青き炎のBEACON《道標》   作:リクライ

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第三話 『やることがいっぱい』

 

 

 

 セントラル病院で、“私”は『ブラック★ロックシューター』とは別の名前──“星野一条”を授かった。

 だが、星野一条は“私”の本当じゃなくて、みんなが食べ物に手を取って名前を言うような、ラベルみたいなもの。だと思っている。

 なぜなら、“私”はどんな名前で呼ばれようとも、『ブラック★ロックシューター』であることに変わりはないのだから。

 

 あの日は正直言って、なんか新しいことが多かった。動くベッドに、腕に針を刺されて血を抜かれて、服はなんだか暑いし、それにご飯もほかほかした。ミッドナイト──睡は、そのほかほかが美味しいっていう意味だと、教えてくれたし──、

 

 とにかく──、

 

「ねぇ」

 

「なァに? 一条ちゃん」

 

「これって」

 

 やることが──

 

「ほんとうにやる必要あるの?」

 

 いっぱいだ。

 

 ここは、“きょうしりょう(教師寮)”というところで、そこに住むことになった。ミッドナイトのような色んな格好した大人がいたりもするし、窓を覗けばガラス張りの“H”みたいな建物もある。たしか“ゆうえい”とか。

 

 そして今、一条は机に向かってペンを握り、ワークブックと呼ぶものに挑んでいた。漢字とやらは読めるし、計算もできる。ならば、早速という感じで睡──現在はヒーロー教師としてのミッドナイトの彼女が、一条の隣でキーを叩いていた。

 

「あるわよ? あなたって、ヒーローになりたいんでしょ? ヒーローネームだって考えるくらい熱心なんだし、だったら……」

 

「でも、ヴィランは敵。だから、倒すのに勉強じゃなくて……体を動かすやつしたほうがいい」

 

 いつものような無愛想な表情をミッドナイトに向け、手の中にあるペンに握る力がキュッと強まる。しかし、黒い大砲を持っていたときとは異なり、握りしめて粉砕──とはしない。壊れてしまうのは、なんとなく嫌だし、ダメだと、そう思うから。

 

 話を戻そう。

 

 今、一条はどうして勉学に勤しんでいるのか。どうしてヒーローになるためには勉強をしないといけないのか。

 

「どうしてしてはいけないの?」

 

「一条ちゃん、それはね?」

 

 注目、と言わんばかりに、どこからか取り出したかわからない鞭で空気を叩くとミッドナイトはどこからか取り出したかわからないホワイトボードを引き連れてくる。

 そこには、トゲトゲの枠で囲んだ“超常黎明期”が書かれていたもの。前に教えてくれたところだ。

 

「いい? ヒーローは暴力を振るう人じゃないの。ヒーローっていうのは、人を“安心させる”存在。だから、言葉も、法律も、歴史も知らなきゃいけない。ヴィランを倒すために、建物を壊しちゃうのは?」

 

「……ヴィラン?」

 

「そういうことになっちゃうのよ。建物も車も壊しちゃって迷惑をかけてしまうバカなヒーローが助けに来たら、守られる方も怖いでしょ? 不可抗力で、殺してしまったら、怖いって思うでしょ?」

 

「……? 私は怖くない」

 

 ほとんど反射のように流れた自分の言葉に、少女のあっけらかんとした態度にミッドナイトは鞭をはためかせ、

 

 

「情・緒!」

 

 

 固まった笑顔で言い放った。

 

 何がおかしいのだろうか。自分は今、自分ならそうすることを言ったのに。

 

「あなたって、漢字とか計算とかはすごくいいのに、どうして作者の意図とか登場人物の心情描写に弱いのかしら」

 

「うーん……けど、やらなくちゃいけないんでしょ? なら、やる」

 

「…………。本人がこういうなら、いいんだけど。なんか釈然としないのよねー。気遣うことくらいできるのに」

 

「あれは必要だったからしただけ。何も悪くないのにごめんなさいって言われるの、おかしい」

 

「……かわいくないわねー。こういうのツンデレっていうのかしら?」

 

 

 なにか不名誉なことを言われている気もするが、止めていた手を動かして、立ちはだかる問題という名の敵を倒すとしよう。

 

 

 

 ──しゃべるのって、疲れる……。

 

 

 

 

* * *

 

 

 そして、このあとも知識という知識を詰めに詰めたり、詰められたりもした。今は時期も早いから、土台作りという体。これでも序の口と言ってくるのだ。

 ということは終盤も終盤ともなれば、もっと詰め込まれるのではないのではないか。

 頭が熱く煙が吹く前に、

 

「爆発しちゃう。…………ん」

 

