青き炎のBEACON《道標》   作:リクライ

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第二十三話 『ブルーフレイム』

 

 

 

 

 

 

 

 体は打たれ、腕には大質量から与えられた痺れが全身をのたうち回り、その熱に似た体を捩らせる衝動が、裂かれた腹から赤い鮮血となって飛散する。

 血濡れの水溜まりの中にいるのは、崩れ落ちた死体でも、ましてや死体が息を吹き返したわけでもない。

 

「……ッ…………ぁ」

 

 ──死ね、ない……っ、まだ……

 

「しね、ない……っ」

 

 喉は焼かれたように掠れても、一条の胸中に宿るモノはまだ死んではいなかったのだ。

 それは、ただの人間では理解もできない。現実に受け入れられない現象だ。

 

 けれど、この体に宿る、赤い命の本流とは違う別の回路が、自分を突き動かすのだ。

 

 立て──。

 

 と。

 

 歩け──。

 

 と。

 

 だが、それだけだ。歩けるだけ。歩いているのがまさに奇跡と言える。

 事実、胸の奥で熱く燃え上がるモノは再起を呼び起こしただけに過ぎず、体の状態は依然として絶不調。

 当然、一条であれ、体の中に迸る血流の回路とは別の二種の武器が漂う回路があろうとも──その身は生身の人間。

 

 ずるずると腹から溢れたものをアスファルトに擦りながら、一条は一歩、一歩、歩み近寄る。

 

「たおれ……られ、ない……っ」

 

 ミーを、倒すまでは。

 あれは、ただのヴィランではない。『ネブレイド』という、アフターイメージとはまた別の“個性”持ち。

 不可解な敵だ。理解しがたい思考を持つ存在だ。

 けど、それは一条が起き上がるに足る理由ではない。

 

 ただ、

 

 ──許せない。

 

 胸中に唱える。

 その最中、正面のミーの紫の瞳が見開かれるが、すぐに余裕めいた笑みを再び刻み始める。それもそのはず。

 

「まあ、そうだろうと思ってたけど。でも、立ってるだけが精一杯なんじゃないの? 諦めたらいいのに、往生際のわるい子」

 

「……ッ、──ぅ、う」

 

 剣を地面に突き立てる一条の膝はおかしなほど笑っているのだ。もはや生まれたての子鹿のように、ガクガクと。指で突けば、それこそ倒れるほど儚い存在のように。

 生きているなんて到底思わせてはくれない体。血を流しすぎたその肌は、元々の白さを通り越して、もはや死相さえ見え隠れする。

 

「往生際が、悪い……ッ? そう、かも……っ」

 

 満身創痍。そう言わずして今の一条をなんと表せようものか。

 呼吸をするたびに、裂けた腹部から『ゴボリ……』と嫌な音を立てて血が溢れる。垂れ下がったままの桃色の臓腑が、一条の左右にだらしなく揺れる動きに合わせて、アスファルトを汚す。

 

 常人なら、ショック死していても不思議ではない。いや、むしろショック死していなければならない致命傷のはずだ。

 だが、今──これは、

 

「──っ、じゃ……ま」

 

 一条は、自身の体から一定量外にはみ出てしまった臓腑をあろうことか左手に握った黒剣で──切り捨てた。

 なんの躊躇いもなく、ただ邪魔(・・)というだけで。

 

「──っ、そう来るのね」

 

 生物として血迷った行動に、狂気を孕んだ笑みを浮かべるミーでさえ、眉をひそめて両手に大斧を構えるほどだ。

 

「ふ……ぅ、くっ」

 

 ──許せないッ

 

 答えは一条の口からは語られない。喋ろうとしても、引き攣った呼吸と苦悶の声が浮かんでくるのみ。

 だが、ゆっくりと持ち上がる顔。そこから覗く瞳は、

 

「──ッ」

 

 虚でも、確かに光を宿し──ミーを見つめていた。

 しかし、いくら瞳が生きていても、その体はもはや動かせるとは到底思えない。じわじわと歩く姿は滑稽で、内股で、今にも崩れそうだ。

 

