青き炎のBEACON《道標》   作:リクライ

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第二十二話 『本来の力 【後編 2/2】』

 

 

 

 

 

 

 

 

 時を遡ろう──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 # # #

 

 

 

 

 大気そのものが極限まで圧縮され、破裂した。

 

 上空へ放たれた砲撃の推進力の数々。暴力的なまでの力が、ただでさえ落下の速度を、生物の反応限界を凌駕し、引き上げた地を穿つ致命の一撃。

 その足先にいるはず(・・)の紫の女──ミーを伴い、一条は黒条の隕石となってアスファルトへと激突。

 

 エネルギーの逃げ場はついぞ訪れず、残るのは直下の大地しかない。だからこそ、両者が激突した瞬間、硬質なアスファルトがまるで水面に拳を殴り込んだように波状にひしゃげ、深く沈み込む。

 破壊は足元の一点だけにとどまらず、放射状に地面を破り咲きながら、すり鉢状の巨大なクレーターを瞬時に形成したのだ。

 

「…………」

 

 その爆心地。巻き上がった土煙とコンクリートの破片が視界を全て灰色に塗り潰されながらも、一条は足元を見下ろしたまま立ち尽くしていた。

 

 ──完全に捉えた。はず……。

 

 完全に捉えたはずなのだ。

 しかし、足元から伝わる、この無機質極まりない感触はなんなのだ。踵のフレームは見るも無惨に折れ曲がり、ヒールという役割を完全に放棄。だからこそ、ありありと足元の感触が、まるで手に取ったかのように感じ取れるのだ。

 

 それは、

 

「…………っ」

 

 いない(・・・)、ということ。

 

 土煙の中で、一条の青い瞳がわずかに見開かれる。

 煙が晴れた先、その足元には何もなかったのだ。昏倒しているはずのミーの姿はどこにもなく、あるのは自分の足が見えるだけ。それだけで、他に挙げるとすれば剥き出しになった地面だ。

 

 勢いが強過ぎて、ミーが破裂しただとか、ミーが地面に埋まってしまったとか、そういう柔な現象ではない。

 もっと不可解な──

 

「ま、そうよね」

 

「────」

 

 不意に、一条の下にいたはずの女の声が、横から聞こえた。

 

「少しはヤるじゃない。さすがよ? グレイ。でも──残念ね」

 

 瞳を横に垣間見れば、そこには五体満足のミーが立っていた。五体満足(・・・・)の、疲労の色すら感じさせないミーが。

 

「私も正直に言ってあげちゃう。正直この力を使うまでもなく、あなたを裁定するつもりだった」

 

「裁定……?」

 

「でもそうよねぇ、たとえグレイでも、元の体は『総督』と同じなんだから、そもそも正面からやろうとしても無理な話」

 

 ──『総督』?

 

 また知らない単語だ。それに元の体とも言ったミーが、こちらを見定めるように紫の瞳で見つめてくる。

 『グレイ』に『ホワイト』。何を表すものなのか訳がわからない。

 

 一条は、左手に握ったままの★Black Bladeと右手の★Rock Cannonを構え、警戒を緩めない。迂闊に動きでもすれば、一撃を躱したであろう秘策が、飛んでくるかもしれないから。

 

 けれど、そんな一条を見ても、ミーはまるで散歩でもするかのように周りをゆったりと歩き始めた。

 

「…………」

 

「そうね、ええそうよ。もうあなたにもわかったんじゃないかしら? 私の“個性”」

 

「うん、名前は知らないけど。あなたの個性は、最大で三体出すことのできる残像の個性。残像を発生させてから一秒間は実体がなくて、次の一秒間に実体が生まれる。あのとき、飛ぶ斬撃が急に増えたのはそれ、でしょ?」

 

「…………えぇ」

 

 片手に大斧を携えながら、いつになく表情を殺すミーの瞳が一条を刺し向かう。

 

「正解よ。なら、その一秒後に実体をなくしてまた『虚像』に戻るのもわかっての特攻だったのね?」

 

「ううん……あれは」

 