 どこまでも上しか見えない。唯一その広大さを表すように雲が点々と散りばめられる。

 雲。

 

 ──ふわふわまっしろ……。

 

「おいしいのかな……」

 

「そんなわけないだろ……」

 

 時は少し。ほんの少し経って、今一条は建物の外の樹のそばで寝そべっていた。ピンク色の花をつけた木が風に吹かれるたびに春の訪れを囁いて、花びらが鼻先に乗っかってくる。

 そんなむず痒さを感じて、咄嗟に連想したことが口に出た途端、どこからか声がかかってきたのだ。

 

 どこのだれだろう。特に何かを言われる謂れもないため、起きる気力もない。ナイナイづくし一条はしばしの休息を芝生に体を縫い付けることに専念しようとして、

 

「しーん……」

 

 目を閉じて、外からの情報を切ろうと──

 

「おい、無視して二度寝するな」

 

 低くだるそうな声の持ち主は、どうやらほっといてくれないらしい。

 

「なんなの」

 

「お前……」

 

「あ、そうだ。私は、ブラッ……一条」

 

「ん?」

 

「私の名前、星野一条になった」

 

 自分がブラック★ロックシューターであることに変わりはない。というのは、この際端折っておく。

 ボサボサの髪をしている、首に布を巻いた、目の前の大人の男の人には簡潔にしておいた方が良さそうだから。

 

「ふーん、ブラックロックシューターなんて長い名前よりよっぽどいい。苗字名前どっちも漢字で二文字。呼びやすくて合理的だね」

 

「合理的……無駄がない?」

 

「そういうこと。…………んで、ここで何やってたんだ?」

 

「…………?」

 

 眉を顰めてぼりぼりと頭を掻く男に、一条は地面目掛け足を振り上げて振り下ろし、体を起こした。

 

「なにって…………………………休憩?」

 

「すごい間があったな、今。まぁいい……俺は“相澤消太”だ。あそこの校舎で教師をやっている」

 

 目の前の男は“相澤消太”というらしい。

 あそこの校舎っていうのは、“ゆうえい”改め──“雄英高校”という、デカデカとヒーローの頭文字を模したガラス張りテカテカの学校。

 ミッドナイトもあそこに働いているから、おそらくでもなく確実に、目の前で目薬を打つ相澤もヒーローをやっている大人なのだろう。

 

 しかし、ところでだ。この人は、『ブラック★ロックシューター』と口にした。

 

「相澤、私とどこかであった?」

 

「会ったは会った。けど、星野はミッドナイトの眠り粉を吸って眠ってたからな。こうやって面と向かって喋るのは、今が初めてだ」

 

「…………」

 

 ということらしい。

 

 言葉は発さず、返事は無言で、今も足をゆるりと伸ばす一条は目を擦る。

 自由気ままの温厚な態度。会話には一応答えてくれる一条の仕草に、相澤が首に幾重にも巻いた布を弄って

 

「聞いた話とは違うな。やっぱり資料越しで人を判断するなんてことは非合理的だ」

 

「聞いた話って?」

 

「…………、質問を質問で返すのは俺にとっても合理性に欠くね…………おまえヴィラン倒したろ。それも大勢の」

 

「うん」

 

「それなんだよ。星野が向かってくるヴィランをバッタバッタ薙ぎ倒して、文字通り吹っ飛ばすもんだから、その場での君の印象は冷酷な“戦闘狂(バーサーカー)”なんて呼ばれてた」

 

「バーサーカー? 私は狂ってなんてない」

 

「だから、保護した当初と180度印象が違うって話なんだよ。……はぁ、しかし冗談が通じないのも人間関係において非合理的だ。医者にはなんて言われた」

 

 冗談。さっきのが冗談だったのか。なら、こっちも冗談で返した方がいいのだろうか。

 またも問題が発生した。問題集とは違って、今度は動いたりこっちに向かって話しかけてくる。

 無機質と有機物。

 無温度と有温度。

 

 まさか、これはミッドナイトからの試験なのか。(※違います)

 

 こんな思考を巡らせている一条。だが、瞳は相変わらずの、

 

「…………」(スーン)

 

 伏目がちでありながら眠気はない目を相澤に据えていた。

 

「特になにもない、健康児だって言われた」

 

 しかしながら、冗談の言い方を知らない一条は正直に答えたのだった。

 

 返答は得た相澤。彼は一条の言葉を反芻するように瞬きをすると、小さな黒目を上から下へ、ゆっくりと確認するように見やる。次第に目は定まり、一条の胴へ。

 

「そうか。別に体から抜き取られてるっていうこともなし……問題がないなら別にいいよ。にしても……」

 