 ひどく滑稽で血生臭い有り様だ。

 

「……──? ふふっ、あーらら。どうしたの? さっきまでの威勢は」

 

 ──あと少し……っ。

 

「んぅッ」

 

 振るわれる黒剣から放たれる縦の一閃。だが、ミーはそれをふわりと軽やかなステップで剣筋を躱す。

 戻れ、体。

 戻れ、腕。

 戻れ、足。

 

 体勢を重力に引っ張られる。その事象を、軽くなって幾分かマシになった体を足で支えに、剣を支えにして立て直し──

 

「それっ」

 

「ぅぁ……っ」

 

 その一条の渾身の一閃を嘲笑うかのようにすれ違いざま、一条の細い肩をミーが人差し指で『とん』と一つ突いた。

 たった一つの些細な小突き。誰が受けても、なんてことはない指差しだ。

 しかし、今の一条が受ければ、別物である。

 

「あ、グ……ッ」

 

 ちょっとしたちょっかいだけで、一条の体は荒波を泳ぐ船の甲板にいるみたいに大きくよろける。

 踏みとどまろうとアスファルトにブーツを擦り付けるが、失われた力は下半身を支えきれない。ガクンと膝が折れ、新しく作る血溜まりの中に力無く這いつくばってしまう。

 

 新しくできる、小さな血の池に映り込んだ。

 

「────」

 

 ──真っ白……、ひどい顔……。

 

 血でできた鏡面。映し身。虚像。

 そこに映る顔は、死人のように青白く、それでも意地汚く足掻く自分の姿。必死で倒れまいと、なおも腕を地面に突き立てて足掻く自分の姿。

 笑い方はわからないが、ひどく滑稽すぎて、さっさと倒れてしまえとさえ思えてしまう。

 

 ────、なんで?

 

 ふと、体の空虚感とは違う、熱が抜けて冷えていく芯から湧いて出てくる疑問符。

 

 ──なんで、許せないの……?

 

 そうだ。この体を動かす原動力。それが、一条自身理解に及んでいなかった。

 何に対して、今こうして、無い腹が熱く煮えているのか。

 いくら考えても、答えはわからな──

 

「泥だらけの血塗れね、グレイ」

 

 刹那、背中に降りかかる声と、落とされる強制力。

 立ち上がろうとする気力を嗤う無慈悲な力が、一条の体を地面に這いつくばらせる。

 それは、見下ろし、見下すミーの嘲笑と嫌悪からくる、大斧の柄の底から繰り出された突きだ。

 

「あっ……ッ!」

 

「退屈ねぇ。這いつくばる姿もかわいいけれど。────」

 

 倒れ伏す一条の背中に、ミーが大斧を離す。と思えば、次に訪れるのは靴底だ。

 

「うあ……っ」

 

「ほらっ、もっと足掻きなさいよ。蛆虫みたいに這いつくばるしかできないの? それとももう声、出ない?」

 

 ──うるさいッ

 

 傷口がアスファルトに擦れて、激熱が一条の体を締め上げて、脳髄を白く焼き焦がす。視界が遠のきかける。

 喉からはヒューヒューとヒビの入った呼吸が漏れるだけ。もはや言葉すら紡ぐことを許されない。

 それでも、一条は挫けてもなお足を動かし地面をずるずると這いずろうともがき、空いた右手で地面を掻きむしって立ち上がろうと体を捩る。

 

 けれど──無駄。

 

「アぁ……ッ!?」

 

「ほらっ! フフっ、滑稽ね! だから私嫌いなのよっ。意地の汚い下等生物が、こうやってあがこうとしている様が。だから私は食べてあげるの。汚いものを、綺麗にしてあげるの」

 

 捩って足掻くことすら、背中を執拗に足蹴にされる。ミーの嘲笑が努力を踏み躙る。

 

「けど…………飽きたわ。そろそろ、ネブレイドしてあげる。どうせ壊れるんだしね」

 