 ヒントならすでに出ていたのだ。問題は攻防の合戦が早すぎるが故に、思考に行き着く間もなく次の一合が起こるから。

 しかし、普通のヒーロー相手であれば初見で殺すに至る個性。だが、相手が一条であったがために、時間と直感が問題の途中式を解き通すことになった。

 

 ──最初、あの地下で出会った時がもう始まってた。

 

 だからこそ、壁の中に溶け込んだというのも説明がつくのだ。壁に吸い込まれるように見えたのは、実はミー本体のインターバルか何かのリミッターで起こった解除の現象。

 そして、戦いの中で見せた、タクシーをすり抜けるあれだ。

 

 ──あれがなかったら、正直わかんなかった。

 

 女を咄嗟に盾に使い飛ばそうとして、飛ばした挙句のすり抜け。あれがすでに答えだったのだ。あとのことは知るための──

 

「勘」

 

「あーらら。私の個性が勘だけで看破されちゃうなんて、なんだか悲しいわ」

 

「…………。全然悲しそうに見えない」

 

「当たり前でしょ? ──悲しくないもの」

 

 わざとらしい泣きの仕草を取りやめ、代わりに先刻と同様の笑みを口元に刻むミー。

 クローのような手袋を纏う手の片方をカチカチと鳴らしながら、ミーがくるりと踊るように回る。

 

「私の“個性”は『アフターイメージ』。一秒間だけ透けて、一秒間だけ本物のようになる。で、そのあとはまた透けてそのまま。もう一度本物のようにしたければ、個性を一度解除しなくちゃいけない」

 

「それが、あなたの個性……」

 

「そうよっ、あなたが正解。お姉さんが花丸をつけてあげちゃいたいくらい。けど、それはあくまで“個性”の話。私自身にはまだ及第点にも届いてないわ」

 

「────?」

 

 次第に散歩はステップを刻み始め、爽快感に駆られるようにミーが大斧を手から手を、体の周りで回し始める。

 

 しかしわからない。ここで“個性”を明かすミーの企みが。個性を明かすというのは、自分はこういうことができますという、いわば『手札の開示』に他ならない。

 ババ抜きで私ジョーカー持ってますと言って手札を見せる人がいるだろうか。そもそもカードゲームで手札を開示する人がいるだろうか。

 

 ならこれは、

 

「────っ」

 

「あら、警戒しちゃった?」

 

 勝てるだけの何か。つまりはこの戦いにおいて、ミーはまだ絶対的優位性を持っているという、

 

「あ・た・り、よ?」

 

 ことなのだ。

 

 警戒度を上げるように黒剣を構え直す一条の姿を見るミーが、口角を釣り上げて不気味な笑みを浮かべ始める。

 

 瞬間、空気が一瞬だけ重くなった気がした。

 

「そもそも言ったでしょう? 『あなたにできて、私にできないことはない』って。だってルーツを辿れば、私たちの中にあるものはあなたと同じ。いえ、ひょっとするとあなたの方が……、────」

 

「──、…………?」

 

 一瞬、ミーの笑みが重くなったと思えば、大斧を握る手にわずかながらに力が加わるのを一条は見た。

 すると、刹那──、

 

「──いいわ」

 

 大斧を振り翳したと思えば、地面へと叩き刺し──顔を覆い始め

 

「ふふっ、あはッ。アハハハハハハっ」

 

 静まり返った地下街エリアに、ミーの嬌声が木霊する。

 それは、愉悦というにはあまりにも鋭く、憎悪というにはあまりにも無邪気な、壊れた楽器が奏でるような笑い声だ。

 

「いいわいいのよ、いいんだもん全部っ」

 

「…………っ」

 

 一条は動かない。いや、動けなかった。

 目の前の女から溢れ出すナニカが、先ほどまでとは一変して明確な『色』として現れたからだ。

 

 『紫の炎』。それが、足元から湧き出したと思えば、ミー自身を飲み込んで、染み込み始める。

 

「だってしょうがないじゃない。あなたが力を使わないからそうなるんだもの!」

 

「────っ、どういう意味……?」

 

「ふぅ…………。それは、ね?」

 

 笑うのを取りやめ、だらりと腕を下げるミー。側に突き刺していた大斧を愛撫するように指先でなぞり、持ち上げた。

 