 こうした問答をしている中でも、相澤を見上げる一条は人形めいた静けさを帯びたままだ。実際目を擦った後から一片たりとも瞬きしていないし、肌も血の気がないみたいに白い。

 

「それがデフォか……。若いからか何だか知らないが、まったく瞬きしないでいいのは羨ましいよ。今時は乾燥もひどい。目を生業にする俺には、ドライアイが嫌な季節でね」

 

 言いながらに、一条とは違うまぶたの重い目に点眼する相澤消太。

 

 ため息混じりに呟く相澤は疲れているらしい。よくはわからないけど、なんか疲れてる。

 だからこうして外を散策するようなことをしているのだろうけど、乾燥が苦手なら水っけたっぷりの部屋にいた方がいいのでは。相澤も、もしかしたらこの春の日向ぼっこを堪能しようとしていたのかもしれない。

 

 ──あったかいし。

 

 一際大きい春風になんの処置も施されていない長い黒髪をはためかせる一条は、感情の起伏のでない面持ちを相澤から少しはずし、遠くを見やる。

 

「そういや、なんであんな場所にいた」

 

 不意に、思い出したように相澤が呆ける一条に尋ねた。

 

「…………。……?」

 

「悪い、質問がまずかった。あそこに連れてかれたときのこと、覚えてたりなんかはしないのか」

 

「──覚えてない」

 

 きっぱりと、細い眉を動かさない一条がいい放った。それには言葉の意味以外になにも含みのない、正直なもの。

 

 タイミングのズレなし。いい淀みのない一条の返答に、相澤は目を細めた。

 

「……そうか、ならいい。いや、よくはないが……まぁ粗方わかった気がするよ。おまえの親御さん、早く見つかるといいな」

 

「…………」

 

 撫でる手は出ない。けれど口頭は柔らかく、まるで労わるかのような温度で一条を相澤は気遣う。

 

 けれど、一条は答えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 風が吹いて、桜の花びらが一枚、一条の肩に落ちる。それはそのままにして、また空を見上げてみた。

 

 相澤の声が、言葉が、聞こえなかったわけじゃない。

 ただ、それに返す言葉が、自分の中を探しても見つからなかっただけだ。だから、なにも言わない。

 だから間に、静かな春の生暖かさが満ちて、ただゆっくりと雲が流れていく。

 

 一条の青い瞳が、雲を追う。

 

 

* * *

 

 

「他の人と話すの、ちゃんとできたのかな……」

 

 ──おしゃべり、やっぱりあんまり好きじゃない。

 

 やっぱり、喋るのは疲れるらしく、休憩という名目で寝そべっていた効果が半減。考える時間も惜しいくらいに、この青い目は揺蕩う雲を乗せる一面の青を写し込んだ。

 

「……落ち着く」

 

 相澤消太が“きょうしりょう《教師寮》”に戻ってから、すでに時間は経過している。

 彼が去ったあとでも、一条は特に何か問題を起こしたりなんてすることはない。少なくとも今のところは、ただ木下で、芝生に腰を下ろして膝に腕を添える。ゆるりと、黄昏る。

 

──風が吹いた。

 

 時折、彼女が生きているか、熱を持って動き息をしているかを確認するかのように、生ぬるい風が横切る。

 そのたび、重たさを表すかのような長い黒髪が視界の端を舞い上がる。青空の鑑賞に努めていていたのに、余計な横槍が視界の脇で手を振るように邪魔をけしかけてくる。

 

 その鬱陶しさをあらわにするかのように、動かない面構えをしたままの一条の手はゆっくりと度々動き、さっと払いのけた。

 

「…………」

 

 ──まだかな。

 

 無言で彼女が惚けるのには、実のところ休憩をしたかったわけではないのだ。

 

 ──もうちょっと寝ようかな。

 

 いや、休憩したかったのも事実だが、これはあくまで付随してきたものにすぎない。

 

 これは、ついでだ。

 

「…………」

 

 そのわけとは──

 

「ごめーん! 結構待たせちゃったわよね」

 

 彼女、ミッドナイトの思惑だ。なお、今は私服だが。

 

「さ、じゃあいくわよ!」

 

「行くって……」

 

 染みついた癖からか、睡が空気の鞭を振るう。彼女なりのやる気の表れということなのだろうが、肝心のことを知らないし、教えられてもいない。

 

 いつになくテンションの高い睡。そのテンションは名前が決まったときとはまた別の色だが、それはそれとして一条はなんのことだか梅雨知らず。首を傾げて、

 

「どこに?」

 

 聞き返すくらいしかできない。

 