「ぅっ」

 

 ミーが、一条の背を靴底で踏みつける。ヒールで、グリグリ、グリグリと。胸を形作る骨組みが軋みを立てても構わずに。

 アスファルトに頬を押し付けられ、視界が半分塞がれる一条の目。その頭上、というよりは左で、ミーの体から黒い『紫の炎』が噴出して立ち上るのを見た。

 

 完膚なきまでに叩きのめし、その存在ごと燃やし尽くさんとするための、己を体現する炎。

 

「また起き上がるのもキモいし、頭を落としてもいいわよね? ……あー、総督には、ホワイトに足らなかったって報告しようかしら」

 

「うっ」

 

 まずい。

 視界。血の海が鏡となるアスファルトに、ミーが大斧を握り締め振り上げるのを見た。

 立ち上る炎が収束する。その代わりに、瞳へと寄せ集まったエネルギーの奔流が紫をより煌々と輝かせる。

 ミーの瞳が、恍惚に細められる。

 

 そして、

 

「──アディオス」

 

 真上に振り絞られた大斧の紫刃が、一条の晒された白い頸に落ちる。

 

 落ちる。落とす。風を切って、一条の首に吸い込まれるようにして、一片の慈悲もなく、ミーの一斬によって一条の、

 首が──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 落ちる瞬間は一向に訪れることがなかった。

 

 それは、首を切られたことによって縛り付けるものからの解放が、起こらなかったことと錯覚している。

 あるいは、これがもうすでに脳みそが作り上げた幻で、実際には体を真っ二つに分断された死体が想像した須臾の出来事なのか。

 

 

 

 

 

 そのどれもが違った。

 

「あら?」

 

 頭上、背中を足で押さえつけるミーの声が震えた。

 踏みつける力は変わらない。だが、こちらの頭を分断するはずだった斧は落ちる寸前で止まっていた。

 止まっていたとはまた別に、頭によぎる感覚。背中を踏みつける足の圧とは違う紫の『圧』が、消えた(・・・)気がした。

 

 その代わりに場を満たすのは、一種の空()感。

 一条はその『感』を知っていた。

 

「私のが出ない……? どういうこと?」

 

 苛立たしげに辺りを見渡すミー。

 その足元で、アスファルトに頬を押し付けることしかできない一条の視界に、答え(・・)が映った。

 

「────」

 

 広場の中央。

 巨大な大男に両腕をへし折られ、顔面を地面に叩きつけられ、もはや普段の草臥れた印象とは違う、黒いボロ雑巾のようになっている男。

 

「……っ」

 

 ──あい、ざわ……っ

 

 相澤消太だ。

 血の海に沈み、同じく満身創痍で死に体のはずの彼。大男の巨大な手によって押さえつけられても、指の隙間から、アスファルトで顔面を削ってでも顔を上げる相澤。

 顔を上げ、血走った瞳を見開いて──ミーを見ていた(・・・・)のだ。

 

   ── 抹消 ──

 

 黒い瞳は、今や煌々と輝く赤い瞳となって、ミーの“個性”に蓋をする。

 命が消えかけている。肉体が限界を迎えているその瞬間にあっても、相澤が『生徒』である自分を助けるために、己の象徴である“個性”を振り絞って、ミーの力を抹消したのだ。

 

 それを、面白く思わないものもいる。

 

「……鬱陶しいな、イレイザーヘッド。──脳無」

 

 煩わしく首を掻きむしる男──死柄木が、首を傾けて相澤を見下した。

 そして、その声に呼応するように相澤の行動にいち早く反応するのは、黒い異形──『脳無』だった。

 

 それのやることはただ一つ。抵抗する対象を完全に沈黙させるため、その巨大な手を持ってして相澤の頭蓋を、

 

()れ」

 

 握り潰す(・・・・)こと。

 

「────ぁ」

 

 ──まって……っ

 

 手のひらに収まる相澤の顔。それが、だんだんと見えなくなっていく。

 けれど紅い瞳は、決してミーを逃しはしない。たった一つ、少しでも一条の命を繋ぐために。

 

 ──いやだ……っ!

