態』だ。

 

 事実、何百と飯処にひしめき集まっていた生徒たちが、一瞬にしてパニックに。底に穴の空いた坩堝のように、人々が外へと通づる出口へと傾れ込んでいく。

 

「逃げろ!!」

「おい押すなって!!」

「早く外へ行ってよ!!」

 

 我先に出口へと向かって殺到する生徒ら。波は収まるどころか増すばかり。椅子や食器の置かれたテーブルもお構いなしになぎ倒してまうほど、阿鼻叫喚。

 

 もちろん、それは一条たちも例外ではなかった。

 

「ちょっ、……押さないでちょうだいッ!!」

 

「きゃあっ!」

 

 押し流されそうになったところ、人波を弾いてことなきを得るナナと、反対に弾き飛ばされる芦戸。

 一条はというと……

 

「あむ……あと、ちょっと」

 

 まだ席についてカレーを食べていた──ッ!?

 

 セキュリティ3。そのレベルがいかほどかは知らないが、この非常事態からはさほど自分には影響はない。あっても一条は壁や天井を使ってでも脱出することができる。だから──

 

「一条、カレーなんていいから行くわよ!!」

 

「あ、あ〜……」

 

 ナナにスプーンを持つ手を掴み取られ、気の抜けた声を漏らしながら一条は席から離れさせられる。

 カレーが、離れていく。

 

「いてえいてえ!!」

「押すなって!」

「誰かのカレーが落ちたじゃねえか!」

 

 怒号と共に押し寄せる大河に攫われるまま、一条たちは飲み込まれて出口へと連れていかれる。

 

「皆さんストーップ!! ゆっくり!! ゆっく──ドゥおー!?」

 

「んだよコレ〜!!」

 

 硬化を誇る切島も圧倒的人数差には押し流されるばかり。上鳴に至っては、カレーに口内と食道をズタズタにされた上に、今度は自分も押し流されるという仕打ち。

 

 ──泣き面に蜂って感じだね……。

 

「一条っ、なにぼさっとしてんのよ立ちなさいよ!!」

 

「うん、ありがとう。…………。重かったでしょ」

 

「全っ然、抱き枕みたいだったわ!!」

 

 この二人も二人で、激流の大河に突き刺さった岩の如し。人がぶつかると避けるように掃けていく。

 すると、そこが避難地と考えて影に潜むものもちらほらいた。

 

「助かったんです……小さいから踏まれちゃうところだった……」

 

「あっ、あんたちょうどよかったわ。コレ一体なんの騒ぎ!?」

 

 安堵していたのも束の間。肩を掴まれた挙句ナナの刺殺さんばかりの瞳に当てられて、モフモフ上級生がさらなるパニックに陥りかける。

 だが、体格差ゆえ、ナナの身長によって見下ろされると、「ひゃいっ……」と首を縦に。

 

「こっ、これレベル3なの! 誰かが侵入してきたんですぅ!」

 

「────ッ」

 

「もしかしたらヴィランかもしれないし、だから早く行こうとみんな慌ててるの。あ、ありがとうね二人とも。背が高くてあたしすごーく助かった……」

 

   ピンポーン──

 ※ 星野一条:160cm、灰原ナナ:167cm ※

 

 だが、今は身長なんて重要ではない。耳に飛び込んできた情報──『ヴィラン』。その一言が、一条の青い瞳に鋭さを宿らせた。

 

「──ナナ、その人お願い」

 

「はぁ? って、あんたどこにいくのよ!」

 

「窓」

 

 獣っ子の避難地にならんばかりに影となるナナを横目に、一条は雪崩れる大河を横断していく。

 侵入と聞いて、まずルートとして挙げられるのは校門を正面突破という線。幸いここは校門と校舎玄関を見れる場所で、現状の偵察においてはベストだ。

 

 大河を渡り終え、ようやく大きなガラス窓に手と顔を貼り付けることに成功。外を垣間見る絶好の機会が訪れた。

 

 ──いったい……、

 

「何が」「誰が」

 

「侵入したというんだ!」「侵入したんだ」

 

「む?」「……?」

 

 声が重なり、視線をその主へとズラす。

 その正体は、

 

「君は、星野くんじゃないか……!」

 

「……。飯田」

 

 飯田だった。

 思わぬところでの遭逢に、飯田の瞳が瞠目する。どうやら飯田も同じように、侵入した張本人を探ろうとこのガラスにベタッと張り付いていたようで、その姿はまさに懸命だった。

 

「君もここへ? (訳:君もここに流されてしまったのか?)」

 

「うん、ここにきた。(訳:私も見るためにここにきた)」

 