「言わなかったのは悪かったわ。でも、これはいっちゃんにとって悪いことじゃないと思うけど。あ、いっちゃんっていうのは、あなたの一条の一から取った……」

 

「………………」(スーン)

 

「ぅわ、すごい下がり様。──真顔だけど」

 

「………………」

 

 そう言われ、一条は両人差し指を口端に持ってきて、

 

こうふればうぃうぃ? (こうすればいい? )

 

 思い切り下げた。

 

 大体なぜ名前が増えていくのだ。ブラック★ロックシューターであることは変わらない。しかしだ。『星野』『一条さん』ならまだしも『いっちゃん』、いったいいくら名前が存在する。しかもそれを自分も覚えないといけない。

 正直に言えば面倒くさいし、相手が自分を呼んでいたとして反応ができなければ良くないだろう。

 

「……ふふっ」

 

「なにがおかしい」

 

「いや、ふふっ……別に? ただ、あなたってほんとうに可愛いわね」

 

「???」

 

 ──可愛い?

 

 肩を小刻みに震わせて申し訳程度に口に手を添えるミッドナイトに、一条の表情に謎めきが宿る。

 

 全くもって意味がわからない。これは、この表情は、自分なりに言葉が必要ない顔なのだが。

 

 無駄なら無駄とそう言えばいいのに。ニマニマと赤らめた睡の笑顔を向けられ、口端を引き下げる指を放り下げる。

 

「拗ねないの。あーそうね……気を取り直しましょう? 例えばーそうっ、今からどこにいくのかっていうね」

 

「──!」

 

 本当の気を取り直しに、勢いよく、そして草が揺れる前に立ち上がってみせる。地に足ついて、最初から直立の立ち姿だったかのようでありながら、起き上がった余韻がふわりと浮いた裾に現れている。

 

「……すごい食いつきようね」

 

「だってミッドナイト、本題に入るのが遅い。非合理的」

 

「非合理的って……まるでどっかの誰かさんみたい…………てェ! もしかしてイレイ……じゃなくって。多分彼のことだから……──相澤くんに会ったの!?」

 

「うん。さっき“きょうしりょう”? に」

 

「それを言うなら“教・師・寮”。そのきょーしりょーって言い方はちょっとおかしくなるわよ? まぁそれも置いといて……全くあの人ったら担当教室の生徒全員除籍なんて……」

 

「ん!」

 

「あぁごめんなさい? それもこれも置いておいて──つまりこれからあなたの髪を整えようって話なのよ」

 

「────」

 

 髪を切るらしい。それを聞いてピクリと眉を跳ねさせる一条は、肩にかかる真っ黒で長ったらしい髪を払いのけた。

 ようやくこの長い髪もこれにておさらば──

 

「でも整えるのは前髪だけね」

 

「…………」

 

 ──ガーン。

 

「だって、せっかく綺麗に伸びた黒い髪なんだから、切っちゃうなんてもったいないわよ。バッサリはダメね、バッサリ」

 

 そう思えば、よく見なくてもミッドナイトは髪が長い。バサバサした感じだが。

 

 言われ、顔を俯いて肩を落とす一条の視界に、斜めに袈裟斬られた前髪が湧いてきた思惑が沿わないことを茶化すように映り込む。

 

「それじゃあいくわよっ! 思い立ったが吉日って言葉があるんだしさっ!」

 

「え」

 

 このくたくたになった頭の中がなんなのか、思考が形になるよりも──彼女の方が早かった。

 

 がしっと両脇を掴まれ、

 

「え」

 

 声に出す暇さえもない。“? ”もつける暇もない。

 そして今、芝生が足元から消えた。

 体が宙に浮いた。いや、釣り上げられた感覚に近──

 

「さっいきましょっ!」

 

「おわー」

 

 抑揚のない、心の準備が一切できていない声を発する一条を、有無も言わせずに連れ去っていく。まるで黒い猫が持ち運ばれるように、両足を宙ぶらりんにして。

 

 そのまま、車。彼女の持ち車へ。

 

「おわー……」

 

 いざ行かん。美容院──。

 

 

* * *

 

 

 今、目の前に“私”がいる。“私”とは言っても、ずっと違う。左右違うし。

 それに──

 

「苦しくないですか?」

 

「…………………………平気」

 

 首元に布を巻かれ、その上に重いものをかけられている。正直に申し上げるなら逃げ場を塞がれた様な気分この上ない。

 

 後ろに知らない大人の人も立ってるし。

 

 鏡の自分と現在進行中で睨めっこ中の一条は落ち着きを欠いていた。だって、まだ見てくる。鏡の向こう側にいる知らない“自分”が。

 青い目をした、表情の薄い女の子が。

 