 

 潰れるその時間が長い。まるで認めたくないと、最後まで脳が足掻きもがく。

 これは理屈ではない。ましてや言葉にもならない。ただ、この胸にたぎる熱が、必死に手を伸ばしている。

 

 ただ一つ、自分の──()に。 

 

「く……ぅっ」

 

 ──そうだ。

 

 その瞬間、一条の体で火花が巻き起こる。誰もそれを目撃することはなかったが、一条にだけは、一つに宿ったばかりの火種を胸に抱いた。

 迷わず抱きしめた。

 

    ──色は──

 

「やめて……っ」

 

 ──見たく無いんだ。

 

 ついで、湧き上がるのは表面上や、体の中から切り裂く熱ではない。熱の在処は、やはり胸の奥だ。心臓でも、ましてや体に枝分かれして満遍なく鉄の味を送り込む液体でもない。

 もっと別の、もう一つの体を、自分を自分たらしめる唯一の。

 

    ──その星は──

 

「やめてええええええ──ッッッッ!!!!」

 

 ──誰かの傷つく姿が。

 

    ──夜空を切り裂く、蒼星(綺羅星)だった──

 

 

 

 

 

 刹那、空気は伸び、風景は固まる。

 その世界の中で、

 

「────」

 

 一条は動いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 絶叫が、ガラス状のドームの天井を反響し、轟く。

 

 それは、出久が今まで聞いた、いや、誰も聞いたことのない一条の声。大きく、そしてむき出しの感情を晒した──叫びだった。

 

 出久は、水面から顔を出したまま、目を見開いていた。見開くことしかできなかった。

 相澤の顔が、あの黒い怪物──脳無の巨大な手によって、今まさに潰されようとしている。

 

 助けに行かなければ。

 けれど、体は動かない。

 指先一つすら動かすことの叶わない、絶望と恐怖。

 間に合わない。

 

 先生が死ぬ。

 

 一条が死ぬ。

 

 二人が死ぬ。

 

 全員が死ぬ。

 

 死ぬ。

 死ぬ死ぬ。

 死ぬ死ぬ死ぬ。

 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ。

 

 

 死んでしまう──。

 

 

 そう確信せざるを得ない局面。

 

 

「────」

 

 

 空間が──凪いだ。

 直後、大気を切り裂く轟音と共に、見えない突風が出久たちの顔面を打ちつけ、水難エリアの水を大きく波立たせる。

 

 一体、何が起こったのか。

 目を開け、情報を取り込もうと、一度闇に包まれていた視界に光を受け入れる。

 飛び込んできたのは、

 

「────。……え?」

 

 一つ──いや、三つの要素が欠けた情景だった。

 自分の喉から、間の抜けた声が漏れるのを出久は耳にする。

 と同時に、深緑の瞳に映る人物──死柄木も驚愕に身を引かせ、黒霧の渦が揺らいだ。

 

 

 いない。

 そう、いないのだ。

 相澤を完膚なきまでに叩き潰し、捻り潰し、擦り潰し、その果てに頭蓋をも握り潰そうとしていた、あの山のような巨体の黒い怪人──『脳無』が、いない。

 見落とすはずもない。なにせ、広場の中央に真っ黒な物体があるようなものなのだから。

 でもいない。消失(・・)していた。

 

「……あ、あそこ……っ!」

 

 隣で震えていた蛙吹が、引き攣った指で遠くを指差す。

 

 そうして、出久が釣られて視線を走らせた先。USJの広大な敷地の遥か端──その少し上に、飛んでく巨大な影があった。

 あれは、

 

「脳無が……吹っ飛ばされた……?」

 

 死柄木が、その物体に目を向けたまま口にした。

 

 誰が。何が。

 オールマイトがここに来たのか。いや、いくら視線を右往左往したところで、広場の中央にはオールマイトの大きな影なんてどこにもない。

 

 ならば、

 

