青き炎のBEACON《道標》   作:リクライ

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第四話 『海辺に少年少女』

 

 

 

 

 

 雄英高校、その一室。会議室は、外の熱気を遮断する冷房の微かな唸りだけが、その沈黙を埋めていた。

 

 円卓を囲むのは、現代の平和を守るプロヒーローであり、教師でもあるヒーローだ。そんな彼らの視線が注がれているのは、今後の生徒のカリキュラム、行事の取り決め書類などではない。

 一人の少女の調査報告書だった。

 

 

「──三ヶ月」

 

 重々しい空気。誰もが最初一手を置くのに決めかねている中、その沈黙を破ったのは、相澤消太だった。相変わらずのだるそうな声音だが、その黒い双眸は鋭さを増しながら、机上の資料を射抜く。

 

「あの子──星野が来て、もう“三ヶ月”です。三ヶ月が経ちました。それなのに、あの子を迎えに来るそぶりが、なぜ今になってもないんです?」

 

 相澤が、この三ヶ月、なにも音沙汰のない一条の現状について、胸中の苛立ちを晒すかのように、目の前に置かれた書類を人差し指で叩く。

 そのことに対して、この部屋──“会議室”にて集まる教員全員は発言がなくとも、ことの自体がすでに案件の性質を物語る。

 

「この書類だってそう。合理性に欠けている。血液鑑定による両親のDNA照合、全国の行方不明者リストとの照らし合わせ。警視庁のデータベースも、可能な限り見て洗った。だが……」

 

「……結果は変わらず、該当者『なし』」

 

 相澤の言葉を繋ぐように、あるいは書類の信じがたいことを無理やり喉に通すセメントスが繋げて腕を組む。

 

「親はおろか、遠い血縁すら辿れないというのは異常だ。まるで、神隠しから戻ってきたか、あるいは──」

 

「──どこかの研究所で、『造られた』か」

 

 スナイプが不機嫌そうにマスクでくぐもった言葉を継ぐ。ブラドキングに、まだ言を発していないエクトプラズムも、それぞれの懸念を表情に滲ませ、かやた雰囲気を醸し出す。

 

 あのとき、カプセルの中で眠っていたとされる少女。

 通常の点滴の針さえ通さぬ鋼めいた肉体に、スポンジのように吸収する頭脳。そして、己を『ブラックロックシューター』と自称し、人としての情緒を置き去りにした、ヴィランへの、目覚めの一撃。あれではまるで──、

 

「倒すための……兵器。いや…………。ミッドナイト、……保護者として、あなたの所感はどうなんです」

 

 小さく己の頭が弾き出した単語を零す相澤。

 その相澤に問われ、ミッドナイト──香山睡は、苦い表情で髪をかき上げる。

 

 三ヶ月。彼女は教師寮の一室で、一条に世界を触れさせ、一人の“人間”として生活を教えてきた。

 相澤は春以来、顔は合わせても話すことはなく、ならばと一条に一番接してきた香山としてのミッドナイトを指したのだ。

 

「……あの子は、自分は誰にどうと呼ばれても『ブラックロックシューター』であることに変わりはない、と言っています。今でこそ、付けられた名前(星野一条)があるけど、本人は特に言ったりはしてないわね」

 

「それは、そうするという選択肢しかなかった、とかは……」

 

「それはないわブラドキング! だって病院であの子なんて言ったと思う? 『違う』とか『私はそうじゃない』とか……えーと三回! 渾身のネーミングを、三回も蹴られたのよ?」

 

「………………すまんな」

 

「いいわ気にしない。それより一番気にしないといけないのは……あの子に帰る場所が、考える限りないということ。──ここをあの子にとっての居場所にするなら別だわ。そうでしょう、校長?」

 

 円卓の主。いや、コの字の机、その上座に座る、ネズミか。はたまたクマか。──否、根津校長が、静かに書類を置いた。

 

「そうだね。彼女の身元が判明できない以上、我々が管理責任を持つのは妥当だ。それに、これは香山くんがあの子を、一条くんを引き受けたときから、すでに候補として上がっていたのさ」

 

 愛嬌がありながら、ブレない根津校長の立ち振る舞いに、ミッドナイトの強張っていた頬の力が抜ける。

 

「それに、既存のヒーローを凌駕する可能性があるのは、すでに彼女の“初めて”の対ヴィラン戦闘にて明らか。あれが全力であったかでさえ、定かではない上に、悪意ある手に渡る危険性だってあの場にはあった。連中が“秘密兵器”と呼ぶ一条くんは、平和の象徴さえ脅かす“刃”にもなりかねない。──なら」