 ここは髪を切るためのお店。“美容院”。

 見られているし、囲まれている。

 

 戦う方が、ずっと気楽だ。

 

「髪はどんな風にしますか? うわぁ長くて綺麗……黒でも光を当てれば若干は茶色になるのにこの色。まるで夜ね」

 

「綺麗な髪してるでしょこの子。でも切りたいって言うのよ。バッサーリって」

 

「それはダメだわ……」

 

 雄英の一幕を早々にリフレイン。それを聞いた美容院の人は聞くに耐えない話だと言わんばかりに頭を抱え、一条の座る席の背に手を叩いた。

 

「よっし! お姉さん張り切っちゃうわ。せっかくのお嬢さんの晴れ舞台いや──晴髪舞台だもの!」

 

「…………」

 

「もう、そんな顔しない! お嬢さんにとっても、きっといい日になるわ。私はそう信じてるからね!」

 

「…………」

 

 ──うぇー……?

 

 余計に信用ができなくなってきた。一条の声のない無言の毒づきが反響し、胸の中の水面が騒めきだす。

 

「硬くならなくて大丈夫ですよー。じゃあ、まずは髪を濡らしていきますね」

 

 そうこうしている合間にも、髪を切る人が手にスプレーを持ちだして、

 

「────」

 

 カシュッ、と小さな音がして、細かな水滴が髪に降りかかった。

 一つ瞬き、また空気が一瞬、暖房で温まった大気がひんやりと変わり、次第に髪がしっとりと張り付いては染み込む。

 冷たい感触が頭皮を撫で、乾いた髪がゆっくりと重くなっていった。一本が十本。十本が百本と、水を含む。

 

 ──つめたい……。

 

 ひんやりは一瞬だけ。あとは黒い髪が静かに従い始めるのがわかった。

 

 百本が千本。膝よりも下にある髪が、背後でゆっくりと重さを持つ。

 乾いていたときは、あれほど他人事の様に東風に靡いて広がっていたのに、今や一つ揃って右に倣え。まるで体の一部だよ、と主張する様な一体感を醸し出してくる。

 

「…………」

 

 髪に触れる指は、思っていたよりもずっと静かだった。あれだけ快活に意気込んでいたのにも関わらず、指運びは流れる水のよう。

 引っ張られるでも、急かされるでもない。強いて言えば、自由気ままな、無害なそよ風みたいな感じか。指先が黒い髪を掬い上げ、櫛に梳かされるたびに、

 

 ──…………。

 

 力が、抜けていく。

 一条の息がさっきよりも深いものになっていた。ミッドナイトに連れ去られたときや、さっきのてんやわんやな時間ではない。木下で寝そべっていた数十分前のように、揺蕩う。

 

 指が、前髪をそっと整えられる。

 鼻にかかる、大雑把に切り落とした緩やかな斜めを描く線をなぞるよう、丁寧に。

 

 荒削りだったものが、揃っていく。

 収まっていく。

 

 そう思った途端、意固地に固まっていたものが静かに解けた気さえした。

 

「……少し慣れてきたかな?」

 

「────」

 

 その一声に、平坦だった水面が鳥に突かれたように波紋が浮かぶ。

 

 

 

 最初は石の様に硬くなっていた一条も自然体。そして──

 

「危ないから目を瞑ってね? ま、私の手にかかればその必要もないけど。────。さぁやったりましょうか。……ささっ……さささっ。ささささささ──!」

 

「ぉー……」

 

 テキパキテキパキ。かくかくしかじか。

 脳内に設計図でもあるのか、迷いのないハサミの刃が宙に冷たい反照の曲線を描く。いっぺんの狂いのない、骨格、毛の流れを見極めた美容師の脳内では一条の辿り着く髪型が設計図として出力。

 無駄のない動きと、無駄と思えて無駄ではない動作にシンクロした鬨の声。

 そこから繰り出される斬撃は──最上。

 

 その技術に、一条は感嘆を禁じ得なかった。

 

「まぁ、こんな感じかしらねっ」

 

「んぅ」

 

 一通り切り終えたのか、サッサッ、と手早くブラシングし、美容師が一息ついた。

 こそばゆいブラシの毛先から解放され、咄嗟に閉じていた両目を──開けた。

 

「…………見える」

 

 顔からサッと払いのける様にして視界を確保していた前髪は、もはやその必要はない。

 眉と目にかかる長さでありながら、そのくせ目を避けるように分かれているし、首を振ってもまるでそこが定位置だと言わんばかりに収まる。

 小綺麗に切り揃えるものと予感はしていたが、その予感はハズレ。意外にも切り揃えない感じで、どことなく当初の袈裟斬った要素も入っている気がする。

 

 それに前髪しか切らないと言っておいて、少し横の髪──サイドバングは耳に被る程度に。長く伸びた髪でストーンと落ちる様になっていた顔の輪郭が、頬に合わせて鋭くしている。

 

 これだけでもすごくしっくりくる。着飾りもなし、まるで髪が己に並び立っているような感覚さえある。自然体だ。

 これほどまでの技術なんて、とてもじゃないが他を当たっても見られないのではないだろうか。実際雄英高校から遠いし。

 もしくは──

 

 ──個性?