 ミーの瞳は閉ざされたままだ。

 一際立ち上った炎は霧散したものの、一条の肌には実際に焼かれているはずではないのにも関わらず、ジリジリとした威圧感を覚えた。

 ナニカ、何かが違う。決定的な何かが、今ミーの内側から弾けたような予感がある。

 

「私は今まで、グレイに加減をしてた。手を抜いてごめんなさいね? グレイだからって見くびってたわ」

 

「──っ、…………しぃ……」

 

「だから、ここからは加減なしで──」

 

 瞬間、瞑目する瞳が開けば、爛々と紫に輝いて、

 

「────」

 

 消えた。その場から砂埃が弾けてミーの体が掻き消え──

 

 ──まず──っ

 

 体が、動いた。真横へと一条は上体を翻して倒した。

 刹那、頭のあった空間に、紫の鈍光が半月を描いて通り過ぎた──。

 

「──殺してあげるわ」

 

 ──なにっ?

 

 己の勘が悲鳴を上げ、今すぐにでも逃げろと体を動かす。闘争本能は未だ掻き消えることはないが──背後から突然ミーの声がした。

 だから、一条は後ろに倒れ込む体をそのまま後ろへと飛躍させ、空中へ宙返りし、体を曝け出す。

 

「ふふっ」

 

 いた。自分が先ほどまで立っていた背後に、大斧を振り抜いた姿勢で不敵に笑うミーが。

 

「くっ──」

 

 体が上下逆さまのまま、一条は右腕の先にある黒の巨砲を差し向け、己の胸中でトリガーを引く。

 一秒に十数発はくだらない青い閃光が、宙を飛ぶ瞬間に放たれた。

 にも関わらず──、

 

「──ふ」

 

 大斧を剛速で振り回し、迫り来る光弾の悉くをミーは全て払い除けてみせた。

 閃光は後方へ弾き飛ばされ、ミーの背後で地へと堕ち、爆散。

 

「遅いわぁっ」

 

「──くっ」

 

 ──速い……っ。

 

 かつてない『敵』が、目の前に現れた。

 瞬時、一条は★Rock Cannonの上向きに銃口を弾けさせ、慣性を捻じ曲げて着地。

 あの高速を前に、重力の加速を待っていては逆に着地点で狩られてしまう。だから──

 

「もっと──」

「!?」

 

 左手に握りしめた黒剣を勢いに従うまま、目の前に現れたミーに振り下ろし──

 落とし斬ったのは、煌々と輝く紫の瞳──横に伸びた残光。

 

「がんばりなさい──!」

 

「んぐ──ッ!?」

 

 瞬間、真横から声が放たれたと同時に、視界が横へとブレた。

 考えるまでもなく、疑問はない。──蹴られた。

 蹴り飛ばされ、一条の体がくの字に折れ曲がったままビルへと突っ込み、壁を貫いて奥の方へと押し込まれる。

 

 壁にぶつかり、壊した先にたどり着いたのは、別の街路。

 

「ぅ──」

 

 (セロ)──。

 

 ──また、くるッ

 

 息もつかないまま、一条は転がったまま剣を握る手で地面を殴り飛ばし、先走るエネルギーを強制的に上へと捻じ曲げる。

 

 そこに、

 

 (ウノ)──。

 

「「「もっと焦りなさい!!」」」

 

 壁をすり抜けて一目散に一条へと集まる三つのミー。

 包囲──。

 

「にィ──ッ」

 

 変わらない。本体と遜色のない──全く同じスピードの影が、風を体で切り始める。全員が大気を巻き上げて(・・・・・)かかる。

 

 一条は一目散に両腕を広げ、瞬間に現れた二つのミーが繰り出す斬撃を受け流してみせる。

 わからない。なぜ、先に体が動くのか。いや、これは単に特殊な力があるわけでもない。ただ──生きろ。

 そう体が、

 

「ぬゥ……ッ」

 

「「「すごいわ! 壊れないでよねっ!!」」」

 

 叫んでいる。

 

 勘が全身全霊で一条の体を反射的に動かして、突如として残像を伴って現れるミーの猛攻を受け流し続ける。いや、受け切れてなどいない。

 