 

 根津校長の一声に、その場にいる教師の背が正される。

 

「その刃を、正しい鞘に収めるのが、教育者の勤めなのさ!」

 

 根津校長のつぶらな瞳が、慈しみと、底知れぬ計算を含んで輝く。この乱数がありきたりとなる今までの時代。損得と、一人の人生、この二つを欲張りにも選択したのだ。

 

「そうと決まれば、この雄英高校に入学することは必須となる。香山くんも、生徒を任されている中で大変だとは思うけど、並んで、一条くんの中卒認定試験での合格の足がけに尽力してほしい。ともあれ、一条くんがなんのために“力”を振るうか、それは彼女自身の選択。僕たちは、その選択を違わないように諭すのさ」

 

 これが決まりであった。

 

 ついで、椅子を引く音も全員の肯定の総意でもある。

 しかし、解散する教師たちの中で、香山は──ミッドナイトは窓の外を見上げた。

 入道雲が湧き上がる、暴力的なまでに鮮明な夏の青い空。

 

 あの子が、この空の下で何を思い、何を謳うのか。

 一条の光は、どこへ向かうのか。

 その未来は、誰にもわからなかった。

 

 

  ──蝉の声が響く──

 

 

 

* * *

 

 

 

 教師寮での生活にも慣れ、中卒認定試験に向けた猛勉強もいよいよ佳境。一条は、勉学に本格的に両足を突っ込んでいた。

 そうして、髪を切り服を買い勉強をし、美味しいものを食べ──早くも三ヶ月が過ぎる。

 

 そして今、一条はというと、 

 

「……あつい」

 

 暴力的な日差しがアスファルトを焼き、蝉の純恋歌が耳の中でのたうち回る世界を、一条は歩いていた。

 

 なぜこうして、こんなジメジメした日に限って外にいるのか。それは──猛勉強の合間にミッドナイトから、

 

『たまには日光を浴びてきなさい』

 

『えー……』

 

 と、渡されたスマホと一緒にポーンっと放流されたからだ。

 

 一条は、導かれるようにやってきた。

 夏といえば海。海といえば海水浴。海水浴といえば、泳いだり日光浴したり、運動したり。と、どうせ一人で晴らすならいい場所をということで、なるべく評価の低い海浜公園を探したのだ。

 しかし、

 

「……ちゅーそつ認定……合格。……次、雄英」

 

 ミッドナイトの指導のもと、幾たびの試練を乗り越え、一つずつ着実にクリアした。今も、そしてこれからもしていくつもりだが、頭の中に詰め込まれた知識はまだ、一条の中で“自分のもの”として消化しきれていない。

 胃もたれ気味だ。

 

「…………。難しい……」

 

 自分の白く、それでいて細い指を歩きながら見つめる。

 

『野郎!! ぶべっ!?』

『やり──ご!?』

『ギャ──!?』

 

「…………」

 

 この手は、“ヴィラン”と世間で呼ばれる悪人を壁を壊してまで吹き飛ばし、鉄塊を軽々と振り回すことしかしていない。けれど、たとえ敵を薙ぎ倒したとして、それは世間で言う“ヒーロー”と言えるのだろうか。そんな“暴力”の塊で、いったいどうやって、今の自分で人を安心させる“ヒーロー”になれるのか。

 

「……ヒーローは、人を安心させる存在。…………」

 

 ──難しい。

 

 片手に握っているスポーツ飲料水が、今は考えあぐねて熱を出す頭を冴えさせてくれる。

 暑いのは嫌いだ。けれど、考え続けるのは、少し苦手だ。だからミッドナイトが外へ放り出してくれたことは少なからず感謝している。

 

「……んくっ…………はぁ」

 

 ペットボトルに口をつけ、垂れてくる結露とともに冷たい液体が喉を滑り落ちていく。火照っていた内側は一気に冷やされて、甘さと塩気の混ざった味が、欠けていたものを補ってくれた。

 

 さて、この貯まったストレスを発散すべく、一条が向かう先。一条はポケットから端末を取り出し、目的地を映し出した。

 

 一条も、この三ヶ月で現代文明の吸収に追いついた。今は、行きたいな、とか、あれが知りたいな、とか思ったことをすぐスマホを手慣れた手つきでタップアンドスワイプ。

 

 それで、はるばる誰もよりつかないで会話もしなくていい場所を探して、見つけたのだ。

 

   ── 『多古場海浜公園』 ──

 

 その評価──脅威の星1.5のスポットを。

 

 他人と喋るのは今後も必要となってくるだろうが、今は誰かと話す気分にもなれない。なら、あまり人の寄り付かない場所はどうだろうと探したとき、この場所がヒットしたのだ。