 

 個性:整髪。切ろうとした人を見ただけで、その人の体格や癖を見破ることができる、なんて──いや、そんなものないはず。ないよね。

 

 ──でも、あるの?

 

 奇想天外、奇抜奇天烈風変わりの“奇”三拍子。思わぬ個性があるのがこの世の中だ。扉がデカかったりするし。

 答えはわからない。少なくとも話しかけない限りは。

 

「でもあれね……」

 

 だが、切った本人は思いの外満足ではないようで、手に持ったブラシをクルクルと器用に弄んでは腰に収める。

 

「もそっとまとめられると思ったんだけど、私の手じゃこれくらいが精々かしら。ここからは専門外。あとはセクスィー! ミッドナイトにお任せね!」

 

「ご紹介はありがたいんだけど、セクシーは余計よ。否定はしないけどさ」

 

 不敵の笑みを浮かべて言い、長い黒髪を後ろに靡かせて歩くミッドナイト。いや、今思えば元々見知った仲なのかかなり打ち解けあった間柄なのだろう。

 こういう会話も、世の中にはある。今知った。

 覚えた。

 無理だ。

 合わない。

 

「さーぁて、いっちゃん……」

 

「その子いっちゃんって呼ぶの?」

 

「本当は一条ちゃんなんだけど、アタシが勝手に呼んでるだけ? 最近……あー、引き取ることになって……」

 

「へぇー! あなた兄弟とかいたの!? 姉妹? それとも親戚とか? 姪っ子ちゃんも上京って感じかしらー熱心ねっ」

 

「あぁははー」

 

「思ったんだけど二人って似てる? よね? わよね?」

 

 そう言われ、反射的にぐるりと首が横へ横へ。ついには後ろのミッドナイトと目があった。青い瞳と──目があった。

 美容師に言われても一体、

 

「「どこが?」」

 

「ぶっ」

 

 ──今の、おもしろいのあった?

 

 だが一条の真顔の疑問とは違い、美容師は笑った。二人の息のあった声と動作に。

 

「あなたたちそれわざとでしょ!」

 

「……。全然」「……。ぜんぜん」

 

「ほォら、それ!」

 

 ──どこが。

 

 二度(にたび)の“偶然”の合致に、美容師は笑みを浮かべるには飽き足らず腹を抱えて耐え忍んでいた。

 

 正直、心外だ。技術はすごい。けど、どうもこの軽薄な感じと信号のない車のような緩急のなさは疲れる。これは隣で同じように顔を並べて見やるミッドナイトと同じだ。

 

「でも似てるって言われると……まぁそうなんじゃないかしら」

 

「…………」

 

 ──どうして……?

 

「けど、あくまで髪の色とか目とか、そういう外見のことでしょ?」

 

 ──ミッドナイト……!

 

 全くもってその通りだ。自分とミッドナイトは違う、ということを自分は言いたかったわけ。胸の中で深く頷いてみせる一条はそっと座席に小さなヒップを落ち着かせる。

 

 これにて終わり。美容師にはできない、ミッドナイトならできる最後の仕上げをして、終いに──

 

『──続いてのニュースです』

 

 場違いなほど落ち着いたアナウンサーの声が、騒々しい美容院の雰囲気に水をさす。一条にとっては、それは待ち望んだ冷淡な声とも言える。

 

「うーん三つ編みかしら、それとも──」

 

「いやァ結構普通じゃない? もそっと──」

 

『──速報です! 田等院商店街で発生したヴィランによる事件で──』

 

 ──ちょっと、聞こえない。

 

 二人の談笑。後ろでいじいじ、いじられる後ろ髪。引っ張られて痛いとか、ぐりぐりと引っ張られて首が座らないとかはない。

 ただ──周りの音が多すぎる。

 

 背後でガヤガヤとくだらない言い合いの騒々を払い、背後の背後──鏡の向こうに映るテレビに視線を走らせた。

 

『こちら現場です! ご覧ください、商店街一帯には爆発による被害が広がっており──』

 