 ──ぐっ

 

 武器は折れたり砕けたりする兆しはなかった。だが、エネルギーは力の作用した表面から貫いて生身へと伝える。持ち手から手へと、手から腕へと、腕から全身へと。

 

 そしてこの間──一条は地へと降りていない。降りられないのだ。

 

「「「空で踊るのは楽しいでしょう?」」」

 

「……ッッ!!」

 

 攻撃の手は止まず、一秒が一向に訪れないほど、思考が全力を持ってして一条の意識を最大限まで伸ばしていた。

 体を伝う信号はフルスピードで回し、こと運動において使用される筋肉はフルで回された。にも関わらず、下、左右と、囲まれれば一条は防戦を強いられることとなる。

 

 攻撃はできな──

 

 (ドス)──。

 

 瞬間、一条の体が宙へと舞い上がる。

 

 地上にいた三人のミーが『上空』へと引き寄せられ、一条の体をすり抜けていく。

 上へ、上へと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上。

 

「──っ!」

 

 上だ。残像が引き寄せられる方向には、

 

「お返しィぃいい──!!!」

 

 ミー(本体)がいる。

 その本体が、宙空から落下し、一条の視界の中に飛び込んで──

 

「よ──ッッ!!!」

 

「────ゔッ」

 

 お返しと言わんばかりに大斧を叩き下ろし、咄嗟に武器を差し向けて守りを固める一条をアスファルトへ叩き堕とした。

 

 激突。

 と同時に、アスファルトは道の役目を放棄し、一条の体を受け止めたと同時に爆発四散。瓦礫にも関わらず、まるで水面へと堕ちたような波及を土壌で具現してみせる。

 その中央、叩き落とされた一条の体が一瞬の地面からの抗力で浮かび上がる。

 

「あ、が……っ」

 

 背中を強く打ち、大の字で一瞬のひととき地面から拒絶される一条。わずかに鉄の匂いを帯びる息を弾けたように吐き出す。

 

「もう」

 

 直後──

 

 (セロ)──。

 

「「「「「おしまい?」」」」

 

 真横から、いや全方位から聞こえた。

 まだ、宙にいる。まだ堕ちない。早く堕ちないと、足をつけないとまた──

 

「「「「ほーぅらッッ!!!」」」」

 

「どゅ──」

 

 瞬間、背後。地面へと突きかけていた背中に一人のミーの足蹴が炸裂。

 吐き出されることとなった血の含んだ息が、さらに吐き出され、雑巾で絞られたように肺が締まる。

 だが、その間もなく、一条の体は上空へと打ち出され──

 

 (ウノ)──。

 

 三人のミーが一斉にビルへと駆け上ったと思えば、上空へと投げ出される一条の体へと瞬く間に接近。

 その全てが手に持つ大斧で、紙切れのように打ち出される一条へと振り上げられ──

 

「「「「ウノ」」」」

 

「ッ──!!」

 

 寸前、一条がかろうじて★Rock Cannonを盾にするも、ミーの速度からもたらされるエネルギーによって押し負け、さらに打ち出される。

 

 上下の感覚が、ぐるぐると視界の中を回るごとに行方不明になる。だが、その混乱もおさまることとなった。

 

「うあ……ッッ」

 

 地下の天井。地上と地下の境である、天蓋に激突することで。

 弾丸の如く打ち出された一条の体の激突で、天蓋がわずかに軋みを上げる。

 

「……ぁ、はゥ……っ」

 

 朦朧となりかける意識の中、磔になる体を一条は剥がす。まだ握りしめられた二種の得物を、前──いや下へと差し向けて落下。

 ──し始めるよりも前。

 

「「「「キエレ・オトラッ(おかわりはいかが)!」」」」

 

 一人のミーが後続から追い抜くミーへと斬撃を放つ。打ち上げられた赤黒い波動はミーの体ではなく、斧へと激突。失速し始めた体に跳躍力を加えたのだ。

 そのまま、一つ──、

 

「「「「──ドス」」」」

 