 

 自分を示す青い印が、目的の場所に近づくのが見て取れる。

 

「……あとすこし」

 

 目的地までもうわずかと知れた一条。端末の電源を落としてショルダーバッグの中に放り込み、期待の入り混じった足運びが早足気味になる。

 足が前へ進むたびに、あの時に髪型を決めた非対称の二股の黒のテールが、一条の歩いた軌跡を黒く描いた。

 

 たどり着いたそこには──

 

「──っし! ──う、ぅぉおおおお!!」

 

 一面を覆う潮騒を突き破るような必死な叫び声が、一条の鼓膜を叩いた。

 その声に導かれるように、一条が足を進める先は目的地と重なる。

 

「…………」

 

 堤防の上に立ち、海を見下ろした。──地平線は見えなかった。

 一条の青い瞳が向いた先。そこには、ただ人気がないといった理由を裏付けるゴミの山が積み上がった海岸があって、

 

「く、くくぅ……! ぐんぬぅ〜……っ!」

 

 その中に、自分と同じかすこし越えるくらいの小柄な少年が、壊れた軽トラを肩に紐をかけて背負う、泥臭い、けれど猛烈な勢いで雄叫びめいた声を上げる。

 その足は砂場をほり削るだけで、一歩たりとも進めてはいない。

 

「…………?」

 

 一条の青い瞳に、困惑の色が滲み始める。そんなものに頼らなくたって、業者を呼びつければいいのではないかと。

 しかし同時に、彼の一生懸命な顔つきが、その行動に何らかの意味があるということを物語っていて、一条は余計に小首を傾げたくなった。

 

「……熱い」

 

 これは、決して太陽の熱でも、熱されたコンクリートから足を這い上る温度からでもない。

 彼の放つ、気概と呼ぶであろうモノが、当たってきたような気がしたから。

 

「──っ」

 

 一条は、関わる煩わしさを忘れたように防波堤から飛び降り、砂浜へと歩みを進めた──

 

 

* * *

 

 

 ──人は生まれながらにして平等ではない。

   それが、齢四歳にして僕が知った、社会の現実だった──。

 

 

* * *

 

 

 それが、四歳の僕が知った世界の真実(現実)だった。

 幼馴染が爆発を操り、誰かが空を飛び、誰もが当たり前のように“個性”を謳歌する世界で、

 僕──緑谷出久は、

 

『諦めた方が良いね』

 

 ただの一度も、口から火を吹くことも、物を引き寄せることもできなかった。

 それが、四歳の頃に突きつけられた厳しい現実。ヒーローを目指すには致命的な

 

 

 

 

    ──『無個性』──

 

 

 

 『超常』がいつしか『日常』となったこの世界で、ヒーローを夢見る僕にとって、それは、越えられようのない『壁』だった。

 

 

『ごめんねえ出久っ……ごめんねっ……』

 

 ああ、違うんだ。違うんだ、お母さん。僕があの時言って欲しかったのは、終止符でも、絶望への宣告でもない。

 誰かに、一人でもいい。言って欲しかったんだ。

 

 ──そして、あの日。

 

『──君は、ヒーローになれる』

 

 ナンバーワンヒーロー、平和の象徴となった男──“オールマイト”が言ってくれた。『ヒーローになれる』って。

 誰かに言って欲しかった、その言葉を。

 

 涙で視界が滲んで、喉が張り裂けたみたいに詰まって声が出なかった。今まで封じ込めてきた、不安と迷いの積み重なった想いが、憧れのヒーローに開け放たれたから。

 その想い()に向き合っていいと、背中を押してくれたから。

 

 だから今、十年もの間足踏みしていたスタートラインを踏む僕はここにいる。

 オールマイトの個性。個性(ちから)を“譲渡”する個性。聖火の如く引き継がれてきた個性。

 

  ── 『ワンフォーオール』 ──

 

 人の思いが織り込まれた力の結晶を受け継ぐ。その前提の“器”を作るために、

 

 

 

 

 

 

 

 

「……く、ぅっ……ふぅぅぅうううおおっ!!」

 

 僕は海浜公園のゴミの山の中にいた。

 自分でも考えたことがないくらい、キツさに笑ってしまいそうになるくらい、がむしゃらに──ひたむきに。

 

「くっ、……くく!」

 

 肺が焼ける。肌も焼ける。

 筋肉が、悲鳴をあげている。

 肩に食い込むトゲトゲとした荒いロープの感触。砂に沈み込んで、ジャリジャリとつま先を撫でられる足。

 それら一切をかなぐり捨てて、全力を背後を引き摺るのに尽くす。

 背負っているもの、

 