 ──星野さんは……っ。

 

 出久は反射的に、広場の端で『使者サマ』と呼ばれる女に踏みつけられていた一条の場所(・・)へと視線を向けた。

 

「────」

 

 そこにいたのは、大斧を握ったまま、下へ目を見開くミーの姿。紫に爛々と光り輝く瞳はすでに戻っていて、相澤の“個性”の効果が消えてしまったのがわかる。

 だが、それとは別に、彼女の瞳には戦慄めいたものが宿っているのを見た。

 

 そして、

 

「────」

 

 ──あれ……。

 

 ミーの足元には、何もなかった。血溜まりに落ちて足で縛り付けられていた一条の姿は、そこにはいない。残されていたのは、やはり生々しい、触れば温もりさえ感じるであろう血の跡。

 

「──っ」

 

 するとミーの顔が、瞳が走り始める。──出久たちの方へ。

 出久たち、ではなかった。それよりも少し逸れた場所。

 

「────」

 

 そこに、少女(・・)はいた。

 自分たちのすぐ真横。小さな湖の岸辺に、少女が男を下ろした。

 

「負けられない」

 

 不意に。

 本当に、唐突。

 出久たちの真横、あの無愛想で、平坦な声が鼓膜を叩いた。

 

 振り向くその先。蛙吹と出久の視線の先には、彼女がいたのだ。

 

「誰に負けるかは、どうでもいい。けど、今にだけは、負けられない──ッ」

 

 瞳を柔らかに閉じ、相澤を優しく横たえる一条の姿が。

 

「……っ、…………、────」

 

 出久は声が出せず、ただ喉がワナワナと震えるのを自覚した。先ほどまでの絶対的な恐怖、圧力とはまた別の──別の『印象』。

 

 それは、腹部を無惨に裂かれ、それでもなお邪魔なものだと体の一部を一部として切り捨てた致命傷を背負う少女。もはや立ち上がることさえ不可能を極める状態だ。

 けれど、

 

「────」

 

 相澤を寝かせ、ゆっくりと立ち上がる一条の姿には、その揺らぎさえ感じさせてはくれなかった。

 それは別の印象が、そうさせるのだ。

 この場が黒い闇の底であるのなら、今この一条から漂いつつあるこの感覚は──

 

   ── 炎 ──

 

 それは、火災や火炎放射。炎系の個性からくる印象ではない。もっと抽象的だ。

 それは暗闇。誰もが道に迷うその中、ふと『道標』となって指し示してくれる、静かなる篝火。

 

 誰にも邪魔されることはなく、かといってその光の領域を広めることはない。けれど、確かにそこにあるのだと自覚させる『炎』が、そこにあった。

 

 それが、

 

「────」

 

 痛みに顔を歪めることも、足元がおぼつかなくなることもなく、ただ何の障害もなく静かに毅然と立つ一条の『存在』。

 

 それを自覚した瞬間、出久は背筋が凍りつくのとはまるで別の、目が離せなくなるほどの圧倒を目の当たりしているのだと気づく。

 

「────」

 

 ゆっくりと開かれる、一条の両の瞳。

 虚になりかけていた青い瞳は、もうない。あるのは澄み渡った色を取り戻した目だ。

 

 違う。それ以上だ。

 

 その左目には、『青い炎』が燃え盛っていた。

 熱はなく、あるのは体の底から湧き上がる源。

 決して消えることのない激しい蒼炎が、一条の左眼から揺らめき続ける。

 

 

「始めよう。私の……──『ブラック★ロックシューター』の戦いを」

 

 

 漆黒の刀剣を握りしめてミーに立ちはだかる一条を、更に踏み出させるために。

 

 

 

「……っ」

 

 その名乗りとともに不動の姿となった一条に、ミーは紫の瞳を、眉を顰めて歯を噛みしめ──大斧をアスファルトに叩きつけた。

 

「それがどうしたっていうのよッ」

 

「…………」

 

「今更力を出したところで、あなたはもう手遅れ。誰がどう見たって、私とあなたの間に生まれた差は歴然なのよ?」

 