 この耳は便利なのか、鼓膜に届く情報を取捨選択できるらしい。

 鏡に映る一条の顔はどこか虚無顔。いつものような伏し目がちな青い瞳をテレビに穴が開くくらいに浴びせ続けた。

 

『ヴィランは半物理無効とも言える身体を持ち、人質となっている少年の“爆破系個性”を操っている模様! ヒーローたちは迂闊に手を出せず、事態は依然として完全な膠着状態です!』

 

「……」

 

 一条の指が、膝の上で止まる。

 テレビの向こう。ここではない、だが現実で起こっているもの。ヘドロのような毒々しい液体から、画面を揺らすくらいな爆破と共に炎が破裂。灰色だった路面は黒黒と焼き焦げ、その度に喉を焼く熱気が緊張を膨らませた。

 

 普通なら聞き流されるのだろう。世間じゃヴィラン騒ぎというのは大中小色とりどり闇鍋揃いの右往左往。言い過ぎだろうが、かなり多いのだ。個性犯罪という『ヴィランから人を──』ものは。

 

「──っ」

 

 刹那、青い目が強張りを宿った。

 

 頭の中。いや、音ではない、頭の中から引きづり出されるのを拒むかのようなノイズ。爪を立てて騒音撒き散らすように、横槍が入ってきた。

 

『ちょッ!? な、なにやってるの!? たった今、被害者の友人と思われる少年が! ────』

 

 一つ、部外者的な割り込みが、水面に石を投げ込んだように場をどよめかせ、スクリーン上のコスチュームを着た各々のヒーローにまで伝播していく。

 しかし、その少年は違った気がした。あの場で誰も動けず、場を読んで傍観者に徹することしかできない中にも関わらず、動いたから。

 

 そして、

 

『あっ!?』

 

 

 水面──いや、一つの劇場を丸ごとひっくり返す爆弾が壊したのすぐあとだった。取材陣のどよめきが高まる緊迫の堰を切るのは。

 

『DETROITォォ!! SMAAASH──ッッ!!』

 

 割れた。

 

 スピーカー越しだったはずの声が、美容院の空気ごとふるわせるような咆哮が叩き込まれたように覚えた。テレビの音量なんてかなぐり捨てる一声。それほどまでに、鏡越しのテレビに入り込んだ声は、空間そのものが一歩前に出てきたようだった。

 

 遅れて──腹の底を殴るような轟音が、さらに盛り上がっていた空間を押し上げる。

 テレビの奥の向こう。瞬き一つもしないうちに、大男が突き放った一撃がヘドロを吹き飛ばしたのだ。その余波は真上、商店街から炎を引き連れ、逡巡の竜巻を引き起こすほど。

 

「────」

 

『オールマイトです! ナンバーワンヒーロー、オールマイトが! 一撃で! 人質となっていた少年を救い出しました!!』

 

 

 一条は青い瞳を固くして、何一つ見逃すまいと口を噤み、食い入っていた。

 

 

 

* * *

 

 

 気づけば、一条はテレビから目を離していた。

 

 それは、テレビ番組が自分にとって、もうどうでもいいものに変わったからではない。後ろ髪を物理的に引かれる感覚が薄くなり、どうしたのかと目を離したから。

 

「よしっ、いっちゃんの髪型はこれで決まりね!」

 

「似合ってるっちゃ似合ってるけど、左右で長さ違うのは?」

 

「いい? アシンメトリーはね……かっこいいのよ」

 

 声の調子を低くしていかにもな風に髪を切る人にのたまうミッドナイトはさておいて、鏡に映る自分を一条は見返す。

 そこにいたのは、

 

「…………」

 

 高すぎず、かといって後頭部よりは上から二股に分たれた黒髪をした、自分だ。

 

 左右の髪は均一ではない。

 太さも、長さも、流れる角度も揃っていない。

 今までの勝手気ままに下へ下へと落ちていたものを束ねたというよりは、放射状に解き放たれている形に近い。

 まるで尾のように、動く予感だけを残して。

 

「どう? 気に入った?」

 

「────」

 

 ふと肩に手が乗って、青い瞳を瞬かせる一条。鏡に写っているから見なくてもいいはずなのに、首は声のかかってきた方へと向いた。

 ミッドナイトは、笑っていた。目尻を下げ、口を弧にして、一条がどう思うのかを今か今かと待ちながら。

 

 なら、ここは感じたことを言おう。

 

「…………。いいと、思う」

 

「そう……!? ほら、いっちゃんもこう言ってるんだし、これが一番よっ」

 

「まあただのツインテールだとそのまま下に下がるけど、この子の場合、拡がって見えて躍動感もある。いいわね!」

 

「でしょー?」

 

 また始まりそうだ。

 