「ぅうなぁれぇえ……ッ!」

 

 投棄された、錆びついた軽トラックを。

 

 こんな、無謀としか言えないモノを運ぶ、これは越えねばならない壁であり、通過点。この程度でへこたれて、どうする。

 

 雄英高ヒーロー科受験のための修行のため、オールマイトから授かった『目指せ合格アメリカンドリームプラン』。これが、入試当日まで体を完成させるために課せられた、僕、緑谷へのチュートリアル──いや、チュートリアルに入るためのイントロだ。

 

 そして、

 

「一歩ぉ……まえぇ!」

 

 季節は夏で、トレーニングを始めて三ヶ月が過ぎて現在。残された時間は、

 

 

   ──七ヶ月──

 

 

 もう七ヶ月しか、時間が残されていない。

 ヒーローに『なれる』と言ってもらったあの日から、この心臓は、この時間は、どの瞬間よりも速く、熱く、爆発しそうな音を奏でている。一秒たりとも無駄にはできない。もっと突き詰めなければ、開いたままの距離は縮まらない。

 

 ──重い……!

 

 腕が「……ねぇ」ちぎれそうだ。錆びた軽トラの重みが、出久へ現実を突きつけるように、踏んだスタートラインを越える一歩は途方もなく重く遠い。かつての、『無駄だ』という言葉で首根っこを引っ張られているような重みだ。

 

 でも、

 

「うんごぉけえぇえ!!」

 

 ──ここで、立ち止まるわけにはいかないんだ!

 

 一挙手一投足に力を込めるたびに、耳奥でが鼓膜を乱れ打つ。ドクドクと体を巡る「……それおもい?」血液の音が。

 そのせいか、さっきから幻聴が聞こえてくる。

 潮騒の音もどこか遠くに聞こえるところに、何かが言っている。

 

「……う、ぅ……ぉおおお!!」

 

 これは熱中症の予兆だ。意識を逸らすな。水を飲むなら、汗を飲め。それくらい頑張らないと、きっと追いつくことができなくなってしまう。

 

 だから、出久は前に進む。試みる。

 たった一歩に渾身の力を込めて、

 

 ──更にぃ!

 

 その限界をも、

 

 ──向こうへ!

 

 踏み越え「ねえ」────

 

 

「ぇえ……?」

 

 また聞こえた。今度は心音よりもずっと近い。鼓膜を直接弾かれたような。

 すぐ隣で──自分を覗き込んでいるような。

 

「……は、か……ぁ……っ!」

 

 酸欠で霞む世界。

 

 水を得た魚のように、浴びるほど空気を飲んで呼吸に鞭を打つ。そしてゆっくりと、その“声”の方へ首を動かして、

 

「────」「────」

 

 青い瞳と目が合った。

 

 

 

「……やっと気づいた。ねぇ、ここで何してるの?」

 

 目の前で、膝にそっと手を添えて、腰を折る──深くもなく、近すぎもしない、猫を覗き込むように話しかけてくる。

 

「…………」

 

「…………あれ」

 

 視線が下がって、瞬きを滞らせる出久の深緑の瞳とより目が合った気がした。

 少し丸みのある目が、きょとんとして、好奇心を青い瞳に揺蕩わせながら覗き込んでくる。

 

「……ねえ、なにしてるの? って、聞いてるんだけど……」

 

 首がほんの少しだけ、傾いた。して、その人の頭の後ろ、高く結ばれて二股に別れたツインテールが、一緒になって揺れる。

 

 そのとき、思考がぐるぐると急加速し、軽トラの重みすらも忘れるほどに出久の心の中に満ち溢れていた熱気が真っ白のキャンバスへと早変わった。

 

 目の前に立つ人、というより、真横で並び立つようにしてこちらを覗き込んでくる人は、黒い髪を潮風で揺らし、瞳は夜の海を切り取ったように──青い。

 さんさんと降り注ぐ太陽が登った夏の空よりも、もっと深くて、冷たい。

 

 肌の色なんて驚くくらい白かった。自分の肌とは比べ物にならないくらい、健康からも程遠いくらいに、白い。雪のようで、この夏空の下にいることでさえいつ溶けてもおかしくないくらい、新雪のように儚い。

 

 見ているだけで自分の体温が数度下がったような錯覚するくらい。

 

 そしてその人は──、

 

「聞こえてる……?」

 

 女の子だった。

 

 

 

 

 

 

 ──え。

 

「あ」

 

「あ……?」

 

 呼吸が我を取り戻したからか、それとも目の前の人物に冷やされたからか、それらは定かではない。だが、夏とトレーニングでほっていていただろう脳内が冷や水にぶつけられたかのように、出久は身を固めてしまった。

 

 思考が空回る。だってそうだろう。

 

 ──お、女の子っ!?