 その言葉は一条の姿を認めたくないというよりは、むしろ危機の宿ったミーが声を震わせる。

 一条からの反応はない。青い瞳は、笑みを貼り付けながら睨み返して言を紡ぐミーを見据える。

 

「あれだけ骨身に刻んだのに、まだわかんない? それとも、まさか出るものも出てついには骨も頭の中も空っぽになったわけ?」

 

「…………」

 

 一条は、何も言わない。

 ただまっすぐとミーを見据え、右手(・・)に握りしめた★Black Bladeを引き連れて歩く。

 

 何も、言葉では返されはしない。ただ、青い瞳がミーに釘を刺し続けて、じわじわと確かな一歩を刻み近づく姿勢が一条の言わんとすることだ。

 ならば、ミーのすることは一つしかない。

 

「ふっ、いいわ。入り口に至った程度で、私の優位性は──」

 

 完膚なきまでに、

 

 (セロ)──。

 

「「「「揺らがない──ッ」」」」

 

 転がす。

 

 瞬間、ミーの声が四倍にブレるとともに、四人の紫が同時に分裂──展開した。

 一条を囲み、文字通り淵へと叩き落とした『アフターイメージ』の多段多角攻撃。虚像と実像を加える四振りの大斧の刃が、

 

 (ウノ)──。

 

 空気を切り裂き、同時に紫の残光が、『紫の炎』を宿す紫の瞳が尾を引いて一条の周囲を覆い尽くした。

 

 迫り来る四振りの紫刃が描く龍の髭。

 細い首、肩、胴、そして足元へ殺到する凶刃が描くライン。

 

 だが、

 

「────」

 

 一条の瞳──青い炎を渦巻かせる左眼と、右目は、それらに目を向けることはない。

 小さい吐息が一条の口からわずかに漏れた、そのときだ。

 

 

 確定された紫線の事象が、突如として炸裂する朱閃によって捻じ曲がった。

 

 

 鮮烈なる赤。それは、鮮血でもなければ、赤黒くもない。ただ、清々しいほどの火の華が、咲き誇る。

 まるで、一条の体に花を飾るように。

 

「────」

 

 光の結晶は踊り続ける。

 

 確実に一条の息を止め、下し、そして断つ。そのために振るわれる紫閃が一秒という短い間に凝縮されているのだ。

 入れば、まずはミキサーのように粉々になるのがオチ、のはず。

 

 だが──

 

 (ドス)──。

 

「「「「うそよ……ッ」」」」

 

「────」

 

 カウントは通り過ぎてもなおミーの思考が先走るように、すでに実体を失った三体のミー(偽物)が一条の体を通り過ぎる。

 その中、ただ一つの実体を持った存在。つまりはミー(本物)が繰り出す頭上からの重すぎた一斬打を、

 

「──ッ!」

 

 たったの一刀の黒剣で──★Black Bladeで、受け止め、その刃を十字に交じり合わせた。

 

 ──みんな、遅い。いや……

 

 速くなった。しかしこれは、ただ速くなったという安っぽいものではない。自分以外の全てが遅くなったと感じられるほど、体の内で駆け巡る源の奔流が一段上の領域へと走らせた(・・・・)のだ。

 それは、ミーの無敵とも言える『紫の炎』を纏った上での動きが、纏う以前と同じ速さ(・・・・)に思えるほどに。

 

「ようやくホワイトに成れたからって、いい気にならないでほしいわ!!」

 

 ミーが振り下ろす力を斜めに逸らし、一条の刃の上を斧で滑らせてアスファルトを砕く。

 炸裂し、舞い落ちる瓦礫。

 次に繰り出される、一条の腹を貫かんとする足。

 だが、それすらも一条は黒剣を翻し、ミーの足に柄底を当てて砕かれた地面に逸らす。

 刹那──、

 

「────」

 

 一条の握り固められた左手が、右手の黒剣で受け流したことによって腰を捻る動作に直結。

 