 落下する一条へ、防御の姿勢で前に突き出されたカノンへミーが斬撃を放たれる。

 抵抗は虚しい。前に出されただけの★Rock Cannonはあっけなく一条の前から払い除けられ、また天蓋へ。

 

 ★Rock Cannonはついぞ形を保ったまま、意識を手放しかける一条に釣られるように分解し、一条の体内へと引き込まれてしまう。

 

「「「「──トレス」」」」

 

 

 天井から剥がれ、再び落ちる一条の体。 

 それを迎え撃たんと、後続のミーが再び一条を大斧で切り付け、なけなしに出された★Black Bladeもろとも一条を天井へ返り討ちに。

 

 そして──、

 

 (ドス)──。

 

 経過したと同時に、虚像となったミーたちの影が勢いを失わない本体へと集約。

 そのまま、後ろへと引き絞られた大斧が、

 

「──クアトロ」

 

 無防備にさらされた一条の体──腹に一撃、薙ぎ払われる。

 

 ── あ……ッ

 

 熱さ。

 一瞬遅れて、火傷を何乗にも重ねたような熱が、一条の脳を貫いた。

 

 上と下で泣き別れすることはない。★Rock Cannonを消滅させた一条の体は軽いがために、寸前大斧の風圧に負けたからだ。

 だが、一撃をもらったことには変わりはない。裂けた腹から内に秘められた生暖かい臓腑と鮮血を溢れさせるまま、

 

「おぇ……っ」

 

「アディオスっ!」

 

 追い打ちと言わんばかりの蹴撃が、振り切った大斧の速度を生かしたまま一条の横腹に炸裂。

 上へ激突する一条は、その勢いのまま、三度の衝撃で脆くなった天蓋の頂点へと飲み込まれていく。

 

 ついぞ待ち望んでいた地上へと、打ち上げられたのだ──。

 

 

 

 # # #

 

 

   ── USJ 噴水広場 ──

 

 

 いや、そんなまさかだ。

 出久は、自分の目に映る景色に未だ信じられなかった。水面から顔を出してはいるが、自分の目に被さったままの湖水によって嫌なものを見せている。そうとしか思えなかった。

 

 アスファルトで無惨に仰向けに倒れ伏す、少女。黒い髪を血と水に濡らす、少女。

 つい数十分前では、バスの中で自分達と普通に話していた少女が、今、ゴミクズのように投げ出されて──動かない。

 やはり、動かないのだ。

 

「ウソ、だろ……?」

 

 本当だ。

 

「そんな……」

 

 受け入れろ。

 

 紛れもない真実で──現実だった。

 静寂が、広場を支配する。

 もはや先ほどまで大地を揺らしていた轟音の余韻はひとかけらもなく、あるのは無惨に晒された一条の生暖かい臓腑と、広がり続ける赤の光景。その光景(現実)が現実を塗りつぶした。

 

「…………ぁ、……っ」

 

 目の前が、焼けるような熱さと同時に大きく歪む。頬を熱を持って伝うモノもなぜだか冷え切った体を溶かしてしまいそうなくらいで、同時に悲しみとは違う芯から火照り始めたものがあった。

 

 ──助けないと……ッ。

 

 例えそうであっても、一条はまだ生きているかもしれない。脈だって測っていないのに、絶望の大きすぎる確率に目を奪われて、一抹の希望を見失ってどうする。

 

 指一本動かない体なんて知ったことではない。体が、本能が動かないのなら、代わりに理性が引っ張り上げればいいだけのこと。

 

 動け。

 動け、動け。

 動け動け動け動け動け動け──。

 

 動け。動くためなら、何がなんでもしなくては。叫びを上げてでもだ。

 使命感か。それが出久の脳内で必死に叫びをあげて、実際に声を出していないにも関わらず鼓膜がキリキリと軋みを上げる。

 

「──っ」

 

 けれどどうだ。胸中で奮い立てと憤慨しても、水に浸かった体は鉛でも流し込まれたように重い。指だって、第一関節も動かすに至らない。

 

 恐怖だ。

 

 圧倒的で、純粋な『死』というモノが、授業という机の上に唐突に投げ入れられた。それはこの平和な社会で育ってきた少年少女には、ただその場に縛り付けられることしか許されない。