 

 出久は、うぶな人であった。

 

 

 

「アバババババ…………」

 

「え……? どうかした?」

 

 違う。そうじゃない。なにをテンパっている緑谷出久。目の前の女の子が、自身の奇怪に震える舌と表情筋で、怪訝に眉を寄せているではないか。

 気を取り直せ。

 

 その瞬間、緑谷出久の脳内はトレーニングとは毛色の違う回転数を叩き出す。

 

 まず、まずは話す。話すためには、少しでも彼女の無垢さのある淡麗な顔から目を逸らすことが必要だ。目を合わせないで話すのは不誠実かも知れないが、それよりも話さないで震えている方がよっぽど変にも程がある。ありすぎる。

 

 だからこそ、出久は猫のように小首をかしげる少女の瞳から目を外して、

 

「顔まっか。かぜひいてるの?」

 

「────」

 

 頭がエンストを引き起こした。他でもない、純粋な心配によって額に当てる少女の手によって──。

 

「くぁwせdrftgyふじこlp!?!?!?!?」

 

 混乱が最盛期を遂げた。

 

「え、わたし……何かした? ごめんね?」

 

 茹でたポットの熱から手を反射のように手を引くように額から離す少女。

 

 その様子に、余計な気遣いをさせてしまったということが焼かれた言語野をリブートされ、緑谷は肩に食い込んでたロープを外して身軽になる。

 

「アバババババぜぜ全然全然、なななななん何にもにも謝ることなんんててないないよよよよよ」

 

 そして取れんばかりに左右に首を振り回し、白黒の目のまま緑谷は両手をバタバタ振った。

 だが、緑谷の奇怪な言葉と挙動で、表情の変化に乏しい顔に難しい空気感を浮かばせる少女は、

 

「すごい震えてる……風邪?」

 

 心配してくれたのだろう。こんな醜態を見せてしまってもなお、自分のことを案じてくれる少女には感謝しかない。感謝しかないが。

 

「大丈夫?」

 

「ピェ」

 

 ──ちぃかっ!! 近い近い近い近い近い!!

 

 視界いっぱいに前に乗り出した少女のかわいらしい顔が映り込んで、出久の口から漏れた。

 前に乗り込んでくるように、ズイズイとただでさえ少ない距離が埋められ、角に追い込まれたネズミみたいに緑谷は尻餅をついて逃げ場を失う。

 

「あぁあっ、あのえとっ!」

 

「はぁ……」

 

 ──た、ため息!?

 

 その姿に興味が失せたのか、いつまでも釈然としない緑谷の態度に青の視線を逸らす少女。

 ただでさえガラスめいた心がピシッと日々の入る感触に、自身の首を落としたくなるものの、元はと言えばさっさと答えない自分にも非がある。

 それとして、人の前で吐息するのはどうかとは思うが。

 

「ゴミだらけ」

 

 素っ気のない態度で、少女は折っていた腰を起こして緑谷から横へ向く。その顔は涼しげで、目の前に広がった惨状すら青い瞳には憂いといったものは見受けることはなく、ただありありと事実のみを写し込んだ。

 

「…………」

 

 徐々にクールダウンしてくる緑谷の頭脳体。頬の輪郭を撫でる汗に居心地の悪さを覚え、首にかけていたタオルで拭い去ると、改めて見上げた。

 

 なんだか盗み見ているようでいい気がしないが。

 

「…………」

 

 無言で辺りを見渡す少女。彼女の格好はひどく簡素だった。風を通す薄手のパーカーに、動きやすさを優先した黒のタンクトップ。

 下はラフなグレーのショートパンツと黒のスポーツレギンスの組み合わせで、見ただけでもわかるくらいに動きやすそう。

 黒黒黒。その黒さは、光透かされてしまうと消えてしまう白肌を世界に押し留めるためのようだ。

 

 その背後。頭の、それも高めに結ばれ、二つに分かれた黒い髪。夏の光に照り付けられ、黒髪は朝焼けのような色味を帯びる。

 

 そして、少女が動き出した。先ほど緑谷が引っ張っていた──投棄された軽トラへ。

 

「…………」

 

 コンコン、と何かを確かめるように、少女が白い手を握って茶色味を帯びた白のボディを叩く。

 なにを考えているかでさえ、軽トラのボディを反射して浮かび上がらせる青い瞳からは垣間見ることはできない。

 が、その瞳が、緑谷の方へと再び歩いた。

 