「──はッ」

 

 限界にまで引き絞られた左腕が、一直線にミーの開け放たれた腹へ──その鳩尾に食い込み、

 

「が──っ!?」

 

 ミーの体が拳のめり込む点を始まりにして『く』の字に折れ曲がり、後方へと吹っ飛ぶ。

 

 一条の左腕から放たれるものは、黒の巨砲を軽々と持てるほどの力をうちに秘める。

 だが、何も腕だけではない。質量を支え、かつブレないほどの体幹を実現させる力が全身には内包されているのだ。

 だからこそ、この一打は、

 

「はっ……く、ぅ……」

 

 ミーの意識を一瞬でも飛ばすことのできる黒の一拳だったのだ。

 

 だが、飛ばすことはできても、その時間は『一瞬』にすぎない。一瞬に過ぎないのだ。

 この二人の間において、その『一瞬』はまさに命を差し出す隙に他ならないのだから、

 

「────」

「────」

 

 吹き飛ばして生まれた距離なんてものも当然のように一条は踏み抜いて、ゼロにする──。

 

 振り上げられ、ミーの頭へと滑り込まんとする一条の黒剣。

 しかし、

 

「くっ──この……」

 

 それを易々と受けるほど、

 

「ガキぃ──ッッ!!!」

 

 ミーは諦めのいい者でもなければ、弱くもない。

 

 瞬間、決死で振り上げた斧と、突撃して腕力に速度を上乗せした★Black Bladeの一閃が衝突。

 ミーの足元を開始点として地面が力を受け止めきれず、逆に激突する二つの脅威を飲み込まんと波状にヒビが迸り、砂塵が炸裂する。

 

 その砂埃すら、二人をほんの一瞬すら隠すことも許されず、内側から破られるように切り裂かれた。

 

 それは、空間を塗り替えるほどの──絢爛たる刃閃だ。

 得物が得物を受け流したことで、一条とミーの周りを開花したように満天の火種たちが煌々と照らす。

 

 しかし、繰り返される二つの金属の筋は交われば耳を劈く音も出るはずなのに、あの周辺はまるで回線が遅れたかのように不安定だった。

 

「あんたは一体、なんなのよ──ッ!」

 

「────っ」

 

 個性で残像を生み出す余力はあるが、発動には隙が生じる。だからこそ、手負いの一条はミーに無数の斬撃を送り込み、返送される重い斬撃を受け流し──

 

「──ッ!」

 

 さらなる加速を手にする。

 隙間は許さない。

 

 次第に、巻き起こる紫と黒の剣戟が生み出した万華の如き剣閃。

 当初は対等であった二つの色の混じりが、ジリジリと黒の領域を多く奪っていく。

 黒い彼岸の花。黒い花弁(斬撃)の広がりが──、

 

「覚えて」

 

「な──っ!?」

 

──砕いた。

 大斧を真上に弾き飛ばし、紫の花が枯れ飛んだ。

 

 ぐるぐる。

 ぐるぐる。

 

 大斧が黒の一閃によって真上に飛び、ぐるぐると紫の円を描きながら放物線上に飛んでいく。

 

 ついぞ生まれた、明確な隙。

 弾き飛ばされ、かつ暴力的なまでに速度一つの太刀筋が、ミーの大斧を上空へ奪い去るのと同時に、ミーの体を後ろへと崩した。

 

「私の“個性”の名は──」

 

 振り上げられた、右腕の先に握られた★Black Blade。その柄に追従して、もう片方の手が握り込められ、黒剣を頭上へと翳す。

 

 両腕の力が掛け合わさり、一つに集結する黒刃。それが、大気を斬り裂き、温度も斬り裂き、ついに一つの道筋へとつながった。

 

 ミーの晒された肩口へ、漆黒の切先が滑り込む。──刃閃と共に収束する。

 

 

「──『ブラック★ロックシューター』だ」

 

 

 一条の閃がミーの体を斜めに、深く。

 残光を描く流星が切り裂いた──。

 

 

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