 

 そのときだ。

 

「おせぇよ、使者サマ。随分と下で派手に遊んでたじゃねぇか」

 

「────」

 

 死柄木が面倒くさそうに首をかきながら、広場に開いた巨大なクレーター──一条が打ち上げられた穴へと重く振り返り、視線を向けた。

 

 直後、

 

「──ごめんなさいね?」

 

 穴の底から声がしたと思えば、ふわりと、まるで重力を感じさせない軽やかな足取りで、空中に滑らかな軌道を描いて飛び出してくる影があった。

 

「少し手こずっちゃって」

 

 紫の髪を見出し、煤けた三角帽子を直しながら降り立つのは、長身の女性だ。だが、その女の手には、返り血を吸って鈍く光る、身の丈ほどもある大斧が握られている。

 

 あの女に、一条は痛めつけられ、ここに飛ばされたということ。このクレーターの張本人が、悠々とした足取りで現れたのだ。

 広場の中央で待ち構えていた死柄木と黒霧の元へ、人一人を死に追いやったことへの罪悪感を微塵も感じさせない。むしろ鼻歌でも一つ歌い出しそうな足取りで。

 

ヤ・ジェゲ(ただいま)、死柄木。お掃除(・・・)はちゃんとおしまいにしたわ」

 

「へぇ、これが『姉貴』の言っていた規格外のイレギュラーか。………………」

 

 すると、どういうわけだ。首を掻くのを取り止め、血走った瞳を地面に転がったままの一条へ向けた死柄木が止まった。

 そのためらいに似た挙動も、すぐに霧散するわけだが。

 

「……まあいい。で、そいつはどうするんだ? こんなのが計画の邪魔するガキ(・・)で、しかも死体じゃねぇか」

 

「本当は『総督』からは捕えろって命だったんだけど、後始末だろうし。なら──」

 

 ヒールの音すら立てず、ミーが死柄木の横を通り過ぎ手血溜まりの中へと歩みを進める。

 何をしでかす気なのか。その答えは、問いを投げかけずにも得られた。

 

「私が美味しくいただこうかしら、ってね?」

 

 ぴくりとも動かない一条の頭上に見下ろすように立つミーが、無慈悲にその足を振り上げたのだ。

 

「ぁ……っ!」

 

 鈍い音が響き、出久の喉から絞り上がったような声が上がる。だが、一条の小柄な体が無惨にもアスファルトの上を更に転がった。

 抵抗はおろか、一条の口からは苦悶の呻き声すら上がらない。ただ、蹴られたという事象に応え転っただけの、道端に落ちた石のような、温もりを感じさせない反応。

 

「ふふっ、壊れちゃってる。所詮は……ただのホワイトもどきだったのねぇ」

 

 倒れ伏す一条の傍にたち、ミーが彼女の無惨に裂けた腹部と、虚空を見つめる青い瞳を見下ろしてくすくすと笑みを深める。

 自身の頬に手を添えて眺める彼女は、まるで酔っているかのようだ。

 

「ま、別にいいわ。終わったことだし、ない(・・)なら期待に応えられない。であれば、せめてもよ?」

 

 ミーがしゃがみ込み、異形のようなクローのグローブを纏った指先を、一条の細い首筋へと這わせる。

 

「私が全部──ネブレイド(・・・・・)してあげる。ブエナス・ノーチェス(おやすみ)、グレイ」

 

 ──何を、する気だ……?

 

 出久の視界の中で、ミーの指先がついに一条の白い肌を掴み、持ち上げる。体ほどある武器を持ち上げる女だからこそ、一条の軽い、更に軽くなった体なんて無いに等しい。

 次第に、体の力が抜け切って、黒い剣を持ったまま(・・・・・・・・・)物言わなくなった一条。その腹から垂れる桃色の物体は、なんの抵抗もなく次から次へ──芋づるのように、落ちていくものに釣られて出ていく。

 一条の腹部が不自然にへこんでいく。

 

「うっ……、はへぇ──」

 

 両手で必死に押さえ、堪えていた峰田が迷走。涎を漏らし水面下で脱力する彼が、まるで人形のように仰向けになって崩れ落ちた。

 無理もない。

 