「……手、貸す?」

 

 差し伸べられたのは言葉の手だった。

 

 違う。今はこんなところで座っている場合じゃない。自分にはそんな余裕が、ないのだから。

 

 ようやくやるべきことを思い出し、重い腰を上げる出久は少女の方へと歩み寄り首を振った。

 

「う、ううんごめん! これは僕の特訓なんだ! だから、その……手伝ってもらうわけにもいかなくて……!」

 

「…………」

 

「だ、だからっ……その、せっかくの申し出だけど……」

 

 少女の力添えを控えさせようとするたびに、出久の語尾はだんだんと弱々しく萎む。

 せっかく手伝ってくれると、あまつさえ重いものさえ持てなさそうな女の子が言ってくれたのに、罪悪感に肩を押されて目が下に、軽トラに乗った少女の手に落ちてしまった。

 

 けれど、少女は何も言わず、顔の合わない緑のもじゃもじゃ頭に視線を浴びせる。

 

「…………」

 

「…………」

 

 二人して、同じ軽トラに手を置いたまま無為な時間が過ぎていく。

 沈黙はやはり何も生まず、近く、それでいて遠い少女との生まれた距離に、海が鳴いた。青い海、ゴミ山の向こうから聞こえてくる潮騒、真上から照りつける日差しが、まるで何か言えと。お前にはそうしなければならない、と攻め立てるように。

 

「…………」

 

「…………」

 

 ──え。まさかずっとこのまま? な、何か言わなきゃいけないのか? でも言うことがないし、そもそもこの子の手を払ってしまったのは僕だぞ……!? で、ででっでもどうしよう!?

 

 遠く遠くで、海猫が何か言ったような気さえして、余計に神経が研ぎ澄まされる。そのたびに、広々としていたはずの周囲がどこか狭苦しく感じてきて、出久はとにかく前を見づらくなっていた。

 

 ──ていうか今どれだけ時間経った? ていうか女の子の前でゴミ山トレーニングって何!? ヒーロー志望としてみんなに追いつくために必要なことだけど、一般的にみたらかなり変人に見えないか僕……!? 大丈夫なのかよ……!? 

 

「…………」

 

 喉が鳴った。

 

 ──あっ、今の変な音聞こえなかったか!? 絶対変な音鳴らしたよ!? というか耳が聞こえ過ぎない!? 心臓がうるさい……!!

 

 ちら。

 一瞬、出久の深緑の瞳が持ち上がり、軽トラに乗せられた自分の手の向こうに行く。

 まだ──手はそこにあった。

 

 ──え、えええええええどうする? もう一回断る? い、いやでもさっき断ったし二回断るのもしつこいって思われるんじゃ。でもこのまま何もしない方がもっとおかしいでしょ!?

 

「あ、あのっ……」

 

 でた。

 口が、限界に耐えられず、勝手に。

 そして合った。合ってしまった。ずっとこちらを見ていたのであろう、青い瞳と。

 

 ──し、しまったあぁぁああ!!

 

「あっ、えっとその……!」

 

 辿々しく言葉を濁すたびに、目の前の青い瞳に見つめられる自分が、まるで蛇に睨まれたカエルのようだった。

 

 ──なんか言え! なんか! 緑谷出久! “ありがとう”とか、“心配してくれてどうも〜”的なとかそんな感じなの! なんでそれが言えない? けど、もっと他にあるんじゃないか? もっと他の!!

 

 一秒、いやもっと短い。それは雷が空を走る、まさしく須臾に等しいひとときが出久の脳内で流れていて、

 

 ────

 

 緑谷に電流走る──。

 

 

 迸った予感に、出久はただ、従った。

 

「──出久」

 

「……?」

 

「僕の名前、緑谷出久って言うんだ。君の名前は……?」

 

 それは、未知を既知に変える、今できる唯一の手段だった。互いを知り合うなら、その一歩はまずこうだと、そう思ったから。

 

 さあどうなる、と不安がりながら出久は青葉の双眸を揺らめて、それでも目の前の瞬きひとつもしない少女から目を背けず、待った。

 だが、

 

「ブラッ……ん」

 

「────」

 

 ここにきて、目の前の少女が言葉を詰まらせたことで、出久は初めて緊張が解けるのを感じる。自分と同じように、彼女もまた舌が回らないくらいに肩に力が入っていたのかと──、

 

「──星野一条」

 

 訂正、いっぺんも淀みがなかった。

 そして、

 