 二人とも絶妙に会話が噛み合っていないが、奇跡的に成り立っているのが恐ろしいところ。

 だが、それ以上言葉を交わすことはなく、無言で頷く。一条は左に並ぶ飯田に倣って覗き込んだ。

 すると、よく探すまでもなく、原因は瞳に飛び込んでくる。

 

「あれは……報道陣じゃないか!」「アンチって言ってきた人たち……」

 

 意味合いは違うが、言葉の芯で見れば同じ。

 なんだ、と一条は無駄に肩に入れていた力を抜いて窓から体を離し、小さく息を吐く。

 ヴィランだなんだと耳にしてみれば、その原因はマスコミによるものだった。学生たちの平穏を奪うのも、一種のヴィランとも呼べる行為。当然先生も黙ってはおらず、奥で相澤とマイクが宥めていた。

 

 

* * *

 

 

「オールマイト出してくださいよ!」「一言コメントいただけたら帰りますって!」

 

「不法侵入だぜ? もうこれヴィランだろイレイザー……」

「いらないことを言うなマイク。あることないこと書き殴られるぞ……」

 

 

* * *

 

 

 その直後、

 

「あーれー……」

 

「星野くん!?」

 

 気を抜いてお昼モードに戻ってしまう一条は大河へと飲み込まれていった。無表情を貫いたまま、倒壊した木が流されるように。

 

 次第に離れていく一条。生まれていく距離。

 

 ──どうにかしようにも、ここで力入れたらみんなが飛んでく。

 

 力を入れてしまえば、また大河の流れに逆らう岩石の出来上がりだ。けれど、それによって人は避けるばかりか、むしろ障害物の出現で人が人へと激突してしまう。

 

 考えあぐね、人々が傾れ込んでく『EXIT』の表示がついたドアの外にとりあえず出てからにしようと、一条は流れに合わせて歩み始めようとした。

 そのときだった──。

 

「俺を……浮かせろ、麗日くん!」

 

 遠くから飯田の声がした次の瞬間、視界の上に空を舞う飯田天哉の姿が通り過ぎたのは。

 

 飯田はそのまま、壁の上部にある非常口の標識『EXIT』の上へと『バゴンッ』と横向きに激突するように張り付いた。

 

「皆さん……大丈おおおおお夫──ッッ!!」

 

 爛々と輝く蛍光グリーンと上に並び、大胆に飯田が声を張り上げた。

 食堂中に響き始めたら否や、怒号と悲鳴の狂乱舞台はシンと静まり返る。ついぞ生まれたみんなの頭の隙間。そこを、飯田は千枚を通すように続けた。

 

 

「ただのマスコミです! 何もパニックになることはありません!! ここは雄英!! 最高峰の人間に相応しい行動を!!」

 

 

 ──

 

 

 

 ──────

 

 

 

 ────────────

 

 

* * *

 

 以降、生徒たちは落ち着きを取り戻してことなきを得ることに。後に警察が到着したことで雄英の警報騒ぎは幕を下ろすということとなった。

 

 なったのだが、

 

「…………」

 

 一条が無表情で見下ろす先には──カレーライスがあった。

 残りあとわずか。およそ一口サイズのそれ。たったそれだけのものが、目の前にあったのだ。

 いや、訂正する必要がある。目の前ではなく──眼下。

 つまりだ、

 

「カレー……わ、私の……」

 

 床にあったのだ。

 『ベチョッ』という擬音語が似合いそうなほど、綺麗に皿ごとひっくり返ったモノが。

 

 

 

 

 

 

 このあとの授業での出来事。他の委員を決めるという議題があったのだが、昼休みの一件で出久が飯田を委員長にするという推薦が打診。

 満場一致の賛成のもと、以降は飯田が『1 - A』の『学級委員長』を担うことに。

 

 しかしながら──

 

「…………」(モヤモヤ)

 

 ──私の、カレーライス……。

 

 終始、カレーライスの無惨な姿がフラッシュバックする一条の脳裏。すでに議案とか委員決めとかどうでも良く、一口食べ損ねたカレーライスが胸にモヤモヤと立ち尽くしていた。

 

 

 相澤には怒られた。

 

 ──解せぬ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、このときはまだ誰も知らなかった。鉄壁のセキュリティを誇る雄英が、なぜマスコミの侵入を許してしまったのか。

 知ることとなる。真に賢しいヴィランの底なき恐怖を──。

 

 

 

 

 

 






「なぜまともに委員決めに参加しなかったんだ、星野」

「…………、カレーライス、床に落ちゃったから」

「────────。………………。──。……サルミアッキ、食うか?」

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