 これが大人の女の人というものなのだろうか。共感が広がれば、また共感が嵐を呼んでやってくる。

 一条は二人の声を意識から背景にし、もう一度だけ鏡を見た。鏡の中に映り込んだ自分を見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──悪くない。

 

 そう、思った。

 

* * *

 

 

 そうして、改めて髪を洗い、そして乾かしてようやく終了。

 首元の布が外され、ポンチョ姿から再びサイズの合わないダボダボな衣装を纏った自分と鏡でご対面する。

 

「はい、これでおしまいっ。お疲れさま!」

 

 両肩に手を置き、顔を覗き込んでにこやかにする美容師。一条は鼻で吐息するとそそくさと椅子から降りて、二手に分かれた髪を揺らす。

 

 てくてくと歩いて行く先には帰りの支度をするミッドナイト。彼女は、改めて椅子に座る一条ではない、床に立つ一条を瞳に収めると、深く頷いた。

 

「うん、やっぱり似合うわねそれ。なんていうか型にハマったって感じがして、いっちゃんって感じがする」

 

「…………そう」

 

 ミッドナイトの和らげな言葉を正面に受ける一条は短く答えると、手のひらを頭に向けて触れてみる。

 なんてことはない繊維の集合体だ。なのに、どこか部品めいた気がしていた黒い糸の束は削り出され、髪となる。まるで、規則性に従って揃っていたものが、アクセントを加えられて生き生きとなるみたいに。

 

「…………」

 

「ふふっ、気に入ってもらえてなによりよ一条ちゃん。“髪”ってね、その人の生き方が出ちゃうのよ。不思議だけどね。でも、そんなみんなの大事な髪を切らせてもらうなんて機会がもらえるなんて、とてもありがたいことなんだ。……だから──」

 

 しみじみと、しかし芯は決して揺るがせない美容師が、体を低くして一条を見つめて、

 

「ありがとう、一条ちゃん。素敵な髪、切らせて、整えさせてくれて」

 

「…………」

 

 一条は一瞬だけ視線を落とし、それから自分がさっきまで座っていた椅子の方を見やった。

 ただ髪を切るだけ。そう思っていた最初の頃は、早く終わってくれないかな、なんて考えていた。けど、美容師の言葉に、短くてそれでいて深いもの──記憶が、リフレインする。

 温度とか、感覚とか、話とか。まだわからないものとか、色々。それを通った上で、椅子に座る前と椅子から立った後では違う自分がいる。

 

 けど、未だ自分は自分であることが違わないままだ。

 

 ──違うんじゃなくて……変わった?

 

 確信めいた言葉が胸の内の水面に雫となって落ちて、波紋だつ波が何度も何度も耳を打つ。

 確信めいたものは、確信に変わり──納得で終わる。

 

 

「ふふっ……グッ」

 

「……!?」

 

 拳が突き出されて、一瞬身が引く。目の前に、いやそれほど近くないところに突き出されたのは、親指の立った拳。

 

 一条は満足したような顔をする美容師と、美容師のした行動に二度見した。

 

「……。なに、それ」

 

「これ? 親指あげてグッてやるやつ。満足いったとか、納得できることをした人に良いってする仕草なのよ? だから、グぅ!」

 

「…………」

 

 再び親指をを立てる美容師に、一条は自分の右手を覗き込んで、

 

「……。──っ」

 

 親指を立てた。

 

 納得、したから。

 

 

 

 そうして、会計を済ませたミッドナイトが美容師と、次いつ来るだの、次の予定だのと話が終わって、

 

「さっ、いつまでもそんな服じゃ格好良くないし、次は服屋に行きましょっ」

 

「……うん」

 

 ──そこで、

 ふと、足が止まった。

 

 一条が振り向いた先にあったのは、まだついたままのテレビ。今度は鏡越しではなく、壁際のテレビを一条は実見した。

 

『本日の田等院商店街での人質事件は、ナンバーワンヒーロー、オールマイトの活躍により────』

 

 落ち着いた声。前とは喧騒さが打って変わって整頓された映像。

 

 画面が切り替わる。

 そこに写ったのは、地べたに座り、何も言わず少し不機嫌そうに眉を寄せる制服という衣装を身に纏った少年。

 乱れた金髪。強い目つき。

 

「…………」

 

 一条はただ、黙って見ていた。

 名前と、顔と。

 それだけを静かに。

 

「いっちゃんっ。行くわよ?」

 

「…………」

 

 呼ばれて、視線を戻す。

 

 扉が開き、短い鈴の音が別れを惜しむ。だが足を進めて外に出る。

 そして──閉まる、その時まで。

 

 

 鈴の音が短く、さよならと言った。

 

 

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