「おしゃべりはあまり好きじゃない。私のことは気にしないで。さっきの続き、続けて」

 

「」

 

 その後に続いた言葉も、いっぺんの澱みなかった。

 

「あ、はい!! ってぇ……」

 

 固まりかけたものの、はっきりと返事をした。が、追いついてくる言葉の意味合いに、出久はカクンと首を曲げる。

 

「…………」

 

 なにも言わず、出久の即答を飲む──一条と名乗る少女。一条は小さな口を一つの線に保ちながら、軽トラから手を離して、悠々と歩を進めて離れていく。

 

 

 

 

「え、えぇ……?」

 

 困惑する出久を残して──。

 

 

 

* * *

 

 出久は、軽トラックに結んでいたロープを握ったまま、しばらく立ち尽くしていた。わかったのは、これ以上これを引っ張ったとしても多少は効果は出るだろうが、いかんせんゴミが減るわけがないこと。

 であれば、他のトレーニングだ。と紐を片付け始めたのだが。

 

 ──……え。今、なんか音、しなかった? せ、背中越しに……パサッ、ていう軽い布みたいな。

 風? いや、風にしてはやけに人為的な──

 

 出久は、ぎこちなく振り返った。

 

「────」

 

 開かれたパラソルだった──。

 

「…………。────ぇ」

 

 いや違う。そうじゃない。そうじゃないのだがそうじゃない。潮風に揺れながら、完璧な日陰を作っているもののそうじゃない。

 かといって、その下に“プラスチックの椅子”が置かれているのにも言いたいがそうじゃない。

 

「ふぅ……。……んくっ、おいしい」

 

 当然のように座って、スポーツドリンクを飲む一条。彼女についてだ。

 

「…………──」

 

 緑谷の思考に、禁断の心理が解き放たれたような気がした。ネット上でよく見る、宇宙のそれ。

 

 ──え? いつ? どこからどうやって? っていうか

 

   なんで??

 

 視線をやると、特になにも気にしていない一条は静かに、ゴミ山を見渡し、そして足元に広がっていた何かをひょい、と掴み上げた。

 

 ──で、電子レンジ……。

 

 次の瞬間、

 

「……じゃま」

 

 ポヒューン、と軽い音ともに、電子レンジがゴミ山の頂点に登頂した。

 

「え」

 

 いや、失礼だろうが、今出久の脳内は視覚から伝わってくる彼女の身体データに目が点だった。

 箸より重い物を持ったことがないような少女。色白で、存在が軽薄な女の子。その白さを黒さで輪郭を作る少女。そんな、一言で言ってしまえば“不思議ちゃん”だった。

 

 けれどだ、

 

「これもじゃま」

 

 ──今度は掃除機……。

 

 またひとつ、ゴミ山に収まったのはゴミの掃除機だ。投げる動作は重さを感じさせず、また無理もしていない、ただ軽いキャッチボールをするかのように飛んでいく。それが例え、一、二キロだとしても、さっきの電子レンジに至っては十キロ以上であるのだ。

 

 ──え゛……ぇなにこれ。僕が疲れてる……わけないよね。いや、疲れてるけど、別に頭が限界とかではないし…………え?

 

 口をあんぐりとしたまま出久は、変わらない表情で飛ばした掃除機を眺める一条を見ていた。

 

 一条は全く気にすることはない。ただ、パラソルの影の中で足を綺麗に揃え、背もたれに軽く体をあづける。

 チラリとこちらを見る。

 

「…………」(スーン)

 

 再び、あの顔である。なにを考えて、なにを見ているのかわからない目が。なにを考え、なにを音に出そうとする口が。

 顔が出久の困惑顔と向かい合わせになる。

 

 ──え、こっち見てる。さっきからジロジロと見ちゃったから!? うぅわぁ星野さんになんて失礼な目を向けて──

 

「気にしないで」

 

「え」

 

 再び、何か言わなければならないという重圧めいた沈黙が立ち込めるかと思いきや、恐ろしく早く向こうが破り捨てる。

 

「続き、続けていい」

 

「…………。はい……?」

 

 ──このっ状況で!?