「──っ、ッ」

 

 凄惨な光景。平和ボケで蒼い日常が、赤と黒の色で塗りつぶされる、この光景。

 吐き気よりも先に、体を巡らせる血が一斉にストライキを起こし始め、視界が引いていく。真っ白になりかける。

 唾も制御を失い始めて、今からひっくり返る中身から口内を保護する運動に持ち越し始めた。

 

 目撃するだけで、自分はやられていない。にも関わらず、なぜか片手をお腹に当てて、必死にくるハズのない損失感を誤魔化そうとし始める。

 

「うぷ……っ、ぐ……」

 

 噛み殺し、耐える。

 

 ただ、指の隙間からこぼれ落ちるように、一条の命が、形を保てなくなったモノたちが、重力に従って引きずり落ちていく。

 出久は右手で口元を塞ぎ、握り、奥歯が砕けるほどに噛み締めた。骨折した指が熱を帯びてくるが、今ではそれが意識を保つ命綱。

 

 止めなければ。

 

「──くっ」

 

 飛び出して、あの女の手から、一条を奪い返さなければならない。

 けれど、意思とは裏返されるように、足は水底に根を張ったかのように動いてくれなかった。

 友人の、あんなにも無惨な死体を弄ばれるのを、ただ指を咥えて見ることしかできないのか。

 

「う、ぅあ……っ」

 

 声にならない嗚咽が、出久の喉を掻き毟るように漏れる。

 隣の蛙吹も、普段の冷静さを完全に見失い、震える手で出久の肩をきつく、痛いほどに握りしめることしか、それしかできない。

 

「ふふっ。さぁ、あなたはホワイトもどきのグレイでも、下のチンピラとは違う。一体、どんな味なんでしょうね?」

 

 広場の中央。

 ミーが、首を掴んで持ち上げた一条の顔を覗き込み、うっとりとした笑みを浮かべ舌をなめずる。

 何かを期待するように。何かを待ち望むように。

 その異形のクローを纏う手が、一条の首筋に更に食い込む。

 

「────……。────っ…………」

 

 だが。

 

「……あら?」

 

 ミーの喉から、間抜けて、それでいて怪訝な声が漏れた。

 彼女の紫色の瞳が、信じられないものを目の当たりにしたように、細めて注視する。

 

「……どういうこと? なんで──」

 

 出久には、ミーが何を期待し、何に戸惑っているのか全くわからない。

 死柄木でさえも、苛立ちげに「さっさと終わらせろ」と首をかきながら文句を垂れる。

 

「チッ」

 

 だが一人。ミーだけは不満げに眉を顰めて、一条の体を上から下まで眺め、ある一点に絞られた。

 それは──、

 

「────」

 

 一条の左手に未だ繋がったままの、黒い剣。それは、ただ張り付いただけでも、黒い剣が自ら一条の手にしがみついて離れないわけでもない。死後硬直でもない。

 一条の手が、握りしめていた(・・・・・・・)のだ。

 

「────」

 

 瞬間、何かに気づいたように、思考に浮かび上がった疑問の点が一つの線に昇格したように、ミーの顔面が持ち上がった。

 紫の目の先には、青い瞳があった。

 

 

「────」

「────」

 

 

 ミーの瞳に焦点を絞る──一条の青い瞳が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 直後、突如としてミーの顔から余裕と嗜虐の笑みが完全に消え去ったや否や、

 

「──ッ!?」

 

 弾かれたように一条の首から手を離し──凄まじい速度で後方へと宙へ体を翻した。

 刹那、

 

「────」

 

 ミーが先ほどまで立っていた、否──首を掴んでいた腕のあった空間。そこに──黒い半月が伸ばされた。

 漆黒の閃刃が、虚空を横薙ぎに切り裂いたのだ。

 

「な──」

 

 死柄木の喉から、呆けたような音が漏れる。

 出久の目も、それと等しく限界まで見開かれた。呼吸が、止まった。

 

「────」

 

 空を切った漆黒の刃。

 それを振り切った一条の体が、重力に従って落ちて──立った。

 

 

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