 

 脳内で疑惑の警笛が甲高く鳴り、残響がうるさく爪痕を残す。

 おかしい、と。何か、決定的に何かがおかしい、と。そう叫んでいるのだ。

 

「よいぃぃいっしょッ……と。よしっ」

 

 混じっていたゴミのタイヤを四つ、両手と首にかけて、肉体強化の一環であるゴミ掃除に戻る出久は得意げに息を吐く。

 だが、公園の入り口前に運ぶまで、その疑問が晴れることはない。

 

 前まではタイヤ一個持って駆け足するのでやっとだった出久も、三ヶ月も鍛錬を積めばこれほどまでに変わったものだ。

 しかしながら、あんまり変わった気がしない、この不法投棄され水平線を覆い隠すゴミの量。

 

 階段から脇を見下ろす。

 

「…………」

 

 置き物のように、おそらくはゴミ山から引っ張り出したであろう、有り合わせの簡素なビーチセット。その椅子に深く腰掛け、スポーツドリンクを飲む一条。

 

 師であるオールマイトならまだしも、見知らぬ──いや、見知り名前も交わした仲だ。いや、見知ったは見知ったけどもついさっきだ。

 友だちにさえ教えていないトレーニングを、邪魔はしないからと傍観者になる一条から気にしないようにすることなど、出久には──、

 

 ──むりぃ!! 女の子に見られたままトレーニングなんて無理だよぉ……!!

 

 ──っていうオールマイトは!? いつ戻ってくるの……!? まさかヴィラン退治に忙しいとか?

 

 出久の心は落ち着きを取り戻すどころか、ざわめき、妙なところで力が入ってしまう。

 一秒一秒。一手、一足。それが、ゴミをまた一つ運び出すたびに色濃いものになる。大袈裟には違いないが、とにかく。

 

 

 ──気になる……。

 

 気になるのだ。

 

 公園は前から階段を降りて、またまたゴミを持っては降りてきた階段を登って公園前に。

 そうやってゴミ山に戻ってくるたび、ゴミ山にぶつかっていた一条の視線が出久の方へ戻り、射抜く。

 

 だが、次第にむず痒かった視線よりも、彼女のあることの方が気になる。

 

 ──星野さんの個性って……どんなのなんだろう。

 

「…………」

 

 ──見た目はあんなにも細くて、雪みたいに白い。

 

 ──けど、投げ飛ばす動きに、“個性”の発動エフェクトは見えなかった……。けど……ただ腕を振るっていう、それだけで重さ十キロ以上はある家電が、紙飛行機みたいに飛ぶ?

 

 ──挙げられるなら“身体強化”……? いやでも、それなら筋肉の盛り上がりとか、もっと予備動作があるはず……。

 

「…………」

 

 と再び論争が繰り広げられる出久の脳内ではあらゆる身体強化系個性が渦巻く。顎に指を添え、片腕は次なるゴミを探しながら、影の中も潜むよう屈んで。

 が、

 

「…………じゃま」

 

「──つまり、星野さんは発動型ではない、異形系の個性に入るので、は……。──え?」

 

 考え事に沈んでいた。

 足元に落ちる影も、潮騒も、意識の端で揺れているだけで、今議論に持ち出していたものとは反対で、意味を持っていなかったはずだ。──なのに。

 

 ──…………。あれ。“光”?

 

 一瞬遅れて、出久は足元の影が消えていることに気づく。さっきまで、確かに背後から重たく伸びていたはずの、影が──ない。

 

 予感が背筋を這い上った。すぐ後ろに。

 

 

 

「これは……あっちに」

 

 おそらく立ち上がった一条の声が、すぐ背後、影の消えた方から聞こえて──背後を見た。

 

「え」

 

 廃棄されていたもの。あれだけ全身全霊を持ってして引こうとして、けれど引けなかった軽トラックが、

 

「よいしょ……」

 

 一人の少女に両手で持ち上げられて、端に置かれた。音もなく、ダンボールを避ける、程度で。

 

「これで、出久のことが見やすくなる」

 

「ホァ?」

 

 情けない声が漏れた。自覚はある。

 けど、この目の前の少女のせいで、脳内の『ヒーロー分析ノート』が、火を吹いてオーバーヒートしている。

 

 ──ぶ、ぶつりほうそく……。

 

 まるで、少女の周りだけ書き換えているみたいだ。

 だが、彼女が軽トラを置いたとき、砂浜は沈み込み、確かに重量を持っていることを証明する。

 なのに、一条の細い腕には、血管の一本でさ、浮き出ていない。当然のように涼しげだ。

 さらに──

 

「……ん……どうかした?」

 

「OH MY……」

 

「……? ────」

 

 背後、公園入り口前。三ヶ月──いや、古い動画から今に至るまで観て聴いてきた声が、一条の背後から乾いた喉を通ったように引き攣り、漏れた。

 

 出久と一条が一緒になって振り向く。

 そこには、

 

 

「GOODNESS…………」

 

 

 ヴィラン退治から戻り、そして一幕を垣間見たであろう、“トゥルーフォーム”の姿となった、“オールマイト”がいた。

 

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